ケイケイの映画日記
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2023年02月19日(日) 「ベネデッタ」




ポール・ヴァーホーベンの新作です。「ELLE」で変態も鬼畜も健在だ!と意気軒高なのを示した御大ですが、今作も「ELLE」には及ばぬものの、その作家性を今回も存分に見せてくれます。宗教がプロットなのに、暴力とセックス盛沢山に描き、どこ向いて行くのかしら?と案じましたが(嘘です、ワクワクしました)、きちんと強盛な宗教心を描いて終わると言う、お見事な腕前でした。

17世紀、イタリアのペシア。6歳の時から修道院に入っているベネデッタ(ビルジニー・エフィラ)。ある日父親からの虐待から逃げて来た少女バルトロメア(ダフネ・パタキア)を助けます。程なくして二人は禁断の関係に。その頃、ベネデッタには聖痕が表れ、人々の注目が集まります。院長(シャーロット・ランプリング)は、ベネデッタが自ら傷跡をつけたのではないか?と疑います。

ベネデッタは幼い頃から奇跡とまでは言えませんが、不思議な出来事を体験しています。それで自分は神の子と言う思い込みが芽生える。そしてキリストが昼夜問わず夢に出て、お前は私の花嫁だと言う。これも思い込みが見せるんだと思うけど、本人的には、それを後押しする確証を切望したのでしょう。聖痕は、神がベネデッタの願いを叶えたのか、自傷なのかは、映画は疑惑のまま進みます。

修道院と言うと、清らかな神に仕える女性の集まりと想像しますが、私は映画好きのお陰で、そればっかじゃないのは先刻ご承知。この修道院も敬虔に信仰していますが、裏では拝金主義があったり、ベネデッタを広告塔にして、神父や司祭は出世の道具にしたい等権力争いもあり、神の御心のままとはなかなか行かない。世の常と同じであると描いていて、この辺大変人間臭いです。

と言うか、途中まで生臭過ぎて、あわやポルノか?と言うプロットまであり、司教(クリストファー・ランベール)なんて、どこの組長だよと言う感じで、茶番は茶番でも壮大だし面白く、監督、流石だなと思っていました(笑)。

それが後半、民衆の様子を描く段で感じたのは、「信じるものこそ救われる」でした。折しも死の病ペストが街に迫りくる中、誰もが救世主を求めている。そこに宗教の危うさも、尊さも込められていたように思います。

そして最後に描かれるベネデッタの姿は、欲得ではなく、本当に真摯な信仰心があったと感じます。例えそこに「嘘」があったとしても。聖女か稀代の詐欺師か?と問われたベネデッタは、神に仕える「人間の子」だったと思います。

主演のエフィラは、イザベル・ユペール様には少々貫禄負けしますが(そもそもユペールに勝てる人なんかいない)、血だらけになったり全裸でレズシーンを演じたり、キリストが乗り移ったような野太い声を出したりと、大奮闘です。綺麗な人ですが、今作ではひと際美貌も際立っていました。ダフネ・パタキアは初めて観ましたが、ちょっとミア・ゴスに似ていたかな?小悪魔的な中にひたむきさも感じさせ、好印象です。

そしてランプリング。あっ、ユペールとタメを張れる人がいた(笑)。まぁこんな大女優に、ピーピング・トムみたいな真似までさせて。下手したら女優人生の汚点になってしまうかも知れない作品なのに、彼女のお陰で、ぐっと映画が締まっています。敬虔な院長の様子からの、母親としての哀しみの変遷は、そりゃ神も仏もあるもんかと絶対思うぞと、大層納得しました。余裕綽々で、楽しんで演じている風情も良かったです。

途中までは、キリスト教の団体から良く抗議がこなかったもんだと思いましたが、監督は信仰を肯定している事は、読み取って貰えたようです。これも監督の人徳かしら?鬼畜・変態と、人徳を兼ね備える稀有なヴァーホーベン、もう80を超えましたが、次回作も待っています!


