ケイケイの映画日記
目次過去未来


2026年05月26日(火) 「未来」




だいぶ前に観ています。物凄くモヤモヤ、謎がいっぱいの作品。それでも観て良かったと思えるのは、ラスト近くの主人公章子の叫びを聞いたから。監督は瀬々敬久。


大好きだった父良太(松坂桃李)を亡くした小学生の章子(山崎七海)。母の文乃(北川景子)は、抜け殻のようになってしまいます。学校でも友人関係でいざこざが有り、ふさぎ込むことが多い日々です。ある日、20年後の自分から手紙が届き、驚く章子。章子は大人になった自分に、返事を書く事にします。

ミステリアスですが、甘やかな設定だと思い観に行ったら、かなり厳しい内容でした。章子の他、章子の担任教師の篠宮真唯子(黒島結菜)の半生も描かれ、生い立ちに恵まれない厳しさを、これでもかと描きます。

謎ばっかりだったので、原作をwikiで当たりました。そしたら驚愕の脚色にびっくり!
もうこれは改悪じゃないの?以下、→は原作より確認した事です。

先ずは真唯子。苦学生で、大学生の時、騙し討ちでカラオケのお色気ビデオに出た過去が、保護者から暴かれ、小学校を辞職。そりゃ多少倫理観を問われる事ではあるでしょうが、それくらいで辞めなきゃいけないのか?

→原作はAVでした。何故そのまま使わないの?AVなら、保護者の追及は、まずは妥当。

文乃は働き始めると、程なく恋人のシェフ早坂(玉置怜央)が出来、結婚。早坂を大して好きそうでもない文乃。「お父さん(亡き夫)は特別だから」の台詞もあり、当初は生活のため?と思いましたが、若くして亡くなった夫なら、生命保険があるのでは?なら、結婚しなくても良くない?

→早坂は文乃の保険金を使い、店を開業。しかし失敗して、妻の文乃に売春までさせる。うーん、何を思って結婚したんですかね。「夫は特別」は、高校生時代の回想で納得出来ます。なら何で男作ったの?

色々不思議な文乃でしたが、心の傷が精神を蝕んでいるのだろうと想像していましたが、それでも章子を守る気があるのか無いのか、原作でも映画でも、とても歯がゆい母でした。

高校生時代の良太(細田佳央太)と文乃の関係性は、回想で描かれます。文乃(当時は真珠)が、父親(吹越満)の事を「あの男」と表現した時点で、何があるのか察しは付きました。性的虐待です。母親の存在が希薄なので、母は知っているのか、どうなのか、それが描かれなくて、悶々とする。それで原作を当たり、また驚愕。何が激怒したかと言うと、この鬼畜の強姦魔に、映画は1/10くらい理由付けの情けをかけていた事。そんな映画の設定は原作では無く、兄は生きている。これは原作への冒涜じゃないかな?

多分女子少年院に入っていたろう真珠。その後の人生が彼女の人格に多大影響を及ぼし、ああいう何を考えているのか、さっぱり判らない、顔だけの人になったのは理解出来ます。でも夫存命時に、どうして受診していないの?愛しているなら、先ず受診させろよ、夫。大事にするベクトルが違う気がします。

そして文乃は、心がカチカチなのでしょう。生きる術が、全て売春。内田春菊が、「ファザー・ファッカー」で、「売春だけはしなかった。継父相手に売春させられているようなものだったからだ。だから絶対売春だけは、しないと誓った」的な記述があり、心に沁みた記憶がある者からしたら、何だか文乃は、作り物めいたキャラに感じました。

そして最大の謎は、舞台が奈良の桜井と、三重県なのに、全編標準語で方言全く無し。素麺製造の夫婦だけが、何故か関西弁。「ここら辺の子は、ドリームランド(多分ディズニーランドの事)へ行く事が夢」と、貧乏人は行けないと暗に表現する真唯子の独白が入ります。桜井は良く見知った土地ですが、ディズニーへの憧れは、全国平均値だと思うぞ。今は大阪にユニバがあるので、多分憧れも下降しているはず。標準語を使いたいなら、関東に設定を移せば良くない?

