『とんがり村』,カラオケ

朝4時過ぎまでかかって日記を書いて、布団に入ってもなかなか寝付けず、
ほとんど眠らず出勤。
「心を入れ替えて」と言われたUさんの最終日なので、
遅刻しないで行こうと思ったが事故渋滞。

Uさんは約1年間の出向だった業務のマニュアル作りの最終段階。
「みんなの写真を入れるんや」とか
「タイトルの『サルにもわかる』はしゃれが通じないかもしれんからやめといた」
などと言ってるのでどんなものになるのだろうと思ったら、
マニュアルというより楽しい読み物だった。

スタッフ紹介で「仕事は恐ろしくマイペース」と書かれた私。わはははは。
チーム全員宛てのお別れの挨拶メールでも「遅刻はしないように」と釘をさされる。
ううう。頑張らなくちゃ。

マニュアルにも「合言葉は『今日もとんがる?』」という見出しで登場する
豊洲の居酒屋『とんがり村』で大送別会。40名ぐらいか。
全く会話したことがない人たちとも話す。面白かった。

カラオケだし眠いしお金もないので2次会は遠慮しようと思ったが、
フラフラとついて行ってしまう。
私は歌わないので一曲踊る。みんなも踊る。

「最後まで遅刻して済みませんでした」とUさんに謝って、お世話になったお礼を言って
「また矢沢のライヴで会いましょう」と約束して帰る。
2002年10月31日(木)

『ルノアール高田馬場一号店』,喧嘩

 何とか安く行ける方法はないかと考え、次回11月2日の関西突破塾は飛行機で行くことにする。全然安くないけど、諸般の事情による最善策と思われる。

『ルノアール』で宮崎学さんに「バンコクは行かないのか?」と聞かれる。
11月の半ばにバンコクで宮崎さんの新刊『マリコ Take Off!』の出版記念パーティーがあるのだ。
「ううう。お金がとても続きません」

本日は『アウトロー・ジャパン』の仕事で宮崎さんとHさんと3人で会う。
宮崎さんは先に帰られ、Hさんと高田馬場駅に向かいながら話す。
「桜井さんは辛淑玉さんみたいになりたいの?」
「いや、別に」
「ジャーナリストになりたいんじゃないの?」
「うーん、そうではないような気がする」
「ジャーナリスト志望なのかと思った」
(なんかこの前もそんなこと言ってたな)
「この間、宮崎さんにジャーナリズム講座本の編集後記見てもらったの」
「何だって?」
「良く書けてるって。他の人にも見せたけど、みーんな良く書けてるって言う」
「よかったね」
「キツネ目組の人にH君を『連れて来い』って言われた」
「何で?」
「『シメテヤル』って」
「行くわけないじゃん。それで怒ってたのか」
「当り前じゃん」
「編集に対する考え方の違いだからね」
「そういう問題じゃないよ」
「そうじゃん」
「ところでH君て、会社で働いたことあるの?」
「何で?」
「質問に答えてよ、あるの?ないの?」
「なんでなんで?何でそんなこと聞くの?」
「なさそうだなあ、と思ったから。」
「なんで?」
「あなたの言動を見てそう思ったの。で、あるの?ないの?」
「何でそんなこと答えなくちゃいけないんだ」
「別にいけなくないよ。」
「多分間違ってるよ、その予想は」
「何それ、多分て。イエスかノーかじゃない」
「そんな質問に答えたくない。」
「あなたねえ!私はあなたの質問にいつもちゃんと答えているのに、何故私の質問に答えないのよ!」
「質問の仕方が悪いからだ」
「あ、そう!じゃあもう私もあなたの質問には一切答えない!」
と、高田馬場駅前で別れる。

ホームで電車を待っていたらHさんが現れる。ホームにいる人が注目する中大声でやりあう。
「電話でその話は置いとくってことになっただろう!」
「おいとけない!」
「じゃあ、この仕事は出来ないよ」
「出来なきゃやめなさいよ。私はやるから。あなたがやめて!」
「電話でこの仕事は協力してやろうって言ったじゃないか」
「やってるじゃん!」
「電話でこの話は置いとくってことになったのに、君がこの話を始めたんじゃないか!ぷんぷん怒ってさ」

電車が来て、H君がどんどん車輌の奥に行くので追いかける。車中の注目も集めてやりあう。
「目の前の仕事のことでいっぱいなんだ、もうこの話はやめてくれ」
「やめない」
「メーリングリストに書いてくれ」
「いや、面と向かってやる」
「俺はやらない」
「ふん、それでこの仕事はどうするの?私はやるよ」
「好きにすれば」
「します。そしてあなたが答えないならあなたの質問にも絶対答えない」
「好きにすれば」
「はい、さようなら」
と言って目白で車輌を移る。ああムカツク!向こうもだろうけど。

別に私は会社で働いたことがない人はダメだとかそういうことを言っているのではない。
宮崎さんも給料をもらう立場にいたことはない。
私は会社に10年以上いたが上司に嫌われてずーっと昇格できなかった落ちこぼれ社員だ。
ただHさんとのやり取りをつうじて彼の物言いからそう予想して、
また「きっとそうだよ」と言う人も多かったので確認したかっただけのこと。

私は「この話(編集後記の件)は置いておく」と言ったつもりはない。
電話では「私のことを『非協力的』と言ったのを取り消しなさい。
その上で協力してやりましょうって言えないの?」
と言ったら彼が「取り消します、協力してやりましょう」と言うから
「よし」とマリア並の慈悲で許して、協力してやっている。
「怒らずやる」などとは言っていない。
「喜怒哀楽激しく感情的になる」のは私の今年の抱負だ!(お持ちの方は年賀状参照)
2002年10月30日(水)

『エレファント・マン』,『Outlaw Japan』

 心を入れ替えるのは11月からにして、フラフラで出勤。
思考速度は通常の10倍ぐらい。「喋り方も随分遅いですよ」とW君に言われてしまう。

薄暗い劇場で眠りこけてしまったら、と心配した藤原竜也『エレファント・マン』だが、
一瞬たりとも見逃さなかった。時々目が霞んだけれど。
客席にはかつて同じ役を演じた市村正親も来ていた。
しかしどう想像しても醜い男には見えない。綺麗過ぎる。
ほとんど上半身裸でいるのだが、白いお尻も見た。もっと近くで見たい。
幸せな気分で帰る。今日は早く寝よう。

