2001年09月29日(土)    中国への旅

久しぶりに実家から電話があった。
なにやら「明日から中国に行く」とのことで、お土産のリクエストを聞かれた。

父に、退職後は何をして過ごしているのかを聞こうかと思っていたのに、出鼻を
くじかれた。思い立ったらすぐ実行に移してしまう性格は、相変わらずなようだ。
母は、あんまり急な話だったので、期限が切れていたパスポートを大急ぎで作る
羽目になったらしい。(笑)

父の半ばセッカチな行動に、いつも母は文句を言っているけれど、母が自分で
旅行の計画を立てたり、人を旅行に誘う姿は殆ど見たことがない。
何だかんだといっても、父が言い出さないと旅行に行こうとしない、どちらかと
いうと出不精でお嬢様育ちの母だから、あの二人は良くも悪くもお似合いなんじゃ
ないかな〜と娘の私は思う。個人的には、まだまだ海外に行く気力に満ち満ちて
いる父に、頼もしささえ覚えるのだけれど。

二人は、9日間の日程で、北京→西安→桂林→上海と旅するらしい。LOOK JTBの
ツアーで行くそうなので、きっとそれなりに強行スケジュールなんだろうなぁ。
ただでさえ、中国は広いのだし。

肝心のお土産には、「もし目に入ったもので、綺麗な布とか陶器とかがあったら、
安いのでいいから、お母さんのセンスでお願いね。無理に買わなくていいから。」
と頼んでおいた。お土産よりも、お土産話が楽しみだ。


2001年09月27日(木)    日本にいて、できること−3

ゼブンイレブンに行った時のこと。

レジに「米国・同時多発テロに対する義援金の受付」の箱が設置されていた。
そう、阪神淡路大震災の時にも、有珠山噴火の時にも設置されたやつだ。

レジでの会計の時に、半端な小銭を箱に入れるだけでいい。
小額を気軽に入れることが出来て、お手軽だ。

他のコンビニでも、同じような義援金の受付をしているのだろうか。
試しにローソンを覗いてみたけれど、そのような箱は見当たらなかった。

たしか、日本テレビの24時間テレビの季節に、募金箱を設置しているのは
セブンイレブンだったっけ?
レジに置いてある募金箱というと、やっぱりゼブンイレブンを思いつく。


2001年09月26日(水)    漢和辞典

本屋で、久しぶりに辞書を買った。三省堂の「新明解 漢和辞典」と、コンパクトな
「ロワイヤル・ポッシュ仏和・和仏小辞典」の2つ。

辞書を買うなんて、大学生以来かな。。。
と思っていたら、そうだった、大学院に入った時に、英和辞典は分厚い研究社の
「リーダーズ英和辞典」を買ったんだったっけ。(笑)

少し前に、漢字の意味や読みを調べようとして、うちには漢和辞典がないのに
気がついた。多分、実家に置いてあるんだろうけど、この際買うことにした。

久しぶりに漢和辞典を手に取って、最初に引いた字は という字。

【宗】  漢 ソウ/呉 シュ/慣 シュウ
  [1] ムネ、モト  → (a) おもだったこと (b) 一番大事なところ (c) おおもと
  [2] かしら、第一人者    [3] 祖先、祖についで有徳の人
  [4] 家元、本家  [5] 同じ祖先から出た一族  [6] 世継、嫡子

私の名前を決める際、知り合いのお坊さんに幾つか候補を出してもらったうちの
一つだったらしい。しかし、お坊さんが候補を出してこの字とは、少し笑える。

私自身は、少し変わった読み方と漢字を用いるので、小さい頃は大嫌いだった。
それが少しずつ好きになっていったのは、高校生くらいの頃だったと思う。
漢和辞典で漢字を引いて、その意味を知ったのがキッカケだっただろうか。
その名前に恥じないように生きていきたいなぁと思ったものだ。

どちらかというと、男性の名前に使われる文字を授かった私は、名前に影響され
てか、親の思惑とは裏腹に、だいぶ男らしく育ったような気がする。


2001年09月25日(火)    日本にいて、できること−2

ウィルスの心配もあるので、あんまり見に行きたくないんだけど・・・ (^_^;
MSNの「ニュース特集」を見に行くと、画面右端に義援金受付のリンク
紹介されている。

