緑の回路

 母に借りたお金で各種支払い。経済的自立は遠い。

 緑さんをめぐるやり取りから高橋玄監督に

> 真理ちゃんの意見は、なんだか宗教の信者的に思える。

と言われた。よくわからないので説明を求めたら丁寧な解説をくれた。

> 状態はどうであれスピン・アウトした人間同志に共通の視座、シンボルを与えること
> で関係性を強化するのが、組織論一般で、宗教的集団も例外ではない。
>
> クローズド・サーキットの概念は、どちらかと言えば
> 市場原理的に援用されるんだけども、今回の「緑ちゃん」のケースだと、充分にク
> ローズド・サーキット(閉じた回路)が作用している。
>
> 緑ちゃんが形成するクローズド・サーキットは確実に存在していて、そこを流れる電
> 圧が真理ちゃんであり、「M」さんであったりするはずだと思うけどね。
>
> 僕が真理ちゃんをして宗教的と評したのは、なんらかの形、または方法で「緑ちゃ
> ん」を記号化、もしくはシンボライズした結果、通常の人間関係以上に、意識を流れ
> 込ませているからだと感じるからだね。
>
> その電圧が無駄だとは言えない。
> でも、負荷はかかっている。

私は自覚して相当ぐるぐるまわっていると思う。面白いから。
「負荷がかかってる」というのはよくわからない。

> 人間の意識(殊に無意識)がどんな対象にも等質であることは残念ながら不可能なこ
> とです。

緑さんだって区別はつけている。でもそれは肩書きによる優劣より、
「昨日今日の知り合いか、よく知っている友達か」
「今すぐでなければ駄目か、後回しにできるか」
とかが大きく作用しているように見える。

> 重要なのは、そこで回路が別の回路につながるか、回路は開かれるかということで
> す。
> 回路は一度開かれれば、もう生きている限り(もしくは死んでも)果てしなく、見知
> らぬ、自分の価値とは共通が見出せない、嫌悪すべきものともつながり始めるし、快
> 適な存在とも果てしなくつながり始める。
>
> それを求めない彼女だから、真理ちゃんの「放電」を疎ましく思ったり、羨望したり
> するんじゃなかろうか。

緑さんが私を疎ましいと思っているかどうかわからない。羨望はしていないと思う。
しかし回路を開くことは多分求めていない。そう見える。
私は開かせよう、と空回りしているような気がする。

緑さんは個展の撤去、私はGW明けまで檸檬屋新宿で、なかなか会えない。もどかしい。
2002年04月30日(火)

絶交?,母 vs 住枝さん

 留守電にメッセージを残しても緑さんから電話が来ないので不安になる。
こうして絶交されたことが何回かあるから。

 ロンドン時代の友人Mに「何か聞いてる?」と電話。
「緑さんは『関係を切りたくない、話したい』って言ってたよ。忙しいだけじゃん?」
「緑さんは実はいろいろなことをものすごく深いところまで考えている。
深いところで考えたことを言葉にして引っ張り出すのが下手くそ。
こちらで手繰り寄せて、急がず聞いてあげるとああそういうことが言いたかったのね、と
わかる。すごく時間がかかる。怒っちゃう人もいるし、耐えられない人もいる」

というMの言葉を聞いて何かが変わった。
22日以降ずっと感じていたザワザワがすうっと消えたような。
これで緑さんと話したらまたザワザワするのだろうけれど。

 高橋玄監督とメール往復。

> 真理ちゃんは、彼女(緑さん)が人によって態度を変えないというけど、そうかなあ・・・
> そうだとしても、それは純粋だとかいえる年齢じゃないと思うね。「ブス」とか平気
> でいう子供じゃないんだから。

「緑さんは年齢を人に聞かれても答えないです。子供でもいいと私は思います。
危険だし損もするだろうけれど、『大人になれ』とは言いたくない。
多分言っても出来ないです。」

> 自立した人間ならば、相手に対して態度が変わる事はむしろ当然で、問題はそれ自体
> ではなく、それに無自覚なことだと思うね。

「無自覚に誰に対しても同じ態度で、だけど人にどう思われるかは気にする、
そして気にするポイントが人とずれまくってるところが問題なような気がします。
そこが面白いんですけど。」

> 真理ちゃんの意見は、なんだか宗教の信者的に思える。それが悪いわけじゃないけど
> ね。

「宗教の信者的?ごめんなさい、わかりません。
緑さんや玄さんを教祖様に見立てているようだってこと?ではないですよね。
『好きだから』と無批判に受け入れている?わけでもないと思います。
信仰は持たないので宗教の信者の気持ちは理解できません。」

> 君のそういうところが、無自覚な人間に「居心地のよさ」を与えてしまうんじゃない
> かな・・・

「うーん、自分のこととなるとやっぱりわからないのだろうか。
ずばりと言ってください。怖いけど、面白い。」

> 作家になるのなら、熱さと同時に冷徹な人間判断ができないといけないと僕は思いま
> すね。

「はい。そうですね。ぬるま湯の心地よさに浸っていた私ですので
人を冷徹に判断すると、返す刀で自分が凍えるのが怖いんだと思います。
でもやらなきゃ駄目ですね。」

「『まあ好き』の電話以降緑さんから連絡が来なくなりました。
絶交されたかな?その程度の間だったということなのだろうか。

去っていくのはいいのですが、『何で?』って聞いたら理由を教えて欲しいです。
去っていく方もその方がすっきりしないですかねえ?」

と書いたら緑さんから電話があった。忙しかったらしい。
個展前の超多忙な時でも電話をくれたじゃないか、と思うが、まあいい。

 母がT叔父さんを連れて初めて檸檬屋新宿に来る。宮崎学さんもいたので紹介する。

本日もイタリアンの夕べ。
洗う手間を省くために紙皿を出したら、母に
「なによこれ、いやねえ、こんなの」と言われる。

 住枝さんが来て挨拶。ソンコマージュさんの演奏を聞いて帰る。
通りまで送っていく。「大丈夫なの?発展性はあるのかしら」と母。
「この場所なら大丈夫だろう」とT叔父さん。

店に戻ると住枝さんが
「心配してたな。でもちゃんと説明したから、これ以上心配するようだったら
お前のせいや」。
「いや、私じゃなくてお店のこと心配してた」。
2002年04月29日(月)

日記更新,檸檬屋新宿

 5日分の日記をやっと更新。とりあえずすっとする。
歌手のCOCCOが「歌はうんこ」と言っていたけれど、私にとって日記はうんこだ。
元彼のお母さんじゃないけど「うんこが大事なのよ!」って感じ。
(「対決!ハエ嫁ウンコ姑」参照)

 住枝さんの友人でイタリア料理のシェフSさんの出張料理。美味しい。
スタッフの友人の女性客が多く、ソンコマージュさんのMCも少し違う。

昨日は匿名希望AさんがNさんを連れて来てくれた。私の友人では初めて。

> いつもと違う空間にドキドキしてしまいました。

という感想メール。読者の皆様も飲みに来て下さいね。
2002年04月28日(日)

檸檬屋新宿,緑道

 私の檸檬屋新宿での主な役割は「集金係」。これは適任だと思う。
元来けちでせこい方なので「細かいの無いから貸して」と言われて貸しても
ちゃんと取り立てるし、時間にはルーズだがお金はきっちりしている。

高校1年の夏から毎日お小遣い帳をつけていて、欠かしたことは無い。
昨日も仕入れの残金が4円足りないとか100円合わないとかで大騒ぎ。最後はぴったり。

しかし、電脳キツネ目組組員で銀行マンのYさんは
私のお金の数え方があまりにも遅いのを見かねて指導してくれる。
ふん、ちょっとブランクがあって最近大金を数えていないだけよ。

 「芸術家ゴッコに思える」という高橋玄監督のメールに返信をやっと書く。

「私は緑さんに人間的魅力・インパクトを感じました。玄さんも初めはそうだったでしょ?

