昨日・今日・明日
壱カ月|昨日|明日
午前7時に起床。あたたかい。もうすぐ桜も咲くらしい。 朝食。トースト、珈琲、目玉焼き、ちぎったレタスとキュウリ、バナナ、ヨーグルト。 ラジオを聴きながら洗濯物と布団と毛布と傘を干す。めがねをかけずに、ダー、と掃除機をかける。めがねをかけないのは、汚いところを極力見ずにすますため。あんまりやる気ない。 買物へ。安売りの鮭と豚肉など買う。ユニクロで白いTシャツを買う。790円。いくらなんでも安すぎる。 帰宅して昼ごはん。米を炊いて鮭を焼いて豆腐とネギのみそ汁をひとりぶん作る。リンゴ半分。新聞を読みながら食べる。
おいこらしょ、と化粧して、映画を見にでかける。シネ・リーブルで『ブロークバック・マウンテン』を。観客多し。アカデミー賞って、威力があるんだな。 ブロークバック・マウンテンで過ごした輝かしい日々がふたりの全てなのに、その数日間でみた夢を現実世界でも見続けようとしてしまった。想い出の中で生きられなかった。そうして、もがき苦しむことになった。クレバーな人はそんなことしない。あれはあれ、これはこれ、とちゃんと割り切る。でもクレバーな人生はおもしろくないし、第一、映画にも小説にもならない。 男どうしでも男と女でも、障害があってもなくても、真剣に好きになったら、辛く悲しくじれったく不可解で不条理で不可思議なことばかりだ。それは、自分がどうしようもなく孤独であると知ること。それでも、人を愛するって素晴らしい、って言えるんだろうか。…言えるのかな。一瞬で永遠を感じることができるから? わからんなあ。わからん。映画はよかった。
タワーで、リトルテンポのライブアルバムを買って、KIHACHIで抹茶ソフトクリームを食べて帰る。誕生日なので、自分にソフトクリームをプレゼント。
夜は、Tが鯛を焼いてくれる。それに、キノコ汁、小松菜と桜海老のおひたし、里芋のそぼろあんかけ、なぜか焼餃子なども食す。ビールと焼酎を飲む。
この一年、たいへんだったわ。これからも、たいへんであってほしい。その覚悟はできたと思う。
急転直下、昨日のよくない知らせがよい知らせとなって飛び込んできた。誠意をもってコツコツやっていれば何とかなるかな、と思って臨んでいたことが、実を結んでうれしかった。これで、まわりのいく人かを安心させることができる。 まあ、これからもボチボチやりたい。
その電話がかかってきた時、わたしは甲子園の外野席にいた。人生の壁にぶちあたりすぎてあちこちに痣ができそうで、もうこれは野球しかないなあ、と思ってでかけた。昔、しょっちゅうやってたみたいに、青空の下で、のんびりと野球が見たかった。たぶん、世界で一番こころ落ち着く場所で、吉報を受けたことは、なんだかしみじみと不思議だった。
朝食。トースト、珈琲、トマトとレタス、ヨーグルト。 お昼は、第一試合と第二試合の間、持ってきた鮭入りおにぎりとお茶とリンゴを食べた。食べながら、グランドが丁寧に整備されていく様子を見ていた。阪神園芸に就職したい、と思ったこともあった。甲子園の芝を育てる人になりたかった。
夕方、天満橋のジュンク堂で久々に本を買った。何となく買うのを自粛していた。でも今日は、欲しい本が出ていたので、嬉々として買った。プーシキン『大尉の娘』(岩波文庫)と、『暮しの手帖』の最新号を。 『暮しの手帖』には、吉田喜重と岡田茉莉子の対談が載っている。いつも思うけど、今の『暮しの手帖』って、なにがしたいのかよくわからない。
4階の雑貨屋で、皮のスリッパを2足買った。オープン一周年記念だとかで、エコバッグに入れてくれ、抽選も一回させてくれた。ガラガラまわすやつ。白玉が出て、チョコレートをひとつもらった。前に並んでいた人もチョコ、次にやった人もチョコが当たっていた。特賞はル・クルーゼの鍋らしい。そんなもの、ほんとうに当たるんだろうか。
夕食に、チンゲン菜のオイスターソースいため、玉ねぎとシメジのみそ汁、トマトとキャベツのサラダ、山芋とろろ、を作って食べた。ビールは2本。
夜は、プーシキンとかナボコフとかを読む。
よくない知らせが舞いこみ、がっくり肩をおとした日。どれもこれもうまくいかない。
朝食。トースト、ツナとレタスのサラダ、珈琲、リンゴ、チーズ、昨夜の残りのスープ。クリームチーズをリンゴにのせて食べる。チーズとリンゴは相性がいい。
