2001年06月29日(金)    尚仁沢湧水

先週の日曜に、栃木に住む実父がわざわざ車で運んで持ってきてくれた、栃木県
の湧水 尚仁沢湧水(しょうじんざわゆうすい) を毎日飲んでいる。
尚仁沢湧水は、硬度が低く料理に適しているようで、口に入るものには何にでも
使えるようだ。

ただ飲むだけでなく、毎日の料理(味噌汁や炊飯、お茶など)にも使っているの
だが、2週間くらい使ってみて分かったことは、我が家では大体1週間で10L
くらいを消費するペースだということ。日曜に、父が持ってきてくれたのは、
10Lタンク3つだから計30L、これで3週間ほど持つということになる。

さて、この尚仁沢湧水、前にも少し触れたが日本名水百選の1つで、
全国利き水大会人気ベスト10とかいうので1位になったこともあるそうだ。

父は、勤務先の同僚に話を聞き、5月から半月に一度のペースで、片道1時間かけ
汲みに行っているらしい。「飲み始めて半月ほどで、病院で血圧を測ったら下が
80上が120で、20年前に戻った感じだ」とのこと。会社の同僚の方は、一年前に
飲み始めたそうだが、今年の4月の健康診断では血圧が正常値に下がったらしい。
効験あらたかかどうか怪しいが、飲んで美味くて健康的ということなら文句無し
ということで、父は大変満足そうである。

以前、宇都宮に住んでいたことのある友達に話したところ、この湧水は彼女も
知っていて、宇都宮市内の飲食店では「尚仁沢湧水を使用しています」という
張り紙をしている店もあるらしい。とにかく大層並んでいて時間がかかるらしく、
「知ってはいたけど汲みに行ったことはない」とか。

たしかに水はタダだけど、汲みに行って持ち帰るには非常に労力がかかる。
しかし、それをしても飲む価値がある水ということか。週末には、県内だけでなく
県外からも汲みに来ている人が多く、横浜ナンバーも見かけるという。


2001年06月28日(木)    夏越祓(なごしばらい)と『水無月』

広尾でのバイトの帰りに、都バスに乗って渋谷に出て、東急東横店に寄った。
たまには、そんな寄り道もよいかと思って。

そして、東急東横店の中の「とらや」で、ふと目に止まった『水無月』という
三角形の和菓子を買ってみた。茶道の心得も無いので、初めて目にする菓子だ。

陰暦6月の異名は「水無月」。暑さで水が枯れることから水無月(ミズナシヅキ)
の意で付けられたといわれている。

この『水無月』という和菓子は、関東では聞き慣れないが、京都の人にとっては
6月30日の夏越(なごし)の祓いに欠かせないものらしい。三角形の外良生地に
小豆を散らしただけの素朴なもので、6月になると、どこの和菓子屋の店頭にも
並ぶとのこと。なるほど、他の和菓子屋の店頭にも同じように置かれている。
夏越祓にちなんだ『水無月』は、6月30日に食べる習わしになっている。

夏越の祓いは、平安時代にまで溯ることの出来る伝統的な行事らしい。
暑さが厳しく、病も流行りやすいこの時期、そしてちょうど一年の半分が終わる
6月の末日に、厄祓いを願って行われた。現在も、京都上賀茂神社、北野天満宮
ほか各神社で行われ、茅(ちがや)または藁(わら)で作った輪をくぐりぬけたり、
紙で作った形代(かたしろ)を境内の川に流したりするそうだ。

ところで、『水無月』の三角形は、川の両岸に立てる斎串(いぐし)の幣を見立てた
とも、氷を表すとも言われ、また、夏越祓の神事に使う御幣の形という説もある
そうだ。

三角形の由来だけでなく、小豆がたっぷりと使われていることにも意味がある
らしい。小豆は、古来より邪気を祓うと信じられていた赤い色をしており、また
ビタミンB1を多く含むなど栄養価も高い。暑い夏を耐え抜くため、暑気払いに
栄養価の高い小豆を食べることには、健康に夏を乗り切ろうという古人の願いと
知恵がうかがえる。(以上、とらやのHPより)

水無月の なごしの祓へ する人は 千歳の命 延ぶといふなり (拾遺和歌集)

過ぎさりし半年の無事に感謝し、来たる半年の無病息災を祈る。
石鹸を作り始めて季節の移り変わりに敏感になったからこそ、季節を意識した行事
に興味のある最近の私には、夏越祓は、とても魅力的な行事に感じられる。
Kin・chanが帰ってきたら、お茶と一緒に美味しくいただこうと思う。

それにしても、和菓子には、何て石鹸作りのイメージにピッタリなお菓子が多い
のでしょう。特に羊羹!「夏の山路 」に「木蔭の水」なんて素敵すぎる!(><)o


2001年06月27日(水)    夏が来る

「夏が来る」っていう題名の歌がありましたね。そんな歌を歌いたくなった日。
今週の関東は雨知らず。昨日今日と暑いです。今年初の真夏日?!うっひゃー。

特に火曜日が蒸し暑かった。家の中でPCに向かって座っているだけで、膝の裏
とかにジトッと汗をかいてました。「あぁ、こんな日は冷房の効いた喫茶店で
コーヒーでも飲みながら、優雅に読書としけこみたい!」と思いつつ、朝から
溜まった洗濯物と格闘したり、次々と布団を干したりしていました。(^_^;

でも、火曜日はまだ曇りがちで、陽射しの強さはそれほど感じませんでした。
いや、単に家の中にいたせいかもしれませんが。

しかーし、今日・水曜日の陽射しは半端じゃなかったです。
午前9時から正午まで、大学のコートで後輩とテニスをしました。
この日は午後の全体練習が休みになるので、レギュラーの3年生の子と一緒に
フリー練をする約束をしていたのです。

「どうせ梅雨だし曇ってて、午前中だったら暑さもマシかも」と思っていた
私の目論みは見事に外れました。時々雲がかかったりしていましたが、雲間から
太陽が現れた時の、ジリジリとした陽射しの強さは強烈でした。

しかも暑いから汗をかいてます。その汗のにじんだ腕がよく焼けました。(笑)
不覚にも日焼け止めを腕に塗るのを忘れていたので、既に私の腕は真っ黒、いや
今日のところは真っ赤です。あぁ、つい最近、友達に「もう若くはないんだから、
日焼けには気をつけるように」と忠告を受けたばかりなのに。