(略)

> うーん、最終発言といいながら続けてしまったね。

そうさせてしまうところが緑さんのすごいところなんじゃないかと思っています。
私は『仮面をはがしてみたい、なんかとてつもないものを持っているのではないか。
そこに触れたい』と思ってつきあっていたのかなあ。緑さんとまた話し合いたいです。」

 今日の檸檬屋新宿はキツネ目組の人達がいっぱい来た。
宮崎学さんも来て楽しそうにお話している。私は聞き耳を立てながら働く。

 ソンコマージュさんの演奏前に住枝さんが何回も
「携帯をマナーモードにして下さい!演奏中になったらぶち殺すぞ!」
と注意を促す。しかし、MC中に「もしもし!」と電話に出る住枝さん。もう…。

 キツネ目組のN君が「日記の緑道はすっごく面白いです。小説みたい」と言ってくれる。
嬉しい。このところ更新が遅れているが、頑張らなくっちゃ。
2002年04月27日(土)

株主総会,アーティストカフェ,檸檬屋,緑道

 辞めた会社の株主総会。昨年は日にちを間違えて、今年が初参加。
5,675,000,000円の損失で無配へのお詫びで役員が頭を下げているところへ着く。

注目の新規事業、温浴施設について「ターゲットは25歳から35歳の女性」と説明があると
「ここにいる株主のほとんどが高齢者ですよ!」会場拍手。

選任された役員の中に所有株式数0という人がいて
「そんなことでいいんですか!」会場拍手。

他いろいろな質問、意見が出て2時間弱で終了。
会場の外で労働組合の委員長に会う。「質問しなかったじゃないか」と言われる。
「今年デヴューなんで、どんなものかと思って。来年はやりますよ」
「今何やってんの?」
「飲み屋のネエチャンです。お店に来て下さい」
「どんな店だよ」
「どんなって言われても」
「料理は?」
「出ます」
「何料理?」
「何料理だろう?」
って全然宣伝になってない。

 同期Mさんと東京ドームホテル42階の「アーティストカフェ」。
同期Mさんは私が会社を辞めた時の部署で同じ仕事をしている。
上司やメンバーが変わっているから状況は違うが、仕事の話。

先日私の会社マリバールの決算の時紹介してくれた、税理士の弟さんの話。

緑さんの話。Mさんの叔母さんはアーティストだが本当は作品を売りたくないと言って、
ごく近い人にしか売らないらしい。そういうのもありだと思う。

 檸檬屋オープン2日目。

世界的フォルクローレギター奏者のソンコマージュ氏がお祝いに演奏してくれる。
演奏中におしゃべりをしているお客さんを住枝さんが怒鳴って追い出す。
そのくせ「あいつ…」とか、ボソボソ言ってみんなに「一番うるさい」と言われる住枝さん。

 本日は緑さんの個展の最終日。もう1回見たかった。

22日の日記を読んだ静岡のたがたさんからメール。

> 読みました。二人とも仲良くしかも若くて良いねえ。互いに自己を確立しながら
> 何かに向かって突き進んでいる証拠だよ。
> 小生から二人に願いがある。この先、十年以上先き、人生の途中で同時に立ち止
> まりそして来し過去、無論この時のこのテーマをも振り返って語り合ってもらい
> たい。たった一度しかない、人生とは、その時間とは、自分とは、その進化生長
> とは等など。なーんだこんな事だったのかと簡単に答えが出ると思いますよ。そ
> れまでトム&ジェりー状態で♪仲良く喧嘩しな!!♪って感じかな。
> 徒然に思うがままに勝手に解釈して書きましたが失礼の断は平にご容赦を。  
> 真理さんも緑さんもポジティブが似合います。元気に活躍して下さい。

有難い。仲良く喧嘩しようっと。
2002年04月26日(金)

檸檬屋新宿オープン

 オープニングということでパーティー衣装持参で意気込んでいたが
そんなことやってる場合ではなくTシャツ、ジーパン、すっぴんで働く。

住枝さんが挨拶したりするのだろうかと思ったが、
いつもの檸檬屋のようにだらだらと始まり、
住枝さんの「おい!お前!こっちへ来い!お前は向こうへ行け!」やら
放送禁止用語の絶叫やらで終わる。

住枝さんが言うには「この店は俺が1番、従業員が2番、3番目がお客だ。楽しくやろう」。
2002年04月25日(木)

緑道,檸檬屋大掃除

 西澤緑をめぐる高橋玄監督からのメールに衝撃。

> 芸術とは原則的に「掛け捨て」のもので、「売れたい」という発言自体が矛盾だ。
> まあ、現代国語的な表現としてはアリだけど、彼女の場合、そうではないでしょ?経
> 済的負担を自分で負わずに創作したいわけだよね。それは確かに芸術だ。だから、ス
> ポンサーがいない芸術家は、すべて趣味だとしか言われない。
>
> でも、人にカネを出させたいのなら、自分が裸にならなきゃ無理さ。
> 俺なんか「脱がないでくれ」と懇願する相手に「逃げられると思うか!これが俺様の
> キンタマだー!」と脱いで回っているようなもんだもん。
>
> だから僕は、彼女本人のキャラクターで押し出さなければ出て行けないだろうと言っ
> たんだよね。

> 芸術家ゴッコに思える。
> 無いものねだりに思える。

私も22日の激論の後、ずっと考えていた。「芸術家ごっこだったのか?」と。
緑さんに対してそう問えるのか?
私自身が「芸術家ごっこに付き合うよ」と言えるのか?

その話をする前にどうしても直ぐに聞きたいことがある。緑さんに電話。
「緑さん、私のこと好き?」
「YESかNOかと言ったら、まあ好き」
「まあ好きってどういうことよ!」
「とにかく会って話をしようよ」
で終わり。がっくり。

 檸檬屋谷中から新宿へ荷物を運ぶ、と聞いていたが谷中の大掃除&模様替え。
あまりの汚さに仰天。ソファの後ろも棚の後ろも大量のねずみの糞。
掃除機の紙パックが直ぐにいっぱいになる。
まるごと腐敗したキャベツ2個が棚の奥から出て来て異臭を放つ。
茶色いおが屑のような得体の知れないかたまりに群がって死んでるの黒い虫は何?
一緒にお手伝いしているささきもと子さんが「これ(茶色いおが屑状の塊)は…魚?」
蝿が何匹も飛び交い、吐きそうになる。

 お昼ご飯を食べながら、ささきもと子さんと「芸術家と作品とお金」について話す。
ささきもと子さんは恵比寿でコラージュの個展をやっている作家だが
ギャラリーで販売の経験もあるので、売る立場もわかる人。
「自らの売り込みが上手い作家もいるけれど、
お金のためにやってるんじゃないという人を売るのは難しいよね」。

