あふりかくじらノート
あふりかくじら
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ロールアップ。
ひとと話をすることって大切なのだな、としみじみ。
今日、少しまともな話をした(危機的引きこもりなので誰にも会っていないため、このようなおしゃべりをしたのは帰国後ほとんど初めてだ)ので、少しだけ自分の頭のなかにあるものをひとつずつ取り出して整理した。
それは、ほんの一部だけなのだけれども、そのことがわたしにとってどれほど大切で着実な一歩か。
深海の底に沈んでしまったような精神状態を引き上げるのは相当時間がかかるけれど、こうしてほんの少しずつ引き上げていくことはできるってこと、わかってる。
ひとつひとつ、ゆっくりと巻き上げていく。
背骨のひとつずつをロールアップして、頭は最後に。ゆっくり。息を深く吸い込んで出して。
ほんとうは、頭のなかにいくつかのやることリストが浮かんできてはいるのだ。それに向かうパワーが不足しているだけで。
2007年08月31日(金)
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世界が正常に機能する。
夜、ベリーダンスのクラスへ。
木曜日のクラスは比較的人数も少なく静かだ。
今日、日中は気が変になりそうでやばい状態だったため、わたしはベリーダンスを必要としていた。
レッスンが終わったあとのテンションの状態。リラックスした状態。
すべての物事が歪んで見え、深海で水に揺られるように何もわからない状態になっていた危険な意識の状態から、一気に世界が色を取り戻し、すべてが正常に機能しているように感じられるのである。
今日、母のジュエリーを見て、なんだかとてもいい気分。
(母は、天然石とビーズジュエリーのデザインをしている)
きらきら光るたくさんの天然石たち。
あれこれ取り出して、自分につけてみる。
わたしは、ひとつひとつの事象をこなすことにより、正常な意識へフォーカスしていかなくてはならない。師匠への手紙を書くこと。それから、少しずつだけメールを書くこと。
そうして、社会とつながっていくのだ。
あれだけやばいネガティブ状態を行ったりきたりしている自分に、愛想を尽かすこともなく優しく付き合ってくれるなんて、すごいことだと思う。自分も話せてうれしいからと言えてしまうなんて。たいていの男性はきっと嫌で逃げ出すんだよ、こういうの。
自分も、とってもとっても忙しくて気持ちが仕事でいっぱいだろうに。
わたしにとって、やっぱり大切なひとだ。
すごく哀しいことにね。
考える時間が長いのは、危険だよね。
焦らずに。
2007年08月30日(木)
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東京浮遊くじらの考えごと。
東京の地下鉄に乗ると、営業時代のことを思い出す。よく、広尾だの渋谷だの新宿だのって地下鉄に乗っていた。そして、車内には会社員の姿がたくさん。いかにも営業らしいのも。
会社にいるころは、もちろんストレスが数え切れないほどあった。夜遅くまで働いたり、顧客にわけのわからないことを言われてこき使われたり。
わたしはずっとアフリカ研究や国際協力の世界で勉強してきて、でも仕事がなくて結局は一般企業の営業社員になった。今まで努力してきたことを何一つ役立てられず、しかもそのような世界が存在するとは夢にも思わないような世界で大変な仕事をするというのは、ものすごいストレスだった。
しかしその一方で、会社員というのは楽だと思う。
つまり、目の前の仕事を一生懸命にこなしていればそれで良い。その意味では、わたしが会社員だった時期は楽だったのかもしれない。すくなくとも、いちおう組織に「所属」していたのだから。
会社を辞め、やっと国際協力シンクタンクの仕事を得、その後ジンバブエ行きの二年間の仕事をした。
あの、東京の地下鉄に乗っていたときに比べれば、それは格段の進歩だ。
しかし思う。
わたしはいま30歳で、今年12月には31歳になる。
仕事、不器用なりに一生懸命頑張ってきた。もちろん、仕事には嫌な上司や顧客はつきものだし、雑用もつきものだ。それもよくわかっていたつもりだ。それらにつきまとうストレス。それでも、自分に与えられた仕事をこなす、ということも。
だが、その「ストレス」や「我慢すべきこと」が、どうしてもどうしても納得のいかないことだったらどうだろう。
もちろん、顧客に奇妙な注文つけられてどう考えてもおかしなサービスをわざわざすることはある。上司がそういう注文の相手の場合もある。
まあ、少なくともそのことで死人が出るわけではないと思えば、目をつぶることができるかもしれない。
だが、昨今のミートホープや不二家、白い恋人の例をみてみると、それらの「上司の圧力」というのが極端な形で出てきたもの。会社という組織は、ときにそういう社会的不正義を隠蔽して、押し通してしまう。そして部下たちは何も言わずに従うしかない。やがてそれが当たり前となり、感覚が麻痺してしまう。
そして、それはひとの健康や、ひいては命が関わってくる重大な問題になってしまう。
社会的不正義が、隠蔽ではなく、むしろ「正義」としてまかり通り、大量の金が投下されている例もある。それがわたしの経験したことだった。
そして、そのことが当たり前となり自分は「悪」となり、そこには悪意たっぷりの「嘘」が存在する。そしてそれを、「圧力」で「正しいこと」にしてしまう。正義感たっぷりの言葉を使って、書き換えてしまう。
「仕事を一生懸命、全身全霊頑張る」ということはどういうことなのだろう。
「目の前の仕事に一生懸命取り組む」ということをした結果、わたしは陥れられた。そして、それは「正義」となった。隠蔽より悪質だ。
もう、どうやって「仕事」を頑張ったら良いのかがわからなくなってしまった。
仕事をするということは、「不正義」に耐えなくてはいけないことなのか?そこに、アフリカの普通の市民の生活がかかっているのだとしたら?それを破壊する可能性があるのだとしたら?何億円ものお金をどぶに捨てるのだとしたら?そういう真実に触れたら「悪」になって陥れられるのだとしたら?
