あふりかくじらノート
あふりかくじら



 22時のくじら、ハラレの夜に。

22時までオフィスにいるというのは、実に久しぶりのことだ。
ここは東京とは違い、一部の人を除いては17時にオフィスを出てしまうような環境だから、街の空気が少しずつ夜中のそれに変わっていき、風がやわらかく遠くから吹くようになる時間までいるというのは、あんまりないことなのである。

書くべきものも書いたし、あとは片付け。
いるものいらないものを分け、ひたすら書類をシュレッダーにかけたりする。わたしはどうしても、本というものを手放したくなくって、たくさんダンボールにつめてしまう。

ときが凝縮され、日付はあと少しで変わる。

今夜眠り、目が覚めたら、出勤は最後の日である。
わたしはわたしの心のなかのどこかの機能を壊してしまったけれど、いま、ハラレを発つ日が近づくにつれ、その存在をはっきりと理解するようになった。時間がかかるのだ。でも、ゆっくり向き合っていけばよいのだと思う。

今日はとても、心の動くことがあった。

それは良かったのだろうか。
たぶん、良かったのだろう。

いまは、淋しくもなんともない。
ただ、遠くからぼんやり自分を見ている。


いつまでも、アフリカにつながっているために、明日の一日を過ごそう。


2007年07月26日(木)



 時間の濃度熱。

身体が火照っているのは、あれこれと文字通りばたばた走り回ったりしたり、フル回転で頭を稼動させながらひとりものすごい形相で気合を入れてパソコンに向かって報告書作成などをいまさらしているからであろう。

昨日、今日と精神状態がどん底まで落ち込まないのは(やばいとこまではいくのだが)、きっとそういうフル稼働の状態だからなんだとどこか冷静に思う。
すごい勢いで気合を入れたせいか、つたない報告書ではあるが何とか言いたいことはまとめて形にした。なので、あとは荷物をまとめたりと雑務と格闘することになる。意外とあれこれ出てくるわ出てくるわ・・・。とはいえ、小さなころから引越しばかりして育ってきた自分は、なんとなくばたばたしつつも変な心の余裕をかましている。

物不足のこともあり、周囲の人にできるだけ必要そうなものを分ける。けっこう争奪戦。全部一部の人が独占しないように気を配る。
イタリアの白ワインが余っている。惜しい・・・。

いつも去る側だったわたしは、今度もやっぱり去る。
そして、荷物をまとめることは、何かの区切りをつける意味もあって心理的には大切な作業なのだ。

時間の濃度が、日々、高くなっていく。
そのぶん、熱がこもってくような気がする。

窓を開けた。
ハラレは、まだ冬。

風はちょっと冷たいけれど、それでも日差しが暖かい。

ダンボールを運ぶ。

2007年07月25日(水)



 くじら的に生きるための。

毎日、何度か気が変になりそうになり、ひとりで泣く日々が続いている。相変わらず、他人とは関係が上手くいっていない。

ただ、この状態には「波」がある。
思い切り転がり落ちるとき。冷静な判断ができるとき。
落ちているときにわたしは他人を攻撃し、嫌悪するし、この激しさは尋常ではない。そして、他人を傷つけたりしたことで、自分が深く傷つく。
一方で、わたしがわたしの人生を冷静に着実に生きるための頭脳が、きっちり働いている時間帯もある。

この状態はとても辛い。
だが、ここから抜け出すのは並大抵のことではなく、そのために時間もかかる。しかし、ここから逃げ出すことはしない。

いま、22時半くらい。
精神状態、悪くはない。今日泣いたのは、多分全部で一時間くらい。

あと6日ほどでこの土地を去る。ときは着実に過ぎていくし、わたしはわたしの人生を生きるのみ。

ただ、思う。
すべてのことばを受け容れられないときと、色んなことをすんなり受け入れられるときがある。
わたしは人生のコマを進めるためのパワーを、その後者の瞬間に取得しなくてはならない。迷い、不安、いろいろある。
それでもわたしは、くじら的に生きるためのできる限りの努力をするし、この辛い時期もきちんと受け止めて否定はしない。

アドバイスなどが欲しいわけではない。
わたしは、わたしの話を聴いて理解してくれる人間が欲しいし、そういう人間がいれば、わたしの精神状態はそういう地の底に落ちることがない。

