入院生活を振り返って。 |
8月になり、ついに梅雨が明けた。 ってことで、職場ではお茶もコーヒーも暖かいのを飲んでいたのを 午後に飲む一回はアイスコーヒーに変えてみた。
送風とドライで色々と調節していたのを、ドライと冷房になった。
家に帰れば、一日締め切った部屋はサウナ状態。 ということで、ビール(っていうか発泡酒)が欠かせなくなった。
がしかし、、、 7日、急に下痢をした。 8日、吐き気を伴うひどい腹痛。。 9日、外は台風という日、ずっと寝てた。 10日、台風一過ですごい暑い日、冷房を効かせた部屋で案の定、頭痛。
もう大丈夫、そう判断した11日、仕事に出かける。 いつものように自転車で最寄駅まで行くも、ちょっとした段差で腹痛が。 電車ではどうにか我慢しつつ、職場に着いていつもどおりまずはトイレへ。 、、と、すっごい冷や汗が吹き出てくる。 結局、用を足すことが出来ずに席へ。 「こりゃやばいかも」ということがわかったので上司に断り、医務室へ。
しばらく寝かせてもらうことにするが、 汗はまだまだ吹き出る、 熱はどんどん上がる、 お腹の痛みは増してくる、、 結局、昼頃に救急車で近くの大学病院に運ばれたのでした。
「盲腸かもしれない」ということでまずは内科へ。 いくつか検査を受け、最後に行った超音波検査で 「卵巣じゃないか」ということで婦人科にまわされる。
通常の大きさの3〜4倍に腫れていて、そのまま入院することに。
その日は、日野の叔母夫婦が来てくれた。 いつもは縁のないパジャマ、ティッシュ、タオル、カップを持ってきてくれた。
翌12日は妹が上京。 なんでも、ついこの間の5日もライヴで東京に来たんだとか。 いちおう、部屋のにわか間取り図を描いたりして、 持ってきて欲しいもの、これだけは録画して欲しいという番組、 炊き上がっているだろう炊飯器、冷蔵庫にあるヨーグルトとか、 そして一番気になっている自転車のこととか教える。
おじの運転する車で移動していったが、 戻ってきたら、自転車はわからなかったとのこと。 ほんとはあたしが乗って帰るはずだった夜行バスチケットを売り、 無事に帰す。
13日からおばは夏休みということで、また来た。 妹に頼んだのに持ってきてくれなかった時計、100円ショップで買ったらしい。 「そういや、機種へんした携帯で自転車を撮影したのもあった」ということで 夜中に目が覚めたときに電源入れて待ち受け画面にしておいたので、 もう一度、自転車のことをお願いする。
あと、、届いているだろう給与明細とか持ってきて欲しいものがあったし。 午後、戻ってきたおばは、ちょっと余計なものも持ってきたが、感謝、である。
14日、営業さんが来た。 おそらくは館内にあるだろうフラワーショップで買ったと思われる花を持って。 会うのは2度目だが、多少熱があるため、寝たままでの対面。 今回は、いくら夏期休暇を取得していたとはいえ、その前にいきなりの入院。 ほんとにご心配おかけします。
15日の午前中、職場の上司が来た。 とはいえ、業務的には全く、会うことがない。 今回もかなり久々に対面するが、熱がまた上がってきていたので、 これまた寝た切りの状態で。 ほんとにご心配ご迷惑おかけしてます。
ということで、3、4日は痛みが続き、 熱が上がったり、下がったり、という状態だった。
その日はどんどん上がり、神奈川は麻生区から来てくれたおばと、 日野のおばはともに連れ立って帰った後、夕飯前の検温では39.1度に!!