仕事のストレスに耐えるというのは、いったいどこまでのことを指すのだろう。
そしていまのわたしは、自分が何をしたいのかがちょっとわからなくなって途方にくれている。国際協力も、もちろん重点的に関わってはいくが、わたしの中ではちっとも答えなんかじゃない。
ごく普通の人たちが、アフリカのことを考えてくれるように願うことは一緒でも、プロフェショナルとして結局何をすべきなのか。その答えが出るまで、きっと長い長い時間がかかるだろう。でも、わたしは、「内と外」という考え方を持ちたくない。援助を答えにしたくない。お金はもらうものではなくて、稼ぐものだ。そして、アフリカは「貧しい」わけじゃない。アフリカはひとつの国ではない。外交は、国民を犠牲にするものであってはならない。
そういうことを、とりとめもなく考えている。
ベリーダンス教室に行く地下鉄の中、霞ヶ関を通りながら。
2007年08月29日(水)
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不足しているビタミン。
先日、元職場の同僚に送ったネガティブメールが何らかのエラーで届いていなかったらしく、改めて問い合わせのメールが来ていた。
届かなかったのか・・・。
良かったのかな。
しかし、それに速攻返信するも、受領のメールなし。
おいおい、わたしのプロバイダー、どうかしたのか?
体調不良から徐々に回復しつつある。
外へも出ずおとなしい生活をしていて、何か気づいた。
わたしの身体に不足しているもの。
旅に出るべきだったんじゃないか。
うむ。ビタミン。
どうだろう。
南の島?温泉?向田邦子の縁の地をめぐる旅?
少し考えよう。
いずれにせよ、ひとり。
いま、ちょっとずつだけれど自分の状態が変化している。社会復帰までもう少し。いろいろ考えることもあるし。
2007年08月28日(火)
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少しずつ回復すべし。
胃の不調も少しずつ緩和されていったようだ。前回のときよりは幾分ましだったのかな。それにしても、この負のサイクルというのはなかなか断ち切れない。
今日は、おとなしく回復モード。
家にいて、やっとメルマガを書く。二種類とも。
これで精神的にどこか落ち着いた気がする。
それから書くべきものを整理していこう。
家にいて、少しぐったりしていたら徳永英明の歌声。
昔の曲をセルフカバーしたCDだったが、そのやわらかい音と声、アコースティックな感じが風みたいに身体をなでた。
いつまでも失恋モードになっているわけにはいかないけれど、今回ばかりはどうしてもダメだ。電話だってかけてしまいそうだし、実際二度ほどかけて、向こうからもかかってきた。
別れる別れないって、どういうことなんだろう。
ともかくわたしの心はいつまでも彼にべったり依存している。一年間会えなかったのを我慢してきたのに、なんてすら思っている。
いずれは、また新しい道を踏み出すであろう現実から、目をそらしている。
それにくわえて、この不調だ。いままで積み重なったものが、一気に胃にくるというのがわたしのこれまでのパターンだった。
そんなところにいつまでもいるわけにいかないね。
2007年08月27日(月)
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不定期的絶不調。
夕べ、ベリーダンスのレッスン後にハラレでともに仕事をしたひとたちと酒。わたしは少しずつ復帰していかなくてはならない。
しかし久しぶりに呑んだというのもあり、お恥ずかしながらまた歴史的絶不調。嗚呼。渋谷から自宅まで永遠ともおもわれる電車に乗り、通りかかるすべてのご不浄に長居しましたよ。宿酔いの薬もすべて胃からさよなら。
数ヶ月に一度のペースで、わたしは胃を決定的に壊す。前回も何かのきっかけでひどい日々が続き、回復までに時間がかかった。
やはり精神的なものによるところが多いのだろう。ここ数ヶ月はほんとうに苦しい毎日を過ごしていたから。それが一気にこうして出てきている。
今日久しぶりに会う予定だった友人との約束はキャンセル。めんぼくない。
頭痛はなくなったからもう酒ではなくて胃の問題だ。
あのひとと結婚してふたりで生きていけたら、幸せだったのだろうか。なんてことを考えてしまうよ。かなわぬことなのにね。
いま、ベッドから携帯で更新。
徳永英明のボーカリストのワンフレーズがずっと頭のなかリピート。
カモメはカモメ
孔雀や鳩や
ましてや女にはなれない
呑んだくれくじら。
人生をリセットしろ。
2007年08月26日(日)
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激しい雨に。
打ち付けるような激しい雨がこの街に降っている。
海風の街に降る雨。深夜。
かたまりのような音。
メルマガを書こうと思ってなかなか書けない。
いつしか『あふりかくじらの自由時間』というのはわたしのなかでとても大切なものとなっていった。これからどういう方向に進んでいくのかはわからないけれど、わたしはひとつずつ丁寧に簡潔に書いていくことを望んでいる。それは知識の伝達でも情報でもなんでもない。自分自身の意識のフィルターを通した手紙ということなのだ。
いま、苦しい時期。
断っておく。
アドバイスなどはいらない。
わたしは、自分で自分の進むべき道を手探りで模索している。精神状態のことも、仕事のこと、キャリアのことも。
とうぶん、恋愛はいらない。
誰かを好きになるということは、ときにあまりに残酷で、愚かだ。そして、あまりにも多くのことを犠牲とするのだ。
ただひたすら、アラブ系の音楽とリズムに目を閉じる。身体をリズムに乗せる。夢中になる。
どこか遠くの世界。
2007年08月24日(金)
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しびれるキス。
今日、某ベリーダンス・レッスンの二回目。
最高に楽しい。今月末にパーティがあってプチ発表会のようなものも行われるとか。なんてすばらしい。
このところ、ベリーダンスをやるために生きているのだか、ベリーダンスをやることで生きているのかよくわからない。それと、ひたすら書き続ける。いろんなこと。
ブログとかこのエンピツ日記やメルマガなんかには限界がある。どういう形でまとめたらいいのかわからないけれど、やっぱりわたしは書かないと死んでしまうウサギさんなのだ。(?)
