プチ送別会,喧嘩メール

 睡眠3時間弱でたまらなく眠い。仕事もはかどらない。だけど頑張って残業。
本日で退社する人たちのプチ送別会ということで社内で会費300円で飲む。

 ジャーナリズム講座本の編集後記の内容を変えることを諭して下さっているらしい、
Hさんへの反論メール下書き。
2日に対決するのだが、口下手な私は言いたい事を整理しておかないと。
これは送信しないで直接本人に言う。

 檸檬屋新宿の看板デザインをしたささきもと子さんより、
10月3日から毎週木曜日に毎日新聞の家庭欄コラムで
もと子さんのカットが掲載されることになったという連絡。
これはすごい。楽しみ。
2002年09月30日(月)

ジュビードゥビー,昼特急バス,喧嘩メール

 10時にサウナの入り口で待ち合わせたが、連絡が無いので準備をしてからまた寝る。
11時過ぎ、NさんとEさんとサウナを出る。

「バスのチケットは無駄になっちゃうのかなあ」と不安がる私を心配して、
Nさんが大阪駅に付き合ってくれる。みどりの窓口。
「何とかなりますように」と強く祈ったのに、日頃の信心が足りないからか
「バスのことはわからないですね。多分(指定を取って乗り遅れたチケットは)
紙くずでしょう」。

バスの窓口をNさんが探してくれる。「お願いです、なんとかなりますように…!」
と受付の女性に最後の望みを掛ける。優しそうな人で、すごく申し訳なさそうな顔で
「なんともなりません…」。ああ、4千円しかないのに。新幹線で帰るしかないか。
何たる無駄遣いだ。

Nさんが「まあ、とりあえず飯食おう。可哀想だから奢ってあげる。
バスのチケット代は貸すよ。クレジットカード使うなら旅行代理店で買えばいいんだよ、
こっちこっち」と連れて行ってくれる。私はまだボーっとしている。
そうか昼発のバスもあるんだ。

「飯食う前に乗り場を確かめよう」
「スミマセン、何から何まで」
ちょっと落ち着きを取り戻す。往復新幹線で来たと思えばいいじゃないか。

大阪駅の駅ビルのオリエンタルカフェ『ジュビー・ドゥビー』(かな?)。
海鮮クッパ丼。一口目、ジャリッ。あさりの貝殻か石か?
その後も次々石が登場。大小黒白いろいろ。

Nさんに言うと「今5個目か、あと2つ、7個出たら幸せになれるよ」。
冗談を言っている間にどんどん出てくる。悔しいから1滴残さず食べて、
10個以上出てきたところで店員にクレーマークレーマー。
「申し訳ありません、御代は結構です」
「ほら!幸せになった」とNさん。

ああ、良かった。Nさんがいてくれて。
私一人だったらチケットが紙くずになったと知った時から途方に暮れていただろう。
お礼を言って、新幹線で帰るNさんと別れる。

 13:30のバスで帰る。車中で『司法の崩壊 やくざに人権はないのか』読了。
20年かけて無罪を勝ち取った天道浩太朗さんの言葉に涙が止まらなくなる。

 やはり突破塾は「お金がないから」といって欠席は出来ない、
私にとってとても大切な時間であり、学びの場だ。

 帰宅後、ジャーナリズム講座のHさんから「あなたの問題意識は陳腐だと思います。」
というタイトルの長いメールが届いていた。
「自分が担当編集だったら、商業出版であの手の感情の垂れ流しは、間違いなく没にします。」とのこと。

Hさんがその判断に従うというYさんが、
「ネットでやり取りせずに顔をつき合わせて議論しよう」
と言っているのに、Hさんは何を目的にメールして来たのだろう。
「この内容はその議論のときに言ってください」と返信。

今日ももう4:30。寝なくちゃ。
2002年09月29日(日)

関西突破塾,趣酒彩菜『えーやんか(本町店)』,バー,お好み焼き,ニュージャパン

 新幹線で新大阪。予定より1本遅いひかりになってしまい10分遅刻。
関西突破塾の今回のゲストは元諏訪一家系山本組組長で画家の山本集氏と
『司法の崩壊 やくざに人権はないのか』を上梓した作家の目森一喜氏。

山本さんはやくざを辞めてする事がないから絵を描いた、と言う。
負けず嫌いで死にもの狂いがモットーとは言うが
若い頃好きになった女の子のお父さんが絵が好きで、
気に入られようと思って絵を描いたのが始めらしい。
高校野球で「浪商のヤマモト」として名を馳せたのも、好きな女の子が野球が好き、
「そしたら甲子園出たろうかい」という感じ。

