ケイケイの映画日記
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2023年01月29日(日) 「イニシェリン島の精霊」




わー、もうスゲーな、監督!100年前の架空のアイルランドの孤島を舞台に、おじさん二人の仲違いを通じて、人間の本質をアイルランドの内戦を絡めて描いています。一生監督について行きたくなる作品。監督はマーティン・マクドナー。

1923年、アイルランドの孤島、イニシェリン島。今日もパードリック(コリン・ファレル)は、親友のコルム(ブレンダン・グリースン)とパブに行くため、彼の家まで誘いにきました。しかし無言のコルム。その後、謎の絶交宣言されるパードリック。長年友情を育んできて、昨日までの仲良くしていたのに。納得出来ないパードリックは、何故なのか、その後もコルムに付きまといます。業を煮やしたコルムは、今後パードリックが自分に話しかけたら、自分の指を一本ずつ切り落とすと宣言します。

冒頭映し出される、喉かで牧歌的な島の風景は、少し視点をずらすと、荒涼として寒々しくも見える。この塩梅が絶妙で、鑑賞後、この冒頭こそ、この作品を映し出していたんだなと思います。

純朴そうなパードリックに対して、強面のコルムの、このいきなりの宣言は、心無く感じます。しかしお話が進むと、バイオリンの名手で作曲もこなせば、知識も豊富なコルムは、この島では、一目置かれているのが判る。対するパードリックは、純朴で善良に見えるも、頭の回転が鈍く、コルム以外には、親しい友人もいない。

コルム曰く、「自分はもう何年も生きられない。やりたい事が山ほどある。退屈なお前の話に付き合う時間がないのだ。」そう。こうまで言われれば、ああそーかい、上等じゃねーか、、こっちから願い下げだよ!と、普通はなるのに、納得しないパードリック。善良さに変わりはなくても、純朴と言うより、愚鈍な人だと解ります。最初は侮辱的なコルムに腹が立ったのに、段々コルムの言う事が理解出来ないパードリックに、イライラしてきます。

小さな島は、二人の噂で持ち切りに。神父さんまで、いっちょ噛みする始末。でもコルムに言い返されて怒った神父は、コルムに「地獄に落ちろ!」と怒鳴ります。えぇぇ!懺悔する信徒に、そこまで言わなくてもと、びっくり。しかしこの島の人を見渡せば、傲慢でサディストの警官、噂話と陰口が好きで、人の手紙まで勝手に読む小間物屋の女主人、禍々しく不吉な予言ばっかりする、魔女みたいな老女(これがどうも精霊らしい)。二人の喧嘩に物見遊山は人々など、はっきり言って低俗です。そして面白おかしく人のプライバシーを覗き込む、悪意もある。

そんな中、コルムがシンパシーを感じるのが、パードリックの妹のシボーン(ケリー・コンドン)。聡明で知性があり、人の噂話をするより、読書に勤しみます。彼女もまた、島民には「嫁き遅れ」と陰口を叩かれながら、異彩を放っています。

シボーンはコルムは病気だと、兄を慰める。私もそう思う。このファナティックさは異常です。指を切り落とした時は、ゴッホかと思いました。切欠はアイルランドの内戦だったんじゃないかなぁ。毎日にように対岸から砲弾の音がして、この閉塞的な島のBGMのようになって、自分の人生や年齢を顧みて、こんな筈ではなかったと、どんどんコルムの感情を追い込んでいったのではないかな?

