ケイケイの映画日記
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2023年03月27日(月) 「ロストケア」





打ちのめされました。こんなひりつくような感情を抱くのは、とても久しぶりです。書き出した今もまだ、心が震えています。介護を通じて、「親子」とは何だろう?と、鋭い刃で突き付けられた気持ちです。自分と親、自分と子供との関係を、深く鑑みる作品です。監督は前田哲。

長野県のとある町。早朝、訪問介護を受けていた老人の梅田と、その介護センター所長の団(井上肇)の死体が、梅田宅で見つかります。検事の大友(長澤まさみ)は当初、団が梅田宅の鍵を預かっていた事から、強盗に入り梅田を殺したと推察します。しかし、事件当時の街頭の防犯カメラから、介護センター職員の斯波(松山ケンイチ)が浮上。斯波が勤めるその訪問介護センターが世話している老人の死亡率が異常に高く、彼が働き始めてからの自宅での死者が40人を超えることを突き止めます。粘り強い捜査に、斯波は42人の殺人を自白。斯波は殺人を、「救済であり、最後の介護=ロストケアだ」と、淡々と語ります。

鑑賞前は「羊たちの沈黙」的な、サイコミステリーだと想像していました。実際は誰にでも自分を重ねられる、老境の親との愛情と葛藤を描いた、分厚い人間ドラマでした。

斯波の「心身ともに疲弊しきり、行き止まりになった親子を助けた」と言う持論に対して、「あなたのした事は倫理観に反する。人の尊厳を踏みにじっているだけ」と言う大友の必死の反論は、真っ当な正論なのだけど、心には響きません。事件発覚の前に、如何に親の介護は大変か、斯波が心から利用者と親族のケアをしてきたかを、映していたから尚更です。

28歳からの一年、年子の幼稚園児二人を抱えた私は、癌の母親のキーパーソンでした。あちこちレビューで書いているので、ご存じの方もおられるでしょうが、うちの母親はポンコツで人格障害。自分の親姉妹とは縁を切り、父とも離婚。もう30年以上昔の事です。夫や姑に頭を下げて、家と病院と実家を往復する私に、母は言いたい放題、心が擦り切れる言葉しかかけない。主治医との相談、お金の管理、役所に高額医療の申請と、気の休まる暇はありませんでした。癌が発覚してから一年もあったのに、身辺整理は全く手をつけず、猜疑心いっぱいで、泣くか騒ぐかの母。生前も死後も、私は膨大な諸々の処理に忙殺されました。

もう一度書きますが、幼稚園児が二人います。母に早く死ねとは思いませんでした。でも、一日おきに病院や実家に通っているのに、夜討ち朝駆けで電話をしてきて、私の命が削られるような日々が終わったのだと思うと、母の死は、確かに私には救済でした。55歳で早逝したのは、母なりの娘孝行だったんだなと言う想いは、30年経った今でも変わりません。なので、この作品に出て来た梅田の娘・美恵(戸田菜穂)や洋子(坂井真紀)は、私だったかも知れないと、自分を重ねてしまいます。斯波の殺人を、私は軽々しくは断罪出来ませんでした。

ここまでも息詰まる内容なのに、物語は、更に親子の愛情の深淵を描きます。斯波が手をかけた利用者は41人。なのに、斯波は42人だと言う。彼の軌跡を調べた大友は、斯波が父(柄本明)を介護するため、介護離職していたことを突き止めます。

美恵や洋子らと同じような、壮絶な介護。金銭的にも立ち行かなくなり、思い余って生活保護を申請する斯波。しかし担当者は「働けないのはお父さんで、あなたは働けるのでは?」と、冷たく突き放します。私は「人殺し」は、この担当者だと思う。役所に勤めているのです。生活保護申請は福祉課のはず。なら、介護申請も解るでしょう。どうして、「今は生活保護の対象ではありませんが、一度地域包括センターへご相談になってはどうですか?」とは、言えないのだろう。いくら忙しくても、これを伝えて同じ役所内の窓口番号を案内するまで、1分ぐらいです。

