あふりかくじらノート
あふりかくじら



 お昼寝の効用。

夕べは学部時代の文芸部のOB会があって、
それを一部オーガナイズしたというのもある。

ちょっといつもと趣向を変えて銀座のエスニック・
レストランであつまり、食事をしてから後輩のバンドが
出演するライブハウスへ。

こういうとき、何年も見てきた後輩と会い、そのひとが
いままでどんなひとで今はどんな風に変わり、わたしも
どういうふうにかわったのか、なんて考えながら
静かな時間、その日だけの時間をすごす。

それは、わたしのなかでは意外と完成度の高い日で、
夜遅くに帰ってきて、そして今朝はパソコンに向かっている。

お昼寝をしていて、夢を見た。
あまりにさびしいような温かいような夢だったので、
わたしはわたしの過去のために、わんわんと泣いた。
(あるいは、泣く予定だった)
ちょっと、まだその余韻から抜け出せずにいる。
神さま、もうすこし待ってください。
わたしがそれを、文字にする日まで。

2003年08月31日(日)



 y=axということ。

『バカの壁』という本がばか売れしているようで、
わたしもそれを一気に読んでしまった。

養老孟司というひとは頭のいいひとだとおもう。
彼の世界観は、解剖学者であるだけにいつも脳みそを中心に
視点を定めており、またそれが圧倒的な説得力をもって
読者をうならせる。

物事を「わかっている」という思い込みがどれだけ「壁」を
つくっていくのかということ。
「わかる」と思い込むことは恐ろしい。
「話せばわかる」という思い込みは、もっと恐ろしいと思う。

詳細の解説はその筋の人々に任せるとして、ふんふんと
鼻息を荒くしながら読んだこの本に、ひとつ気づかされた
ことがある。

五感から入力して運動系から出力するという作業の間、
脳は入力された情報を処理している。
この入力をyとして、出力をxとすると、y=axという
一次方程式のモデルが考えられるという。(ほほう!)
入力された外的情報に脳の中でaという係数がかけられ
結果xが出力される。
つまり、ひとつの物事に対して各個人のaという係数の大小が
出力としてのxを規定していくのである。
むろん、このaという係数は人生の中で変動していく。
aという係数がゼロか、あるいはそれに近い値であった場合、
反応はゼロに近くなる。
(つまり、聞く耳を持たなかったり素通りしたり、など)

常々、わたしはいわゆる「頭の良いひと」が好きだと
公言しているけれど、一方でその定義はいったい何なのかと
自問していたが、このy=axに当てはめてみると、なんとなく
それが明確になってきた気がしている。

つまり、たとえ未知なる世界のものを見聞きしたとしても、
自分の中のaという係数を変動させる準備のできているひと、
またそのaについて、いつでもそれを向上させる前向きな姿勢を
とっていて、かつそれをxに反映できるような人に対し、
わたしはいつも好意を抱くのだ。

そのような姿勢を、ある意味貪欲な好奇心や知的向上心などを
持っている人と接することができたとき、そのポジティブな
パワーについて、ある種の波及効果が期待できる。
つまり、わたしもいい影響をうけることができる可能性が高い。

これに気づいたとき、電車の中でひとり頷いた。

ただ、このような傾向が強いからといって、むろんそれだけで
恋人や友人を判断したりすることはできないけれど。

そういえば、冬の陽だまりの鎌倉を、犬を連れて散歩する
養老氏をみかけたことがある。
とても感じの良い、古本屋の前であった。


2003年08月30日(土)



 気持ちをぱりっとしよう。

自分の身体ひとつで勝負に挑む。
そう考えたとき、気持ちがぱりっとした。

2003年08月22日(金)



 雨だれのプレリュード。

ピアノをしばらくの間さわっていなくて、
今日、記憶の中をたどって雨だれのプレリュードのメロディを
ていねいにたどってみた。
すごくきれいに雨の風景が浮かび上がってきたけれど、
途中思い出せなくて苦しんだ。

昨晩、エディンバラ大学の先輩が主催している団体の
集まりに出席し、たくさんの人に会った。
毎日毎日おんなじ生活の繰り返しの中で危機感が頭をもたげ、
意識してたくさんの人たちと会うようにしている。