シボーンはいつも怒ってばかりいます。この島を覆う閉塞感や、礼節や品格の無さに、常に苛立っています。しかし他者の心は傷つけない。彼女には理性と慈悲深さがあるからです。「俺は退屈か?」と傷つく兄に、「兄さんは良い人よ」と慰める。モーツァルトの件で、コルムの間違いを指摘したシボーンは、記憶違いだけではなく、兄に対しての無礼にも、「貴方は間違っている」と言いたかったのではないかな?同じように教養豊かで知性があっても、明確にコルムとシボーンは違いました。アイルランドの内戦も、シボーンのような思考なら、起こらなかったと描いていたのかも。この辺は私は内戦の知識に疎いので、違うかもですが。

警官の息子のドミニク(バリー・コーガン)。軽度の知的障害を思わせる彼は、自分の気持ちに忠実です。酒が飲みたい、煙草が吸いたい、女性と話したい、そしてシボーンに恋している。当たって砕けろと、シボーンに告白しますが、「それは無理なの」と、優しい笑顔で返され、納得して引き下がります。優しさと敬意に満ち、美しい。私がこの作品で一番好きなシーンです。

ドミニクは平易な言葉しか発しませんが、内容は的確。彼からは悪意は全く感じません。子供も夫婦も若者も、誰も居ない様な島で、自分に正直に生きています。そして、自分と同じく悪意のない人だと思っていた、パートリックの変貌を指摘して詰る。コルムを含む島民の悪意と野次馬根性が、純朴だったパートリックにも、悪意を持たせてしまうのです。

島から抜け出し、ロンドンに働きに出るシボーン。きっと両親が健在なら、もっと早くに逃げていたでしょう。頼りない兄を、一人にはしておけなかったのですね。しかし、まず自分を守らねば、兄も守れないのです。シボーンは正しい。本当に孤独になってしまったパードリックに起こった、その後の出来事。強気一辺倒だったコルムに反省を促したのは、コルムもまた、自分の身の上の孤独を噛み締めたからだと思う。島民全てが顔見知りでも、本当に心を許せる人がいないのです。

悪意と哀しみが心を満たすとどうなるか?狂気でした。分別盛りのはずの、いい年をした、おじさんの喧嘩は、アイルランドの内戦を揶揄しているのでしょうね。監督も俳優も、皆アイルランド人で集結しているのは、そのためですね。

作品、監督、脚本、ファレル、グリースン、コンドン、コーガンは、全てオスカーノミニーです。
ファレルはね、私は昔は生理的にダメだったのよ。うんうん。それを覆したのは、私の愛するヨルゴス・ランティモスの「ロブスター」での、役作りのため15キロ太り、情けないキャラでした。あれからアレルギーが取れたと言うね、彼のファンからは殺されそうなんですが、あれよりもっと今回が好き!愚鈍で苛つかせるも、どこか愛嬌があり、放っておけない母性愛を刺激するパードリック。私はシボーンの心で観てしまった(笑)。

グリースンは強面の外見から想像し難い、繊細なコルムの内面を好演。モテ男に充分観えます!コンドンは素敵だったなぁ。下手な芝居だと、怒りばかりが目立ち、シボーンの賢さや優しさが、かき消されたはずです。コーガンは、私は不敵で不穏な彼しか記憶になかったので、ある意味無垢なドミニクを、びっくりする程の好演でした。「ギルバート・グレイプ」のレオを思い出したくらいです。

警官に殴られたパードリックを介抱し、馬車で送るコルム。絶交宣言後です。途中で降りるコルム。目の前には、二つに分かれた道が。違う道をコルムが行くことを、パードリックが尊重していればな、と思います。


ラストの二人のすれ違いの答えは、恋に似ている。追えば逃げるし、逃げれば追うし、です。「愛憎」とは、恋と戦いなのかも。オスカーの発表が、とっても楽しみです!