その中にあったものの1つ。
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クリックで救える命がある −緊急フリー募金−
米テロの被害者に対するフリー募金(クリックのみで、無料で募金が出来る
システム)を開設。1クリックすると、10円が米赤十字社に送られる仕組み。
詳しくはココ。
     ↓


-----

ただ募金ボタンを押すだけで、たった数円とはいえ募金が送られるんだから、
毎日見に行くようにしている。
でも、それじゃー、あんまりにも微々たる金額でしかないし、やっぱり自分の
懐からも少しでも出したい。。。

というわけで、同じくMSNからのリンクで見つけた、日本赤十字社がやっている
「米国同時多発テロ事件被災者救援金」に送金しようと思う。

ちなみに、募集期間は 平成13年9月18日(火)〜10月17日(水)。
(但し、アメリカ赤十字社の救援状況等に応じ、延長を検討するらしい。)
振込み先は、日本赤十字社の郵便振替口座で、送金手数料は無料。
詳しくは、日本赤十字社を参照してほしい。

日本にいても、できることってある。


2001年09月24日(月)    日本にいて、できること−1

大学時代の後輩から、Ynotのeカードが届いた。
「グローバル・ピース・キャンペーンeカード」というもの。
1送信=1円に換算されるらしい。

詳細は、以下のとおりだ。(Ynot より)
-----
Ynotは、
神戸元気村(NGO(非政府支援団体))主催の「グローバル・ピース・キャンペーン」
アメリカの新聞広告に平和の全面広告を出そう〜に参加することにいたしました。
今回Ynotが参加する「グローバル・ピース・キャンペーン」は、先日発生した
アメリカ同時多発大規模テロをうけて、"米国の有力紙に平和の全面広告を出そう"
という目的のもの
で、Ynotは、日本からできる1つの手段としてこのキャンペーンに
参加することを決定いたしました。
ユーザの皆様がグローバル・ピース・キャンペーンeカードを送信することによって
得られる広告料を、このキャンペーンに割り当てます。1送信1円になります。
-----

久しく連絡を取っていない友達に送ってみたいと思う。
但し、チェーンメールみたいに弊害が起こらないといいのだけど。(少し心配)


2001年09月23日(日)    祝!昇級!

なんのことはない、テニススクールの話。

先月の私に続いて、今月は、なんとKin・chanが「来月から一つ上のクラスに
行ってください」と、レッスンの途中でコーチに言われたらしい。
彼は、ビギナー(初級)クラスだったので、来月からはめでたくアベレージ
(中級)に昇級ということになる。折りしも、通い始めて丸一年が経っていた。

私は、昨夜から少し風邪気味で、今日は喉も頭も痛かったのでテニスはお休み。
「こんな快晴で気持ちよさそうな日にテニスできないなんてガッカリ・・・」と
思いながら、家で大人しくお留守番。

一方、Kin・chanは、先週のレッスン時にコーチ2人に「調子はどうですか?」と
聞かれたらしく、「へへへ〜、今月は俺も昇級かな〜♪」とソワソワしながら
出かけていった。そしたら、本当に昇級していたのでビックリだ。

レベルに合わせてクラスが上がるというのは、小学生の時の水泳以来だろうか。
何だか、久々なので2人とも新鮮に感じているし、ささやかなことなんだけど、
自分がレベルアップしている手応えが感じられて嬉しい。こういうのは、何歳に
なっても嬉しいものなんだろうなぁ。

それにしても、Kin・chan、もう少し早く上がってたら、同じアベレージクラスで
テニスができたのにね〜。二人が同じコートで一緒にテニスしたのって、今年の
正月以来だもんねぇ。(笑)


2001年09月22日(土)    秋の気配

世間では3連休の今週末。
我が家のKin・chanは、土曜出社の日だったので、会社へ。

空気が乾燥して澄んでいる。空が高い!! 季節はすっかり秋模様だ。
秋は、私の一番好きな季節。だから、何だかウズウズしてしまう。

食欲の秋、スポーツの秋、読書の秋、芸術の秋。。。
秋から春にかけての季節は、お洒落するのも楽しい。重ね着が出来るから。
ブーツを履いたり、セーターに包まれたり、フカフカのお布団で寝たり。
あぁ、これから巡ってくる季節は、なんて素敵な季節なんでしょ。