2023年02月17日(金) 「エゴイスト」




観終わって、あぁエゴイストのタイトルは、こういう意味かと、深々胸に染みわたった作品。濃厚な男性同士の性的シーンもたくさんありますが、清潔感が損なわれず、純粋な恋人同士の愛情を感じる作品です。監督は松永大司。

雑誌の編集者の浩輔(鈴木亮平)。社会的に成功し、気の置けないゲイ仲間との集まりを楽しむ彼ですが、故郷でゲイを隠していた頃の苦い思い出と、14歳で亡くした母への想いを胸に秘めています。友人に紹介されたパーソナルトレーナーの龍太(宮沢氷魚)。病気の母妙子(阿川佐和子)を養うため、高校は中退したと聞き、頑張っている龍太を褒めます。魅かれ合う二人は、程なく恋人同士に。しかし龍太は、母を養うため、秘密に身体を売っていました。

当初は兄と弟のようにふるまっていた浩輔。それが段々と恋人同士になる様子が、とても瑞々しい。お互いが敬意を持ち、その人柄に魅かれ合っているのが解るのです。浩輔の財力や、龍太の若さと美貌より、それらが勝っていた二人に感じました。

妙子は、息子が身体を売っていた事は、多分知っていましたね。本来なら高校生を抱えて、生活保護を申請すべき場面ですが、夫は愛人と出奔が理由の離婚。意地でも生活保護は受けたくなかったでしょう。そして、愛する息子が自分を守ってくれている事は、何にも代え難く、嬉しい事だったはず。これが娘なら、きっと止めたはず。彼女的には、妊娠のない男性同士のセックスは、それ程重いものではなかったのかも、知れません。でも彼女は間違っている。それでも私は、妙子の気持ちが痛いほど理解出来るので、この母を責めたくはありません。

龍太は、浩輔と出会って、ウリが出来なくなったと言います。それまで本当の意味での愛を知らなかったんですね。だから他の男性とのセックスを嫌悪してしまう。ここに男女の差異は無いはずです。

龍太の窮状を知り、自分が経済的な援助をすると申し出る浩輔。「二人でやれるところまで、頑張ろう」。二人を観て、私が咄嗟に思ったのは、「夫婦」でした。愛する人の親のため、義理の仲にも関わらず、大切にしたい想いは、とても麗しい。しかし彼らは同性なので、傍から見たら、龍太は囲われ者の愛人です。戸籍ではなく、お金が絆となる関係。浩輔はそれで龍太を独占しようとし、龍太も感謝しながら、その事で二人が離れ難くなりたいと思っている。

この作品の唯一の文句は、友人との会話に、折角同性婚を絡ませているのに、それを発展させていない事です。妙子の急な入院に駆け付けた浩輔が、親族でもないのに、病室を教えるなど、現実にはありえません。ここは面会を阻まれて、話を発展させるべきだったと思います。結婚している男女間なら、崇高に見える浩輔の想いが、彼をエゴイストに見せてしまう事が哀しい。


浩輔に「あの子の父親ね、家に女を連れ込んだのよ」と昔話をする妙子。」「あら〜、そう〜。それは駄目よね」と本当に自然に返事する浩輔を観て、これが息子の彼女なら、こうはいかないと思いました。こんなにすぐは打ち解けないです。

友人たちとの井戸端会議的会話もすごく自然で、全く威圧感がありません。私もすぐに飛び込めそうなくらい、親しみやすい。でもスーツのおじさんたちの群れに、一人で入っていく勇気はありません。あぁこの人たち、「男のおばさん」なのよ。勿論、ゲイの人もそれぞれ個性が違うでしょうが。以前中年から初老の女性たちが、一番ゲイに理解があると読みました。私はセルジュとジルベールや、若くて美しい吸血鬼たちのお陰だと思っていましたが、それだけじゃないんだな、きっと。

ふと、ゲイに嫌悪する中高年の男性たちは、自分の中の男のおばさん的部分を恥ずかしく思い、それで彼らを憎むのかと思いました。どんな男性も女々しくておばさん的部分はあると思いますが。私も女のおじさん的部分があるもん。
多分ね。でも恥ずかしくなんか、ないけどね。

