昨日・今日・明日
壱カ月昨日明日


2005年10月31日(月) アルカイックスマイル

朝ごはん。トースト、ジャガイモとツナのサラダ、ヨーグルト、リンゴ半分。

お弁当。里芋とコンニャクの煮物(昨夜食べた残り)、ネギ入り卵焼き、ピーマンのきんぴら、鮭フレーク、ごはん。

晩ごはん。ニラ豚の豆板醤炒め、小松菜と揚げの煮物、キノコ汁、ほうれん草のおひたし、ごはん、ビール。

週末のことなど。

土曜日は、中之島の国際美術館で『瑛九・フォトデッサン展』を観た。
写真で絵を描く、という、瑛九の自由な発想が素晴らしい。なんでもやってみればいいのだ、とるにたらないものにとらわれて身動きできなくなってるなんてバカバカしい、と、いつもの勝手解釈だけれど、なんだかずいぶん勇気がでた。

雨の降る夕方の美術館は、もう閑散もいいところで、退屈そうな警備員と、わたしのたてる足音だけが、カツンカツンと館内に響き渡り、この世が終わった後みたいで、居心地がよかった。

日曜日は古書会館のブックフェアに赴き、古本など物色した。
倉橋由美子『婚約』(新潮文庫)100円、吉行淳之介・編『酔っぱらい読本・参』(講談社)100円、吉田健一『横道にそれた文学論』(文芸春秋新社)300円、『美しい部屋の手帖』昭和25年10月号増刊(暮しの手帖社)300円。
血湧き肉踊るような収穫はなかった。まあ、きょうはこれくらいにしといたろ、というところであった。

谷町界隈を散歩して、中大江公園で宇野浩二の文学碑を発見した。なんと、こんな近所にこのような重要なものがあるとは、今日の今日までしらなんだ。
文学碑に書いてあったこと。

『私は 私の過去の小さい生活を思い浮かべる時 その何処までが眞実で その何処からが夢であるかを判ずることが出来ない
さういふ私は 凡ての事実を夢と見ることが出来 凡ての夢を事実と見ることが出来る様に思われる』

宇野浩二は、やっぱりかっこいい。顔はあんなんだけど。でも男は顔じゃないぞ。顔じゃないから、いつもハナシがややこしくなるのだよ。

ジュンク堂で買ったもの。
『飛ぶ教室』2005年秋号(光村図書)、スタニスワフ・レム『天の声・枯草熱』(国書刊行会)、絲山秋子『ニート』(角川書店)。
『ニート』は、わたしの中で今年読んだ短篇ベスト1の可能性が限りなく高い。その理由は、考えてみてもよくわからないのだが。
それから『月刊百科』の11月号をもらう。

とにかく、希望だけは持ち続けようと思う。

現実を直視することを放棄したまま、こうして10月も終わるのだ。


2005年10月27日(木) 憂鬱は凪いだ情熱

あーあ。

朝ごはん。カフェオレ、バナナ、柿半分。大吟醸を呑みすぎて二日酔いのため、これだけ。
お弁当も作れず。昼ごはんは旭屋近くのうどん屋さんで、温かいきつねうどんを。

戦う前から弱腰で、悲観的で自信がなくて、気合いと念が足らなかった。
悪かったわ。わたしが悪かった。何もかもわたしのせいだ。

二日酔いは昼ごろまで回復せず。どんどん立ち直りが遅くなっていくのは、決して気のせいではないような。
この循環を断ち切るにはどうすればいいのか、頭をめぐらせてみてもわからない。

夕刻、ジュンク堂へ。本日の買い物。
『芸術新潮』11月号。特集の「アール・ブリュットの驚くべき世界」が面白そうだったので。
それと、金井美恵子『スクラップ・ギャラリー』(平凡社)を。

タワーで『ミュージックマガジン』を立ち読みする。
絶賛されてるサリフケイタのCDは、先の火曜日に、本を売ったお金で購入済み。

晩ごはん。鰤の照り焼き、白菜とツナの煮物、ジャガイモのサラダ、切っただけのキャベツ(そのままでガシガシとかじる。それでも料理といえるのか)、ごはん、ビール。

夜、そのサリフケイタを聴いていたら、友人より電話あり。仕事の愚痴など聞く。今のわたしは吸収力の弱いスポンジみたいなものだから、友人の満足のいく対応ができたかどうか心許ない。人を励ますのは難しい。

人は忘却の生き物だっていうけれど、本当なんだろうか。忘れることって、できるんだろうか。どうやるんだろう。どうやったら、そんなこともうどうでもいいかって、思えるんだろう。
脳みそにはりついてるその部分だけ、切り取って捨てたいよ。


