昨日・今日・明日
壱カ月昨日明日


2006年01月31日(火) なにもないことが多すぎる

雨なので、地下鉄通勤。天候に関係なく、年が明けてからほとんど自転車に乗っていない。Nさんにもらった歩数計をつけて、歩いて、歩いて、歩き続けている。本日の歩数は、約15,805歩。目標は1日2万歩、などと豪語していたけれど、まあ無理だろう。

朝ごはん。5枚切の全粒粉の食パン1枚、珈琲、ヨーグルト、バナナ、りんご半分。
お弁当。人参とじゃこのキンピラ、えのきだけのベーコン巻き、蒸しじゃがいも、卵焼き、ごはん、梅干、蜜柑1個。

夕刻、ジュンク堂天満橋店にて購入したもの。
黒島伝治『渦巻ける烏の群 他三編』(岩波文庫)。先日、「ラジオ深夜便」(たぶん)で、荒川洋治が紹介していて読みたくなったので。この日は他に、小山清も取り上げられていた。小山清については、どこがどういいかってまあ読んでみなくちゃわかんないと思いますけどねー、などと言っていた。
魔がさして、『暮しの手帖』も買ってしまった。緒川たまきちゃんが布を巻きつけているページをフーンと眺める。今度は緒川たまきみたいな髪型にしようと思うが、美容師にまたタラタラと文句を言われるのを想像すると、今からもう腹がたつ。

晩ごはん。ゴボウと豚肉の甘辛煮、ほうれん草のピーナツ和え、山芋の梅肉和え、シメジとマイタケのお吸い物、ごはん、エビス黒ビール。

あることがきっかけで、禁煙することにした。死ぬまでタバコはやめないよ、と思っていたが、わたしの信念など所詮この程度のもの。
それから、2月はとりあえず、日記を毎日書いてみようと思う。と思うけど、思っているだけかもしれない。何事もやってみなければわからない。

夜は、マイルスの3枚組のアルバムの3枚目の5曲目(ワイト島でのライブ)を3回ほど聴いて(カッコいいの!)、『暮しの手帖』と『黄色い雨』を読みつつ、カフェオレを飲んで、お弁当の下ごしらえをして、午前2時に就寝した。


2006年01月30日(月) 『感謝(驚)』

1月が終わっていく。不思議な1ヵ月だった。ずっと足が宙に浮いていて、いつも『半分夢の中』にいるようで、それなのに、生きている実感をひしひしとかみしめられたひと月だった。苦しかったけれど、楽しかった。とても楽しかった。
この日記をはじめてから、というか、これまでの我が人生の中でも、最も充実した日々だったのに、それが書き記せなかったことは、まあ、少しだけ残念…、かな。

願い事ってかなうのだ。たとえ、人が聞いたら馬鹿にして笑い出すような、突飛で珍妙な願いでも。ひたすら真摯に考えて考えて考え尽くして、やってみようと決めたことで、やってはいけないことなど何にもない。やってできないこともない。星占いもおみくじも、全部嘘っぱちだ。誰も助けてくれない、信じられるのは自分だけ。

このように、強気で傲慢でハッピーな心境に立ち至った2006年1月であった。またすぐにヘナヘナとくじけていくのだろうと思うけれど、少なくとも今はそこそこ明るく、珍しく前向きな、いい気分である。

その他、最近のこと。
久々に奈良に出向き、昔のバイト先での友人とその弟に会い、離婚の顛末など聞き、励ます。暗い。わざわざ風光明媚な奈良まで行って聞く話でもなかった。しかし、共に飲んだ鹿児島の芋焼酎はすこぶる美味しかった。
『鴛鴦歌合戦』のDVDを友人より借り、3度ほど通して観る。愉快である。これを観るとああだこうだと悩んでいるのが心底バカバカしくなる。唄部分だけ抜き出して、MDにおとす。志村喬は唄がお上手。
映画は1本のみ。大好きな小説の映画化というので、『プライドと偏見』を三番街シネマで観た。なかなか良かった。気の強い女が好きなので。
古本はほとんど仕入れられず。店をみてまわる時間がとれなかった。また来月からがんばろう。唯一買った古本は、松本清張『岸田劉生晩景』(新潮文庫)。天牛堺で150円也。
今月の『レココレ』と『ミュージックマガジン』は、もうイヤというほど熟読した。
痩せて着られなくなったので、昨シーズン履いていたパンツやスカートを全部処分した。で、着るものがなくなり、バーゲンでなんやかんや散財してしまった。金がない。昨日、岩波の『図書』を読んでいたら、来月の一括重版に読みたい文庫がたんまり出ることがわかり、今から財布の中身が非常に心配である。
お酒は極力控え、柚子胡椒をきかせた湯豆腐と、山芋の梅肉和えと、ラドマーカーのコーヒーキャンディに凝っていた。
読書は怒涛の勢いで進んでいる。今は、図書館で借りたフィリップ・クローデル『リンさんの小さな子』とフリオ・リャマサーレス『黄色い雨』を並行させつつその合間に、いただいた分厚い書物を、コツコツと読んでいる。

最近つくづく、まがりなりにもいろいろな本を読んできてよかったなあ、と思う。今までは、本ばっかり買って読んでていいのかなあ、と情けなく感じたこともしばしばであったが、やっとここにきてそれが実を結んだ感があり、無駄に思えることもやらぬよりはやるほうがいい、のかも。