2023年01月23日(月) 「SHE SAID/シー・セッド その名を暴け」




権力を利用したハーヴェイ・ワインスタインの数々の性的蛮行を暴き、社会現象とも言える「me too」運動を巻き起こす元となった、NYタイムズ紙の記事を書いた、二人の女性記者のお話しです。ずっと緊張感が持続する取材現場も然る事ながら、この二人が子供を持つママさん記者である事に、とても感銘を受けました。社会に波紋をなげかけた事件の掘り下げだけではなく、優れたお仕事映画でもあります。監督はマリア・シュラーダー。

2017年、NYタイムズ記者のミーガン(キャリー・マリガン)とジョディ(ゾーイ・カザン)は、ハリウッドの大物プロデューサー、ハーヴェイ・ワインスタインが、以前より女優や従業員に性的暴行を繰り返している事実を掴みます。しかし映画界で絶対的な権力を持つスタインを恐れ、多くの女性たちは泣き寝入りしています。二人は被害者に寄り添いながら、少しずつ事件の全貌に迫っていきます。

記者たちは「オフレコ」ではなく「オンレコ」に拘ります。結果は判っているのに、観ている間、ジリジリ、モヤモヤ、すごいストレスです。詳細の掴めた大半が示談を選び、その時の誓約書に、口外せずを選んでいます。彼女たちは辛抱強く被害者たちに寄り添い、証言を得ようとします。記事にしたいのは、今後の被害者を食い止めたいからで、正義感と言えます。決して功名心からではないのが観ていて判り、ここはすごく清々しいです。

数々の被害は、聞くに堪えない物です。被害に遭わなかった人は、早く忘れるべきだと言うでしょう。しかし、性被害と言うのは、本当に心を殺すものです。私が生まれて初めて痴漢に遭ったのは、中学一年の時。しっかり今も屈辱感と嫌悪感を覚えています。彼女たちはそれよりもっと酷い被害に遭っているわけで、証言したくないのは、心の底に封印していた記憶を、甦らしたくなかったのが、一番のように感じます。

一人、また一人と彼女たちの熱意に絆され、証言していく被害者たち。それはやはり、同じ女同士と言う事が最大の要因だったと思います。自分の心情を、有りのまま掬い取ってくれるだろうとの、期待です。性犯罪は、被害者が何故か叩かれる犯罪です。劇中にも「枕営業して、仕事を取った女たちのことだろう」とのセリフが出てきます。今でも女性が被害に遭うと、服装だとか時間帯だとか、さも被害者に隙があるように言われます。私が初めて痴漢に遭ったのは、校外活動のため、通学とは違う路線で、一人で天王寺に向かっていた時です。格好はリュックサック、制服、三つ編みでした。これのどこに隙があると?

実際は権力にある男性に迫られ、逆らうと仕事を失う、暴力が怖い、良からぬ噂を立てられるなど、恐れが中心だと描かれています。男女逆は、滅多に聞いた事がない。いつもいつも思うのです。世の中の悪しき環境は、一部の権力のある男性のせいだと。もちろん、女性もいるでしょう。しかし女性は数が少ない。そして出世すると、何故か「特権階級の男」になってしまう。権力と欲は、繋がっているからだと思います。

アシュレイ・ジャッドが、被害者本人で出演。たくさん主演作があったのに、ワインスタインに盾突いて、干されてしまったのは、事件が明るみに出るまで、知りませんでした。権力者の男に屈しなかった彼女は、老けはしていましたが、その代り、人としての誇りを手にして、凛々しかったです。またスクリーンで会いたい。

ミーガンもジョディも、結婚していて子供がいます。仕事の出来るミーガンが、産後鬱から脱したのは、仕事を再開したから。自分を取り戻したのでしょう。共感も理解も出来るのですが、多くの女性たちは、ジョディの方に共感するのではないかな?「向こうにはあなたが話して」とバディのミーガンに言われ、「えっ?私?」と驚くジョディですが、「あなたの方が威圧感がないから」と返事されます。それは正解だと思う。多くの証言は、子供がまだ赤ちゃんのミーガンではなく、そこそこ大きい(でも小学生と幼児)ジョディが取って来ています。親しみ易さは、人の懐に飛び込む時には、重要な武器になるしね。子供の年齢差で、働く女性の環境に差があることも、描き込んでいます。

