昨日・今日・明日
壱カ月昨日明日


2006年05月27日(土) Beautiful!

5月20日(土)。
天気は忘れた。たぶん、晴れ。寝不足の目に、朝日がきつかったのをちょっとだけ覚えてる。くだらないことばかり書いていないで、手帖に天気もちゃんと記しておこう、と、今は思ってるけど、きっと実行しないだろう。わたしって、そういうヤツなんだ。やっとこさ、自分の実体がわかってきたような。
終業後、歩いて梅田まで出向き、ジュンクでe/m booksシリーズの「ジム・ジャームッシュ」を買う。薄っぺらいのが気に入らないが、まあ仕方ない。
梅田に来るとホッとする。テリトリーに帰ってきた、という気がする。
地下鉄の売店で夕刊を買う。目当ての記事が載ってない。念のため、コンビニで朝刊も買ってみる。載ってない。恨めしい。

21日(日)。
肉じゃが、温泉卵、大根と人参のサラダ、鰊と茄子の煮物をつくる。カマスを焼く。ビールを飲む。
この日の天気も、また忘れた。空の具合がどうだったか、思い出そうとしても浮かんでこない。
The Derek Trucks Bandを聴く。新譜が出たので、今週はこれを集中して聴いていた。
夜は、『民主と愛国』の続き。それから、図書館で借りた『奇蹟も語る者がいなければ』を読了した。

22日(月)。
残業。それから悩める同僚を慰める。どこにいっても、誰かのカウンセリングみたいなことばかりしている。

23日(火)。
玉ねぎドレッシングをつくる。刻んだ新玉ねぎに、オリーブオイルや塩や胡椒や酢やみりんを入れて、冷蔵庫に入れておくだけ。これを冷やしたトマトにかけると美味しい。これと、温泉卵に、今は凝っている。
『悪霊』を読む。

24日(水)。
ドキッ、としたこと。
昼休み、『悪霊』を読んでいて、気になったところを手帖に書き出した。
『スタヴローギンは信じているときも、自分が信じているということを信じていない。そして信じていないときも、自分が信じていないということを信じていない。』
夜、家で『ゴダール全評論・全発言1950-1967』を読んでいたら、ゴダールも同じ箇所を評論の中で引用していた。
わたしがドキッとすることって、こんなことなのかあ。トキメキが偏っている。偏っていることは、今に始まったことではないけど。

25日(木)。
休日。
図書館で『新潮』4月号を借りる。チェーホフの短篇が載っている号。チェーホフ以外は、ほとんど読むところがない。
伊吹珈琲で、ホット珈琲を飲む。濃くて、美味しい。
天気は快晴。さわやかで、風が気持ちよかった。

26日(金)。
本町の紀伊国屋で、『ちくま』6月号をもらう。帰りの電車で、あらかた読んでしまった。高井有一の小説をまた読もう、と決心したり。
給料日なので、我慢していた庄野潤三の『自分の羽根』を買った。ゴーゴリの『死せる魂』を読もう、と決心したり。決心だけは一人前なんだけども。
紀伊国屋ではDVDも買った。『アワーミュージック』(シリアルナンバーつき)と『吉田喜重が語る小津安二郎の映画世界』。
給料日だけど、お金がなくなった。右から左へ。なにもかもが通り過ぎていく。
文芸文庫を片手に蕎麦居酒屋で、鴨せいろとビール。


5月も終わっていく。とうとう6月だ。あれから一年が経とうとしている。一年続くと思わなかった。というか、あの頃は何にも考えてなかった。
ほんの些細なことなのに、なんでこんなに気持ちがぶれるんだろう。確固たるものがほしいけど、どこにもそんなものはない。


2006年05月19日(金) travelogue

明日も5時起きなので、もういい加減に寝たほうがいいだろうと思いつつも、目がランランとして、というか、ただ何となく時間を引き延ばしたいだけなのかもしれないけど、全く寝る気にならない、5月20日土曜日の午前3時半。

どうしたらいいんだ、どうしたらいいんだ、しかし、わたしはいったいどうしたいの?、と考え続けていた、ここ数日のこと。

連休明けは、眠くて眠くてしようがなくて、暇があったら寝ていた。電車の中とか、宵の口のリビングとか、昼休みのドトールとかで。

大切にしてた珈琲カップを割ったり、夜中に自転車でこけたり(べろべろに酔っぱらってた)、こけた時にすりむいた膝がいつまでも痛かったり、日傘をなくしたり(この時も酔っぱらってた)、思い返せばろくなことのない毎日だった。酒はやっぱりキチガイ水だ、ということを学びなおしただけだった。学んでも、身につかないのが哀しいところ。

11日に『ブロークン・フラワーズ』を観た。ジャームッシュの映画を観ると、「移動する」をいうことを考える。移動していく過程を撮りたいために、脚本をおこしているような。
盛り上がりそうで、でも全然盛り上がらない、気持ちが通じあっているようで、でも全然分かり合えない、もどかしいほど平板で淡々としてて、でも十分ドラマティックなわたしたちの日々、というようなことも、よく思う。
細部が愉しくて、飽きなかった。エチオピアの音楽は、どこか懐かしくて心が和む。

12日は『シャガール展』に行った。『死せる魂』の挿し絵が最も良かった。天保山で観覧車にも乗った。その日は晴れてて、海のむこうに明石海峡大橋がくっきり見えていた。オモチャみたいだった。なんでもかんでも結局、オモチャなのかもしれない。