昔、オーストラリアを旅した時にケアンズで出会ったパース在住の老夫婦2組、
その奥様方は二人とも、顔も腕もシミとソバカスだらけでしたけど、でもとっても
生き生きとしていて「いつか、ああいう風に歳をとりたい」と思ってきました。
今でも、その気持ちに変わりはなく、シミやソバカスを気にして、ただ美白を守る
ためだけに、陽の当たる場所を避ける生き方はしたくありません。
(もちろん、それ相応のケアや予防は必要だと思っていますが・・・ (^_^; )

8月上旬の真夏生まれなのに夏に弱い、そんな私の守護星は太陽。
たしかに雨よりも晴れの方が好きだし、太陽も大好きです。
そして、猫の茂吉も8/20生まれでしたから、お互い夏生まれの獅子座です。

しかーし・・・ ただでさえ色白な私にとって、この時期の太陽は天敵。(^_^;
今回ばかりは、ありのままが一番!とはいえ、だいぶ下焼きをしていたとはいえ、
やはり日焼け止めを塗り忘れたのは不覚でした。 うーん、反省!(><)o


2001年06月26日(火)    異変?! その2

今日、外出から戻り、またまたいつもの癖で例のツバメの巣を見たら、なんとっ
白いプラスティックのザルの覆いが無くなっていた!!

昼間の明るさの中で見た巣は、一回り小さくなったような気がする。
少し削れてしまった巣から、3羽の雛が心配そうに、こちらを見ている。
あともう少し崩れたら、下に落ちてしまいそうだ。ちょっと心配。

それにしても、あれだけ頑丈に貼り付けられていたザルは、どうして半日ほどで
剥がされてしまったのだろう? 壁には、ガムテープの貼り付いてた跡がちゃんと
残っているから見間違いではなかったはず。

そういえば、今日は火曜日。マンションに管理人さんが来る日だ。想像するに、
住民が勝手に付けた覆いを管理人さんが見つけて撤去したのかもしれない。
いつも巣の下は、ツバメの糞で汚れてしまうのだが、管理人さんが綺麗に掃除
してくれているようで、定期的に綺麗になっているからだ。

それにしても、ツバメにしてみたら、甚だ傍迷惑な話なのかもしれない。丸一日
経つか経たないかの間に、自分達の巣に人間が二度も接近しているのだから。。
ツバメは、むしろそっとしておいてほしいのかもしれない。

どうか、これ以上邪魔も入らず、また雛が巣から落ちることなく、無事に巣立って
くれますように! 私に出来ることは、ただ陰ながら見守ることだけ。


2001年06月25日(月)    異変?!

今日バイトから戻ってきて、ふといつもの癖で、例のツバメの巣を見たら、
なんとっ、巣が白くなっていた。

へ?!と思いつつ、薄暗闇の中、目を凝らしてジーッとよく見ると、それは
プラスティックのザルを真二つに切って、巣の外側にあてたものだった。
どうやら、巣は元のまま存在しているようだ。そして、巣の外側を綺麗に
プラスティックの白いザルで(ガムテープを使って)覆ってあるのだった。

はて、何のために、誰がこんな処置を?
理由は分からないけど、ツバメの巣を守ろうという苦肉の策なのだろう。

ツバメの巣は、親鳥の予想より多くの雛が生まれてしまったのか、いつ見ても
あふれそうで、そのうち重みで壊れるんじゃないかと思っていた。
だから、この巣の補強された様を見て、誰か私と同じように気になっていた人が
いたんだなぁと、心が温かくなる。そして、ついニンマリしてしまうのだ。
うふふ、管理人さんがやったのかな。それとも、住人の誰かかな?

補強され、少しだけ不恰好になった巣の中で、ツバメたちはいつもと変わらず、
静かに眠りについているようだった。あぁ、あの雛がみんな元気に巣を飛び立つ
日が来るといいなぁ。


2001年06月24日(日)    おもてなし

今日は、私の両親が栃木から車に乗って、我が家に遊びにきた。
結婚して、はや1年半。だけど、我が家に来たのは、これが初めて。

なんだかんだと、お互いが忙しかったせいかもしれない。
「そのうち、遊びに来てね」と言いつつ、気がついたら時間が過ぎていた。

今回遊びに来ることになったのも、たまたま用件ができたから。
栃木県・矢板市にある湧水が、すごく美味しくて体に良いらしく、それを汲んで
持って行くから、ということだった。

その噂の水は、日本名水百選の1つで、何年か前には日本一にもなったらしい。
父は、会社の人にその水のことを聞き、毎週末に1時間かけて車で汲みに行って
いるらしい。既に先週末に、市販のミネラルウォーターのペットボトル(2L)6本
を空けて、代わりにその水が入ったダンボール箱が、宅急便で送られてきた。
総量12Lの水を、料理や飲料に使っていたら、一週間で使いきってしまった。

そこで、今回は10Lのタンクを3つ持って行くから、ということになった。
わざわざ高速代をかけて水を運ぶのは金銭的にナンセンスではあるけれど、他に
米や野菜も持って行くからということだったし、何より半年ほど会っていない娘の
顔も見たいのだろう、と思って、来てもらうことにした。

折りしも先月買った圧力鍋を使いまくっている日々だったので、「日曜はうちで
昼ごはんも食べて行ってよ」と誘った。そして、昨日は昼過ぎにテニスから戻る
と、それこそ圧力鍋を駆使して料理を作りまくった。

・ビーフシチュー(デミグラスソースの他にトマトソースも使いサッパリ味)
・ひじきの煮つけ ・十勝豆の甘煮 ・たけのこ煮 ・きゅうりとかぶの浅漬け

正直、実家にいる頃(社会人になる前)は実家で料理をしたことは殆どなかった。
一人暮らしをしている時も、そんなに料理を頑張っていた方ではなかった。
そんな私なので、結婚して、ちゃんと料理してるのか心配だっただろうと思う。

60歳を過ぎた両親が、果たしてこんなに沢山食べられるかな?なんて思ったけど、
二人とも(朝ごはんが早かったからか)ペロリと平らげたのにはビックリした。

ご飯を食べている最中、母が「この豆、美味しいわ〜。綺麗に煮えてる。」などと
一品一品にコメントをつけながら、ゆっくり食べていたのが印象的だった。
父は・・・ TVの将棋番組を横目に、バクバクと食べていた。(笑)