天満橋にある、時折サンドイッチを買っていた小さなパン屋さんの店先に、今月末で閉店するという張り紙がしてあった。ご愛顧ありがとうございます、という文字の下に、 『手作りサンドイッチを買ってくださってありがとうございました 30年間、この店をやってこられたこと、感謝しています』 と書いてあった。 4月からは、この店のシャッターが上がっているところを見られない。サンドイッチを作りながら店番しているおじさんと、短い会話を交わすこともできない。 やっぱり、わたしたちは毎日、何らかのかたちで死んでいる。
お弁当。ちくわの卵とじ、セロリ炒め、金時豆(これは買ったやつ)、カツオふりかけ、ごはん。
帰り、北浜で野菜を買う。平日は土曜日のような「豊作感」がない。夕方までにいいものは売れてしまうのかもしれない。 はっさく5個180円、しろ菜60円、人参3本100円、厚揚げ100円。 旭屋で『本』の4月号をもらう。もう4月か、と思う。時間だけがズルズルとすぎていくような。
夕食。ブリ照り焼き、しろ菜と厚揚げの煮物、トマトとシソのサラダ、ごはん、ビール。
パステルナークの初期詩集を読む。この本も、もうぼちぼち友人に返さなくてはならない。さみしい。
待っているものはいっこうにこない。でも、待ちくたびれてへとへとになるまで、もう少し待ってみようと思う。
雨。非常に寒い。朝の台所にいると、足元からゾクゾクとするほど。 朝食。ごはん、里芋と人参と豆の煮物(昨日の残り)、セロリの葉の佃煮、ヨーグルト、リンゴ。
会議で胸のむかつく、腹立たしい出来事があった(ようだ。今、仕事用に使用している手帳を見ると、それらしきことが書いてあった)。 会議のあとブツクサ文句をたれつつ、NさんとMさんとでお弁当を食べた。メニューは、ニラ卵焼き、人参のキンピラ、セロリの葉の佃煮、塩昆布、カツオふりかけ、ごはん。 午後からは、黙々と働いた。おやつに「ピノ」(6個入りのアイスクリーム)のビターチョコ味を3個食べた。
早めに家に戻り、借りっぱなしになっている本を図書館に返却にいった。新たに4冊借りる。 カーソン・マッカラーズ『夏の黄昏』、フィリップ・クローデル『灰色の魂』、ウラジミール・ナボコフ『ロリータ』(若島正・訳)、『和食のおべんとう』。 マッカラーズの『夏の黄昏』はおもしろい。こないだ『心は孤独な狩人』を買い逃したのは、失敗だった。金と時間と愛情は、出し惜しみしてはならない。
夕食。セロリと豚の塩コショウ炒め、高野豆腐の煮物、マイタケと豆腐のみそ汁、ごはん、ビール。 「豆腐」がかぶってる。ヘンな献立だ。考えるのが面倒くさかったんだろう、きっと。
もうこれ以上、落ち込んでいる自分を見たくない。かわいそうだから。
午前6時起床。祝日で会社が休みだと気づくまで30分ほどかかった。お弁当にいれるつもりでゆでていたほうれん草を朝ごはんに食べた。
トースト、ほうれん草とツナのサラダ、バナナ、ヨーグルト、珈琲。
テクテク歩いて食料の買出し。足をのばして千林まで行き、食料以外に古本まで買ってしまう。『別冊暮しの手帖の評判料理2 作りおきできるおかずと料理』500円也。
テレビで野球を横目で見ながら、セロリの葉の佃煮と里芋の煮物、五目豆を作る。 お腹が空いたら料理の合間に、買ってきたイチジクとクルミのパンをかじり、ホットミルクを飲んだ。
午後おそく、京橋で知人と会う。以前同じ会社で働いていた人。来月東北へ転勤されるそうで、行ってしまう前に一度会おうということになった。 お茶を飲みつついろいろ話をした。会社のこととか、子どものこととか、新しい生活のこととか、ちいさい悩み事とか。わたしはほとんど自分のことは話さなかった。どうでもいいことしか話さなかった。 彼女が、アンタがわたしの送別会のカラオケで『すばらしい日々』を歌ったのがすんごく印象に残ってる、と言った。今コマーシャルで『すばらしい日々』が流れるのあるやん、あれ聞くと絶対アンタを思い出すねんなー、と言った。 カラオケで『すばらしい日々』を歌ったこと、わたしは忘れていた。でも彼女は覚えていた。誰かは誰かにどこかで思われてるのだろうか。気にかかっているのだろうか。 夕食の支度をしなければならない彼女とは7時くらいに別れ、歩いて家に帰った。やっぱり春はあんまり好きじゃない。でも、『すばらしい日々』はいい唄だ。
晩ごはん。塩鯖、里芋の煮物、五目豆、ビール。
夜、サンドラールを読みはじめた。
晴れた。空がすみからすみまで青かったのを覚えている。 洗濯物をたくさん干して、夕食のみそ汁のために、だしじゃこを水をはった鍋につけておいた、ことも覚えている。それから、もうダメだなあ、ダメなんだなあ、と終日肩を落としていたことも。
