昨日・今日・明日
壱カ月|昨日|明日
2005年12月28日(水) |
ほんとうにこれで終わりなのか? |
どう取り扱っていいものか、書いている本人にもよくわからなくなってきたこの日記。何の苦もなく、タラタラタラタラと書けていた春頃のことが、とてつもなく遠いむかしに感じる。とても同一人物がしていたこととは思えない。
混沌とした2005年は、混沌の度合いをより深めたまま終わっていく、みたいだなあ、どうも。とても信じられません。
数日のこと。
22日(木)。 雪。雪にたじろいで電車通勤にしたら停電のため谷町六丁目で地下鉄が動かなくなり、吹雪のなか谷六から中津までトボトボ歩かねばならぬはめとなる。とても正気の沙汰とは思えない。コートやブーツに雪がシンシンと降り積もり、何十年に一度ともいわれる雪の日に2時間近くも外を徘徊することになるとは、わたしの人生って結局なんなんだろう、と考えたりなどする。
23日(金)。 実家へ行く。お正月の食材をもらう。もらう、というか、母が留守の間にこっそりと、勝手に段ボールにつめて自宅へ送った。ほとんど泥棒である。酒やビール、数の子、イクラ、餅、など。 荷物をつくっていたら、弟の彼女が遊びにきて、恋愛相談などされる。何度も申し上げているように、わたしは他人の相談にのっている場合じゃないんです。しかし、頼られると無碍にもできない難儀な性格ゆえ、フンフンと聞き、まあ好きにしたらいいんちゃう、と無責任極まりないこたえで逃げた。
24日(土)。 なんかクリスマスイブとかいう日らしいので、スペアリブをコチジャンやニンニクや玉ねぎのすりおろし等々でつくったソースに漬けこんでオーブンで焼く、という料理をつくり、ワインをガブガブ飲んで酔っぱらった。
25日(日)。 京都へ行く。何必館であった書の展覧会を観るつもりであったが、京阪電車に乗っているうち面倒くさくなって、出町柳まで行き、あたりを散歩した。 久しぶりに恵文社をのぞいたら古本市をやっていた。しかし、何も買えず。恵文社に教えてもらうことは、もしかしたらもうないのかもしれない。寂しい。 散歩の途中に買った古本。 福田屋書店にて。 ゴーゴリ『隊長ブーリバ』(潮文庫)150円。 永井荷風『浮沈・来訪者』(新潮文庫)250円。 文庫堂にて。 フランソワーズ・サガン『一年ののち』(新潮文庫)60円。ジョゼがでてくるので。 ガケ書房にて。 伊藤俊治・訳『ダイアン・アーバス作品集』2000円。ダイアン・アーバスは写真集を見はじめて最初の頃に知った。この人の写真をずっと見ていくと、時折めまいのようなものにおそわれる。 帰りに、三月書房でヴォルテール『カンディード』(岩波文庫)を買って、今はこれを嬉々として読んでいる。
26日(月)。 今年、幾度めかの忘年会。仕事はからまず、友人たちと飲むだけなので気楽だった。焼酎などをダラダラと。ダラダラしすぎて終電を逃しタクシーに乗ったら、最近の若いヤツはマナーがなっとらん、とか、言葉使いが乱れとる、とか、女の子はほんとうに品がない、とか、運転手にいかにも文芸春秋的な話題を持ち出されて相手をするのが面倒くさくなったため、自宅より二駅ほど手前で降りて、歩いて帰った。こんなことなら梅田から歩いたらよかった。家に帰り着いたら午前2時をまわってて、なんかバカみたいだった。
27日(火)。 夕刻、ABCラジオで桂吉朝『地獄八景亡者戯』を聞く。1時間20分ほどの熱演。吉朝さんの不在に関しては、いまだ言葉が見つからず、どうしていいかわからない。 『UP』と『波』をもらう。 来年の抱負は文芸誌を買わないこと、と決めていたが、『新潮』2月号に小島信夫の小説400枚が掲載されるらしいので、新年早々にして禁が破られることになるだろうと予測する。
28日(水)。 この日で仕事おさめ。明日から冬休みである。冬休みなんていらない。仕事してるほうがいい、気がまぎれるから。自分がこんなことを思うようになるなんて、想像もしてなかった。 天牛堺書店にて。 キキ『モンパルナスのKIKI』(美術公論社)を600円で。河盛好蔵訳。 しばらく足が遠のいていたジュンク堂本店に赴き、新刊をチェックする。なるほどな、と思う。 『考える人』(新潮社)を購入。雑誌に1400円は不本意だが、読みたいから仕方がない。