「やくざになったのも高倉健に憧れてですから。一番悪いのは高倉健ですよ。
やくざの世界は、映画とは全然違いました。」と笑わせる。

山本さんは、子分の子分の若い衆が持っていた拳銃の不法所持で共謀共同正犯に問われている、五代目山口組三代目山健組組長である桑田兼吉さんの支援をしている。
桑田さんは無実だ。
死に際は男として国家権力と闘う、と大きな声で熱をこめて話す山本さん。

本業の絵は3ヶ月篭って集中して描くらしい。葉書大で5、6万円とか。
実物を是非見てみたい。

 目森さんの話で興味深かったのは9月17日の小泉訪朝の翌日に、著名な経営者クラブである「時局心話会」で 宮脇磊介という危機管理の専門家が行なった講演会の話。
宮脇という人は警視庁出身で中曽根や竹下の広報官を務め、アメリカとの繋がりも深い。
その講演で「日本の企業は暴力団と手を切らないから、日本は不況から抜け出せない」
というようなことを言ったらしい。

山本さんなどから言わせれば、権力が利用するためにやくざは生かさず殺さずおいてあるのだが、アメリカの意図は「ヤクザ・リセッション」である。
日本経済のお寒い状況は無能な政府のせいではなくやくざが悪い、ってすごい展開だけど
昨日の突然の株式会社東京ドームの暴力団との決別宣言も
この「ヤクザ・リセッション」の流れなのだろうか。

 2次会の『えーやんか』で、時代小説家でライターのYさんに
問題の編集後記を読んでもらう。
Yさんはジャーナリズム講座を受講したこともあるから意見を伺ってみた。
「よく書けてるよ」と言ってくださる。「でもね、全然ダメだって言う人がいるんですよ」
と相談。
「まあ、そういう人の気持ちもわかるけど。でも本の性格からいうたら、
これでもええんちゃう」と他にもアドバイスを頂く。

 本当は宮崎学さんにも聞いてみたかったのだが、
宴もたけなわで躊躇していたら帰ってしまわれた。

 東京組の大半は2次会の後半に帰ってしまったが、
今回私は大阪駅発23:40の深夜バスを予約してある。
まだ余裕、3次会はおしゃれな感じのバー。久し振りに会うメンバーで、すごく楽しい。

ものすごく久し振りに会った岡山の男性に「夏の恋はどうなの?」と何度も聞かれる。
ううう。どうって、どうにもならなかったから「夏の恋」なんだよ、フン。

 コピーライターのNさんと『あの日から世界が変わった ニューヨーク Good Bye 物語』を書いたたけちよさんにも編集後記を見てもらう。(訂正:10/4参照)
Nさんが皆に朗読してくれる。
「確かに自分のことが多すぎるかもしれないけど、自分が出ていない文章はつまらないよ」
とのこと。

さて、帰ろうかとなった時「もうバス間に合わないんじゃない?」と誰かが言う。
え?そう?今何時?ギョエー!23:50!!あまりのショックに腰が抜けそうになる。 
がっくりしながらお好み焼き屋に入る。美味しい。
AさんとNさんが日本のヒップホップアーティストの話で盛り上がっているのを聞きながら
乗り遅れたバスのことを思い出すとどっと落ち込む。眠い。

 4時前にサウナ『ニュージャパン』。混んでいる。
休憩コーナーの椅子もソファもいっぱいでAさんと私は湯上りの休憩椅子で寝る。
風呂のお湯とテレビと有線音楽の音が混ざって騒がしい。
明日の帰りをどうしよう、お金が無いのに何やってんだろう、という考えが浮かんでは
溜息、寝返り。

6時半にAさんは起きて帰る。私は1つだけ空いていた休憩コーナーの椅子に移る。
こちらは後ろの人が高鼾。だけどさっきまでより快適。9時までウトウト。
2002年09月28日(土)

激論

 寝不足でフラフラだが、久し振りに定時に出社。

 ジャーナリズム講座本の編集後記をめぐる激論は続く。
「業績ある書き手でもないのに、個人の内面や体験を前面に出した出版物は
みっともないよ。」
と言われて、ああそういうことか、と思う。

しかし、初めは「俺はいいよ、桜井さん書いてよ」と言い、
彼が「読者はこういうものが読みたいんだ」と言うのは的外れなのに、
ストイックに裏方に徹するべき、人格を排して書けと彼のスタイルを私に押し付け、
どんどん感情的なものいいになっちゃって、みっともないのはどっちだよ?