なので、すごい分量書いている(予定)。
わたしには書くべきことがいくらだってあるし、書かないと苦しいのでやっぱりそうするのだ。
いつだったか出版社に見てもらったこともあったけど、共同出版じゃちょっとね。いくら先方もお金出してくれるとはいえこちらも100万円出せってんじゃちょっと・・・。ま、いいわ。書くこと自体が目的だから。
さっき
You Tube
で、
Tarkan
の
Simarik
という曲を発見。(←クリックしたらいきなり始まりますよ、職場から見ている方ご注意)
"Kiss Kiss"
というタイトルで色んなひとがカバーしている曲。ジンバブエにいるとき、この曲で振り付けをやったのだ。最高。しびれる。
もうじっとしていられないので、腰をシャラシャラやってきます。じゃ。
2007年08月23日(木)
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心地よいリズムに。
一日中家にいたというのに佐川急便の小父さんが配達に来たのに気づかず、三回目でやっと受け取り。通販で買ったランジェリーです。一目で気に入ったのにサイズがなかったので通販にした。いつもトリンプ系のブランド。この会社は、営業をやっていたときクライアントだったけど、いまではすっかりわたしのほうがお客様だね。新作必ずチェックしてるし。
今日は、向田邦子の命日。
折りしも、台湾からの飛行機がエンジン爆発するトラブルも発生した。これ、何か意味があるのかしら。嫌な感じがする。
ここのところ、気が変になりそうで苦しい。ものすごい危機感を感じる。脳が溶けそうだ。台所の隅っこに座ってぼんやり宙を見つめたりしている。7月のときみたいに、一日に何度も泣いたりするようになった。この世界で自分はたったひとりみたいに。
頭痛がひどい。肩こりからくるものだ。
先週マッサージに行ったときには、その凝りのひどさにお姉さんに「す、すごい」と言われてしまった。指が入らないんだそうだ。肩とか背中。
彼に会いたくて気が変になりそう、というのもある。電話かけたい、電話かけたい。こんなのってありえない。でも、嫌いになったり嫌われたりして別れたんじゃないからなおさらつらいんだろうか。
とりあえず日が暮れてから家を出る。ちょっとした買い物をし、またドトールで本を読む。ひたすら本を読む。ベッシー・ヘッド関連本。(まだ読み終えていないのだよ)
ドトールに座っていると、少しだけ社会とつながりを持てたようでどこかすっきりした気分になった。徐々に、回復していくしかないのだろう。
部屋に帰って、ジンバブエでベリーダンスの先生にもらったCDをかける。
ああ。あんまり心地よいリズムに身体が自然に動いてしまう。<しみー>してFigure of 8を練習。難しい。楽しい。
ああ、すっごい気持ちいいね。
ベリーダンスで救われろ!俺!
2007年08月22日(水)
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子どもみたいな気分。
ひとを攻撃する病気っていうのは、やっぱり治らないみたいだ。今日ひさしぶりに来たメールにかちんと来てしまった。そして、かちんと来ている自分がほんとうに嫌でまた泣。・・・もう。
これでは、ほんとうにベッシー・ヘッドと同じだよ。
冷たいこと書いて、ごめんとは書かないで、元気?と訊かれたのでわたしは、あなたと同じ職場で働いていた二年間は自分の精神状態を壊した、だから今はそれを治療せねばならないという意味のことを書いてしまった。・・・もう。
嘘じゃないけど、いくら親しいひとでもここまでのことは話していなかったから、多少、「えっ」となるんだろうな。
世間体なんてどうでもいい。
格好が悪くてもいい。
わたしは自分が助かりたい。
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回線がブロードバンドになったのをいいことに(いままでジンバブエではダイヤルアップ53kだった)山ほどある写真をアップしてみた。
とりあえずは、グレート・ジンバブエ、チノイ・ケーブとカリバ湖、キレネ・ミッション、ルプララ、ケープタウン。これまでの旅のことなどは、過去日記やメルマガをご参照いただけるとうれしい。
メインサイト「あふりかくじらの自由時間」の「写真雑文集」のなかの
「アフリカのこと」
にある。★がきらきらしているところ。
あとは、サイトのトップページを更新。
こちら。
2007年08月21日(火)
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イクスピアリで思う。
先週体験レッスンに行ったベリーダンスのクラスに行こうと、夕暮れどき、重い腰を上げて電車に。とりあえず、現在のわたしの社会活動はベリーダンスしかない。
駅のホームで電車を待つ。
もうすぐ日が暮れる。あたりの空気が夜に向けて少しずつ濃度を増すなかにいると、ふっとそのクラスに行く気がしなくなって電車を途中で降りてしまった。
舞浜でおりて、ふと思い立ってイクスピアリへ。
ここはいつもわたしが別れた恋人とデートをしていたところである。つい今月の初めも、彼と二回デートした。一年ぶりに彼に会ったのもここ。ディズニーランド帰りに寄って食事をしたのもここ。
胸が苦しくなると思ってこられなかったけれど、今日はなんとなく行くことができそうな気がしたのだ。根拠は何にもないんだけれど。
とてもセンスの良い雑貨などを少し見て、ぷらぷらと歩いて、そして新浦安まで帰ったあとドトールで夜までひとり考えごと。ひたすら、ほんもののノートバージョンの「あふりかくじらノート」(非公開)に書き続ける。
精神状態のバランス。
今日は小康状態。そのへんの子どもを見て一回泣きそうになったくらいだ。
(ドトールで泣いてはいけません)