以上。 年内はあと一回か二回、書くと思います(たぶん)。
午前6時起床。寒さは少しやわらいだ、ような気がする。 朝ごはん。全粒粉のパン、ジャガイモと玉ねぎのスープ、ヨーグルト、リンゴ、珈琲。 今朝の音楽は、ジャクソン・ブラウン『solo acoustic vol.1』。このアルバムか、バート・ヤンシュの『若者の不思議な世界』を、近頃はよく聴いている。 バート・ヤンシュのギターを聞くと決まって、かなしい気持ちになるのはどうしてだろう。
お弁当。人参とレンコンのキンピラ、カボチャの煮たの、卵焼き、タラコ、ごはん、蜜柑1個。 昼休みになって、お弁当箱のフタをパカッとあけると、ああなんて美味しそうなんだろう、といつも思う。これほどまでに美味しいお弁当があっていいものだろうか、と食べながら思う。幸せ者だ。わたしは時々わたしがうらやましい。 お弁当を食べると一仕事終えた気になって、早く帰りたくなる。
夜、タワーにて買物。 武満徹による『愛の亡霊』のサントラ。1050円。安い。『愛の亡霊』は昔ビデオで一度観たきり。藤竜也っていい男だなあ、と思ったことしか覚えてない。 それと、『ミュージックマガジン』の1月号を。毎月立ち読みですますのだが、今月はちゃんと買った。
晩ごはん。湯豆腐、鰤の塩焼き、セロリのキンピラ、ほうれん草とシメジのおひたし、ぬる燗。 今日飲んだお酒は「呉春」。旨い!でもお酒の銘柄は特に気にしない。どうでもいい。要するに酔えたら何でもいい。ミリンでもいい。ただし、酔えたらね。
読書。今日の移動中は、水林章『「カンディード」<戦争>を前にした青年』(みすず書房)を読んでいた。想像していたよりずいぶんおもしろい。
それにしても、なかなか元気がでてこなくて、毎日困っている。誰かといる時はそうでもないが、ひとりになるとキツい。 『ミュージックマガジン』でも読んだら少しは元気になるかなあ、と寝る前にじっくり熟読。 2月号の特集は、「フィッシュマンズは生き続ける!」だって。わお。
2005年12月17日(土) |
甘いアルトのキャプテン |
午前5時起き。外は真っ暗、おそろしく寒い。 ストーブの上で、ジャガイモを焼く。アルミ箔が焦げる匂いは冬の匂い。 朝は、カブのスープとパン、それから、焼いたジャガイモに塩をつけて食べた。
午後より、とぼとぼ会社へ。こんなはずではなかったが、いろいろあって仕方なく。「いろいろ」あって欲しくないが、日々「いろいろ」なことは起こり続ける。
ひとり仕事をしていたら、見知らぬおじさんが訪ねてきた。丸い缶に入った、汚れをふき取るワックスみたいなのを売りに歩いているらしい。 土曜も仕事なんてエライね!、おっちゃん怪しいもんじゃないからね!、などと言って必要以上に明るい。社長さんいてはる?、と聞くので、いないと答えると、ほんじゃ番頭さんは?、と言う。いつの時代の話だ。番頭さんとは誰のことだろう。 今日は誰もいません、と断ってみたが諦めるふうもなく、ワックスの素晴らしさを延々と述べたてる。数分つき合ったが、だんだん飽きてきたので帰ってもらうことにした。あっそう、要らないの?、そうかあ、要らないんかあ、うんわかった、今日はこれで帰るね、じゃあよいお年を!またね!、とあくまで明るく、感嘆符も多く、手を振って去っていった。 けっこう面白かった。暇な時にまた来てほしい。
夕刻、四ツ橋へ。所用をすませて、上島珈琲店で黒糖ミルク珈琲を飲んで、岩波文庫の『カフカ短編集』を読む。黒糖ミルク珈琲はすこし甘いけど、たまに飲むとすごくおいしい。 そのあと、天満橋まで歩いて帰った。寒くても、歩くのは全然苦にならない。歩きながら、ああでもないこうでもないとごちゃごちゃ考え事をするのが、最近の暗い趣味のひとつ。
湯豆腐、小松菜と揚げの煮びたし、カボチャの煮もの、大根とイカの煮もの、焼酎。 毎日、豆腐を食べている。