あんまり良い天気なので、ちっとも勉強する気が起こらず、今日は体を動かす
ことに決めた。やれやれ、今週後半は体調がlowだったし、勉強に関しては進捗が
悪い。でもまぁ、そういう週もあるよね。〆切まで、あと3ヵ月半。

ベランダに布団を干して、洗濯3回。えぇい、シーツも洗っちまえ〜。
結局、洗濯機を4回くらい回した。カーテンも洗いたくなったけれど諦める。
そして、部屋の掃除。う〜ん、油断しているうちに埃が溜まっている。(笑)

午後の半日、シャキシャキと働いたら、家中がスッキリした。あー、爽快。

夕方、会社のKin・chanからメールあり。すかさず、本日の成果を報告。
「そんなに働いたなら外食にしようか」とのことで、夕方から溝の口マルイへ。

地下の食料品売り場で「馬路村のポン酢」を買って、レピシエに寄る。
9階の催事場では、北海道物産展をやっていた。六花亭もロイズも出店している
けれど、お目当てのアイスクリーム屋「くりーむ童話」はなかった。残念。

秋がやってくるのを肌で感じながら、平和にノホホンと過ごした一日でした。


2001年09月21日(金)    ユニクロopen

自宅から自転車で行ける距離に、ユニクロがopenしたのを、今日の新聞の折込
広告で知った。

消耗品(特にKin・chanのもの)は季節の変わり目になると、わざわざ車で東名・
川崎I.C.近くのユニクロまで出向いて買ったりしていたので、近くに店が出来た
ことは嬉しい。でも、偵察に行ってみたけど、あんまり大きくないし、立地が
今一つの場所なので、果たして集客力があるのかは疑問。駐車場も小さいし。

ここんとこ、うちの近所は新築マンションのラッシュが続いているから、
8月のbook・offともども、郊外型の店が相次いで出店しているのかなぁ。
できれば、もっと駅に近いか、歩いて帰る途中の商店街にできたら、とっても
利用しやすいと思うんだけどなぁ。

東急田園都市線・青葉台の駅前には、東急スクエアというのがあって、改札を
出るとすぐにユニクロがある。他にも、無印良品とか、スターバックスとか。
さすがにうちの最寄り駅に、あんなすごいのを作れとは言わないけれど、せめて
溝の口の駅前を、もう少し開発して欲しいよ。>東急電鉄さん

あとは、近くにTSUTAYAとスターバックスができると嬉しいんだけど。(^_^;


2001年09月20日(木)    マイブーム

最近、個人的にハマッていること。

NHK「きょうの料理」のテキストを買うこと
  毎月買うわけではないけど、写真が綺麗なので見てるだけでも楽しい。
  もう終わってしまったけれど、今月の清水信子さんの「里芋の煮っころがし」は
  TVで放映も見た。とても丁寧で分かりやすく、和食の奥の深さと、手間隙を
  かけることの大切さを、動線の中で視覚的に知ることができた。
  既に発売している10月号は「秋のいろいろご飯」がテーマ。
  Kin・chanは炊き込みご飯が大好きなので、さて、何から作ろうか。

■通販カタログを見ること
  特に何を買いたいわけでもなく、ただカタログを眺めているだけでも楽しい。
  今見ているのは、千趣会の「ベルメゾン ミックス」。
  気がつくと、沢山のページに折り目を付けてマークしている。(笑)
  これとは別に取り寄せて眺めてみたいのは、同じ千趣会の「新/生活館」と
  「ホームベース」。どちらもインテリア関係のもの。
  そして、何はさておき楽しそうなのは「マンスリークラブ わくわくの森」!
  この間、本屋で立ち読みしたら、毎月、雑貨や手作りのホビー商品などを
  届けてくれる、個人で楽しめる頒布会のカタログだったから。
  そういや、だいぶ昔、会社の部署の何人かで取ったことがあったっけ。。。

どれもささやかなものだけれど、ささやかだからこそ、幸せを感じることばかり。


2001年09月16日(日)    戦闘準備

土曜の夜、Kin・chanの実家の近くで、Kin・chanの友達2人と一緒に、焼肉を
食べに行った。Kin・chanの実家は、米軍・厚木基地の近くにある街。

友達の1人は、Kin・chanがいつも散髪でお世話になっている、なちゃさん。
もう1人の友達ともども、中学が一緒で、中卒で理容師の道に進んだ。
焼肉が大好きで、今回の飲みの誘いも、なちゃさんが言い出しっぺだった。

