あふりかくじらノート
あふりかくじら



 100の小さな幸せのために。

わかちあえること、
通じ合えること、笑いあえること。

それらを幸せと思います。

恋人であれ、友だちであれ、
大切な人たちそれぞれとの、小さな瞬間。

わたしはたくさんの宝物を持っています。
100の小さな幸せのために、
アフリカの大地を見据えながら、
ベッシー・ヘッドの思いを汲み取るために、
そして
わたし自身のなすべきことをなしとげる、そのために。

わたしだけが、わたしの人生を生きているのです。

そんなことを、今日はドトールで考えていました。
ある著名なアフリカ研究者の本をお友だちに、
歴史認識について、また思いをめぐらせながら。

いつものように、じつにきれいにいけられた花が
とても鮮やかでした。
夕日は、大きくありました。

2004年11月27日(土)



 背すじをのばして。

大切なひとに、どれだけ辛いことがあっても、
本質的な助けになれるわけではない。

わたしにどれだけ辛いことがあっても、
誰かが支えてくれたとしても
それは根本的な解決ではない。

わたしの人生は、
あなたの人生ではない。

ただ、それだけのこと。

背筋を伸ばして、しゃんとして、
自分の人生を歩いていくだけ。

でも、
誰かがこっそりささえ、
あなたがわたしを必要とし、
わたしがあなたと幸福を分かち合えるのなら、
それはそれで
悪くないんじゃないかと思う。


2004年11月21日(日)



 バミューダブルーのしずくを手に。

こういうとき、ピアノも文章も混乱するとき、
哀しいニュースがいっぱいのとき、
頼まれたお仕事やうまくいかないことがいっぱいのとき、
ふと何かにとりつかれたかのように
没頭してしまうのは、わたしのなかで
魂を揺さぶるべくパワーが交錯しているのだと思い、
もはや周りのことや時計の針は見えず。

ふたつのスワロフスキーのしずくを手に入れたのは
じつはもうずいぶん前なのだけれども、
ずっときれいだと思ってためつすがめつしていたのだけれど、
今日何かが頭の中でふっつりとなってしまって、
三時間あまりテーブルに向かってペンチとワイヤーと
Tピンとビーズを手に格闘していた。
修行僧のようだった。

ひかるものは、心を狂わせる。
きっと今夜のわたしは、危ない目つきをしている。

でも、そうするしか、しかたがないじゃない。
そうでしょう?


**********


そんでもって、写真撮影もするのだ。

2004年11月20日(土)



 くじらと象牙海岸。

しばらくのあいだ、自分のせいに違いないのだが
日常の瑣末なことや、ようするに翻訳の仕事などに
忙殺されて書くことがままならず、
自身のやるべきことも進まずというような
生活を送っているのだけれど、
まずここに書き留めたいひとつのことは、
コートジボワールの状況のことだ。

政府軍と仏軍との戦闘を機に騒乱が始まり
ひとびとが非難しているということである。

わたしがこのような日々を送っているあいだにも、
生命の危険にさらされているひとびとが多くいるという
この事実が、はっきりとニュースとして記されている。

象牙海岸国、英名アイボリー・コースト。

この国の名前を知った日はいつだったか。

わたしはこの国で、日本語で何を綴るべきなのであろうか。

2004年11月13日(土)



 藍色に染まる鍵盤に。

空に夕方の藍が降ってくるころ、
やっとラジオをつけることができた。

あまりにも仕事に集中しているときは、
フジコ・ヘミングしか頭に入らず、
ずっとCDをかけっぱなしだからだ。
狂ったように、「革命のエチュード」を流す。

11月の夕方、今日は明るくてまぶしい一日だった。

夕べは、朝まで仕事した。
いままでこんなに全身全霊をこめて
仕事に集中したことなんてあっただろうかと
考えてしまうくらい、それは恐ろしい集中力だった。

生命を削る行為が世の中にいくつかあるのだとしたら、
まるで「鬼のように」翻訳をしていた自分は
まさにその一例であるに違いない。
きっと身体からはオーラが出ていただろう。
正直、自分の身体の芯のほうからこれほどまでの
パワーが机に向かって吐き出されることがあろうとは
思わなかった。
思ったよりずっと早く片付いた。
それでも、明け方の藍色が空に映るまで、
わたしの机には明かりがついていた。

普段ぐうたらなだけあって、この集中力には
自分でもちょっとびっくりした。
まるで親の敵を討ちに行くような
顔をしていたに違いない。

ここまで追い詰められたのは、
ようするに自分の甘さのせいなので
かっこいいことは何もない。
「翻訳者は死んでも納期に間に合わせろ」という
誰かのことばが呪いのように脳みそにあった。
深夜、ずっとフジコが運命的なピアノを奏でていた。

やっと大切なひとたちへメールを書くことができる。
とてもうれしく思う。この小さな藍色の幸福。

書く暇がなかったから、ことばが飽和状態になって、
気が変になりそうなとき、どうやらわたしは
先に狂ったようにピアノを弾くらしい。
二時間近く、鍵盤に感情をぶつけていて、
意識はどこかへ漂っていた。
ショパン、エチュード。
ドビュッシーがあって、それから子どものころに弾いた
懐かしく哀しい曲まで。

かき乱される自分に、涙が出そうになった。
自分で奏でるピアノの音色は、技術は未熟だけれど、
それでもストレートな感情が出てきて
ときにことばの百倍もの強さを持つ。

やりきれないいくつもの死を耳にした。
地球の前には何もできないし、
生はいつでも死と隣り合わせなのに、
この哀しみの大きさは何なのだろう。

わたしは自分の生活のなかで
こうして生きていくしかないのだ。

でもやっぱり
安らかに、だの
ご冥福、だのいったことばは
わたしには使えそうもない。

ただ、あまりにこころが苦しいだけ。
そして、鍵盤に感情を爆発させる。

2004年11月03日(水)
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