 と思ったら、Hさんから電話。編集長からのダメ出しで不安になったらしい。
「なんか怒ってない?」と私に聞くので「怒ってないよ」と言って提案をして差し上げる。
「わかったよ。こっちもFAX送っていいかな」と言うので「いいけど私もう寝る」。
「メールにも書いたけど、無理しないで。早めに言ってくれれば手伝うし」
「いや、私がやれと言われた仕事だから。そういう指示ではないのに二人ではやれない。」
「でも締め切りに遅れられると俺が困る」
「それは謝ったじゃん」
「いや、そういうことじゃなくて、ほんと無理しないで」
「ありがと」(そういうことじゃねえかよ)

FAXのリボン切れ、交換、ああもう。
「とっとと寝てください」と余白に書き込まれた10ページが届く。寝る。
2002年10月29日(火)

『COPAIN・COPINE』,『Outlaw Japan』

 2時間ぐらい寝て、出勤。
『アウトロー・ジャパン』の仕事を一緒に担当しているHさんに電話した後、
今朝のメール送信に失敗していることに気付く。朦朧としてたからな。

本日は私を面接・採用してくれたUさんの送別会。
有楽町のちょっとおしゃれ風な韓国家庭料理『コパン・コパン』に15人ほど。
チヂミと鍋がウリの店らしい。お腹いっぱい。きっちり2時間で追い出される。

Uさんにお世話になったお礼を言うと
「桜井さんはなかなか人が見つからなかったときに来てくれた、希望の星やったんや。
11月からは心を入れ替えて、頼むで」
と言われてしまう。やばい。

 帰って、今朝のメールを再送しようと思ったが眠ってしまう。
目が覚めて一読してから3時過ぎに送信。

Hさんに手直しした原稿も送って欲しいと言われたので、作業続行。朝6時に送信。
少しだけ寝ようと横になるが眠れず。
ああ、29日は藤原竜也なのに。心を入れ替えなければいけないのに。
2002年10月28日(月)

ミリバール芋煮会,『Outlaw Japan』

 『アウトロー・ジャパン』の締め切りは本日だが、
年に一度のミリバール芋煮会を欠席するわけにはいかない。
清野さんが引っ越したために、今年の会場は和泉多摩川の川原。
「駅から2、3分だよ、2時ごろには出来上がるんじゃないかなあ」と言われて、
3時過ぎに駅着。初めての場所で遠回りしながら会場らしきところに着くが見当たらず。
不安になる。

野球グランドを越えたところにも人が集まっているようなので行ってみると、
オゴウチ親子発見。芋煮はまだ出来ておらず、清野さん奮闘中。飲み食べしながら待つ。

味噌味豚と醤油味牛の芋煮、私は味噌豚派。最後のうどんも美味しかったー。

昨年は体調が悪くてぐずっていたオゴウチ君の愛娘Cは元気に走り回っていた。
もうママがいなくても泣いたりしない。
清野さんの息子たち(シュートとニートという名前がいい)も大きくなって。
楽しかった。

 オゴウチ君に「家に来る?」と誘われたが、仕事があるのでお断りして帰る。
『アウトロー・ジャパン』の作業を朝4:15まで。メールして5時頃布団に入る。
2002年10月27日(日)

ドラマ『旅の途中で』,『Outlaw Japan』

 明日が締め切りの『アウトロー・ジャパン』の仕事、さあやらねばと思ったが
うっかりついていたTVドラマを何気なく見始めてしまう。
脚本が山田太一ということで、本格的に見てしまう。

竹下景子が奥田瑛二の妻で、山本学に「一日一緒に歩いてくれないか、100万円払うから」と頼まれる。
おお!これは散歩屋の話ではないか。
竹下景子は「なんなのそれは!」と怒ってしまうが
100万円に興味津々のぐうたら亭主奥田瑛二。竹下景子は「ただならいいわ」。

で、こっそり100万円を受け取りながらやっぱり心配する奥田瑛二、
風変わりな依頼に少し不安、でも非日常が楽しい竹下景子、何か秘密がある山本学。

面白かった。サスペンスではない、夫婦の絆を描いた、よく出来たドラマだった。
「散歩屋」(という言葉を山田太一は使っていないが)をネタに脚本を書き、
ちゃんとしたドラマにする山田太一と、
HPのキャンペーンにしても一件も問い合わせのない私の違いだ。
(しかし、「私も散歩仕事人になりたいです」というスタッフ応募のメールは来た。)

 というわけで、宮崎学さんに「しっかり金もらえよ」と言われた『アウトロー・ジャパン』の仕事をちゃんとやらなくては。作業を夜中まで。
2002年10月26日(土)

TOP OF SHINAGAWA

大学ゼミ仲間のFちゃんから、石垣島のY夫婦が上京しているので一緒に会わないかとのお誘い。Y夫人のKさんと私は慶応義塾大学病院入院で同室だった仲。
その後石垣好きのFちゃんも含めての交流が始まった。

KさんとはFちゃんと一緒に行った去年の石垣以来、Yさんとは昨年末の大阪以来。
Yさんは石垣と大阪を行ったり来たりしている。
Yさんは還暦だが、ヒップホップ好きの若者のような格好だ。
そのファッションで夫妻の滞在する品川プリンスホテルのラウンジ
「TOP OF SHINAGAWA」に現れた。

Yさんの若い頃の話は面白い。今も面白いが。
体を壊して今は一滴も飲まないが、かつては大酒飲みで、
アイスペールでウィスキーを飲んでいたらしい。

Yさんはマンションブームの頃マンション広告の仕事をしていたこともあって
石垣の物件もいろいろ相談を受けたりするとのこと。
南の島に移住を考えている読者の方がいたら、ご紹介します。

7時過ぎから23時過ぎまで楽しくお話した後、品川駅でFちゃんとまだまだ話す。
Fちゃんはモテモテだ。

別れ際に手を振りながら「2万件おめでとう」と言ってくれる。
?と思ったら日記のアクセスのことだった。嬉しいなあ。
さすがである。可愛いだけではないモテモテの秘訣だな。
2002年10月25日(金)

20000超感謝キャンペーン

今年の春頃考えていた「散歩屋」。犬ではなく人間の散歩に同行するビジネス。
日記アクセス2万件突破記念はこれのお試し無料サービスにしようかな。どうでしょう?