朝ごはん。トースト、珈琲、バナナ、ヨーグルト、ジャガイモのサラダ(蒸したジャガイモを荒くつぶして塩をかけただけ)。 わたしはよく「〜のサラダ」などという表記をするけれども、それはたいてい、野菜をそのまま切るか、ちぎるか、引きちぎるかして、生のままなんにもかけずに食べているだけで、世間でいうところの「〜のサラダ」というところからは激しく逸脱していることを、今ちょっと気がついたので、どうでもいいことながら書いておく。
お弁当。塩鮭、ネギ入り卵焼き、塩昆布、人参とじゃこのキンピラ、梅干、ごはん。
帰宅したらポストに、サンドラール『世界の果てまで連れてって』(福武文庫)が届いていた。古本屋で発見できるまで待てなかったから、ついついネットで注文してしまった。古本屋さんめぐりを厭うなんて、わたしってアカン奴。 でももういい。なんでもかんでも待ってばかりでは疲弊する。
晩ごはん。小松菜と豚肉のオイスターソース炒め、大根と人参のみそ汁、トマトのバジル和え、ごはん、ビール。
夜。昨日買ったブレッソンの図録や、木村伊兵衛の写真集を眺める。
午前8時起床。寒い。時々太陽がでて、しかし、すぐに引っ込む。晴れると予想してシーツを洗ったのは失敗だった。雪まじりの雨にさらされて、パリッとは乾かなかった。
朝食。ごはん、キュウリの梅干和え、ジャガイモと豆のスープ(残りもの)、水菜の浅漬けのジャコ混ぜ、塩昆布。
午後、サントリーミュージアムに『アンリ・カルティエ=ブレッソン展』を観に行った。400点以上の展示があり、見応えがあった。 「決定的瞬間」を捉えるのはもちろん、「歴史的瞬間」を察知し、そこに居合わせる才能に驚かされる。まさに名人。それに目のよさ。絵画をやっていた人だけあって、構図が素晴らしい。『構図がよければトリミングは必要ない』、というのはブレッソン本人の言葉。 犬が交尾している写真が、なんとも好きだった。俺たち生きてるでーって、感じがした。 図録を購入。2000円。
風にあおられつつ、雨に煙る海を見ながら持ってきたサンドイッチを食べた。サンドしているのはキュウリとチーズ、ハムと卵。 まわりはカップルだらけだった。みんな笑っててはしゃいでて楽しそうだった。今が頂点なのかもね、と思う。頂点にいる時は、自分の位置はわからない。落ちてきた時にだけ、あそこが頂点だったんだなあ、とわかる。だから、どの瞬間もおろそかにせず、大切に扱わなければならない。
バスで梅田にでて、食料品の買物をしてから、またバスに乗って自宅へ戻った。夕食は、あたたかいきつね蕎麦と、小松菜と揚げの炒め物を作って、ビールを飲んだ。
夜は、ごそごそと読書。 ビデオで、村上信夫の『きょうの料理』を見る。昭和52年くらいの放送分。なあんにも難しいことはございません、というのが村上信夫さんの口癖だ。ハンバーグを作りたくなった。
「ウィークエンドサンシャイン」を聴きながら朝食。オーネット・コールマンにしびれる。 朝食。トースト、ツナオムレツ、ヨーグルト、バナナ、珈琲。
お墓参りのため、実家へ帰る。車で宇治まで、母と毎度おなじみの珍道中。曇り空に寒風のおまけつきで、終日ひどく寒かった。 お墓に着くと同時に雨が降ってきて、母に急かされつつ、墓掃除をした。はい数珠数珠、早く線香つけて、さあさあ手早く拝んで、はい南無阿弥陀仏〜、などと、雨にかこつけて母はわりといい加減だった。隣の墓に供えてある蜜柑が腐っていたのもなんとかしたかったが、他所のは放っておきなさい、と母が言うので、そのままにしておいた。あのまま雨にぬれてさらに腐り、カラスにさえ見向きされなくなるだろう。
宇治まで戻り、寿司で昼食をすませてから、車の中で茶だんごを食べてお茶を飲んだ。天気から父の悪口、それから野球の話になり、なぜか仰木前監督の話になった。 仰木さんが亡くなった時、アンタがどれほどショックがってるやろうかと思って、お母さんすごい心配しててん、えらい悲しんでるやろうなあと思ってさあ、と母がしみじみと言ったので、へえ、とすこしビックリした。 高校生くらいの頃、懸命に近鉄という野球チームを応援して、「10.19」の試合の後しばらく立ち直れなかったり、休みになるといそいそと藤井寺球場に野球観戦に行っていたことなどを、当時母はさんざん馬鹿にしたり呆れたり時には怒ったりしていたけれど、わたしがけっこう真剣だったとわかっていてくれて嬉しかった。なんだか救われたような気がした。 それから黙々と茶だんごを2串食べて、家へ帰った。 途中、スーパーに立ち寄ったついでに、その近所にあったブックオフをのぞき、庄野英二『にぎやかな家』(講談社文庫)を100円で買った。解説は小沼丹。