 振込みのため日暮里駅近くのみずほ銀行を探す。
タクシー運転手に聞くと「右へ行って5分ぐらい」。
「歩きで」とちゃんと確認したのに行けども行けども無い。ついに鶯谷駅まで歩いてしまう。
交番で聞くと、更に500m先にあるとのこと。疲れた。
手数料節約のためみずほ銀行を探したのに、電車で日暮里駅まで戻る。

 掃除の続き。まだしっちゃかめっちゃかだが谷中店は今日も営業。
谷中店の店長聖子ちゃんが来たので、私たちは新宿へ。
伊勢丹で買出しをして、オープン前夜の宴。素敵な店になりそう。住枝さんも嬉しそう。
2002年04月24日(水)

緑道,BASEBALL CAFE,檸檬屋

 昨日の激論は時間切れになってしまったので、
「アマチュアだ」と言う緑さんに対して、
プロの芸術家を応援していたつもりの私はどうするのかをメール。

「緑さん、大好きだからね」と電話。「わかりました」と言われる。
「私も真理ちゃん好き」でもなく「ありがとう」でも「嬉しい」でもない。落ち込む。
別れた男に対して抱いたがっかり感と似ている。

高橋玄監督に送った報告メールへの返信。

> アマチュアだと言い切る人は、俺とはべつに関係ない世界の人。
> 俺は、金銭のことだけでなく「プロ」意識で生きている人間だけに興味があるんだね。

> 俺は相当がっかりしたね。

かなり強烈だが緑さんが望むとおり転送。

私からは
「緑さんは『アーティストヴィザ』を取ってるわけだし、
美術を人に指導して報酬を得ているのだから、その意味ではやっぱりプロだよ。
サーチ&サーチもアマチュアに発表の場を与えているわけではないと思う。

『アートで食べていない』=『プロとはいえない』
という意味なのかもしれませんが、
玄さんの言っているのは「心意気」、プロ「意識」の問題です。」
という言葉を添える。

 辞めた会社で派遣社員をしていたウェブデザイナーのS君が、カナダ留学のために
会社を去ることになり、会社のHPを一緒に制作していた縁で送別会に呼ばれる。

東京ドームシティの「ベースボール・カフェ」。
ここはメジャーリーグのテーマレストランで、演出もいろいろある。
従業員とお客さんが一斉に踊り出したりする。

11年いた会社で大きな会社でもないのに、初めて一緒に飲む人もいた。

「桜井さん今何してるんですか」と聞かれて「飲み屋のネエチャンになるの」
と言って檸檬屋新宿の宣伝をする。
「どんな店?」と聞かれると困る。「俺様の店」かな?

 終わってから打ち合わせに来い、と言われていた檸檬屋へ。
水道橋から日暮里のはずが気がついたら渋谷。引き返して24:00過ぎに到着。

「明日は10:00に来いや」で打ち合わせは終了。終電が無くなって檸檬屋宿泊。
何をやってんだ。
2002年04月23日(火)

ギャラリー・サーチ&サーチ,小林伸一郎写真展『廃墟漂流』,ふーみん,激論

 静岡の最高に美味しい魚の店「たがた」のご主人である田片さんと西澤緑展。
田片さんは「芸術ってよくわからないなあ」と言いながら、
国や田片さんの人生・家族・ビジネスなどについていろいろな話しをしてくれる。

緑さんと昨年静岡に旅行した時は2晩続けてたがたで飲んだ。
たがたの新橋進出の計画も順調らしく、楽しみ。

緑さんと田片さんと青山ブックセンター本店で開催中の小林伸一郎写真展『廃墟漂流』。
マガジンハウス本社で同展を見たときより点数も多く、
写真だけではなくDVDや、廃墟に転がっていたものも展示されていた。

3人で中華料理のふーみん。あまり美味しくないのは油のせいだろうか?

田片さんを表参道駅に送って、緑さんは帰りたそうだったが原宿駅前で車を停めて話す。

日記について、高橋玄監督のメールについて、
西澤緑はプロの芸術家なのか、アマチュアなのか、
作品を売ること、芸術家としての名声を得ること、チャンスとは、
言い方が大事か言ってる内容か、人間にある「芯」と「殻」についてなどなど。
「いや、ちがう」「待って、聞いて」と車が揺れるほどの大声で2時間ほど激論。

途中少し泣く。「どうして泣くの?情緒不安定なんじゃない?」と緑さんに言われる。
今に始まったことではない。私は緑さんの前でもよく泣く。
緑さんの涙を見たことは、多分無い。

24時過ぎで打ち切り。まだ話しは終わっていないし、これから変わるかもしれないのだが、
とりあえず本人が「アマチュアだ」というので、私も認識を改めることにする。しょんぼり。

しかし、大好きな大切な人で、熱血応援することに変わりはない。
「プロとしていかに成功するか」から「いかに楽しく遊ぶか」に考え方を変えるだけ。
緑さんとは気持ちを切換えて、また話したい。
2002年04月22日(月)

緑道,(た)ちゃんの場合

 西澤緑個展PRについて相談した、大学ゼミの先輩Nさんが紹介してくくれた
「テレビ美術館」を見る。日曜5:30と聞いていたが、夕方ではなく朝だった。
目覚ましをかけて起きる。

前回は偶然、寝る前に見た。
青山の「岡本太郎記念館」を岡本敏子さんが紹介していて、すごく面白かった。
今回は岡本太郎の後編。
ロンドンにいる緑さんに岡本太郎の本「自分の中に毒を持て」を送ったことを思い出す。
こういう番組で緑さんを紹介してもらえたらいい。

 アーティスト西澤緑をめぐって、高橋玄監督とメール数往復。

> 僕も緑ちゃんは誰の助言も聞かないと思うよ。
>
> それは彼女がアマチュアだから。

なんて書かれても、今度は泣かない。
パーティーでの名刺の渡し方、人の紹介の仕方等にも言及されてて気がつくこといろいろ。

緑さんに電話。「真理ちゃんは他にやるべきことがあるんじゃないの?」と言われる。
「それもやる。やってる。今は緑さんの話をしているんだから話をそらさないで」と言う。

そんなこと言ったら玄さんこそ、何でそこまで言ってくれるんだ?
そこまでしてくれるのを見て
「緑さんのことだから、私は他で忙しいから」なんてあり得ない。

緑さんが希望したので許可を得て玄さんのメールを転送。

 (た)ちゃんの作っている服に興味を持ちそうな人に
(た)ちゃんのHPを紹介していいかと聞いたら「いや」と言われる。

彼女の場合「一般人は相手にしない」
「これまでクタクタになって、これ以上傷つきたくない」
と言って、閉じた世界で物を作り発信している。
でも実は野心旺盛で貪欲、それを隠してはいない。
だから「いや」なら「あっそう」で終わり。

 緑さんの場合は?などと考えてテープ起こし作業は進まず、
これじゃまた緑さんが「真理ちゃん大丈夫?」と心配する。
2002年04月21日(日)

檸檬屋新宿,アカシア,ささきもと子「My A to Z」展,ギャラリー・サーチ&サーチ

 住枝さんと、内装工事中の檸檬屋新宿を見に行く。素敵!
窓枠やカウンターの木の色とスリガラスが可愛い。壁も天井も和紙を使うらしい。
いい店になりそう。
屋上にも行ってみる。ハーブの鉢が2個。これから増やすとのこと。

2Fのトルコ料理「ボスボラスハサン」は何回も行ったことがある。その上の階とは驚き。
檸檬屋谷中本店のビルも地階はトルコ料理屋。またまたベリーダンスと対決か?