瀟洒な自分のマンションに似つかわしくない、フェイクファーの派手なコートを羽織って、浩輔が歌うのは「夜を急ぐ人」。ちあきなおみの圧倒的なパフォーマンスが目に焼き付いています。ちあきなおみが歌うと、狂気と孤独が感じられ、浩輔からは孤独と哀愁でした。浩輔は愛とは何なのか?を見つけられずに、迷子になっているのかなぁ

本当は浩輔も、援助するなら家計ではなく、龍太に就職に役立つ資格を取らせる等するべきだったんでしょう。でもね、盲目的な愛とは、正常な判断をさせない。エゴイストとは、利己的な人と言う意味。みんなみんな、愛を乞い、独占したいと言う感情が先に立っている。愛は人をエゴイストにするのでしょう。愛は奪うものだと醜いけれど、でも与えることもエゴなんだなあと、考えさせられました。

鈴木亮平が絶品。本当に何でもパーフェクトに演じますよね。中堅の中では、頭一つも二つも抜きんでている感があります。英語も出来るし体格も立派だし、海外進出も考えたらどうかなぁ。宮沢氷魚は、どんな役を演じても、清潔感と純粋さがあります。あんなに背が高いのに、天使に見えるんだな。素敵な個性だと思います。阿川佐和子は、あんなにお芝居上手だと思わなかったので、大感激しました。とても素直な演技で、間違った選択をしたと感じても、共感も理解も出来たのは、阿川佐和子の名演技のお陰です。


身支度をして帰ろうとする浩輔に、「もう行くの?もう少しいて」とねだる妙子。笑顔で「いいですよ」と返事する浩輔。「二度目の母」との時間は、「僕には愛が何だか、解りません」と涙する浩輔に、きっと愛が何なのか、教えるための時間なんでしょう。一回り人格が高くなったような浩輔の笑顔に、涙が止まりませんでした。本当の愛って、何なのかしら?私はひたすらに、相手の幸せだけを願う事だと思っています。だから、私にとっては子供たちです。夫には与え求めずは出来ないから、私もエゴイストね(笑)。私はこの作品、大好きです。



2023年02月11日(土) 「仕掛人・藤枝梅安」




期待以上、とても良かったです!私の年代だと、梅安はドラマの「必殺!仕掛人」で梅安を演じた、緒形拳の印象が深いです。今回の梅安役のトヨエツがインタビューで同じ事を言っていて、そこを引き受ける時に躊躇したと語っていたので、やはり私と同じ年なんだなと、改めて納得。殺し屋なのに勧善懲悪的だった、快活な緒形梅安とは真逆の、常に死の匂いが立ち込める梅安を、今回ニヒルに好演しており、トヨエツ梅安ありきの作品です。監督は河毛俊作。

腕の良い鍼医者として、患者の信頼を得ている藤枝梅安(豊川悦司)。実は裏家業の元締めから金をもらって殺しを実行する“仕掛人”という裏の顔があります。同じ稼業の彦次郎(片岡愛之助)とは馬が合い、お互い心を許せる相手です。元締めの羽沢の嘉兵衛(柳葉敏郎)から依頼された仕事は、料理屋・万七の内儀おみの(天海祐希)の殺し。別の元締めから、三年前に万七の先代の内儀の殺しを請け負っていた梅安は、不審を覚えます。内偵のため、万七の仲居おもん(菅野美穂)と深い仲になる梅安。常連客となり、おみのの挨拶を受けた梅安は、おみのの顔を観て、息をのみます。

この作品は、池波正太郎生誕100周年記念かつ、時代劇専門チャンネル25周年記念作品です。時代劇専門チャンネルは、我が家が愛寵しているチャンネルで、威信に賭けても、お茶らけた時代劇もどきには出来るはずもなく、筋運び、俳優陣の所作やセリフ回しまで、細部まで作り込んでいて、重厚な作りです。