実家で、いろいろと食料をもらい、大阪へ戻って晩ごはん。牛肉と玉ねぎの炒め物、トマトとアスパラのサラダ、ブロッコリーの帆立あんかけ、ビール、ごはん。
夜、ETVスペシャル『木村伊兵衛の13万コマ』を視聴。コンタクトを見るのが楽しい。 深夜の『村上信夫セレクション』という番組もビデオに撮っておく。
天気が回復した。ラジオで『思い出のアルバム』を聞き、幼稚園の卒園式を思い出して、泣いた。いちいちこんなことで反応する、幼稚な感受性と記憶力を抹殺したい。 晴れたので、自転車で出かけた。MDで、行きはセウ・ジョルジ、帰りはミルトン・ナシメントを聞いた。
朝食。トースト、ジャガイモと豆のスープ(昨日の残り)、珈琲、ヨーグルト、バナナ。 お弁当。鶏ささみのマスタード焼、ゆで卵、人参サラダ(茹でただけ)、梅干カツオ、ごはん、リンゴ半分。
タワーで、『THE LONG SEASON REVUE』のオフィシャルブックを買った。 仏壇屋前の八百屋で、久々に買物。蜜柑15個150円、イチゴ250円、ネギ一束100円。蜜柑甘い?、とおばちゃんに聞いたら、甘いで、甘いことだけは保証する、と即答されたので買うことにした。
谷町線で、旭屋で買ったものを読んで、読み終わってボウとしてたら、ツルツルと涙が出てきたので驚いた。だからボウとしないように努めてきたのに油断していた。花粉症だということにしておこうと思う。涙がツルツル流れる症状があるのかどうか知らないが、花粉症なら目が真っ赤になってても、誰にもあやしまれないだろう。
夕食。ブロッコリーと人参と豚肉のカリカリサラダ(茹でたブロッコリーと人参に、カリカリに焼いた豚肉をのせただけ)、豆腐と揚げのみそ汁、キュウリのゴマ和え、ビール、ごはん、食後にいちごヨーグルト。
手帖に書いてあったこと。マクラウド『島』より抜書き。 『ときに、人生はこんなものなんだな。ずっと、いつもおんなじように続いていたのに、いきなり何もかもが変わってしまう年が来る。』
この『島』という短編には、文章のあちこちで、非常に感銘をうけた。
WBCで、日本が4強に入ったとか。何が起こるかわからんもんだ。奇跡はまだ控えているのかもしれない。 もしかして、わたしにも?
朝からもう疲れている。ラジオ体操を習慣にしようと思ったが、気力がわいてこず、テレビをボウと眺めるだけで終わった。さわやかな笑顔がまぶしい体操のお姉さんも、何もかもが灰色に見える日があるのだろうか。あるよね。それでもテンションを高く保てるのは、保てているように見えるのは、立派だ。
朝食。チーズトースト、珈琲、ヨーグルト、リンゴとトマトそれぞれ半分。 お弁当。ソーセージとエリンギの蒸し焼、桜海老の卵焼き、金時豆、梅干、カツオふりかけ、ごはん。
退社時、どしゃぶりの雨にあう。天神橋筋商店街のアーケードが雨ですさまじい音をたて、屋根が落ちてくるかと思った。落ちてくればいいと思った。 ドトールで雨宿り。パステルナークの詩集を読む。『ドクトル・ジバコ』も、いつか読みたい。
雨が小降りになったのを見計らって、バスにて帰宅。のろのろと晩ごはんを作る。 鯖塩焼き、鶏とジャガイモと豆のスープ、ほうれん草のピーナツ和え、ごはん、ビール。ひとりなので手抜き。
夜、テレビをつけたら薬師丸ひろ子が『セーラー服と機関銃』を歌っていて、少々ビックリする。今になってよくぞテレビで歌ってみる気になったものだ。勇気がある。それにしても、『Wの悲劇』は良い歌だった。映画は、なんともかんとも、だったけど。
手帖に書いてあったこと。マクラウド『島』という短編から抜書き。 『彼が来ないというのが運命なら、来ないのを見なくてもいいように、彼が来そうな方向をわざと見ないようにしていた。』
2006年03月15日(水) |
音楽が夢の中でも追いつづけてくる |
今朝の音楽は、小沢健二『毎日の環境学』。ナゼにインストなのかよくわからないが、けっこう好きでよく聴いている。丁寧に作ってあると思う。
朝食。トースト、トマト半分、バナナ半分、ヨーグルト、珈琲。珈琲は二杯飲む。 お弁当。ミートボールと玉ねぎの甘辛煮、ジャガイモ(蒸したやつに塩コショウしたもの)、卵焼き(ふつうの)、梅干カツオ、ごはん。
夕刻、ガーデンシネマで『アメリカ、家族のいる風景』を観た。ヴェンダースとサム・シェパードのコンビは『パリ、テキサス』と同じで、期待して観にいった。『パリ、テキサス』ほどではなかったけれど、とてもいい映画だった。女性がみな強くて凛々しくてよかった。母親も、昔の恋人も、娘も、息子のガールフレンドも。