昔からあった店が改装し、沢山のお客さんで賑わっていた店の焼肉は、とても
美味しかったし、会話も弾んで楽しい一時だった。

でも、19時に店に入る前も22時に店を出た後も、上空を戦闘機が飛び回って
いた。ものすごい轟音をまき散らし、F16戦闘機らしき機影が通り過ぎていく。
いつもなら21時には終わるはずの演習は、22時を過ぎても続いていた。

厚木基地は、横須賀にある基地とセットにされていて、船に乗る戦闘機の練習場
でもあるので、ひっきりなしにタッチ&ゴーの離着陸の練習をしているようだ。
後でTVを見て知ったのだけど、船の上の狭いスペースで離着陸をするのは、
まるで墜落するような衝撃を伴うらしく、1日でも練習を怠ると上手にできない
ものらしい。

いつもなら考えられない時間帯に鳴り響く轟音と、通り過ぎる回数の多さが、
尋常ならぬ雰囲気を辺り一帯に漂わせていた。今は有事なのだ、と示すように。

普段は感じないことだけれど、日本はアメリカの同盟国である。
故に、アジアを視野に入れた場合に拠点とされる米軍基地も数多くある。
今回のように、アメリカが標的とされた場合に、日本の米軍基地が同じように
標的として狙われないとは考えにくい。

米軍基地が近くにある場所に住んでいる人と、そうでない人が、今回のテロ事件の
後に感じる不安=予想される戦争突入への不安は、きっと肌での感じ方が違うん
だろうな、と思った。誰だって、身近なものに対して一番恐怖心を感じるものだ。


2001年09月15日(土)    骨髄ドナー登録キャンペーン

アメリカでのテロ事件がきっかけで、骨髄ドナー登録のことを調べていたら、
色々なことが分かると同時に、今まで関心が低かったことを反省している。

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骨髄バンク事業は、国(=厚生省)主導のもと、(財)骨髄移植推進財団が主体と
なり、日本赤十字社および都道府県の協力により運営されている公的事業です。

骨髄バンクは、世界40の国と地域にあります。
国内の骨髄バンクで適合ドナーが見つからない患者さんを救うために、各国は
相互にHLAデータの交換や骨髄提供を行っています。
日本骨髄バンクは、1997年4月から全米骨髄バンク等と提携し、1998年4月から
世界各国が参加するBMDW(世界骨髄バンクドナーデータ集計システム)に参加
しています。

■世界の主な骨髄バンクのドナー登録者数(2001年1月現在)
  アメリカ/330万人、ドイツ/149万人、イギリス/44万人、イタリア/27万人
  カナダ/21万人、台湾/19万人、オーストラリア・ニュージーランド/15万人
  日本/13万人、フランス/10万人、香港/3万人、韓国/2万人

■世界総人口  2000年央に60億人突破(年7500万人の増加)
  アメリカの人口  2億6790万人(2001年1月)
  日本の人口    1億2668万人(2001年1月)

(以上、財団法人骨髄移植推進財団(日本骨髄バンク)のしおり「チャンス」より)
-----

上の資料を見てもらえれば、きっと気付くと思うけれど、日本はアメリカに比べ
約2分の1の人口なのに、ドナー登録の登録者数は10分の1にも満たない。
フランスを例外にして、先進国の中で最も少ないといえる。
そして、日本より面積も人口も少ない台湾の方が、登録者が多いのだ。

とても残念に思うとともに、自分自身も意識が低かったことを反省している。

ちなみに、骨髄バンク(骨髄移植推進財団)では、donorsnet.netという
骨髄登録のキャンペーンサイトを立ち上げているようだ。
この「石鹸日記」の下の方の広告バナーとして、最近になって見かける。
興味のある方で、もしピンクのバナーを見かけたら、アクセスしてみては?


