「廃墟漂流」写真展,M社社食,緑道

マガジンハウスロビーで開催中の小林伸一郎「廃墟漂流」写真展を見る。
廃墟に苔が生えたり、草ぼうぼうになったり、カビが生えたり、「廃墟+緑」の写真。
構図が美し過ぎるからか、自然のままの廃墟ではないように見えた。

M社しのづかさんとM社の社食。月4,000円で食べ放題らしい。
晩御飯も賑わっていて、みんな遅くまで働くのだろう。

しのづかさんに借りていた本、丸山健二「まだ見ぬ書き手へ」を返す。
緑さんの個展の話をしたら「リアルトウキョウ」というサイトを紹介してくれた。

ザ・ギャラリー・サーチ&サーチ。檸檬屋アルバイトのSちゃんもヘルプに来ていた。
ミュージアムグッズ第1弾の葉書制作作業、弁当買出し、ヴィデオ撮影他。

ファッション雑誌に「東京マニアのための」という見出しがあって、
緑さんに昨日の「マニア」話をする。
「私は緑マニア」と言ったら
「『緑道』って『緑きちがい』って事なの?」と緑さん。
「違うよ。『緑道』は『道』だもん。」

3月15日の初日にもパーティーをやろうという話しになって「タイトルは?」と聞いたら
「ささやかなパーティー」などと言ってるので「Midoriumオフ会」を提案。
「オフ会って何なの?じゃあ『Midorium オフ会 by Mari』にすれば。
Midoriumと同じで私は関係なくて」と緑さん。
「関係ないだとぉ?ムカツク!」
「いや、そうじゃなくて私は全然書き込みをしてないってこと」
どういう意味だかさっぱりわからない。

だけど緑さんは愉快。
「言葉って難しいわよね。この前もスキーやらスノボやらいろいろな事やっている人を
『この人は遊び人でね』って言ったらみんなが「ええっ?」って顔になってびっくりした」
とか
「『社長がたまたま迎えに来てくれた』って言ったら
『たまたまじゃない!わざわざって言うんだ』って言われちゃった」とか。
こういうネタを聞いて喜んでいるのが「緑きちがい」。

24:30過ぎに作業を終えて、緑さんに送ってもらって帰る。
家で緑さんに頼まれた作業いろいろ。これは「緑道」。

私の風邪、これは「緑熱」。
2002年02月28日(木)

「北海道」,緑マニア

熱は下がった。鼻と喉はまだダメ。葛根湯と梅肉エキスを飲む。

母から電話。「新宿に行く用事があるから布団カバーを持っていってあげる」との事。
「遅れないでよ」と言われて「かしこまりました、ありがとう」。
17:00の約束で、16:59に着く。

24日に喧嘩別れしてまだ怒りは収まっていなかった。
何か言われたら言い返す決定的な言葉も考えていたのだが、
母はそのことには触れなかった。
「大地を守る会」の交流会で行った居酒屋「北海道」で、
焼きたらば蟹をほじくりながら穏やかに飲む。

渡された袋には布団カバーの他に、脂肪をつきにくくする油「健康エコナ」も入っていた。
すっかり機嫌を直す。お母さん、ありがとう。

ある人を「マニア?」と言ったら「マニア呼ばわりか」と怒られた。
私は「愛好家」「熱中している人」という意味で使ったのだが、
辞書には「きちがい」とも書かれていて、怒られても無理はない。

私は「緑マニア」「緑きちがい」と言われたら光栄に思うが。
(緑さんは嫌かもしれない)

「これ以上気分悪くさせないでくれ」と言われて謝ったが、これは難しい。
どういう言葉を不快に感じるかは人によって違うし、非常に微妙。
黙ってりゃいいのかもしれないが、黙っていられるタイプでもない。
そして酔っ払って話した事は覚えていない。
気分悪くさせようとは思わないが、自信ない。

緑さんの住所録と私からの発送分の宛名印刷を終えたら朝6時。寝なくちゃ。
2002年02月27日(水)

上池袋図書館,密会,花粉症じゃない

上池袋図書館に車椅子の駐車スペースが無いのもどうかと思うが、
本の返却ボックスも奥にあって分かりづらい。先日夕方に探しまくって見つけられなかった。
職員に話す。

「僕とデートするって人に言わないでね」と言われた人と会う。
「あら、私口が軽いんですよ。もう言ってしまいました」

ギャラリー・サーチ&サーチに寄って緑さんから個展準備の品を受け取る。

ホテルニューオータニのコーヒーショップでビールとハヤシライスをご馳走になる。
美味しかった。ハンカチで鼻水と格闘しながらお話。

「どこか行きたいところある?」と聞かれて「『噂の真相』の編集部に行ってみたい」
と提案したが却下。他に思い浮かばず赤坂青山あたりをぐるぐるドライブ。
渋谷まで送ってもらって帰る。

初めに「タバコは?」と聞かれて「苦手です」と言ったらヘビースモーカーなのに
禁煙してくれた。こういうのは感激する。

鼻の奥の痛みは取れたが喉が痛いし咳が出る。昼は平熱だったが、帰ったら37.2度。
風邪か。緑さんの事務作業は無理。野菜スープと味噌汁飲んで日記書いて寝る。
2002年02月26日(火)

PEPI'S,緑さん,ロフトプラスワン,もう1軒,花粉症?