前編がなかなか良かったとわたしの周りで評判の、NHK『クライマーズ・ハイ』の後編を観る。観るつもりはなかったが、佐藤浩市が主役だというのでその気になった。 光石研の醒めた演技が良い。光石研はとてもクールでクレバーな、いい役者だと思う。
夜中までかかって本とCDとビデオの整理。いつまでたっても終らない。
冷たい朝。パンを焼いてみたものの、仰木さんの訃報を知って急に食欲がなくなり、珈琲だけ飲んだ。 仰木監督は、監督じゃなくなっても、仰木監督、と呼びたい人だった。わたしの中の仰木監督はいつも、近鉄のユニフォームを着て、藤井寺球場か、川崎球場にいる。
昨日、雨に降られて、自転車を会社に置いて帰ってきたから、今朝は地下鉄出勤。 つい先日、自分で編んだマフラーを巻いていく。編み物ができることをつい最近思い出したのだ。得意じゃないけど、編むことはできる。着てはもらえぬセーターを寒さこらえて編んでます。セーターじゃなくてマフラーだけど。それに、自分のために編むんだけれど。せっかく編んだものを人にあげるのはもったいない。もったいないは世界の言葉。
本日買ったもの。 ジュンク堂天満橋店にて。三原弟平『カフカ「断食芸人」〈わたし〉のこと』(みすず書房)。立ち読みしてみたら最後のあたりにちらっと、カフカに葛西善蔵と同質のものを感じる、と書いてあったので。ファンとしては読まねばならぬ。それにしてもわたしはいつ葛西善蔵ファンになったのだろうか。不思議ななあ。 天牛堺にて。サマセット・モーム『中国の屏風』(ちくま文庫)。300円。300円はちょっと高かったかなあ、と今更ながら後悔。セコイ。 タワーにてレココレ。来月号の特集はボブ・ディラン『no direction home』だ。早く1月になれ。
里芋と人参の煮物、カブの葉とエリンギの炒め物、セロリとジャガイモのサラダ、湯豆腐、焼酎お湯割数杯。 思い返せば最近、全く肉を食べていない。酒量は増すばかり。ウチの出す資源ゴミの多いことといったら、我ながらビックリする。
夜は、図書館から借りた米原万里『旅行者の朝食』を読む。
どうにか立ち直りかけてもすぐに、何かに足をすくわれる。
2005年12月14日(水) |
御褒美つきのかなしみ |
寒い。今週になってからずっと寒い。寒いのはもう飽きた。今頃から飽きてしまって、この先どうするんだろう。 ストーブの前で、小さくちぢこまる日々。
すぐへたりこみそうになる弱気な自分を叱咤激励しつつ、どうにかこうにか過ごしておりました。ここ数日のこと。
横なぐりの冷たい雨が降る日曜日、なんばHatchで大貫妙子のライブを観た。『ピュア・アコースティック・クリスマス2005』、というやつ。ライブ前に久々に飲んだハイネケンは、相変わらずまずかった。 大貫妙子は、自分でデザインしたというシックな黒のワンピースで出てきて、細いというより薄かった。感情をこめずに歌うところが好きだ。それと、いつも毅然としているところも。 『突然の贈り物』をやってくれるかなあ、と期待してたらやっぱり歌ってくれた。そりゃ歌うよな。良かったです。 『いつだって、嘘だけはいやなの』
先週、出張で東京へ行った。日帰りで。行って、会議に出て、ちょっと怒られて、謝って、どうでもいいことを話して、愛想笑いして、帰ってきただけ。
『エロス+虐殺』のDVDを買った。未公開ロングバージョン編。3時間半ある。いつ観るんだろう。 大杉栄と伊藤野枝が桜の下で話をするシーンが好きなので、そこを何べんか観た。 『あ、今、桜が目の中に映って散ったわ。』
マンガレリの『おわりの雪』には、たいへん感動して、どうしようかと思った。これを今まで読まなかったとは暢気すぎた。バカである。続けて『しずかに流れるみどりの川』も買って読んだ。
その他、本はたくさん読んだ。 古本はあんまり仕入れられなかったなあ、めぐり合わせが悪かった。野田宇太郎『詩人と詩集』(沖積社)を天牛で買った。500円だった。 バルト目当てで、『文学界』の1月号を衝動買いしてしまった。『studio voice』のワールド・ミュージック特集も。でもまだほとんど読んでない。