忘れちゃならないのが、旦那さんたち。妻たちの活躍の陰に夫ありなんて、嬉しいじゃないですか。それも「貴方に感謝している」風のセリフもなく、極普通に妻を支えていました。妻の、夫の手柄は、二人のもの。これからの世の中は、そうでなくては。私が好きだったシーンは、夜中子供が泣いた時、ジョディの夫が「僕が行くよ」と言うと、ジョディは「私が行くわ」。その直後「二人で行こう」となるシーン。夫婦は、こうでなければ。

ゾーイ・カザンは初めてちゃんと観ました。ビリングはキャリーが一番ですが、実質はゾーイの方が描き込まれています。熱演したくなるところを、ぐっと抑えて、優しい母の顔、被害者に寄り添い信頼を得る優秀な記者の顔とを、真摯に演じていて、心に深く残ります。


彼女たちの上司にパトリシア・クラークソン。二人に比べ、私生活は全く出てこないので、独身なのでしょう。一昔前は、女性がキャリを積むためには、幸せな家庭は諦めなくてはいけなかったのだとの、表現だと思いました。ラストの男女混合のチーム一体で、記事を送信するシーンは、それまでストレス満載だったため、物凄いカタルシスでした。そうよ、世の中はこのチームのように、心ある男性もいっぱいです。より良き世界を作るためには、男女共に手を携えなければ。何故かオスカーにはガン無視ですが、秀作ですので、ご覧ください。



2023年01月22日(日) 「非常宣言」




非常宣言とは「飛行機が危機に直面し、通常の飛行が困難になったとき、パイロットが不時着を要請すること。これが布告された航空機には優先権が与えられ、他のどの航空機より先に着陸でき、いかなる命令を排除できるため、航空運行における戒厳令の布告に値する」と言う意味だそうです。私も初めて知りました。結論を言うと、とにかく最後まで超面白い!サスペンスとして一級品ですが、政治や国家に対しても、考える時間を貰いました。職業の矜持、親子・夫婦の愛情の尊さも感じさせ、娯楽作として限りなく満点です。監督はハン・ジェリム。

ハワイに向け飛び立つKI501便。しかし離陸後間もなくして、1人の乗客男性が死亡。直後に、次々と乗客が原因不明で死亡し、機内は恐怖とパニックの渦に包まれていく。やがて殺傷能力の高いウィルスが、ジンソク(イム・シワン)のよって、機内に持ち込まれたと判明。政府はバイオテロと認定し、善後策を練ります。

まったりとした様子ながら、刑事の勘が働き、ネット予告のテロ犯の捜査をするク刑事(ソン・ガンホ)と、犯人のジンソクの行動が交互に描かれます。これが奇抜で度肝を抜かれたり、まったりしていたのが一気に緊張が走ったりで、不穏な空気が徐々に高まり、冒頭から目が釘付けに。

ハリウッドの「大空港」シリーズでもそうですが、グランドホテル形式の、登場人物たちの交錯の描き方も上手い。全員キャラも確立、迷う事もなく、背景や理由に疑問もなし。背景の主軸に、正義や職業の矜持、夫婦や親子の愛に重きを置いていたので、必ず誰かに共感が出来、感慨深く感じる瞬間があります。飛行機を舞台にしたサスペンスものは、機体の故障だったりハイジャックが多いですが、薬剤を持ち込み、全員を殺傷しようとするのは、私は記憶がなく、目新しさもあります。

私が一番心に残ったプロットは、自分でも意外ですが、国家の在り方と政治家の矜持でした。ちょいネタバレですが、燃料が尽きそうで、他国に緊急着陸を求めるも、断られるのです。強引に着陸しようとすると、KI501便は攻撃される羽目に。

でもこれは、私は当然だと思いました。未曾有のウィルス、乗客乗務員は全て感染している飛行機を受け入れることは、自国にウィルスを持ち込む事です。国の利益を優先させたのではなく、国民の安全を一番に考えたわけで、政府として一番大切な事ではないかと感じました。攻撃の後、「KI501便の無事の帰還を、心より願う」の相手国のアナウンスは、一見矛盾しているようですが、着陸を許可できなかった無念さも含めた、心依りのエールだったと思います。その後の韓国国内での喧々諤々の世論の演出も、その事を後押ししていると思います。このアナウンス一つで、ぐっと作品の格が上がったと思います。