PEPI'Sでヘアカット。これまでの赤や青のおどろおどろしい店が白一色にリニューアル。
ベゴニアさんが2日で自分でやったと言う。何でもできる人だ。

スペイン人のベゴニアさんは「日本は難しい」と言う。
私がもっと力になれたらと思うが、ベゴニアさんの才能は東京で収まらないほうがいいかも。
昨年制作したベゴニアさんの作品集CD-Rをもらう。これで何か面白いことができればいい。

昨年のファッションショウには多くのメディアが来て、カメラもいっぱいだった。
ベゴニアさんは各社に招待状を送り、来てくれた人に礼状を送り、CD-Rをあげたのに
どこからもショウの雑誌もヴィデオテープも送られてこなかったと言う。信じ難い話だ。

ギャラリー・サーチ&サーチ。今日から緑さん個展の設営開始。
スタッフも集まったようで順調そう。
昨日苦労して作った「Undulating State」日本語訳を渡す。
出来立てほやほやの個展案内葉書をもらう。

朝から鼻水&くしゃみが止まらない。ロフトプラスワンに着いたらピーク。
本日のイベントは「個人情報保護法案をぶっ飛ばせ!」で
宮崎学さん、宮台真司さん、三上治さん、鈴木邦夫さん他。
電脳キツネ目組の人達もいっぱい。

「この集会に意味はあるのでしょうか」という会場の質問に宮崎さんは「ないですよ」。
私が一番面白かったのは右翼幹部「護国団」の石井一昌さんのお話。
「悪いことをしても平気な人が増えると、恐喝が成り立たないんだ。
だから私は『恐喝のできる明るい社会』を提唱している」。

23:30近くにイベント終了。
キツネ目組組員で専門学校の先生をしているMさんと居酒屋。
和風の店だが、ご主人はブルースシンガーでもあるらしい。熊本芋焼酎がいろいろあった。
私はロフトプラスワンでも結構飲んでいたが、泡盛と黒糖焼酎を飲む。
ご馳走してもらってタクシーで帰る。

鼻水止まらず。鼻の奥がヒリヒリする。
2002年02月25日(月)

緑道,母と大喧嘩

緑さんの住所録作成と「Undulating State」の日本語訳作成。
辞典をスキャンしたら恐ろしく巨大な画像になってしまい、PCのメモリ不足で四苦八苦。

布団カバーがボロボロだがお金が無いので実家にあるものを譲ってもらおうと、母に会う。
待ち合わせの時間を間違えて、45分遅刻。母激怒。

東久留米駅近くの海鮮居酒屋は満席。待っている間のサービスで麒麟端麗生。
飲んでしまったものの待ちきれず上の階の「おちゃのこ菜々」。
東久留米らしからぬ和風ダイニング。結構美味しい。

母は私が派遣の仕事をしていると思っていたので、
相変わらずの生活だと聞いてがっかりした様子。

ニュース23の話から三浦和義さんの話になると母の怒り再燃。
「あんな人と関わりになるな、気持ち悪い。
あの人は口はうまいけど眼を見れば嘘を言ってるのがわかる」
と言われて今度は私が激怒。
母が嫌おうが指図されることではない、誰とどういうふうに関わるかは自分で決める。
「勝手にしなさい」と言われてその場は終わる。

明日の朝食を買って実家に向かう。
途中で「収入も無いくせに」「迷惑」「騙されて殺される」などと言われて切れる。
「帰る」と言って、持っていた明日の朝食を押し付けて駅に引き返す。涙。

布団カバーをもらい損ねたのは残念だが、もう母には頼りたくない。
しかし喧嘩をするほど元気になったのは良かったかも。
2002年02月24日(日)

大地を守る会池袋地区交流会

オゴウチ夫妻に誘われて、野菜の宅配「大地を守る会」の生産者とお話する会に参加。
会場の海鮮居酒屋「北海道」は野菜は全て有機農産物で
化学調味料は一切使わないらしい。銘柄はわからないがビールも美味しかった。

熊本でお米を作っているSさん、名刺の肩書きが「レンコン」のKさん、
大地のスタッフの方々とお話。

「大地を守る会」は美味しいけれど、単身者には非常に不便と訴える。
「胡椒が4週に1回の扱いなのはおかしい。胡椒は基本でしょ。
『さしすせそ』は揃えておくべき」と言ったら
「次回は2個注文して下さい」と言われた。詳しい事情を聞けば理解できなくもないが。

2軒目について行ったが寝てしまう。寝不足ではないはずなのに。

家に帰ってポテトチップ1袋、菓子パン半分。体に悪いものも好き。
2002年02月23日(土)

ドライブ,東中野居酒屋

20時頃「ドライブしない?」と大学の同級生I君から電話。
ニュース23の「浅間山荘事件」特集後編を見たいので
「23時までならいいよ」と言って出掛ける。
首都高一周のつもりだったが、ニュース23はI君のお母さんに録画を頼んで
東中野の居酒屋で飲む。

四方山話。
学生時代の話になって、私が全く記憶に無いことを、
I君に「俺は覚えている」と言われて大混乱。
嘘だとわかって本気で殴る。そういう冗談は嫌いだ。I君が真面目に謝ったので許す。
だからというわけではないが、ご馳走してもらって帰る。
2002年02月22日(金)

池袋スポーツセンター,山中登志子著「編集者からの手紙」読了,ニュース23

アクアビクス教室は満員。隣の人とぶつかってしまう程。
終了後ジャグジープールでくつろいでいたらインストラクターの女性が
「桜井さんにそっくりな人を飲み屋で見ました」と話し掛けてきた。
「椎名町の『北の誉』っていうんですけど」
「1回だけ行った事があります。去年女性2人で」
「じゃあそうだ。TSUTAYAでも見かけましたよ」
「私です」
しかし水面から出た顔しか見てなくて、たまに参加するだけなのによくわかるものだと感心。

山中さんが「週刊金曜日」にいた8年間に書いたいろいろな人への手紙を紹介した
「編集者からの手紙」を読み終わる。

同じ年なのにと比べてもしょうがないけれど、私は何をやってきたのかと思ってしまう。
「やりたいことがあるならまず動いてやることですよ」と山中さんに言われて
全くそのとおり、言い訳している場合じゃない。

ニュース23「浅間山荘事件から30年」の特集を見る。TBSのKさんが担当。
そういえば確かKさんも同じ年。
2002年02月21日(木)

