全日空ホテル,『朝まで生テレビ!』

 洗濯と日記。大掃除と年賀状は新年に持ち越し決定。

 23:00に全日空ホテルのバー『ダビンチ』で宮崎学さん、電脳キツネ目組Hさん、
Aさん、Mさんと待ち合わせ。
宮崎さんがパネリストで参加する『朝まで生テレビ!』に私たちも潜入することになった。
スタジオ見学のかばん持ちのつもりが「会場の皆さん」になるらしい。

 1/7の勉強会について「しっかりレポートしろよ」と宮崎さんに言われて
「課題図書3冊とも私がやるんですか?」
「当たり前だろう」
「ううう、はい」。
しかしまだ1冊しか読んでなくて、その本は図書館に返してしまった。
「Hさん、1冊分お願いします」と言ったら今度はHさんが
「ううう、はい」。

番組は25:30から。宮崎さんの部屋に移動して待つ間に新年を迎える。
気がついたら既に24:04だった。宮崎さんは喪中なので新年の挨拶は無し。
2002年は「宮崎学追っかけイヤー」だったが、今年も楽しくなりそうだ。

25:00前にテレビ朝日に入る。隙間無く並んだパイプ椅子で6:40まではきつい。
始めの1時間はCMなし。途中で水とチョコレートが配られる。

番組の途中には3分間のニュースが入るのだが、これに田原総一朗が激怒。
アナウンサーがニュースを読んでいる横で
「こんなくだらないニュース止めてくれ!」って、
確かに腑抜けた世界の新年、日本の新年ネタ。

激論のテーマは「戦後民主主義とナショナリズム」だが話のほとんどは
「イラク」と「北朝鮮」問題。
「アメリカについて行くしかない」という西尾幹二は集中攻撃される。
宮崎さんは人の話をさえぎって発言することは無く、田原総一朗に振られてから話す。
隣の席も宮崎哲弥で「宮崎さん」だからややこしい。

後半はCMばっかりになる。眠くて困る。大島渚がいてくれたらなあ。

終了後宮崎さんは帰られる。
私たちは全日空ホテルに戻りコーヒーショップ『カスケード』で朝食バイキング+ワインで乾杯。
雪が降ってくる。元旦の雪ってあまり記憶が無い。ホテルを出る時には止んでいた。
2002年12月31日(火)

映画『夜を賭けて』,焼肉『味楽亭』,『ef』

 昨日大学の同級生I君から電話があったが誘いを断った。今日は私から映画に誘う。
あまり興味がないと言うので一人で『夜を賭けて』を見に行く。
ものすごいエネルギッシュと聞いてはいたが想像以上で笑ってしまう。
食事のシーンは必ず突如乱闘シーンになり「まあまあ」とか言う人は一人もいなくて
ぐちゃぐちゃになったり踊り狂ったり。

山本太郎って好きなタイプではなかったが、見直す。頑張っている。
全てオーディションを受けているという話だ。
私も『夜を賭けて』が邦画ベストワンだ。

 I君が映画館に迎えに来てくれる。
『夜を賭けて』の後はこれでしょう、の焼肉『味楽亭』。ご馳走になる。
味楽亭は前はよく来た店で、肉が上質というのではなく、たれの味が好き。
久し振りで嬉しい。

「彼女元気?」「彼女とデートじゃないの?」などと聞いていたら最近別れたらしい。
「彼女がいる間は全く連絡してこなくて、別れたら電話してくるって、わかりやすいね」。
I君は優しいいい奴だ。「結婚したい、子供が欲しい」という。
「じゃあ、あちこち精子をまいといて、子供ができた人と結婚したら?」と言ってみる。
なんちゅう会話だ。

 2軒目のバー『ef』は私が払う。
「ちょっと頬がこけたんじゃない?」と言われる。ハードな生活でやつれたのかな。

I君は背が高くて、ちょっと日本人離れしている顔。ロシア人っぽいかな?
安らぎを与えてくれる結婚相手募集中です。興味のある人はメール下さい。
2002年12月30日(月)

議論お断り,東京ミレナリオ,『醍醐味』

相手にするな、と皆に言われる岡山の男性は

> だぁかぁらぁ、わかんねぇ野郎だね、ったく。野郎じゃねいか?
> じかに合ってお話する時は楽しく一緒にお酒が飲めるのに(これも私の妄想かも
> しれませんが)メールではいつもぐちゃぐちゃ、なんでこうなるの?っていう、
> まぁいわば実験ですかね。

と言う。「勘弁してよ。結果はわかったでしょう?」と返信したのだが
「またごちゃごちゃと繰り返す…」というタイトルの、親展・無断転載厳禁と書かれたメールが来る。どっちがじゃ!と思わせる言葉の羅列。
「メンドクサイ人やなぁ。」「H氏とおんなじですなぁ。」

彼に言わせると、
利害関係があるから議論を穏便に済ませている名原さんに「大人の男の包容力」を感じる私は「あまちゃん」だそうだ。
利害関係の無い私と岡山の男性は対等な議論ができるらしい。「お分かりかな?」だって。

彼が見た私の議論パターンは

> A:「これは、こうじゃない?」
> 桜井:「あたしはこう思います!」
> A:「いやいやそれは、こうじゃない?」
> 桜井:「あたしはこう思います!!」
> A:「じゃなくて、こうじゃないの?」
> 桜井:「あたしはこう思います!!!!」

> これの繰り返し…

と見えるらしい。

私から見ると
岡山の男性:「君は傲慢だ、私は不快だ」
桜井:「ああそうですか、だから?」
岡山の男性:「傲慢だ!不快だ!」
桜井:「そうですか、だから何?」
岡山の男性「傲慢!不快!」
桜井:「だからなんなんだよ!」
これの繰り返しと見える。

こんなの議論じゃない。
無視するのは失礼、可哀想と思っていたけど、こんなに失礼なことばかり言ってくる人に
礼を尽くさなきゃいけない理由も無い。もうメールも読まない。

 ゼミ仲間のFちゃんと有楽町で待ち合わせて東京ミレナリオ。
Fちゃんとは夏の花火も二人で見た。「恋人同士みたいだね」と話す。

話題の丸ビルもものすごい人。
5階の炉端焼き『醍醐味』で高校時代からの友人Nさん、K、不動産業Yと、
国際政治を学んでいたイギリスから帰国したKMちゃんのお帰りなさい&忘年会。
初対面のFちゃんとKMちゃんはジャイアンツファンなのですぐに意気投合。

KMちゃんのイギリス・フランス報告をきゃあきゃあ言いながら聞き、
石原慎太郎は「いい!」「大嫌い!」「伸晃は?」「民主党 長島昭久は?」
「いっそのことNさんを女性首相に!」と激論になり、
この場にいない仲間達の近況、などなど話は尽きない。こんなに笑ったのは久し振りかも。

店を出るとKMちゃんが公衆電話からクレジットカードでフランスに国際電話をかけるといい、
「どうやってやるの?」と大騒ぎ。
誰かが「交番で聞いて来よう!」「そんなの知るわけないじゃん!」
ゲラゲラ笑っている私たち。一人必死でクレジット番号を唱えつづけるKMちゃん。
KDDIに電話して「こうするんだよ」と教えてくれるNさん。みんな高校の頃からこんなだった。
ああ、面白かった。
2002年12月29日(日)