近所のリサイクルショップに住枝さんと行く。
お店にどういうものを置くかなど考えるのは楽しい。
「きれいな店にしましょうね」と話す。

 住枝さんが学生時代によく食べたという「アカシア」のロールキャベツをご馳走になる。
私がビールを頼んでも住枝さんは飲む気がしないという。人って変わるのね。

「私のお給料ってどのくらいになるのでしょうか?」と聞くと
「どのくらいがいい?わからんなあ、やってみないと」。やってみましょう。

 檸檬屋のお客さんで、新宿店の看板をデザインしたささきもと子さんが
恵比寿3丁目の「ag cafe」でやっている展示「My A to Z」を見に行く。
女の子らしい可愛いコラージュ作品。カフェの雰囲気にもぴったりだった。

 ささきもと子さんと一緒にギャラリー・サーチ&サーチ。
会期中最後の土曜日ってことで大勢の人が来ている。大学のゼミ仲間須佐美君も来る。

高橋玄監督はたくさんのワインと新宿中村屋のカレーパンを持って来てくれ、
みんなで頂く。
緑さんに渡すチタン包丁を玄さんに見せたら
「チタンだと人を刺して骨に当たっても刃が折れないんでしょう?」。どうなんだろう?

玄さんが監督した「突破者太陽傳」にも出ていた女優Sさんが来る。
胸が大きく開いた前身ごろが豹柄で袖と背中がシースルーのトップに、
黒の革パンツでカッコイイ。抜群のプロポーションで胸元に目が釘付けになる。

緑さんが発した「へんなもの」という言葉にSさんがひっかかり、
「『へん』ってどういうことよ」、緑さんがこれこれこうと説明、とか
ちょっとハラハラする場面がいくつかあり、緊張感があって面白かった。

KMさんがカンパリソーダを作ってくれる。

須佐美君に車で送ってもらって帰る。この時期のオープンカーは、気持ちいい。
2002年04月20日(土)

デッキ故障

 CDコンポの位置と操作の関係上、玄関脇の靴箱の上にPCを置いて、
立ってテープ起こしの作業を始める。
暫くすると、88年に買ったケンウッドのカセットデッキが壊れて
テープが回らず、取り出せない状態になった。

最近テープを聞くことはほとんどなかったし、ろくに掃除もしていなかった。
ケンウッドに電話すると修理受付は池袋にあるが、1週間ほどかかるという。
実家のラジカセを借りようかと電話すると「買えば?」と言われる。

幸い同じ内容のテープがもう一本あるので、作業はそちらを使えば良い。
ビックカメラに行ってテープレコーダを買う。奮発して音の良い物を選ぶ。

 というわけで、予期せぬ支出と時間を取られてしまったので
大学時代の同級生I君と参加する予定だった「夜の陶芸教室」を急遽キャンセル。

24時過ぎに「面白かったよ。毎月やってるから来月行こう」とI君から電話。
来月は久し振りに関西突破塾もあるし、お金が入用だ。
2002年04月19日(金)

激論は続く,ばななになる?

 昨日のMのメールに返信。
「緑さんが感じて、考えて、私たちと対話するわけでしょう?
(略)私なりにMなりに感じる部分を話すでしょう。その一環で、最後通告ではないよ。」

「そんなこと(=私がいいと思ったことを緑さんもいいと思うにちがいない=『緑さんは私』)、
思ってないよ!めちゃくちゃ抵抗されるだろうと思ってるよ。」

「私も押し付けはいけないと思う。というかそんなことできないよ。
緑さんだって拒絶するでしょう。
私がしたのは『投げかけ』ですから、受けるも受けないも緑さん次第。
受けようと拒絶しようと私の愛は変わりません。」

「そんな(非常にいやな感じを受ける)言葉の使い方しか出来なくてすみません。
Mの感じたように聞こえてしまう言葉だろうから、
私も言葉にするのに非常に躊躇したし、怖かった。

でもじゃあ、なんて言えばよかったのか?と考えると、
やはり『このままだよ』としか言えない。
先ほど否定したとおり最後通告ではないから、
投げかけとしてはふさわしい言葉だったと思う。
不快な思いをさせてごめんなさい。(って政治家の釈明答弁のようだが)」

「みんなが優しく見守る中、私はぐだぐだ因縁つける不良友人ってことで
緑さんの人生に関わっていきたいです。

緑さんは『わかりました』(『そのとおりにします』ではない)と言っていたし、
そういうことを言われて怒っている?不快?話したくない?と聞いたら
『そんなことないよ、有難いと思うよ』と言っていたので、
私は言って良かったなと思っている次第です。」

 緑さんの個展の売り込みを問い合わせた数社のうち、
大学のゼミの先輩でテレビ局勤務Nさんがとても丁寧なメールをくれた。
やはりテレビ的には本人のキャラクターか作品がプログラムとして成立するか、
「ニュース」的要素が求められるとのこと。
キャラクターも作品も非常に魅力的なんだけど、本人が出たがりではないからなあ。
あくまで作品本位で、となると紹介のチャンスは限られてくる。悩ましい。

例えば、誰か有名人がファンだってことは大きなニュース的要素だ。
吉本ばななと奈良美智とか。緑さんファンの有名人というと…?
じゃあもう、私がなる。ばななになる。

かつて「将来金持ちになって西澤緑美術館を作る」と宣言して、
金は無いけど、WEB上だけど、実現した。
だから、奈良美智のばなな作戦も実現する。緑道は棘の道、頑張るぞ。

 なんてことを朝までやってて、テープ起こしはちっとも進まない。 
2002年04月18日(木)

緑をめぐる激論,ギャラリーKINGYO,檸檬屋

 昨日の高橋玄監督と緑さんと私のやりとりをめぐってロンドン時代の友人Mと激論。

Mの疑問。
> そんなのみどりさんの好きなようにすべきだと思うよ。
> 他人の私たちがとやかく言うことじゃないんじゃないかな。

> マリちゃんが号泣したりしている状況を外野から見ていると、
> マリちゃんは、みどりさんを自分の分身のように取り込んでしまっている気がするの。

> 最終的にはみどりさんがやりたいことを見守るしか、私たちにはないんじゃないか、
> と思う。

私の反論。
「私も緑さんの好きにすればいいと思うが、
私が気がついたことを余計なこととして黙っているのはいけないと思った」

「緑さんの好きにしたらいいよ、そのままでいいよっていうのは
私にとっては私自身を安全な場所に置く『逃げ』なんだな」

「Mが言わないなら私は言う」

「私が何を言おうと緑さんは緑さんだし、好きなことをやるでしょう」

「『見守るだけ』というのは私にとってはつまらない。
単なるファンでもなく、ただの友達でもない『緑道』だからね、精進しますよ」。

M、怒りのメール。
> 「私の示す道をいかなければ、あなたはこれ以上、伸びることはできません」
> と勝手に最後通告しているように聞こえる。

> マリちゃんがいいと思ったことをみどりさんがいいと思うにちがいない、という
> 「みどりさんは私」と思ってしまっているような行動に見える。
> それが緑道なら、私は好きじゃない。