ひとつだけ確かなことは、わたしは自分の行き方が好きだし、自分の信念もある。そうして、進んでいくのみなのだ。這いずり回りながら。


やりきれないのは、この大変な状況のジンバブエの中で、わたしはいったん国を去らなくてはならない時期にあるということ。

2007年07月23日(月)



 ハカタのチョーカー。

今日、水曜日。
今月二度目のボツワナからジンバブエに帰国した。

空港からカルテックスで並んでディーゼルを入れ(昨今の経済状況からして非常に心配していたが無事入れることができた)、その後、直接30キロほど走ってパトリック・マブロスの店へ。
先日セミオーダーしていたチョーカーをとりに行ったのだ。

それは、ハカタと呼ばれる長方形のトップで、ショナの人々の伝統的な呪術に使われたという由来がある。わたしの選んだ図柄は、Wise Womanと呼ばれるもの。ふたつのパターンは、乳房をあらわしている。
そして、パトリックは、チョーカーがわたしの首周りにちゃんと合うような角度で作ってくれていた。

それはとてもうつくしいシルバーで、ずっとずっとほしかったもの。そして、とても大切なものになるはずのもの。
やっと手に入った今日。

静かにチョーカーをみつめ、長い苦しい時間のあとにひとつのピリオドを打ったような、そんな気がした。



ボツワナでは、作家ベッシー・ヘッドの暮らしたセロウェ村へ。大学四年生のとき以来二度目だ。今年は、生きていれば彼女の70歳の誕生日。関連イベントでセロウェ村においてベッシー・ヘッド・フェスタが開催されたのである。

そしてわたしは今回、人生の中でとても重要な人に会い、重要な対話をした。わたしとベッシーをつなぐもの。この複雑な関係。
ちょっと書ききれない。

でも、これだけは言える。

ベッシーは、わたしにとって特別なのである。それは、友だちとか、ファンとかではもちろんない。もっともっとその先にある複雑なものなのだ。


2007年07月18日(水)



 Sweetest Goodbye

夕べ書いた日記がお出かけ前最後と思ったけど、少し時間があるのでもう少し。


いま、朝の9時前。
これから荷造りを終わらせて、お昼頃からお出かけする。水曜日まで。
わたしのなかで、これはとても大切にしたい旅なので、ほんとうに楽しみにしている。ひとり静かに考えごともしたい。


このところのジンバブエの経済状況は悪く、刻一刻と状況が変わっていくので、どういう報告書にすればよいのか、未だに悩み中である。まぁ、なんとかなるでしょう。好きに書けばよいのだから。
でも、いま調査しているテーマは、博士課程のテーマに十分なりそう。ついでにプロポーザルでも書いてどこかの奨学金に応募してしまおうかしら。


ネットにつないだら、浜崎あゆみはTOKIOの長瀬くんと別れた云々の記事。

ひとりで目覚める朝は、ひとりで眠る夜よりも淋しい。

今朝は電気があるので、温かいお茶が淹れられる。
なんだか自分も恋人と別れたようで、いますごく複雑な気分になっている。恋人と別れると、世界中の何もかもが自分を突き刺すんだったな。

ひとりで淹れるお茶、ひとりで目覚める朝、シャツの袖に腕を通す瞬間、携帯電話の着信音、ラジオの声・・・そういう何もかもすべてが。


Maroon5の"Sweetest Goodbye"という曲が、今朝はとくに心に突き刺さる感じがする。

How does it feel to know you never have to be alone, when you get home.


さあ。
もうすぐ9時。そろそろ準備をしないと。


わたしはわたし自身のために、少しだけ旅に出ようと思う。
この時間を、とても大切に受け止めようと思う。


2007年07月14日(土)



 フォーティ・コークロードにて。

今日の昼、フォーティ・コークロードという、その名の通りCork Road 40番地にあるカフェにひとりで座っていた。

冬のハラレは、朝夕はとても冷え込むけれど、日中は暖かい日差しが差し込み、カフェの庭の陽だまりはとても人気がある。今日もたくさんのお客さんでにぎわっていた。

本を読んでいたら、知り合いのあるヨーロッパの外交官の方が、これまたひとりでたまたま来られた。彼は、その公館ではナンバー2にあたる人であるが、とても気さくなひとで、よくパーティなどにわたしを誘ってくれる。

近々契約満了して帰国することや、仕事上、思うようにならず苦労した局面が多かった話をした。実際わたしは、現在の精神状態を作り上げた理由の何割かは、この職場環境にあったと思う。かなり理不尽なことがたくさん続いたのだ。そしてわたしは、ぼろぼろになった。