実践ジャーナリズム講座

昨日の「三浦和義論」の人からメール。

> いやー、真理さんの一つ物事の深い調査には感心しました。一般市民にとってマ
> スコミ報道の影響の強さの一端にふれた感じがします。彼に対する印象が貴方の
> メールでかなり変りましたよ。

良かった。嬉しい。

実践ジャーナリズム講座、本日の講師は元「週刊金曜日」編集長代理で
現在フリーの山中登志子さん。

女子学生が作る就職情報誌「私たちの就職手帖」を作っていた(私は読んでいた)とか、
六本木にある日本脚本家連盟のライター教室に通っていたとか、
今後やりたいことはフリーで表現者(アーティスト)の応援とか、
山口百恵ファンだとか、共通点があると思ったら同じ年だった。

ここでも三浦和義さんの話になる。山中さんは良枝さんが大好きだと言う。

台南担仔麺で2次会。

受講生のHさんも同じ年。「夫婦別姓は頭では理解できても感情として嫌だ」とのこと。
嫌な人は同姓でよろしいのでは。

山中さんは30歳を期にひとり戸籍にしたそうで、
私も興味を持っていたのだが面倒なことも無いらしいのでやろうかな。

来期のジャーナリズム講座の講師を依頼した人2名に断られてしまった。3連敗だ。
山中さんの書いた「編集者からの手紙」(現代人分社)を参考に、頑張って口説かなくちゃ。
2002年02月20日(水)

緑熱,激論「三浦和義」,決算お勉強

緑さんと連絡が取れなくて、どうしたかなと思ったら風邪で寝込んでいたらしい。
我が家で「風邪予防に」と飲んだ梅肉エキスは効かなかったか。
熱は少し下がったそうだが、まだかなりきつそう。

ある人に「三浦和義さんと少しお話しました」とメールに書いたら、
心配してくれたのか、次のような返信が来た。

> 社会の中で自分の人生や立場を成り立たせる為には三つの方法と云うか生き方が
> 在る。
> 1.真に自律して大地に根を張る如く自分の能力と智恵で生き、常に独創と進歩前
> 進進化する心と姿勢をやがて来る死まで持ち続けそれを貫く生き方。こう云うヤ
> ツは必ず周りを幸せにするしまたそうなる。つまり俗に云う徳とゆうモノが積ま
> れていくのである。
> 2.は自分を中心にして前や上を行くヤツの足を引っぱる。
> 3.は自分の立場を守る為に出る杭を打つヤツ。
> 2.3.の人間は在るようで無い主体性を中心に置き、周りに在る数々の要素を利用
> するヤツ。
>
> 気になったら許して下さい。
> もう過去の出来事で忘れかけていたが、条件反射で三浦和義氏の名が出ると直ぐ
> に以下のような思いになる。
> 彼はつまり、他人を利用して自分を成り立たせる2.3.タイプの人間である。こう
> 云うヤツは一見頭が良さそう(悪智恵)で華々しくて魅力的だ。若くて元気な時は
> 良い、しかし、晩節から死に至る時期はその皺寄せが必ず来る。こう云うヤツは
> 家庭は持たぬ方が良い。周りがいずれ不幸な思いをする。金廻りが良い内は問題
> 無いが、万一逆廻りになったら危ない。だがそれでもそんな事以上に彼の魅力に
> 惚れたり今が良ければそれで良いとするならば余分なおせっかいになるが。
> 人、各々いろんな生き方があるので彼のそれはそれで良い。

(中略)

> 三浦和義氏は真理さんが感心するくらいだからかなりの「まめ」らしいね。小生
> はその「まめ」をもっとまともな方向に向けたらどうだ、と言いたい。
> 狛江市に、既に鬼籍に入ってしまったが学生時代とラグビーの尊敬する大先輩が
> 居られた。その先輩が、ロス疑惑報道中のTV.画面の三浦和義氏に向かってパン
> チを食らわせた姿を今でも鮮明に思い出す。
> 当時、小生も含めて娘を持ち育てている同じ親にとっては、こんな男に利用さ
> れて殺されたんではたまったものではないなと。多分小生の彼に対する思いと同
> じだったのだろう。
> 小生のみでなくある世代の日本の男は結構彼の半生を他山の石として参考にはし
> ていると思うよ。

私の反論。

「仰りたいことはよくわかります。三浦さんは相当胡散臭い人に見えます(失礼!)。
それは疑惑当時の派手な生活とナンパな印象、育ち、キャラクターから来るものでしょう。
だけど、当時から彼には興味を持って見ていますが、
私は三浦さんの生き方は1タイプだと思います。

当時のテレビ報道を見て殴りたくなるのは当然かもしれませんが、
三浦さんは殺してないです。2審は無罪です。
仮に最高裁で有罪になったりしたら、
この国の司法制度は完全に狂っているということでしょう。

三浦さんは疑惑の最中に入籍した良枝さんと、
拘留中の弁護士人選問題の行き違いで最高裁まで争って離婚したのに
殴打事件の収監前に再婚しています。今お二人は幸せそうですよ。

三浦さんの周囲の人間関係がバラバラになったとしても、
それはマスコミの影響が大じゃないでしょうか。

私は三浦さんと、松本サリン事件で犯人扱いされた河野さんと、
何が違うのかといえば時代とキャラクターだと思います。

河野さんがサリン事件の犯人じゃないとわかった時にマスコミは一斉に謝りました。
あれは三浦さんの時の反省が多少あったからだと思います。
三浦さんのときは裁判で判決が出るまで『放送流し放題、やりたい放題、書きっぱなし』。

河野さんは非常に冷静な、実直な、地味な印象があります。
妻を看病する様は涙を誘います。
三浦さんも妻を看病していましたが、何かと派手なんですよ。
ヘリコプター飛ばしちゃったり。
ですが二人の受けた報道被害、マスコミへの怒りは同じだと思います。
歯止めが全く無かった分、三浦さんの方がきつかったと思います。