久々に会った父と母は、あまりに久しぶりだったせいか、老いて見えた。
父はインドにいる時に少し膝を痛めているし、母は指がパンパンにむくんでいた。
母は、最近、朝起きると指がパンパンにむくんでいて曲がらないと言っていた。

二人ともおおむね元気そうではあるし、検査にも異常はなく、食欲もある。
でも、普段近くに住んでいない分、そういうちょっとしたことが気にかかった。


2001年06月23日(土)    その後のツバメ

今日は、6/14の日記の続き。

久しぶりに、まっ昼間に我がマンションにあるツバメの巣を見た。
な、なんと、小さな雛が3羽、口を並べて外を見ていた。

雛たちの羽は、まだ親鳥のように黒くはなく、うすいグレーというか茶色と
いうか、目立たなくて地味でくすんだ色をしていた。
巣の色と保護色になっているのかな。巣立つ日まで外敵の目に止まらぬように。

暫くの間、自転車を止めて、可愛らしく並んでいる、その3つのくちばしを眺めて
いたら、親鳥が帰ってきた。そして、私を威嚇するようにピーピーと鳴きながら、
辺りを旋回し始めた。どうやら、外敵と見なされてしまったらしい。(笑)

それにしても、いつも夜は、親鳥2羽と雛3羽の計5羽が、所狭しとあの巣の
中で寝ているわけだ。う〜ん、それはそれで結構な重さになりそうなんだけど、
とっても丈夫な巣なんだなぁ。。。


2001年06月21日(木)    懐かしい人へ

    あなたは今  何処で何をしていますか?

    夕暮れ時を  誰と歩いてますか?

    今  私の上に広がる  この空と同じ空が
    そこから見えますか?

    二人で過ごした  あの懐かしい日々に見た
    あの日の空の色と  似ていませんか?

    遠く離れても  たまには私を
    思い出してくれますか?

    今  幸せですか?


2001年06月20日(水)    自尊心

    あんちゃん
    金なくて  貧乏しても
    勉強できなくても
    いじめられても
    悪人にはなるな


これ、今日乗った電車の、ドアの上の広告の所に挿してあったメモ書きに
書かれていた言葉。高校生くらいの筆跡で、青いマジックで丁寧に書かれた
誰に充てたでもない、呟きみたいな散文詩。

拙い言葉使いなんだけど、言いたいことはとってもよく分かって、何だか惹き
つけられるように、暫くじっと眺めていた。

人が生きていく上で必要なもの、それは自尊心だと思う。一種のプライド。
「あたし、○○できるのよ〜、すごいのよ〜」というのとは、もちろん違う。

国語辞典で引くと、自尊とは「自分で自分を偉いと思い込むこと」という意味と
「自分の人格を尊重し、品位を保つこと」という意味があるそうだ。
もちろん、私がここで言いたいのは後者のほうだ。

「これだけは譲れない」とか「これが大事」とかって思うような信念みたいな
ものかな。あと、自分を信じること、とか。カタカナで「プライド」というより、
「自尊心」と漢字で表現した方が心にしっくりくるもの。

周りが何と言おうと、常識や流行がどうであろうと、自分で自分を信じられて、
自分を大切にし、前を見て進んでいける人は強くて潔くて格好いい。

逆境の風に吹かれても、スッと前を向き、顎を上げて風を切って歩いていける、
そういう凛とした強さをもった人になりたい。
そして、時にはユーモラスにアッハッハ!と笑えると、最高に粋だと思う。


2001年06月19日(火)    七転び八起き

    もし疲れたら  休めばいい

    もし行き過ぎたなら  戻ればいい

    もし迷ったら  立ち止まればいい

    もし見失ったら  探せばいい

    もし困ったら  相談すればいい

    もし傷つけたなら  謝ればいい

    もし間違ったら  やり直せばいい

    何度でも  何度でも

    それが人生  常に正解ばかりじゃあない


2001年06月18日(月)    プッチンプリン

今日は3時のおやつに、バイト先でグリコのプッチンプリンを食べた。

朝、会社に向かう途中のコンビニで見かけて、何年ぶりかで食べたくなって
しまったのだ。個人的には、プリンは固焼きの弾力のある方が好きなので、
プッチンプリンは滅多に食べない。

でも、小学生とか小さい頃に食べていたプリンは、今では当たり前の焼きプリン
とかではなくて、プッチンプリン系のプリンだったと思う。
そして、プッチンプリンのあの妙にプルプルと軟らかくてコシのあるようでない
感触は、ひとたび口にすると幼少期の記憶を思い起こさせる。
まだ、幼き子として、母と父に守られていた日々を。

だからなのかな、時々(1年に1回くらい)無性に食べたくなる時がある。
そして、その度に、人間の五感による記憶力の素晴らしさを思い知る。
香りにインプットされている記憶、口にした物の味や食感で思い出す記憶、
音楽が引き金となって解き放たれる記憶、などなど。

ところで、今ふと気が付いた。
プッチンプリンのプラスティックの容器は、下半分が6つの花びらが付いたお花
みたいな形をしている。これ、石鹸の型に使ったら最高じゃないかな?
型出しする時に、プッチンとツメを折ってみたりして。(笑) 
な〜んて・・・、これは、ただの石鹸馬鹿の視点ですなぁ。(^-^;


2001年06月17日(日)    父との思い出 (父の日にちなんで)

今日は父の日だった。結婚すると、当然ながら父と義父の二人になる。
今年は、Kin・chanと二人で、今日になってやっと、両方の父にポロシャツを
色違いで買った。でも、まだ我が家にある。(笑) 早く送らないと。(^_^;

うちは、父も義父も健康で、そして二人ともまだまだ現役で働いている。
職にあぶれている人も多い中で、本当にありがたいことだ。

義父は、二人の息子が結婚して家を出ているので、義母と二人暮し。
義母は、地域ボランティアとかサークルとかで楽しく元気に活動している。
つい先日、義父は職場の慰安旅行か何かでグアムに行ったそうだ。一方、義母は
サークル(フォークダンス)の全国大会か何かで長野に出かけていたらしい。
夫婦水入らずで好きなこともやりつつ、生活しているように見受けられる。