数十年ぶりに顔をあわせたバーで、かつて自分を捨てた昔の恋人に、時間がかかったわね、とジェシカ・ラングが言う。この台詞は後でもう一度、同じ男に捨てられた娘も口にする。印象的なシーンのひとつだ。 誰もが自分のことにいっぱいいっぱいで、どこかに切実な思いで待っている誰かがいることに、気づくには時間がかかる。ほんとうにかかる。気づいても、大抵は遅すぎる。頭をかきむしって後悔して絶望に沈むことになる。それでも、気づかないよりはいい。 たしかに、永遠には待てないかもしれない。でも、忘れないでくれればいい。 忘れても、またいつか思い出してくれればいい。
夕食は、映画館のロビーで、阪急のアンデルセンで買った、いちじくとレーズンのパンとチーズのサンドイッチを食べた。
「MPB」を読みながら寝る。
人生が自分だけのものである時間はほんとうに少ない。 と、パステルナークを読んでいると、時々思う。
朝食。トースト、オムレツ、ヨーグルト、珈琲、りんご、バナナ。
最近、6時前には起きている。少なくとも6時半までには台所にいるようにしている。この日はたしか、5時すぎに起きた。朝食とお弁当を作ってしまったら時間があまったから、テレビをつけて番組にあわせてラジオ体操をしてみた。数年ぶりに「手首の運動」というのをやった。小学校の夏休みを思い出して、少々切ない気分になった。思い出す夏休みの風景はたいてい8月25日から後で、どれも全部終わりかけだ。 教訓。ラジオ体操は真剣にやると疲れる。
弁当。ウィンナーいため、人参のキンピラ胡麻まぶし、昆布豆、梅干、ごはん。
職場で、ホワイトデーだから、と、アップルパイを一切れもらう。ホワイトデーとアップルパイにどういう関係があるのかわからない。興味もないから聞きもしなかった。少しだけでいい、と言ったら、舌が切れそうなくらいに薄いのがデスクに置いてあった。シナモンの味がした。ニッキの味、とも言うが。
夕食。小松菜と人参の焼そば、セロリとトマトのサラダ、ビール。
夜、9時頃、ガソリンスタンドまで灯油を買いにいった。861円。部屋を暖めるにも金が要る。この冬最後の灯油になればいい。 NHKの『知るを楽しむ』という番組で、吉増剛造が柳田国男について語る、というのを見る。
何をどうしていいかわからない日々が続く。そのうち「いいこと」あるよ、と言い聞かせてどうにかやってはいるが、「いいこと」っていったい何なのか、それすらよくわからなくなってきた。
2006年03月13日(月) |
退屈ならそれもまたGOOD |
どういうわけだか、雪が降る。三月も半ばになって、こんなに寒くなるなんて思わなかった。 朝食はトースト、珈琲、ほうれん草と卵のソテー、リンゴ、ヨーグルト。
お昼前から、ますます強く雪が降ってきた。ちょうどわたしが外出していた時間帯にあたり、御堂筋で目の前が真っ白になった。わたしが外に出ると雨やら雪やらが親の敵のごとく降ってくるのは何かワケがあるのでしょうか。 雪にまみれて会社に帰り、遅い昼休みをひとりでとる。 お弁当は、塩鮭、昆布豆、ほうれん草の胡麻和え、梅干とカツオをゴチャッと混ぜ合わせたもの、ごはん。デザートにハーゲンダッツのチーズケーキアイスをカップ半分食べる。身も心も凍りつきそう。
夕刻、旭屋で本を見る。4階でパステルナークの最後の詩集『晴れよう時1956-1959』を立ち読み。 『愛 といふ言葉は月並みね きみの言ふ通りだ わたしは別の呼び名を考へ出さう お望みとあらば わたしは全世界を すべての言葉を きみのために名づけ変へよう』 これを読んで、あかん、と思った。これは手に入れておかなあかん、って。この詩集とあわせて、『早朝列車で1936-1944』も一緒に買い、急いで家に帰った。早く他の詩も読みたかったから。
夕食。ジャガイモのひき肉ソース、小松菜のマスタード和え、マイタケと豆腐のみそ汁、ごはん。
夜は、念願どおりパステルナークをじっくり読んだ。心酔。
雨の日曜日。このところ雨が多い。 朝食にほうれん草とツナのパスタを作り、パンを焼いて珈琲をいれて、リンゴをむいて食べる。 松田正平を特集している『新・日曜美術館』を観るともなく観ていたら、洲之内徹が出てきて驚く。話しているところをはじめて見た。いかにも女にもてそうな人。こんなモノに引っかかったらタイヘンなことになると思う。でもみんな自ら進んで引っかかりにいくのだろう。甘美な地獄もそれはそれでまた良し。