彼は『当時の報道で"三浦は犯人じゃない"と思う人の方がおかしい』と
自分で言っています。それほど全ての報道が『三浦=真っ黒説』でした。

その後裁判が進むにつれて冷静な報道をするところも出て来ましたが
その扱いは疑惑当時の数%ではないでしょうか。
私は結構興味を持って見ていましたが、無罪判決が出ていることや
マスコミとの名誉毀損裁判で8割方勝っていることなど、あまり知られていませんよね。

彼が輸入業で成功していたのはその『まめ』さからだと思いますし、
一美さん、良枝さんという素敵なパートナーを得られたのも『まめ』だから。
マスコミへの抗議、刑務所の待遇改善など一つ一つ闘って勝ち得ているのも
『まめ』な人だからできるんじゃないでしょうか。

私は三浦さん個人については本を読んだりちょっと話しただけで、
本当のところはどういう人なのかよくわかりません。

ただ、彼のやってきたこと、半生は私たちに教えてくれるものがとても多いです。
これからも闘う三浦さんに注目していきたいです。」

私にとっては意外だが、未だに三浦さんが犯人だと思っている人は多いのだろうか。
報道被害の名誉回復は本当に大変だ。

「SOHO&個人事業者の『決算・税務』のやり方」という本を読み、
付録の「弥生会計」のトライアル版CD-ROMを使って勉強。一人で全部できるかな。
2002年02月19日(火)

超10000お礼,檸檬屋,決算お勉強

朝、三浦和義さんから電話。やっぱり「まめ」だ。

昼に見たら日記のカウンターが10006だった。
昨年2月1日から公開しているのでほぼ1年で10000。
皆様ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。
感想、ご意見、励ましは掲示板、メールにてお待ちしております。

洗濯して、掃除しようと思っていたところへ檸檬屋のご主人住枝さんから電話。
週末静岡に行った電脳キツネ目組の人達が来るので「すぐ来い」とのことで出掛ける。

Fさんに会社を作った理由を聞かれて
「肩書きが欲しかったのと、勉強・実験の場と、辞めた会社への雪辱と、あとは話のネタに」
と答えたらMさんに「そんなことより仕事しなくちゃ」と言われた。「はい、そうですね」

TBS「ニュース23」で浅間山荘事件のことをやるらしいのでみんなで見ていたが
ブッシュ、ブッシュで終わってしまった。帰る。

3月末までに申告をしなければならないので決算のお勉強、朝7時まで。
2002年02月18日(月)

二日酔い,三浦和義著「Never」

Aさんが連れて行ってくれたお屋敷は用宗駅のすぐ側だったが、駅は線路の向こうで、
しかも踏み切りはかなり遠くにあった。
私は寒くてたまらないので一人でさっさと歩き、駅に着いたら電車が来たので
男性たちを置いて先に乗ってしまった。

昨日三浦さんに頂いた本「Never」を読む。面白い。
闘う精神、闘い方、ビジネス感覚、自分で「僕はおせっかい」というところ、かっこいい。
女性だけに優しいんじゃないのね。

新幹線も寒くて、頭痛がしてきた。風邪かもしれない。家に着いてお風呂に入って寝る。
今日は大学ゼミの「Sundayブランチの会」があったのだが断念。
普段飲み会に参加しにくい、子持ちの人達のための企画で
久しぶりに会うのを楽しみにしていたのに残念。

夕方起きてご飯を食べてボーっとしてしまう。
「Never」を読んで三浦さんの波乱万丈、壮絶人生に触れると、
私は何やってんだ?という気持ちになる。働かなくちゃ。
2002年02月17日(日)

たがた,立松和平講演会とスナックバロン1周年記念パーティ,バロン,?邸泊

緑さんに池袋駅まで送ってもらって、予定の新幹線に間に合う。

電脳キツネ目組N君、Hさん、Mさん、Fさんと静岡たがた。美味しい。
みんなも喜んでくれて私も嬉しい。後半記憶なし。
美味しくて楽しかった事は間違いないような気がする。

立松和平氏が遅れて登場した講演会の記憶もほとんど無い。
宮崎学さんが壇上にいたことは覚えている。

パーティーになって復活し、ロス疑惑の三浦和義さんとお話。
日に焼けてスマートでお洒落な印象。
「高校生の頃『不透明な時』(三浦さんの書いた疑惑反論本)読みました」
「そうですか。新しい本差し上げますよ」
さすが。三浦さんがもてるのはまめさが違うから、と思っていたがホントだ。

3次会はバロンに行く。バロンは元連合赤軍兵士獄中27年の植垣康博氏のスナック。
植垣さんとは何回かお話したことがあるが、バロンは初めて。満員立ち飲み状態。
カウンターにはきれいなロシア人の男の子が2人いて、不思議な店だった。

Aさんが「泊まるところ無いんだろう」と言って
キツネ目組のみんなをどこかへ連れて行ってくれる。
タクシーに暫く乗って、降りたところは真っ暗。女性も一緒だったので不安は無かったが、
もう一台のタクシーを捜しにN君と歩いた時は犬に吠えられて怖かった。

家の中に入ってみると広い古いお屋敷で、ドアや窓の飾りも凝っていて素敵だった。
キッチンとリビングはモダンで、床暖房入り。
ここは誰かの家なのか別荘なのか?