たがた,バロン

 8:00に電脳キツネ目組Aさんにモーニングコール。
「やっぱり静岡は別で行きます」とのこと。
「ご馳走するから一緒にたがたに行こうよ」と誘ったのが負担だったかな。失敗。

大塚駅まで走って、キツネ目組Nさんとの待ち合わせになんとか間に合う。
9:53東京駅発、途中乗り換えて13:18静岡着の東海道線。Nさんといろいろな話。

新幹線で来たRさんと静岡駅で集合して『たがた』。KMさんも遅れて到着。
貸切状態で、初めてのおまかせ。珍しいものいろいろ。絶品美味。

手の空いたたがたさんともお話。やっぱりエネルギッシュな人だ。

おまかせコースが終わっても次々注文し、四合瓶3本も空け、一人13,000円。食べ過ぎだよ!
Aさんには「7、8000円」と言っていたので無理に誘わなくて良かった、と胸を撫で下ろす。
しかし、この味に後悔することは無い。

 スナック『バロン』の忘年会。宮崎学さんは既に来ていた。私たち4人は既に酔っ払い。
あんなに食べたのに、おでんも食べる。私は途中から烏龍茶。

名古屋の忍者さんと2人で話し込む。
今年は素敵な女性との出会いが印象に残る年だったが、この忍者さんも大好き。
話がすごく面白い。

みんなは朝まで飲むと決め込み「もう無理だ、残れ」と言われたのだが、
店主の植垣さんが店を出て自転車でタクシーを呼びに行ってくれた。
迷っていたMさんの腕を引っ張って一緒に帰る。

2:00静岡発の夜行「ムーンライトながら」。混んでいる。
途中から立っている人で通路はいっぱいになる。
座れて良かった。5:30過ぎに東京駅着。
2002年12月28日(土)

仕事納め,みどりの窓口

 昨日、売上向上のための体制変更が発表された会社の仕事納め。
「大リストラ策発表かな?」と思ったらそうではなかった。ホッ。

役員のOさんが、私が着ていた黒に白いボンボンがついたニットのスーツを見て
「妖精みたいだね」。嬉しい。15年前ぐらいに買った服だけど。

 15:30に始まった飲み会の参加者が半分ぐらいに減った頃、
私の隣に座った、前はリクルートで働いていたという女性が
「桜井さんは、スポーツよりアート系が好きなんですよね」と話し掛けてくる。
ゲイを一人含む男性達は「カップル誕生よーん」などと盛り上がっている。

で、元リクルートの女性は、日本酒にオレンジジュースを入れろと、
私のグラスを奪おうとする。
それが収まると「私はどっちもOK(バイセクシャル)。桜井さぁん」と抱きついてくる。
彼女と同じ部署の人に「この人いつもこんななんですか?」と聞いたら
「そんなこと無いですけど」。

頬ずりぐらいならいいけど、唇にチュウは嫌だった。「ダメなの?」と聞かれて困った。
ものすごく綺麗とか可愛いとかなら別かもしれないが。
しかも仕事納めとはいえオフィスで、何やってんだろう。
私が「ぎゃー、やめてー!」と騒いでいるのに誰も助けてくれないし。
「盛り上がってるなあ、と思ったんで」だと。

女性に迫られるという経験は多分初めてでとまどったけど、
男でも女でも無理強いされるのはイヤーな感じだ。きっぱり断って逃げよう。

 電脳キツネ目組のAさんと待ち合わせがあったので18:30頃会社を出る。
高田馬場駅のみどりの窓口で、青春18キップを使った明日の静岡行きについて検討すること1時間。
結局私が切符を買って、Aさんは静岡には別で行くことになった。

池袋駅から家に歩きながら「やっぱり一緒に行こうよ」と電話。

 今日もアロマキャンドル風呂。早めに寝る。
2002年12月27日(金)

加藤登紀子ほろ酔いコンサート,香港飲茶チャイナムーン

 母が是非と希望した、加藤登紀子ほろ酔いコンサートで、新宿シアターアプル。
ほろ酔いコンサートは1971年に始めて今回が30回目らしい。年齢層はかなり高め。
1部は30回を歌で振り返る、30曲メドレー。
2部は『花筐(Hanagatami)』という花をテーマにしたアルバムから。
ミスチルの『花−Memento-Mori−』やイエモンの『球根』など。
アレンジがかっこ悪くてあまりいいとは思わなかった。

 終了後食事をしようと思ったが何処もいっぱい。
4軒目に空いていた香港飲茶の店「チャイナムーン」。普通。

 母は最近また元気が無いらしく、年末年始の温泉旅行も中止。
私は「牛乳屋さんと母と温泉ねえ」と初めから乗り気ではなかったので良かった。
また数ヶ月はおとなしい母なのだろうか?

 家賃の援助をもらって、これで私は年が越せる。

 帰ってメール連絡など4:00まで。
2002年12月26日(木)

クリスマスケーキを食べる会,『山田晃士 au Bourbier』,ミリバール

 会社の同じフロアの人々とクリスマスケーキを食べる会。参加者は2、30人というところ。
トップスのチョコレートケーキ、チョコレートの花びらいっぱいのケーキ、
同じケーキのホワイトチョコレート版、ロールケーキ、フルーツタルト、
フルーツショートケーキ、レアチーズケーキ、焼きチーズケーキ、
誰かの手作りチョコレートケーキ、他にもあったかな?

私はブルーベリー山盛りのタルトとフルーツショートケーキを少し。
3個ぐらい食べた人もいたようだ。会費500円はお得。

 映画監督の高橋玄さんお薦めのライヴ『山田晃士 au Bourbier』を見に渋谷NEST。
「年末単独公演〜泥沼礼拝〜燕尾服の聖者(サンタクロース)」というタイトル。

長髪にシルクハットの山田晃士が目をカッと見開いて歌う。MCも面白い。
晃士:「メリークリスデス!」
観客:「マス!」
晃士:「メリークリスデス!」
観客:「マス!」
晃士:「です!」
観客:「ます!」
とか。

「今宵はミサですから、はい着席」と言って観客は皆体育座り。
私はカウンターチェアで見ていたのでそのまま。
「ミサの教本?は『歌謡界”一発屋”伝説』です」。客席笑い。
その本の中で山田晃士はどういう「一発屋」だったかの記述を本人が朗読する。客席笑い。

コミックバンドなのか??「私の歌にはメッセージなどありません!」
確かにそんな歌が多い。
しかし玄さんが「完璧なステージング」「天才だ」と絶賛するのはよくわかる。
7:30から22:30過ぎまで、中身の濃いステージだった。

 私は山田晃士の「一発」である『ひまわり』という歌も知らない。
ドラマの主題歌で94年のヒットランキングに入っていたらしいが、
ライヴの後で行ったミリバールでも知っている人はいなかった。
ミリバールは音楽関係の人が多い店なのだが。
『ひまわり』がデヴュー曲でキャッチフレーズは「声に殴られる」。
「レコード会社や事務所の人は私のウリは『声がデカイ』ということだけ、と考えていたってことですね」と山田晃士。そんなことは無いと思うが。

今日のミリバールはクリスマスソングがかかっている。
泡盛を2杯とアボカド・マグロ・キムチ丼を頂いて終電で帰る。

バスルームにアロマキャンドルを3つ灯して長風呂。一人でも楽しいクリスマスだ、フン。
2002年12月25日(水)