2006年01月12日(木) たとえばキミに星座なんてなくても

9日の夜中に、梅田から自宅まで約1時間半も歩いたことが災いしたのかひどい風邪をひいてしまい、今週は、早く帰宅して部屋でおとなしく過ごす日々が続いている。ストーブを背にして、ブランケットにくるまり、カフェオレを飲みつつ、読書する歓び。

今年初めて買った本。
7日に、小島信夫の『残光』を読むため、『新潮』2月号をジュンク堂で。
今年初めて買った古本。
4日に、小島信夫の『寓話』(福武書店)を天牛堺書店で。1300円。
去年、古本市で見つけた『海燕』の創刊号にこの小説の連載第一回目が掲載されていたのを読んで、この続きを読むにはいったいどうしたらよいのでしょうか、と思っていた矢先だったので、無事手に入って誠に喜ばしい。
今年初めて買ったCD。
8日に、Bob Dylan『Live at the Gaslight1962』を京都のベターデイズで。セール中のため30%オフであった。好運である。最近は、明けても暮れてもこれを聴いている。
今年初めて読んだ本。
夏目漱石『こころ』。通読するのはおそらく12、3回目だと思われる。数十回読んでやっとこさ、この小説のすさまじさ、というか、肝がわかりかけてきたような気がする。陰惨だ。
今年初めて行った写真展。
8日に、『ドイツ写真の現在』を京都近代美術館で。
今年初めて観た映画。
元日に、野村芳太郎『ゼロの焦点』をシネ・ヌーヴォで。映画の日で1000円だった。久我美子は和製オードリーみたい、ってちょっと言いすぎかな。

初詣でひいたおみくじは「凶」だった。確か、去年も「凶」だったような。不都合な事柄に悩まされ心身ともに下降する、とか、健康悪し、縁談良きことなし、とか、もう忘れたけれどすごいことが書いてあった。おみくじはビリビリに破いて、ゴミ箱に捨てた。

父の母校が出場するというので、久々に高校ラグビーを観に行った。赤のジャージのこの学校は、わたしが観に行くと負けたことがない。前半で勝利を確信した。すごく風の冷たい日だったけれど、熱い珈琲とカイロでずいぶん温まった。

罰は当たっても、クジには当たらないであろうと思っていたNさんが、宝くじに当たったからといってお酒をご馳走してくれた。立ち飲み屋で。年頭にあたり、いろいろと説教される。くどくど説教はしたくせに、宝くじで当たった金額はいくらなのか、何度聞いても教えてくれなかった。

2005年を回顧するシリーズ、音楽編と読書編を書くとかなんとか言ってたこともあったけど、なにやらやる気がおきないので取りやめる。予定は限りなく未定であり、終ったことはもういいや、という気分である。書けないことも多いし、自分の心中深く大切な場所にとどめておこう、と思っている。


2006年01月01日(日) Look back

年内に書く、とかいうのは大嘘でした。

はなはだしくまとまりのない一年を、今から無理矢理に、強引にまとめる。
以下、完全なる自己満足。

映画。
最も楽しんだのは、夏の終わりに梅田ガーデンシネマで観た、エミール・クストリッツア『ライフ・イズ・ミラクル』。動物って素晴らしい。
ぜひもう一度観たいと思うのは、ゴダール『アワーミュージック』。
もう二度と観たくないのは、『またの日の知華』。

思い出すこと。
夏に、新開地でアンゲロプロスの三本立てを観た。『旅芸人の記録』と『狩人』と『アレクサンダー大王』。この三本立ては実にしんどかった。目と頭がグラングランした。帰って体重を測ったら1キロほど痩せていた。ダイエットしたい人はアンゲロプロスの三本立てを観ればよい。あわせて600分以上もの間椅子にはりつけられて、めくるめく映像体験をすればいいだけだ。
ところで、大騒ぎして二度も観にいった『エレニの旅』は、「超個人的2005年映画ベストテン」には入らなかった。残念でした。

思い出すこと、その2。
秋にシネ・ヌーヴォで成瀬巳喜男の特集上映があり、せっせと通って11本の成瀬作品を観た。『秀子の車掌さん』(バスガイドを演じる高峰秀子がとてもキュート。貧乏でもいいから毎日コツコツしっかり働こう!、という気になる)、『浮雲』、『稲妻』、『鶴八鶴次郎』、『流れる』が良かった。加山雄三がニートを演じる『乱れる』もまあまあであった。
大学生の時に『浮雲』を観た時は、情けない森雅之にイライラし、こんなろくでもない男とは早く別れてしまえ、と強く思っただけで特に感慨はなかったのだが、今回見直してみて、ああそうか、ろくでもない男だからこそ別れられないのだなあ、とつくづく高峰秀子の気持ちがわかり、まあ本当はこんなことわかりたくなかったが、わかってしまったのだから仕方がなく、非常に勉強になった。『浮雲』は人生の本質をついた、すごい映画であった。


続けて、音楽と本をまとめるつもりであったが、気力がなくなったのでまた後日書きます。たぶん。わたしは嘘つきなので、これも嘘かもしれません。


フクダ |MAIL

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