誰か、たぶん、すべてを聴いてくれるひとが欲しいんだろうなと思う。洗いざらい、すべてを。仕事のこと、恋愛のこと。どうしてわたしがいつも、狂気の恐怖に踊らされているかということ。
これまでの人生とこれからの人生の、ひとつのリセットの時期。
いま、帰国して三週間ほど。
あわてないで、でも現実世界に戻っていかないといけない。
真っ白なままでは、もたない。
何故か。
来月のお給料がないからだ。
とりあえず、ベリーダンスはふたつ目の体験レッスンにいったところに行き始めようと思う。踊ることはほんとうに楽しい。
2007年08月20日(月)
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ベリーダンスの美しさ。
日曜日、ベリーダンスを観にいく。
青山のライブハウスにて、弟1と。
(弟2というのもいる。何年も会ってないけど)
ベリーダンスとアラブ音楽の夕べ。
千夜一夜物語。
アラブ音楽って、心地良い。
ダンサーの
Huleya
さんがとてもうつくしく感動。
きれいで、そして何よりほんとうにベリーを愉しんでいて、身体の余計な力を抜いているような感じ。
あの感じを目指したい。
ほんとう、社会生活復帰しないとやばい。
ちゃんとひとにも会わないと、ね。
2007年08月19日(日)
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海の中で揺れているような。
グランブルーの海の中で、どこまで遠くが見えているのかわからないその青の世界の真ん中で、わたしは青の水圧に身をくるまれながら、海面を見つめて浮かんでいるような気さえしている。
いま、バランスが悪い。
精神的に危ういところにいる感じ。
生きるのに苦労するわたしは、自分を苦しめるだけとわかっていても、とめられないことがある。ひとを嫌い、徹底的に攻撃し、憎むこと。
そしてそのことを、わたしは忘れることがないのだ。ときに、「思い出し怒り」でほんとうに眠れなくなるくらい。その人物に似た人間を見るだけで、わたしは突然殴りたくなる衝動にかられる。
こんな苦しみ、無駄なのに。
それは十二分に承知なのだ。ほんとうにわかっているのだ。でも、わたしはこれをやめられない。相手は、自分がそこまで激しい憎悪の対象になっていることすら知らないだろうにね。最後にわたしを拒否して日本に帰ったあの人物とかね。わたしは、彼をほんとうに殴って刺しそうな勢いだよ。この日本でわざわざ捜し出してまでもね。
こうして、わたしは自分をすり減らしている。
日本でベリーダンスを始めるということは、あたらしい世界に踏み込むこと。まっさらな白紙に、何かをあたらしく書き始めるということに似ている。
でも、いまのわたしはまた、精神的に危ういバランスの中にいる。
すごく、苦しい。
いったいどこが壊れてしまったんだろう。
2007年08月18日(土)
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俺が死んだら。
『いつまでも、いつまでもお元気で』
という、あまりにもきれな海の写真が表紙になった本を立ち読み。太平洋戦争末期の若き特攻隊員たちが家族などに宛てた書簡を集めてある。
きれいな海や空の写真とともに、まだせいぜい23歳くらいの若者たちの綴る手紙はあまりに痛々しく。
「俺が死んだら、何人泣くべ」
そう書いたひとがいる。
輝くまぶしい海の写真に重なったその文字が、あまりにも強く胸を締め付けた。
どうしてこういう戦争が起きてしまったのか。
2000年のニューヨークのテロが起きたとき、エディンバラ大学の寮でいろんな国の人たちとともに観ていたBBCが、「カミカゼ」と言ったことを忘れない。
わたしの祖母の弟、つまり大叔父にあたるひとは、この特攻隊のひとりだった。1945年3月、この本の若者たちと同じように亡くなったという。
彼は、彼の母のことを思ったのだろうか。
いったい何人のひとが、彼のためにないてくれたのだろう。
大叔父の名は、ネットで調べれば出てくる。
本屋の立ち読みで涙をこぼしてしまってはいけないので、読みきらないうちに足早に立ち去った。
2007年08月17日(金)
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宵っ張りのくじら。
気がつけば深夜。
なんとなく、某プロジェクトも手をつけてすらいないのだが、とくに焦りは感じていない。それよりも、毎日こう暑いのがきつい。
最近、送られてくるメールも何だか煩わしくさえ感じられてしまう。とくに、明るくて前向きな感じだと、そしてその裏に「何で連絡くれないの?」ということばが見え隠れすると、何というかこう、意味もなくいらついてしまうのだ。ほんとうにひねくれた性格でごめんなさい。
いまは、静かにしたいのね。べつにアンタが嫌いだからメールしてないわけじゃないわけ。メールするのが煩わしいだけなの。
思えば、こうしてわたしは色んなひととの関わりを絶ってきた。(結果的に)
ひとつに、究極の面倒くさがり屋だからね。
そして、ポジティブの裏には闇の底のようなネガティブが眠っている。多くの人は、そのネガティブな闇に気づかないからわたしにはそういう人がはっきりいって重荷なのだね。
そして、一緒にベリーダンスを見に行くひとすらいないのだね。
ほんとうに誰にも会っていないし。
愚痴はやめよう。
クーラーの無駄遣いはやめよう。電気代がかかる。
あのひとに会いたくて苦しくて仕方がない。
そんなわたしは、ほんとうにお馬鹿。嗚呼。
2007年08月16日(木)
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アフリカに降る雨。
