於徒楽的日記(OFF生活編)
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2001年12月24日(月) 仕事帰りにキャンドルサービス

 ここでいうサービスは礼拝の意。イヴの夜はこれに限る。もう何年も教会で蝋燭を持って讃美歌を歌いまわる生活。ま、年1回しかやらないからできる。でも本来は「お生まれになった」ことについて大騒ぎすることにあるのではなく、そのときを迎えるまでの緊張感と、生まれてからのち試練を受けて十字架の死までを見通すこと。キャンドルサービスはその節目となるイベントである。
 讃美歌の中で最もポピュラーな「聖しこの夜」「諸人こぞりて」が思い切り歌えるのがこの夜である。キャンドルサービスの後、キャロリングといって、教会ゆかりのお宅の玄関前であつかましくも讃美歌を歌うのが恒例。去年ソプラノの発声に慣れたものの今年は何もしてなかった。でも体調は程よくデスカントを勝手にやってみた。
 ずっと11月から騒がしいと、この夜に大きな声を出す意味が薄れてしまう。だけど、来年も賑々しく迎えるのだろう、クリスマス。


2001年12月22日(土) お年寄りとクリスマストーク

 さて、「ふくし実践」とかぶりそうな内容なのだが、あえて今回はクリスマストークに絞った話題で攻めてみたい。この日仕事でお年寄りとクリスマスに関した話題を約10分かけて繋いでみたが、中身を理解して話して下さる人はその日の利用者でただひとり、やはりクリスチャンの方。で、なかなか70〜80代の年齢層には受けが悪かった。
 誕生日という形で少し視野を広くとって、「では、お釈迦さんの誕生日は?」となると、雰囲気が一変して「花祭り」で盛り上がってしまった。やはり戦後のアメリカ的文化戦略・経済効果に乗った日本的クリスマスの存在を実感。
 一応、聖書ではクリスマス=イエス・キリストの誕生について語る事となっている。しかし、現在のように12月25日に「降誕した」と定められたのは後世。冬至を祝う西洋世俗の習わしに絡めたお祭りとして定着したと聞く。また別に1月6日に行うべし、とする教派も存在している。そこでその日を「公現日」として新たに新年を憶える、とする方法もある。今年はちょうど1月6日が日曜日である。
 もうひとつ気になるのがサンタクロースの意義。レクではやはり当然のこととしてサンタからのプレゼントを演出したが、これも聖書の時代にサンタクロースは出なくて、あとから北欧で生み出された奉仕の具体化策と思われる。
 クリスマス・プレゼントはいつ頃から子供達へ「サンタクロースが来て置いてった」のだろうか。今の介護者(息子・娘世代)は貰った経験があっただろうか。それとも、団塊の世代(即ち於徒楽の親世代)が最初の(?)サンタ代理を担ったのだろうか・・・。


2001年12月12日(水) 使ってみた。d−MTR

 スマートメディアのリーダライタが格安で入手できたのもあって、早速パソコンで鳴らしてみる。.MP2ファイルで、RealPlayer使用。ほほほ、これでアップロードすれば公開可能、というわけだが、サーバーの制限を考慮して、サイトの方針としてもこれはやらない方向ざんす。やるほどの腕でもないし。
 とりあえず仕事で現在BGM制作を自主的にかってでており、そちらの方が当然優先なり。キーボード内蔵のシーケンサーで録っておいたものをMTRにおとしてファイル変換させた、と言うのが今回の作業。で、エフェクトの素人である於徒楽は、なんちゃらミックスというものの羅列を聞き並べてみてちらっと「(雰囲気に)合う」「合わない」を嗅ぎ分けてみることができただけでも、MTRを導入した意義はあったと思う。
 BGMの中心は皮肉なことにクリスマス。あれだけサイトで「静かに!」キャンペーンを張っていても結局は現実路線なのねん。嗚呼、学生時代の二の舞が・・・。夏は七夕関係で一肌脱いだ。ま、一回作っておけば数年はもつかしらん(甘い?)。でもこの調子やと次は節分か雛祭りか鯉幟か・・・。苦しみマス。


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