無心に掃除をおこなう。ただひたすらひたむきに。 本の整理を1時間だけする。本の整理は、時間を限らないといつまでも際限なく続くから。枕もとに置いている本箱に、ペソアとかセネカとかなんとかとか、寝る前によく読む著者の本を移動させておく。いつでも手にとれるように。
午後から心斎橋まで整理した本を売却に行った。荒木やナン・ゴールディンの写真集をたくさん持っていったせいか、10000円と少しになった。 本町近くのうどん屋さんで、いなり寿司3つとハイカラうどんを食べた。580円也。 うどんを食べている間に、雨は降り止んだ。
晩ごはんは、かやくごはんを炊いた。それから湯豆腐とチンゲン菜のおひたし、高野豆腐と椎茸のたき合わせ。食後にみたらし団子。
夜、辰巳浜子『料理歳時記』(中公文庫)を読む。
朝食用にトマトを切っている時、右手の親指を包丁で切った。利き腕の指を切る、というような摩訶不思議なことがなぜ起こるのか。器用なのか不器用なのかわからない。 傷口にバンドエイドを貼る。100円均一で買ったバンドエイドはさすが安物ですぐに剥がれ、何の役にも立たない。 朝ごはんは、トースト、トマトと青シソのサラダ、オムレツ、ヨーグルト、バナナ、珈琲。
早々に外出して、『プーシキン美術館展』を観に、中之島へ行く。いただきものの入場券があったのと、図録を立ち読みする必要があるため。 入場して、おばちゃんが山と群がるルノワールやモネやゴッホはグングンとばして、ソファで図録を座り読みする。展覧会に図録を読みにくる人っているんだろうか。なるほどなるほど、と得心して、ボナールとアンリ・ルソー、それからフェリックス=エドゥワール・ヴァロットンを丹念に観る。
お昼は、天満橋で春キャベツと仔牛肉のトマトソースパスタ、季節のサラダ、パン、珈琲を食す。 帰り道、大和百菜で買物。八朔6個150円、きぬごし72円、ほうれん草2束100円、小松菜70円。 ドトールで、『五感で味わうフランス文学』を読む。サンドラールを早急にどこかで(たぶん古本屋で)手に入れねば、と強く心に誓う。
夕刻帰宅。晩ごはんの支度。指が痛くて料理がやりにくい。 ささみのシソ巻き揚げ、ささみチーズはさみ揚げ、キャベツとほうれん草のサラダ、豆のスープ、ビール。
就寝前、『ロシア異界幻想』(岩波新書)を読む。
終日雨。午前6時、薄暗い台所でラジオを聞きつつ料理を行う。 朝食にライ麦トーストと珈琲、ヨーグルトとバナナ、トマト1個とゆで卵を食べる。ゆで卵には白だしをタラリとかける。
昼休み、ダラダラと天から落ちてくる雨を見ながらお弁当をひろげる。鶏ひき肉とゴボウのキンピラ、じゃこ入り卵焼き、昆布豆、焼ピーマン、ごはん、梅干。
お弁当の後、Iちゃんに春日井の飴をもらう。シナモンキャンディですよ、素朴で美味しいんです、とIちゃんはいつも可愛らしいのだが、ただのニッキ飴やろ、と意地悪を絵に描いたようなNさんに言われて怒っていた。いいえシナモンです、いいえもクソもニッキやんか、シナモンですって!ニッキってなんかダサい、なんでダサいねん、だって少年隊みたいやもん、少年隊って何やねん、少年隊も知らないんですか少年隊も知らない人に偉そうに言われたくありません、何やとー、…というような長閑な歓談を横で聞きながら、わたしは飴をなめた。 こんな、アホみたいに愛しい昼休みとも、あと少しでお別れだ。ということを考えてみると寂しくて気が狂いそうになる。
夕方、通りかかったテアトルで映画のチラシをもらう。どうやら京都で吉田喜重の特集上映があるらしい。なんということでしょうか、メモメモ。それに『ふたりのベロニカ』がニュープリント上映されるとか。なんとなんと、生きていれば必ずやいいことがあるものだ。ブレッソンのドキュメンタリーも観ねばならないし、まだ『ノー・ディレクション・ホーム』だって控えてるんだし、あともうしばらく正気のまま元気でいたい。
夕食に、親子丼(鶏と卵、それから玉ねぎやしめじ、かまぼこ、ネギ、三つ葉も入れる)、根菜のみそ汁、キュウリの酢の物、ビール。残業で帰宅が遅くなったので、ちょっと手抜き。
就寝前、布団の中で、マクラウド『冬の犬』を読んで、ヒーンと泣く。
なまぬるい風が吹く。どうやら、大嫌いな春がきたようだ。
朝食。ライ麦トースト、珈琲、バナナ、ヨーグルト。それに、パスタを茹でて昨夜のカレーをからめて食べた。食べ過ぎの感あり。 木曜日はゴミの日。ゴミ捨て場で、近所のおばちゃんと喋る。全身黒系統の装いの時に茶のバッグを持つのは違和感が少ないが、茶系統の服に黒のバッグは合わせにくい、などという話。なんでそんな話になったんだろう。おかげで遅刻しかけた。