2005年10月24日(月) ラブ・マイナス・ゼロ

咳がでて、辛い。起きてすぐ、うがいをする。風邪がいっこうに良くならないのは、いったい何が原因なのか。

朝7時すぎに、向かいの家の兄弟がパリッとしたスーツを着て、一緒に出勤する。先月引っ越してきた、私と同い年くらいのこの兄弟は、とても仲が良いらしい。引越しの挨拶にも二人揃ってやって来た。朝は共に出掛け、夜は台所で笑い声を立てながらふたりで料理をし、先の連休には、青い車に肩を並べて、いずこかへ遊びに行った。わたしは、自宅のベランダや通りに面した窓から、それらをひっそりと観察する。けっこう暗い趣味だ。
でもTは、兄弟なわけないやん、と言う。全然似てないし、こないだの夜中なんか手つないで帰って来てたで、と。この人も観察してたのだな。暗い奴だ。
年食ってても、手をつなぐ兄弟がいるかも知れず、まあ、多種多様でおもしろい。

朝ごはん。ジャガイモのスープ、レーズンパン、ヨーグルト、珈琲。
弁当。鮭フレーク、筑前煮、ウィンナー、コンニャクのキンピラ、トマト、ごはん。

夕方、急いで仏壇屋へ。ここの臨時八百屋は、日没と同時に閉店する。柿6個と、蜜柑15個ほどで、あわせて300円。おまけに茄子を6本もつけてくれた。
旭屋で、『本』の11月号をもらう。森達也の連載を立ち読みしたおかげで、帰りはずっと頭の中でクィーンが鳴ってた。
天神橋筋商店街で、200円の油揚げ。さっと焼いたら美味しいよ、とのこと。
天牛書店にて、柳田国男『不幸なる芸術・笑の本願』(岩波文庫)を200円で。
自宅近所のパン屋さんで、食パン一斤。6枚切にしてもらう間、店のおじさんと、天気のことについて話す。寒くなったよね、とか、なんとか。

会社の帰りに、八百屋や豆腐屋や本屋やパン屋に寄って、200円とか300円くらいの買物をして、店のおじさんたちと話して、おまけしてもらったら御礼を言ったり、下らない冗談で笑ったりするのが、なんだかたまらなく楽しい、と思う。

晩ごはん。海老チリ、小松菜と油揚げのナンプラ―炒め、茄子の胡麻ソース、焼ししとう、ごはん、焼酎お湯割。

夜は、ベルンハルトの『ふちなし帽』を読む。


2005年10月23日(日) 共苦

Tが稲刈りに行くというので、6時に起きてオムスビを作った。梅干と鮭と昆布をいくつか。それに、卵焼きとほうれん草のおひたしとコンニャクのキンピラをつめる。朝ごはんは、その残りもので賄った。

掃除や買物を午前中にすませて、図書館に予約していた本を引き取りに行った。
借りたものは、トーマス・ベルンハルト『ふちなし帽』、アニータ・シュリーヴ『いつか、どこかで』、絲山秋子『袋小路の男』。

本を3冊携えて、花博公園に行った。3時間くらいかけて、園内をぐるぐると歩き回り、歩き疲れたらベンチに座って本を読んだ。
風車の広場には、赤いバラとピンクのコスモスが咲いていた。パターゴルフ場では、老夫婦がクラブを振り回していた。売店では、夕張メロンソフトクリームが売れているようだった。広場は犬を連れた家族連れが多かった。植木市は大盛況だったけど、世界の森は人気がなくて寂れてた。

『袋小路の男』を読んだ。続編らしい『小田切孝の言い分』も良かったが、やっぱり『袋小路の男』のほうがグッとくる。絲山秋子さんの短編では、『i feel』に掲載されてた『ニート』も良かった。あんまり感動したもんだから、続けて3回も読み返してしまったほどだ。
『袋小路の男』で、好きなところ。

『あなたが私の車に乗ると、とてもいい匂いがした。嗅いでいることが恥ずかしくて煙草をひっきりなしに吸った。あなたは優しくて、眠そうで、何百回と会っているのに今日が一番好きだと思った。だけど、永遠に好きじゃないかもしれない。いつか飽きるかもしれない。嫌われるかもしれない。今がピークなのかもしれない。関越から藤岡ジャンクションを経て上信越道を走りながら、ふと死んでやろうかという気になった。今なら一緒に死ねる。行き止まりの世界から脱出できる。一度だけ、あなたの未来を私が借りる。』

こんなふうに、ほとんどそのまんま、思ったことがある。
でも、私がその中に含まれていないと知ってても、好きな人の未来は奪えなかった。

昼ごはん。ドーナツ1個、珈琲。
晩ごはん。筑前煮、ジャガイモとベーコンのスープ、レタスとエリンギのサラダ、もずく、ごはん。食後に、焼酎お湯割3杯。

関ヶ原より東は鬼門だ。
愛するものの努めと思い、しっかりゲーム終了まで観た。腹が立つとか、情けないとかを通りこして、平然とした気持ちだ。
もう負けてもいいわ。負けてもいいから、ちゃんと「野球」をやってくれ。