和服の女性がマットと毛布を出してくれて横になる。
結構薄着だったので寒くてたまらなかった。
熱心に議論をしていた男性たちが眠り始めるとものすごい鼾と歯軋り。

6時半に起きて帰る。昨夜はわからなかったが庭も広くて、旅館のようなお家だった。
2002年02月16日(土)

緑の日2日目

13:00頃来ると言ってた緑さんは、結局17:00前に我家に来た。私も13:30まで寝ていた。

コンビニで大量の食料を買い込んで来た緑さんは、私の写真を見ながら遅いお昼。
一度見だすと止まらなくなり、「これは誰?えー、これが須佐美君?想像と違う」
などと言って終わらない。

そうこうしている間に緑さんのPCの調子がおかしくなり入力したデータが消えてしまう。
私もデータの変換に手間取り、4時までやって2人合せて80件。なんたる仕事効率だろう。

緑さんは我が家にお泊り。初めての泊り客が緑さんというのは嬉しいな。
2002年02月15日(金)

St.Green Day

昨夜も人材派遣会社から連絡がなく、仕事にあぶれた。
それなら緑さんの個展のお知らせハガキの宛名入力をしようということで、
緑さんが我が家にやってきた。

近所の革製品修理の店に緑さんの財布を持って行く。
おじいさんが「すぐ出来るから」と言うので出来上がりを待つ。
仕上がりを車の中で待つ緑さんに持って行く。「ここも直して欲しいんだけど」と緑さん。
「もう、しょうがないなあ」と言ってまた店に持って行く。

おじいさんは「念のため、もう一本縫っておくかい」と丁寧な仕事ぶり。
「追加の御代は?」と聞くと「いらないよ」。
車に戻って緑さんに「いくらだと思う?驚くよ」と聞くと
「うーん、わからない。1,200円?」
「じゃあ、私に1,200円くれ。なんと、100円。」

次に図書館に行って、個展「Undulating States」の日本語タイトルについて検討。
驚いたことに車椅子用の駐車スペースが無い。
カウンターの職員に聞くと「かなり離れたところにコイン駐車場があります」。
「車椅子の人はどうしているんですか?」
「車椅子の方ご本人が運転する場合は、停められないですね」
区立の図書館が、そんなことでいいのか?

大塚駅近くの焼肉店「山水園」。明太子石焼ビビンバ、美味しかった。
食いしん坊の緑さんはビビンメンにオイキムチ、ナムルを追加。

我が家に戻って宛名入力、23:30まで。12時間一緒にいて、
結局2人合わせて160人分しか終わらず。
しかし楽しい一日だった。世間はバレンタインデイだが、私は「緑の日」。
今日も仕事依頼の電話は無く、明日も「緑の日」。
2002年02月14日(木)

無駄足,「身毒丸」2階席獲得,スポーツ嫌い

1月25日以来の9:00出勤。余裕の時間に起きても遅刻寸前。走る。
「おはようございます!」と元気に挨拶をすると
「あれ、どうしたの?違うよ」。
なんと、派遣会社と仕事の開始日の行き違い。早起きしたのに、がっかり。帰る。

昨日緑さんと話した時、作品の搬入の件がうまくいかずショックを受けている緑さんに
「確認は大事よ。『わかっているだろうな』と思ってももう一度聞いておいたほうがいい。
『後でいいかな』と思ってもその場で確認した方がいい」
などと偉そうにアドバイスしておいて、自分はこのザマだ。かっこ悪。

フン。お蔭で誰に遠慮することなく10:00ジャストに
「身毒丸」キャンセル席を予約することができた。しかも希望の2階席。
初演の時は藤原竜也のフルヌードがバッチリ見えたと「噂の真相」に書いてあった。
キャー、興奮する!

(た)ちゃんから久々のメール、まさとというボクサーが男前だったという報告。
ボクシングはドラマの題材として面白いが、
スポーツ嫌いの私はオリンピック、ワールドカップサッカーにもほとんど興味なし。

なぜスポーツが嫌いなのかと考えた。酷い運動オンチだからかもしれないが、
人の決めたルールに従って他人が他人と闘っているのを見てもつまらない。
私は自分が闘いたいんじゃないだろうか。

スポーツ好きの芸術家は多いけど芸術好きのスポーツ選手の話はあまりきかない。
これはスポーツ選手も自分が闘って勝つことが何より面白いからではないか?

スポーツの価値観である「とにかく勝ちたい」「負けたらダメ」、
考える余地なし、勝敗結果あるのみというのも感心しない。

本を読んだり舞台を見たり料理を食べることは私と作った人との格闘のように感じる。
私は打ちのめされることを期待していて、でもそれは私の負けというのではなくて、
結果も原因もよく考えないとわからないことがある。
私と作り手の直接勝負で、他人は関係ない。だからたまらなく面白い。

なんて事言ってると、こんな私に面白い野球本が作れるのか、と言われそうだが
それは仕事。やる。
2002年02月13日(水)

「身毒丸」獲得,緑さん再会,野球本企画,檸檬屋

ホリプロに電話、「身毒丸」最終日の立見席を予約。かなり見難いらしい。
藤原竜也のハダカは見えるのか?悶々。
毎日10:00からキャンセル席販売があるらしいので明日もかけてみよう。

原宿駅前で緑さんと会う。青山ベルコモンズ前に車を停めて車中トーク&打ち合わせ。
懸案事項山積だが、楽しい。

信濃町まで送ってもらって水道橋でYさん、Hさん、Aさんと野球本企画打ち合わせ。
マリバール初仕事になるんだろうか。頑張ろうっと。

檸檬屋。お客さんいっぱい。
野球の話で盛り上がっていたので「なになに?誰?」とメモしていたら
Tさんに「取材してるの?それは取材ノート?」と聞かれてしまった。

バイトのSちゃん、Mに緑さんヘルプの話。檸檬屋と掛け持ちでやることになるんだろうか?
Sちゃんが見えなくなったので「?」と思ったら銭湯に行ってたらしい。
石鹸の香りのSちゃんは檸檬屋泊の夜勤とのこと。私は明日から9:00出勤、最終で帰る。
2002年02月12日(火)

おニュースピーカー,身毒丸見たい

電脳キツネ目組のHさんが、「使わないからあげるよ」とスピーカーをくれた。
大学の時に買ったケンウッドのスピーカーは振動部分がカビてボロボロ、
音もガビガビだった。
届いたスピーカーを繋いでみると、ラジオもご機嫌な音。嬉しい。
今までの3分の1ぐらいの大きさなのも○。Hさん感謝です。