そうすれば、父には訪問看護が入り、ショートステイやデイサービスで預かって貰いながら、斯波は働き、二人の生活は立て直されたはずです。男手一つで息子を育てた父は、今で言うママ友・パパ友も居なかったでしょう。父子家庭は、福祉から滑り落ちてしまいがちなのも、描いています。

斯波の父は、息子が判らなくなる前に、殺してくれと息子に頼んでいました。大友は嘱託殺人なら、情状酌量もあるのに、何故自首しなかったのか?と問います。「バレなかったからですよ」と、冷笑する斯波。変死なのに、上辺だけの検視しかしない。他の41人もそうだったのでしょう。介護の必要な老人は、調べるに値しない命と、世間が言っているのです。

大友の母(藤田弓子)は、娘に迷惑をかけたくないと、自ら施設を探し入所。彼女にも認知の症状が表れ、当惑する大友。再々母の元を訪れる大友は、母の何気ない言葉から、意を決して、既に死刑の決まった斯波に対峙します。

検事の大友ではなく、母一人子一人で育った大友秀美としての、心の底からの吐露に、斯波の心が大きく揺れる。検事と犯人として向かい合った二人は、実は合わせ鏡のような関係だと、二人を二重写しにする画面が語ります。斯波の殺人は救済などでは決してありません。斯波だけではなく、大友にも通じる父親への感情は何か?ここには敢えて書きません。苦労も多い生い立ちだったろう「この子たち」に、背負わせるには、あまりに辛く哀しい感情です。

美恵は法廷で、「お父ちゃんを返せ!」と叫ぶ。誰が観ても疲れ切っていた彼女。それでも、父と娘にしか解らない、親子の歴史があるのです。洋子は斯波の行為を「感謝している」と言い、新たな人生へ一歩踏み出します。その両方の感情を、作り手は寛容し、抱擁していたと思います。その上で斯波の殺人は、救済ではなく、犯罪だとも明言していたと、私は思います。

父も昨年の秋に95歳で亡くなりました。私が穏やかに父の死を迎えられたのは、長年手厚く父をお世話して下さった後妻さんのお蔭だと、改めてこの作品を観て感謝しました。母も憎く思う事は多々ありましたが、一度たりとも、早く死んでしまえとは思いませんでした。そう思わなかったことが、私の救いになっているのだと、この作品を観て痛感しています。病気や老衰で親を見送るのは、実は幸福な事なのですね。

認知症で、時々記憶が曖昧になる大友の母は、膝で泣き崩れる娘の頭を、よしよしと言いながら撫でる。自分が介護されるようになっても、です。娘は、例え病を得た母であっても、心が満たされるのを感じたでしょう。斯波の父親が、やはり認知症で記憶が曖昧な中、ひらがなばかりで綴った息子への手紙も、私は決して忘れません。私も亡くなる前に、必ず息子たち三人に、同じ事を伝えたいから。

観ながら何度も啜り泣きしました。今も書きながら、思い出しては泣いています。厳しい介護の現場、連続殺人を描いて、最後には観客が抱擁され、救済される作品でした。末筆ですが、介護関係の従事者の方々へ、心から激励と感謝を申し上げます。今年一番のお勧め作品です。



2023年03月24日(金) 「茶飲友達」


高齢女性のコールガール組織と言うと、物々しい感じですが、内容は人生の黄昏時の人よりも、若い世代の生き辛さの方が強く感じました。二方哀歓に満ちて描いていて、ところどころ、違うけどなぁとも感じましたが、総じて力作です。若い監督が、本当に頑張って作っているなと、感心しました。外山文治。

風俗業界に身を置いていたマナ(岡本玲)。新聞広告に「茶飲み友達募集」の広告を出し、会員を募集していました。しかし中身は、65歳以上の女性たちを「ティーガールズ」と名付け、コールガールとして、高齢男性の元に派遣していました。若いスタッフと共に、マナは「茶飲友達」で働く人々を「ファミリー」と呼び、本当の家族のようにしたいと願っていました。