熱が出そうなので、早々に床についた。


2005年10月22日(土) making a wish

朝ごはん。塩鮭、じゃがいもの味噌汁、もずく、温泉たまご、ごはん。

昼ごはん。支給された幕の内弁当。おいしくない。おいしい幕の内弁当というものを、いちど食べてみたい。

土曜日であるが、出勤した。9時から5時までのブルー。

お昼休み、来し方行く末についていろいろと考えてため息をついていたらWさんに、なんでため息なんかつくんですか、と言われる。なんでかわかったら苦労しないよ。燃え尽きたんじゃないですか、いろんなことに、などとも言われ、びっくり。まだ燃えてもいないのだから、燃え尽きるということ自体がありえない。順番がおかしい。
とにかく、人前で沈んだ顔をするのはやめよう。空元気でもいいから、ヘラヘラしていよう。

体調がすぐれないため、早めに帰宅。冷たい風が吹きつけ、非常に寒い。季節はなぜこうも急に進むのか。

晩ごはん。鶏ささみのシソはさみ揚げ、茶碗蒸し、粕汁(あんまり寒いから)、水菜のサラダ、ごはん、ビール。

テレビで、今日から始まった例のやつを観る。
予感的中。悪い予感は全て当たる。もう間違いなく当たる。霧は予想出来なんだが、そんなことはもうどうでもいい。
とうとう最後まで、わたしは井川を信じきることができなかった。無念である。

21時以降は、毛布にくるまり、心静かに読書など。いしいしんじの『麦ふみクーチェ』を読む。

きっぱりあきらめてしまえたら楽になれるのだろうけど、それだけは死んでもしたくないと、強く思う今日この頃。


2005年10月20日(木) something else

風邪をひいて、体調がガタガタガタと崩れた。このところの生活の乱れからすると、風邪のひとつやふたつは覚悟の前、というところだ。しかし、喉が痛くてやりきれない。
お酒は仕方がないとしても(どう仕方がないのかわからないけど)、煙草は控えたほうがいいと思われるのでそうしよう。
と、出来もしないことを書いてみる。

朝ごはん。ごはん、目玉焼き、豆腐と小松菜のみそ汁、梅干、ヨーグルト、バナナ。
弁当。鮭、ジャガイモの明太子和え、ミニトマト、ししとう、ごはん、梅干。

ここ数日の読書について。
『六月の長い一日』『黒いピエロ』を読んだ後、ロジェ・グルニエ週間に入り、『シネ・ロマン』を再読して、うーんたまらん、などと感嘆の声をあげ、それから山田稔の散文を数編読み、『北園町九十三番地』を読了して、その中で触れられていた(と思った)トルストイの『幼年時代』を取り出して読み始め、細部のみずみずしさや、描写の見事さにたいへん感銘を受けた。
私にとってトルストイはあまり積極的に手を伸ばす気になれない作家だったけれども、これを機会に『少年時代』も『青年時代』も読んでみようと決意して、再び『北園町〜』に戻ってみたら、そこで紹介されていたのはゴーリキーの『幼年時代』であった。なあんだ。引用箇所がちっともでてこないので、おかしいとは思っていたのだが、読んでいると夢中になって、そんなことはどうでもよくなっていたのだった。
ゴーリキーの『幼年時代』は未入手だ。早いとこ入手したいものだ。

晩ごはん。寄せ鍋。今秋、初の鍋物。手製のゆず入りポン酢に、胡麻をたっぷりふりかけて。鶏団子と白菜が美味でございました。芋焼酎をお湯割でちびちびと。これもたいへん、けっこうでございました。

とっぷり日が暮れてから、ネオンきらめく北新地に繰り出して、目指すところはジュンク堂。本日の買物。
W.G.ゼーバルト『移民たち』(白水社)を迷った末に購入。写真にやられてしまう。
それに、米原万理『オリガ・モリソヴナの反語法』(集英社文庫)を。これは「解説」が目当て。全ては「解説」のために。
でもさっき第2章まで読んでみたらたちまちのうちに引き込まれてしまった。もう今夜中に読了してしまうかもしれない。どうせ寝られそうにないし。

ヴェンダースのDVDBOXを、買うか買わぬか悩み中。今ならアマゾンで3000円引きだ。でも『デカローグ』のDVDも、大枚はたいて買ったまま、まだロクに観ていないしなあ。
悩む。こんなことで悩んでいるバヤイでもないのだが、けっこう真剣に悩む。


2005年10月17日(月) 何もなかったように

夜中の午前2時起床。起床というのか、なんというのか、とにかく2時から寝られなかった。この際、新聞配達のバイトでもしようかと思う。

日曜日は、芦屋の美術博物館にエドワード・スタイケンの写真を観に行った。ポートレイト展で、被写体はチャップリンとかグレタ・ガルボとかトーマス・マンとかリリアン・ギッシュとかサンドバーグとか、有名著名人が中心。
ほとんど人のいない展示室で、古くてどこか懐かしい、黴くさいような写真を観ていると、美術館のその場所だけ、時が遡っていくようだった。
講義室で、評論家による『スタイケン論』を1時間半も聴いたりもした。途中、30分ほど居眠りをした。授業中に寝るのは、無類の気持ちよさだ。