藤原竜也の最後の「身毒丸」を絶対見るつもりでいたのに、
何時の間にか売切れ。ショックだ。
主催のホリプロに電話しても「ぴあ以外の残席状況はわからない」
って、そんなことでいいのか?
JTBでも買えるとの事で池袋パルコ店に問い合わせる。
「チケットは電話では申し込みできません。店舗で販売しています」
「身毒丸はまだ売り切れていないんですか?」
「(暫く待たされて)すみません、よくわからないんですが」
なんじゃそりゃ。遊びでチケット扱ってんのか?JTB。

なんとしても見たい。絶対見たい。藤原竜也、きれいで怪しげで大好き。
2002年02月11日(月)

HP更新,高橋玄監督HP登録

HP掲載のため「愛の交換ノート」を読み直す。
当時はアルバイトの女の子たちを、同じ年の頃の自分と比べても、
世間の20歳前後の子と比べても「随分純で可愛いらしいなあ」と思った。
今読むと私も可愛い事言ってる。自分で言ってりゃ世話ないが。

昨年末、大好きだった高橋玄監督のサイトが閉鎖され、
2月には会員制になって再開と聞いていた。
今日見たらリニューアルされていたので早速登録。永久会員の会費は2,000円。
どんな刺激的な話が出てくるのか楽しみ。
2002年02月10日(日)

十文字学園女子大学公開講座,デート1,デート2

やはり遅刻してしまった。
大学ゼミの教授だった鶴木先生の基調講演「テロリズムとこれからの国際政治」
は既に始まっていた。

続いてスライドフォーラム「アフガンの女性と子供たち」では
川崎けい子さんという映像ディレクターが撮った写真の説明を聞く。

私は人々が着ているものに目が行く。汚れてはいるが可愛い布地、色使い。
以前パキスタンの少数民族の写真を見たときも、きれいな色の衣装に感心した。

資料の鶴木先生のプロフィールに
「警察政策学会の設立に参加し、現在同学会理事、『対テロリズム研究部会』主査」
とあって驚いた。知らなかった。

終了後、数年ぶりのデート相手Fちゃんが正門に迎えに来てくれる。
淡い黄色の帽子、イブサンローランのオレンジ色カシミアセータ、
フェンディの花飾りつきピンク皮スカートという気合の入った衣装の私の前に現れたのは、
ジャージのFちゃん。

「来たとき、私だってわかりました?」
「わかるよ」
「女子大生とは間違えないか」
「間違えるわけねえだろ」
「どこ行きます?」
「何も考えてない」
「『海が見たいわ』とか言いませんから」
「俺明日試合なの」
「知るかそんなこと。今日の話でしょ」
「で、何で彼氏と別れたの?」

と聞かれたのでもろもろ報告。喫茶店でお茶&ケーキ。
中学校教師であるFちゃんの近況も少し聞く。

「私のHP見たことあります?」
「ない」
「日記に『デートの約束した、ムフフ』って書いたの」
「デートじゃないだろ、お茶してるだけ」
「そうなの?年賀状に『デートしましょう』って書いたじゃないですか」
「デートにこんな格好で来るか」

ってことで「送るよ」と言われてしまう。
「えー?晩御飯も食べないの?」
「俺忙しいんだよ。今度ちゃんと誘うから」
「ほんとか?何年後?」
「いや、ほんとに近いうちに連絡する」

ってことで仕方なく新座の実家に寄ろうかと思ったら、大学の同級生I君から電話。
「今大丈夫?」
「いや、今デート中なの。でももうすぐ終わる。こんな時間なのにデートが終わっちゃう」
「じゃあ、続きを俺としない?」
「わかった。あと5分で終わるから電話する」
と言ったら横を歩いているFちゃんにど突かれた。

Fちゃんは「良かったじゃない、デートの相手がいて」と言う。
「いや、発展性が無いんですよ。まあFちゃんとも無いんですけど」
志木駅前で手を振って別れる。全然話し足りない。欲求不満だ。

I君に電話、「終わった」。
「やあ、2分で終わったね」、くっそう。

トルコ料理「カッパドキア」。公開講座の話、Fちゃんの話。

「今やってる金八先生で、若い男の先生のことが大好きで想像妊娠しちゃう女の子がいるんだけど、そんな感じ。
Fちゃんは英語の先生だったから意味深な英文を『これどういう意味ですか』って聞いたり。
すごい人気あってみんなで『Fちゃーん!』って叫んでガシッて抱きついたりしてたの」

2軒目に行く前に緑さんに電話。I君緑さん電話会談。
「緑さんて、想像してたより低い声だね」とのこと。

バーOLD/NEW。I君はクランベリージュース2杯。
I君本人にも何故だかわからないらしいが、妙に落ち着きが無い。緑熱か?
送ってもらって帰る。
2002年02月09日(土)

映画「ピアニスト」,おまた

シネスイッチ銀座のレディースデイ。19:00上映でも18:00過ぎに並んだら2階席。
「ピアニスト」は混乱した変態女の話。全く理解できない。以下ネタばれあり。

可愛い男の子が女に興味を持って近づいて大好きになってみたら変態だった。
怒りを感じ強姦する気持ちはわからなくもない。

女は全く混乱していて男の子を「愛してる!」と言いいながら絶対受け入れない。
私はピアニストだから、というわけでもない。母親の抑圧のせい?よくわからん。
最後も何でよ?で、どうすんの?で終わり。

しかし嫌いではない。面白かった。痛々しいけれど笑ってしまう。

帰ろうか檸檬屋か迷ったけれど池袋まで来て、そこでも逡巡して結局おまた。
帰って深夜に「ふんわり豆腐肉だんご唐辛子うどん」。倹約もダイエットも苦手だ。
2002年02月08日(金)

お仕事ゲット,池袋スポーツセンター

派遣会社から電話。先月2日働いた会社で来週から1ヶ月ほど働くことになった。
時給が安いし浜松町9:00出勤はつらいが、四の五の言ってる場合じゃない。頑張ろうっと。
今度の3連休で睡眠時間の調整しなくては。