彼は、少しだけアドバイスをしてくれた。
とても気さくな、そして保守的ではまったくない外交官。彼のように、少しシニアのひとですばらしい知見とユーモアを持った方は、わたしのことをよくわかってくださる。

今までの人生の中で、とてもできなくて視野の狭い多くの「シニアの方」に苦しめられてきたわたしにとって、このような「お友だち」がほんとうにありがたい存在なのだな、と改めて気づき、こころがじんとして涙が出るようだった。
いま、ほんとうに傷ついていて、ひとりなんだな、自分。

自分でフェアウェル・パーティはしないの?と彼は訊いた。
そうか、そんなこと考えてもいなかったよ。

わたしは、職場の人が開こうとしてくれる送別会さえ、断って去ろうとしている。でも、お友だちはほかにもいるんだってこと思い出した。

ほんとうに、ここで過ごす最後の夜、ひとりでいいのかな、わたし。

そう考えると、その心の準備はまだ、できていない。
いま、かなりきつい。



追伸:明日から水曜日まで出かけます。

2007年07月13日(金)



 会えないひと、会えなくなるひと。

今月末にハラレを去り、とりあえず日本に戻る。

ジンバブエは現在、経済状況が大変なことになっていてスーパーにものが並んでいない。日用品、食料品の類が消えてしまっている。そして少ない商品を求めて、レジには長蛇の列だ。

日数が少ないと、もう会えなくなるっていうひとがけっこう出てくる。相手が長期休暇をとっていたりとか、別の町に行っていたりとか。帰ってくる頃には、わたしはもういない、みたいな。

なんだか、遠くから自分の生き方を見つめてる。
いまのところ、新しい生活(つまり仕事)を自分でみつけることだけが、わたしを進めているような気がする。もっともそれには時間をかけるつもり。


今の精神状態について、周りからなんにもいわないでほしいです。
そのコメントは、ぜったいに、違っているので。


さっさと今の職場を去りたい。
そして、皆、会えなくなるひとになってほしい。

2007年07月12日(木)



 深夜のラジオ的アフリカ物書き。

ウェブ上で「あふりかくじら」と検索するとけっこうヒットするのは、メルマガにブログにと色々ちょこまかとやっているからであるのだが、その自分のプロフィールを書くといのが面倒くさいので、よく「深夜のラジオ的アフリカ物書き」という、ちょっとわかったようなわからないような書き方をしている。

(これを誤解して「物書き研究者」と書いてくれたひともいた。ううん、それじゃあ、意味が違うんだけど・・・とくに訂正はしないが)

【あふりかくじら★カフェ】というメルマガも、深夜のラジオみたいにふっと届いてくれればいい、という宣伝文句をつけている。

わたしは部屋にいるときずっとラジオをつけているほうで、特に深夜に静かに流れる番組などが好きなのだ。ふっと予想もしなかった曲がながれて、胸が締め付けられたり懐かしい気持ちになったりとか、そういうのが好きなのである。

今日、縁あって「ラジオ深夜便」の6月末に放送されたものがまるまる手に入った。なので、例によってひとりオフィスなのをいいことに、仕事中に3時間と少しの番組すべてをパソコンで聴いた。(席を外したときは一時停止にして)

意外なのだけれど、こころのなかで絡まりあっていた糸のようなものが少しだけほぐれ、わたしは穏やかな表情をつくることができた。そして何より、行き詰っていた仕事が一気に片付いたのである。
さすが、ラジオパワー。
こういうこと、自分が好きだったのを思い出した。


ちょっと前に、誰かが言っていたことと重なるが、こんなことを最近考える。


村上春樹の『ノルウェイの森』で、永沢さんが「自分に同情するな」と言っていた。
自己憐憫とか、同情とか、そういうものは何の役にも立たない。自分がかわいそう、だとは決して思いたくない。かといって、自分の今の精神状態を「平気平気」と無視するわけにはいかない。それでは何の解決にもならない。自分のこころのなかでは、色んな複雑なものが絡まりあっているのは事実であり、要するにそこから逃げて目をそらしてはいけないのだ。


この状態を治すために、何かをしなければならない(たとえば、旅に出るとか)、という考え方は違っていると思う。
旅に出て静養したからといって、何がなおるわけでもない。単純な方程式ではないのだ。