帰りは美術館から阪急芦屋川駅まで歩いて、ビゴの店で煙草入れの形をしたフランスパンを買った。

月曜日の朝ごはん。野菜スープ(大根、人参、じゃがいも、たまねぎ、ベーコン)、パン、ゆで卵、珈琲、ヨーグルト。
弁当。焼き鮭、カボチャの煮つけ、キャベツの胡麻和え、ピーマンと昆布の和え物、ごはん。

会社からの帰り道、天牛書店でエマヌエル・スウェーデンボルグ『霊界日記』(角川文庫)を買った。300円。
それからも本屋や八百屋でうだうだ油を売っていたんだけれども、今日は焼酎片手にテレビで野球を観るつもりだったことを思い出し、しまったしまったと、早々に帰宅。

晩ごはん。カツオのたたき、シメジと水菜のさっと煮、湯豆腐、きゅうりもずく、焼酎数杯。

タイガースは、はたして小林とかセラフィニとかなんとかとか、このあたりの投手を打てるんだろうか。打てないんじゃないのか。不安だ。けっこう本気で不安だ。なぜこんな気持ちになるのだろう。

寂しい時とかしんどい時に助けてもらって、野球には本当に感謝している。今シーズンほど、そう実感したことはない。だから、来月からどうやって生きていけばいいのだろうか。心もとない。
今年、最も幸せだと思った「野球のある風景」は、8月の13日か16日に、甲子園のスタンドで奥泉光の『モーダルな事象』を読みながら、西校の試合を見てた時。

夜、玄関のポスターを、トリュフォーの『恋愛日記』から『トゥルーへの手紙』にはりかえた。


2005年10月15日(土) saudade

しのつく、雨の土曜日。雲垂れ込める、暗い朝。『ウィークエンドサンシャイン』の特集はザ・バンド。『フェスティバル・エクスプレス』を、もう一度観たいものだ。
しかし、どうにもこうにも気持ちがすぐれず。お前もうちょっとしっかりしろよ、とハッパをかけてみるがいまひとつ手応えなく、こんな自分に唾を吐きたい。

朝ごはん。ベーコンエッグ、小松菜のおひたし、トマト、梅干し、ジャコ、ごはん、柿半分、蜜柑、ヨーグルト。朝からお腹いっぱい。

町内会費を集めてまわる。恒例、裏にお住まいの91歳女子による、戦死した旦那さんとの話。
今日は朝ごはんにな、パン食べてん、毎朝だいたい食べるもん決まってんねん、こんな小さいパンとな、牛乳とな、バナナ1本。朝はだいたいパンやねん。ほんでなそれからご飯一合炊いてな、仏壇に供えるねん。ウチのお父ちゃん早よ死んだやろ、23歳で戦死や、わけもわからん外国でなあ、かわいそや、ほんまに。ろくに楽しみも知らんとなあ。お父ちゃんはパンよりご飯のほうがええやろと思てな、ご飯炊くねん、ほんでほれ、あの人煮物好きやったさかいな、野菜やら煮てな、鍋ごと仏壇の前に持っていくねん、ほんでな、鍋の蓋でな、匂いを仏さんのほうにかけてやるねん、ほれ煮物作ったったで、アンタ好きやったやろ、出来たてやで、早よ食べや、熱いうちに食べやー、言うてな、毎朝な、5時頃起きてな、そんなことやってんねん。

ええ話やな。ええ話や!

午後より、仕事へ。イベントの手伝い。なあんも面白くない。昼ごはんはぬき。

夕方解放され、梅田タワーへ傘をさしてペコペコと歩いていく。
ここしばらく遠ざかっていたけれど、ザ・バンドの特集だというので久々に『レコードコレクターズ』を買う。それからもらった『MPB』で発売しているのを知ってマリア・ヒタの新譜も購入。スタジオ一発録音だそうだ。マリア・ヒタはまだ若いのに、なんかもう威風堂々とした歌いっぷりで実によろしい。

旭屋にて『未来』と『UP』を無事入手。ああ良かった良かった、ひと安心。

そのあと、梅田大丸にてセーターやらスカートやらバコバコと、試着しては買い、試着しては買い、気がついた時には大散財していた。
アホなことをしてしまった。ヤケになって買い物などしてみたところで、何がどうなるわけでもないのに。

晩ごはん。ブリのお刺身、かぼちゃのそぼろかけ、きゅうりもずく、冬瓜の味噌汁、ごはん。それから網でししとうを焼いて、焼酎を数杯。

チェーホフ『決闘』と『退屈な話』と『恋について』を、昨日から今日にかけて熟読した。


2005年10月13日(木) 解読不可能

寝過ごした。昨夜は、23時頃いったん寝て、1時頃起きてしばらく本を読みまた寝て、4時頃起きてしばらく本を読み、そのまま起きてしまうつもりが、6時頃から7時30分まで寝てしまった。マーブル模様の睡眠。眠ったのか何なのか、よくわからない。まあ何でもいい。読んでいた本は図書館で借りた『幻想文学』。
よって、お弁当づくりはサボる。