受付は10月末日まで。実費のみで散歩・お出掛けに同行致します。
都内なら交通費もサービス。まずはメールにてお問い合わせ下さい。

ってこんなの本気で問い合わせてくる人はいないだろうなあ。
「11月2日や12月7日の関西突破塾に参加したいので同行してほしい」とか、
「11月15〜17日タイに行くんだけど、海外でもいいか」とか、
「11月30日名古屋に行って、12月2日は大津で裁判の傍聴をしてみたいけど、これって散歩?」とか大歓迎です!!
なんて、これでは自分が行きたいところに連れてって、と言ってるのがバレバレだ。
そのままだ。

基本的にはご希望の場所に同行しますが、動物系は苦手です。
「夜の墓地で肝試しをしたい」とかも困る。
とりあえず、詳細応相談ということで、お問い合わせお待ちしております。
2002年10月24日(木)

20000超,具合悪い

 気がつけばいつの間にか日記のカウンターが20000を超えている。
皆様ありがとうございます。1年前の今頃は『ミリバール』でパーティーをやったんだったな。
今回は…?とりあえず、飲みながら考えますか。お誘い下さいませ。

 朝起きられず、昼から頑張って出勤。最近豊洲にオープンしたマクドナルドに行ってみる。
昼時なのに空いている。59円のハンバーガーを初めて食べた。

 やはり具合が悪い。映画もやめて帰る。
夕飯は家の近所の中華。マーボートーフメン、意外に美味しい。

 ジャーナリズム講座の次期講師をお願いしたいジャーナリストに電話。
「最近ちょっと出すぎているかな、と思っていて。取材したこと以外の
『報道とは』とか、自分自身を語る場には出ないようにしている」との事。
「本が出る時期に合わせて取材されたことをお話し頂くというのは?」
と食い下がってみたが、来年の予定は全然わからないらしい。残念。
2002年10月23日(水)

食中り,auショップ

 会社に来ているお弁当デリバリー『はがくれ』は、400円で日替わりメニュー。
近所で売っているお弁当に比べるとお得な感じ。でも油が良くない。
本日は鶏の唐揚、五目焼きそば、焼き魚、コールスローサラダ。

午後、お腹を壊して具合が悪くなる。

会社で数少ない主婦のFさんに
「お弁当の『はがくれ』で中ったみたい。この階で食べたのは今日は私だけ。
他のはがくれの会の人たちは平気だった」
と言ったら「ああ、貝は危ないよね」。
「違うよ、貝は食べてない。このフロア。はがくれの会はメンバー」
「あら、違うカイが3つ」
って、この人は天然ボケ。一字違いで皆「不思議さん」と呼ぶ。

夕方も同じチームのHさんが「家の近くの人気のない駐車場の向こうに浄水場があって、
その門のところで死体が見つかったらしいんです」という話をしたら
不思議さんは「ドザエモンが流れてきたの?」。
「違うよ、流れては来ないよ、門のところだから」
「あれ?排水溝でしょ?」
「浄水場!」
という調子。食中りでげんなりしているところにますます力が抜ける。

 最近携帯電話の調子がおかしいので、電池パックをもらおうとauショップ。
「古い機種の電池パックは売れなくて、有害ゴミになるので在庫があればタダでくれる」
という人の話を信じて、「電池パックいただけますか?」と聞いてみたが
「そういうことはやっておりません。4,800円で取寄せに1週間かかります」と言われる。

となるとカメラ付きケータイに惹かれるが、電池パックの3倍以上の値段なので諦める。

 寝不足と寒さも体調不良の原因かもしれない。早めに寝る。
2002年10月22日(火)

Vogue写真展「All About Elegance」

 金曜日に通りすがりで気になったVogue写真展を見に行く。
シャネル銀座ビルの、会場中にひかれた真っ赤なカーテンがゴージャスな雰囲気。
写真は綺麗だけど、あまり面白いものはなかった。

2階でシャンパンのサービスをしていたので、スタッフと少し話す。
この写真展は「銀座アキュイユ」というイベントの一環らしいが、
これは「銀座祭」が衣替えしたものなのか?

 洗濯、日記で3時半まで。
2002年10月21日(月)

ルノワール高田馬場1号店

 仕事を控えて緊張しているからか7:30に寝たのに10:30に目が覚める。
どういう生活時間かね。

 『アウトロー・ジャパン』の仕事で18:30にルノワールでHさんと待ち合わせ、
宮崎学さんを待つ。宮崎さんがいつも原稿を書く席で事前打ち合わせをしていたら、
既に宮崎さんは柱の陰の席に座っていた。 

 終了後、宮崎さんに「10分ぐらお話してもいいいですか?」と聞く。「どした?」
Hさんが立ち上がりそうにないので「私、宮崎さんにお話あるから」と言う。
「うん」と言ってまだ動かないので「私と宮崎さんの話だから」。
「あ、俺がいたらまずいの?」
「そう!」
「ヤラシイ話じゃないだろう。桜井、男は出来たのか?」と宮崎さん。
「ううう」

Hさんを追い返して、Hさんに「みっともない」「感情の垂れ流し」
「陳腐な問題意識」「情報価値はほとんど0」と言われた、
ジャーナリズム講座本の編集後記を宮崎さんに読んで頂く。
ドキドキドキ…。
「うん、いいじゃない」と宮崎さん。
「よかったぁ。Hさんにこてんぱに言われたんですよ。他の人はみんな良く書けてると言ってくれるのに」
「そうかあ」と言って、アドバイスをして下さる。優しい宮崎さん。
お礼を言うと「男が出来たって話じゃなかったのか。はははは」
「うう」

ああ、良かった。こんなことを相談するのは恥ずかしい、という迷いがあった。
でも、私は絶対自分の編集後記をボツにはさせない。

 帰ってTVのあちこちの番組を見る。藤原竜也!と思ったら『情熱大陸』はもう終りだった。
これは失敗、残念。どなたかヴィデオ撮っている人がいたら是非見せて下さい。お願い!
2002年10月20日(日)

寝まくり,徹夜

昨夜帰ってからすぐ寝たような気がするが、起きたら17:00。
15時間ぐらい寝てたのだろうか?メールやら日記やらであっというまに夜になる。

明日の『アウトロー・ジャパン』の仕事の資料読み、準備を朝7:30まで。
2002年10月19日(土)