事務局のYさんは見かねて
「こういう議論はネットでは解決できません。2日に議論しましょう」とのこと。
さて、どうなりますことやら。
2002年09月27日(金)

母大丈夫?,激論

 2時間だけ眠って会社。

 家賃の一部を母に援助してもらっている。予定の金額をもらっていないのでピンチ。
電話すると「だって当座の分は渡してあるじゃない」
「いや、まとまって入ってくる予定でいたから。カードの支払いができない。」 
「ヒッヒッヒ」
って何が可笑しいの?
「私もお金がなくてね。ヒッヒッヒ。旅行でカードでいろいろ買って18万だと思ってたら
28万でさ、ヒッヒッヒ」
「なにー?買い物し過ぎだよ」
「今、Hさんが来てるのよ。Hさんに借りようかしら。お金持ちだから、アッハッハ」
おーい、大丈夫か?頭がおかしくなったのかと思った。

 ジャーナリズム講座本の編集後記、一度書き直しているので少し不安だった。
編集スタッフには概ね好評。かと思ったら、
一人に「大々的に名前を出しているのは面喰らった」と言われる。
彼は編集者は黒子に徹するべきという考え方らしい。
私は文芸編集ではないのだから、編集者は影の存在とは思わない。

で、どうする?という問いかけに「これでいいんじゃない?」という人たちもいるが、
彼は「こういうことを書いて欲しい」「こういうクレジットにするべき」と提案。
その提案も私には的外れに思える。
じゃあ、あんたが書けば?しかし、前面には出たくない、「裏方」に徹したい彼。

メール、日記で今日も4時過ぎまで。
2002年09月26日(木)

柳美里裁判,ジャーナリズム講座本編集後記

 柳美里の『石に泳ぐ魚』の裁判で出版差し止めの判決。
モデルとなった女性は公的立場に無い、ということと
「公表で回復困難な損害を受ける恐れがある」ことがポイントだが、
実際に損害が生じたわけではない。
というか「人間としての尊厳が踏みにじられた」と感じた心の損害。
モデルの柳美里の友人は判決に希望と勇気を与えられたとのこと。

最近も、決裂してしまった友達のことはよく考える。
「日記に一切書かないで」「書くなら友達でいられない」と言う人たち。
彼女達も「不快だから」と心の損害を訴えた。

私はその人の世界で、彼女の作ったルールに従って一緒に遊ぶ気にはなれない。
でも今回の判決をどんなふうに見ているか聞いてみたい気はする。

 深夜から取り掛かったジャーナリズム講座本の編集後記、6時前にやっと終える。
いい感じ。
2002年09月25日(水)

『LIME』

辞めた会社の労働組合の上部団体の女性委員会で一緒に役員をやっていた
製薬会社のNさんと銀座の『バリ・キュイジーヌ LIME』。
オープン2ヶ月ほどの新しい店。店内には幾つも水槽があって熱帯魚がいっぱい。

店を決めたのは私。なんとNさんのお姉さんはバリにお嫁に行って7、8年。
Nさんは10回以上バリに行ったことがあるが、日本でバリ料理を食べたことはないという。

しかしメニューにはエビチリあり、トムヤンクンあり。キュイジーヌだから?
エビチリは中華のそれとは違って、興味ある味付けなのだが、ぬるくて
食べてるうちに冷たくなりあまり美味しくなかった。揚げセンベイもパリッとしていない。

珍しいので頼んでみたブルガリアワインはかなり渋かった。Nさんは麦焼酎が好きらしい。
和食にするべきだったか。

四方山話。Nさんから「KIKO」というイタリアのコスメブランドの、オレンジのチークと、
金のマスカラを格安で購入。黒いケースもおしゃれで可愛い。

Nさんはチタン包丁を会社で紹介してくれ、24本もお買い上げ。好評とのことで私も嬉しい。
2002年09月24日(火)

『Freedom Pottery』

 風邪は治った。

 大学の同級生I君のお兄さんが経営する、日本で唯一の英国現代陶芸専門ギャラリー
『St.Ives』の隣に陶芸工房『Freedom Pottery』がオープンしたとのことで、出掛ける。

I君は盛岡に長期出張中。他にも何人か誘ったが結局一人で、15-18時のところ
18時過ぎに着く。

工房では前にSt.Ivesで二人展をしていた堀順子さん他4名の陶芸作家が
制作活動を行ない、陶芸教室も開催するらしい。今日はオープニングパーティーとのこと。

郊外ではなくて、自由が丘などの街中で工房もあるギャラリーというと
東京ではここだけかも、とI兄。

前にも何かお手伝いできれば、という話はしていたのだが、本が作れそうだと思ったので
I兄に提案。「いいね、やりましょう」と乗り気。楽しそう。
2002年09月23日(月)

『編集者の学校』読了

ジャーナリズム講座本を作る上で参考にした『編集者の学校』(講談社Web現代 編)読了。
本当は2月に図書館に返さなければいけなかったのだが。
これは錚々たるメンバーが揃って464ページもある本だけど、
ジャーナリズム講座本も負けてない。こっちの方が一人一人の話が深くて面白い。

それはいいけど編集後記、早く書かなきゃ。

しかしまだ体が本調子ではないので、久し振りに風呂の湯船にゆっくりつかってオシマイ。
2002年09月22日(日)