政治家で感銘を受けたのは、チョン・ドヨン演じるスッキ国土交通省大臣の、「責任は全て私が取る」と言うスタンスで、人命第一。ウィルスの上陸に及び腰の、その他の政治家・官僚をバッタバッタなぎ倒して行く姿です。何度も出てくる「国家公務員は国に尽くすもの」と言う言葉は、言い換えれば、韓国にもその矜持を持つ人は、少ないと言う事だと思いました。エンタメを楽しもうと臨んで、これ程「国家」とは何か?を、感じるとは、思いませんでした。

絶体絶命の中、乗客の心が一つになった感情は、私は少々綺麗ごとが過ぎると感じましたが、一緒に観た夫は感動したそうで、これはこれで良いのかも。ガンちゃん刑事の超勇み足も、乗客の一人に妻が居ればこその大胆な行動で、妻への愛の深さを感じて、異論はないです。

俳優陣は全て好演ですが、私はキム・ソジンが演じるチーフパーサーが心に残りました。今まで記憶になった人で、若い頃のマギー・チャンを彷彿させる、ノーブルな美貌です。人格の高さと母のような包容力で、乗員・乗務員とも、まとめています。




それとラストで、犯人の生い立ちに言及して、そこから犯行動機を探ろうとする尋問に、スッキ大臣は「人間には理性で制御できない人が、一定数いると思う」と反論します。筋とは関係ないですが、私はスッキ説も賛成です。一言で言うと、「良心が備わらない人」です。生い立ちの掘り下げと並行して、メカニズムを解明できれば、未然に犯罪も防げると思いました。

危機また危機の合間の、束の間にホッとする時間に胸打つ感動があり、とにかくずっと面白いです。大阪では上映時間も減っていないので、口コミで面白さが広がっているかな?余波で全国公開になった暁には、地方の方も是非ご覧ください。


2023年01月14日(土) 「アバターウェイオブウォーター」




お正月の二日、朝いきなり夫が、「今日『アバター』観に行こう!」と言うではありませんか。IMAX3DのスクリーンがあるTOHOシネマズなんばは、もう良い席が無い。この作品は、上記で観ないと値打ちがないと、あちこち書いてあるも、三時間超の3D、疲れるだろうと、空いているなんばパークスで観ました。3Dだけです。因みに夫が「観たいから、連れて行って」と言うので、言わば私は「引率」で、夫が言わなければ、多分見逃しか、もっと後で観たと思います。これから書く感想は、モチベ低め、長い映画嫌い、3Dも嫌と言う者の感想です。はっきり言おう、10年待って、これか?でした。監督はジェームズ・キャメロン。

前作から数年。地球から離れ、パンドラで幸せな家庭を築いているジェイクとネイティリィ。しかし彼ら家族は、執拗に追ってくる人間たちによって、森を捨て、海の部族メトカイナ族に助けを求めます。しかし、そこにも人間たちの魔の手が忍び寄ります。

三時間超は気にならないくらいは、楽しめました。これは本当。神秘的なパンドラの様子は美しく、深海の様子もファンタジックで楽しめます。アクションシーンも、グラフィックならではの破天荒さで、これも楽しめます。

まぁこれくらいかな?どれもこれも、正直特筆とまでは行かず、です。映像は確かに美しいけれど、私には前作より格段に進歩したとは感じませんでした。私は普段は裸眼ですが、映画の時だけ眼鏡をかけており、眼鏡on3D眼鏡はなかなかしんどく、また左右の目の視力に差があり、3Dには適していません。そして3D眼鏡は、暗く見える。これなら2Dで明度も彩度も上がった普通のスクリーンで観た方が良かったと感じました。これは視力の良い夫も同意見でした。