映画『刑務所の中』,ミリバール

 クリスマスイヴに見る人はあまりいないかと思って『刑務所の中』を見に
渋谷シネクイント。意外に人が入っている。
後ろの人がシートを何度も蹴飛ばしてくるので席を移動。
終わってから見たらカップルの男が腰をかなりずらして座っていてムカッ。

映画はゲラゲラ笑うほど面白くはないが、漫画の雰囲気がよく伝わって来た。
名古屋刑務所の拷問殺人などは別世界、という感じ。

ワイドショウで最近女子刑務所が定員オーバーで独房も2人使用だとか、
運動スペースもなくて運動時間はサンバを踊るとかやっていた。
刑務所によって全然違うのね。

 1月ぶりぐらいにミリバール。渋谷の街はクリスマス色だらけだが、
ミリバールはクリスマスらしさはまるでない。
何の装飾もイルミネーションもなく全くいつも通りで居心地がよい。
2002年12月24日(火)

掃除

 ちょこちょこ掃いたり掃除機かけたりしてはいたけど、
1ヵ月半ぶりぐらいにまともに掃除。換気扇などもやって5時間以上かかる。

 年賀状にも取り掛かろうと思ったら、買ったはずの年賀状が見当たらず。
会社に忘れて来たか?

 昨日Fちゃんには会えなかったけど、ゼミ仲間のOちゃん、Aちゃんからもメール。
重なるものだ。返信などしてたら3:30。

 明日のことを考えると寂しい気分になる。
クリスマスなど全く関係ないが、街行くカップルを見ると楽しそうでいいなあと思う。
2002年12月23日(月)

ギャラリーSt.Ives,Y邸,居酒屋べったこ

 高校からの友人Yを誘って自由が丘のギャラリーSt.Ives。
18:00自由が丘の約束だったが、今日来られなくなったゼミ仲間のFちゃんと電話で話しこんでしまい、遅れる。池袋の街は大渋滞で更にYを待たせてしまう。

 St.IvesのIさんに本の企画書を渡してお話。
店の隣は陶芸工房になっていて、そこで活動している3人の日本人女性作家の作品展を開催中。面白い形のものいろいろ。
作家の一人齋藤珠恵さんが店内にいて「今窯から出してきたんですよ」と説明してくれる。
本当に微かに暖かい。

 自由が丘の駅から6分のYの部屋訪問。
Yは本業の傍ら、ニットで携帯電話のアンテナキャップを作ったり(結構売れるらしい)、
かわいい絵をビーズ刺しゅうした文庫本カバーなど作ってセレクトショップで売っている。

 Y行きつけの居酒屋べったこ。串揚げ、串焼き、おでんなど。
Fちゃんの「モテモテなんだけど…うーん」な話。浮いた話のない私たち。
2002年12月22日(日)

St.Ives本企画書,大人の男vsオヤジダンサーズ世代

 現代イギリス陶芸専門ギャラリーSt.Ivesの本の企画書がやっと出来た。
HPを切ったり貼ったりしてるだけで、こんなことに何ヶ月もかかってしまい申し訳無い。
これから取材、原稿と売り込みを平行してやる。

 名原さんとメール往復。

> その頃に真理さん達4人が店に訪れてくれました。
> その時の会話で"石原都知事でどう東京や日本の政治が変わりますか"と小生が質問し
> たところ、皆さん異口同音にボロクソに氏をけなしていました。

「女性4人で行った時ですね?やっぱり奴は女性の敵だ。」

> > 言い過ぎですか?お気を悪くなされたら申し訳ありません。
> そんな事無いよ。深く人間と云うものを真理さんらしく観察されていて感心してます。

「恐れ入ります。さすが!大人の男の包容力ですね。
私は最近同じ年ぐらいの男どもと喧嘩をしていて、
見当違いなことを言って来るので反論すると
ヒステリックに『君は傲慢だ!』とか『謝罪を要求します!』とか。
相手をするのも疲れます。」

> 今の日本は石原氏のみでなく政治家官僚司法人やあらゆる分野のリーダーたる人間の
> 質がその程度のものです。小生や真理さんが自分の理念を変えないごとく、どんな批
> 判を受けても彼等もやはり変わらないでしょう。
> そんなのは放っておきましょう。今は只、二人の作品をより良いモノに仕上げ如何に
> 世に出しより多くの人の気を引き寄せるかこの一点、この一点で行きましょう。集中
> 集中。

「そうですね、魅力的でないくだらない男どもも放っておこう。」

あまりにくだらないので日記に書くつもりはなかったけど、このやり取りの違いを見よ。

「なんかHさんに似てるね。
『だから何が言いたいの?』と『その言葉はそのままあなたに当てはまりますね』
と言いたくなる。」

> 違うぅぅぅぅぅっ!!
> あんたがそうさせるんじゃぁ!!
> 桜井さんと議論してるといつもこうなる。

「人のせいにして自分を振り返らないところもそっくり。」

> ぐわぁぁぁ、コミニゅけーシょん能力ゼロ!!

> あなたは、いつも自分の主張しかしない。

「だから?」

> だ、か、らぁ、あなたとは、コミュニケーション出来まへんなぁ。
> 想像力も欠如。

「できないならおやめになれば。できないこと繰り返してるのはあなた。」

> 傲慢のなせる業ですなぁ。

「ああそうですか。」

前にゼミ仲間のFちゃんが「私たちの同世代の男はオヤジダンサーズなんだって」
と教えてくれた。St.Ivesの店主Iさんも確かパパイヤ鈴木と同じ年。
ありゃ、世代でまとめちゃ「ババア発言」石原と一緒だ。いかんいかん。
2002年12月21日(土)

石原慎太郎とM氏

 まだ本調子ではないが休んでもいられない。
出勤したとたんにお腹が壊れてトイレにこもる。宴会のお誘いもあったが断念して帰る。 

 名原さんの『真理さんへ』で気になっていた石原慎太郎の発言についてメールを送る。

>  とっくにわかっている人は大袈裟に言えば陳腐な国家から自律して立派に生きてい
> る。
> 石原都知事の言葉、「今まで、 国家と戦って生きてきた」、を聞いた。我が国戦後
> の間違いを見抜いたこの言葉に、解る人には解っているんだ、俺だけではないんだと
> ホッとした。
>  この辺りは、まだ若い女性の真理さんには理解しかねると思います。

「名原さんが評価されているので申し訳無いですが
私は石原慎太郎が大嫌いです。彼はとても危険な政治家だと思います。

今、メディアに出まくっていますが、総理大臣になりたくてなりたくてたまらない、
権力大好き人間で、その意味では名原さんが『老害議員』と言う中曽根なんかと一緒だとと思います。

自民党で主流になれなくて『自民党はダメだ』と言ってるだけでは。
ダメなことは事実だからまあ、これはいいとして、

石原慎太郎はとても差別的な人間です。『三国人発言』もそうですが、
女性、ゲイ、障害者などへの暴言、誤認識、排他的発言も枚挙に暇がありません。
都民やマスコミへの態度もとても横柄で、偉そうに叱り飛ばしたりして 品が無いです。
彼は『弱いものを叩く事で強くなったような気分になれる』人です。