一周年記念,利久庵,映画『ザ・ロイヤルテネンバウムス』『ディナー・ラッシュ』,檸檬屋新宿

 OL稼業をしている会社の一周年で、仕事は午前中のみ。なのに遅刻してしまう。
昨日の今日だというのに、また他人のお弁当を食べてしまうところだった。危ない危ない。

 午後は会社のイベントのボウリング大会を欠席して
シネスイッチ銀座で『ザ・ロイヤルテネンバウムス』を見る。

 上映を待つ間に『利久庵』のとろろそば。麺が白い。
ちゃんとした蕎麦は久し振りで美味しいが、950円は高い。

 夕方豊洲に戻って会社の飲み会に出席。
会社のPCがHP「MARIBAR」に繋がらない謎をFさんが解明してくれる。
ちょっと日にちがかかるだけのことらしい。

終了後再びシネスイッチ銀座で『ディナー・ラッシュ』を見る。

3時間ちょっとしか寝ていなかったので、フラフラだった。
アルコールも入って『ディナー・ラッシュ』の始まりは眠ってしまった。

 金曜日のシネスイッチ銀座は女性は900円。欲張った。でも2本とも良かった。
私は『ディナーラッシュ』の方が好きだった。 厨房で働く男たちがセクシー。
そして、2本の映画ともじいさんの方がかっこいい。
これは深作欣二監督やソンコマージュさん(ギター奏者)を見ても感じることだ。

 夜は檸檬屋新宿。今日が誕生日の常連客Yさんのお祝いに顔を出す。
住枝さんもいる。少し痩せた。あまり元気がない様子。

Yさんは上機嫌でかなり酔っており、谷中店にも行くとのことだったが、
私は眠くて仕方がないので帰る
2002年10月18日(金)

盗み食い

会社にお弁当のデリバリーがあって、前日までにNさんに翌日の注文をメールする。
Nさんが私のところに来て「人のお弁当食べちゃダメですよ」と囁くので魂消る。
「はい?!私?」
「そうです。何日か前、Uさんが頼んだお弁当、桜井さんが食べちゃったんです」
「えー?マジで?」
「そうや」とUさん。
「Uさんは仕方ないから、コンビニでご飯買ってきたんですよ」
「なんで言ってくれないんですか?私に言わないでNさんに言うなんて」
「あそこまで堂々と食べられたら、しゃあないなと」
「僕のところに確認しに来てくれたんです。」
「で、私は注文していなかった?」
「してなかったです」
「ぎゃー、ごめんなさい!どうしよう。ひどーい、本当にごめんなさい」
「そんなに気にしなくても」
「いや、食べ物の恨みは恐ろしいんですよ。こわーいこわーい。本当に申し訳ありませんでした!」
「まあ、僕も他の人の分食べちゃったことあるし。今のやり方だとこういうことは十分あり得る」
「ううう。済みませんでした…」
ああ恥ずかしい。履歴を確認したら確かに15日の分はメールを出し忘れていた。とほほ。
2002年10月17日(木)

金澤栄コンサート,『円らく中野荘』

 時間通りに会社に着くためにはもっと早く起きなきゃいけなくて、
そのためには早く寝なきゃいけなくて、
家でもやらなければならないことがいっぱいあるから、
会社を早く出なくちゃいけない。だけど残業がある。だから無理。

 津軽三味線奏者の金澤栄さんのコンサートで、母と中野ZEROホール。ほぼ満席。
母とはもう何年も前に『地酒屋』という飲み屋で金澤さんの演奏会があったときに
初めて一緒に見た。
指先までよく見える距離で、美味しい日本酒を飲みながら聞く津軽三味線は
大変贅沢だった。

 今回のコンサートではモンゴルの女性歌手や、中国の楽器二胡も登場してまた贅沢。
金澤さんは小林よしのりにちょっと似ているのだが、演奏している姿はカッコイイ。 
芸歴40年の貫禄。母もすごく良かったと喜んでいた。

 コンサートの前に帽子を衝動買いしてしまってお金がない、と言う母。
一昨日も中国料理をご馳走になったし、今夜は私が払うことにする。
古い民家(蔵?)を改装した居酒屋『円らく中野荘』。
刺身もさんまとトマトのちらし寿司も美味しい。
店員は皆若いけど、親切。雰囲気もいいし、お酒もいろいろ揃っている。意外に安い。
いい店だ。
2002年10月16日(水)

遅刻,資料チェック

 先週の会議で注意されたので絶対遅刻しないつもりだったが、ダメだった。

 昨日家の近所の図書館に行ったら17日まで休みだった。
昼休みに会社の近くの豊洲図書館。『アウトロー・ジャパン』の仕事の参考資料を予約。
他にも目を通さなければいけない文章いっぱい。

家に帰って資料読みのつもりが、北朝鮮拉致被害者帰国のニュースに見入ってしまう。

> この五人の人たち、一体、どんな思いなんでしょう・・・。
> この問題について考え聞かせて!

というメールも来て、考え込む。想像するのは難しい。
返信を書いても、どこかで誰かが言っていたようなことになってしまう。
2002年10月15日(火)

『枉駕』,新座

 12時間ぐらい寝てしまう。先週は睡眠不足で風邪ひいて、この連休は寝まくりだ。

 掃除をして、新座へ。母と東久留米駅で待ち合わせて、自然食野菜の中国料理店
『枉駕(おうが)』。美味しい。東久留米も店が増えてきたが、ここは素晴らしい。

 ジャーナリズム講座のHさんが「家にあるなんてすごい」と言った
松本清張の『日本の黒い霧』と『昭和史発掘』全巻を実家でチェックする。
ついでに母にジャーナリズム講座本の編集後記と
Hさんからの「あなたの問題意識は陳腐だと思います」というメールを見せる。
「なにこれ、バカじゃないの」と母も怒る。身内贔屓は当然だが。

『噂の真相』の連載で高橋春男が
「人をけなすってのは、下手をすると自分の無知をさらけだしてしまうことがあるんですわ」
と書いていて、本当だなと思う。
2002年10月14日(月)

サーバ復活

 プロバイダのIさんに電話。設定の変更を教えてもらって、メール、インターネットが復活。
ダイアルアップもサクサク繋がっていい感じ。

 久し振りに日記を更新してメールを書いて連休2日目が終わる。
2002年10月13日(日)

サーバダウン中

 久し振りにゆっくり起きて、お昼を食べてまた寝る。風邪は直ってきた。

 昨日宮崎学さんに電話番号を教えてもらって、
あるジャーナリストに次期講座の講師を依頼する。是非会ってお話を聞いてみたい人。
電話に出たのは美しい声の女性。結婚しているのかな?