2001年09月14日(金)    それでも地球は回っている

アメリカ・N.Y.での同時多発テロ事件発生から、丸3日が経とうとしている。
日本のTV番組は、徐々に日常を取り戻しつつあり、昼間は通常の番組が放映
されるようになった。私は衛星第1のABCを見たりしている。

丸2日経つ間に、アメリカ西海岸(ロスとサンフランシスコ)に住む友達2人と、
カナダ(カルガリー)に住む友達1人と無事に連絡が取れ、ひとまずホッとする。
3人とも会社時代の同期なので、4人で互いの状況などメールを送りあっている。
西海岸に住む2人は同じ会社の別支店で働いているけれど、どちらもオフィスが
クローズしたため、1日ニュースを見て過ごしていたらしい。

ロスの友達は、次のように心中を語る。
「おとといの朝6時半(ロスの時間)、実家の母に電話で起こされ、何が何だか
わからないままテレビをつけたところ、信じられないような映像が広がっていた。
(中略)NYの次に狙われるのは、もしかしたらL.Aかもしれない。ちょうどNYが
狙われた朝9時だし。怖くなった。会社に電話したところ、”社員の安全のため、
今日1日オフィスはすべてクローズするという判断を、会社が下しました。”と
入っていた。ほっとした。絶対次はロス・・・と思ってたから・・・」

それにしても、衛星第一でのABCや日本の報道番組を見ていて思う。
N.Y.は、何て団結力の高い地域なのだろう。そして、アメリカ人の行動の早さ!
アメリカという国柄として、もともとボランティアが盛んなのもあるのだろうが、
「困った時は助け合う」精神が浸透しているのは本当に素晴らしいと思う。
ABCを見ていると、特に女子学生や主婦が率先して何かしようとしている。

「現場に行けない私達に出来ることは、これくらいだから」と献血に来た女性。
ダウンタウンに向かう消防隊や警察に、ボランティアで水や食料を手渡す女性達。
医師として、技術職として、N.Y.の病院などでのボランティアを申し出る人。
病院や公共施設の前で、ボランティアの募集に声を張り上げる学生達。
消防署や病院などの現場に、食料や花束を差し入れる沢山の人々。

その中の1人の女性が、TVのインタビューに答えて言った。
「TVを見て、何かしないではいられなかったから」

一昨日の私は「今の私には、ただひたすら祈ることしかできない。」と書いた。
あの時点では、確かにそうだったかもしれない。しかし、今は違う。
なるべく早いうちに、献血ドナー登録に行こうと思っている。

ちなみにドナー登録は、骨髄データセンター(兼献血ルーム)か保健所で行われて
いる。献血にしてもドナー登録にしても、大体同じ場所で出来るので好都合だ。
自分の住んでいる地域では、何処に行けばいいのかについて、Netで確認できる。
骨髄データセンター・献血ルーム
骨髄提供希望者(ドナー)登録受付実施 保健所

果たして、それが直接的に今回のN.Y.での事件に役立つか?というと分からない。
でも、ほぼ同じタイミングで、カルガリーに住む友達が同じ事を考えていたのを
知り、それがとても嬉しくて、そして私の背中を大きく押した。自分にできる
ことは、それがどんなに小さくてどんなに微々たることでも、何かしたい。

丸3日が経とうとしている現地のN.Y.も、少しずつではあるが、日常を取り戻し
つつあるようだ。受けたダメージから一早く立ち直ることで、力強いアメリカを
アピールすることができるし、国民の不安感を和らげることもできる。
各種スポーツで、自分がピンチに陥った時、少しでも早く回復することの重要性を
よく知り、しかも上手に実践するアメリカ人は、実生活で逆境に遭った時にも、
精神的な強さを発揮できるのかもしれない。

メトロポリタン美術館の前でインタビューを受けた女性(20代半ばくらいの若くて
エネルギーに満ちた素敵な女性)が発したコメントが、力強くて印象的だった。

「今回のような恐ろしい事件が起きても、私達は生きていかなければならない。
生きていくために、外に出なければならないし、新しい場所にも行かねばならない
のです。私は楽観的なので、もしそれで事件に巻き込まれたとしても、それは
それで仕方がないと思います。」


2001年09月13日(木)    西海岸の様子

昨日の惨事に対し、ロサンゼルスに住む友人(の旦那様)のコメント。

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朝6時半ごろ寝ていたところへ、日本からの電話で事件を知った。慌ててTVを
付けたら、あの飛行機がビルに突っ込む映像。朝の眠気は、すぐにふっとんで、
TVにくぎ付けになった。