アクアビクス教室のいつものインストラクターに代わって、今日は男性インストラクター。
なかなか丁寧。Tシャツ短パンというスタイルはイマイチ、と思ったら途中から上半身裸。
受講生もいつもに比べて男性が多かった。
2002年02月07日(木)

税務署「新設法人説明会」,結城

豊島税務署で「新設法人説明会」、かと思ったら社団法人豊島法人会にて。
途中で気付いてよかった。13:30からとのことだが14:00過ぎに着く。
挨拶が終わったところで、説明会には間に合った。大量の書類や説明書をもらう。

1月が決算なので早速書類を作らなくてはいけない。
やはり税理士に相談しなくては無理かも。

辞めた会社のイベント委員会の旧メンバー8人で飲み会、原宿にある結城貢氏の店「結城」。
現在のイベント委員会について、会社の新規事業について、人事異動について。

同期入社で名刺の肩書きがやたらに長いO君に「順調かい?」と聞かれ
「全然、大変よ。でも辞めなければ良かったとは思わないけど」

「なんで(後輩の)Kに敬語使ってんだよ」とも言われて
「だって、入社年度は下でもみんな私より偉くなっていくでしょ。
面倒だから新入社員にも敬語にしたの」
だけどどんなに偉い人も「○○さん」と呼ぶ。なんて、辞めたから関係無いけど。

飲み会に声をかけてくれたNさんが「日記読んでるよ。最近よくデートしてるじゃないか」。
「いや、浮いた話にはならないんです」
「そうかあ」

みなさん優しい。昨日職務経歴書を書いていても思ったのだが、
辞めた会社では楽しい仕事、いろんな事を経験できた。でも一番はいい出会い。
こうして変わらず楽しく飲める人間関係はとても大事だ。有難い。

おでん、肉じゃがなどいっぱい食べて満腹なのに、
家でケーキとタルト、ポッキーまで食べ、化粧をしたまま寝てしまう。
これではまずい、浮いた話がますます遠くなる。
2002年02月06日(水)

履歴書・職務経歴書作成,母電話,玉砕

この日記のアクセス数はだいたい日に30ぐらいなのだが、昨日は70。
これは多分NANIOさんが電脳キツネ目組員BBSに檸檬屋の住枝さんのお父様の
訃報の書き込みをしてくれたから。

「私は冠婚葬祭常識知らずなので助かりました」とメールしたら
「一応、昔葬儀屋やってましたんで」とのこと。
NANIOさんは、あらゆるサービス業の経験があるんだなあ。

先日住枝さんに仕事の相談をした時に「履歴書持って来い」と言われたので、用意する。
職歴に会社設立の事は書いた方がいいのか?
しかし会社代表が履歴書持って職探しは、変だよな。

9日に新座の女子大学で、大学ゼミの教授だった先生の公開講座がある。
母と先生は友人なので、母を誘う。あまり元気が無いようで、断られる。
「先生は奥さんに『あなたが女子大の学長になったらすぐにセクハラでクビになるんじゃない』って言われたんだって」と言ったら笑ってた。

仕事のことを聞かれ「1月は1週間ほど働いたけど」と答える。
「で、書いてるの?」「ちょこっと」。さすがに「日記をね」とは言えない。

昨日ジャーナリズム講座の講師依頼をしたマネジメントからお断りのメール。がっくり。
実は前にも別のところで彼女に講師依頼をして断られた。
いつかどこかで直接お話が聞きたい。さて、次を考えよう。

誘いを断られてばかりだが、ある人と9日の新座でデートの約束を取り付けた。ムフフ。
2002年02月05日(火)

お掃除ピカピカ,ジャーナリズム講座講師選び,残念だけど平気

珍しく午前中に起床。久しぶりに完璧お掃除。だらだらやるので半日がかりだが気分いい。

2002年度ジャーナリズム実践講座の講師依頼メール。
今年度は受講のみだったが、来年度は講師選びから事務局に参加することになった。
ものを書いたり編集の仕事も楽しいが、辞めた会社でもやっていたイベント企画は大好き。

自分の会いたい人に近づいていけるのも、交渉するのもワクワクするし、
イベントに参加した人が「面白かった」と言ってくれるのは最高に嬉しい。

今回私が依頼したのは、今私が最も話を聞きたい女性。実現するといいなあ。
皆さんはジャーナリスト、編集者、出版関係で、誰に会って話を聞きたいですか?
私が呼んであげましょう。(嘘。来るかどうかわかりません)

緑さんから電話、パーティーの日程の件。
緑さんはいろいろ配慮してくれたのだがどうやら私の行かれない日に再々変更となりそう。
残念がる緑さん。こういう場合私も残念がった方がいいのか?
「まあしょうがないよ」と言った方が緑さんの気持ちは軽くなるのか?
緑道は難しい。まあ私がどういう反応しようが緑さんは悲しいんだろう。
私の本音は、残念は大変残念なんだけど、
どうせ毎日パーティー状態になるんだから無問題!
緑さんの配慮、気持ちには大変感謝しています。
2002年02月04日(月)

面接,玄陵,恋愛占い

神楽坂のスナック風の店で面接。
土日を含めて朝5時まで出来るか、お客さんを連れて来られるか、他にアピールできる?
と聞かれて不採用。

匿名希望Aさんと蕎麦「玄陵」、美味しい。

次に行ったバーでAさんが「占ってみます?」。Aさんはタロット占い師である。
私は占いは全く信じないのだが、せっかくなので近い将来の恋愛運をみてもらった。
結果は「いい出会いはあるけれど邪魔が入って厳しい」だっけな?