と、ずっとモヤモヤしっぱなしでしたが、親の虐待に遭う子供たちが、懸命に生きる姿には、心打たれるものがありました。原作の湊かなえは、一時期教師をしていた事は有名ですが、真唯子の造形に、作者の教師への想いが託されていたように感じました。

そして私が一番胸が熱くなったのは、章子が「大人に助けてと言おう!叫び続けていれば、きっと誰か大人が助けてくれる!」です。親しくさせて頂いている牧師さんから、いつも聞く「受援力」の大切さが、溢れた言葉でした。「助けて!」は言えるようで、言えない言葉です。子供たちのこの言葉に、報いる大人でなければいけないと、心の底から思いました。このセリフを聞いただけでも、価値がある作品です。

肝心の幹に謎が多く、イマイチ入り込めませんでしたが、それでも子供たちの健気な様子に、この子たちの将来を守っていかなければと、強く思います。未来を信じられない子供たちだからこそ、「未来」とは、とても芯の強い、良きタイトルだと思います。




2026年05月20日(水) 「ラプソディ・ラプソディ」




コミカルなラブコメかと思いきや、真相に辿り着くと、なかなかにハードな状況が露になります。それを軽やかに希望を見出しながら描いています。生い立ちに恵まれなかった人に、是非観て貰いたい小品佳作です。監督・脚本・出演は利重剛。

独身の会社員の夏野幹夫(高橋一生)は、叔父の大介(利重剛)と食事した後、パスポートの更新のため、役所で戸籍を取り寄せます。しかし、そこには見知らぬ女性、繁子(呉城久美)が妻として入籍していました。青天の霹靂の幹夫。取り敢えずどんな女性か知りたい幹夫は、警察に通報は後回しで、繁子探しが始まります。

えぇぇぇ!突拍子もない設定から、ザ・怒らない男・幹夫君の奇矯な判断から始まるお話しです。幾らなんでも無理があるだろうなんですが、これが段々皆の事情が露になると、するするのど越し良く咀嚼出来て行きます。言葉にせずとも、行間を読ます脚本と演出が、本当に上手い。

まず、どメンヘラな繁子。結婚していると思うと、頑張れると思ったと、ほとんど見ず知らずの幹夫との婚姻届けを出したと言う。ちょっとしたことで機嫌が悪くなり、人を試すような行動を繰り返します。暴言も吐くし嘘もついちゃう。どうしてか?幼い時に親に捨てられたのです。そして義理の仲なれど、育ててくれた祖母(大方斐紗子)から、「誰も信じちゃいけないよ。私たちは二人きりだからね」と「呪詛」をかけられ、自分といると、みんなが壊れてしまうと言う。

すごく解り易いメンヘラです。どこまで自分を受け入れてくれるか、相手を試してしまうのでしょう。それが続くと、相手は当然嫌になる。自分から幸福を手放し、そして幸福を求める。婚姻届けは誰でも良かったのではなく、折り目正しく端正な幹夫を、繁子は見染めたのです。正しくは「こんな人の妻なら、頑張って生きて行ける」です。

怒らない男・幹夫はどうか?彼にも超ド級の秘密がある。その事が怒らない起因です。誰にでも礼節は欠かさないけど、誰とも親密にはなろうとしない。そんな時、突然「妻」が現れる。押さえつけてきた気持ちに、ちょっと蓋が開いたのでしょう。繁子を探す時、彼女が綺麗な人だと聞くとニコっとし、言わなくて良いのに、「繁子の夫です」と名乗る。超変な人ですよ。