わたしはこれを受け止め、解きほぐしていく。
時間をかけて。


そうすべきなのだと思う。

2007年07月10日(火)



 届いていたメール。

幾日ぶりかにオフィスに行って、どうでもいいメールばかりのメールボックスを開けた。このメールは特殊なシステムを使用しているので、外出先からは見られないのだ。

そしたら、職場でいちばん近いひとからわたしがボツワナに発った朝にメールが届いていたのを今頃発見した。「不愉快な思いさせていたらごめん」(くじら的解釈によると)という内容の一行だけのメール。
これは、ネガティブモードばりばりだったわたしに届いていなかったんだな。そしてやっぱりわたしの態度は他人を心配させているんだね。

だけど、ダメ、です。
ごめん。




報告書のためのリーディングすらまだ終わってもいないのに、今日は停電が20時少し前と若干早めに終了したため、なんとブログ(『あふりかくじらの自由時間』)にわけのわからないブログパーツを貼りこんでしまった。キーワードを解析して、グラフで示すらしい。いろいろ考えるねぇ。


一方で、政府の価格統制と取締りが厳しくなり、スーパーから食料品や日用品が消えている。このスーパーインフレ(たぶん年率5,000%くらい)価格を50%にしろなどという政府の無理な要望に応えていたら、とても商売にはならないでしょう。というわけで、ものを売らなくなる。

いま、パンとか卵とか牛乳がない。
かなり深刻な状況。

スーパーの経営者等が何十人も逮捕されたらしいです。
ほら、わたしも仕事!これを書かないと、ね。

2007年07月09日(月)



 100万回の一日さ。

彼に100万回電話するも通じない。5日ほど音信不通だったわたしがいけないのか。むむ。

相変わらずお天気は良いけれども気が滅入っていて仕事に身が入らない。週末のうちに終わらせなければならない作業が山積みであるのに、テラスに出て近所の猫と一緒に日向ぼっこなぞしている。
おまけにあったかくて気持ちよくなり、うつらうつらとお昼寝モード。嗚呼・・・。
携帯なんて永遠に鳴らないし。

停電になる前に夕ご飯の支度をしてしまおうと下ごしらえするも、下ごしらえ終わったとたんに停電。意味ないじゃん、このニンジン。

Didoなるアーティストの"Here with me"という曲ばかり100万回聴いている。でも、もう停電なので100万と1回目が聴けない。静けさのなか。どこかの家のジェネレーターが騒々しく回りだした。いいわねー、お宅では電気があるのねー。温かいお茶が淹れられるのねー。

周囲のひとと縁を切るため借りっぱなしのDVDプレイヤーを返却したので、100万回観た「ブリジット・ジョーンズの日記」は観られない。どのみち電気がない。


昨日は昼ごろにボツワナから帰ってきていたのだけれど、夕方にあったパーティには声すらかけてもらっていなかったことを知り軽いショックを受ける。縁を切りたかったのはこちらのほうなのに、こうあからさまに普通に忘れられているとやっぱり傷つき、そしてそんな自分に嫌気が差す。
もちろん、誘われていたとしても断ったのだけれど。こういう何もかもが嫌だ。

昔から、海外に住んでいるのに日本人とつるむのは大嫌いだった。でも、こういうやり方っていまの精神状態のわたしにはかなりきつい。

いつも新しい職場や学校などに移ると、わたしは「メインキャラ」にはなれない。
かといって、完全に孤立しているわけではないのだ。いつもとても仲良くするひとたちはできる。毎日のように一緒にランチをしたり、一緒に遊びに行ったりなど。
だが、たとえば少し上司にあたるひとが若手を呼んで自宅でパーティをしようというふうになる場合、ほぼわたしは忘れられてしまう。大きな仕事が終わって、上司が打ち上げをしようとする場合でも、その仕事のために休日出勤をしていたわたしは忘れ去られ、ほとんど仕事をしていなかった人が招待される。

どの職場に行ってもそうだった。
例えば、外部の人がうちの職場の皆を呼んでバーベキューでも、という場合でも、わたしはいつも忘れ去られている。これは、正社員だったとしても、その組織に他の人たちより多少長くいたとしてもこうなるのだ。
そして、こういうことをきっかけに、仲良くしていた人たちともだんだんぎくしゃくしてくる。