> 結論は、提案はしても押し付けはすべきじゃないと思った、ってことなんです。
> 「芸術家としては(女としても)このままだよ」という言葉に、非常にいやな感じを受けた。
> まるで、みどりさんが何も考えていない、何も努力していないバカのように聞こえる。
> 彼女は彼女なりのテンポで、彼女なりの方法で地道にやっていると思うからさ。
> それがマリちゃんの思うベストでなくても、それはみどりさんの人生。。。。

返信は明日にする。しかし私は号泣し、Mは激怒。やっぱり緑熱だろうか?なんと強烈な。
あー面白い。

 檸檬屋のお客さんのOさんから、ギャラリーKINGYOでやっている
「根津神社つつじ祭り展」のご案内を頂いたので訪ねる。19:00閉店ギリギリに着く。

苧坂恒治という函館の作家の作品が気に入った。
Oさんが「彼は女性にすごく人気があるんですよ」と言う。
「そんなにかっこいいんですか?」と聞いたら作品のことだった。ハハハ…。

 檸檬屋のすぐ近くに引っ越したN君に、新居祝いのチタン包丁を渡しに檸檬屋。
住枝さんはGW前にオープンする檸檬屋新宿店の準備で大忙し。
チタン包丁を見せたら、出刃包丁、刺身包丁、ペティナイフもご注文。

私は檸檬屋新宿店のオープニングを手伝うつもりでいたのだが、
何時の間にか従業員の頭数に入っているらしい。
「私、お料理できませんよ」と言ったら
「お前にそんなことさせようと思ってないよ。酒出して皿洗うのぐらいできるだろ」
「はい、やらせて頂きます」。

 チタン包丁の方が遥かに安いのに、N君が檸檬屋の飲み代を奢ってくれる。
帰りにN君のお部屋拝見。Yさんも誘ったのだが終電に間に合わないと断られる。
Yさんに「桜井さん泊まるんですか、えへへ」と言われたが、ちゃんと帰る。
2002年04月17日(水)

緑道,テープ起こし

 高橋玄監督が西澤緑の売り込みについて提案してくれ、
私もすぐその気になって数社に問い合わせ。
玄さんが「もっと作戦が必要だ」と教えてくれ、緑さんと話す。
緑さんは自分が前面に出るのはイヤ、と言い、
玄さんは「それなら僕が出る幕はない」ってことで話が終わってしまった。

またま玄さんのメールに号泣。目が腫れ上がる。

私は十数年付き合いがあるのに緑さんに上手く言えなかったことを
2回会っただけの玄さんが正しく厳しく熱く指摘してくれて、
私自身の弱さと逃げを自覚した。私も自分の言葉で言わなくちゃ、と思った。

で、また泣きながら緑さんに電話。ものすごく怖かった。
緑さんを傷つけるかもしれないし、緑さんを失ったら私自身も傷つくから。

でも、緑さんは「わかりました。ありがとう」と言ってくれた。
二人とも「チタン包丁」だから、やっぱり強いのかな?

傷つくこと傷つけることを恐れてはいけない、
より困難な道を行くべきだ、と改めて思った。

それにしても恐るべし、高橋玄。緑さんを撮って欲しいなあ。

 久し振りのテープ起こし作業に取り掛かる。
借してもらったテープレコーダは音が割れて非常に聞き取りにくい。
これは時間かかりそう。
2002年04月16日(火)

包丁絶好調,打ち合わせと呼ぶ面接,ニッポン放送不調

 詩子の実家で作っている銀入りチタン包丁は
話に聞いた通り、軽くてスパスパ、ゴキゲンだ。
まだ在庫があるそうなので興味のある方はお問い合わせ下さい。

営業窓口となってくれた、詩子のお姉様からは

> 気にせず、何でも正直にご感想をください。常に進歩を目指しておりますので、
> 辛口評価はなによりも大切と考えております。

とのこと。購入した方は感想を送って下さい。

 派遣会社から紹介された製薬会社と打ち合わせ。
本来派遣先企業は派遣社員を面接してはいけない、という変な決まりがあって、
「面接ではなくて打ち合わせ」と呼ぶ。実質上は面接。

「英語力が多少必要」「ワード、エクセル、パワーポイント、アクセスが使いこなせること」
と言われていた。英語力ってどの程度?と聞いて扱う書類を見せてもらったら、
頭がクラっときた。
製薬会社の契約書なんて日本語でもややこしそうなのに、
英文契約書の文言の矛盾点を指摘して、なんて無理だ。

かなり迷ったが、夕方まで考えて断りの電話。
私が断らなくても先方が断ったかもしれない。

 ニッポン放送で矢沢永吉のスペシャル番組があるとのことで聞いてみたら酷い音。
他のAM局は多少雑音が入るところもあるが、ちゃんと聞こえるのに
ニッポン放送だけが雑音で話がまるで聞こえない。何で?

矢沢永吉9月14日東京スタジアムコンサートチケットを予約。
1人で行くのは寂しいが、30周年パーティーということで、楽しみ。
2002年04月15日(月)

号泣,おちゃのこ菜々

 高橋玄監督に「昨日は楽しかったです」メールを書いてから玄さんの会員限定HPの日記を見る。「西澤緑個展にて」というタイトルで緑さんと緑さんの作品について書かれているのを読んで泣く。

「緑マニア」の私は芳名帳のみんなのメッセージを読んでも自分のことのように嬉しいが、
泣いたことはない。
泣きながら緑さんに電話をしたら何事かとびっくりしていた。

会員限定のコンテンツだが緑さんにどうしても見せたい。
ゆくゆくは緑さんにも入会してもらうって魂胆で情報漏洩。

 詩子の包丁を受け取りに東久留米。母と「おちゃのこ菜々」。
言わないほうがいいかなと思ったけれど「散歩屋」の話をしたら案の定反対された。
明日打ち合わせに行く仕事が決まれば少しは潤うが、さてどうなることやら。
2002年04月14日(日)

ギャラリー・サーチ&サーチ

 小説に取り掛かろうかな、と思っていたら大学の同級生I君から電話。
「今すぐ青山に来なさい」
「何で?」
「勢揃い」
「誰が?」
「緑さん、高橋玄監督」
「まじで?」
ということで、餃子等を持ってギャラリー・サーチ&サーチに駆けつける。

玄さんは明るいうちから何時間もいるとのこと。既にワインは5本空いている。
このギャラリーはとっても居心地がいい。
緑さんがいて、作品があって、緑さんを囲む人たちがいて、酒がある。
その空間で飲むのは楽しい。

ワインのプラスティック製の栓が、大きなI君と格闘技が得意な玄さんと
二人がかりでも開かない。
「頑張れ頑張れ玄さん」と掛け声の中悪戦苦闘の末、
玄さんがボトルをライターで熱し始める。
「ポン!」と大きな音で開くと拍手喝采。玄さん、お見事。

緑さんが「もてない」のは何故?と玄さんに聞く。
「H度が足りないのでは」というのは緑さんの自己分析。
「いや、そうじゃなくて、男同士は会った瞬間に勝負が決まるんだけど、
男女は普通勝ち負けが入れ替わるんだよ。
(緑さんに対して)男は『負けた』とか『勝てない』と思うんじゃないか」
なるほどねえ。私が男なら絶対挑んでみるけどな。

玄さんは映画の話はもちろん食べ物の話もアウトロー話もすごく面白い。大好き。
帰宅拒否症なので、ヘビースモーカーでなければ我が家にお招きしたいぐらい。
2002年04月13日(土)