数時間後、状況が少しは把握できてきたところで、仕事場に行ったけど、もちろん
仕事先でも皆TVにくぎ付けで、たまに仕事をしてみるものの結局一日中集中する
ことはなかった。なかには休んでいる人もいたし、仕事場にきたものの結局一日中
完全にTVを見ていた人もいたぐらい。

多くの人が家でTVを見てるせいか、交通も普段より空いていた気がした。
もちろんダウンタウンやLAX(ロス空港)の様な要所は別だろうけど。
昼をとりに出た時は、普段以上の人が街にいた。と言うのも、多くの学校が休みに
したり早退にしていて、早く家に帰った高校生がやることもなく街にぷらぷらと
出てきた感じ。そんな感じの一日(仕事時間)を終えて家に帰ってTVを観てる。

このテロ事件は、様々な人に様々な衝撃を与えていると思う。
日本でこの事件がどう報道されているのかわからないけれど、アメリカでTVを
見ていると、日本人としてかなり気になる事がある。
この事件の規模を説明するために、何度も何度も、「この事件はパールハーバー
以来の惨事」とか「バールハーバー以上の負傷者を出すだろう」と、日本軍の
真珠湾攻撃との比較がされる。本当に頻繁に。旅客機を「神風」と呼んだり。

TVを観ていて「恐ろしい事件」と寒けを感じて客観視している事件が、自分の
母国が過去にとった行動と同等に扱われている。「これを起こした奴はひどい」
と心から感じている時に、その酷さと同様なものを自分の祖先が与えたと思うと、
なんともいたたまれない気持ちになる。

もちろん広島、長崎を考えれば、「誰が悪い」という指摘ではないことはわかる
ものの、それでも何度も繰り返される言葉に不快を覚えてしまう。今回の事件が
惨ければ惨いほど、自分が歴史に攻められている気さえしてしまう。

ブッシュ大統領が会見する時も、「国民(=citizen)の安全」というように、
もちろんなんだけど「国民」を強調する。アメリカ人と殆ど違いを感じずに生活
している毎日に水をさされ、自分が日本人であり、アメリカの国民ではないこと
を思いだす。

事件の規模が大きすぎて、まだまだ事態の酷さがわからない今夜です。
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2001年09月12日(水)    戦慄

昨夜23時過ぎにTVをつけたら、衝撃的な映像が目に飛び込んできた。

N.Y.が大変なことになっている。ワシントンDCも。
あのウォール街の象徴であり、NYマンハッタンのシンボルでもある世界貿易
センターのツインビルが倒壊している。
航空機が追突する瞬間の映像も、ツインビルが崩壊する瞬間の映像も、まるで
ハリウッド映画の特撮を見ているみたいで、あまりに現実感がなく言葉が出ない。

23時半過ぎに会社から帰ってきたKin・chanと2人、TVから目が離せない。
ついさっきまで、今日のニュースは首都圏直撃の台風の話題一色だったのに。

哀しくて、怖くて、言葉が見つからない。なぜ?どうしてこんな形で。
TVで何度も繰り返される航空機が突っ込むシーン。
暫くして、ようやく状況が飲み込めた頃、涙が出始め、そして止まらない。

生まれてこの方、日本に住んでいる限り安全だと思っていた。
このまま人生が平和に終わるように思っていた。
でも、ずっと世界の何処かで紛争が起こり続け、10年前にも中東情勢が不安定
となり、湾岸戦争が起きた。本当は、何ら保障されていない安全だった。

いつだって、それが分かるのは、安心しきって油断した時なのかもしれない。
私が、こうして日本で安穏と暮らしてる間にも、世界の何処かで争いによって
生命を奪われている人もいる。ただ単に、知らないふりをしていただけだ。

神様、いつも小さなお願い事の多い私ですが、今日は最大級のお願いをします。
これ以上、哀しい出来事が起こらないよう、人々をお守りください。
今の私には、ただひたすら祈ることしかできない。


2001年09月11日(火)    台風15号

まさに今日の午前中、うちの近辺を台風が通過した。
TVで言っていたけど、台風が関東を直撃&上陸するのは12年ぶりだそうだ。

台風は、午前10時過ぎから11時半までの1時間半がピークだった気がする。
なんで、そんなに断定的に言えるかって?
TVで台風情報を見ているからっていうのもあるけど、風向きが変わったから。