昨夏、義弟夫婦に初孫(女の子、もうすぐ一歳)が生まれ、お互い住んでいる
所も近いので、ちょくちょく孫に会えているようだ。長兄であるKin・chanも、
毎月の散髪を実家の近くの理髪店(中学の友達の店)でやっていて、月に一度は
実家に顔を見せている。私も、たまに一緒について行く。

程よい距離感というのかな。まぁ、同じ県内で車で1時間くらいだからね。

一方、私の父は栃木に住んでいる。母と、まだ独身の妹と一緒の3人暮らし。
長女の私が嫁いでしまったけど、嫁ぐ前から実家を出ていたし、今はまだ妹も
一緒に住んでいるので、それほど寂しさを感じないだろう。

それでも、嫁いだ娘が一緒に住んでいないと、どうしているのか時々気になる
ようで、父はたまにメールを送ってくる。電話じゃなくてメールなんだよなぁ。
娘の私が、家に不在がちでなかなか捕まらないからだろうか。
いや、違うな。きっと父の性分的に文章で書く方が好きなんだと思う。

*---
ここで、私の父に対する回顧録でも。。。
父は、今の会社に移る前は、とあるメーカーに定年まで勤務していた。途中で
工場から本社に異動し、それに合わせて、家族も栃木から神奈川へと引越した。
中学2年の時だった。

以後、海外事業部という部署がら、父は仕事で海外に行くことが多くなった。
転勤こそ、定年前の最後の3年間(インドのデリー)だけだったが、半年とかの
長期出張は数知れず。特に、私が大学に入って、インドへの赴任が決まるまでの
数年間が、最も海外出張の多い時期だったように思う。

でも、端から見た父は、出張が多くてしんどそうというより楽しそうだった。
何処でも寝れる環境適応能力の高い父には、それほど苦痛ではなかったのだろう。
逆に、出不精の母が同じ環境に置かれたら、きっと疲れきってしまうと思う。

そんな父の影響を受けたのか、娘の私も海外への好奇心が強く育った。今までに
渡航した国は割と多い。幼少期のシンガポール・マレーシア・インドネシア(バリ、
ジャワ)をはじめとして、ロシア(旧ソ連時代、現ロシア・キルギスなど)、
ヨーロッパ(イギリス・ドイツ・イタリア・スイス・リヒテンシュタイン・フランス)、
オーストラリア、アメリカ、カナダ、インド、ネパール、などなど。

そんな父との思い出は、結婚前後のことを除けば、インドを一緒に旅行したこと
が一番印象に残っているかもしれない。当時、父はインドの首都ニューデリーに
赴任していて、私は東京で働いていた。父が3年の予定の赴任を終えて夏には
帰国するだろうという年のGWに、私はインドに行くことにしたのだ。

父が居なかったら、多分一人では行かなかったであろう国、インド。
インドに住む父(単身赴任)と、メールを使って旅程の打ち合わせなどをした。
その頃から、父と娘のコミュニケーションツールに自然とメールが加わった。
時差もあったし、国際電話はお金がかかるし、父はインドで曜日によって2箇所に
住んでいた。どっちに電話すればいいのか難しかったのでメールが一番だった。

たまたまGW前の3月に、父が仕事の都合で日本に一時帰国をした際に、旅行の
話をしていたら、「どうせ、インドに行くんだったらネパールにも行きたい」
ということになった。父も、インドには2年半住んでいたのに、ネパールには
まだ行ったことがなかったらしい。ネパールの話で父娘で盛り上がっていたら、
母が「私もヒマラヤを見に行ってみたい」と言い出した。

結果、GWの前半は、私がデリー入りして父と一緒にインド国内を回り、途中で
一度デリーに戻ってきて、一人で飛行機に乗ってきた母と合流し、3人でネパール
入りすることに。妹だけは、仕事の都合で日本でお留守番という形になった。

父とのインド旅行も、二人っきりで旅行したのは初めてだったので感慨深い。
普段、インド人との仕事を英語でやっているので、英語は娘よりも達者だ。(笑)
途中で、屋台で食べたカレーにあたって(たぶん、ゆで卵)お腹を壊したり、
なかなかの珍道中。でも、楽しかった。父と見たタージマハールもガンジーも
忘れないだろう。

その後、デリーで母と合流してネパールでは3人旅行。お腹を壊したのは、母が
日本を出る前だったので、実家に国際電話をしてレトルトのお粥などを持ってきて
もらったのを覚えている。私は、相変わらず食あたりで不調だったけれど、3人で
丘を登って見た、朝日に輝くヒマラヤ山脈の美しさは忘れられない。

---*
あぁ、父のことを考えていたら、久々にインド旅行の写真が見たくなった。
いつか、その時の写真を、このつれづれ日記にupしたい。


2001年06月16日(土)    カエル

梅雨の晴れ間の週末。今日の東京は薄曇り。

ここ数日の雨が上がったせいか、大学のテニスコートの脇でカエルを見かけた。
全部で4匹。大きいのやら、小さいのやら。どれも真っ黒なカエル。

草むらからアスファルトの小道に姿を現し、一息ついている感じ。
辺りは夕暮れ時で、もうだいぶ薄暗くなっていたので、薄暗さとアスファルトの
色に保護色のように溶け込んでいて、あやうく踏みつけるところだった。

爬虫類は決して好きではないし、アマガエル以外のカエルを触る気にもなれない
けれど、今の時期に見かけるカエルは今の時期の風物詩かなと思える。
そんな雨上がりの一日。


2001年06月15日(金)    続 「私が生きかえるところへ。」

6/8に書いた日記の後日談。
Netで、たまたま件のポスターを発見したので、お知らせ。

◆北海道庁のサイト内 「北海道イメージアップキャンペーン」

合計10枚のポスターが紹介されている。(たぶん全部だろう)
今回のポスターは、【大型サインボード】の最後から2つめのものだ。
「平成12年12月…支笏湖モーラップキャンプ場」とある。そうか、支笏湖か。
そして、あの流れ星はヘールボップ彗星だったんだなぁ。。。