LAD MUSICIAN 秋冬コレクション,近所のおでん屋

 実業家M氏から「緑さんの個展見てきました」と電話。
メールに「緑さんは美人です」と書いたから?と言ったら「違うよ!」。
きっかけは何でもいい。足を運んでくれたことが嬉しい。

檸檬屋住枝さんからも「これから緑さんの個展に行くよ」と電話。
ギャラリー・サーチ&サーチは看板も無くわかりにくいので何回も電話が来る。

 (た)ちゃんに誘われてLAD MUSICIANのファッションショウ。
会場は懐かしい、六本木ベルファーレ。
8日に見たコレクションより規模が大きい。女性モデルのメイクがカッコ悪い。

以前同じ会場でひびのこづえのショウを見たのを思い出す。
エンタテインメントとしてもアートとしても、完成していて良かった。

 帰りに家の近くのコンビニ前で「おい!」と男性に声をかけられる。
逆光で誰だかわからない。軽い恐怖を感じながら近づくと電脳キツネ目組のKさんだった。
名古屋にいるはずでは?と思ったら実家も東京の家もご近所との事。

近くのおでん屋でご馳走になる。Kさんはアウトローの事業家。仕事の話、家族の話など。
「男は稼いで何ぼでしょう」「女は男に食わせてもらえばいい」と古風な人で、意外。
2002年04月12日(金)

PEPI'S,ギャラリー・サーチ&サーチ

 「散歩屋さん、面白いかもしれませんね。」
「考えてるより、ビラ作って近所にポスティングしちゃえば?」という声あり。やるか。

 緑さんをPEPI'Sに連れて行く。
私のカリスマ美容師ベゴニアさんの話はいろんな人にしているが、
やってもらいたいと言ったのは緑さんが初めて。

私は前から緑さんは山口百恵に少し似ていると思っていたのが、
カットとカラーリングの出来上がりを見ると
NHK「ちゅらさん」の柴田容子役だった余貴美子にも似てる。
緑さんかっこいい!

 ギャラリーに行って、ほか弁&ワイン。いつもの、具体的対象を欠いた恋話。
「緑さんは私のこと『餓えてるんじゃない?』と言うけど、緑さんじゃないか」
と言ってみる。が、餓えてるというのはちょっと違う。鈍く求めているって感じか?

緑さんに恋する男性諸君!激しく情熱的に行こう。
とは言うものの緑さんに恋人が出来たら、私は嫉妬すると思う。

再チャレンジする懸賞小説の話になって
緑さんに「何を書くの?」と聞かれたので「恋する緑さん」と答える。嘘。それは内緒。

 遅くまで会社で仕事をしているMをピックアップして緑さんの車で送ってもらって帰る。
緑さんのヘアスタイルを見たMは「フランクチキンズみたい!」 
2002年04月11日(木)

ヴィデオ「マルコヴィッチの穴」「FACES」

 昨日紹介された仕事は「英語をかなり使う仕事」との事で断られてしまった。
代わりに紹介された仕事は製薬会社の書類製作やら庶務で、やはり英語力が必要らしい。
一応打ち合わせに行ってみることにする。

散歩屋の方が全然楽しそうだ。銀行に張り紙でも出すか。

久し振りにレンタルヴィデオで「マルコヴィッチの穴」。
話題になっていた頃には見る気がしなかったが、まあまあ面白かった。

高橋玄監督の敬愛するカサヴェテスの「FACES」は、よくわからない。
カサヴェテスは随分前に3本ぐらい見たことがあって好きだった。
だけど「FACES」は何が可笑しくて笑ってるの、単なる酔っ払い?とか
なんで急に怒り狂って喧嘩し始めるの?とか、
と思ったらまた笑ってる、でも不機嫌そう。どうして?と混乱。
夫婦の事は夫婦にしかわからない、ってことか?
2002年04月10日(水)

お仕事?,坊乃

 人材派遣会社(前回契約短縮になったところとは別の会社)からお仕事紹介。
なかなか良い条件。「また電話します」との事なので未だわからないが。

 高校からの友人6人で銀座日航ホテル地下の「坊乃」。雰囲気の割には安い。

10歳と8歳の2児の母であるAとは何年ぶりだろうか。素敵なお母さんだった。

Yは仕事に行き詰まっているようで「何か別の仕事がしたい」というので
「それはやばいよ、私みたいになっちゃって、後悔するよー」と忠告。
私は全く後悔していないが、生活は非常に不安定。
この時期会社を辞めるのは危険。少し休んでリフレッシュしたらいいのでは。

 女性同士の飲み会は物足りなくて、必ず帰ってから何か食べてしまう。
菓子パンとか、デザート系、スナック菓子など。太るよな。
みんなは食べずに寝てるのだろうか?
2002年04月09日(火)

「見附」,首都高ドライブ,「ベトウィグ・アンド・アングリーインチ」,K3パーティー,WIRED DINER

 実業家Mさんと、(た)ちゃんとお昼ご飯。赤坂東急ホテル改め「赤坂エクセルホテル東急」のレストラン「見附」で見附御膳をご馳走になる。

Mさんはダイエット中で、(た)ちゃんは初対面の緊張からか、2人ともほとんど食べない。
私は1人でビールを飲み、卵焼き以外完食。

(た)ちゃんはMさんの皮のスーツを作ることになる。

食事が終わって「緑さんの個展を見に行きませんか」と誘ってみたのだが
「今度にしましょう」と断られる。
「Mさんのお知り合いでお金持ちでアートに興味があって、最近家とかビルを建てて
飾るものを探してるっていう人はいないですか?」と聞いてみたが、「どうかなあ」。

 北の丸公園をぐるっと周って首都高一週ドライブ。予想に反して道は混んでいない。
暖かくて天気が良くて気分がいい。
「私散歩屋をやろうと思うんですが」とMさんに相談。
「需要があるのかな。あるとすればお年寄りだろうね。」
「ボランティアじゃなくて、商売としてやるんです」
「それってエスコートクラブみたいなもんじゃないの」。
(た)ちゃんにも「やってみれば?顔写真出して」と言われる。

 15:30前に別れて、新宿で実践ジャーナリズム講座のH君と待ち合わせて
テープレコーダを借りる。
ICレコーダを買わなくちゃいけないし、テープ起こしをしなくちゃいけないしで
困っていた。助かる。

 (た)ちゃんに誘われたファッションショウまで時間があるので久し振りに映画、
「ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ」。
引き裂かれた自分の片割れ(=愛)を捜し求めて傷ついて、それでも歌い続けるのよ!
というロックミュージカル映画。切ないが可笑しい。音楽もいい。
英語の歌詞が画面に出て訳も出て、実写とアニメーションの分割画面でと、
何処見りゃいいの状態。
毎週金曜日はカラオケナイトらしい。楽しそう。舞台でも見てみたい。

 20:00から「KSD」のファッションショウと聞いていた。
KSDなんて変な名前のブランド、と思ったら「K3」だった。
場所は猿楽町の「air」。PPQとG.V.G.Vの秋冬コレクション。
(た)ちゃんの元彼N君がヘアメイク、DJは友人のMOODMANだった。

久し振りに会ったN君に「なんか逞しくなったねえ」と言ったら
「肩パッド入ってんだよーん」。肩パッド入りのGジャンか…。
ピンク×白のストライプパンツにピンクのスニーカーのN君。