筋の内容は期待していなかったので、まぁこんなもんでっしゃろ、的な感想です。前回は愛は人種を超えるか?でしたが、今回は愛が成就して家庭を成し、その愛の結晶の子供たち、気持ちに余裕があるのか、人種の違う二人の養子までの大家族。家族の絆を軸に、何度も映画で観て来た賢兄愚弟の葛藤、難民問題、果ては捕鯨反対を匂わすプロットまで描かれています。どれもこれも悪くはないですが、映像の添えものの域は出ていません。

唯一良かったのは、奥様方が武闘派だったこと。昨今男女の平等が謳われますが、それなら妻も戦わにゃ。特に前作ネイティリィに殺された敵が、「ミセスサリーには貸しがある」と言うと、ネイティリィは「何度もやり返す」的に応えるやり取りがあり、ここが一番好きです(笑)。私も自分の大事な子供に手を出す奴は、何回でも返り討ちにしてやるわ。もっと若ければ、きっと身体を鍛えるところです。

しかしだね、絶対絶命のピンチの時、「血は水より濃し」を感じさせるシーンは、どうなんだろう?私はこの例えはあまり好きではなく、それまで散々、養子たちも家族を強調してきたのに、これはどうかな?海の部族の奥方が、妊娠中にやり持て戦うのを、夫が止められないのも、どうかと。ジェイクも含め、全体的に夫弱過ぎ、妻が猛母過ぎです。これ狙ってんのかな?

映画は見世物から始まっているので、こう言うCG主体の、アトラクション的映像が主体の作品も、全然有りだと思います。それならね、もうドラマなんか、すっ飛ばせばいいんですよ。中身はもっとスカスカ、脚本に賭ける力を大幅に削って、もっと映像の方に力を入れたら良いのに、と個人的には思います。どうせ大したドラマ性はないねんから(←大暴言)。

「後まだ3作作る予定やねんて」と夫に告げました。「その頃には、もう死んでるな」ハッハッハ!と夫婦で笑い合いました。因みに「10年待って、これか?」は、前作の虜になり、今作を待ちに待った夫も同意見。まぁこう言う感想もあると言う事で、ご参考まで。



2023年01月10日(火) 「ケイコ目を澄ませて」




昨年末の16日から公開で、見逃してしまうかも?と、ヒヤヒヤしていましたが、無事鑑賞。ヒロインを通じて映す、相反するはずの静寂と喧騒が、全て熱くて温かい。秀作です。監督は三宅唱。

生まれつき聴覚障害のケイコ(岸井ゆきの)。弟聖司(佐藤緋美)と二人暮らしです。仕事はホテルの清掃係。会長(三浦友和)が営む下町の小さなボクシングジムで、練習に励むのが日課です。。彼女の努力が会長やトレーナーの目に留まり、聴覚障碍者では初めて、プロボクサーとして試合に出場することになりました。しかし、この頃から会長の体調は思わしくなく、ジムは閉鎖することになります。

ケイコのキャラに「愛想がなく不器用な子」と書かれています。本当に笑顔が出ない。でもそれは、障害と関係あるのではないか?コンビニの店員が「ポイントカードは?」と尋ねられると、エコバックを見せるケイコ。道ですれ違い様にぶつかった相手から怒鳴られても、何を言われているか、解らない。写真を撮るカメラマンからの「笑って」の言葉が解らない。そして何より胸が痛かったのは、試合の場面です。セコンドの声が聞けない事。対戦相手に足を踏まれて転倒したのに、ダウンと取られた事。

筆談や手話の場面より、もっともっと、彼女がハンデを負っていると画面が語っているのです。

ケイコの笑顔が見える場面もあります。同じ障害を持つ友人たちとのランチ。いつも彼女に優しいのでしょう、年長の同僚と手話で会話する時。自分と親睦を図ろうとする、弟の彼女の好意を感じる時。彼女を案じる母(中島ひろ子)や弟の気遣いや、ジムの会長やトレーナーの期待。自分は孤独ではないのだと、ケイコ自身も理解しているはずです。