お弁当。焼き鮭、昆布豆、ほうれん草とシメジのソテー、梅干、ごはん、八朔半分。昆布豆に飽きてきた。
夕方、会社のソファーで休憩しつつ毎日新聞の夕刊を眺め、少しビックリする。コピーしようかと思ったが、そのまま持ち帰ることにする。今日は忙しいし、夕刊が一部なくなったくらい、誰も気がつかないだろう。
夕食。鯖の味噌煮、根菜のみそ汁、ブロッコリーの胡麻和え、ゴボウと鶏ひき肉のキンピラ、ごはん、ビール。
T宛てに、筑摩書房から『ちくま文庫解説傑作集』というのが届いていた。応募していたらしい。マメな人。そういえば今パジャマにしている「Coutom」レーベルのロゴ入りTシャツも、ラジオ番組のプレゼントに当選してもらった、などと言っていた。応募魔か。
つらつらと思い返すとまぼろしみたいに感じる。戻りたい、と願うこともあるけれど、もう戻れないのかもしれないな。
あたたかい水曜日。 映画を観にいこうかな、と思っていたけど、何を観ていいかわからなかったのでやめた。なにも、無理に観ることはない。
単純作業をこなすことによろこびを感じる。何枚もタオルをたたんだり、お茶の葉をパックに入れたり、名刺を「あいうえお」順に並べ替えたり、書類を何百枚とコピーしたり、それにシール貼りとか宛名書きとか、目と手を常に動かしている作業。 『目的は何もしないでいること』 でも今は、何もしないでいるのが、どうしようもなく怖い。
朝食は、ライ麦トースト、ヨーグルト、リンゴ、珈琲。珈琲をブラックで二杯飲む。 お弁当に、ゴボウ天と小松菜の煮物、昆布豆、桜海老の卵焼き、梅干、ごはん、を詰める。お弁当に何を入れるか考えていると和むので、そればっかり考えている。
天牛堺にて、『日本の詩歌』(中公文庫)を4冊買う。すべて300円。第20巻「中野重治・高橋新吉・山之口獏・小野十三郎」、第26巻「近代詩歌」、第27巻「現代詩集」、第28巻「訳詩集」。 中野重治の詩が良い。今は、詩を読むのが好きなようだ。
夕食。豆とチーズ入りのカレーライス、ブロッコリーのサラダ、キャベツのスープ、ビール。食後にカフェオレアイスを食べる。
手帖に、『フランシスコ・ケベード 17世紀 スペインの詩人』と記してあったが、これは何だろう。
むっくり起床。気分は可もなく不可もなく。変わりなし。 ラジオを聴きながら、朝食を。トースト、珈琲、ヨーグルト、バナナ。これまた、変わりばえしないメニュー。
引き続き、パステルナーク。『ペテルブルグ』という詩を、くりかえし読む。 『さびしい棺の中にも 経帷子の中にも あなたは自分の居場所を見出さなかった』 『波たちの言葉は 盲目の産婆たちの手首のようだ』 『この都市は まさに我を忘れたあなたの戯言ではないか あなたの早口のつぶやきの声ではないのか』
会社でお弁当を食べる。マスタードつきのソーセージ、ねぎ卵焼き、昆布豆、梅干、ごはん。 昆布豆は日曜日の朝、直径18センチの鍋いっぱいに作ったもの。野田琺瑯の大きいサイズに入れて、冷蔵庫で保存中。いつ食べ終わるのだろう。
午後より、少々こみいった話をしに、某社へでかける。うまく事が運ぶよう、Nさんに励まされた。「明るくな、アンタはホンマは明るないけど、全然明るないけど、一見明るく見えるから、最後までボロがでんように、明るく振舞うんやで」などと言って。 話はうまくいった、ように思う。実のところはよくわからない。大抵のことはみんなそうだ。わたしには何もかも、ほんとうのことはわからない。
旭屋にて、『みすず』3月号を。315円。『新潮』を立ち読みし、買うかどうするか迷うが、結局取りやめる。偉い。『未来』と『波』を入手。 無印良品にて、ボーダースパッツを購入。部屋着にするため。
帰宅して、夕食の支度。白菜と豚肉の重ね蒸し、ニラとキノコのスープ、ベビーリーフとトマトのサラダ、ごはん、ビール。
寝る前に、パヴェーゼの短編を読む。
タラリタラリと雨が降る。 朝食は、トースト、ヨーグルト、バナナ、珈琲。珈琲は二杯飲む。 電車にゆられて、神戸へ。昨夜はほとんど睡眠がとれなかったので眠いはずなのだが、心地よい阪急電車の振動に身をまかせても、いっこうに寝られない。 ポートライナーより海を見ながら、パステルナークを読む。 『二月だ、インクをとって泣け!泣きじゃくりながら二月について書け…』 しかし、今はもう三月だ。