東京は特にいろんな人がいる国際都市で皆が共生していくべきなのに、
慎太郎は歌舞伎町や大江戸線に監視カメラをやたらと置き、
監視して管理せずにはいられない『本当は臆病者』。だから目をパチクリしている。

阪神大震災の時の人々の助け合いの経験を活かすとか、
行政のできることを探るべき防災訓練で銀座に戦車を走らせて悦に入り、
懲りずに外国人差別を煽る発言を繰り返す、戦争大好き人間。

小泉フィーバーの次は慎太郎待望論。日本人は懲りないですね。 おおこわ。

言い過ぎですか?お気を悪くなされたら申し訳ありません。
石原の政策で悪くないものもあると思いますが
(映画の撮影をしやすくするとか、その程度)
都の財政が大幅改善したわけでもなし(多分)、
トンデモ発言に都民として恥ずかしい思いをする方が多いです。」

メールを送った後で「石原都知事『ババァ』発言で女性119人が提訴」のニュースを知る。

 前に名原さんと、その人を巡って激論になった実業家Mさんから今日久し振りに電話があった。
タイミングが良いというか、面白い。
当初は名原さんがMさんをボロクソに言っていたのを思い出す。今回と反対だ。
2002年12月20日(金)

ダウン

 案の定起きられず。会社は休むことにする。収入もダウン。

宮崎学さんと電話で来年の「勉強会」の打ち合わせ。と言っても3分ぐらい。

たがたさん改め名原さんとの共著『真理さんへ』の企画書を書き始める。
しかしタイトルが『真理さんへ』で著者の一人が桜井真理でいいのだろうか?
企画書もなんとなく書きにくくて悩む。

また3時。明日は絶対出勤する。
2002年12月19日(木)

シラスと『真理さんへ』,しのづかさん

 風邪が悪化。喉も痛い。

 たがたさんから贈られた釜揚げシラスのお裾分けを持ち帰ったW君、
知らないうちに家族にほとんど食べられてしまった!と嘆く。
今年W家はいろいろ大変なことがあって大揺れだったらしい。
更にシラスをめぐって家族が骨肉の争いになっては可哀想。
まだ残りが冷凍してあったので持って行ってあげる。量は前の倍ぐらい。仲良く食べてね。

 昨日たがたさんからプリントアウトした『人間(じんかん)到る所、修羅場あり』の原稿が届く。
『人間(じんかん)〜』は副題になっていて、タイトルは『真理さんへ』。驚いた。
A4で厚さ1cmぐらい。大作だ。

出版社Mのしのづかさんが「コピーするのも大変だからとりあえず持ってきたら」
と言ってくれたので早速持って行く。

M社の社食でハヤシライス。しのづかさんだけが残っている事務所でビールを頂く。

原稿をコピーしてもらったら66枚だった。
「往復書簡形式は面白いね。
桜井さんか、たがたさん、どっちかがブレイクしたら本にできる。
今出版は厳しいからすぐには無理」とのこと。
他にもいろいろアドバイスをくれる。

しのづかさんは元彼の友人だ。
「今日は彼の誕生日。電話してあげて下さい」というと早速受話器を取る。
他にもしのづかさんの仕事など四方山話。

「よくわかんないんだけど桜井さんは何がしたいの?」と聞かれる。
「自分でもよくわからないんです」としか応えられないのが情無い。
「いろんな人と会っていろいろやってるけどお金にしなきゃだめじゃない。
時間が無いんだから」
「それは人を利用するってことにはならないのかなあ」
「違うよ」
「双方利益になればいいのか」 
「そうだよ。信頼関係があってできることだけどね。
人を売り込みたいと思うならもっと考えないと」

有難い言葉だ。1時間半ほど話して帰る。
イルミネーションが美しい銀座の街を歩きながら考える。
「金はついてまわるもの。
本当に金が必要だったら『金が要るんだ』と言ったら集まってくるもんだ。
集まってこなきゃ来ないだけの話だ。日本国民全部の財布が俺のものと考えればよい。
『ちょっと金出せ』と言やあいい。」
という宮崎学さんの言葉を思い出す。
私のやりたいことってやくざのサービス業みたいなもんだろうか?

帰ってたがたさんの原稿を読み返したり、メール、日記で4時。これでは風邪は治らない。
2002年12月18日(水)

不快な人

不快を訴える人からのメールで考える。

> 私は私信を公開される事を不快に思うし、いつだったかなんたら画廊の「怖い」っ
> て書かれた人、緑さんも快く思わなかったのじゃないのかしらん。
> 人を不快にさせるためにHPを開設してるんじゃないでしょうに。

不快にさせるためではない。だけど、何人も不快にさせないように、とは思わない。
画廊の人には説明に行った。相手の話も聞いて、対処はした。
だけど和解することは出来ず、深くも長くも無いお付き合い(男女のではない)は終わった。

> 事なかれ主義がいいとは思わないが、桜井さんの戦い方は戦うために事を作って
> るよ。
> きつい事を言うが、Hさんの件も緑さんの件もあなたの文章表現力の稚拙からき
> ているのではないか?
> 戦う前の自分を磨くほうが先では?

これは感想?提案?助言?…批判か。私は葛藤を避けようとは思わない。
人間関係が壊れるのを避けるためにうまい文章を書けるようになりたいとも思わない。

実際私は何人も友人を失っているが,
一方でHPで多くの人と出会い、素敵な関係も作っている。
優しいメールをくれる人には暖かい気持ちで返す。やな感じ、と思ったらチクッと返す。
別れがあって、出会いもある。到って普通だ。
2002年12月17日(火)

風邪気味,『アウトロー・ジャパン4号』

 昨日は家でおとなしくしていたのだが、連日の夜遊びが原因か、風邪気味。

 朝は有楽町線への駆け込み乗車を失敗して紙袋の中身だけ車内、とってはドアの外状態になって焦る。「うそっ?!」と叫んだらドアが開いた。
御急ぎの皆様申し訳ありませんでした。

 宮崎学さんの連載を担当した『アウトロー・ジャパン4号』が届く。
高田馬場事件やらいろいろ思い出して複雑な気分だが、記事は面白い。
皆様読んで下さいね。

 早く寝なくちゃと思うのだが、3時過ぎる。
2002年12月16日(月)

ゴーマン対決

 10日の日記「緑考」を読んだ人からメール。

> やはり、桜井さんはちと傲慢だと思いますよ。

> 私も私信をワールドワイドに公開されるのはあまり快くは思いません。

だからメールは書かない、とか「この話は内緒ね」とするとか
公開されても構わないとるにたらない話だけにするとか、いろいろ方法はある。

なのに「『これは書かれると困るから話さない』『これは大丈夫』と考えながら話すのは嫌だから一切書くな」という方が傲慢だと思う。
負けずに傲慢な私が「それは約束できない」、
更に傲慢な緑さんが「じゃあもう一切話さない」となって決裂したのだから、
それでいいのだ。これも一つの方法だ。