来年の3月で任期が終るので、町内会の次期班長を決めなければならなくて、隣近所に頼んでまわるが、次々断られる。きっぱりと。したくないッ、と言ってバシッとドアを閉められたりなどする。アホか、と思う。 最後の望みと、一番話の通じそうなJさん(推定年齢65歳)に伏し拝むようにしてお願いする。この辺りの人はみな個性的やからなあ、などと渋られる。個性的どころの騒ぎでないと思うが黙っておく。手伝うことがあったらしますから、と、なんとか押し付け、一件落着。3月といわず、一刻も早くやめたい。
この2年間、班長というのをやってみて、わたしは完全に、大阪のおばちゃんの心のつかみ方を習得した。おばちゃんと円滑なコミュニケーションを図らせたらわたしの右にでるものはいない、たぶん。これは自慢である。自慢話だ。 そんなものはなんの役にも立たないけれど、自分は役に立たないものばかりで作られてきたんだし、これからもそういうもので作られていくのだと思う。
まあ、こんな感じ。
ここまできたんだからもういいだろう、という気持ちと、ここまできたからこそ行き着くところまでいこう、という気持ちが、ずっと拮抗していて、今は後者がやや優位に立っている。今のところは。これからは知らない。 もうすこしだけでいいから、信じられるなにかがあればなあ。
2005年12月02日(金) |
intermission |
終日くもり。やっぱり12月も、曇天模様なのかな。
今朝の鼻歌は、『Blind Willie Mctell』。『ボブ・ディランの頭のなか』のワンシーンでかかっていて、あらためてすごい唄だと感動した曲。
彼らがテントを取り壊している時 ぼくはふくろうの歌声を聞いた 彼の聴衆は痩せた木々の上に出た星だけだった 黒いジプシーの歌姫たちは その羽根を見せびらかすことができる でもブラインド・ウィリー・マクテルのように ブルーズを歌える者は誰もいない
天牛堺で買った古本。450円均一。 福永武彦『ゴーギャンの世界』(講談社文芸文庫)。ゴーギャンが好きなので。福永武彦は『草の花』しか読んだことがない。 富士正晴編『新編・久坂葉子作品集』(構想社)。短編小説と詩と随筆。これで今月の文芸文庫は買わなくていいかなあと、思ったり、思わなかったり。
紀伊国屋で『図書』をもらう。旭屋にも行ってみたが、『一冊の本』は置いてなかった。なぜだ、なぜなんだ。
『台風エリス』を読んでから、エリスをよく聴いている。1972年と1973年にリリースされた『Elis』と、『TREM AZUL』。『TREM AZUL』は最後のライブ盤。いまはなき阪神百貨店のブリーズで発売とほぼ同時に買った。ブリーズには、ブラジル音楽をいろいろと教えてもらって感謝している。
エリス・レジーナは、家族とも恋人とも仕事仲間とも、しっくりいった時期がほんとうに短くて、いつも衝突をくりかえした。泣き、わめき、叫び、しかし、よく笑った。泣いた5分後にはすぐに笑った。しかし、またすぐに泣く。歌っている時にだけしか、生を実感できなかった人。 カエターノ・ヴェローゾの証言。 『彼女が、自分の達成したものと、生き続ける能力との間にバランスをとれていれば、きっと素晴らしかったのに。不幸にして、彼女にはそれができなかった。』
今は図書館で借りたユベール・マンガレリ『おわりの雪』を読んでいる。冒頭から、哀しそうな予感がひしひしと。 村上春樹の音楽本が返ってきたので、次はそれを読んで、ブライアン・ウィルソンでも聴きなおすつもり。その次は、ドストエフスキーの小説をなんか一冊読む、と思う。
夕食に、冬瓜と鶏ミンチのあんかけ、春菊としめじのポン酢和え、赤玉ねぎとピーマンのサラダ、ジャガイモのソテーを作って、桂南光のラジオを聞きながら食べた。南光さんが、上方落語まつりに出演しないのがとても残念。
あー、淡々と生きるのは難しい。疲れたわ。一週間で早くもギブアップ。
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