そういえば、去年と今年の冬に、【大型サインボード】の最初の2つを見かけ、
やっぱり下の2つの言葉が強く心に残ったのを覚えている。

「そんなに、がんばらなくてもいいんだよ。」平成12年1月…日の出直前の十勝岳
「がんばりすぎたとき、思い出してください。」平成12年1月…幻想的なカラマツの丘

このポスターの影響もあるのかもしれないけれど、癒しを求めてホッコリしに
北海道に行くには冬だぁと思ってしまう。白と青のイメージが好きなのだ。
北海道の、全てが白く覆われている幻想的な景色を見ていると、都心で疲れた心が
リセットされるような気がする。寒いんだけど、でも、至福の一時。

何かで溢れて疲れた心は、一度空っぽにしてやる必要があるのを、時々感じる。
何かを得るためには何かを捨てないとならない時もあるし、心の余分な贅肉を
落とすと驚くほど気持ちが軽くなる。そんなことを求めて、北の大地に赴く。

ところで、「このポスターは、一般の方にも差し上げています。」だって?!
今度問い合わせてみようかな。でも、大型サインボードは・・・無理だろうな。(笑)


2001年06月14日(木)    ツバメの巣

表通りからマンションの駐車場&駐輪場に入っていく通路の天井の梁の辺りに、
ツバメの巣が1つある。築4年目のマンションなのだが、去年あたりに巣が
出来ていたようだ。

初めて巣を見つけた時には、なんだか微笑ましくて嬉しかった。
自分のペットではないけど、同じ屋根の下に住むもの同士、成長具合とかが
とかく気になる。7月になると子供のツバメが飛ぶ練習をしていたりして。

でも、5月に一度、巣が壊れて落ちていて気を揉んだことがある。巣の残骸が
通路にボロッと落ちていたのだけど、数日中には見事に補修されて美しい巣が
出来上がっていたのには脱帽した。

ところで、我がマンションに間借りしてる(?)ツバメは、とっても早起きだ。
朝は4時過ぎくらいから、近所を元気に飛び回っている。
そして、とっても早寝でもある。

夜8時くらいに、駅から自転車で帰ってくると、小さな小さな巣の中に、
3羽くらいのツバメが窮屈そうに身を寄せ合って寝ている。頭上の巣からは、
黒い尻尾だけがチョコンと見えていて、まさに頭隠して尻隠さず。(笑)

そして、その姿がとても愛しい。ふと、心に灯りがともる、和める瞬間。
自転車で出かけて戻ると、毎回必ず巣の様子を確認してしまうのが日課だ。

彼らは、今年はいつまでいるのかな? そして、来年もまた来てくれるかな?

2001年06月13日(水)    第六感

    今のあなたが 満たされて 幸せで温かくて
    その持ち前の笑顔で 日々を過ごせているのなら

    ただ微笑んで その幸せを見守っていたい

    今 私の上に広がる この空のように
    何処にいても いつも近くで だけど遠くで
    あなたの幸せを祈りたい

    たとえその隣りに 私がいなくても


なーんてね。たまには感傷的な散文詩なんて、いかが?(笑)

本当にただ何となく、ふと、そんなことを思いながら寝た次の日、
長年の知人から「恋人ができた」という朗報が届いた。

どうか、今度こそ、末永くお幸せに。
あなたには、ちゃんと幸せになってもらいたいからさ。


2001年06月12日(火)    行ってみたい場所

この夏に、出来れば行ってみたいな〜と思っている場所が幾つかある。

1)北海道・釧路湿原
    夏の北海道は久しぶり。ここ何年も行っていない。今年の2月に行って
    気に入った塘路の湖でカヌーをしたい。あとは、釧路湿原を道産子馬で散策とか。

2)青森の日本海側
    一昨年の夏に阿波踊りを見て味をしめたのか、祭りに興味がある。
    で、一度見てみたいのが、ねぶた祭り。毎年8月上旬にあるらしい。

    青森は学生時代に東北を旅行した時に一度行ったことがある。
    その時に行ったのは、十和田湖・奥入瀬・津軽半島の先っぽ、などなど。

    でも、今度行きたいのは日本海側。五能線に乗って、ゆったり旅したい。
    世界遺産の白神山地、十二湖、青池、岩木山などなど。
    リゾートしらかみなんていう全席指定の観光列車もあるらしいしね。

    そして、ぜひ入りたいのがウェスパ椿山の開閉式露天風呂。
    日本海に沈む夕陽を見ながら入れたら最高っっっ!!

3)沖縄の離島
    まだ一度も行ったことがない沖縄県。でも本島には殆ど興味なし。
    やっぱり行くなら離島に行きたい。石垣島、西表島、などなど。

しっかし、いきなり全部は無理だよね。(笑) 来年の夏でもいいんだけどなー。
比較的、実現しそうな順番に並べてみたら、上のようになりましたとさ。。。(^_^;
さて、もうすぐボーナスの季節。あなたの今年のヴァカンスは如何様に?

2001年06月11日(月)    お決まりの天気

今日も、昼間は梅雨の中休みのような天気で、暑くて薄曇りだった。
なのに、夜、アルバイトの残業を終えて帰ろうとしたら、突然バケツをひっくり
返したような大雨。 (なんだか最近、雨の話ばかりだけど・・・ (^_^; )

あ〜ぁ、何となく夕方くらいに予感はあったんだけどねぇ。
こんなことなら残業しないで、野生の勘?を信じ、とっとと帰れば良かった、
と思ったけど、もう後の祭り。

何だか、このパターンの天気って、最近の東京近辺ではお決まりの天気になり
つつある気が。。。まぁ、昼間っからシトシトと長雨が続くと陰気くさいから、
短時間でまとまって降ってくれた方が空梅雨より何ぼもマシとは思うけど。

しかし、折りたたみ傘の手放せない季節です。でも、折りたたみ傘を持ってても、
今日みたいな大雨だと、結局しっかり濡れちゃうんだけどね。

折りたたみ傘といえば、一昔前に3段折のコンパクトさを売りにした傘があった。
あれって、今でも売ってるんだろうか? そういや、最近、傘売り場に行ってない
ので分からないけど、街で使ってる人をあまり見かけないなぁ。

2001年06月10日(日)    本日は、筋肉痛なり

昨日、大学の後輩(現役の大学生、まだ20歳そこそこ)と一緒に丸々一日
テニスをしたらば、当たり前だけど、今日は筋肉痛。しかも全身。(^_^;

まだ若い証拠なのか、単に肉体の限界まで動かしすぎたせいなのか、
この猛烈な筋肉痛は、既に土曜の夕食後から始まっていた。

とにかく下半身が痛い。肩や腕も張っているはずだけど、それも分からない。
痛みは、腰から太腿にかけての部分に集中していた。
やはり、半日にしておけばよかったなぁ・・・と深く反省しつつ、薬箱の中に
見つけたバンテリンを塗ってみた。

すると!・・・半日も経たないうちに、あの強烈な筋肉痛が緩和されている。
うぬぅ、恐るべし、バンテリン。こんなに急激に効いていいのか?!