TVで仕入れた情報によると、台風が向かってきている時の風向きは、南&東の
方向から風が吹き、通り過ぎると北や西からの風に変わるそうな。
よくよく考えれば、台風は反時計回りに渦巻いているわけだしね〜、と納得。

それにしても、10時半前後の雨風はすさまじかった。
4階の南に面しているリビングの窓から外を見ると、左の方からほぼ真横に
向かって、風がゴーゴーと吹いていて、大粒の雨が流されていた。
一歩でも外に出たら、全身ずぶ濡れになること間違いなし。

幸いなのは、Kin・chanが会社に出勤する時間帯は、雨は小降りだったこと。
会社に行くには多摩川にかかる橋を渡らないと行けないKin・chanは、多摩川の
増水加減を心配している。

川崎市幸区では自主避難をした地域もあるそうだ。
しかし、台風のピークとともに一時は危険水位まで達した多摩川も、夕方には
水量がダウンした模様。このまま落ち着いてくれるといいのだが。

雨は夜にはあがるだろうか。台風一過で、明日は晴れるといいなぁ。


2001年09月09日(日)    姉妹対決

ご多分に漏れず、全米OPENテニス女子決勝戦のこと。
全米OPENが、国内開催でなく世界にOPEN化されてから初めてのことらしい。
確かに、今まで姉妹にしろ兄弟にしろ、聞いたことがない。

今朝は9時から、TBSで中継されている試合を見た。
昔、「どうして黒人のフィジカル面が素晴らしいことは陸上などでも、証明されて
いるのに、テニスだけは黒人選手が台頭しないんだろう」と思っていた。
それが今、現実のものとなっている。

テニスというよりも格闘技に近い、ウィリアムズ姉妹による決勝戦は、姉の
ヴィーナスが勝利をものにした。

一昨年は妹のセレナが、去年は姉のヴィーナスが優勝し、今年は姉の2連覇。
ということで、ここ3年ほど全米はウィリアムズ姉妹の天下だ。
このパワーテニス時代が、いつまで続くのか、楽しみなような、そうじゃない
ような。。。


2001年09月03日(月)    ホンジャマカの石塚さん

北海道から東京への帰りの便で、ホンジャマカの石塚さんと一緒になった。

前日のNHK第2の番組で根室と釧路からレポーターを勤めた、その帰りだと思う。
搭乗手続きと手荷物検査を終えて、搭乗口まで移動した後のことだった。
搭乗前にトイレに行って出てきたら、目の前にあの大きな体をした人が立っていて
こっちに向かってくるからビックリした。やっぱり大きくて目立つ。(笑)

搭乗口の近くですれ違い、その後は搭乗口前の待合いイスに普通に座っていた。
白いTシャツにオーバーオールの姿は、まさにTVのまんま。今にも「まいう〜♪」
と言いそうで、皆が皆、その存在に気がついてチラチラと見ている。
でも、ちょっとお疲れ気味のように見えた。

Kin・chanの座っている席に戻って、斜め2列後方の席に座っていることを教えて
あげると、「わぁ〜、本物だ〜」と嬉しそう。「写真、撮りたいなぁ。」と言う
彼を制止して、搭乗が始まるまで石塚さんの様子を観察することにした。

羽田発の便が遅れたために、私たちが乗る便も10分ほど遅れるとのことだった。
すると、若い女の子や老齢の夫婦などが、すかさず写真をお願いに行く。
彼は、嫌な顔一つせず、写真を撮る瞬間には「まいう〜」の顔になっていた。
さすがプロ。そして、写真を撮った後も世間話に付き合う彼は、できた人だ。

その後、飛行機は無事に飛び立ち羽田に着いた。おそらくスーパーシートの席に
最後に乗って最初に降りたであろう石塚さんは、既に飛行機の中にはいなかった。

しかし、よほど疲れていたのだろう。出口に向かうまでの通路で、歩く歩道の上で
立ち止まっている彼に、追いついてしまった。Kin・chanは、ここぞとばかりに、
歩きながら歩道の上の彼に声をかけた。すると、彼は、とても気さくに、そして
普通に答えてくれた。

