昨日・今日・明日
壱カ月昨日明日


2005年07月01日(金) 永遠と刹那のカフェオレ

 久しぶりにまとまった雨が降る。湿った、7月最初の日。

 仕事終了後、テクテク歩いて淀屋橋まで行き、京阪電車で京都へ。三条のブックオフで待ち合わせて、学生時代の友人Yちゃんと会い、一緒にごはんを食べて、ここ1年の間に起こったYちゃんの身の上話を聞く。それはあまりに濃すぎて、とてもここには書けないのだが…。

 その話を聞いたら、大方の人はYちゃんのことを「最低な女だ」と言うだろう。確かに「最低」なのかもしれない。でも、ではどうすればよかったのだろう。この人のことが好きだ、という、突発的に事故みたいに生まれて、あっという間に大きく育ってしまった感情を、どうすればよかったのだ。この気持ちの出所は一体どこで、これからどうなっていくのか、肥大していくのか終息していくのか、美しく育つのか何かにぶつかって壊れるのか、それを最後まで見届けたいというこの衝動を、どうすればいい?一瞬一瞬をひっそりと静かに大人しく楽しめばよかったのか。そして、自然に忘れていくのを待てばよかったのか。しかし、そんな賢い生き方はYちゃんも、たぶん、私にもできない。この衝動の前には、常識や理性や地位や世間体など、なにほどのものでもなくなってしまう。
 例えばこれが、15年、いや、10年前なら、自分と相手とふたりで泣いて、それで済んだかもしれないが、「家族」というものを持ってしまった今では、もうそうはいかない。しかし、車はトップギアで高速に乗ってしまった。バックできない。だからしょうがない、周囲を巻き込んだまま行くとこまで行って、みんな一緒に地獄をみてもらおう。
 こわいもんなんかない。私たちには、こわいもんなんかないよな、という話を、ふたりでずっとする。

 ごはんを食べたあと、三条から出町柳まで、ふたりで夜道をテクテク散歩した。Yちゃんと歩く京都は、まるで古いアルバムみたいだ。あんなことあったよな、こんなことあったよなー、って、思い出話がわいてくる。バカな話ばっかりだけど、あれは確かに「青春」というのものだったのではないだろうか。Yちゃんが予備校時代を思い出す時、そこに必ず私がいるだろうし、私があの時代を思い出す時、そこには必ずYちゃんがいるだろう。これから先、たとえ遠く隔たってしまっても、それはきっと変わらないはずで、「青春」という言葉は青くさいけれど、やっぱりいいもんかもしれない。

 昼休みに、旭屋で保坂和志の「小説の自由」を買った。それから「一冊の本」「草思」「月刊百科」「図書」「本の旅人」をもらう。大漁!

・購入物:保坂和志「小説の自由」(新潮社)

・朝食:バタートースト、珈琲、ヨーグルト
 昼食:弁当(ウィンナーとグリーンボールのカレー炒め、ゆで卵、アスパラ、トウモロコシ、ごはん)
 夕食:サンシャインカフェ(だったかな?)にて。レンズ豆とモロヘイヤのスープ、メキシカンなんとかかんとか、サラダ、麦酒、デザートにリンゴのバターケーキ(これ、大きくて食べるのしんどかった。しばらくケーキいらない。)


フクダ |MAIL

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