体中が痛くてロボットのようにしか動けなかったけど、良いこともあった。
kin・chanが、家事の殆ど(掃除・洗濯・料理)を処理してくれたから。(笑)

ふっふっふ、たまには筋肉痛で動けないのもいいなぁ♪とすっかり味をしめて
いる妻であった。(^_^;

2001年06月09日(土)    梅雨の中休み

梅雨だけど、今日の東京は晴れ時々薄曇りという感じだった。
もう季節は初夏なんだなーと思わせる、少しだけ蒸し暑い一日。

今日は、2週間ぶりに大学に行って、後輩とテニスをすることに。
休みなのに、寝ているKin・chanを放っておいて9時には家を出た。珍しい。
この時間は、まだ二人とも寝ていることが多いから。(笑)

さて、大学では半日(AM)だけテニスをするつもりが、何だか物足りなく感じて
結局午後も練習に参加し、挙句の果てには、練習後にOB/OG vs 学生で1セット
マッチのダブルスの試合までこなしてしまった。

久々に思いっきり体を動かすと、すこぶる気持ちが良い。
しかし、あまりに長いこと動かしてなかったので、体のあちこちがちゃんと
動かないのを感じた。体の節々はゴキゴキと硬くて、ちっとも滑らかでない。

「あー、完全な運動不足ーーー!!!」

一日終わって、ふと自分の腕を見ると両腕とも真っ赤に焼けていた。
あーあ、顔は帽子を被ったりしてガードしていたのに、うっかり忘れていた。
家に帰ったらアロエジェルを塗りたい気分。しかし、作らないとない。(笑)

2001年06月08日(金)    私が生きかえるところへ。

前から時々見かけて気になっていて、そして大好きな広告ポスターがある。
そのポスターに書かれている言葉。見かけるたびに、北海道に行きたくなる。

このポスターは、北海道イメージアップキャンペーンとして、「試される大地
北海道」というキャッチコピーのもと、北海道の市町村団体や地域復興団体など
北海道関係の各種団体が掲げているポスターである。

最新版のポスターは、北海道のどこかの湖と満点の星空を撮影した青の風景。
夜明け近く少し明るめの星空の真ん中に、星が流れている。

あまりにも日常からかけ離れているような、でも北海道に行ったら自分でも
見れてしまいそうな、とても微妙で、そしてとても美しい風景。

「21世紀を北海道からはじめよう。」という言葉と一緒に標題の言葉があると、
地元・北海道を強く愛する人が多い北海道出身者は帰りたくなるんじゃないかな。
都心部じゃない人は、特に。

ということは、このポスターの趣旨は、観光者よりもむしろUターンやIターンで
北海道に移住する人を求めているもの、ということになるのかも。

いつかご縁があったら、北海道に住んでみたい。できれば郊外に。

2001年06月07日(木)    雷雨

梅雨の晴れ間で清々しく晴れた日中だったのに、夕方から急に空が暗くなって
空気もひんやりしてきたなぁと思っていたら、雷雨が降ってきた。

雷雨。。。 世間では雷の嫌いな女性が圧倒的に多いけれど、私は別に怖くも
何ともないし、むしろ好きな方かもしれない。あの今にも大粒の雨が降り出して
きそうな瞬間が、特に好きだ。

幼少期を過ごした栃木県では、今頃の時期から夏の終わりまで、殆ど毎日夕方に
なると雷雨となっていた。南から入った空気が、関東平野の北限にある日光連山
や男体山にぶつかって雲を作り出す土地柄のせいだったと思う。

子供の頃、外で遊んでいても、空がだんだんと暗くなってひんやりしてくると、
それが友達と別れて家に帰る合図のようになっていた。近くの公園から走って
一目散で家まで帰る。途中で降り始めたことも何度となくある。

雷は毎日ゴロゴロと鳴っていると慣れてしまって怖くない。むしろ、雨上がりに
外がひんやりするので、夏なんかは一雨降ってくれた方が過ごしやすかった。

中学で神奈川に引っ越して、転校先の学校で授業中に雷がピカピカゴロゴロと
鳴ったことがあった。教室中がザワザワして、女の子達は皆キャーキャーと
言っていて、ものすごく違和感を覚えつつ、一人で平然としていた。

そういえば、大学時代を過ごした多摩地区も、東京23区とは微妙に異なった気候
をしていて、夕方に雷雨に見舞われることが多かった気がする。
テニスの練習をしている時なんかは、いつ降り出すかとヒヤヒヤしていた。
そして、一気に振り出すと、皆で大急ぎでネットを外して片付けたものだ。

春雷も好きだけれど、やはり雷は夏の風物詩かな。
雷が鳴り始めると、あぁもうすぐ夏がやって来るなぁと思うこの頃だ。

2001年06月06日(水)    入梅(にゅうばい)

今日も雨。これで3週続けて毎週水曜日には雨が降っている。

関東地方も、とうとう今日から梅雨入りした模様。
今年は、例年よりも数日ほど梅雨入りが早いらしい。(@関東)

梅雨入り(つゆいり)と書こうとしたら「入梅(にゅうばい)」と出た。
そういや、そういう表現もあったなぁと、岩波国語辞典を引いてみると、
「入梅=梅雨の季節に入ること。6/10頃にあたる。」とある。

ふむ、何故6月に降る雨の多い季節に「梅」という文字を使うんだろう?
ちょうど梅が実を結び、梅酒を漬ける時期だからか?(笑)

それはさておき、今年の梅雨は長いかな、短いかな。沢山降るのかな。

石鹸を作るようになってから、四季の移り変わりに敏感になった。
温度や湿度など。だから、どうせだったら、思いっきり梅雨らしい季節を
堪能したい。雨、雨、降れ降れ、Kin・chanが。。。(笑)

2001年06月05日(火)    四大卒の女性は 「ボディシャンプー」?!