1年を振り返ると、やはり私にとって緑さんとの決裂は一番大きな出来事だった。
私は書いて、緑さんは作品を作って、自分を癒して励ましていくのだ、きっと。
2002年12月15日(日)

indexgun.com 忘年会,映画『ギャング・オブ・ニューヨーク』,『海峡』

 朝帰りでお風呂。浴槽で寝てしまって気がついたらお湯は水に。ブルブル。

午後まで寝て、お昼ご飯に麻婆豆腐を作る。失敗。
ソースは焦げているのに葱と豆腐は火が通っていない。酷い。

 映画監督の高橋玄さんのHP会員忘年会で新宿3丁目の居酒屋「かり屋」。8人ほど。
戦場カメラマンの櫻井靖子さんという人がいて、ブックを見せてくれる。
他にもグラフィックデザイナーの岡部暢哉さんや俳優で占い師の木下順介さんなど、
刺激的な人たち。
玄さんの話は「ホントにヤバイ」極秘話。
面白かった!けど実は最後の方あまり覚えていない。

 私は玄さんと話すのが苦手。ものすごく緊張して会話がぎこちない。
「別に」とか「知らない」とか言われるとシュンとなる。

 2:00から皆で『ギャング・オブ・ニューヨーク』のオールナイト上映を見る。
私はほとんど寝る。2回ぐらい大きな音で目を覚ましたが、何もわからない。
面白くなかったらしいが。

 終了後もう1軒。歌舞伎町で8時まで営業の居酒屋「海峡」。混んでいる。
スパゲティもコロッケもしめじバターも恐ろしく不味い。6時半頃出て、帰る。

多忙の日々も1段落かな。とりあえずゆっくり布団で眠りたい。
2002年12月14日(土)

東京忘年怪,檸檬屋新宿,Shibuya nuts

 会社の忘年会を蹴って、宮崎学さんの東京忘年怪。
新宿ライオン会館ビアレストランでしゃぶしゃぶ食べ放題。席が宮崎さんの向かいで嬉しい。

「桜井、来年は頑張れよ」と言われたので「はい。来年は本を出します」と宣言。
「恋愛の神様になるんです」と言ったら「失恋の神様だろう?」。とほほ。

 2次会は檸檬屋新宿。アルバイトが辞めてしまって元気の無い住枝さんが一人で
「何処に何があるのかわからない」状態。
それでもおでんとか焼いた海老とかお好み焼きらしきものとかいろいろ出てくる。
ぐちょぐちょの卵焼きかお好み焼きらしきものを見て、宮崎さんが思いきり顔をしかめる。

宮崎さんに「コーヒー入れてくれ」と言われて、コーヒーメーカーを見ると、
いつ落としたコーヒーなのか、フィルターも無く、カビが生えている。
仕方が無いのでスターバックスに買いに行く。

宮崎さんがロフトプラスワンに出ないことにした真相を聞く。やっぱりそうか。
他にも面白い話いろいろ。1月7日に勉強会をすることも決める。楽しかった!

 建築家修行中のyuhi君がVJを勤めるイベント「SYNCHRO」に行くので、
終電で渋谷に向かう。本日は一人。
宮崎さん→yuhi君というのは、素晴らしい13日の金曜日だと思っていた。

しかし、なんと眠ってしまい、気付いたら五反田!やはり悪魔の13日の金曜日である。
電車はもうない。タクシーは長蛇の列、しかも渋谷まで3駅もあってきっと高い。
交番で方向とだいたいの道を聞くと「暗いところもありますよ」と言われたが、
歩くことにした。
パ−ティー衣装は肩が大きく開いている服で、パンツも超ミニで寒くて辛い。
頑張って歩く。

1時間半ほどでやっと渋谷に出るがクラブ「Shibuya nuts」の場所がわからない。
ぐるぐる彷徨って看板の出ていない扉に入っていく人がいたので、続いて開けてみる。
そこだった。空いていた。yuhi君のVJで踊っている人はチラホラ。

トイレから出るとyuhi君がいた。
「五反田から歩いてきたんだよー。寒かったー!」と言ったら
「僕だったら無理。ようしません」と驚いていた。
「休憩なんで話しましょう」とのことで久し振りにいろいろ話す。
クラブでの会話は大音響の中なので耳元に口を寄せて大声で。ああ楽しい。来て良かった。

最後に少し踊って、フラフラになって帰る。
2002年12月13日(金)

釜揚げシラス,ロフトプラスワン,まだ言ってる

 たがたさんからお歳暮の釜揚げシラスが届く。
2袋あるので1つを会社に持って行ってみんなで一口ずつ分ける。大好評。
Fさんにはたがたの住所と電話番号を聞かれる。またたがたファンが増えた。
喜んでくれて私も嬉しい。

 ロフトプラスワンに宮崎学さんのトークライヴを聞きに行く。
「タブーなき道徳勉強会」とのことで宮崎さんと、「暗殺集団の元団長にして今や庶民の僕となった老狼」元護國團團長の石井一昌さんのお話。

教育について宮崎さんの提言「読み書きそろばん、あとは知識欲を満たすのを助ける」。
EUが共通教科書を10年以上かけて議論して作ったように、アジアも共通の教科書を作るためにガンガンやりあったらいい、とのこと。素晴らしい。

一人の質問者が「宮崎さんが求められてニコニコサインしているのを見て、可哀想に思ったぞ!お前らサインもらって喜んでるだけじゃなくて、手伝え!行動しろ!」と叫ぶ。

元祖反動右翼暴力団長の石井さんが「もうちょっと優しく言えないの?」
と言うのが可笑しい。
その質問者は意見を言って帰るのだが、帰り際に「宮崎さん、握手して下さい」。
サインはダメで握手はいいのか?

そして宮崎さんは「サインをするのも、こうして壇上から偉そうに話をするのも好きじゃない。
サインは営業を円滑にするためにするが、ロフトプラスワンに登場するのはこれが最後」
と宣言。
私が生宮崎学を初めて見たのはロフトプラスワンで、多分宮崎さんの初ロフトだったと思う。
感慨深い。トークショウはギャラ次第で今後もやる、とのこと。良かった。
宮崎さんは話すのは嫌いじゃないし、ギャラに拘る人でもない。
ロフトの何かが嫌なんだろう、と思う。

 ジャーナリズム講座MLに「指示に従って会議にて発言いたします」と書いたのに、
Hさんはまた

> なんでもいいけど、内輪もめをこれ以上、
> 外部に吹聴しないようにしてください>桜井さん   

と言ってくる。「メールでは返答しません」とだけ返信。
本当は「いやだね。みーんなにぜーんぶ言う」と書きたいが、我慢。
2002年12月12日(木)

『ギャルリ・プス』,『ささきもと子展』,『椿説弓張月』,『ささ花』,無視令

 会社を早退して歌舞伎座。
母と出版社Mのしのづかさんと待ち合わせて近くの『ギャラリ・プス』。
私が本を出したいと考えている『ギャラリーSt.Ives』が出展しているので見に行く。 
本当は今日までに企画書を作るつもりだったのだが。

 しのづかさんは仕事に戻って、私はこれまた近くの銀座文具で開催中の『ささきもと子展』を見に行く。偶然もと子さんに会う。
クリスマスカードが売れ行き好調で補充しに来たとのこと。
かわいい作品で女の子が好きそう。

 急いで歌舞伎座に戻って『椿説弓張月』を見る。
猿之助、玉三郎、勘九郎は私が最も好きな役者たち。
原作三島由紀夫、演出猿之助って、これはもう絶対見たかった。
しかしお金がないから諦めかけていたところへ、母が「懸賞に当ったわ」。
お母さん素晴らしい!