でもね、克服したとは言いながら、自分で何十個の決まり事を作って、それに沿って暮らしていたと言った時、強迫神経症だと思いました。そして繁子に負けて、キレ散らかした時、連れていかれたのは病院。それも鎮静剤を打たれて眠っている。ずっと精神科に通っているのでしょう。普通はあんなに暴れたら、真っ先に警察のはず。頑張って頑張って頑張って。幹夫は穏やかで誠実な人格の自分を、作っていたのでしょう。ホロホロしました。

大介叔父さんは、それを知っており、たった一人の身内として、甥を見守っている。最初はちょっとヤンチャな自由人かと思っていたら、職業は歯科医。それなりに幹夫の育った環境も伺えます。ゲイのゲイチ(芹澤興人)とも、「いい子なんだよ」と、偏見なく友達付き合いしている様子など、大らかな器の大きさも感じます。社会人として、幹夫が真っ当に暮らしているのも、大介叔父さんの存在が大きいのでしょう。

演じる高橋一生と呉城久美が、とても良い。高橋一生は、段々と幼く見えてくるんですよ。幼き日の事件から、きっと友人もいないのでしょう。人生の経験値は低そうで、それを人格が補っている幹夫。幹夫の役はとても難しいです。それを飄々と軽やかに演じて、とても好演です。呉城久美の、大雑把な女性らしさの無い繁子ですが、恋愛経験はあるはず。でも繁子の様な背景に有りがちな、男から男への自堕落さは感じられない、清潔感が、彼女にはあります。それは、祖母が居てくれたからだとの気がします。

そして忘れちゃならない毒島りずむ嬢(池脇千鶴)。恋心を抱く幹夫のため、お弁当を作るのに、一年かかったと言う。奥ゆかしいですね。嫌われたらと思ったんでしょう。若い時はとても可愛かったでしょう(そら池脇千鶴ですから)彼女ですから、身持ちも固く、それで男性とはご縁がなかったんですね、うんうん。そんな彼女が、幹夫が繁子の事を「元気でいるよと言うサインですかね」の言葉に、「それは違うと思いますよ。私を探してと言う意味です」と、きっぱり仰る。実は私もそう思ったんです。メンヘラ、40代の多分処女、孫のいる60女(私)が共通して同じ事を思う(願う)のは、好きな男には追いかけて貰いたい、が女性の本音なのかも知れません。監督、男性なのに素敵だわ(笑)。面倒くさいですねー。でもそれが女性ってもんなんです。

やっと繁子を見つけた時の、幹夫君の出で立ちが可愛くて。コットンシャツにハーフパンツ、そしてリュックにスニーカー。「好きだよ」の言葉もまるで中学生です。もうサラリーマンのコスプレも、大人のふりもしなくて良いんですよね。嘘から出た真の結婚ですが、心から幸せになって欲しいと願って止みません。我こそはメンヘラ、私に幸せなんて似合わない・・・と思っている、あなた!この作品を観て、絶対に幸せになるんだと誓って下さい。メンヘラ脱却は、その決意からです。





2026年05月19日(火) 「廃用身」




衝撃でした。あまり話題になっていませんが、超問題作です。ちょっと宣伝できないかな。廃用身とは、脳梗塞などの後遺症で、リハビリをしても回復が見込めなくなった新体位の部位の事を指します。私も初めて知りました。初老の身の上としては、「プラン75」より、もっと身近に恐怖を感じて、考え込んでしまいました。監督は吉田光希。

漆原(染谷将太)が院長を務める異人坂クリニック。高齢者のデイケアも併設しています。漆原は回復の見込みのない身体の部位を切断する画期的な医療行為を発案。手術を行った患者が前向きに人生を捉え始めた事が広まり、雑誌編集者の矢倉(北村有起哉)が、漆原と患者二方に取材を始めます。Aプランと名付けられ、希望者が増える中、矢倉は漆原に本を書くように提案。しかし程なくAプランを中傷する記事が、別の雑誌で掲載され、ある事件が勃発します。