「みすず」の5月号と、平凡社ライブラリーの新刊『世界の調律』(これ、すごく面白い)を買った。
千林の古本屋さんで『アロイス・カリジェ展』の図録を買った。
おなじ店で『哲学的落語家!』も手に入れたけど、俺は俺は、という書き方にどうも馴染めず、ほったらかしになっている。

今は、移動中に『シカゴ育ち』と『謎とき「カラマーゾフの兄弟」』と『悪魔のような女たち』を交互に読み、家では『民主と愛国』を読んでいて(これはあまりに重すぎて持ち運べない)、頭の中が混沌を通り越して、パンパンに膨らんでいる。

元気でいてくれさえすればいい、と、日夜思っている。少しでもよい環境で、安らかな精神状態で、充実した時間を過ごしていてほしい、と、祈ることが、わたしの支えになっている。
でも、何もかもがあまりに遠くて、時々、途方に暮れる。やっぱり、どうしていいかよくわかんない。


2006年05月07日(日) PATHETIQUE

4月25日(火)。
休日。夜、シネ・ヌーヴォで『No Direction Home』を観た。ようやく。これを観たい観たいと念仏のように言い続けて、何ヶ月たっただろう。時間とはいったい何だ。
3時間半もあったけど、全く長さを感じなかった。大衆とマスコミはバカだと思った。『自由の鐘』に心底感動した。あんなにいい唄だったなんて知らなかった。映画なのに、ライブに行った後のような興奮があった。スクリーンで観られてよかった。

26日(水)。
ジュンクにて、武満徹特集の『芸術新潮』と保坂和志『途方に暮れて、人生論』(このタイトル、どうなの?)を買う。
アントニオ・カルロス・ジョビン『Em Minas ao vivo-PIano Voz』を聴く。ライブ盤。先週はこのアルバムと、トン・ゼーにずっぽりとはまっていた。
戸惑うことも歓びのひとつかもしれない、と感じた日。ゴネゴネ迷わず、前に進むことを考えよう、やっぱり。

27日(木)。
法善寺で飲む。会社の人と。話題を見つけるのに苦心し、疲れる。

28日(金)。
南森町で飲む。友人と。7時間ほどしゃべり続けて、疲れる。

29日(土)。
休日。久々に土曜日のお休みで嬉しい。昭和天皇がこの日に生まれてくれて本当によかった。
テアトルで『美しき運命の傷痕』を観る。キェシロフスキの遺稿だというので勇んで初日に観に行った。観葉植物、ミルクの中の溺れるハエ、ゴミを捨てに行くおばあさん、など、キェシロフスキへのオマージュと思しきシーンが多々あった。出来はともかく、個人的にはけっこう好きだ。偶然と運命。
旭屋にて、岡田温司『「ヴィーナスの誕生」視覚文化への招待』を買う。『一冊の本』と『波』をもらう。『図書』がまだ置いておらず、少なからず絶望する。

30日(日)。
休日。姫路にて『熊谷守一展』鑑賞。あたたかい絵だ、実に。亀と猫の手が愛らしくてたまらない。会場を三巡ほどする。
広場で弁当を食べる。鯉のぼりがはためいていた。
帰り、梅田のアーバンリサーチでパンツを購入。うどんを食べて帰る。

5月1日(月)。
5月ですよ。信じられない。
『大阪人』を買う。オダサク特集のため、久々に。織田作に熱を上げていたのは、いつ頃だろう。なぜかすっかり過去形なのだが、そんなことはない、今でも好きよ。だって全集まで買ったんだし。

2日(火)。
歓迎会。本当に歓迎されているのだろうか。まあどっちでもいいけど。

3日(水)。
休日。日傘をクルクルまわしつつ京都へ。古本市。古本もいいが、陽光の下南禅寺で食べた、自分でつくったお弁当の美味しさに感動。
買ったもの。
マッカラーズ『心は孤独な狩人』、カバーなしで250円。とうとう見つけた。人間、粘りが肝心だ。ちょっとヨロッとしててカバーがないが、もういいの。カバーを読むわけじゃないから。
小島信夫『漱石を読む・日本文学の未来』(福武書店)2500円。少々高いが致し方ない。分厚くて二段組だし。字がたくさん並んでる本、大好き。希望を感じる。
ロラン・バルト『映像の修辞学』(朝日新聞社)700円。
原章二『加藤一雄の墓』(筑摩書房)1500円。加藤一雄について書いている本があるとはしらなんだ。
『美しい水死人』(福武文庫)500円。ラテンアメリカ文学アンソロジー。
なあんか、大散財、かも。

4日(木)。
休日。焼き肉を食べに行ったあと、テアトルのレイトショウで『ふたりのベロニカ』を観る。キェシロフスキの映画において、ゴミを捨てに行くおばあさん、ってどういう意味があるんだろう、とかなんとか、考える。
やっと『図書』を手に入れる。

5日(金)。
休日。本の整理と読書に明け暮れる。
ミートソースを大量につくり冷凍。タケノコも茹でる。
マトモスを聴く。

6日(土)。
仕事。帰りに『本城直季写真展』に行く。この人の写真を見てると、ああ地球に生きてるんだなあ、って実感する。写真集はずいぶん前に購入済み。
『未来』をもらう。

一か八か、ってわたしのためにある言葉かな、と最近思う。それから、これも。
『わたしはモラルには興味がない。
 興味があるのは美と感情だ。
 しかし、もっとも大事なのは愛だと思う。
 愛を失ったら、生活は指の間からこぼれ落ちてしまう。
           クシシュトフ・キェシロフスキ』




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