座薬を使って一気に下がったが、その直後、急に咳き込む。 息苦しい、、なんだろう、、この感じ、、なんだか懐かしいような。。
担当ではない看護師が、「喘息とかありましたか??」と聞かれ、 「子供の頃に。。」とどうにか応える。 看護師が4、5人やってきて、ベッドを調節し、 吸引機のようなものを口に当てられ、「深呼吸して」と言われる。 指には酸素濃度をはかる機械をつけられる。
それから約4時間後、まどろみながらもいつのまにか呼吸は 元に戻っていた。。
そういや、こうして点滴をし続けるのはもちろん、 座薬を使うのも、喘息も、全て20年ぶりだな。。 、、と体がめちゃくちゃ弱かった子供の頃を思い出すのだった。
翌日からはすっかり回復傾向に。 痛みはほとんどなくなり、日中は微熱はあるも落ち着いたもの。 点滴をしてるので車椅子歩行だが、色々と行動させてもらったり。 「気がめいる」からと拒否しいていたテレビを見たり。 持ってきてもらった単行本や文庫本を見たり、 叔母が持ってきてくれた雑誌を見たり、
、、という感じで入院時は「15」あった炎症(痛み)は 18日には「9」まで下がっていた。
19日、母親が上京する。 説明を聞きたいからということだったが、主治医は夏休み中。
主治医以外の医師から説明を受けることになり、 自分の勘違いしていたこともわかった。 っていうか、主治医の先生がぶっきらぼうだからね。。(^^;
とはいえ、母親も納得して、帰っていった。
20日の朝には、炎症が、「2」代になり、 このままいけば、22日の採決次第では退院の許可も出るだろうとのこと。
そして、運命の朝、炎症は「1」になり、午前中で点滴が外され、 翌23日の退院とあいなりました。
日野のおば夫婦の運転する車で家へ。 入院中は10月並みの天気となった日もあったようだけど、 11日以来の猛暑到来。。
無事に帰ってこれたことはもちろん、 特別、かわりはなく、ほっとしたのだった。
今回の入院で、帰省できず、たった一公演のDWL@安比高原は夢と消え、 9月以降も継続希望だった仕事は8月末で終了となった。
がしかし、3食きちんと食べ(量的に多くて全部食べれたのは2回ほど)、 そもそも肉や魚を毎日のように食べたのも、 牛乳を飲んだのも、何年ぶりだ??っていう感じ。 それだけ、あたしの食生活は台無しだったんだな、、と痛切に感じた。
もちろん、一人暮らしで、去年の4月以降は節約を試み、 特に今年に入ってからはかなり倹約してきて、食費を削ってたりもして、 自分で生計を立てなきゃ、とばかりに体調が悪くても 「これぐらいいつものこと、大丈夫、やらなきゃ!」と仕事をやって。 そうして無理してきたんだと思う。
自分と向き合う、ということをしてきたけど、 それは精神的な面で、だった。 今後は、体力的な面で、向き合っていかなきゃならないんだ。 「無理しない」というつもりで無理してしまうのがあたしの欠点。 自分に厳しく、というのはしばらくやめて、 少しは誰かに頼ってみるもの良いのかもしれない。
退院後、最初の検査と診察で、28日に病院へ行った。 卵巣の大きさは入院時と特に変わっていない。 多少、肝臓が弱っている。 今は何か処置を施そうにも出来ない。
ちなみに、前買った雑誌とか読み返してたら 病気のことに触れてるページがあった。 生理痛がひどいってことだけじゃなく、 下痢と便秘を繰り返すってことも予兆になるらしい。 確かに、今年に入ってからは下痢をすることが多かった。 4月中旬からは鼻風邪ひいてて、連休で完全に風邪ひきになり、 7月頭にやっとのことで治った。 退院してからも下痢してるな。。
食事、環境、経済的なこと、精神面でのこと、 様々なことが重なって今回に至ったのだと思う。 そもそも、疲れたなって感じることが多くて、 以前はまめにやってた運動もあんまりしていなかった。 今後は、自分が出切る範囲でやっていこうと思う。
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2003年09月07日(日)
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