現に、昨夜の例でもそうだ。
呼ばれていったのは、わたしよりも「新しく来た」ひとたちである。そして、いままで昨夜と同様のある外部のパーティにほとんど毎回ちゃんと出席していたのは、わたしなのである。そして、いまでは新しく来た人たちが取って代わり、わたしはだんだん忘れ去られるということか。

やっぱり、という感じ。結局こうなるんだな。

今日は最高にネガティブモード。
もう、書きたかったメルマガも、書く気がおきなくなった。

仕事は、目途がつかない。
間に合わないかもしれない。



ネガティブモードでごめん。
やっぱり、いまはすごく孤立してる。

せめて、電気・・・。

2007年07月08日(日)



 「07-07-07」という日に。

本日は2007年7月7日。
一日前の7月6日は、作家ベッシー・ヘッドの誕生日でした。
1986年に亡くなったベッシーではありますが、生きていれば70歳になったはず。


人々は、集まって彼女の誕生日を祝いました。
わたしの「一方的ソウルメイト」(それは直接会ったことがないからなのですが)であるベッシー・ヘッド。彼女はわたしの人生を変えました。


今日、わたしはボツワナから帰ってきました。
ボツワナの首都ハボロネに行っていたのは、ボツワナ大学で開催されたベッシー・ヘッド学会に出席するためでした。

9年ぶりに訪れるボツワナ。

もう亡くなって20年以上も経つのに、彼女の友人や、彼女を愛するひとたちや、学術的研究をするひとたちはこんなにたくさんいるし、こうして情熱をささげているのです。

大学四年生のときにボツワナを訪問した際、わたしを助けてくれた大学の先生方に再会しました。そして、いままで、本を通じてしか知らなかった「有名な」人たちに初めてお目にかかり、わたしは感動に打ち震える・・・かのようでした。

わたしの人生にとって、かなり「歴史的」な出来事なのです。
とてもとても、重要なことなのです。



詳細は、メルマガ『あふりかくじらの自由時間』に書く予定。


新しく出た本などを買い込み。
真ん中は、パトリック・カリナンとベッシーの手紙のやり取りを、パトリックの解説付きでまとめたもの。
あまりにすばらしく、読書に夢中。






やるべきことがあるのにねぇ・・・。




==========

上記の本は"Imaginative Trespasser"by Patrick and Wendy Cullinan

2007年07月07日(土)



 暗く明るく、また暗く。

停電。
そして5分くらい戻り、また停電。その繰り返し。
今夜はとくに苛立つ。

5分のすきに、大急ぎで焼き茄子を調理してみた。途中、電気が切れたが余熱でできあがる。本日の夕食、シリアル(最近は牛乳不足でスーパーでも手に入らないので牛乳なし)、そして焼き茄子。
炊飯器を仕掛けたが、途中で二度ほど各一時間ばかり停止しているのでふっくらご飯は無理であろう。

ああ。パソコンのバッテリももうなくなってきた。


今日は、また精神状態ぼろぼろに逆戻り。
すべての人に対して、悪態をつく。一刻も早くこの場所を去りたい。ジンバブエには住んでいたいが、いまの職場環境や周囲の環境はもはやわたしには苦痛でしかない。

今日の停電は、いつもより数倍の精神的ダメージ。
救いようがない。


明日から出かける。
わたしの人生の中で、「歴史的」であるはず。
大事な瞬間なのに、わたしはまだ日常の瑣末なことに大きなダメージを受けている。

縁を切りたい。
周囲の人間すべてと。


2007年07月03日(火)



 紅茶とはちみつで。

やばい。
風邪気味だ。というか、完全に風邪だね。

水曜日からお出かけするというのに、なんだこれは。
今回ばかりはケープタウン行きがキャンセルになったときの二の舞にはなるまい。

ルイボスティーにマロンデラ産のはちみつをたらして、身体が温まったらもう眠ります。何も考えずに眠ります。まだ午後七時なのでありますけれどもね。ベッドに入りましょう。

こんな夜に限って、電気はきちんときています。

おやすみ。


あ、今日医務室から取得してきた風邪薬を服用いたしますよ。



2007年07月02日(月)



 シルバーのチョーカー。

土曜日の午前中、ハラレのちょっと郊外にあるパトリック・マブロスのお店へ。土曜日というのに、パトリックの工房は忙しそう。
それでも、あたたかく迎えてくれたパトリック。熱心にわたしの注文と自分の見立てを分析しながら、ひとつのアイディアをつくってくれた。シャープなシルバーのチョーカーが欲しかったのである。