風邪

昨日は心配したほど寝不足は影響せず、記憶もある。
しかし風邪が酷い。ほとんど寝て過ごす。
2002年09月21日(土)

『舌呑』,『キャバレー』

 風邪がどんどん酷くなる。鼻水ズルズル状態。

 高校の友人K、Y、Sちゃんと東銀座『舌呑』。名古屋料理の店。
人気があるようで予約を取るのが大変だったらしい。

ワインの説明なども丁寧で好感接客。Sちゃんは「あの子可愛いね」と店員の一人に注目。

きっちり2時間、20:30には追い出されるようなので次の店をお目当ての店員に相談。
「地下の『キャバレー』というバーにお席が用意できます。」とのことで
同じビルの3階から地下1階の店に移る。
赤い壁に埋め込まれた半球のミラーボールが何個も回転している怪しげな雰囲気。
いい感じ。

Sちゃんが「『キャバレー』っていうぐらいなんだからあの子が席に着いてくれればいいのに」
などと言っていると、他のお客さんを案内してその男の子が「如何ですか?」
と声をかけてくる。しかし当然ながら一緒に飲むわけにはいかず。

ワインを店員がこぼしてしまい、みんなの服について大騒ぎに。
昨日『東京サロン』の男の子が「ワインこぼしちゃったら炭酸と塩で落ちるよ」
と言っていたので炭酸を持ってきてもらう。しかし「落ちないよー」。
塩も無くちゃダメなのかも。ちゃんとやり方を聞いておけば良かった。

今日のテーマは「ときめき」。結婚してもしなくても必要だと思うが、うすーい私達。
2002年09月20日(金)

『東京サロン』

ベゴニアさんのファイルブックを取りに『東京サロン』。抱きしめて帰る。
これらの写真を使って近々HPを立ち上げる。
CD-Rが良く出来ているので、これもWEBで見られるようにしたい。お楽しみに!

『東京サロン』は会員制の店だと聞いていたが、
どうやら私はシェフの許可を得られたらしい。よくわからんが。

日記を書いたら3時過ぎ。明日は飲み会だ。
また寝不足の上に風邪気味で、ダイジョブかいな?
2002年09月19日(木)

ジャーナリズム講座本,映画『ブレッド&ローズ』

 久し振りの会社。5階に移ってから、お菓子に近い席で困る。太る。
週明けはいろんな人のお土産でお菓子コーナーは山積み状態。
全員分は無いので早い者勝ちになるが、ほとんど味見してしまう。

 ジャーナリズム講座本の打ち合わせ。私は編集後記を書くことになっている。
途中まで書いて「こんな感じでどうでしょう?」と見せたら不評につき書き直しとなる。

 体調はまだ悪いが、映画『ブレッド&ローズ』。
このスローガンが生まれた当時の、女達の労働運動の話かと思ったら、
舞台は1999年のロサンゼルスで、メキシコからの移民女性が主人公だった。 

面白かった。いい映画だった。
しかし皆過酷な条件で必死に働いてるのに、私は二日酔いで…、とまた反省。
2002年09月18日(水)

二日酔い,風邪

 酷い二日酔い。昨日よりも激しい頭痛。僅か4日前に二日酔いで反省したのに、この様だ。
しかも吐く。これじゃ「アル中日記」だ。

思いがけず5連休になってしまう。ヤバイ。9月は休みが多くて収入激減だ。とほほ。

 TVの小泉vs金を見ながら夕方漸く起きて、雨の中いらない本を売りに行く。
「本は少しでも濡れると売り物になりません」とのことで一銭にもならず。

 ベゴニアさんからメール。「『東京サロン』にファイルブックをおいてきたからね」。
ああちゃんと会って今までの事これからの事話したかった。泣きそうになる。

 ジャーナリズム講座本の原稿も途中までしか出来ず。全然ダメだ。
2002年09月17日(火)

電脳キツネ目組Kさん,彷徨

午後から激しい頭痛。急に寒くなったので風邪をひいたかもしれない。
昨日も今日も家にて寂しい連休になりそう、と思っていたら、
私のカリスマ美容師ベゴニアさんから「明日日本を発つ。
22時から元PEPI'Sの隣の『東京サロン』でパーティーやるけど来る?」と電話。
「行く!」

それまで寝ていようと思ったら、ご近所の電脳キツネ目組Kさんからお誘い。
「別にたいした用事は無いよ」と何度も言われる。
お酒で頭痛が直る(麻痺する?)かもしれないので出掛ける。近所のおでん屋。