今度は、デスクの抽斗をひっくり返して掃除しはじめた。いままでどうして捨てられなかったのだろうというようなものがたくさん出てきて、大量にゴミ袋(可燃物)に詰め込んだらかなりの量に。何年かぶりに空っぽになったので中を除菌クリーナーで掃除。微妙にかび臭い。
昔、お付き合いしていたひとがアフリカから送ってきたハガキが大量に出てきた。西アフリカ某国に彼が滞在していたとき、毎日のように送ってくれたのだ。そしてわたしはそれを捨てられずに何年ものあいだ抽斗にしまいこんでいたのだ。
そういえば、ずいぶんまえだけれど、それらの手紙を捨てようとしている場面を夢に見たことがある。何故か、その彼本人と一緒に、わたしが今日整理していたこの抽斗を整理しているのだ。そして、捨てないとダメでしょうと彼が言い、たしかわたしは躊躇しているのだったと思う。エンピツ日記に書いたな。いつだっけ。
とうとうわたしは今日、そのハガキの束を捨てた。
あのころのわたしを愛し、いろんなことに感謝しながら。恋愛はほんとうにすっかり終わってしまったのだけれど、それらはこころのなかでたぶん良い色になって留まっている。
男と別れると、わたしはいつも物を捨てた。
まぁ、捨てられないものもあるにはあったが、大部分は捨てていた。とくに指輪など。
捨てられないものは、時間をかけて捨てる。あんまりそれも良くないけど。
李家幽竹というひとの
『おそうじ風水』
という本を最近読んだ。まあ、風水をどこまで信じるかということよりも、その本が言わんとしていることは、いままで何となくわかっていたことだった。つまり、古い写真や手紙を取っておくと、新しい縁を呼び込まなくなるとか、悪い気が溜まるとか。そういうのってよくわかる。
だけど。
今日のBGMはTOTOで、あのころ、大学生のころ、そして卒業したばかりでその恋人とお付き合いをしていたころ、ほんとうに何万回と聴いた"Africa"という曲が流れたとき、わたしはそのハガキのうち一枚だけをどうしても捨てられなかった。
そこには、アフリカに降る雨のことが書かれていた。
スコールのように激しい雨。ずっと降らなかったのに、突然激しくバケツをひっくり返したような、アフリカらしい雨のこと。
"I bless the rains down in Africa"
このフレーズを、あのときのわたしはほんとうに愛していた。
そして、いまでもそのときの気持ちを覚えている。
ジンバブエでも、そういう雨が降った。ときどき、わたしはTOTOのその曲を思い出した。あのころの時間が、いまのわたしを作っている。アフリカというフィールドで、わたしの人生を彩っている。
あれからわたしは新しい恋愛をし、そして新しい恋人とおつきあいした。いまは、そこから立ち直らなければならない時期にある。それらを経て、わたしはまた、わたし自身と生きていかなくてはならない。
アフリカに降る雨のことを思いながら。
そういえば、肝心の師匠(アナログ)に手紙を出していない。わたしをアフリカへ導いたひとだ。
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*見つけた。
2004年8月
だ。
2007年08月15日(水)
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しびれ女。
社会復帰リハビリの日々。でも仕事はしません。
今日、一時間ほどかけて某所へお出かけ。あんまり暑くて気が遠くなりそうだったのをいいことに、おもわず惚れ込んだお財布を購入。気に入った。いままでのお財布は、ずいぶんくたびれていたので。
うっかり図書館に行く。(案外遠い。チャリベースで15分はかかる)
日が沈みかけていたころに。
そしてうっかり閉館時間までいた。20時。
暑さでばてていた身体が、ずいぶんくたびれていたことに気づく。
『しびれるほど仕事を楽しむ女たち―ウーマン・オブ・ザ・イヤー』
を借り入れ、深夜までかけて読破。日経ウーマンのシリーズはそれなりに面白い。
仕事はいまのところしない。自分のキャリアに何が役立つかというよりも、今日明日に何をしたいかだけを考えて生活したいと思っている。このようなキャリア本はどうかね、とは思ったが、それでもけっこうエンジョイ。
色んな女性がいる。
大企業で活躍する女性、起業して活躍する女性。
みんな、かがやいているよね。ふふふ・・・。まぶしいよ・・・。
現在進行形のこの「リハビリ期」(仮称)は、わたしのなかで「充電期」とも「試練期」とも位置づけたくはなく、また現在その中にいる自分にはその名称を決めることも考えることもできないし、したくはない。ただ言えることは、とりあえずわたしは今までやってきたキャリアに悔いもないし、将来的に挑戦したいこともたくさんある。そして何よりも、いまのところ焦ってはいない。
それよりも大切なことは、メルマガを含む書き物をすること、ベリーダンスを追及すること(これは、計り知れない精神的解放をもたらすのだ)、長年取り組んでいながら思うようにできなかったあるプロジェクト(ライフワーク)をひとりこなしてみること、そして興味をもったイベント等に参加していくことだ。直接何かを取りに行くのではなく、吸収できるものは色んなところで吸収していきたいと思いながら。
思いもよらないところで、吸収していきたいとも思いながら。
誰にも指図されることなく、自分が色んなところをくじらみたいにゆらりと泳ぎながら、そしてやがてわたしは何かを見つけていくのだと思う。
いくらキャリア上、この業界では評価されにくいのだとしても、会社勤めも契約でしたコンベンション会社の国際会議事務局の仕事も、自分自身の「仕事」の上で無駄にはなっていない。
いま、メールも上手く書けない。
社会生活をいっぺんに自分に引き戻せない。
返事、出さなくてごめんなさい。
でも何とか復活するまでは、こういう日々を送りたい。