こうして、セミ・オーダーメイドにしてくれるパトリックは、自分の持っているものに自身を持ちなさいといってくれた。
背が高くて独特の雰囲気があるのなら、気後れせずにおおぶりのアクセサリーを身につけなさいと。

ハラレ郊外にあるこの場所のことは、これまで何度かここにも書いてきた。
いつもは職場のひとたちと一緒にいたけれど、ひとりでくるのは初めて。
紅茶を出してくれ、熱心に見立ててくれる職人パトリック。
このうつくしい丘の上の風景に心が解放されていく。こんなに落ち着いた気持ちになれるなんて、早くひとりでくればよかった。邪魔もいないし。
やっぱり旅することも、こういう自分にとってごく個人的で大切なことも(自分の中でこのシルバーのチョーカーをつくってもらうことは、とても意味のあることなので)、ほんとうにひとりでやるべきなんだな。そういう当たり前のことに気づかされた。
風が心地よい。



ハラレ中心部に戻ってきてカフェでゆっくりしたあと、ふと思い出してアボンデールの映画館へ。
ディカプリオ主演の『ブラッド・ダイヤモンド』が上映されていることを思い出した。

紛争ダイヤモンドのことや少年兵のことは、アフリカ研究をしていればもう何度となく聞かされてきたむごい話だけれど、これをここまで迫力ある映像にするとは、なんとすばらしいことなのだろう。
監督はもとより、出演者もすばらしい。ディカプリオもすばらしかったが、とくに、ソロモン役のジャイモン・フンスーには圧倒された。

血塗られた殺戮のシーンはむごたらしく、でも、これがシェラレオネで起きた事実なのだと思うと苦しい。こんなことがアフリカで起きてきたし、いまでもこういうことは終わっていないのだ。単なる殺人マシンと化した少年兵。いまでもこういう子どもたちがたくさんいる。殺すことになんのためらいもないのだ。

ディカプリオの熱演振り。南アというか、旧ローデシアの訛り。このひとは、ほんとうに厚みのある俳優になってきているんだな。

しかし、ここの映画館でいつも思うのは、周囲がうるさいこと。
わたしはいつも、映画の世界に入り込んで観ていたいのだが、たとえばディカプリオ扮するダニーが「オレはローデシア生まれさ」とか、「ショナの言い伝えでは・・・」と言ったりするシーンで、ゲハハハー、とかヒッヒッヒーなどという下品な笑い声が客席から響く。

まあ、ここはジンバブエで、まさに昔「ローデシア」だったところであり、観客の多くはショナの人々であるので、くすぐったい気持ちもわからなくはない。しかし、ほんとうに邪魔をしないで欲しい。

シリアスなシーンでも、野次が飛んだりする。
怖いシーンやヒロインが泣いたりする場面でも、馬鹿にしたようにヒッヒッヒーなのである。ああ、もう・・・。

『ブラッド・ダイヤモンド』は、圧倒的だった。
何度か涙がこぼれたし、とくにいちばん最後のシーンがとても心の奥深くに響いた。

しかし、映画館はいっつも、エンドロールの最初のところでぶちっと切って灯りをつけてしまう。そして人々は余韻に浸るということを知らない。
わたしはいつも、ぜったいに最後の最後まで音楽を聞きながら浸っていたいタイプなので、これは許せない。

なんというか、観客も映画館も、映画そのものをリスペクトしていないように思う。

すごく心に響いていて、スーパーにお買い物をしにいこうと思っていたのを中止して家に帰ろうとした。
すると、たまたま同じ映画を観ていた知り合いのジンバブエ人女性(スーパー・ハイテンション)の声が聴こえて、思わず逃げた。
けど、駐車場で見つかってしまった。
「きゃー元気ィ〜!!?」(ああ・・・もう)って満面の笑み。
あんだけシリアスな映画を観て、何にもこころに響いていないのだろうか。

「あれ〜、何だか疲れてるの?」だってさ。こっちは泣いてるんだよー映画観て。なんというか、台無し。

せめて、映画はとことんまで世界に入り込んで観たいのです。
がんばって作ってあるものなんだし、エンタテイメントなんだから、どうか他人の邪魔はしないでください。


パトリック以外、誰にも会わずに週末が終わります。
今日は一歩も家から出ていません。


2007年07月01日(日)
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