私もクリニックの受付時代、高齢者の患者さんが足が痛い、腰が痛い。痛い箇所を切ってしまいたい程だ、との訴えは良く聞きました。そしてリハビリは気休め、その時だけましなだけ、とも。漆原は、身体の一部を切断する事で、体重が減り、他の箇所への荷重が減る事を伝えます。そして介護をする方も、体重が減る事により負担が減る。これが主な切断理由です。

提案はすれども、「よく考えて」と、私は無理を言わさぬ様子ではなかったと思います。身体の欠損は痛ましいですが、どんどん経過が良くなる多数の患者の術後。介護する方も楽になり、良い事ずくめです。矢倉ならずも、私もこれは画期的な治療法なのかと、思いそうになりました。

しかし途中から、これは切断したことにより、脳がハイの状態になっているのかと、思い始めます。自分自身で、洗脳していたのかも知れません。もう一度夫と会話がしたい妻が、Aプランを漆原に希望しますが、願いはかなわず、漆原を詰ります。そんな時、患者の岩上(六平直政)がセンセーショナルな事件を起こします。

漆原の盲点は、介護する側の辛さが、一様だと思い込んでいた事。実際は、それまでの家族の関係性が介護にも大きく左右され、家族ごとの辛さがあります。そして、介護される側とする側では、力関係があること。それが頭から抜けていたのでしょう。それは確かに尊大とは言えるでしょう。患者の気持ちは抜きで、医学的な長所にしか、目がいかなかったのですから。でも世間で言われるサイコパスでは、決してなかったと思います。

しかし、小学校の同級生の発言から、漆原は自分の行為を元々サイコパスだったからだと思い込む。医療従事者の負担を減らしたいことも、Aプランの発案でした。当初は喜んでいた従事者も、掌を返す。こんなものだな。

矢倉の母も父の介護を受けており、施設に入所前です。再々訪れているのでしょう、父を想う善き息子です。でも彼も、慮るのは父ばかりで、母の事は頭を霞める程度。目の前の繰り広げられる光景は、介護される人の、圧倒的な弱者ぶりです。岩上の事件も、多分現役時代は妻子を顧みず、モラハラ気味であったろう岩上も、現在は弱者です。

身体の切断という突飛な医療行為を見せたのは、その事を浮き彫りにしたかったのだと思いました。精神のおかしくなった漆原は、自分の頭が「廃用身」であると言う。そんな訳はありません。廃用身など、「無い」という事でしょうか。

ラスト、様々なものを背負う家族たちの姿が映されます。それは罪なのか、安息なのか、絆なのか。親は四人とも見送った私ですが、もし夫を介護する日が来たら、善き言葉を背負うようになりたいと思います。


2026年05月17日(日) 「ひつじ探偵団」




素晴らしい!古くは「ベイブ」、最近では「パディントン」等、動物が人間の言葉を話し、擬人化されて活躍するお話が大好きです。この作品も、お子様向けのファミリー映画の様相ですが、中身は本格的ミステリーの中に、人生哲学が込められている秀作です。監督はカイル・バルダ。

イギリスの片田舎で、羊飼いをしているジョージ(ヒュー・ジャックマン)。偏屈ですが、羊たちには優しい飼い主で、羊たち相手に、毎日寝る前にミステリー小説の読み聞かせをしています。しかし、そのジョージが、ある日死体となって発見されます。大ショックの羊たちは、ジョージから受け継いだミステリー小説のセオリーに従って、愛するご主人を殺した犯人を捜します。

「ベイブ」の頃は、子豚ちゃんたちがすぐ大きくなってしまい、数匹の子豚を使って、ベイブ役を凌いだと聞きました。お陰様で今はCGも格段に進歩。羊たちの描き分けも解り易く、個性もしっかり頭に入ります。

あれこれ羊たちが推理していく中、羊たちの人間模様ならぬ、羊模様が描かれますが、それがとても考えさせられる。羊たちは、嫌な事は、すぐに忘れられる力が備わっています。「忘れる」事は、人間では加齢を伴う場合、私は神の恩寵だと思っている。だって哀しい事・恥ずかしい事・悔しい事、全部覚えていたら、辛くて生きていけないでしょう?でも若いうちはどうかな?これからの長い人生に、何でも忘れてしまっては、学ぶ事が出来ません。