  きん「石塚さん、昨日のNHKのTV、見ましたよ〜」
  いし「あ!ありがとうございます〜。」
  きん「あれ、最後は何処で中継していたんですかー?」
  いし「え〜と、最初は根室で、最後は釧路川のほとりの所でした」
  きん「そうですか〜、お疲れ様でした〜。」
  いし「・・・(ペコリ) (^_^;)」

ここで、後日談がある。

実は、ホンジャマカの石塚さんは、うちの割と近くに住んでいるらしい。
川崎市内の某所に住むSさんに、このことを話したら、「そういえば、うちの
マンションの一画に住んでるんですよ、彼。」とのこと。この日の夕方も、近所の
イトーヨーカドーで買い物をしている姿を、旦那さんが目撃したらしい。

芸能人って、あまり目撃したことはないけれど、普通はサングラスや帽子を身に
付けたりしてカムフラージュしたり、見つかっても無愛想だったりするものだと
思っていた。(笑) でも、彼はとても普通の感覚の人で普通の対応をしていたのが、
印象的だった。尤も、あの体型だと、カモフラージュも何もあったもんじゃーない
のかもしれないが。



Daily Journel@M403



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2001年09月30日(日)    再び 「風になった日」

高橋尚子選手が、ベルリンマラソンで世界新記録を出して優勝した。

TVでマラソンの中継をしているのは知っていたけれど、あいにくKin・chanが
体調不良で休んでいたので、生中継を見ることもなく夕方を迎えた。
夜になって、すっかり復調したKin・chanがTVをつけて、「あっ、高橋尚子が
世界新で優勝だってさ!」と話しかけてきて、結果を知った。

昨年のオリンピックの後、高橋尚子選手は8kgほど太った時期があったらしい。
ニュース番組で映された"8kg太った高橋選手"は、たしかに顔がまん丸だった。
しかし、一年で体重を元に戻し、直前の4ヶ月はボルダーで走り込んでの出場。

オリンピックで優勝した後の初マラソンは、想像以上にプレッシャーがかかって
いたんではないかなと推察する。それを乗り越えて、世界新記録での優勝。
いや、むしろ、それは杞憂か。インタビューの内容を聞くと、彼女にとっては
シドニーとベルリンでは達成すべき目標が違ったのだから。今回は、シドニーで
果たすことの出来なかった"世界新記録"が目的だったのだから。

それにしても、走り終えてもアッケラカンとしてインタビューに答える彼女は、
天性のランナーなのだろう。何よりも走ることが大好きで、それでいて夢や目標を
達成するために日々の努力を怠らない彼女の姿には、脱帽してしまう。

昨秋、高橋尚子選手がシドニーオリンピックを振り返って著した本を読んだ。
  「風になった日」  高橋尚子;著/幻冬舎

この本を読むと、彼女が負けず嫌いであると同時に、楽天的でユーモラスである
ことが分かる。何より自分の周りにいる人々(特に小出義雄監督)に心から感謝
しているのが伝わってくる。

〜監督と出会って、この4年間の時間の中で、私の人生は変わったし、人は
  変われるものなのだと、本当に実感している。「自分はもう年だから」とか、
  「私は就職しちゃったから」とか、そんな諦めはまったく必要がない。
  私のように弱い選手でさえ、夢や希望をもって頑張るだけで、こんなにも違う
  人生を味わうことができるのだ。夢をもって頑張れば、必ずかなえられる。〜

大事なのは、彼女は、"天性のサラブレットで小出監督に気に入られた"わけでは
なく、自ら監督にアピールしにいっていることである。入社時も、入社後も。
そして、入社後も、すぐにチャンスが来たわけでない。有森選手がいたのだ。
しかし、彼女は諦めなかった。少しの時間でも自分に時間を割いてくれた監督に、
不満をぶつけるどころか、感謝していた。

よく「チャンスの神様は前髪しかない(後ろ髪がない)から、来た!と思ったら
すぐに捕まえないとならない」と言うけれど、彼女は、まずチャンスが来るまで
諦めずに辛抱強く待ち続け、そしてちゃんと捕まえた人なんだなぁと思う。

諦めないことも大事だけれど、夢や希望をもって頑張り"続ける"ことが難しい。
言うは易く行うは難し。そんな彼女が、再び風になった日を迎えてくれて嬉しい。


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