先輩は関西から「東京ツアー」として学生をたくさん連れてきていて、
東京でたくさんの人たちに会わせるって。
こりゃすごい、と思った。
わたしがあれくらいの年のころは、いったい何を考えていたっけ。
毎日おんなじところにいるのが怖くて、いろんな人と会おうとしてたっけ。

いつも、初心に帰らないと。
ピアノもそう。

彼はエディンバラ大学つながりということで出会ったひとだ。
大学在学中も、エディンバラから帰国してからも、幅広く活動していて
その行動力と人望の厚さには脱帽である。

彼の周りに集まる人々は、実にいろんな分野で活躍されており、
パワーをもっている人たちで、わたしはとてもよい刺激を受けた。
いろんなこと、いろんな自分を思い出したし、この社会にわたしも
彼らと同じように生きているということを認識したということで、
どこかしら安堵感もおぼえた。

わたしもわたしのやるべきことを、踏むべきステップを、
きちんと踏んで生きたいと思う。

今日は一日だけ夏休みをとって、夕べのことをゆっくり思い出しながら
キーボードをたたいている。

2003年08月19日(火)



 美容師とバーテンダー。

美容師とバーテンダーというのは何処か似ている。

温かな湯気に混じりゆくシトラスのシャンプーのにおいは、
昔からのいつものバーの、やさしくクールなマスターがつくる
〜きまって「おまかせ」と言ったときの〜カクテルにのせた
レモンとかライムの香りに似ている。

それはいつも、角の丸い滑らかな氷が浮かんだ、形の良い
ロングカクテルで、とてもおとなしい色なのだ。

やさしい声がマスターと重なり、その会話が、いくらそれが
彼の商売とは言っても、やっぱりわたしをリラックスさせる。
男のひとの強い輪郭の手指とそのあたたかさがここちよくて、
わたしは眼を閉じる。
ここが、わたしひとりを迎え入れてくれる世界だからだ。

今夜の夜景はすごくきれいだと思った。
それだけでいいんじゃないか。

ドトールの丸いテーブルの上に、ベッシー・ヘッドの本を
広げてそれを日本語に置き換えていく。

インプット、アウトプット。

テーブルの上に、セロウェ村の広くて乾いた農場が浮かんで消えた。


2003年08月16日(土)



 お盆の時期に雨が降ります。

ここ赤坂の街は、夜の雰囲気とオフィスが入り混じった
オトナなところです。
今日はたくさんの雨が降っていて、そしてお盆ということで
街はとても静かで、いつもと違った色を放っています。

小泉八雲が描く世界にいま、大変はまっていることもあり、
お盆というのは死んだ人たちが帰ってくる時期だという
なんだか厳粛な、でも決して寒くはなく、その敬われた
儀式の感覚に、むしろ温かな気持ちをおぼえました。

雨と一緒に天から何かが降りてきます。
空気と一緒に満ちてきます。

ところで、遠くのリベリアではまだ大変な事態になっており、
いろんな国からいろんな人たちが首を突っ込んでいるようですね。
南アフリカも軍を出すとかいう話もあるようですが、
やっぱり南アフリカ共和国の影響力は強いでしょうから、
果たして他のアフリカ諸国がどう反応されるのでしょう。

今日は、終戦記念日なんですね。

2003年08月15日(金)



 ひとり慣れすることが必要。

ひとり慣れすることが必要、って言ったひとがいて
わかっているわよ、と思ったし、わかっているのに、
とも思った。

淋しがり屋ほどひとり旅に出るって言葉を
言った友だちもいたけど、それをきいてわたしは、
わかるわ、と思ってしまった。

わたしは淋しがり屋だけれど、ひとりになりたくて
たまらない。
旅というものはとてもプライベートな読書のようなもので、
だからひとりでなくてはならない。
誰かといく旅がきらいなのではないけれど、それは
その誰かと行くというのが目的であって、その場所に旅をする
ことが目的なのではないのだ。

とにかくわたしは、生きていくうえで淋しくて仕方がない。
そして、誰かがいるとひとりになりたくて仕方がなくて
誰かを、または何かを責める。

わかっているのに、ということが多すぎるので、
わかっていないのかもしれないな、なんて思うこともある。

誰かと一緒に孤独になることが、必要なのかもしれない。
ひとりの部屋に帰り、自分自身と向き合うことが必要なのかもしれない。

嫌な考えに頭が満たされてしまわないうちに、それを
キーボードに向かってたたきつける。

書くことは苦しい。
でも、書かないことはもっと苦しくて気が狂いそうになるので、
やっぱり書くのだ。
書くときの苦しみは結果的には、精神安定剤でもある。
麻薬のようなものでもある。