 JR線路沿いのカフェ「WIRED DINER」でマーボナスパスタ。
麺はベトナム風焼きうどんと同じだった。

 (た)ちゃんがデザインしたTシャツが間もなく量販されるらしい。楽しみだ。
(た)ちゃんに渋谷駅まで送ってもらって帰る。
2002年04月08日(月)

EXCELSIOR CAFE,GALLERY ST.IVES,永谷園

 実践ジャーナリズム講座のムック制作でテープ起こしをすることになった。
テープ受渡しのためH君と連れのIさんと池袋でお茶。
これが合資会社マリバールの初仕事になるのだろうか。

 大学の同級生I君のお兄さんが経営する「ギャラリー・セントアイヴス」は
日本で唯一の英国陶芸作品専門店。
本日は「堀順子 木口峰夫 作陶展」のパーティー。作家のお二人とも話す。

I兄にお店の広報宣伝やらHP更新やらを是非手伝わせて下さいとお願いする。
I兄は私が辞めた会社で大変お世話になった、労働組合委員長のIさんと
高校の同級生だったと判明。早速メールを書かなくちゃ。

 I兄弟らと5人でファミリーレストラン「永谷園」。
お茶漬けの永谷園の店で、看板も暖簾もスタッフの制服もあの「永谷園カラー」。
ご飯には「大人のふりかけ」がついてくる。私はお茶漬けご膳を注文。

I君にお金を払おうとしたら「社長の奢りだから」。I兄は「夫婦みたいなもんだから」。
「兄弟だけど夫婦みたいなんですか?」と聞いたら
「違うよ、桜井さんと弟が」と言うので
「やめて!きっちり払わせていただきます!」と声を大にして主張。

結局ご馳走になってしまったのだが、学芸員のOさんが
「私もそう思っていました」
と言うので
「やめて!私は今日来ていた鉄を作る男の子がいい」
と言ったらOさんも
「ああ、彼は私もいいと思いました」
とのことで、一頻り鉄を作る男の子や好みのタイプ話で盛り上がる。
2002年04月07日(日)

散歩屋,涵梅舫(カンメイホウ),死にました

 先日思いついた「(犬のじゃない)散歩屋」について考える。
知人の連れ合いである北尾トロさんが「寝室覗き屋」という怪しい職業体験を書いていて、
北尾さんがやっているブックカフェに行ってみようと思ったら、昨年閉店していた。

 決算も終わったし、誰かと飲みたい気分。ロンドン時代の友人Tから
「詩子の包丁欲しい!食事会しよう」とメールが来たので、
緑さんとMも誘って北京宮廷料理「涵梅舫」。

着いたのが21:00過ぎで、ラストオーダが22:00。しかし目移りしてなかなか決まらない。
烏賊の黒豆炒め、筍とアスパラ炒め、海鮮湯麺、やっぱり美味しい。
そのほかいろいろ頼んで、みんなも喜んでくれて嬉しい。

 ある時点から私と親交の途絶えた人が「『真理ちゃんは元気?』って言ってたよ」とT。
「連絡してみれば?」とも言われたが私は「死にました」と伝えて欲しい。
そんな役目はご免だろうからTにはお願いしないが。

この話で朝日新聞に九鬼伸夫という医者が書いていた文章を思い出した。

「仕事であれ、大切な人であれ、そしてそれが自分の意志によることであれ
反したことであれ、人が何かと別れるとき、失われるのは仕事や愛する人だけではない。
大切な仕事や、愛する人によって生きていた自分もまた、失われる。
それまでの自分が死ぬのだ。

 この死は肉体の死よりずっとゆっくり進み、その間、人は、古い自分でも、
生まれ変わった新しい自分でもない、あぶなっかしい何かであり続ける。
このプロセスをより深く体験し、再生するために、人は旅に出たり、
どこかへ身を隠したり、祈ったり、昔からしてきたのだろう」

意志を持って親交を絶つ、というのは相手を「殺す」ということではないだろうか。
言葉や行為に反応しない、無視するというのは存在を消すことだ。
殺された相手に「元気?」と聞かれたら「きちんと死にました」と答えたい。

九鬼氏の文章はこう続く。
「でも、時がくれば、きっと生命は新しい芽を吹く。
そのようにして生まれる新しいあなたを、必要とする人が必ずいる。
そう信じて、静かに待つしかないのではないか。本人も、また周囲も。」

そして私は高橋玄監督のくれた言葉を思い出す。
「新たな出会いの継続、別れの継続こそが生きる価値のある人生。どうもありがとうね。」

だから恨んじゃいないのさ。私はしっかり生き返ったから。ん、まだあぶなっかしい?
2002年04月06日(土)

豊島税務署,豊島都税事務所,害無能省

 朝起きて、決算書類を見直しているとまたしても疑問点が浮かんでくる。
あちゃー、またやり直しか?と思って税務署に電話。
「パソコンの耐用年数4年を5年で計算してしまったんですが」
「それは構わないです」
とのことでそのまま持って行く。

ところが計算方式も間違っていて、償却不足金が生じてしまった。
その金額の来期の処理方法をまた早口の職員Nさんが次から次へと説明してくれるが
さっぱりわからない。もういいや、来年の事はまたその時に悩もう。

別表は職員Nさんが鉛筆で書いてくれた数字をボールペンでなぞって、
コピーを取って、提出。

 都税事務所は3分もかからず終了。
ああ終わった。開放感でいっぱい。小説が書きたくなる。
家に帰ってゆっくりお茶してから久し振りに掃除。

 先日、海外青年協力隊である国に行っている友人がメールをくれた。
「赴任先からある島に行った体験をレポートしたら、
そこが外務省の指定した危険度3の地域で行ってはいけないところだった。
外務省職員から呼び出され、現在処分待ち状態。
知ってたら旅行記を月報に載せたりしないが、職員はけんか売っていると思ったらしい」
とのこと。

「くだらん。情報提供、情報公開するほうが大事だろうにねえ」と返信したら、
今日のお昼「外務省の海外危険度指定は9.11テロ以降意味がなくなったので廃止する。
これからは自己判断、自己責任で」とのニュース。
こんな意味なし指標によって彼は処分を受けるのか?と慌てて赴任先に電話。
つかまらず。

しっかし外務省はプール金を職員からのカンパで国庫に返納しようとしたら、
集まりすぎちゃって「また何かあった時のためにプールします」とか、バカ丸出し。
2002年04月05日(金)

出来たかな

今日こそは税務署へ、という決心で起きる。
しかしまた出直すのは嫌なので電話で確認してからにする。

会計ソフトのサポートセンターに電話。
「『事業主借』は個人事業の科目です。
法人の場合現金がマイナスなることはあり得ません」
そうなのか。でも税務署の人はマイナスの並んだ元帳を見ても何も言わなかったけど?