定期的に購読しているメルマガで、今日の標題の言葉を見つけた。

この言葉、別に「四大卒の女性にはボディーシャンプー愛用者が多い」とかって
いう意味ではない。(笑) うーん、ある意味、揶揄かな、男性から女性への。
どうやら社会で働く四大卒女性を表現した言葉らしい。初めて聞いたけど。

抜粋すると、以下のとおり。
※メルマガ「eGroups More !」(by eグループ)より抜粋


┏┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┃┃3 >> ハートにビタミン[19] (リレー・エッセイ)
┗┻━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 『 転職のきっかけは ”ボディーシャンプー”』
 ∽…∽…∽…∽…∽…∽…∽…∽…∽…∽…∽…∽…∽…∽…∽…∽…∽…
               text by 古川 雅子さん(フリーライター)

 そんな毎日を送っているうちに、「女性が働くこと」に対する大きな問題意
 識が生まれる出来事があった。それは同業他社の男性との、何気ない世間話
 がきっかけだった。

 「4大卒の女性が、『ボディーシャンプー』って呼ばれてるの知ってる?」

 その理由を聞いて思った。ちょっと待てよ。こりゃ、黙ってられないな。

 ∽…∽…∽…∽…∽…∽…∽…∽…∽…∽…∽…∽…∽…∽…∽…∽…∽…


はて? ボディーシャンプーって・・・?!

この続きを読みたい方は、コチラからどうぞ。また、この「ハートにビタミン」という
働く女性によるリレーエッセイのバックナンバーは、こちら

2001年06月04日(月)    不思議な街 − 広尾

アルバイトで週に2日、月曜日と木曜日に広尾に通っている。

広尾は恵比寿の近く。広尾は港区南麻布、東麻布、西麻布に囲まれた町だ。
てっきり目黒区かと思っていたら渋谷区だった。

町の特徴としては大使館がとにかく多い。日比谷線広尾駅から有栖川公園の方に
のびているテレビ朝日通り沿いにも多く点在するらしい。北欧などの国もある為、
休日になると外国人も多く、まるで「外国の町を歩いてる」気分になる街。

あとは、聖心女子大学があったり。とにかく、都心にしては緑が多く少し閑静で、
お洒落な街かと思っていた。

たしかに地下鉄・広尾駅の付近はお洒落な感じがする。天気の良い朝なんか、
でっかい犬を連れて散歩している外人さんの姿を、実にたくさん見かける。
それと、インターナショナルハイスクールも近くにあったりするのだろう。
高校生くらいの団体が駅に居たりすると、無国籍でバラエティに富んでいる。

しかーし、有栖川公園とは反対に恵比寿方面へと少し裏手に入ってしまうと、
とっても下町っぽい。広尾の商店街は、昔ながらの古い味のあるお店が多くて、
下町風情たっぷり。(笑) 商店街を歩いている地元のお爺ちゃん・お婆ちゃんも
沢山見かけるし、商店街の中には銭湯もコインランドリーもある。

外国人と、お爺ちゃん・お婆ちゃんの混在する街、それが広尾。
六本木&西麻布と恵比寿に挟まれ、都心の狭間にポッカリと存在する下町、
それが広尾。そして、私はそんな広尾を、少しずつ好きになりつつある。

2001年06月03日(日)    テニスというスポーツ

ちょうど全仏オープンテニスがやっているので、またしてもテニスの話。

せっかく長いことテニスをしているし、母校の大学院にも通っている。
となれば、テニススクールなどで同年代とテニスするのもいいけれど、やはり
慣れ親しんだ大学のコートで、力強いテニスをする後輩と打ちたい、などと
思ってしまう。欲張りと言えば欲張りなんだが。(笑)

というわけで、大学院に戻ってから、時々は後輩とテニスをしていたけれど、
今年度はコーチのような存在として毎週(水)(土)とテニスコートに通うことに
なった。自分の勉強時間との兼ね合いもあるので、かなり悩んだが、きっと今
やっておかないと来年は出来ないかもしれないと思い、思い切って引き受けた。

そんなこんなで、同時期にアルバイトを始めたのもあり、5月中旬から忙しくも
メリハリのある楽しい日々を過ごしている。思いのほか、体調はすこぶる良い。
たぶん定期的に運動していること、同時期に買った圧力鍋を大活用して料理も
ちゃんと作っていること、などが理由だろうと思う。これを継続することで、
加齢で衰えた体力・筋力が回復することを期待したい。(^_^;

ところで、後輩たちに教えて楽しいのは、何もテニスの技術面だけではない。
それと、技術と同様に、いや技術以上に大事なのはメンタル面だ。メンタルを
鍛えるために、勝敗のあるスポーツをしている人に読んで欲しい本がある。

  『メンタル・タフネス』 ジム・レーヤー/著 (TBSブリタニカ)

勝負のかかったスポーツにおいて、メンタルが如何に大事なのかということが、
科学的かつ論理的に説明されている。そして、メンタルは訓練することで強く
することができるとされている。そこが興味深い。天性のものではないのだ。
それには、食生活なども関係してくる。

技術や精神面以外にも「今年一年どういう方針で部を運営していくか」という
方針決めから、「各個人の課題と練習方法」など、自分が経験して知っている
ことは全て伝授していくつもりでミーティングに参加したりしている。
だいぶ根幹が固まってきたので、あとは決めたことを実践していくだけだ。
これが、案外思ったようにいかなくて難しかったりするのだけど。

それにしても、久々にテニス理論に関するレポートをパソコンで打つのは楽しい。
いつもいつも小難しい法律の本ばかり読み、専門用語ばかりの論文を打っている
と気が狂いそうになる。今年の前半は石鹸のことを勉強することが良い気分転換
になっていた。これから今年後半戦は、頭も使いつつ体も使って、是非有意義に
使って過ごしていきたい。

とにかく、人生を楽しめているということが一番!