 インターネット接続を試みるも失敗。まだ調整中なのだろうか。私の設定ミスか。
プロバイダのIさんには連絡つかず。 

 ジャーナリズム講座のHさんから電話。次回の仕事について。
サーバがダウンしていると言ったらインターキューとかいう
短時間の接続はタダのプロバイダがあると教えてくれる。緊急用として使ってみようか。

日記を書いて、連休初日が終わる。
2002年10月12日(土)

激怒,注意,檸檬屋新宿

 昼休みにジャーナリズム講座のHさんから電話がかかってくる。
「次の仕事に必要な本が手に入らないんだよ」
「私持ってる」
「何処で手に入れたの?」
「家にあるの」
「それってすごくない?コピーさせてよ」
「……あのねえ、人のこと『非協力的』とか言っといて、冗談じゃないよ!」
「それは、違う話でしょ。その話は置いといて、この仕事は冷静に感情抜きでやろうよ」
「置いておかない。置けない。人間なんだから感情抜きでは出来ない」
「そんなこと言うなら、この仕事は無理だよ。出来ない」
「出来ないならやめな。私はやるから、出来ないあなたが断ればいい」
「そんなに怒ってんの?」
「当たり前でしょう!」
「……。じゃあ無理じゃんか」
「『非協力的』という言葉を取り消しなさいよ。その上で一緒にやりましょうって言えないの」
「わかりました。取り消します。一緒にやりましょう」
「よし」
ということで、後は相談に乗って差し上げる。私って本当に優しい。
久し振りに怒り狂ったけど。

 昨日の飲み会でUさんに「桜井さんの私用電話、皆聞いてるで」と言われたので
「また聞き耳立てちゃいました?」と聞いたら
「昼休みだからいいけど、勤務時間中は部屋の外でやってな」と注意されてしまう。

 毎週金曜日は午後一番でミーティング。なんとUさんが出向を解かれ、異動とのこと。
「僕が言ってもあまり説得力がないですが、遅刻はせんように。勤務時間中の私用電話は部屋の外で。このチームは他より年齢層が高いんだから、そんな基本的なことは言われんようにして下さい」と置き土産に会議でも注意される。とほほ。

私を面接して採用してくれたのはUさんだし、矢沢永吉ファン仲間としては、異動は寂しい。

 2ヵ月半ぶりに檸檬屋新宿。
常連のYさんと、電脳キツネ目組のコウモリMさんと大きいMさんにも久し振りに会う。
編集者のコウモリMさんに例の編集後記を見てもらう。
「いいじゃない。これがなんで問題なの?」
「でしょー!」
Yさんは私の日記を読んでくれているので、今日の電話のことも含めてみんなにぶちまける。
「なんだそいつは、そのHをここに呼べ」と言ってくれる。

大きいMさんは寅さんの真似で「でもな、さくら。そんな奴を相手に怒ったんじゃお前さんも同じレベルになっちまうよ」。
「同じレベルなのよ、お兄ちゃん。同じ年で、受講生で、別にどっちが上でもない。だからむかつくのよ」
なんて言ってるMさんと私も同じ年。

 そして、20:30過ぎに宮崎学さんが見える。
宮崎さんもかなり久し振りの檸檬屋じゃないだろうか。
私も宮崎さんとゆっくりお話するのは、アウトロー・ジャパンの仕事以来。
次の仕事も決まっているので「よろしくお願いします」とご挨拶。やっぱり緊張する。

新しく出る本の話、北朝鮮の話など。
今度北朝鮮についての勉強会をしよう、ということになる。
大きいMさんが「会場はやっぱり『北の家族』だよな」。ハイハイ。
さて、準備をしなくては。面白そう。

住枝さんは谷中店にいて具合が悪くなったとかで来なかった。
谷中店は金曜日のみ営業しているらしい。状況は厳しく、良くなる気配もないけれど、
住枝さんがお客さんや従業員を怒鳴りちらしたり、酔って暴れたり
買い物ブギや更なる新店舗オープンの欲を出したりといった無茶苦茶なことはなくなったらしいので、細々やればよいのでは。

私としては、宮崎さんに会ってお話できるかもしれない空間が無いのは寂しい。
檸檬屋でもいいし、檸檬屋じゃなくても、そういう場があればいいと思う。
2002年10月11日(金)

サーバ停止中,『土風炉』

 プロバイダのIさんに電話。メールをウェブメールに変更作業中とのこと。
本日深夜までのメールは読めなくなるかもしれないらしい。

 昼休みに会社のPCから、ジャーナリズム講座のHさんのメールに返信。
体調のせいもあるが食欲が減退する。

> 申し訳ありませんが、本を無事に形にするために、
> これ以降、このMLではあとがきのテーマはご法度にしてください。

ハイハイ、よろこんで。

> 後書きのテーマは、このテーマだけに特化した
> 別の期間限定隔離MLを作成して、そこで行ないます。

要らん、っちゅうのそんなの。私は参加しない。

 会社を辞めたアルバイトのO君の送別会。銀座一丁目『土風炉』。
大きな店で店内に小川が流れるなど凝った作りだが、通路にビール瓶のケースが置いてあったり本来厨房やバックヤードに置くべきものが個室の客席に置いてあるのが見えて、雰囲気ぶち壊し。

 O君の次の仕事は月給50万円だそうだ。9時にスーツで出勤しているらしい。
Yさんて、昭和天皇の若い頃に似てるよね等と皇室話をしていたら
「ヒロノミヤって誰っすか?」とO君。へえ、知らないのかと驚く。
「人の金で暮らしやがってムカツク」というので
「その感覚は正しいよ」と私。

 家に帰ってIさんに教えてもらったとおりにPCの設定を変えてみるが上手くいかず。
メールも読めないので早めに寝る。
2002年10月10日(木)

うんざり,ナインアンダー,新高円寺居酒屋,サーバダウン?

 ジャーナリズム講座のHさんから「もっとちゃんと考えてほしい。」というメールが来る。
ああもう、彼には何回「それはこっちのセリフだよ」と言ったことだろう。
思わず笑ってしまう。本当に珍しい人だ。

それにしても消耗する。彼の言っていることに「ちゃんと」答えて、こちらが質問しても
その質問には「ちゃんと」答えず、また同じ事(嫌だ、迷惑だ、やめろ)を違う言い方で言ってくる。前に進まない。
でも、私は優しいから「ちゃんと」お答えして差し上げる。更に問い続ける。
相手はわけわからん状態になる。この先は多分、ブチッ。絶交。かな?