冒頭、妻に先立たれた老人(渡辺哲)が登場します。うらぶれたお爺ちゃんが、ティーガールズとの逢瀬で、みるみる若返り、生活に張りが出来たのか、身だしなみが整う。それはガールズも一緒。両親の介護が終わり、虚脱状態の松子(磯西真喜)は、マナに勧められこの仕事を始めて、美しく変貌していきます。

年齢的に男性には、バイアグラのような薬を勧めるのに苦笑いす。あんなの医師の処方なしに、勝手に渡さない方がいいけどね。事故が起きたらどうするかなぁ。出来なくても、男性にとって女性と睦む事は、人生の潤いになっているのが解ります。女性も同じ。年齢的に女性としての性は卒業する年齢ですが、それでも「女性」として扱われ、求められる喜びも、作品からは感じました。

でもね、男性はさておき、女性は松子とパチンコ依存症のカヨ(岬ミレホ)の描き込みは良かったのですが、他の女性たちは、家族がいるのか、今はどんな生活をしているのか、皆無。華やかに、したたかに、お爺ちゃんたちを手玉に取る様子は、若い頃から水商売かな?と思わしますが、その辺はセリフで一言あってもいいかも。そして、老いも若きも女性が身体を売るのは、孤独だからではなく、金銭的な理由が一番じゃないかな?この辺は、作り手と私には見解の相違があるみたいです。

カヨの、嘘はつくわ、泣き落としするわ、何でもするからパチンコのお金頂戴!の様子は、依存症の姿をとても上手く映していたと思います。私はガールでは、彼女の描き方が、リアルで一番心に残りました。彼女の依存症を知りながら、結局は甘い若いスタッフの様子も、依存症の怖さと、本来での「家族」の意味を知らないと感じます。

若いスタッフたちは、家族に恵まれたとは言い難い、行き場のない子もいます。その子たちに居場所を提供し、姉のように振舞うマナも、実母とはいがみあっている。マナは孤独な者たちから信頼を集め、慕われているのが解ります。血縁を超えた、「ファミリー」と言う名の、ユートピアを作りたいマナ。でも、winwinの関係の老女と若者たちの笑顔から、私にずっと付きまとう、居心地の悪さは何だろ?

ティーガールズの中では、松子が主だって描かれます。こういう背景の人は、まず狙われるのは宗教じゃないかな?そう思うと、この「ファミリー」はマナを教祖とした、宗教と同じような仕組みに感じました。売春のお金はお布施、ティーガールズは伝道師、スタッフだちは自分たちを錬金術師だと思っている。

マナは言います。「正しい事だけが幸せではない」と。確かにそれは一理あり。正しい事しか認めない母に厳しく育てられ、その反動で風俗に身を置いたマナ。母は正しい事を貫き、夫も追い詰めて離婚していました。

そののちの展開が、居心地の悪さを教えてくれます。「家族」とは、良くも悪くも一蓮托生、運命共同体です。幸せを掴むには、やはり「正しい」事の上に築いてこそ、揺ぎ無いものになるんじゃないかしら?正しい事に目を背けて築いた「家族」の末路は、悲惨なものでした。

私は血は水よりも濃しも違和感がありますが、疑似家族にも違和感がある。どうして「絆の強い他人」では、ダメなんだろう?血は汚いけれど、険悪の中であっても、一瞬で負を払拭してしまう力があります。他人にそれを求めては、いけない。血族であれ他人であれ、「家族」とは、努力と責任と覚悟で築くものだと思います。マナは実母からの逃避先が、「茶飲友達」と言う家族でした。マナには、責任と覚悟があったでしょうが、他の人は、誰一人覚悟はなかったのでしょう。ある人が、「自分の孤独を、他人で埋めるな!」と、マナを叱責します。一番孤独だったのは、マナだったんだな。

ラスト、マナを訪ねた人は、誰だったのか?どん底のマナの救世主として、この上なき人でした。家族とは、愛情と同義語で語られる事が多いはず。そこに辿り着くまでに、たゆまぬ努力が必要なのだと、改めて感じさせてくれた秀作です。家族は、決して寂しさの逃避先では、ありません。