 恐らく、初めて歌舞伎を見たのがこの『椿説弓張月』だった。
大きな船が出てきたことは覚えていた。
今回見ていて「このセリフ知ってる」と思い出したのが
「ちちくりあうとはなんのこと?」と「お若い方は床急ぎ」だけというのが情無い。

いろんな生き物が出てくるし場面転換も多くて盛り沢山。
5、6歳の男の子が殺陣を演じるのは『スター・ウォーズ・エピソード2』のヨーダみたいだった。3階席は花道が全然見えないが、宙乗りを3階から見るのもなかなか良かった。

 終演後久し振りに長崎の魚と最高級日本酒の店『ささ花』。
このところいい日本酒を飲んでいなかった。震えるほど美味しい。
母は辛い酒が好きなので1合2,000円の酒も「甘いわね」。勿体無い。 
最高に面白い歌舞伎と美味しい日本酒でなんとも贅沢な気分。

 家に帰ると一転。Hさんからメール。

> アレだけ怒鳴り散らしといて、
> 意味不明はないはずだ。>桜井さん

事務局のYさんからは「メールは無視するように」と言われたし、
「会議の場で、ジックリと話を聞きたい」とのことなので、Hさんには返信しない。

> あのとき、編集・制作に無関係な人たち複数が
> あなたから見せられた、あなたの書いた文章を「評価したから」、
> ぼくに「書くことをやめるように」ということを、
> 高田馬場駅へ向かう途中で、あなたから言われたけど、
> それは、この本の編集権を放棄しろ、と
> この本の編集に関わる人たち全員に求めるのと同じことです。

私は彼に「書くのを止めろ」なんて言ってない。
私の書いた文章に「感情の垂れ流しは止めろ」と言って難癖をつけているのはHさんだ。

> これは、口が滑ったんだろうから、この場で謝罪してほしい。
> 怒鳴ったのは、別にいいけどね。
> じゃないと、1月に開かれるらしい会議で話しても、
> あなたにとって気に食わない結論が出たときには、
> また似たようなことしかねない。話す意味などないでしょう。

言ってもいないことを謝罪する必要は無い。
会議が無駄になる恐れは私も持っているのでテープレコーダを持っていこう。

> とりえあえず、編集・制作に直接関わっていない人たちに、
> 内輪もめを吹聴しないようにしてください。

断る。
2002年12月11日(水)

緑考

岡山の男性から、Hさんとの喧嘩について「助言」メール。

> 桜井さんがこの件に関していろいろな人に意見を聞くのは正しい普通の事です。
> むしろニュートラルで冷静だから出来る事かも知れません。
> 決して他人を巻き込んでる訳ではない。

> が、しかし、、、
> HP上で経緯を公開したり、H氏のメールをMLに丸投げするなんて事でヤヤコシク
> してるのかもしれません。

とのことなので、説明する。

「彼の私宛メールに『MLと個別メールの2本立てでやると訳わからなくなるから、
会議で答えます』と返信した。だけど、会議では議論できなかった。だからMLで答えた。
丸投げはしてなくて、彼の問いにML上で答えた。

プライベイトなことを暴いているわけではないし、
彼は名前を出して書いてる『経済ジャーナリスト』(あれで!)なんだから、
いろんなところで言ってることややってることをあれこれ言われるのは覚悟しなくちゃいけないと思う。

あんまり『バカ丸出し』だからお情で『H』にしてやってる。
本当なら名前を出して書いてもまるで構わないと思う。」

> 緑さんと決裂したのも桜井さんのHPの問題が一番ではないでしょうか?

「そうです。『アーティスト西澤緑についても書かないでくれ』というので応じられなかった。」

そう言われて、緑さんと、岡山の男性について話したことを思い出す。
岡山の男性とは一時期メールとBBSでぐちゃぐちゃ言い合いになったことがあった。

緑さんはその様子を見て「時間の無駄だから無視したら?」と言った。
私は「うんざりするけど無視したくない」と答えた。「私って本当に優しいよね」と
ロンドン時代の友人Tに言ったら「優しい。普通は無視するよ」と言われた。

実は時間の無駄だと切り捨てるのも、いやいやながら切らないのも、
どちらも自分の利益のためだ。
しかしその違いを理解できるだろうか。どちらが相手のことを考えているか。
だから私は岡山の男性もHさんも無視しない。私は本当に男に優しい!

この緑さんの発言を日記に書くのはプライベイトの暴露か?そうかもしれない。
しかし私は「否。緑さんの作品は『人との繋がり』が重要なテーマだ。
人間関係についての発言は、公に活動しているアーティストの発言として扱われても仕方が無い」と言いたい。

「アーティストとプライベイトの線引きにずれがある(だから一切書かないで)」と緑さんは言った。
私はアーティストはいつでもアーティストだと思う。線引きなどするのは間違っている。
そこを譲ってアーティスト自身が線を引いたとして、他人が描く線をコントロールすることなどできない。

これをロンドン時代の友人Mは「真理ちゃんの押し付けだ。緑さんには緑さんの考えがある」と言った。
私は「押し付けじゃなくて問いかけ、投げかけだ」と言った。
緑さんは「わからない、考えたい」と沈黙した。

「書くべきことは他にもあるはず。私のことには触れずに書いて欲しい」と緑さんは言った。
これは恐ろしく傲慢な発言だ。
Tは「これは緑さんの『お願い』だよ」と言ったが、こんなお願いをアーティストが、
もの書きになりたいと言ってる親友にするのかと驚愕した。
それは私が緑さんに「木や石や鉄を使わずに作品を作ってほしい」と言うのと一緒だ。

緑さんを傷つけた、嫌がることをしている、とMは言った。確かにそうだ。認める。
だが「いいよいいよ。緑さんの好きなようにやったらいいよ」と言うだけが友達か?
私はそうは思わない。他にそういう「見守り系」の友達がいっぱいいるならなおのこと、
友達として必要だと思うから発言する。

それを不必要だと考えた緑さんは私を切る。それだけのことだ。その程度の友人だ。
緑さんの中で離れようとする力が強くなった。
私の中でつながっていようとする力が弱くなった。こうやって人は離れていく。

人は私から離れていくばかりかもしれない。
それを私は受け入れる。これが私の愛憎表現、人とのつながり方だ。

私は間違っているかもしれない。本当は緑さんに「違うよ」と言って欲しいのだ。
でも緑さんは絶対に言わないだろう。
2002年12月10日(火)

午後出社,意味不明

 日記を書いて寝たのが3時ぐらいだったか、朝、起きられず。
体が痺れるような感じで重い。やっぱりバス8時間を往復はキツイ。

「午後から出社いたします」と会社にメールした後でカーテンを開けたら雪景色。
ああ、もう疲れる。でも頑張って起きる。

 更に疲れさせてくれる、ジャーナリズム講座のHさんからメール。

> 電脳突破党の人たちや宮崎学さんは、この本の制作に
> 直接、関わっていないわけです。>桜井さん
>
> 会議にかけるまでもない。
>
> あなたは、もめたら、
> 話し合いで結論が出ているにもかかわらず、
> そういうやり方をする人なんだな、
> というのはよくわかった。
>
> 謝罪を求めます。

ああもう、わけわからん人だ。
これまで私はかなり丁寧に優しく彼に返信していた(10月5日〜11日の日記参照)が、
全く通じない。コミュニケーション能力が著しく低い!