Kさんは仕事も彼女との関係も厳しい状況らしく
「ずっとパソコンやってたよ。ヒッキーの気持ちがわかるなあ」。

ベゴニアさんはパーティーと言っていたので少し遅れてもいいと思っていた。
それ程飲んだわけではない。記憶もある。Kさんにご馳走になって店の前で別れた。

山手線で眠ってしまい、気がついたら品川駅。おおいかん、引き返さなきゃ。
で、気がついたら代々木。もう。また1つ戻ってやっと原宿駅。この時点で24:15。
地下鉄終了で歩いて表参道の『東京サロン』へ向かう。
近道したつもりがすごい遠回りをしてしまう。

漸く辿り着いたら『東京サロン』の灯は消えていた。ベゴニアさんに電話。
「オオ、マリ!」と呆れられる。そりゃそうだ、3時間近く遅刻して。

東京最後の夜に会おうと言ってくれたベゴニアさんをすっぽかしてしまうなんて、
酷過ぎる。お詫びのしようもない。
「我慢と後悔をしない」を生きるモットーする私だが、本当に悔やまれる。

雨の中、明治通りまで戻ってタクシーで帰る。何をやってんだかなあ。全く情無い。
2002年09月16日(月)

チタンフライパン

 待望のチタンフライパンが届く。早速使ってみる。軽い。
すぐ火が通るので手早く料理しなくてはいけないが、
加減がわからず豆腐ハンバーグは焦げてしまった。
野菜が長葱とトマトしかなくて、炒めてみたが失敗。フライパンのせいではない。

 Fちゃんから「木曜日はちょっとフラフラしてただけ」とのメール。一安心。
2002年09月15日(日)

矢沢永吉『THE DAY』東京スタジアム,ミリバール,club asia

 矢沢永吉30周年記念コンサート『THE DAY』で、初めて東京スタジアムに行く。
1999年の横浜国際総合競技場ではアリーナ席だったが、今回は2階スタンド後方。
もうe+のプレオーダーでは買わないことにする。

横浜ではアリーナ席が横長だったが、今回はステージがゴールサイドなので、
反対ゴール側のスタンド席からは更に遠い。音も良くない。

舞台はゴージャスでラスベガスって感じ。照明も良かった。
永ちゃんは二人の白人女性と腕を組んで登場。カッコイイ。ニコニコしてしまう。

この間ゼミ仲間のFちゃんに「なんか意外だけど、どうして矢沢永吉が好きなの?」
と聞かれて「面白いから」と、永ちゃんの素敵なところをいろいろ話した。
「かっこよくて面白いから好き」だけではない。私の尊敬する人だ。

矢沢永吉はずーっと「ヤザワ、ヨロシク」で「エーちゃん」だけど、
絶対止まっていないし、扉を開いて開いて新しいものを見せてくれる。素晴らしい。
30億騙し取られて負債を負って、「いろいろあったけど幸せだ」って言えるのもすごいが、
その枷がなくなった時に、今度は何をするんだろう。これから先の30年も楽しみだ。

 建築家修行中のyuhi君がVJをする『club asia』のパーティー『progressive style』に誘われていた。コンサート帰りに寄る事にする。

 パーティーは23時からなので、『ミリバール』でビール、グラスワイン、
アボカド・マグロ・キムチ丼。ビールが美味しい。

 最近クラブ通いをしていると聞いたゼミ仲間のS君に電話してみる。今日は無理とのこと。
「ところで木曜日大変だったらしいじゃん。
Fさんから桜井さんが倒れてるから助けてくれって電話があったよ」
「倒れたの?!私?どこで?」
「知らないよ。電話にメッセージ入ってた」
マジかね。Fちゃんに慌てて電話するもつかまらず。不安になる。

 yuhi君は髪を頭の上の方で結んでいて、
暗い舞台では琉球舞踊の女の子の髪形みたいに見えた。
ニコニコしてしまう。一人でニヤニヤしながら踊っているのは不気味に違いない。
早い時間なのに随分人がいた。
1時間ほど踊って、盛り上がり始めたところだったが、終電で帰る。
2002年09月14日(土)

二日酔い

朝、気持ちが悪いので午後からの出勤にする。
少し眠ったが回復しないので休むことにする。
15:30過ぎまで寝てた。情無い。その後も呆然とTVを見たり。

こういう二日酔いは年に数回だったと思うが、先月も寝不足で飲んで失敗した。
これから飲み会の前日は早く寝なくちゃ。年だなあ。
2002年09月13日(金)

『紅い花』

大学ゼミ仲間のFちゃんと檜町『紅い花』。沖縄料理の店で前から行ってみたかった。
パーティーが入っていて、私達は螺旋階段を上った2階席。

店に入る時に吉田栄作とすれ違ったので、後から来たFちゃんに報告。
「あら、私は見なかった。残念」
と言っていたら、戻って来たらしく小林薫と一緒に1階にいた。
「小林薫、カッコイイね」とFちゃんと囁き合う。