やりたいことは、いつでもたくさんある。
2007年08月14日(火)
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社会生活と空東京。
社会生活復帰リハビリ開始一日目。
いったい何日、家にこもっていたのだか。
所用を済ませたあと、お買い物をしてからベリーダンスの体験レッスンへ。
たくさん身体を動かしたので、かなりお疲れ。でもとても心地の良い疲れだ。やはり、ベリーダンスというのはわたしのなかでとても大切な要素になっているし、精神が解放される感じがする。
翻訳の仕事、本日納品。
これも解放か。明日には図書館にでもいってしまおうかしら。そして、うっかり本などを借りてしまおうかしら。
どこか、宙を浮遊するような視線を、少しずつ現実に戻していきたい。いくらむずかしくとも、わたしは身体の力を抜かなければならない。
ベリーダンスをやるとき、わたしは自分が力みすぎだと思っている。技術はいい線いっていると自分でも思っているけど、それではだめなのだ。
これを忘れ、身体の力を抜き、しなやかに軽やかに踊れるように。あのルプララの月を思い出そう。
今日、あのひとから電話が来た。
2007年08月13日(月)
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だからひたすら、書き続ける。
一日、翻訳。
昼寝はせず。
翻訳は、わたしの意識を徐々に正常に戻しつつある。
現在請けている仕事を終えたら徹底的部屋の片付けの後半戦をし、その後、外へ出たり人に会ったり、ライフワークのある仕事もはじめてみよう。
ゆっくりでいい。
(先週、恋人とお別れしてから家族以外誰にも会っていない。恋人は、わたしの幸せのもとであり、涙のもとでもあった)
DVDでウィル・スミスの
『幸せのちから』
を観る。
典型的なアメリカン・ドリームものかもしれないけれど、でも少しパワーをもらったように思う。
夕方になる。
メールをもらった。
案外、わたしの人生も捨てたものじゃなくって、誰もいないようでも誰かが思い出してくれてるんだな。そしてこの日記を見てくれているんだな。
嘘もきれいごとも書かない。
だからネガティブモードのときは究極のネガティブモードだし、毒舌だし、精神的におかしくなってそれが心の底でずっといまだに継続していることも隠さない。
ネガティブなのはごめんなさい。
見てほしいひとがまったく見ていなかったり、見て欲しくないひとが見ていることも知っている。でも、ウェブは一般公開なのだ。そしてわたしはこれをもう七年も続けている。ある程度の腹は据わっている。
ただ、わたしはいまのわたしのことを書くだけだ。
作家ベッシー・ヘッドではなく、「あふりかくじら」という名のもとで書くだけである。誰かの心に届いたり、残ったりすれば良いと思う。できればよい意味で。
だからほんの少し、「あふりかくじら」につきあってください。
いつも、ありがとう。
(職場から見てくれているあなたも)
2007年08月11日(土)
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チウォニソ・マライレ。
ムビラを聴いている。
Chiwoniso Maraire チウォニソ・マライレ。
ひとりでドライブしていたジンバブエの時間を思い出し、少し不思議な気分になる。「時間」って不思議だ。
でも、なんとなく思う。
色んなひとにメールをしたりすると、「またアフリカにいけるといいね」とか、「アフリカに行きたいってだけじゃだめだ、何をするかが問題」などというおことばを複数の方からちょうだいする。
まず指摘したい。
また、アフリカにいけるといいね、といった言い方はずいぶんずれている。わたしはこれまでもこれからも、ずっとアフリカに関わってきたし、そうしていくわけで、何も先月までの二年間の仕事がわたしの人生の中で「すごく特別」であったわけではない。これはただのステップに過ぎない。
だからわたしの中で、すべては継続している。そしてわたしは、わたし自身の意志で仕事を選び、これを実現している。うっかりラッキーだったから「連れて行ってもらえた」わけではまったくない。
ジンバブエを去る飛行機のなかで、わたしはジンバブエを懐かしんで涙を流したりなどはしなかった。わたしのなかで、すべては継続しており、ジンバブエやアフリカにいるということは「当たり前」のことになっているのだ。
さらに、わたしをただのアフリカ好きと誤解している人間もいる。
それだったら、いったい今まで何のためにいろいろな活動をし、修士までとってきたのだ?何で、こんな仕事をしたのだ?
価値観の違いすぎる人には、やっぱり残念ながらわかりあえないのでとくに説明もしないけど。
社会生活しないと。今日も一歩も家を出なかった。暑いし。
はやくベリーダンスがしたい。
2007年08月10日(金)
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月が出る、雨が降る。
30代女性のキャリア&ライフ&ビューティといった狙いの雑誌は増えているのかもしれない。しかも、「ひとりで生きていく系」が多い気がする。
昨日購入した雑誌の占いのページをうっかり見たところ、射手座は「激しい星回り」であり、「月初め、精神的につらい出来事が起こるかもしれません」だってさ。世界中の射手座は皆、失恋とかしてんのかな。ちっ。
昨日はマッサージをしてもらい、リラックス。
ちょっと、世間とかかわり始めないとこのままの生活じゃいけない。
さっそくベリーダンスのレッスンを始めようかと思っている。精神的にそれが良い。
今日、翻訳をぼちぼちやっている。
以前受けていて、実はまったくやっていなかった仕事。あれ、もう締め切り?YABAI?