サポートセンター:「創立費と開業費を損金に上げるのですか?」
私:「上げる?税務署の人は『損金で落とせる』と言っていたのですが」
サポートセンター:「落とす?科目は何にするんですか?」
私:「わかりません。それを教えてもらおうと思って電話しているんですが」
サポートセンター:「税務署に聞いて下さい」
♪上がってんのー?下がってんのー?みんなはっきりいっとけー、ってな感じ。

税務相談室に電話。
「科目は『創立費償却』と『開業費償却』にして、別表16-5を出して下さい」
別表はいっぱいあるのだが16-5は手元に無い。
先日税務署に行ったとき、そんな話は聞かなかった。何か違う。

やはりあの早口の職員にもう一度聞くしかない。
「4月1日のお昼休みの時間帯に窓口で対応してくれた、
背が高くなくて痩せている眼鏡をかけた女性をお願いします」
と言ったら直ぐわかった様子。

私の事は覚えていてくれて、パソコンの減価償却について
またしてもメモも取れない速さで一気に説明してくれる。
私:「それはこういうふうにすればいいのですか?」
職員:「そうではなくてこうこうこうこうこうこうこうです」
私:「えっと、まず、こう。そしてこう?」
職員:「はい、そうするとこうなってこうなってこうなる。
それをこうしてこうしてこうして下さい」
うう、難しい。とりあえず電話を切ってやってみる。
なんとかこんな感じでどう?と言えるような表ができた。

もう一回電話してもう一つの疑問点
「創立費と開業費は特損で落とすのですか?」
「いえ、決算表には出てこない費用に横滑りさせて下さい」
上げるでもなく落とすでもなく、横滑り?なんのこっちゃ?
電話を切って暫く考える。ああ、わかった。
わかったけど何でこれを「横滑り」と言うんだ?

漸く決算書が出来上がるが18時を過ぎていた。別表は明日、税務署で記入しよう。
しかし売上があったり、従業員がいたり、物を作ったり売ったりする場合は
もっともっと面倒臭い作業になる。
それに比べたら2か月分だし全然楽なはずなのに、1週間もかかってしまった。
2002年04月04日(木)

終わらない決算

 辞めた会社の同期Mさんの弟で税理士のKさんから丁寧なメールを頂く。
昨日の疑問点、パソコンは桜井真理から合資会社マリバールに
売ったことにしなければならないらしい。
価格は買ったときの値段ではなく、時価にする。その方法も教えて頂く。

しかし、実際私はパソコンを売っていないし、売買の記録となる記帳もしていない。
帳簿上現金で買ったということにしたら、会社の現金が赤字になってしまう。
「現金出納帳」は絶対マイナスにしてはいけない、「事業主借」にしろと本にある。
会計ソフトにそんな項目は無い。桜井真理もマリバールもお金が無い。
どうしたらいいのやら。

税務署に行って聞けばいいのに、本を見たり考えているうちに17時を過ぎる。
ああ何時までこんなことばかりやってんだ、と気が滅入る。
生産的活動をしなくては。仕事をしなくちゃ。
2002年04月03日(水)

決算やり直し,詩子の包丁,頭を垂れるアマリリス

 昨日駄目出しが出た決算のやり直し。
「会社を始める前から使っているパソコンを会社の資産にして減価償却する」
「繰延資産となっている創立費、開業費を損金で落とす」
このやり方がわからない。考え始めると眠くなり、お腹が空き、トイレに行きたくなる。

昨日は税務署の職員の説明を「はいはい」と聞いていたのだが、
実はさっぱりわかっていなかったことがわかった。
なんだかものすごく頭が悪くなったような気がして落ち込んだ。

会計ソフトのサポートセンターに電話。
しどろもどろになりながら事情説明するも途中で電話が切れてしまう。
もう一回頭の中を整理して電話。「それは税務署に確認してください」と言われて終わり。

税務署に電話して、また同じ説明をされてわからなかったら恥ずかしい。
面識が無いので少し気後れしたが、辞めた会社の同期Mさんの弟が税理士だと聞いて
HPにアクセスして助けを求める。

 幼馴染で歌手の詩子から、彼女の実家で作っているチタン包丁を紹介されて
購入することにした。
自分の分と、部屋探しに付き合ったN君の新居祝いと、名称未定さんの3本。
母も欲しいと言うので、石川県の詩子に追加注文の電話。

「デパートではウン万円する包丁を何でこんなに安く譲ってくれるの?」
と聞いたらその訳をとうとうと説明してくれる。実は営業をやってたこともあるらしい。

チタン包丁は今、世界でもその会社だけが製造販売している。
ドイツのゾーリンゲンなどにもおろしている。
日本一といわれる包丁メーカーでもチタンの包丁の試作に入っているが、
高度な技術力がないとチタンの包丁は作れない。
前にNHK「ためしてガッテン」で包丁の特集があって、
最終的にどんな包丁がいいのか?と突き詰めたところ
チタン包丁が最も良いという結論に達した。

チタンの刃が何故いいか?
サビない、軽い、尚且つ強度が他の金属と比べてもずば抜けていい、
金属アレルギーがない…。詩子のうちのチタン製品の特徴は、殺菌、抗菌効果がある。

うーん、すごい。日本の物作りの真髄、という感じ。興味のある方はお問い合わせ下さい。

 美しく咲き誇っていたアマリリスが突然、ばっさり倒れた。
日の当たる方に傾く習性があるので、自らの花の重さに茎が折れてしまった。
首吊り状態にして支える。

3月は日記のアクセスがいつもより100ぐらい多かった。西澤緑効果かな。
緑さんと皆様に感謝。このところ更新が遅れがちですが、頑張ります。
2002年04月02日(火)

やり直し,散歩屋,アマリリス

7時に起きて作業再開、10時頃何とか出来上がった。
銀行で記帳をして、モスバーガーで新発売のタンドリーチキンバーガーを食べて、
豊島税務署。

女性職員が対応してくれて、決算の間違い・気になる点を指摘される。
「これは誰かに指導されてこうしたのですか?」
「いえ、本を見て自分でやりました」
マニュアル本には無かったことをいろいろ説明してくれるが、よく理解できず。
とにかくやり直し。
いずれにせよ利益がないので税金はかからないが「なるべく早く提出して下さい」との事。

法人住民税(所得がゼロでもかかる均等税)を払いに豊島都税事務所。
7万円と聞いていたが、それは1年分で会社設立からの分、つまり1ヵ月分だけでいいらしい。
「初めての申告なのでよくわからなくて」
と言うとちゃんと教えてくれた。
何かに使うかと全ての資料や本を持ってきたのだが、全く必要なかった。

暖かくて良い天気で気分が良い。
最近birdの「散歩しよう」をよく聞くが、「散歩屋」ってどうかな。
「犬の散歩屋」が結構いい商売になっているとか。
私は動物が嫌いなので、「人間と一緒にお散歩します」。楽しそうな仕事だ。
世間は新年度ムードなのに、そんな呑気なことを考えながら帰る。
とっとと税務申告のやり直し作業をしてしまえばよいのに、やる気にならず。

一昨年辞めた会社の送別会でもらったアマリリスが今年も見事な花をつける。
たいした世話をしていなかったに。最近米のとぎ汁をやってみたのが良かったのかな。
直径20cmぐらいの花が2個咲いている。白にうっすらピンクの筋が入っている。
つぼみが2つ。高さも50cmぐらいある。
(た)ちゃんがずっと前にニューヨークから送ってくれた詩「ダリア」に
「アマリリス」が出てきてどんな花だろうと思っていた。
立派な、だけど清楚な感じの花だ。

(た)ちゃんにメールを書いたら、

> こわれたダリアはアマリリスを探す…
> アマリリスとイう花がどの花かしらなイが、きっときれイなんだろうね。

と返信。(た)ちゃんがアマリリスを知らないとは驚き。見せたい。
私1人で観賞するのはもったいない。
2002年04月01日(月)

抱茎亭日乗 / エムサク

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