朝ごはん。冬瓜と人参のスープ(昨夜の残り)、トースト1枚、ヨーグルト、珈琲。
昼ごはんのために、天神橋の商店街にあるニッシンで、卵サンドイッチを買って会社へ行く。190円也。
昼ごはんはそのサンドイッチと、家から持ってきたバナナと蜜柑。加えて、Iちゃんからもらった栗まんじゅう半分。甘くて、一個全部は食べられなかった。
デスクの上に、バナナと蜜柑とまんじゅうを転がしておいたらNさんに、アンタの机は仏壇みたいやな、と言われた。

本日の買物。
飯沢耕太郎『増補・都市の視線』(平凡社ライブラリー)と『In-between』。これは、ヨーロッパ各地を写し撮ったシリーズ写真集。今回はアイルランドで、撮っているのは吉増剛造。吉増剛造の巻だけは絶対買おうと決めていた。おさめられている日記風の詩の中に、『ヴァンダの部屋』の文字を見つけてひとりで感激する。
無印良品にて、ノート(5冊組のやつ)と、封筒。
帰宅したら、ポストに11月の文楽公演チケットが届いていた。文机の引出しにしまう。

晩ごはん。秋刀魚の生姜煮、蒸しキャベツと人参の胡麻ソース、しめじとほうれん草のおひたし、温泉卵、ごはん、ビール。

本日はビールをラガーの大瓶一本にとどめ、食後はロイヤルミルクティーなんぞを淹れ、柿をむいて食べつつ、本を読んだ。これが本来あるべき秋の夜長の読書スタイルなんではないだろうか。
読んでた本はロジェ・グルニエ『黒いピエロ』。これまた再読。

パ・リーグのプレーオフが地上波で見られなくてとても残念。ラジオ中継もないようだし。なんでだろう。
まあとにかく、日本シリーズのことを考えると、なんかしらんけどもう胃が痛い。なんでわたしはこうも弱気なのだろうか。愛しているなら信じなければ。しかし、どうにも信じきれない。


2005年10月12日(水) 生活の裏側で

ひさびさの快晴。しかし、日中は暑くて、とても10月とは思えない。金木犀の香りだけが、宙に浮いている。

朝ごはん。鰯の焼いたの、梅干、豆腐のみそ汁、ごはん、チチヤスヨーグルト。
弁当。ササミの塩コショウ焼、人参のキンピラ、じゃがいも、卵焼き、ごはん。
今朝の音楽は、susanna and the magical orchestra。ビョークっぽいけど、ビョークより内省的なところが好き。

夕方、難波から天満橋まで歩く。大阪中心部をズイズイと横断。たどり着いた天満橋より、水面に映るビル群の灯りを眺める。汚くて猥雑でどうしようもない街だけど、まあそう捨てたもんでもないか、とこの辺りを歩くと思う。

天牛堺書店で。柳宗悦『工藝の道』(講談社学術文庫)、多木浩二『生きられた家 経験と象徴』(岩波現代文庫)を購入。計800円、だった、確か。

これからどうなるんだろう。
あなたいったいどうするつもりなんですか、と自分に問うてみるのだけれど、なあんにも答えが返ってこない。見事にからっぽ。とてもつきあいきれない。
ここまで考え至るとき、ああ帰って焼酎でも飲もう、そして世界を麻痺させよう、と思ってしまうのだ。

晩ごはん。ホタテのバター焼、レタスと赤玉ねぎのサラダ、冬瓜と人参のエスニック風スープ(エスニックって、仕上げにナンプラーをたらしてみただけ)、ビール。

夜はお約束どおり焼酎を飲みつつ、福武文庫の『チェーホフ短編集』から、『ともしび』と『六号室』を読み返す。この本、何度も読みすぎてずいぶんくたびれてきた。どこかで見かけたら買いなおしたい、しかし、どこにも売っていない。


2005年10月11日(火) 選ばないことを選ぶ

目が覚めたら、午前4時。眠れないのでそのまま起きる。外は雨。
起きてはみたものの、することがない。することがないから、扇風機をしまう。丁寧にほこりを拭う。ああ、いつになくしんどかった、今年の夏もとうとう終りだ。って、もうとっくに終わっているのか。

朝ごはん。トースト1枚、チチヤスヨーグルト、目玉焼、珈琲。
弁当。肉じゃがの卵とじ、ほうれん草のゴマ和え、ミニトマト、ししとう、ごはん。
Tには、オムライス弁当を作る。ケチャップオムライスが食べたい食べたいとうるさいので黙らせるため。ピーマンをきらしていたのでししとうを細かく切って入れたら、それはご不満のようだった。贅沢を言うな。贅沢は敵ですよ。

本日買ったもの。
かっぱの古本屋で。川口松太郎『鶴八鶴次郎』(中公文庫)400円。
9月にシネ・ヌーヴォで観た、成瀬巳喜男の『鶴八鶴次郎』はもう本当に素晴らしかった素晴らしかった素晴らしかった、と3回も書いてしまうほど素晴らしかった。原作はどうかな。川口松太郎はあんまり好きではないので、ダメかもしれない。