羊は死なないと思っていた事もしかり。子供羊が、「死ぬだなんて。だったら何で生まれてきたの?何のために生きているの?」と、哲学者のような事を仰る。本当だね。何のために生まれて来たかは解らないけど、私は生まれたからには「幸せ」になりたいと思って、今まで生きてきたよ。そしてそれなりの手応えを感じる今は、他者にお役に立ちたいと思っています。

聡明なリリーは、いつも抜群の推理力で、難関のミステリー小説の犯人を探し当てます。羊イチ賢いと、仲間内で称される彼女ですが、それは井の中の蛙だっただけ。それを教えるのが、はぐれ者羊のセバスチャン。

群れを嫌い、一匹羊の彼には「冬生まれの羊」という、忌み嫌われる出生がありました。仲間からも人間からも阻害されるセバスチャンを、分け隔てなく愛したジョージ。どんなに放浪しても、彼がジョージの元に戻ってくるのは、ジョージに確かな信頼と愛情を感じていたからです。

冬生まれの子羊がもう一匹。他の子供羊たちが、偏見を持たず「遊ぼう!」と誘うのに、それを引き裂く大人羊たち。結局最後まで「冬生まれの羊」の何が忌み嫌われるのか、描かれませんでした。それは「理由が無い」からでしょう。羊は春に生まれるのが多いので、偶々冬に生まれた、その珍しさから嫌われていただけです。人間社会に照らし合わせても、有る事だなぁと感じりました。

セバスチャンと三月生まれの子羊が、それぞれ別のシーンで、高台から仲間の群れを見下ろします。それぞれに寄り添うリリーは、同じ言葉を二匹にかけます。「いい眺めね。でもちょっと寂しい」。セバスチャンのシーンで、私は「孤高」という言葉が浮かびました。佇まいの気高さが、そう感じさせました。

しかし三月生まれの子羊の同じシーンを観て、セバスチャンは成りたくて孤高になった訳ではないのだと、ハッとしました。自分を守るため、ジョージに報いるため、孤高にならざる負えなかったのでしょうね。二度目の「いい眺めね、でもちょっと寂しい」の、リリーの言葉は、この子をセバスチャンにしてはいけない、そんな決意を感じました。

謎解きはコメディタッチで、楽しいです。人間は素地より素養が大事なんだと、つくづく思いました。元羊飼いだった教会の神父さんの「懺悔」は、許してあげたくなります。リリーは何故かジョージの奥さんのような雰囲気を、醸し出していましたが、ホテルの女主人ベス(ホン・チヤウ)の言葉で、さもありなん。いやいやCGと人間で、この状況を想起させる演出に脱帽です。

警官のティム(ニコラス・ブラウン)が、犬塚弘にちょっと似ていて、彼が好きだった私はちょっと嬉しい。が!アホでもう!でも途中から羊たちに助けられ、どんどん事件を解明していく様子に、ホッとしました。大ラスの謎解きは、中々秀逸ですよ。

お子たちより、大人にド薦めです。大阪はヒットしているようで、吹替含めてまだ三回上映なので、どうぞお見逃しなく。私は吹替で観たので、配信になったら、字幕で観るのを楽しみにしています。






2026年05月11日(月) 「プラダを着た悪魔2」




超楽しい!「2」が作られていると聞いた時から、首を長くして待っていました。そして期待以上の出来でした。女性と仕事を描きながら、実は性別を問わず、人生において仕事とは?を問いかける秀作。ゴージャスでクールで情熱的な作品。監督は前作と同じくデヴィッド・フランケル。

かつて花形ファッション誌「ランウェイ」で、編集長ミランダ(メリル・ストリープ)のアシスタントをしていたアンディ(アン・ハサウェイ)。現在はジャーナリストとして活躍。しかし、経費節減のため、契約していた会社をクビに。しかし「ランウェイ」誌のオーナーからの鶴の一声で、「ランウェイ」に復帰する事になります。