しかし、ボクシングを続けるか葛藤しているケイコに、「悩み事があるなら、話して。話すだけでも気が楽になる」と心配する弟に「話しても何も変わらない」と、手話で返事するケイコ。

解るよ。そうだよ。障害を持ちながらボクシングをしているのは、ケイコ固有の葛藤です。同じ立場の人はいない。私は思春期、複雑で不和の絶えない家庭について、悩みを抱えていました。でも何故か私の周囲には、絵に描いたような平凡で幸せな家庭の子ばかり。誰にも打ち明けませんでした。言っても仕方ないから。「ケイケイは明るくて、悩み事なんかないよね?」と、笑顔で言われた時は、止めの一撃でした。それを言われても、私も自分は孤独ではないと、解かっていました。

人に相談できる悩みは、本当の悩みじゃないんだと、その時強く思いました。本当の悩み事は、自分一人で苦しんで答えを出すものなんだと。ケイコは仏頂面、当時の私は笑顔。両方とも甲冑なんでしょうね。

会長はケイコのボクサーとしての才能を問われて、「才能は無いかな。でもケイコには人としての器量がある」と答えます。その器量は、仏頂面の中、障害に対しての様々な鬱屈を、ケイコが人としての器量の大きさに変えていったのだと思います。障害にばかり目が行き、彼女の器量に目を向ける人は少ないと思います。そんな中、会長を引き合わせたのは、彼女の自尊心の高さと、責任感だと思います。自分の人生、守られる障害者だけで、終わってはいけないと。よく解るよ。私も折角生まれたきたんだもの、幸せになるまで頑張るんだと思っていました。だからグレずに済んだんだもの。

母が撮った試合の録画は、ブレブレでした。戦い流血する娘を、観ていられなかったのでしょう。母の気持ちが伝わり、私は泣けて仕方ありませんでした。何故ボクシングをするのか?障害のストレスからか?と、心を痛めているのでしょう。健常者に生んであげられなかったと、この善き母は、ずっと自分を責めているのだと思います。ケイコはケイコで、障害者以外の自分を、しっかり母に観て貰いたいのです。それがたまたま、ボクシングであっただけです。

岸井ゆきのが素晴らしい!運動神経や動体視力がすごくて、びっくりしました。ボクシングのシーンも様になっていました。売れっ子なのに、いつ練習したんでしょう?台詞がほぼない中、ケイコが何を思い何を考えているのか、「手に取るように」ではなく、見る人に委ねる演技が、とにかく秀逸です。「障害者以外の自分」に、ボクサーを選んだのは、彼女の人生に対しての熱量と、一致したからではないかなぁ。「器量」が大きいんだものね。

もうお爺さんと言っていい役柄の三浦友和がすごくいい!カッコ良くもなく渋くもなく、でもそれこそ、「器量の大きさ」を感じさせる会長でした。奥さん役は仙道敦子。超久しぶりに観ました。綺麗に年齢を重ねて、三浦友和とも実年齢に差があると思いますが、熟年夫婦の穏やかな絆を感じさせて好演でした。三浦誠己は、「母性」のドクズの夫から、誠実で熱意のあるトレーナー役に大変身。いい役者さんです。

ラスト、試合の後日、対戦相手がわざわざケイコを見つけ、「この間はありがとうございました」と、挨拶に駆け寄ります。さっきまで殴り合いをしていた相手と、ゴング終了のあと、お互い肩を抱き合い健闘を称え合うのは、ボクシングの醍醐味の一つと、聞いた事があります。この醍醐味は、私は障害の如何を問わないものだと思います。ケイコはジム閉鎖後、どうするのか?目を潤ませても、決して涙は流さないケイコ。その気の強さは、ボクシングに向いていると思います。

聴覚障碍者に対して理解も深め、かつ秀逸な人間ドラマでした。地味な作品ですが、ずっしりと手応えのある作品です。


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