2023年03月14日(火) 「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」




祝!アカデミー賞最多部門受賞!観たのは先週の土曜日です。賛否両論で、私は多分ダメだろうと予想していました。でもアジア最大の俳優(女優じゃないよ、俳優!)だと個人的に思っているミシェル・ヨーが主演女優賞にノミネートされているので(ジェイミー・リー・カーチスも好きだ)、敬意を表して観にゃけりゃならん。まぁ渋々ですよ。それがあなた、ラスト近くはまさかの大号泣(笑)。個人的には「イニシェリン島の精霊」の方が好きですが、こちらも手放しで絶賛です。監督はオスカー受賞のダニエル・クワン&ダニエル・シャイナート。

中国からアメリカに移住し、夫のウェイモンド(キー・フォイ・クァン)と共に、しがないコインランドリーを経営しているエブリン(ミシェル・ヨー)。善良だけが取り柄の頼りない夫、反抗期の娘ジョイ(ステファニー・スー)に、頑固な老実父=ゴンゴン(ジェームズ・フォン)まで抱え、エブリン自身も所帯やつれの冴えない日々です。今日は税務署の監査員ディアドラ(ジェイミー・リー・カーチス)から、本日中の書類を精査して提出しろと言われ、頭を抱えます。しかし突然ウェイモンドが何かに取り付かれたように、「巨大な悪を退治して、地球を救うのは君だ!」と、語りかけます。それ以降何度も意識が飛び、別世界で様々な姿の自分に出会うのですが、巨大な悪の正体は、何とジョブ・トゥパキと名乗る、ジョイでした!

ねっ、バカバカしいでしょ?(笑)。でも冒頭から10分過ぎたくらいで、テンポの波長が合うのを確認。「これはイケるかも?」の予感。ウェイモンドがウェストポーチをヌンチャクのように巧みに操る姿にオォ!と目を見張り、ガハガハ笑い(そして懐かしい)、これ以降はノンストップでハマりまくりました。クァンってね、眼鏡を外すと、横顔なんてジャッキー・チェンにそっくりなんです。だから、存在自体が香港カンフー映画のオマージュっぽいのね。

マルチバースの世界なので、次から次に矢継ぎ早にエブリンは変身。カンフーマスターだったり、京劇のプリマだったり、凄腕のシェフ、そしてゴージャスな銀幕の大女優。そのそれぞれにバカバカしいけど、ハイテンションの見せ場がたっぷりです。ちょっとお下劣な場面も多々ありましたが、そこはやっぱり香港映画のコメディ、それも一番隆盛だった頃を思い出し、私は楽しかったです。あっ、ちょっと「マトリックス」も入ってたような。

エブリンの七変化を観て、この役はヨーを充て書きしたのかと思った程。マレーシア人のヨーは、香港映画から出発し、ハリウッドにも進出。アクションが出来て、カンフーが出来て、武侠映画の殺陣も出来る。文芸作品、普通のドラマ、ハリウッド大作と、何でも出来ちゃう人なんです。そうだよ、ボンドガールもやったんだよ。あんなに美人なのに、美貌に頼らず常に第一線で活躍し続けている、本当にリスペクトすべき人です。どんな姿のエブリンもチャーミングなのは、ヨーが演じてこそだったと思います。

ハイテンションで大爆発し続けるコメディに、時々覗く夫婦、親子の葛藤が、終盤近くで大爆発。あらゆる「自分」を体験した後のエブリンが、最後に選んだのは、どの自分か?経験したからこそ、見えなかったものが見えて、別の視点が開かれたのよね。これが開眼っていう事かな?