その間に見えるものもいろいろあって面白い、と考えることにしよう。

 風邪。頑張って出勤するも仕事のペースは大幅ダウン。まずい。

 フラフラだけど、辞めた会社の後輩で現在脚本家の卵のMさんがベーシストとして参加しているバンド「ナインアンダー」のライヴを見に新高円寺のライブハウス『RITZ』。

着いたときには高校生のパンクバンドが演奏中で混んでいた。
みな制服で跳ねまくっていて楽しそうで可愛い。
聞いたことがない曲だったが、オリジナルだとしたら結構いい感じだと思った。

「ナインアンダー」は初見。Mさんが前に参加していたバンドより全然いい。
「ひたすら明るく楽しく押しまくる直球バンド(?)です。」
とのことだったが、ボーカルのMCも可笑しいし、歌も聞かせる。
目を閉じて歌うのは良くないと思うが。

 辞めた会社の後輩のNさんが見に来ていた。帰りに新高円寺駅近くの居酒屋。
Nさんも体調が良くないらしく、烏龍茶。私はワインを一杯だけ。

会社の情報、彼女の参加している研修の話。勉強が大変らしい。

 帰ってメールチェック。あれ?どうやらサーバダウンらしい。HPも見られず。
2002年10月09日(水)

ダメじゃん,風邪?

 昨日の私の一喝がどう作用するとそうなるのかわからないが、
ジャーナリズム講座のHさんが

> 他にあとがきを書く人を募集しますので、どんどん書いちゃってください。
> んで、いいものをのっけましょう(あるいは、全部没にするか)。

などと言い出す。なんじゃそりゃ。しかし私は優しいので

「これは、今決まっていることと違うから、勝手に進めちゃダメです。
会議で提案してそういうふうにやろうってことになったら、にしましょう。」

と返す。全く世話が焼ける。

 夜になって、Hさんと組んでやる次の仕事のレジュメが送られてくる。彼は前に

> ぶっちゃけていえば、自分が担当編集だったら、
> あなたがよほど自分の琴線に振れる良い文章を書くか、
> あるいはポジションが確立された人気作家ゆえに
> 確実に儲かる見込みがない限り、
> 絶対に組みたくないですね。自我が不必要に固すぎて、
> やりにくくってしかたありません。

と言ってたから、この仕事は断るのかと思ったら
「アポ取りとレジュメの送付はよろしくお願いします」
「資料集めは桜井さんにお願いしたい」だと。
雑用係としてなら使ってやるって事か。ふざけんなよ。

 鼻水つるつる。お風呂に入って早く寝ようと思ったが、今日も3時。
寝不足が体調不良の原因だとわかってはいるのだが。
2002年10月08日(火)

終りなき対決

 ジャーナリズム講座本の編集後記に端を発したHさんとの対決は
事務局Yさんの「メールでの議論は禁止」の一声で終わったかと思ったら、さにあらず。

Hさんが「感情的に荒れるばかりの桜井さんと、この件で話すことはなにもありません」
などと仰るので、
「Yさんの言に従うと言うなら人の名前を挙げてうじゃうじゃ言ってないで
すぱっと止めて下さい」と返す。

 編集後記に関する私の提案に、唯一人反応してくれたKさんにはお礼を言って、
続きは会議で、ということにする。
2002年10月07日(月)

『矢沢永吉 終りなき旅』,ラヴリィ・メール,ML対決終息

 ジャーナリズム講座本のMLに昨日のメール下書きをほとんどそのまま送信。

 テレビ朝日『矢沢永吉 終りなき旅』を見る。かっこ良かったけど、
やっぱりツアーの合間にリラックスしている永ちゃんより、
音作りをしているときのめちゃくちゃテンション高い状態とか
何かをつかんでやるって意気込んでいる瞬間とか、ステージ直後の姿とかが見たい。
今までにもそういう番組はあったが、そっちの方が面白かった。

 女優で歌手のNさんから「愛について」と「仕事の相談」の素敵なメールが届く。
ジャーナリズム講座本の件で殺伐とした気分だったのが、
すぅっとするような、新たな力が湧くような気持ちになれた。

 夕方、ジャーナリズム講座事務局Yさんから
「メールではなく直接会って話し合ってください」というメール。
それって私とHさんと2人で会えって事か?それで解決するのかね?と思ったところへ
Uさんから「皆で会って徹底して議論しましょう」という提案。

そして結局Yさんが

> 編集後記の件は、桜井原稿とH原稿を版元に提出し、版元に一任すると、すでに結
> 論が出た話です。いったん決定したことに異議がある場合は、私が参加する会議で再
> 提案してください。これ以上は編集作業を混乱させますので、このML上での議論を禁
> じます。

と漸く言ってくれた。Yさんは議論しましょうと言ったのに議論を避け、
版元が判断するからと逃げられた感じもしていたので、
私はYさんにビシッと言ってほしかったのだ。

Uさんの提案にも感謝。2人のドロドロのやり取りが続いて
「もう誰か止めてくれー!」という状態だったのでホッとした。

MLでは議論を禁じられたのでUさんにお礼のメール。

「前に講座に沖縄のおじいさんが見えたとき
原稿がボツにされた話をずーっとしていましたよね。
彼の気持ちがすごく良くわかりました。
やっぱり原稿ボツの危機には身体を張って抵抗したくなります。

生意気ですが、Uさんはさすが、先生。そして年長者。
丁寧な思いやりのあるメールありがとうございました。本当に嬉しかったです。

P.S
Hさんともこういうポジティブなやり取りができればいいと思うのですが
どうも私は突っかかってこられると応戦してしまうのでした。ははは。」

結局掃除も他の仕事も出来ず。次期ジャーナリズム講座の講師依頼の手紙だけ書いて寝る。
2002年10月06日(日)

慶応義塾大学病院,自分語り対決

 朝帰り。3時間眠って、二日酔い気味ながら必死の思いで慶応義塾大学病院。
先日の子宮ガン検診の結果、「問題ありません」。
また1年後に「紹介がないから」といって5,000円取られてはたまらないので
「1年後の予約を取りたいのですが」と言う。
すると「子宮筋腫をやっているなら半年毎に見たほうがいいですよ」。
そんなこと初めて聞いた。もう。

で、会計が終わって、受付からの所要時間15分。
早くてよいが、先日の検査は同じ土曜日で3時間半かかった。
何故ここまで差が出るのか、不思議だ。

 帰って寝ようと思ったらジャーナリズム講座のHさんから、「語っても仕方ないけど」
というちょっと弱気の心情吐露メールが来る。

> 内心、後書きもいらないと思ってます。

とのこと。だったら書かなきゃいいんじゃないの?
と、よく見たら私個人へのメールではなく、MLへの投稿だった。

「ん?後書きは書かないって事?必要ないと思うけど、決まったことだから書く?
わからん…。何が何でも私の原稿は載せて欲しくないって事か?