でも世間と関わるってこういうことなんだね。少し感覚を取り戻しつつある。でも、しばらく仕事したらあまりに眠くなって激しい昼寝をした。弱。
ある新しい映画をDVDで借りてきて観た。
以前、ハラレで映画館で観たもの。なんというか、とても好きな感じの映画で楽しいはずだったのに、あろうことか日本語字幕がまるでだめだった。
なんてセンスの無い訳なんだろう。
ここで名指しにすると何だか嫌なのでいわないことにするが、それにしても絶対にそんなことをヒロインが言っているはずがない訳し方になっている。なんということか。この字幕翻訳者、フェローアカデミーに行って厳しく勉強しなおしたほうがいいんじゃないか?
なんで、"get dressed"が「ドレスを着て」になるんだ?あほか。
ただ単に「服を着る」という程度の意味だろうが。もちろんヒロインはランチに行くのにドレスなど着ていない。よく見ろ、ばか。
なんで、"I have a date"が「デートがある」になるんだ?あほか。
いいシーンなのに!
この場合のdateは「恋人」とかそういう意味だろうが、ばーか。ここでヒロインは「大晦日のデートの約束は
ない
けど、でも、
相手はいる
し・・・」といって愛を告白してんだろが、ばか!台無し!サイテー。二度と字幕ONで観てやるか、ぼけめ。
それにしても、いつだったかワンガリ・マータイさんが来たときの通訳者さん、大幅に間違っていたのを思い出した。Very thin plasticを「とても薄いプラスチック」とおっしゃるとは・・・。あの、それ
「ビニール」
じゃないですか?
携帯開くと、待ち受け画面で月が出たり、夕暮れ時だったり、雨が降っていたりしてる。時が流れているのだ。
そろそろ、街に出よう。人に会おう。
彼が大好きでも、それでいい。
だってそうなんだものね。
2007年08月09日(木)
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いつになったら。
生まれたばかりの自分の子どもの話とか、妊娠何ヶ月とか、わたしに言ってくるひとが何人かいる。
とてもでないけど、そういう幸せなひとたちには直接言えない。
でもそのことばは、鋭利な刃物となってわたしを致命的にえぐっている。
娘、とか言わないでほしい。
そのことばは、わたしの息の根を止めそうになる。
そういうメールをもらって、わたしは泣いているの、知らないでしょう?
ねえ。
お願いだから。
いつになったら、わたしはこの場所から抜け出せるのだろう。
2007年08月08日(水)
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市役所、美白、古い手紙。
炎天下、市役所というところに行く。
わたしが住んでいる街は、もちろんわたしにとって生まれ育ったところではない(そもそもそういう場所はないし)けれど、なんだかんだといって出たり入ったりで、つきあいは長くなり愛着もわいている。市民活動にも、何だか関心が出ている。
用事をひととおり済ませる。在外からの転入届や国民健康保険の手続き、在外選挙人登録証の返却など。しばらくどこへも出かけるつもりもないので、わたしはこの街で少しのあいだは落ち着こうと思う。
それでも、期限が切れてしまった赤いパスポート(これまでは緑だった)を再度申請に行くつもりではある。
お肌はいつも「白いわね」と言われるのだが、やはり三十路ということで少し真面目に手入れをしようと思い立ち、何となく美白の類の化粧品を購入。街をさ迷い歩いていた今日の午後に。
承っているNGOの翻訳の仕事はそっちのけに(やばい。誰かわたしを叱ってください)、徹底的部屋の片づけを何かにとりつかれたように進めている。
いま、古い手紙やら寄せ書きやらを、思いっきり「可燃物」のゴミ袋につっこんだ。すごい分量だ。
これらが燃えていく様子を漠然と想像する。
そしてわたしは今まで、手紙の類を捨てることができない人間だったはずだ。でも、何かわたしのなかにあった感情のようなものが壊れたか消えたかして、わたしは懐かしい、もう二度と会うことのない人たちのくれたきれいなはがきやら手紙やらを確かめもせずに捨てている。
昔住んでいたアパートのことや街のことがふっとよみがえっては消える。そう。いつも「人」ではなく「場所」なのだ。
でもそれも、もういい。
正直なところ。
彼に、会いたくてしかたがない。
優しい彼。わたしを思ってくれている彼。
気が狂いそうになるくらい、わたしはあの人のことばかり考えている。おつきあいしていた過去の二年半以上、毎日そうだったように。やはりあの彼は好きで好きでたまらない人なのだ。ただ、もうその場所へは戻れないというだけ。
いつの日になったら、結婚や出産、子育てというようなことばが、わたしの胸を残酷にえぐることがなくなるんだろう。こわばった微笑みをしなくてすむようになるのだろう。
それまでいったい、どれくらいたくさんの手紙を捨てなくてはならないのだろう。
2007年08月06日(月)
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髪を切る。
とくにそういう意図があるとかいうわけでもなかったけれど、今日は一年以上ぶりの美容院というものに足を踏み入れ、長くのびた髪を長さはそのままにすいてもらって軽くし、ジンバブエの水と太陽のせいかずいぶん明るくなっていた髪の色も、抑えたものにした。
美容院に行きたかったのは前からだったし、髪をきれいにしてもらってとてもいい気分だ。誰かに髪を触ってもらっているというのも、くすぐったい気持ちがして心地が良いものである。おまけに美容師の男の子はかわいい。
恋人とは、夕べで終わりにした。
今朝、ほんとうにさよならをした。
おつきあいをして、もうすぐ丸三年が経とうとしているところだった。
この日を迎えるということも、もう付き合い始めてしばらくしたころからほんとうは心を決めていたし、ただ口にしていないだけだった。この一年間はどれだけ覚悟のようなものを自分の心の中に育てるか、ということだけだった。