二人の他、エミリー役のエミリー・ブラント、ナイジェル役のスタンリー・トゥッチと、主要メンバーも同じです。エミリーは現在ラグジュエリーブランドの幹部、ナイジェルはそのままミランダの片腕です。監督も脚本も主要人物も、そのままの引き継ぐのは、続編では珍しい事です。その威力を存分に発揮しています。

主要人物のキャラは20年前のまんまなんです。皆が皆、時代を見据え自分の中で昇華しながら成長しているのに、中身はそのまんま。もうそのまんま(笑)。ミランダは相変わらず通常モードで尊大ながら、オーラをまき散らし、エミリーは仕事の出来る野心家なのに、人格は小物感満載。アンディは相変わらず、根拠もないのに猪突猛進で、先を切り開いて行く。あぁ懐かしいなぁ。彼女たちを見ていると、人間としての成長は必須科目だけど、円熟なんかしなくていいんだよと、肩を叩いて貰っている気になります。

時代は代り、コンプラもアップデート。スマホは秒刻みで鳴りまくり、世間の反応はネットが一番。そして雑誌はオワコン扱い。誰もが憧れた「ランウェイ」は、凋落の一途を辿っている。時代に迎合しながら、「自分らしさ」を見失わない事は、実はとても難しい。その事を実現させたのは、「双子の成長も見られなかった。失ったものもたくさんある。それでも私は仕事が好きなの」と語るミランダ。女性が仕事を生き甲斐にするには、まだまだ覚悟が必要なのです。

かつては編集長を目指していたナイジェル。ミランダから手酷い扱いを受けながら、20年後の今も彼女の片腕です。アンディにもう編集長は目指さないのか?と問われ、考えていないと答える。それは年齢ではないはずです。女性たちが貪欲に仕事に向かう様子と対照的です。ナイジェルの20年は、ミランダを支える事で、自分が輝くと悟ったかのようです。ミランダが太陽なら、ナイジェルは月かな?この男女を逆転させたような間柄は、トゥッチのエレガントな紳士ぶりも相まって、とても素敵でした。

20年前も超大物だったメリル以外の三人は、この作品を切欠に大躍進。特に成長著しいのがエミリー・ブラント。主演のヒット作もたくさん持ち、今やアンと肩を並べる大物俳優です。今の彼女からしたら役不足の感のあるエミリーを、楽しんでいるかのようでした。きっと彼女の中で特別な役なのでしょう。

ファッションショーですか?の、目まぐるしく衣装を変えるのですが、これが眼福で超素敵。カメオ出演も、あまたの名のある人が出演で、これもとても楽しかったです。お若い人は、出来れば前作を観てからの方が、作品をより味わえるかと思います。

ミランダがね、自分のために奔走したアンディに、「あなたは自分のためにやったのよ」と、彼女流の礼を述べると、アンディも頷きます。でもね、大ラスで「君は僕の秘蔵っ子だ」と、ナイジェルがアンディに告げた内容も、同じ事。それは日本語だと、「情けは人の為ならず」というのです。この言葉は万国共通となのよね。とっても含蓄のある言葉です。







2026年05月06日(水) 「オールド・オーク」




社会派監督の名匠ケン・ローチの作品。2023年制作で、どうしてこんなに遅く公開かな?と思いましたが、日本での移民問題が顕著になってきた年数から思えば、今の公開がベストな気もします。何故差別するのか?差別する側の気持ちも丹念に描き、心を寄せている。その上で、それでも差別はいけない事だと、明確に理解させる、志の高い秀作です。ただ一点を除いては。その一点が、とても気になるので、その事も書きたいと思います。