2001年06月02日(土)    体育会テニス部というもの

大学時代、何を思ったのか、体育会テニス部なんて組織に入ってしまい、
4年の春に引退するまでテニス三昧の日々を送っていた。
大学3年生の一番よくテニスしていた時期だと、週に5日はテニスしていた。

もともとスポーツ推薦とかやってない国立大学だったから、体育会といっても
私立の準体育会系サークルより雰囲気も穏やかで、大して気合が入ってなかった
部だったかもしれない。男子部ほど伝統もなかったし。でも、それが良かった。

よく就職活動なんかで聞かれることだけど、大学で何を学んだのか?と聞かれ
たら、間違いなく「法律学」じゃなくって「テニス学」だったろう。
もしくは、「体育会における組織論」ってところかな。(笑)

ただ、大学を卒業して、もう何年も経つけれど、あの頃の自分の選択は決して
間違っていなかったな、と今更ながらに強く思う。
将来の進路などを考えて、途中で退部しようかと思ったことも何度となくあった
けれど、でも、やっぱり止めないでおいて本当に良かった。

今、社会人を経て母校の大学院に戻って勉強していると、勉強って割と何歳に
なっても出来るんだなぁと思う。もちろん集中力や記憶力は衰えているけれど、
「勉強したい!」と思えることにだったら時間を割ける。昔より、一度社会に
出た後でも、再び大学院に勉強に行くことが出来る時代になったわけで、とても
恵まれていることだと思う。

でも、今の私が、大学2年生や3年生の後輩達と同じように、テニスに情熱を
捧げることは出来ない。体力的にも無理だし、子供を産んだりしたら一線を
退かないとならないわけで、やはり「若いうちでないと出来ないこと」という
のは現実問題としてある。そういうことを、若い学生のうちに先にやっておいて
本当に良かったと思っている。

2001年06月01日(金)    六月という季節

今日から六月。

巷では衣替えですね。
電車内で見かける高校生の、半袖の制服が眩しい季節。

そろそろ家の中の衣替えをしてしまわないとなぁ。
と思いつつ、春物と夏物と冬物が入り乱れている日々。
いけませんねぇ。。。



Daily Journel@M403



<<
INDEX
MAIL
>>


2001年06月30日(土)    人は老いるにつれて、何を手に入れるのか

先週末に両親に会い、自分の親に予想以上の老いを感じたせいだろうか。
ずっと本棚に置かれていたままだった標題の本を取り出して読んでいる。

『人は老いるにつれて、何を手に入れるか』
メアリー・C・モリソン=著/香川じゅんこ=訳/ディスカヴァー21発行

1999年1月に発売された書籍で、たしか発売直後に店頭で手に取り購入した本。
表紙の装丁が気に入ったのと、「人生とは何か?」「自分とは何か?」「自分は
一体どういう人生を歩みたいのか?」などについて模索していた時期だったので
買ってしまったように思う。

しかし、その時は、買ったものの時間に忙殺されて読むこともなく、こうして
2年以上の月日を本棚の片隅で送っていたというわけだ。でも、その本の存在は
常に漠然と頭の何処かに記憶されていて、両親と会ったことがキッカケとなって
本棚から取り出してみたというわけ。買った時には、まだ読む必要のない時期で
大した縁はなかったけれど、今こうして読み時に至ったということか。

著者のメアリー・モリソン女史は、アメリカに住むクエーカー教徒である。
原書は、モリソン女史が87歳の時に書かれた。当初、クエーカー教徒向けの
パンフレットとして配布されたのだが、その評判が宗派を超えて口コミで広がり、
購読希望者が殺到。それを受けて1998年2月に米国で単行本として出版され、
現在もロングセラーを続けているようだ。

内容は、大きく3章に分かれて構成されている。
第1章 始まりの時  、  第2章 実りの時  、  第3章 終わりの時
各章は8〜12ほどのショートエッセイで構成され、「思い出」「感謝」「疲労」「孤独」
「祈り」「仲間」などのタイトルで簡潔に書かれている。

まだ途中までしか読んでいないが、個人的には「思い出」というのが好きだ。
かつてたどった道を、老いたわたしたちは別のところから眺めている。
無我夢中で歩んでいるうちは、けっして見ることのない全景の、美しい眺めの
ひとつとして・・・。


”人生を謳歌し、思い出の中にそれを浮き上がらせる時、私たちは英知を得る。
まとまりある全体として人生を眺めるようになる。偶然とも思えるひとつひとつの
出来事は、いまや筋の通った全体を形づくり、知らず知らずのうちに下してきた
決定が、意義深いものとなって姿を現す。”

著者に比べれば、まだまだ人生という山を登り始めたばかりのひよっこにも、
その意味は分かる気がする。人生を大きな山に喩えれば、頂上に至るまでの道程
には、小さなアップダウンがあるだろうし、幾つかの分岐点や小さな頂があるの
だろう。今、私はちょうど1つの頂を越え、割合に平坦な道を歩いている所なの
かもしれない。そう思う日々だ。

”心が安らぎ、思い出を十分に刈り入れたならば、若者たちを見るまなざしにも
愛が宿る。若者たちは、かつて私が歩み、今もはっきりと思い出すことのできる、
その同じ道を歩んでいるのだから。
そして、老いた私たちは、その道を、いまや別のところから眺めている。
無我夢中で歩んでいるうちは、けっして見ることのない全景の、美しい眺めの
ひとつとして・・・。”

ここの部分を反芻して読めば読むほど、自分とテニス部の後輩たちの関係を思い
出さずにはいられない。テニスに関していえば、私は既に老兵だ。現役を退き、
老いた者として後輩に接する時、これと同じ気持ちになる。

ちなみに、日本版のブックデザインは鈴木成一デザイン室が担当している。
そう、前田京子さんのテキストブックと同じところである。

<<     INDEX     >>
<<     INDEX     >>
<<     INDEX     >>
<<     INDEX     >>
<<     INDEX     >>
<<     INDEX     >>
<<     INDEX     >>
<<     INDEX     >>
<<     INDEX     >>
<<     INDEX     >>
<<     INDEX     >>
<<     INDEX     >>
<<     INDEX     >>
<<     INDEX     >>
<<     INDEX     >>
<<     INDEX     >>
<<     INDEX     >>
<<     INDEX     >>
<<     INDEX     >>
<<     INDEX     >>
<<     INDEX     >>
<<     INDEX     >>
<<     INDEX     >>
<<     INDEX     >>
<<     INDEX     >>
<<     INDEX     >>
<<     INDEX     >>
<<     INDEX     >>
<<     INDEX     >>
M403.netMAIL


Design : maybe