マルチバースで変身中のエブリンに、父は巨悪のジョブ・トゥパキ=ジョイを殺せと言う。多分、古来からの東洋的思考では、親の言う事は絶対で、子供より親を選べと教えられているはず。でもエブリンは、例え巨悪に姿が変わっても、娘は殺さない。親より自分の子供を取ります。ここは当たり前に観ちゃ、いけないところだと思います。生まれた時、「なんだ、女か」と父親を落胆させたエブリン。この落胆は、きっとずっと彼女の人生で、尾を引いた事でしょう。その事を乗り越えた瞬間だと思いました。

まぁこの辺で泣いたわけなんですが、もう一つ落涙したのが、ディアドラが「世の中は私たちのような可愛くない女が回してる」と言うセリフです。ディアドラ=カーチスは、両親ともスター俳優の14光女優。しかし美しいヒロインにも見向きもせず、若かりし頃はホラー映画の絶叫クィーン、その後もジンジャー風味の役柄が多く、可愛い女の役柄は皆無。このセリフの直後、いがみ合っていたディアドラを、エブリンは抱擁します。それは男好みの「可愛い女」とは距離を置き、常にタフな女を演じ続けてきた、ヨーとカーチスが重なり、思い切り泣きました。そんな事を痛感した後だったので、二人のオスカー受賞は、作品賞より嬉しかったです。

観た後で知りましたが、監督のクワンは、撮影時にADHDと診断されたとか。実はエブリンも、設定ではADHDなんだとか。冒頭、膨大な書類を整理出来ぬまま、料理したり、店に出たり、あれもこれも中途半端なのが気になったけど、忙しくて、混乱しているのだと思っていました。この混乱こそ、映画の肝だったのかな?マルチバースの設定ですが、そうではなく、エブリンの整理しきれぬ頭の混乱を表し、エブリンは正しい導きさえあれば、超人的な何者かになれたのでは?と言う見方も出来る気がします。

新聞で読んだ、とある療育センターの所長さんの談話が心に残りました。「幼児期の早い段階で発達障害を見つけ出し、療育機関で学ぶ機会を与えれば、必ず社会に溶け込める。子供が少ない中、障害を持つ子供を手厚く教育するのは、将来の税収アップに繋がる事で、これは国の義務である」と言う内容でした。精神科勤務の時、知的や発達に障害を持った事を知らず、世の中でもみくちゃにされて、精神を病んでしまった患者さんたちを、たくさん見てきた私には、すごく心に響く談話です。

パワー爆発、ハイテンションで繰り広げられるバカバカしい中、このように「多様性」とは何か?も、しっかり盛り込まれた作品です。当然のオスカー受賞だと、私は思っています!


2023年03月06日(月) 「最後まで行く」




最近ね、観たい映画がどんどん狭まる。これも長年映画を観続けている弊害か?ヒーロー物、中身は薄そうな鳴り物入りの大作(当社予測)、感動がウリの作品(気が付けば感動していた、は可)、三時間前後の長い作品、そして小難しそうなアート系等々を除外すると、本当に少ないです。昨日はとにかく面白い作品が観たい!と言う事で、日本版リメイクが公開間近で、リバイバルのこの作品に。めっちゃ面白い!すごい面白い!最高に面白い!気分はアゲアゲ、この作品をチョイスした自分を褒めたいです(笑)。監督はキム・ソンフン。

殺人課の刑事ゴンス(イ・ソンギュン)。今日は母親の葬儀なのに、署内の内部調査が突然始まります。チームでの横領がバレるのを恐れて、葬儀から理由をつけて抜け出します。車を走らせている途中、通行人を跳ねてしまい、あろうことか、被害者は即死。密かに車のトランクに乗せ、遺体は何と母の棺の中に押し込め、偽装工作するゴンス。しかし、翌日出勤してみれば、被害者は殺人犯として指名手配されており、ゴンスのチームが捜査を担当する事に。心臓がバクバクする中、次は「お前は人を跳ねた人殺しだ」と、ゴンスに非通知の電話が入ります。

とにかくノンストップの展開です。途中途中で一息付けるよう、間合いの絶妙な吉本新喜劇的なギャグが入り、笑わせてくれるので、瞬きくらいは充分出来ます(笑)。

交通事故から遺体を母の棺に納めるまでを、一息に見せます。防犯カメラから隠す様子、秘密に遺体を運ぶ様子など、刑事って凄いなぁと、別の意味で感心(笑)。母親の葬儀中に何とバチ当たりな!と怒る隙も与えない程、背徳感も皆無。しかしクールでも全くない。「オンマ、ごめんな。すぐこの遺体は出すから」や、遺体に包まれたスマホの着信音が鳴るや、「オンマ、助けて!」とゴンスが棺に泣きつく様子など、この悪徳警官に情すら湧いてきて、上手い演出だなと思いました。