「この話題はご法度とします」と言ったかと思えば

> もう時間が空いたし、原稿を書き終わったのでいうけど、

って、それこそお前の都合だろうが!

私は忙しい。たがたさんの本や、ギャラリーSt.Ivesの企画書や、
パプアニューギニアのUさんのメールに返信したり、ベゴニアさんのHPを作ったり、
他にもやらなきゃいけないことが沢山ある。

彼を無視はしないが、対応は変える。

「意味不明。みんなにもなんのことだかわからないでしょう。」と返信。
2002年12月09日(月)

『デリカフェ京橋店』,帰京,追っかけ日記

 目が覚めると、まだまだ元気に話している人もいれば机に突っ伏して寝ている人もいる。
7:30ぐらい?にT邸を出る。お世話になりました。

 京橋駅前の喫茶店。みんなはうどんを食べた後に来る。
大阪駅に着いて8:45頃、10:10発のバス指定を9:10に変えようと思ったが満席。
1時間ほど待つ。さすがに往復バス1泊の旅は相当ハードだ。
帰りは2階建ての2階席だったのがせめてもの救い。19:00過ぎ?に家に着く。

 帰ってきたら日記のアクセスが22,226。最近は「宮崎学追っかけ日記」みたいだ。
読者はほとんど電脳キツネ目組かも。Jさんにも「お気に入り登録してますよ」と言われる。
ありがとうございます。

 ジャーナリズム講座本の件でHさんからメール。

> 高田馬場の駅の件に関しては、
> そのやり方には、いまでもかなり怒ってる、
> とだけは言っときますよ>桜井さん
> 制作に無関係な人たちを自分の都合で巻きこむなんて、どうかしてる。

「Hさんがこの件はML上でやらないと言ったのに『どうかしてる』。会議で話します。」
と返信。(高田馬場の件は10月30日の日記参照)
2002年12月08日(日)

関西突破塾忘年怪,『ジャンボカラオケ広場』,『日之出』,T邸

 8:10東京駅発JRハイウェイバスで大阪へ。往復10,000円也。
暖房ガンガンで乾燥している。休憩で止まる度にうがいをして風邪予防。
2階建てバスの1階はかなり圧迫感がある。

 天気が悪く寒いので当初予定していた衣装を止める。銀座ボーグの赤い帽子、
レイチェルオーバンの色違いの袖が3本あるパーカー、毛布のようなスカート+ダッフルコート。

 16:00頃大阪駅に着いて、ヒルトンホテルのトイレでお化粧して、
のんびり鶴橋の焼肉屋『大倉』に向かう。
受付開始の17:30に着いて、1番乗りかと思ったら
既に宮崎学さんも、他に何人も席に着いている。

 宴会は盛り沢山。「1分間で語る私の3大ニュース」は
「5年ぶりの海外旅行が前回と同じタイでした。
前回は恋人と一緒で、今回は宮崎さんと一緒で、
海外旅行はイイ男と行くに限ると思いました。
2つ目は3月、9月、12月と大津地裁に行ったことです。裁判の傍聴は初めてでした。
裁判もエンタテインメントだと思いました。
3つ目は檸檬屋の従業員を経験したことです。
人間はあんなふうに変わるものなのかとビックリしました」。

 次はチームに分かれてのクイズ。宮崎学カルト問題、記憶スケッチアカデミー、
ジェスチャークイズなど。
回答者が正座して宮崎さんのジャスチャーをジーっと見つめ、?と思った瞬間に手が挙がる。
みんな必死だ。私は宮崎さんがしこを踏んでる姿とか(正解は「他人の褌で相撲を取る」)
口を手で覆っている顔(同じく「笑う門には福来る」)が微笑ましかった。
我が「塩タンチーム」は5チーム中4位だった。優勝は「カルビチーム」。名前負けしてる。

 そしてメインイベントのビンゴ。賞品は四代目工藤会総裁溝下秀男さんの書、
山本集さんの富士山の絵、高山登久太郎さんサイン入りスポーツウエア、
宮崎さんのタイ土産のシルクパジャマ、愛用ネクタイなど。
私のお目当ては…。当らなかった、残念!

 2次会はカラオケボックス。宮崎さんは歌わない。宮崎さんの3大ニュースを聞く。
お兄さんと、件のシルクパジャマを渡すつもりだった人が亡くなった事をあげられた。 

 関西突破塾主宰のTさんと2人で話す。
「先週名古屋で『好きな人いないの』と聞かれて『今はいません』と答えたんですけど、
なんか違うと思って。全然ダメなんですけど、やっぱり今はその人が好きです。」
Tさんは「私は親分(宮崎さん)一筋やから」と、そのパワーで突破塾を立ち上げ、
発展させて宮崎さんを慕う多くの人を楽しませている。素晴らしい。私も見習いたい。

 門真市議会議員のTさんと、10人ぐらいで門真市のTさん宅に泊めてもらうことになる。
Tさんのマンション1階の居酒屋『日之出』。あまり覚えていない。
Tさんの部屋では先に行って既に寝ている人もいたが、みんなで話。
私も椅子から転がるように寝る。Aさんがコートをかけてくれる。
2002年12月07日(土)

3大ニュース

 明日の関西突破塾の課題、「私の今年の三大ニュース」を考える。
タイ旅行と檸檬屋新宿は入れるとして、「夏の恋」をどうしようかな。

 お歳暮を贈った人が、4日が誕生日だったと知る。
知っていればお誕生日プレゼントにしたのに。

 大阪までのバスは8:10発なので徹夜。それでも日記が書き終わらないって、
私は本当に遅筆。
2002年12月06日(金)

『エコプロダクツ2002』,『マルホランド・ドライブ』

 会社の視察で、東京ビッグサイトにて開催中の環境配慮製品の見本市
「エコプロダクツ」を見てくる。
本当は仕事で扱っている文具をしっかり見なくてはいけないのだが、
一番良かったのはオムロンのマッサージチェア。
一緒に行った5人でかわるがわる座ってみる。
もみ、たたき、指圧とかいろいろあって、「高いんだよね、こういうの。30万ぐらいかな」
などと言っていたら「19万ですか。え?9万円」。しかもオープン価格だそうで。欲しい!