今日のテーマは『夏の恋』ってことで、Fちゃんが私の話を聞いてくれる。

43度のクースーを3、4杯飲んだ。気がついたら綾瀬駅にいた。折り返しは無し。
タクシーで帰る、5千円超。睡眠不足がいけなかった。
2002年09月12日(木)

『インソムニア』

 本当は『ザ・ロイヤル・テネンバウムズ』が見たかったのだが、
ぎりぎりの時間にチケット売り場に着いたら「満席のため入場お断りしています」。
ああ、もう。頑張って新宿まできたのに。

仕方なく全然見るつもりがなかった『インソムニア』。映画は悪くなかった。

しかし劇場が、というより多分後ろの人が臭くて参った。
強烈に足が臭い人が靴を脱いで前の座席(つまり私の座っているシート)に
足をかけているらしい。
隣にいた女性二人が予告編が始まってから移動したので変だなあと思っていたのだが。

背もたれの隙間から、肘掛に置いた私の腕に、
恐らくその酷いニオイの足が当たった。飛び上がった。
そんなことにはお構いなしに目が離せない場面が続くし、
ずーっと臭っているわけでもない。前かがみになっていればそれ程臭わない。
でも時々強烈に鼻を刺す。

結局ずーっと気になっていた。終わって後ろを見てみたら、ジーンズの女の子。
これがかの「汚ギャル」ですか?

 帰ってテレビでニューヨーク、ニューヨーク。
2002年09月11日(水)

引越し

 全身が痛い。やはり疲れているらしい。今日からオフィスが5階になったが頑張って階段。
動悸・息切れ・めまい。しかしエレベータには乗らないと決めている。

 昨日会社を休んだために、席が当初の予定と違う場所になっていた。
別にいいかと思って一度片付けたが、どうも落ち着かないので席を移動する。
PCの配線等やり直す。快適。

帰って掃除を、なんて思ったが全然無理。
2002年09月10日(火)

『Le Temps』,三千院,寂光院,『花心亭みのこう』,大津地裁,『やま喜』,『エクセルシオール・カフェ』

 6:32到着予定の深夜バスは6時過ぎに京都駅に着いた。
駅のトイレで顔を洗って、6:30開店のホテルグランヴィア京都のカフェ『Le Temps』で朝食。
デニッシュペストリーは1個300円かと思ったら幾つとっても300円。
3個食べてお腹いっぱい。

 7:25始発のバスで大原三千院。
参拝時間は8:30から、京都駅からバスで1時間なので丁度良い。
早朝なのに結構人がいる。ガイドに連れられた団体も来る。
開創1200年記念で、昨日から秘仏薬師如来が1ヶ月間だけ公開されているとのこと。
「まだ調査が入ってないので詳細はわかりません。1200年ほったらかしでした」との解説。

仏像は趣味ではないがそれ程珍しいものなら何か感じるかと思ったが、
特に有難くもなかった。庭も別に。
スピーカーで坊さんの声流したり、庭の小川に電線だかホースだか走ってたりして興ざめ。

参道の店に張り紙があって「近くでガス爆発がありました。仮店舗で営業中です」。

 バス停と反対方向にある寂光院に向かう。
こちらは全然人がいないので「月曜は休みかも」と不安になる。
近くまで来ると「火災復興工事」の看板が。ここもかい?と思ったら
寂光院は昨年5月放火されたのだった。休みじゃないけど本堂は工事中。拝観料は500円。
知ってたら来なかっただろう、と思ったが再建への寄付としよう。

 10:40のバスで京都に戻る。四条河原町で降りて先斗町『花心亭みのこう』で焼き肴御膳。
白ワインを頼んだら、今日9月9日はなんとかの節句で
花びらをお酒に浮かべて飲むのだとか。気分がいい。
卵が苦手なのでだし巻の代わりに何か、とお願いしたら鮭のテリーヌをくれる。
これが結構美味しくて嬉しかった。

 13:40から宮崎学さんが滋賀県警と喧嘩している裁判の傍聴。
電脳キツネ目組の人たちも数名。
今回は滋賀県警が横槍を入れて中止になった記者会見会場のホテルのオーナーと
宴会部長と、県警と、大津署の暴力団担当者の2人の証人尋問。

 今や「嘘つきは泥棒の始まり」ではなく「嘘つきはオマワリ」って感じで嘘ばっかり。
しかし裁判官は「それはこういう意味ですよね」と、矛盾をかばっている。

今回は宮崎さんの登場は無し。15:30頃終了。
「今年も滋賀県警には石油缶のお歳暮送らなあかんかなあ」と宮崎さん。あはは…。
(グリ森事件の犯人取り逃がしで滋賀県警本部長は焼身自殺している)