よーく考えてから、はっきりと、ものを言えよ。」

と返信。夕方になる。
夜、Hさんから「不毛です。これ以降は、無視します。」という投稿(抜粋)。

> だからね、それは別の場所でやってくれと言ってるの。
> あなただけがいるわけじゃないでしょう? この場所には。
> それ以上に、地味な作業をいやがって、非協力な人には、
> そういうことを、あんまり語って欲しくないんだよ。
> 欲望の剥き出しは、あまりにもみっともない。
> まったく共感できない。>桜井さん
>
> ぶっちゃけていえば、自分が担当編集だったら、
> あなたがよほど自分の琴線に振れる良い文章を書くか、
> あるいはポジションが確立された人気作家ゆえに
> 確実に儲かる見込みがない限り、
> 絶対に組みたくないですね。自我が不必要に固すぎて、
> やりにくくってしかたありません。

私の返信(抜粋)。
「何の権限があって私を追い出すのでしょうか。

私も共感できません。
他の人のこと考えていないのは、みっともないのはどっちだよ、と思います。
欲望剥き出しと、欲があるくせにストイックぶってるのと、
どっちがよりみっともないのか。
他の人たちは『どっちもどっち』と思っているんじゃないかしら?
ぎゃあぎゃあ騒いでとっちらかって、あげく『無視します』ってのもすごい。

あなたは地道な作業を自分で選択したんでしょう。
私も後書きを書くという作業を依頼を受けて選択しました。
私を非協力で自分の欲望のことしか考えてないと見るのも勝手だけど
私はいい本を作りたい、売れてほしい、と思って
皆で一緒に作ろうよという姿勢で作業しています。
皆はそれをわかってくれたから私の後書きを認めてくれたのだと思います。

『自我が不必要に固い』という言葉は、そのままお返しします。
『無視する』と決めた相手に向かってなんのためにそういうことを言うのかわからないけど、
やりやすい人と楽しく仕事ができるようになるといいですね。

> ところで、誰に対してもそういう感じで話してんですか?
> 自分だから、軽く見られて、そういう無粋な云われ方をするのは心外です。

無粋?よくわからない。

幼児じゃあるまいし、誰に対してもな同じなわけないです。
受講生という同じ立場で、同じ年だけど、ライターとしては先輩のHさん。
これから先も仕事を一緒にする人だと、大事に思っています。
私はそういう相手を無視などしないし、真剣に話します。
軽く見るなんてとんでもない。

『みっともない』とか
『あなたの問題意識は陳腐だと思います』とか
人に発したネガティブな言葉は自分に返るものです。
『お前はこうだ!』という部分は自分の中にもあるんです。

軽く見られていると感じるということは
『内容を変えることを諭しているわけで、できるだけ角が立たないように気を
使ってるんだ、ということに気がついてください。』
とかの、上に立ったもの言いが自分に返ってきただけのことじゃない?

心外なら、言い方変えてもいいですが、内容は変わらないです。」

そして、はたと気付く。

Hさんは自分語りをした。
私はそれを聞いて「そりゃあ大変ねえ」と言って
私の感想、意見・解決策を述べた。私も自分を語った。

それがいけなかった?「そうですかそうですか」で終えてほしかったのか?
だから私の語りは無視するわけね?

そういう失敗はよくある。
私は言われたら言い返す、語られたら語る、
言ったら言い返してほしいし、悩み相談は聞いてほしいより意見がほしいタイプなので。
「黙って聞け」は苦手だ。

この二人の「自分語り」の性格の違いが、
後書きにしていいものか、いけないものかの違いかもしれない。
Hさんの自分語りは人の感想意見を無視する言いっぱなしだ。

> 自分の内面で回っているような、問題意識から
> でた文章なんて、読者は読みたくないんだよ。

確かに。「自分の内面の問題を解消できないってだけなのではないのでしょうか」
っていう言葉もそのままお返ししとこう。

と、ここまで書いて、恐ろしく睡眠不足だし
わりと激しい内容なので、頭を冷してもう一回読んでからにしようと思って、
送信しないで寝る。
2002年10月05日(土)

9/28日記訂正,club asia,ミリバール

 関西突破塾に参加して4次会まで一緒だった、『あの日から世界が変わった ニューヨーク Good Bye 物語』の著者、たけちよさんからメール。

> 日記で編集後記をお好み焼き屋でNさんが読んで、みなに聞かせたとか。
> で、ぼくもいたとか? ん?、記憶にないんですけど・・・。

> でもまあもう解決したならそれでいいんですけどね。
> これからも真理ちゃん流で楽しゅうどうぞ。

あー、そうだった!隣にいたのはEさんだった。お好み焼き屋ではなくてバーの方だが。
失礼しました。Eさんにも悪いことしてしまった。
Eさんは私のことを褒めて下さったのに、勘違いするなんて酷い。ごめんなさい。
以上お詫びして訂正いたします。

 3時間半睡眠でふらふらだけど、家に帰って1時間だけ寝転んで、club asia。
VJで建築家修行中のyuhi君を紹介しようと思っていた、女優で歌手のNさんを誘う。

待ち合わせに現れたNさんは男の人を連れていたので、お友達?と思ったら
電車の中からついてきた人だと言う。酔っ払っていたみたいだが、
Nさんに吸い寄せられてしまったらしい。

前に高橋玄監督がNさんのことを
「クラブや音楽シーンにあいつと行ったら、どれだけ『顔』か判るよ。」
と言っていてけど、本当だった。というよりNさんのことを知らない人も惹きつけてしまう。
始めの、ついてきちゃった音楽業界会社員や、遠巻きに何か言いたそうにしている人。

Nさんはyuhi君のVJをすごく気に入っていた。音楽もチルアウトで、良い感じ。
「もう、yuhi君かわいくて才能があって大好きです」とNさんに言ったら
「あれぐらいの年はかわいくないぐらいのほうがいいのよね」とのこと。
ナルホド。でも私はyuhi君を見てるとニコニコ顔になってしまう。

ライヴが始まって、ちょっと見て「なんだかね」。

道をはさんで隣の建物もclub asiaで、こちらはHIP HOP。若い。
混んでてステージのダンスショウも顔しか見えない。Nさんの知っている人だったらしい。
私はDJが「みんな!俺たちなんとかだぜ!yo-!」とか喋るのはどうも恥ずかしい。