 池袋新文芸坐にて『マルホランド・ドライブ』。
寝不足だったので心配だったが、オメメぱちくり。ものすごい緊張して見る。
わけがわからないけど、面白かった。わからせようと思って作ってない。

女優志望の女同士の友情と嫉妬と恋愛感情ということで、
この間見た『彼女たちの時間』と比べてしまう。
『マルホランド・ドライブ』の方がゴージャスできれいだし、
セックスシーンもずっと良かった。
2002年12月05日(木)

お歳暮

 月を跨った旅行だったこともあって、11月日記のアクセス数が不明。
このところ更新が遅れがちなのに、それ程数字は変わらないように思う。
皆さんが「まだかな?」と思って複数回チェックを入れるからだろうか。

 洗濯、少しだけ掃除、2日分だけ日記を書く。
テレビで映画『GO』を見る。やっぱり山崎努はカッコイイ。
名古屋のMさんはよく言ってなかったが。

 夏に、ある人に物を贈ったら「お中元と思い頂戴します」と言われた。
今回は初めてお歳暮として贈る。そうなると止めたら何かの意思がありそうでややこしい。
私は旅行に行ってもお土産はめったに買わない。
結婚披露宴には出ないし、お葬式にも行かない。
ちょっとした贈り物なのにうじゃうじゃ考えるのは私がケチで貧乏性だから。

物を贈るのは「私は役に立ちたい喜んでもらいたいと思っています」というメッセージだ。
全然嬉しくないかもしれないけど、迷惑でなければいい。
2002年12月04日(水)

『SNAPPER & GROUPER』,『人間(じんかん)到る処、修羅場在り』

 宮崎学さんから電話、「意見陳述を7日までにN君と相談してまとめて」とのこと。
お昼にN君に電話すると「もうHPにアップしてますよ」。すごーい。早い!
HPを見るとほとんど完璧ではないの。彼は私よりずっと後に大津を出たはずなのに、偉い。
そしてホッとする。今週は予定がギュウギュウだ。

 会社の同じチームの人たち&旧メンバーで忘年会。銀座の『スナッパー&グルーパー』。
お店のコンセプトは「ラテン&カリビアンリゾート風の内装の中で
ロブスターを味わいながらラテン系のノリで熱い夜を!」とのこと。
音楽はレゲエ、ロブスターは本日のメニューには無かった。
メインの「ポークチョップのオリジナルB.B.Q.おにぎり添え」は人気薄。
私はスモークものが苦手で、一口で降参。

天然ボケ女王のFさんはお酒が全く飲めない。
しかし知らない人が見たら、誰よりも酔いがまわっていると思うだろう。
飲み放題メニューのソフトドリンクを全種類飲み、一人で笑い転げている。

 たがたさんから原稿が届く。『人間(じんかん)到る処、修羅場在り』というタイトルの
「脱サラ後今は気ままに魚料理店を営む初老の男、名原と、
同じく脱OLで作家を目指す若い女性、真理さんとのメール交換の記録」である。
若い女性?というのが気になるが、その方が面白いだろう。
たがたさんより二十歳以上年下なのだから、嘘ではないし。
2002年12月03日(火)

肉丼,大津地方裁判所,帰京

 10:30頃起きる。
Yさんは朝食はいつもヨーグルト1パックを食べるらしい。私も少し頂く。
西本願寺や浄土真宗の話等しながら京都駅に向かう途中の喫茶店。私は肉丼。
お金の話になって、私が「遊んでばかりいるからお金がない」と言ったらご馳走してくれた。
そういうつもりではなかったのだが。

 薬を忘れたYさんは家に戻って、私は一人で大津地方裁判所に向かう。
だいぶ時間が余ると思ったが着いたらキツネ目組の人たちが建物の前に集合していた。
大阪のMさんがタイ旅行で撮った写真を見せてくれる。楽しい気分になってきた。

 本日は宮崎学さんが滋賀県警にトークショウを妨害されたと訴えている民事訴訟の、
原告による意見陳述。
大津地裁の一番大きな法廷が満席。キツネ目組は20人ぐらいか。Yさんも間に合う。
(宮崎さんの陳述はhttp://www.zorro-me.com/2002-12/021202-2.html)

私が痺れたのは
「警察が宮崎学の言論活動を妨害しないと言うのであれば、(宮崎学がこれまでやってきた)
一連の警察批判の講演会を滋賀県警の管理する建物の中で行いたいと思います。
そして妨害しないというならばそれを認めるべきであろうと思います。
私はその申し入れをただちに行うつもりであります。」
というくだりだ。
「よし!」と合いの手?を入れた人がいたが、私も「素敵!」と叫びたかった。
かっこいー。おもしろーい。
「こうやって闘うんやでえ」と見せてくれた宮崎さん、だーい好きだ。

続いて高山登久太郎さんの一問一答形式の意見陳述。
やくざが悪いと取締りを装い、やくざの飯の種を巻き上げているいる警察の矛盾をつく。
真中に座っている裁判官は無表情。
脇にいる若い女性の裁判官は眉間に皺を寄せて聞いていた。

終了後拍手が起る。この裁判自体がエンタテインメントだった。来て良かった。

 宮崎さんとみんなで『ロイヤルホスト』に向かう。
席に着いたら宮崎さんに「桜井、陳述まとめといて」と言われて焦る。
「えっ?いや、私聞き入ってしまってメモもとってないし。あ、でも、はい、やります」
ああ、失敗。メモとっておくんだった。困った。そしてもう帰らないと…。

Sさんに大津駅まで車で送ってもらって、キツネ目組の人と京都まで一緒に帰る。
職業を尋ねたら浄土真宗のお坊さんだった。
丁度今朝Yさんが「親鸞は浄土真宗の教えを『自分は信じてない』って言ったのに、
今も何十万もの人が西本願寺に集まってくるんやね。
左翼が『綱領なんか自分は信じてない』って言ったら誰もついてこんね」
と言っていた話をする。

京都駅に着いたら指定のこだままで30分も時間が余る。
萩原遼『北朝鮮に消えた友と私の物語』を読了。22:00ぐらいに帰宅。
早速意見陳述をまとめなくちゃいけない。しかし2:00過ぎまで雑事。
2002年12月02日(月)

『六味』,銀閣寺,『おめん』,Y氏邸,『安加郎』

 くのいちMさんとMさんの部屋に泊まったキツネ目組の人たちと
名古屋駅セントラルタワーズのきしめんの店『六味』。私はとろろきしめん。

 キツネ目組のRさんと(くのいちではない男性の)Mさんと3人で新幹線で京都に向かう。
京都に住んでいて、宮崎さんを「兄弟」と呼ぶYさんに京都の紅葉の見所を聞く。
銀閣寺から哲学の道、「おめん」でうどんがええよ、とのことで行ってみる。

実はそのコースは何回か経験している。
RさんもMさんも銀閣寺は行ったことがないというので
「私は何回も見てますから、外で待ってます」と言ったら
「じゃあ、やめようか」となったけど結局Mさんが私の拝観料を出してくれる。
済みません。
日曜日でものすごい人。銀閣寺はひっそりとしたイメージなんだが。

 哲学の道の紅葉は既に終わっていた。
「おめん」を見つけて入ってみると、ここも前に来たことがあった。

本日の宿をYさんに相談したり、Rさんの会社の保養所にあたったりしながら、京都駅に戻る。
京都駅のインフォメーションで、RさんとMさんは4,800円の駅近くのホテルに決定。
私は節約のためサウナにして、今日は映画の日だから映画でも見ようかな、
と思いつつYさんに電話。
「一人ならうちに泊まれるで」とのことでお世話になることにした。

Yさんの家は西本願寺の裏手の方。
駅から歩いて20分ほどの、築70年だかの古いお家だった。
近くの居酒屋『安加郎』でご馳走になる。私がワインとおつまみを買って家で飲む。

Yさんは体調を崩していたらしく「わし死にかけたんや」。病気と薬の副作用について話を聞く。
名古屋と最近の宮崎さんの話、「モラリストのフリーラヴ宣言」の話、京都の話など。

結構飲んだみたいで服のまま寝てしまう。
2002年12月01日(日)

抱茎亭日乗 / エムサク

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