旭屋で。中丸美繪『杉村春子 女優として女として』(文春文庫)。それから『みすず』の10月号。
今月はまだ『未来』を入手できていない。何故だ。妙に焦る。

晩ごはん。秋刀魚の蒲焼、冬瓜のそぼろあんかけ、かぼちゃ焼(かぼちゃを薄く切ってフライパンで焼き、仕上げにしょうゆをジャーッとかけて、鰹節をまぶして食べる。ビールに合います)、トマト、ビール。

堀江敏幸『雪沼とその周辺』を読んだ。ちょっと話を作りすぎた感あり。いい話すぎる、というか。
他には、蓮實重彦『ゴダール革命』をひろい読み。ゴダールの映画も見直してみたいと思うけれど、今日はとてもそんな体力はない。ビデオを再生した途端寝てしまいそう。

なんだかんだあってもまあ、ちょっとだけ元気がでてきたみたい。朝のくるのが怖くなくなるくらいには。

ベールイ。ベールイを読まなくては。来月の課題図書にいれとこう。


2005年10月10日(月) derealite

三連休だった。気持ちはいまひとつ、冴えなかった。休みなんて、どうでもよかった。休日が嬉しくないなんて、わたしは寂しい人だ。

土曜日。
梅田大丸ミュージアムに『ホルスト・ヤンセン展』を観に行った。奈落の底に堕ちていく感じで良かった。一連の自画像、特に『哀切』というのが、胸に残った。自身が闇に溶けていくようで。

その日の夜は、数年ぶりに従姉妹と会って、京都で酒を呑んだ。昔と変わってないわねえ、と言われた。そんなことはない、わたしはずいぶん変わった。高校生といっても通じるんじゃない?、とも言われた。全然嬉しくない。この歳になって高校生みたいと言われるなんて、バカと言われているのと同じだ。それに、こんな高校生がいたら怖い。

帰りの京阪電車で、森村泰昌と一緒になった。黒ずくめの服装で、花束をたくさん抱えていた。

日曜日。
三連休のうち、唯一晴れた日。四天王寺の古本市に、キコキコと自転車をこいで行った。
買ったもの。『海燕』の創刊号(福武書店)100円、野坂昭如『風来めがね』(文芸春秋)100円、『芸術新潮』2003年12月号「特集:ロシアイコンへの旅」(新潮社)800円。
古本探しに飽きたら、池の亀を眺めた。亀は泳いでみたり、甲羅干ししてみたり、他の誰かと重なりあってみたり、いつ見ても優雅だ。生まれ変わったら亀になりたい、かもしれない。

月曜日。
雨が降ったり、止んだり。午前中は、二日酔いでつぶれてた。
午後から覇気なく掃除などした。台所でいろいろと料理もした。晩ごはんに作った肉じゃがと水菜のサラダはよい出来だった。休肝日にするつもりだったのに、またダラダラと飲んでしまった。でも、飲まなきゃやってらんないの。

3日間で、たくさん本を読んだ。とにかく、本ばかり読んでいるのだった。
『パレスチナ日記』、『小林秀雄対話集』、チェーホフ『決闘・黒衣の僧』、『樋口一葉小説集』(これは金曜日に買ったちくま文庫の今月の新刊)、それからロジェ・グルニエ『六月の長い一日』。

『六月の長い一日』は良かった。
チェーホフ、パヴェーゼ、マンスフィールド、ロレンス、ヴァージニア・ウルフ、ブルーノ・シュルツ、ツヴェターエワ、それに、フィッツジェラルド『バビロンに帰る』、コンラッド『密偵』、スタヴローギンの『告白』…、など、日頃読んでいる小説の断片があちらこちらに出てきて、目を奪われた。
ロジェ・グルニエを読んでいると、明日死ぬのも、10年後20年後に死ぬのも、特にたいした違いはない、と思うことがある。

11月の文芸文庫に小山清がはいるとのこと、嬉しいわ。
早く11月になってしまえばいい。


2005年10月06日(木) attente

快晴。日暮れ時より、すこし冷える。扇風機をしまうべきかどうか、迷う。この週末に、たぶんしまうと思う。

朝ごはん。トースト一枚、赤たまねぎのサラダ、ヨーグルト、蜜柑、珈琲。
お弁当。塩鮭、ジャガイモと人参の煮物、卵焼き、ミニトマト、ごはん。
昨日、デリスタで買った鮭は、「超辛口」と名づけられていただけあって、めちゃめちゃ辛かった。塩の固まりを食べている感じ。体に悪いんではないだろうか。

夕方、所用で難波まで。自転車で行く。Mさんと雑談。すごい話を聞く。Mさんは時折、給料日を忘れることがあるらしい。ああそういえば給料はいってたんだっけ、って銀行に行くと、二ヶ月くらい手つかずのまま振込口座にたまっていることがあるんだってさ。なんと。羨ましいを通り越して、ひっくり返りそうになった。