それでも、あれほどまでに大切に思われているわたしは幸せだし、あれほど強く好きになれた相手はいままでいなかった。自分の精神状態が壊れ始め、わたしはただ、自分でわざと気づかないようにしながらも、心の準備をしていただけ。そしてたぶん、彼のほうでも。
彼がどれほどわたしを思ってくれているかということも伝わってきた。わたしがどれほど彼を好きかということも。それを、確認しあった上で。
自分で自分を傷つけていった日々は終わりにしようと思う。いまのわたしは、人生のそういう時期にある。仕事も何もかも。
恋愛感情は終わらないままに恋愛を終わらせるのは辛い。
でも、そうでもしないと永遠に前へ進むことができなくなるのだ。
いまはただ、ひたすら苦しいだけだ。
携帯電話を、見つめるだけだ。
2007年08月05日(日)
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徹底的かつ個人的リセット。
ジンバブエからあわてて送った荷物が続々と届いている。さすがのDHLである。早いものだ。何箱送ったのかすら忘れてしまっているくらい現実から浮遊したわたしのもとに、実務的流通業界は黄色い箱を届けるのだ。いくらあて先の番地が間違っていても。(変わっていたのを知らなかったのだ)
さすがにそれらの箱につめられた書類や本、多少の衣類、大量の民芸品等は、いまの実家の小さな部屋にはとてもではないが入りきらない。まだスーツケースの中身すらクリアしていなかったので、今日は銀行での用事を済ませたあと、ひたすらウォークイン・クローゼットにこもって昔の荷物をひっくりかえしていた。
わたしは、なんだかんだいって手紙やノートの類が捨てられない。
少女時代のものまで、几帳面にとってある。こういうものをみると、もうこのころから物書き体質だったことが何となくわかる。何かを書きたくてしかたなくて、でもそれらが何なのかまだよくわかっていなかったのだ。
たくさんの交換日記や手紙。引越しのたびにそれを持ってきていたのだと思うと、すごい。わたしは、生まれてから今までの人生、少なくとも三年に一度は必ず引越しをしてきたのだ。
いまのわたしは、かなり人生の中でも数えるほどしかないはずの大きなリセットの時期にある。そして、自分自身の人生のために、それらの過去を捨てることができる。
ほんとうに、わたしはここ二年間でどこか果てのほうまで来てしまって、心の機能のどこかを壊してしまって、そしてひとりになった。
というわけで、ゴミ袋(もちろん、可燃物と不燃物が分けられている。ニッポンの自治体というのはすごいのだ)に次々と詰め込んでいく。
今日、二十年以上前のものまで捨て始めた。
こんなことは初めてだ。
でも、徹底的にリセットをしようと思う。もちろん一部は残して、あとは捨てる。そういう作業。
さよなら、少女時代のわたし。
あなたがいて、今のわたしがある。初めてアンカレジに暮らした11歳のわたし。初めての外国暮らしで、「英語がわけわからない」と書いてある日記。あれからわたしは、ずいぶん英語ができるようになったよ。
わたしはこのことを、自分の人生の中でとても大切な作業と位置づけている。
このままでは、もうわたしは生きていけないのだ。
徹底的に、何かをしなくてはならないのだ。壊れてしまった自分と向き合い。こわれてしまった人間関係についてではなく、これからの恋人との関係というのでもなく、もっと大きなことについて考える。
そしてわたしはそれを、ほんとうに個人的にこなす。
パット・メセニーを柔らかな音で流しながら。
2007年08月03日(金)
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居場所。
いま、とても身体がふわふわとしている気がする。
落ち着かない。
正直言って、わたしは日本にもどこにも身体が馴染んでいないんだろう。いまは、先のことは何も考えず、目の前にある作業をひとつひとつこなしていくことで、わたしはこの落ち着かなさをとりあえず、先送りする問題のひとつに加えている。
しばらくぶりの日本の夏に放り込まれ、わたしはとりあえず新しい携帯電話を入手。おお。テクノロジー。
水曜日、一年ぶりに再会した恋人と交わしたことばを思い出す。何度も頭の中で繰り返す。いまのわたしに必要なのは、ネガティブでない現実的で率直な「考えごと」なのだと思う。
わたしはいま、この地球上の、とても不安定な場所にいる。
いったいどこにいるのだかはともかく、わたしは日常の瑣末なことをひとつずつ正常な位置に戻していくことに神経を集中すべきなのであろう。
そして、大切なことはきっと、心の片隅においておいたままゆっくりと熟成させるべきなのであろう。
2007年08月02日(木)
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再び京葉線のくじら。
一年ぶりに舞い戻ったこの街は、とても見慣れた風景のはずなのに、どこかよそよそしい空気を放っている。わたしは、そんなことなど気づかないふりをしながら、何食わぬ顔をして一年ぶりにバスに乗って駅まで行き、毎日やっているかのようにスイカにチャージをしてJR京葉線に乗った。
でも、スイカで東京メトロも乗れるってよくわかっていなかった。なんと。
わたしは、日本語と日本人のあふれる東京という場所に戻っている。この空気に感じる違和感みたいなものも、じきに麻痺していってすっかり慣れてしまうのであろう。
そして、その「麻痺する」という感覚は、わたしがいちばん恐れているものである。この言語と文化に埋もれてしまうのだ。周りに気づかなくなってしまうのだ。そう考えるとどこか恐ろしい。
それでも、とりあえずわたしは、リフレッシュしなくてはならないのだ。そして新しいスタートを切るために、まずは生活用品を買い整え、それから携帯を新しいものに買い換える。
え?ワンセグってテレビ?
文明の進歩は恐ろしいよ。
一年ぶりに、恋人に会う。
2007年08月01日(水)
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