 お茶でもしようか、ということでミリバール。Nさんはコーヒー、私はビール。
Nさんと一緒に何か出来たら面白いと以前から考えていたベゴニアさんのブックを見せたり、
いろいろな話で盛り上がる。

他にお客さん4人。彼らが帰るときに「Nさんですね」と一人が話し掛けてくる。

清野さんもNさんのことをよく知っていた。
3人で話していたが清野さんがコックリし始めたので帰る。
5時半だった。4時閉店なのに悪かったかな。

yuhi君のVJは終わっているかなと、もう一回club asia。
フロアには7人ぐらいしかいないがまだまだ終わりそうにない。
webデザインを依頼するyuhi君にベゴニアさんのCD-Rを渡そうと思ったのだが、持ち帰る。

Nさん、素敵な人だ。華やかで情熱的で優しくて鋭い。すごく楽しい夜だった。
2002年10月04日(金)

檸檬屋新宿調査,母ウキウキ

 宮崎学さんから「檸檬屋はどうなっているのかな」と電話。
「いや、ぜんぜん行ってないし、突破塾の時にみんなに聞いたんですが、
みんなも行ってないみたいで」
「生きてはいるんだろうな」
「まだ生きてるみたいです」
それにしても友達思いで優しい宮崎さん。

ということで宮崎さんに聞かれて「わかりません」と答えるわけにはいかないので
調査開始。
お金がないから飲みには行けないと思ったが、
最近1,500円だか2,000円のセットメニューがあるらしい。
近く偵察に行くことにする。どなたかご一緒しませんか?

 本日所持金130円となったところで、母から家賃援助をもらう。
池袋PARCOの「ガネーシャ」。

 私が2回ほど行って、母に薦めた温泉津(ゆのつ)温泉の旅館「のがわや」が酷かったとの話。
「朝食の鯵が半ぺたなのよ!むこうの習慣なのかしら。
大きな旅館じゃないのに女将が部屋に来ないで電話で挨拶してきたの。考えられないわ」
私が行ったのはもう何年も前だけど、そんな印象はなかったので驚いた。

 ジャーナリズム講座本の話を母に訴える。母親は我が子の味方である。有難い。

 母は世話焼き婆で、何組もカップルを生んでいる。
「私にはなんか話ないの」と聞いてみる。
「あんたはねえ…難しいんじゃないの。会社員は嫌なんでしょう」
「お母さんは浮いた話はないの?」
「あるのよ!」
あるのか!くっそー。その瞬間の母の表情の輝きといったら。
写真に撮っておきたいほどだった。

母は早朝体操に参加している。
「体操で?」
「そう、体操で。すごいいい男なの。10歳年下よ」
なにー?「携帯の番号くれたのよ、こうハートがあってね」
ハートかよ!母が見せてくれた紙切れには、番号の上にハートが描いてあって、
しかも大きな矢が刺さっている!おいおい!すごく嬉しそうである。
「電話してみようか」とけしかけたが、母なりの計画があるらしい。
うーむ。ものすごく羨ましい。

ご馳走してもらって帰る。1時から4時半まで眠って、目が覚めてしまった。

ジャーナリズム講座本について、ある提案。
皆には理解してもらえるか、呆れて却下されるかわからないが
「我慢と後悔をしない」がモットーなので、とりあえず言ってみる。
2002年10月03日(木)

ジャーナリズム講座本

 ジャーナリズム講座本のことが気になってOL稼業が上の空。
寝不足もあって作業ははかどらない。

 議論をシュミレーションして、喧嘩メールを印刷して、いざ打ち合わせへ。
しかし議論はなく「みんなの意見はわかったから、H君にもあとがきを書いてもらって、
どっちを採用するか版元に判断してもらいましょう。恨みっこ無しね」
と事務局のYさん。Hさんも「それでいいです」。

あら、あれだけ「俺はいいよ」と固辞していたのに?
まあ私の原稿があまりに酷いからってことなのでしょう。

Yさんが抱えている出版関係の訴訟の話を聞く。
「原稿は依頼した時点で契約が成立しているんです。出版と原稿料支払いの義務がある」とのこと。
「じゃあ、私だって『あとがき書いて』って言われたんだから契約成立してるじゃないですか」と言ってみる。
「金銭的なことは言ってないでしょ」
「お金の話はしてないけど、掲載は前提じゃないんですか」
「それは原稿がダメならしょうがないじゃない」
ん?ダメと言ったのは権限のある版元でもなくボスのYさんでもないHさん一人。
「じゃあ、慰謝料請求しようかな」と言ってみる。黙っているHさん。
訴えられるのは自分だとは思っていないらしい。

しかし、この先Hさんと組んでやる仕事の話もあるし、2月ぐらいに1回打ち合わせをした
野球本企画はどうなるのかな。

私は野球本はシーズンとジャーナリズム講座本が終わってから?と思っていたが、
Yさん多忙につき、企画を寝かせることになる。そして次期講座は2003年1月開講と決まる。

 岡山の男性が「こっちの編集後記は良かった」と言ってくれた「アウトロー・ジャパン」
を編集長からもらって、抱きしめて帰る。
「合資会社マリバール」の初めての仕事だ。嬉しい。

帰り道、やっぱり私の原稿がボツになったら「恨みっこなし」とはならないなあ、と思う。
「あなたの問題意識は陳腐だと思います」というメールを寄越して
ねじ込みに成功したHさんが書くあとがきは
「他に下積み的な作業をやってくれた参加者の心象を傷つけないように、
楽しい楽屋落ちネタか差し障りのないことを、無記名で書くに決まってる」
らしいが、「楽しい楽屋」なんて嘘、ドロドロやんけ。

たとえHさんのあとがきが「参りました」というぐらい素晴らしいものであっても、
執念深い私は一生恨むかもしれない。

帰って、直接言おうと思っていた喧嘩メールへの反論を返信。今日は3時。
2002年10月02日(水)

アクセス減,対決前夜

9月のアクセス数は1,000ちょっと。喧嘩もデートもしてないから?
と思っていたら最後に勃発。べつに日記を書くために喧嘩しているわけではないが。

> 対決も大変そう。すごいなあ。
> さくらいさんは戦う人なんだなあ。

というメールが来る。
喧嘩をする何倍もの人と仲良く穏やかにやってますので怖がらないでね。ニッコリ。

明日の対決(議論)に向けて準備と、メールで5時。
2002年10月01日(火)

抱茎亭日乗 / エムサク

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