ひとりでいられる。

もしかしたら、まだ見ぬ誰かに向かって語りかけることが
できるからなのかもしれない。

2003年08月10日(日)



 20万人の顔のこと。

夏休みという時間はひかりかがやいて特別だったけれど、
8月6日はいつも登校日だった。
「ピカドン」の日だからだ。

戦争教育が異様に熱心な小学校って、じつはたくさん
あるのではないかと、いま思う。

わたしが通った二つ目の小学校〜三年生から六年生の途中まで〜も、
そのひとつだったのではないかと思う。
いま考えると、ある意味そら恐ろしい。

学年で演劇や出し物をする学習発表会でも、合唱コンクールでも、
それからもちろん修学旅行でも、「戦争」をテーマにしていた。
(劇や歌はいちぶだけだけれど、それでも音楽の時間でうたう
 歌たちも。いまでもおぼえている。)
太平洋戦争であり、ヒロシマであり、ナガサキだった。
子どものこころに、いったいどんなものを植えることになったのだろう。

20万人の顔というプロジェクトは、最近でも行われているらしいけど、
わたしが小学校にいたとき、学校をあげてそのプロジェクトに
取り組んでいたことを鮮明に覚えている。
新聞から、顔という顔の写真を切り抜き、壁や柱や天井に貼り付け
20万人という数の大きさを実感させるというものだ。
その一瞬の原爆で亡くなった人の数。今年も数が増えている。

世界中がこのことに嘆き悲しんで平和を誓っているのだと信じていた。

ところが、六年生のある日、わたしはアメリカの小学校に転校。
海を渡ると価値観と教育がまったく違っていることを知る。
教科書で大きく扱われているのは、ヒロシマよりもナガサキよりも
パールハーバーなのだ。

いまでも、広島を訪ねると必ず平和公園で手を合わせる。
でも、あのような小学校の教育の仕方が良いのかどうかというと、
大きな疑問がのこる。
わたしたちが小さな手でつなげたあの千羽鶴は、果たして
太平洋を越えたのだろうか。

戦争の恐ろしさを伝えるあのやり方は、果たしてよかったのだろうか。

2003年08月07日(木)



 甲州街道は今年、土曜日も通行止めになりました。

先週末、ひょんなことから八王子祭りにお邪魔した。
なんと、「八王子の夏が燃えて」いた。

こどものころからよく、仙台の七夕祭り(今年ももうすぐネ)を
みていたけれど、パレードやらはみたことがなかったし、
何だか地味なイメージすら持っていた。

これほど大掛かりなお囃子やら民謡流しやら山車やらの
集合体〜このために生きているひとがぜったい居そうな〜は
初めてだったし、日本文化の素晴らしさをひしひしと
感じてしまったのである。

ニッポンにはたくさんの神様がいて、すてきだと思う。
ひとつの町にひとつの山車があって、皆で声掛け合って
曳きまわす。
うつくしい彫り物が贅沢に施され、堤燈がぼんやりとたくさん
ともされている。
お太鼓のリズムと鉦(カネ)と笛の音にのって、
ひょっとこやらおかめやら、白ぎつねやら獅子舞やらが
狂喜乱舞する。
夜が深まっていって、皆がその熱気に陶酔する。
怪しげな世界。

それぞれまったく違ったリズムと音色のお囃子をもっていて、
山車と山車が鼻先をつき合わせてそれを競い合う「ぶっつけ」。

あまりにむんむんとした熱気と古い神様と、人々の地元を愛する
心みたいなものが混ざり合っていて、どろっとした濃度の空気を
醸し出していたので、わたしはうっとりと陶酔して思わず
ふらふら山車の後をついていった。

とくにあの、鬼の面はいけない。
あまりに厳しく、強く、たくましく、迫力があって。
そのたすきがけ、振り乱す赤い髪、日焼けして太く毛深い
自前の腕。その先に握られた鈍く光る小刀。
鬼の魂。
魅せられました。

なんて濃い週末だったんだろう。
ひさしぶりの友だちといっしょに。

2003年08月05日(火)
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