画面が陰影に富んでいるのは、闇の住人である仕掛人を表しているのだと思います。暗い画面から、皺もシミも余すところなく映される梅安。それは初老の男だと言うより、老成した人に観える。その見方を後押しするように、梅安の過去が挿入されます。先代の内儀を殺す場面など、死神のようにも見える梅安。人を殺めながら、病の人に息吹を与えると言う矛盾。彼は、きっと自分が煉獄に身を置いていると、自覚していたのだと思います。

そしてとにかくカッコ良く、惚れ惚れする程色っぽいんだなぁ。おもんとの事後、お互いしどけない姿でおもんに鍼を打つ梅安。はだけた胸元、大きく開いた襦袢の裾から見える太腿の、何と色っぽい事か。菅野美穂ももろ肌脱いでいたのですが、カメラが見据えているのは、明らかにトヨエツ氏。初老男性から性を感じると、とかく生臭くなるはずですが、それがありません。硬質さと艶めかしさが共存するのは、表裏の稼業で、死を身近に感じる梅安ならばこそ、だと思いました。

何が言いたいかと言えば、とにかくトヨエツが素晴らしいと言う事(笑)。彼の作品は結構観ていますが、今作が私は一番好きです。

天海祐希がとにかく綺麗!こんなにも女の色香を、それも悪女的な色香を振りまく彼女は、初めて観ました。通常はハンサムな、さっぱりした女性を演じる事が多く、感激しました。何で今までこのような役がなかったのかしら?と思いましたが、この人、背が高すぎるのですね。ある元締めとのシーンでは、かなり彼女が高い。こんなに水も滴るいい女なのに、もう50代前半ですよ。女盛りだった時に、この手の役を、もっと演じて欲しかったなぁ。すごく勿体無い。

ストーリーの中で私が注目したのは、男に手籠めにされる女性がたくさん出てくる事。武家の妻であれ、農民の女房であれ、夫がいる女性は、必ず自害するのです。辱めが耐えられなかったのか、貞操を汚され、夫に申し訳なかったのか。多分両方。誰より守られたい、夫の存在が仇となると言う哀しさ。その中で、夫のいない女性の一人は、ある男性の気骨により息を吹き返します。おみのも、その一人。寄る辺ない身の上だった彼女は、男を自分の色香で惑わし、食い散らかす事で、ガシガシのし上がる。

おみのは、男を惑わしながら、男を憎んでいる。自分を通り過ぎた男みんな。お金に困った少女たちに客を取らせるのは、自分の生き方を肯定したかったからではないでしょうか?そこから、彼女の孤独が浮かぶのです。ただの悪女ではない大きな哀しみを背負ったおみのを、天海祐希もクールに艶めかしく好演していました。

愛之助の彦さんは、今回は凄腕の一端を見せるものの、良きバディぶりを描く事が中心でした。トヨエツを立てる演技は好感が持て、続編は彦次郎がメインのようで、期待充分です。

殺しの場面は鮮やかなれど、仕掛人は一瞬に仕留めるので、殺陣は無し。そこで大立ち回りをみせてくれるのが、早乙女太一の浪人です。出演者の平均年齢が高い中、彼のスピーディーな殺陣は見応えがあり、華やかでした。子供の頃から舞台を積んでいる成果ですね。

重厚な空気の中、その空気を緩ますのが、梅安の女中のおせき(高畑淳子)。野次馬的好奇心満タンの俗人ですが、主人の事を心から案じる善人でもあります。「おせきは幸せだねぇ」と言う梅安に、「何が幸せなもんですか。幸せなのは、私の亭主ですよ」と言うおせき。彦次郎とはまた別の意味で、おせきもまた、梅安の心の癒しになっていると思います。高畑淳子は、やり過ぎ一歩手前の演技で好演。流石の腕前だなと、ここも感心しました。

見どころと言えば、全編見どころとも言える作品です。池波正太郎と言えば、江戸時代の料理の蘊蓄が楽しみですが、その再現も見どころの一つ。私は彦次郎のお粥が作りたくなりました。お粥もお米から炊くと、格別の味わいです。時代劇もきちんとした時代考証からかな?丹精込めた時代劇は少なくなったと、お嘆きのご貴兄にも、時代劇には馴染みのない方にも、同じように堪能できる作品です。


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