こうやって飲み屋で「流しの占い」というのは良いんじゃないか?
タロット占いに興味がある方には、Aさんご紹介します。

帰って「焙りコーン」1袋。食べ過ぎで気持ち悪くなる。
2002年02月03日(日)

住枝コール,HOTDOGSコンサート,雛鮨,檸檬屋,ホープ軒

二日酔い、気持ち悪。携帯電話が鳴って飛び起きたら
「今日、予定はありますか」と聞いたことのある声。
「どちら様ですか」
「どちら様でしょう?」
「…?…ああ、住枝さんだー。」
「今日同級生がコーラスのコンサートやるんで、今から化粧して1時までに檸檬屋に来い」
「いや、二日酔いで気持ち悪くて。今人ん家だし。」

暫くしてまた電話。
「さっきよくわからなかったんだけど、お前、来ないんだよな」
「すみません、無理です」

電話を切ってだらだら寝転がっていたが、帰り支度をしているうちに快復。
南麻布にいるので2002年2月2日午後2時からのコンサートには間に合いそう。
住枝さんに電話して駒場東大前「こまばエミナース」に駆けつける。2曲目に到着。

男性3人組「HOTDOGS」のコーラスで、映画音楽を中心に
「新座少年少女合唱団」と一緒に歌ったり、オールディーズ・メドレーなど盛り沢山。

終了後渋谷12ヶ月ビル内の寿司屋。電脳キツネ目組のYさんも一緒。
頻繁に住枝さんの携帯電話が鳴る。
お父様が危篤で、もしかしたら直ぐに広島に駆けつけなければいけない状況。

そんな時なのに私の仕事の心配をしてくれて「よくわからないスナックなんてやめろ」
「オヤジの件が落ち着いたら考えてやるから」と言ってくれる。住枝さんは優しい。

寿司を頂いている間に大学の同級生I君から電話。
檸檬屋に行って飲むことになったのでI君も誘う。
丁度I君も渋谷にいるとの事でタクシーを引き返してピックアップ。

事前に申し合わせて私は住枝さんの愛人でYさんは住枝さんの秘書という設定。
I君に「パパがね、呼んでもいいって言うから」と住枝さんを紹介。わけのわからんI君。
店に着く直前に住枝さんが「わははは、びびったろう?」とネタばらし。

檸檬屋に向かう間も頻繁に電話。広島からの電話に「おう、死んだか?」と出る住枝さん。
檸檬屋は土曜日お休みだが心配した人が次々やって来る。

HOTDOGSのオリジナルソングで「青春は終わったけど」という曲は
檸檬屋のテーマソングとのことで、
先ほどコンサート会場で買ったCDを何度も繰り返しかける。

そして、ついに「そうか、死んだか、15分前か」。
住枝さんの隣に座っていたお客さんが住枝さんの肩を抱く。
「参った」と言って住枝さんがグラスを持って立ち上がって、
「青春は終わったけど」の曲に合わせて身体を揺らしている。後姿を見て私も涙が出た。

檸檬屋は来週は住枝さん不在で営業とのこと。

I君は初めて来た檸檬屋。飲みすぎたようで眠っている。
住枝さんが「おいI!桜井を押し倒せ!」と叫ぶ。起こして終電で帰る。

「もう一軒行く?」とI君。
「あなた寝てたじゃない、帰りな」
「じゃあ、ラーメン」
「ええ?ラーメンはいいよ(入らないよ)」
と言いつつホープ軒。美味しかった。「桜井、ほとんど食べてたじゃないか」と言われる。
送ってもらって帰る。

この週末は突然のお誘いが何件かあった。流れに乗るべし。
そう言えばO君は「ノリが大事」って言ってたっけ。
乗るべき流れを見極めるべし、だな。
2002年02月02日(土)

やっと銀行,脚本家Mさん,萬力屋,モンスーンカフェ,T宅泊

合資会社マリバールのキャッシュカードを取りに銀行へ。
昼に起きてご飯を食べるともう銀行の窓口が閉まる3時には間に合わず、
今まで取りに行けなかった。今日はご飯抜きで出掛ける。

窓口を待ってる時間に、辞めた会社の後輩で今は脚本家の卵であるMさんから電話。
池袋に寄るのでお茶でも、とのことで快諾。

一回家に帰ってご飯を食べてから、ご近所ルックで待ち合わせ。
私は夜の予定があるので、少しだけ飲もうということになって、
5時前に開いている店を探す。
Mさんもフリーで頑張っている。話していて楽しい。

慌しくもう一度家に帰って、ご近所ルックのまま麻布十番。
ロンドン時代の友人Mが起こした会社の事務所にTと、先日帰国のもう一人のTが集合、
近くの「萬力屋」。

Mが「超美味いよ」と言ってた、焼き棒餃子が来て
「熱い?アチチかな?」
「熱いよー、舌火傷するかも」
とか騒いで口に入れたら、ヌルイ。
みんなも一口食べて「これ焼けてないよ」
「火の通ってない豚はやばいでしょう!」と大騒ぎ。
クレーマークレーマー×3の私たちは、黙っていない。

焼き直してもらって「御代は結構です」との言葉に一同納得。
ところがこれがまたヌルイ。Mは「絶対いつもと違う!」と再び大騒ぎ。
3回目の正直、今度はアツアツで皮もパリッとしていた。
「でもさ、なんか入れられてるかもね」
「そんなことしないでしょう」
「いや、わからないよお」
って騒ぎは収まらない。

最近のロンドン事情、クレーマークレーマーから見た日英気質の違いについて、
緑さん=「ベイブ」説、緑さんと4人で一緒に会う方法についてなどなど。

2軒目は「モンスーンカフェ」。アジアリゾート風。
話は尽きないがMと、江戸川区の実家に滞在しているTは帰る。
私はお泊りセット持参していたので南麻布のT宅に泊まる事にしてワインを飲む。

緑さんグッズ製作について。緑さんのことなら一晩中でも話していられる。
しかし、もしここに緑さんがいたなら朝まで話しても話し足りなくなる。恐るべし西澤緑。
2002年02月01日(金)

抱茎亭日乗 / エムサク

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