大阪に帰ってきて、京都線ホームのベンチに座り、お弁当を食べる。平日昼間の阪急梅田駅京都線ホームは、人気が少なく比較的静かなので、弁当等を食すのに適している。弁当メニューは、昆布豆、ほうれん草のピーナツ和え、うずら卵と平天の煮物、梅干、ごはん。 発車待ちの特急電車はガラ空きで、スポーツ新聞を手にしたおじさんが携帯電話で、「もうええもうええ、お前はそうやってひとりで、人生ゲームしとったらええ」、と少し怒り気味の大声で喋っていた。いい言葉だな、と思ったから、手帖に書いておいた。
夕刻、シャンプーを買って帰宅。 晩ごはん。キャベツとひき肉の炒め物、豆腐と小松菜のみそ汁、里芋と人参の煮物、水菜の浅漬け、ごはん、ビール。 宅配野菜の整理をし、大根の葉をゆでておく。『きょうの料理』を見ながら八朔を食べる。引き続きパステルナークを読む。時々、『歴史を学ぶということ』も読む。昨日撮った動物園の写真を見ながら、The Little Williesを聴く。
3月になった。気分は泥濘の世界を低空飛行中。泥にまみれたボロ雑巾。 先日ついに、もうこのまま生きてても仕方がない、などと思ってしまった。こんな情けないへなちょこなところまで考えが行き着いたのは生まれてはじめて。初体験をすませていないことがまだあったとは驚きである。
3月1日から5日までのことを、思いつくままダラダラと。
買った本。 小嶋さちほ『竜宮歳時記 どんとの愛した沖縄』(角川文庫)。 町田康と著者の対談つき。小嶋さちほは元ZELDAのメンバー。 高校の時、友人がバンドでZELDAのカバーをやっていて、誘われてライブを観に行ったらおそろしくヘタクソで(禅問答のようだった)、聞いているうちに頭がどうしようもなく痛くなったことを思い出した。一緒に行った当時のボーイフレンドは、トイレで嘔吐していた。あれはまさに殺人バンドであった。ボーカルを担当していた友人はオーストラリア人と結婚して現地に住み、毎年コアラの年賀状を送りつけてくるが、あれはもうそろそろ止めてほしい、飽きたから。彼女は自分が昔、ヘタクソなZELDAをやっていたことを、いまでも思い出すことがあるだろうか。
借りた本(図書館で)。 入江昭『歴史を学ぶということ』、野崎歓『五感で味わうフランス文学』、マクラウド『冬の犬』。
借りた本(友人から)。 パステルナーク詩集『初期1912-1914 あるいは処女詩集から』『19147年夏 わが妹人生』『1914−1916 バリエール越え』。 パステルナーク、素晴らしい。
聴いている音楽。 ANA.JORGE『ao vivo』。セウ・ジョルジが、なんか正体がよくわからない、でも声が太くて歌の上手い女と行ったライブを録音したもの。セウ・ジョルジはとにかくかっこよくて、聴いていると気絶しそう。こんないい男が実在していいもんだろうか。 あと、nublaというスペインの女性ボーカルと、エチオピア色の濃い、ジム・ジャームッシュ新作のサントラ『broken flowers』をよく聴いている。
作った料理(思い出せたものだけ)。 ジャガイモのチーズ焼。ジャガイモと玉ねぎを炒めて、チーズとパン粉をのせてオーブンで焼いただけ。チーズトロトロでとても美味しい。 ばら寿司。ひな祭りの日に。余った寿司は、翌日レンジでチン(これ、もう死語なの?)して蒸し寿司に。アツアツのばら寿司は、とても美味しい。 かぼちゃ、玉ねぎ、ささみシソ巻き、タラの芽を天ぷらに。 千切り大根の旨煮。千切り大根に、鶏ミンチと厚揚げ、人参、椎茸をいれて煮ただけ。 鯖の甘酢あんかけ。鯖を揚げすぎて、ちょっと失敗。
買った洋服。 spick&spanで、ベージュの麻ジャケットを。 プランテーションで、カーキのパンツを。 悲しい気分にまかせて、衝動買い。
日曜日は、天王寺動物園に行った。 ペンギンは、よちよち歩きながらいつも斜め上をながめていて、上昇志向だと思った。 ライオンは餌の時間になっても食事にありつけなくて、癇癪をおこしてガオーと3回ほどほえていた。 カバはシャイで、水の下にもぐったままでてこなかった。観光中の中国人はカバが見られなくて首をひねって残念がり、カバの銅像の前でバシャバシャ写真を撮っていた。 フラミンゴは、ピンクすぎて気持ちが悪い。 キリンを見たかったのに、園内のどこを探してもいなかった。
わたしはどうでもいい人。日々はそれを確認する作業のくりかえし。でもくじけないわー、泣いても唇をかみしめて耐える。いつか、出口が見える時がくるでしょう。
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