 宮崎さんは帰られて、キツネ目組の7人で大津駅前のそば屋『やま喜』。
来年4月の統一地方選挙の話。「出るなら今からビラを撒け」「会社は辞めろ」と
市議会議員の人たちにアドバイスを受けるJさん。

京都駅に皆で出て、駅前のアバンティ・ブックセンターで
『あの日から世界が変わった〜ニューヨーク Good Bye 物語』を書いた
たけちよさんのサイン会。
といってもみんながそれぞれ買った本にレジ横でたけちよさんにサインしてもらう
ゲリラ的サイン会。

そのまま京都駅周辺から河原町を散策。静岡のS君の案内で会津小鉄の本部を見に行く。
なかなか風情のある通り。なんと、Sさんが1階の駐車場に入っていってしまう。
え?と思ったがSさんは顔見知りらしく、私も駐車場の車の周りにいた人たちとご挨拶。

結構歩いて(私は朝から)疲れた。エクセルシオール・カフェで皆はお茶。
私だけワインとスコーン。

新幹線でたけちよさんの本を読みながら帰る。

 帰ったら大学ゼミ仲間のOちゃんから「NYに落ち着いたんで遊びに来れば」というメールと
「もうNYから帰って来ています」という近藤康太郎さんからのメールが同時に届いていた。
間もなく9・11ってことであちこちでニューヨーク、ニューヨークだ。
2002年09月09日(月)

高速バス

 『アウトロージャパン』の編集後記に悩んでいたら掃除ができなかった。
120字は難しい。

 23:10発のJR高速バスで京都に向かう。2階建てバスの1階が女性席になっていた。
振動が激しいし、圧迫感があって快適ではなかった。
2002年09月08日(日)

チタンフライパン,映画『ピンポン』,『北の国から2002 遺言』失敗

 幼馴染で歌手の詩子の実家で作っているチタン包丁が大好評なので
「チタンフライパンはありますか?」と聞いてみる。
チタン包丁は板ではなく特殊な技術でチタンの粉から作っていて、
フライパン等は作っていないとのこと。
ネットで探して、純チタンフライパン26cmを購入する。

 昨日ヴィデオ録画しておいた『北の国から2002 遺言〜前編〜』を見る。
あれ?みのもんたのアップ。何故?早送りしてもずっとクイズ番組。
なんと、ヴィデオデッキの時刻合せが1時間ずれていた。がっかり。

 映画『ピンポン』を見に行く。悪くなかった。
感動はなかったけど、もっとつまらないのかと思っていたから。
私は中学校で卓球部だった。全くヘタッピイだった。でもあの音は好き。
映画の白いボールに埋もれているシーンも面白かった。

 さて、『北の国から2002 遺言〜後編〜』はしっかり見るぞ、と思って帰ったら
なんと、もう始まっていた。9時からじゃなかったらしい。とほほ。

 泣き疲れたが、欲求不満で不貞寝。
2002年09月07日(土)

『地面の底がぬけたんです』,新座

 オフィスがビルの4階から5階の広いフロアに引っ越すので、荷造り。
休憩中に宇多田ヒカル結婚ニュースで盛り上がる。
相手の写真家紀里谷和明氏のHPにアクセスするも全く繋がらない。

みんなに「やっぱり決め手は『看病』だよね」と話す。
熱心に看病してくれたとか、本当に困った時に側にいて助けてくれたとか
それが付き合いや結婚のきっかけになったという人は多い。
「桜井さん、相手に一服盛ればいいじゃないですか」とW君。殺してはいけない。

 母と練馬文化センターにて結純子の一人芝居『地面の底がぬけたんです』。
小ホールはほぼ満席。ハンセン病の女性の生涯を熱演。
ハンセン病患者の隔離政策や人権侵害などは知っていたが
どういう病気なのかは知らなかった。衝撃だった。

 終了後、練馬の海鮮と地鶏の店。地鶏は普通に美味しかったが、多く頼み過ぎた。
ハウスワインが非常に不味かった。無理矢理食べて飲む。

 新座に泊まることになる。
『野火止ワイン』を飲みながら、母の買い物ブギについて。楽しければいいとは思う。

「あんたが『新座に住みたい』って言う人と一緒になってくれればいいんだけど」と母。
自分が一緒になればいいじゃん。

しゃべり続けて、気がついたら2時。
2002年09月06日(金)

『地獄から還ってきた男』削除

大学ゼミ仲間のS君から電話。「ホームページの名前の出ているところを消して」との依頼。
始めに実名でいいよ、と言われたからそうしていた。
事情を聞いて、なんらS君に不利益なことが起こったわけではないことを知って一安心。

『地獄から還ってきた男』は『やらぬ仲』のもとになった、ゼミ仲間に送ったメール。
だから、名前を変えて載せておくより文章を削除することにした。

彼の会社や業務には触れていないし、反社会的な内容でもない。
もう何年も載っていたものが、今になってちょっとした問題になるってことは
個人情報保護意識の高まりか、企業不祥事や内部告発の多発による危機意識の高まりか。
どうでもいいような社内の目や声まで気にしなきゃいけないサラリーマンは大変だ。
2002年09月05日(木)