打ち合わせを終えてから、難波のタワーへいそいそと。『トゥルーへの手紙』のサントラを購入。何も考えずレジに持っていったら、3800円だと言われてびっくりする。2枚組だと知らなかった。支払ったら財布の中は小銭だけに。ああ。金の話はもうやめよう。

そのまま自転車を転がして堀江の図書館へ。仕事関連の本と絵本をさくさくと探して、あとは自分のための本を借りる。
本日借りたもの。ロジェ・グルニエ『六月の長い一日』、ペーター・ビクセル『テーブルはテーブル』、ファン・ゴイティソーロ『パレスチナ日記』、それから『幻想文学』の「特集:ロシア東欧幻想文学必携」。この特集の『幻想文学』は、古本屋に行くたびにずっと探していた。今も探してるけど。図書館で借りられるということに、今日まで考え及ばなかった。嬉しい。とりあえず、重要ページをコピーしよう。
借りるものを借りてから、閲覧席で少しだけ『文学界』のバックナンバーを読む。

帰りに天満橋のジュンクで「ちくま」をもらう。我ながらマメである。

晩ごはん。オクラと豚肉のいためもの、かぼちゃの煮つけ、ししとうの塩焼き、冷やしトマト、ごはん。
『幻想文学』やら『パレスチナ日記』を読みつつ夜中までネチネチと、ビール1リットルと、焼酎水割り3〜4杯を読む。ああ。




2005年10月05日(水) 遮断された、仮死の世界

雨。今朝の音楽は、ジャック・ジョンソンのファースト。アルバムタイトル、忘れた。
朝ごはん。トースト、目玉焼き、チーズ、トマト、珈琲、バナナ。
弁当。鶏ささみの塩焼き、蒸しジャガイモ、ゆで卵、ピーマンのキンピラ、ごはん。

午後の会議は疲れた。喋りまくって、喉が痛くなった。なんで会議なんかで声をからさねばならないのか。アホらしい。

夕方、新婚ほやほやのAさんと、Nさんの3人で、近所の立ち飲み屋へいった。立ち飲み屋はガッと飲んで、サッと帰れるからいい。ダラダラするとロクことがない。
新婚のAさん相手にNさんが、良い時ってそう続かへんで、とか、まあ醒めてからどう折り合っていくかが勝負やな、とか、人の気持ちは一瞬で変わるからなあ、とか、良かれと思ってしたことでも相手にとっては鬱陶しいこともあるで、とか、男と女のことなんか所詮すべて幻想ですよ、とか、おそろしく後ろ向きなことばかり言うので、聞いてておかしかった。なあアンタもそう思うやろ、とわたしにふってきたので、思います、と応えといた。
生ビール2杯と枝豆、冷やっこ、茄子。

帰り道、デリスタで買物。蜜柑、バナナ、ヨーグルト、鮭など。
自宅の近所の古本屋で、週刊朝日編『値段の明治大正昭和風俗史』(朝日文庫)上下巻を買う。2冊で750円。

自宅で、本を読みつつ、焼酎を。今日は、ガルシア・マルケス『予告された殺人の記録』を読んだ。教育テレビの高山なおみさんの料理や、ビデオで、成瀬巳喜男の映画をちょこちょこと観たりもする。雨は夜中過ぎに、止んだ。

頭ではわかっているのに、気持ちがついていかないのはなんでかなあ。


2005年10月04日(火) Sala

どしゃぶりの雨。秋雨という風情はなく、ただどしゃどしゃと降っているだけのこと。一番強い降りかたのとき、堂島川沿いを歩いていた。頭をどうにか守ったまでで、傘はほとんど役に立たなかった。

朝ごはん。ジャガイモと人参のポトフ、玉ねぎとハムのサラダ、トースト、ヨーグルト、珈琲。
お弁当。人参のキンピラ、ひじき入り卵焼き、ほうれん草のゴマ和え、豚の生姜焼き、ごはん。
何しろ、午前3時くらいから起きてごそごそしているのだから、朝に料理をする時間はたっぷりあるわけなのだ。晩ご飯の下ごしらえまでできるのだ。掃除とか、アイロンかけとかも。たいして寝ていないのに、眠くないのはなぜだろう。

どうにかしてこの鬱屈した気分を打開したい、と思い、帰りに天牛書店に行く。結局、古本か。
買ったもの。原卓也訳のトルストイ『復活』(中公文庫)。200円。嬉しい。全一冊なので分厚い。野坂昭如の『行き暮れて雪』とおんなじくらいの厚さ。でも今、トルストイを読むのはちょっとしんどいからしばらく本棚で寝かしておこう。

シュクシーンはとても良い。さすが、タルコフスキーの同級生だけのことはある。
『本格小説』も一気に読んでしまった。人を好きになるのも戦いだ、と思った。
今日は『禁煙ファシズムと戦う』を読んだ。