イギリスの北東部。かつては炭鉱で栄えた町ですが、今は寂れて見る影もありません。その町で唯一のパブ「オールド・オーク」の店主のTJ(デイブ・ターナー)。難しい経営状態の中、
人々の憩いの場であるパブを、何とか運営しています。しかし、町がシリア難民を受け入れる事となり、人々の憩いであったパブが、諍いの場となります。そんな時TJは、難民の若い女性ヤラ(エブラ・マリ)と知り合います。

ここで描かれる難民を受け入れる側の困惑や怒りは、全ての受け入れる側の共通ではないかな。「金持ちは、自分たちの所には難民を受け入れない」「申し送りもなく、いきなり難民が来た」。寄付により、難民の子供には自転車が送られるのを観た男の子が、「僕も自転車が欲しい」。シングルマザーの元、家には食べ物が無く、空腹で倒れる子供がいるのに、ヤラの家では、TJをお茶とお菓子でもてなす。

受け入れる側は生きるのに必死な貧しさなのに、移民たちが国から手厚く保護されている。先に助けるのは、国民である自分達じゃないのか?怒りの矛盾の矛先が、本来なら行政に向けられるべきが、身近な難民に向かってしまう。両者の分断に至るまでが、丁寧に描かれていて、感銘しました。

その怒りを解くモチーフに、写真を使っているのが秀逸。かつての町の繁栄、炭鉱夫として誇りを持ち、会社を相手に闘争した様子。そこに、ヤラが撮った今の写真が、柔らかい光を帯びてリンクする。ヤラたちと親睦を深めるにつれ、TJは命をがけで彼らがイギリスに辿り着いた事、今もって闘争に身を置いたヤラの父親の生死が判らない事を知ります。私が一番心に刺さったのは、歴史ある建造物である寺院の元で、「私の(これからうまれるであろう)子供は、故郷の遺産を観る事は出来ない」です。戦禍で消失してしまったから。TJ自身も、かつて労働者運動に身を置いていました。彼の心に、再び火が灯る。

「オールド・オーク」で行われた食事会は、日本なら子供食堂的な場です。「これは慈善ではない。連帯だ」と宣言するTJ。貧しき者同士、援助するのではなく、共に支えて生きて行こう。なんて素晴らしい台詞かと、感動しました。

少しずつヤラたちへの理解者が増えていく中、心が動かない人も勿論いる。その辺りの変遷も、とてもリアルです。「この国(イギリス)は、世界で有数の富裕国だ。なのにどうして自分たちは、こんなに貧しいのか!」とのTJの叫びも、心に刺さる。共感しかありません。どこに怒りを向けるのか。政治です。何て解り易いのだろと、感服でした。

じゃあ何が疑問なのか?それはヤラたち難民側が、良き人ばかりであった事です。今の移民問題は、移民側には何も問題はないのか?そこがすっぽり抜け落ちている。私は時々仕事で、警察の人と話す機会があるのですが、毎日外国人の苦情がいっぱいだそう。「韓国の人はねー、ほとんどないんですよ。あるのはA国人とB国人ですね」。現在在留外国人数の第三位の韓国人が、何故苦情が少ないのか?ほとんどが日本生まれの2世から4世、又は私のように日本に帰化している。日本に溶け込んでいるからです。

軋轢のほとんどは、文化の違いだと思います。新聞で読みましたが、技能実習生で来日したネパール男性が、日本で永住権を取り、大手コンビニの正社員に昇格したのだとか。現在は、コンビニで働く外国人の指導が、主な仕事だとか。私はこれを行政にして欲しい。尊重されるべきは、自国の文化が前提です。その上で、他国の文化を、受け入れる側の人に伝えるべきです。そう言えば、ヤラたちは、何の仕事をしていたのか?片方、もしくは両方が「可哀想な人」では、決して連帯は生まれないと思います。

ラストは少しファンタジックな大団円ですが、生死に纏わる幾つかのエピソードが散りばめられていたので、その集大成が「連帯」に結びついたと、解釈しました。良心のある、とても素晴らしい作品です。






ケイケイ |MAILHomePage