ジャーナリズム講座本

早めに起きてジャーナリズム講座本の初稿チェックをしようと思ったが、無理。
学生時代の試験勉強みたい。午前中会社を休んで作業。どうにか間に合う。

デザイナーSさんが表紙第2案を持って来てくれる。
H君の友人の制作した第3案と比べてみる。
最終的に決めるのは出版社になるらしいが、Sさん案が通ると思う。

そろそろ次の本の準備もしなくちゃ。
2002年09月04日(水)

フライパン

94年から使っているフライパンが限界。ダメになったのは最近だが。
100円ショップでテフロン加工用でないフライ返しを買ってしまい、
傷だらけにしてしまった。
1年前まではあまり料理をしていなかったからきれいなものだった。

西武でフライパンを見る。店員に「26cmかなあ」と言ったら「家族は3人?」と聞かれる。
「一人です」と言ったら
「ええ?!26cmなんて大き過ぎるわよ。二人でも24cmで充分よ」と驚かれた。
そうなの?いつもそのフライパンいっぱいの炒め物を一人でいっぺんに食べてるんですけど。
そりゃ太るね。
フライパンの蓋はまだ使えるので「家でもう一回サイズ確かめてみます」と買わずに帰る。
家で測ってみる。やっぱり26cmだった。

やばい、と思いながら枝豆300gを食べてしまう。「寂しい女は太る」か。

ジャーナリズム講座本の初稿チェックもそこそこに寝てしまう。
食べてすぐ寝るのも良くない。
2002年09月03日(火)

康夫ちゃん

 会社から帰ってご飯を作って食べて、ジャーナリズム講座本のゲラチェックをしなくちゃ、
と思っていたが、康夫ちゃんの長野県知事選ドキュメント番組を見てしまう。
『なんとなくクリスタル』の頃はスリムでビックリ。
私が高校生でファンになった時にはもうまんまるだった。
沢田研二作曲のレコードも可笑しかった。

小学生か中学生で『日本のかくめい』という小説を書いていて
「2001年、日本の政治がおかしなことになっていた。今の首都は東京ではなく松本にある…」
へえー。

 康夫ちゃんのことを「具体案がない」「対話がない」「パフォーマンスだけ」
とかいう人はとてつもないバカに見える。
あんなに具体的にしつこく同じこと言ってる人もいないし、個人と話をしているし、
パフォーマンスってその時だけじゃなくて、ずーーーっとだ。
有権者向けとか、女の人には、とかではない。ずーっと前から、全てパフォーマンス。

 「嫌い」って言えばいいのに。嫉妬だからそうは言えないのか、
みんな言ってることが「それはお前だよ!」状態。
高校の同級生が「嫌いですよ、そういう同級生は多い」と言って、
でも康夫ちゃんが何を言ってるか、何をしているかを見て応援するというのは、
いい感じだった。

 日記とメールを何通か書いたらもう3時。寝る。 
2002年09月02日(月)

反省,パーティー

 8月の日記アクセス数は1250くらい。夏休みだから、っていうのもあるけど
更新が遅れがちだから、というのもきっとある。9月は頑張ろうっと。

 冴島奈緒さんのホームパーティーにお邪魔する。
yuhi君や鉄男君も誘ったのだが都合つかず。ベゴニアさんとは連絡とれず、奈緒さんの部屋に着いてから「行かれなくなった」と電話が来る。
奈緒さん以外は知らない人ばかりなので少し心配だったが、
持って行ったお米でかに炊き込み御飯を作ったら話のきっかけになって良かった。

奈緒さん自身も素敵だが、お友達の顔ぶれも多彩。
和太鼓奏者や、コスチュームデザイナーや、奈緒さんと一緒にヴィデオに出ていた女優さん、
ダンサー、イラストレーター、アクセサリーデザイナーなど
いろいろな人とお話できて楽しかった。

奈緒さんはブティックと雑貨店をやる計画があるらしく、
服やら帽子やら布やらが部屋にたくさんあってフリーマーケット状態。
ルームシューズを頂く。

帰路、コスチュームデザイナーのリコさんとお話。
可愛らしい人だなと思ったら同じ年くらいだった。
奈緒さんが年下だった(1つだけど)のも驚いたが。

リコさんは、駅でベゴニアさんを待っている私を見てパフォーマーかと思ったらしい。
それはきっとVIKTOR & ROLFのシャツが目立ったから。
リコさんの作る服も面白い。いろいろ見せて欲しいと思った。
2002年09月01日(日)

抱茎亭日乗 / エムサク

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