その他、買ったもの。アラン『音楽家訪問』、ポール・ヴァレリー『レオナルド・ダ・ヴィンチの方法』いずれも岩波文庫、100円。

晩ごはん。オクラとかぼちゃのカレー。カレーにオクラを入れると最高に美味しいことに最近気づいた。それから、トマトサラダ、冷やっこ、ビール。

そうだ、野球があった、野球を見よう、とテレビをつけたら井川が投げてて、しかもパカスカ打たれてて、なんなんだろう、まあいいけどね。井川は、わたしの神経を逆なでする。でも基本的にはこの人のことは好きなのだ。胴上げに参加しないところとか、特に。

『the rolling thunder revue』をしつこく何度も聴く。


2005年10月02日(日) 往生際が悪いので

10月になったはいいけど、なんでこんなに暑いんだろう。一日中、蒸し暑くて不快。夕方、すこしだけ雨が降った。

朝ごはん。トースト1枚、トマト、チチヤスヨーグルト、珈琲。
午前中、比較的涼しい台所で、『コンラッド短編集』を読了した。次は、群像社から取り寄せた、シュクシーン『日曜に老いたる母は…』にとりかかる。群像社がなかったら、わたしもう生きていけないかもしれない。
それから、本棚の整理をしたら奥の方から水村美苗『本格小説』上下巻が出てきたので、これも並行して読むことにする。
毎日毎晩、こんなに本ばっかり読んでいていいんだろうか。と、思わないこともないけど、でももうどうしてもやめられない。

昼ごはん。茄子としょうがとネギをのせて、冷たくしたダシをかけたにゅうめん。買った覚えのない素麺が、収納庫から大量にでてきたので作ってみた。
ついでに、人参とジャコのキンピラ、じゃがいものしょうゆ煮、ひじきと揚げの煮つけもこさえる。相変わらず、料理はマメにやっている。

晩ごはん。ニラまんじゅう、オクラのせ冷やっこ、じゃがいものしょうゆ煮、ひじき、白菜キムチ、ビール。

夜、焼酎水割りを飲む。飲みつつ、ボブ・ディランのライブ音源ばかりを集めたMDをつくろうと、CDとごちゃごちゃ戯れている間にリビングで寝てしまう。目覚めたら、午前2時。これからはもうたぶん、朝まで寝られないだろう。夏以来、この睡眠リズムから抜け出せないでいる。規則正しい生活は、なかなか戻ってきてくれない。

2時から夜明けまではけっこう早い。『本格小説』の上巻、四分の三ほど読む。すっかり夢中になってしまった。ページをめくると時折あらわれる写真が好き。

なんか、わたしってバカみたい。みたいじゃなくて、バカだ。


2005年10月01日(土) Memphis blues again

10月になった。10月最初の朝は、二日酔いの朝だった。目の奥がどよんと重い。このところの酒量の増加はまったく憂うべきことだ。しかし、減らし方がわからない。
朝ごはん。トースト、きゅうりのサラダ、カフェオレ、ヨーグルト。ボブ・ディラン『no direction home』を聴く。5日ほど前から、朝はずっとこれを聴いている。

図書館で打ち合わせがあるため、自転車を飛ばしていく。この打ち合わせも、たぶんこれが最後となる。秋に行われるいくつかの会が終われば、この活動から身をひくことになっている。とうとう結局これにも、私は心血を注ぐことができなかった。でも、考えてみるに、はたして今までの人生において、何事かに心血を注いでみたことが一度でもあっただろうか。…、あったなあ。あったし、今もあるとは思うけれど、やり方を間違えたかもしれない。

打ち合わせ終了後、Iさんは私の右手を両手で包んで、助けてくれて本当にありがとう、これからもどうぞ元気でね、などと、二度と会えないような挨拶をした。ちょっと大げさみたいだと思ったが、ウルウルしているIさんの目をみたら何も言えなかった。

図書館からの帰り、堂島のジュンクに寄り、いろいろと本をながめた。この夏は気が狂ったみたいに本を買ったので、今月は少々自粛するつもりだったけれど、リチャード・ブローティガン『不運な女』(新潮社)のみ、一冊購入。それから『一冊の本』『図書』『月刊百科』をもらう。
昼ごはんは食べなかった。

夕方、迎えにきてくれた友人の車で、スーパー銭湯にいった。露天風呂に一時間ほどつかり、何故かキトラ古墳について熱く語る。露天風呂の他は、ハーブ湯にもつかる。ハーブ湯は思いっきりバスクリンのような匂いがした。
晩ごはんは、自宅で友人と二人でとる。玉ねぎとみつ葉のかき揚げ、オクラの天ぷら、炒り豆腐、白菜のサラダ、ビール。
夜10時頃、友人が帰る。駐車場まで送っていったら、車につんであった焼酎を一本くれた。私にはむやみに酒を与えないでほしいのだが、まあありがたくいただく。
人が帰った後の部屋は、妙にがらんどうな気がする。

後かたづけをして、台所のテーブルでコンラッドの短篇を2篇読む。


フクダ |MAIL

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