昨日・今日・明日
壱カ月昨日明日


2006年09月06日(水) 歩きたいのに雨が降っている

虫の声が続いている。昨夜からずっとだ。9月になってから、鈴虫だか蟋蟀だかわからないが、何かしら秋の虫の声がしている。先日、渋さ知らズとKONONO NO.1のライブのため、河内長野に行った時も、あちこちで虫が鳴き叫んでいた。
今朝はずいぶん涼しい。風が冷たいと感じる。薄く曇った空から、ほんのり雨が降っている。目をこらさなければ、見えないような雨が少しだけ。
秋だ。容赦なく、季節は進む。

最近、買った本。
『水声通信』(特集:表象とスクリーン)、矢内原伊作『アルバム//ジャコメッティ』(みすず書房)、都築響一『夜露死苦現代詩』(新潮社)、『みすず』9月号、それから…、もっとあったような気がするのに、たぶんきっとあるのだが、どうも思い出せない。

昨日は図書館から借りた、荒川洋治『文芸時評という感想』を読み終えた。その前は、文庫化した『いつか王子駅で』を読み直した。古道具屋でバックミラーつきの古い自転車を買って、そのボロ自転車を転がして、図書館に瀧井孝作を読みに行くくだりがあって、昔、単行本で読んだ時、とても印象的だったのを思い出した。小説の中にそういうシーンがあることも、それが好きだったことも、今回再読するまでわたしは忘れていた。でも、主人公が遊園地でひとり観覧車に乗って、荒川を眺めるところは覚えていた。ひとりでいることが孤独なのではない。

以前読んだ本を再読すると、自分が変化していることがよくわかる。前はまったく引っかからなかった文章に、どうしようもなく惹かれることがある。読み流していたディテールに、付箋をつけたい気分になったりする。
例えば、
『来ないものを待つことと、かならず来るものを待つことに差異があるとしたら、器の小さいのは明らかに後者だろう。待っても詮無いものを待つことにこそ意義があるのだから。』
とか。
その時は、この高揚感は絶対に忘れないだろう、と思う。でも、きっと忘れる。忘れて、また気づきなおす。この繰り返しがあるから、まがりなりにも前に進んでいけるんだろうか。

7日に発売する本って、6日には書店に並ぶの?
…誰に聞いてるんだろう。わたしは誰に向かって何が言いたいんだろう。文字にしても、声にしても、言葉を何かに変えた瞬間から空中でバラバラになるような感覚がある。どこにも誰にも届いてない、と感じる。
後ろはもう見ないと決めたのに、振り返ってばかりいる。

もうすぐ8時になる。朝ごはんを食べよう。パンを焼いて、卵を茹でて、キャベツをちぎって、珈琲をいれて、リンゴをむいてヨーグルトをかけよう。楽しいことを考えよう。馬鹿らしくて、意味のないことを。
日々、戦いだ。


フクダ |MAIL

My追加