電話の主は警官のパク(チョ・ジヌン)。パクには裏の顔があり、押収したシャブ横流し、風俗店経営で大儲け、暴力団とも癒着があり、小物悪党のゴンスより、ずっと大悪党でした。

パク演じるチョ・ジヌンなんですが、これがもう、出て来た瞬間すごい存在感。体格が良い長身に似つかわしくないキューピー顔が、不気味そのもの。私は一瞬「マニアック・コップ」を思い出した程。容姿だけで不気味(笑)。モンスター感が半端ではないです。通常のジヌンにモンスター感はなく、この作品ではメイクも濃く意図的なんでしょう。数々演技賞に輝いたそうで、納得でした。

交通事故が他の刑事にバレそうになるゴンスと一緒に、こちらもドキドキ。極悪キューピーは、本当に人でなしで、様々な方法でゴンスを追い詰める。この方法も、鬼畜の連続です。その事で小悪党のゴンスは、真相に近づき、負けてなるもんかと反逆するんですから、人間はやはり善と悪では、善が勝る生き物なのかも?

ストーリーの中に絡める警察への皮肉が満タンです。ゴンスの妹が、亡き母が貸している家で飲食店を開きたいと言う。今住んでいる人が居るじゃないかとゴンスが答えると、「兄さんは警察官だから、出来るでしょう?と言う妹。「警察はギャングじゃないぞ」とゴンスは返答します。パクやこの作品での警察内部はデフォルメしているでしょうが、国民感情としては、不信感が大きいのかも?そこはジャンジャン挿入されています。

他にもゴンスが離婚して娘を引き取っている、夫の失業で実家に戻り、ゴンスに養われている妹夫婦など、特に必要ない設定も、伝統的な韓国の家庭像が崩れているのが、返って世相的にリアルなのかも?と感じました。

この二つが、ノンストップの展開に彩りも添えています。最後の最後まで尻尾まであんこ状態で、「最後まで行く」のタイトルが、本当に意味深に感じました。くれぐれも、草葉の陰でオンマを泣かす事のないように。現在アマプラで絶賛公開中ですので、是非ご覧あれ!



2023年03月05日(日) 「別れる決心」




グズグズしているうちに、観て一週間が経ってしまいました。でもその方が良かったみたい。私にはサスペンスではなく、既婚者同士の「純愛」が、一番心に残る作品だと確信できたので。「恋に落ちて」を彷彿させました。監督はパク・チャヌク。

真面目で温厚な刑事のヘジュン(パク・ヘイル)。山から転落死した男性の捜査に当たっています。男性の妻で中国人ののソレ(タン・ウェイ)が、容疑者として浮かびますが、何度も取り調べをする中、二人には好意以上の気持ちが芽生えます。

実はワタクシ、ポン・ジュノもいいんですが、チャヌクの方が好きです。チャヌクと言うと、暴力描写が激しく、大量出血が売り物と思わていましたが、最近は趣が変わってきています。この作品も凄惨な描写は敢えて映さず、それが返って観客の想像力を掻き立てます。苛烈から情感へ。これが成熟かな?

母方から韓国系の血を引くソレ。その母が彼女が中国から韓国へ「逃げて」きた理由です。一向に出てこないソレの父親。母一人娘一人だったのかも。母の病気を治すのに役立ちたいと看護師になった、と言うソレの話が哀しい。

一方、最年少で警視と成る程優秀なヘジュンは、仕事のストレスから不眠症となっています。張り込みの過酷な様子も描かれます。平日は妻とは別居で週末だけ帰宅するヘジュン。私が違和感を抱いたのは、帰宅中にヘジュンが夕食を用意していた事。妻も要職を得て激務で疲れているしょう。でも子供もいない夫婦、自宅に帰って来た夫には、普段家にいる妻が、夕食を振舞うのが自然だと思いました。

上司が別居婚を危惧することを、一笑に付す妻。曰く、その都度セックスしているから、大丈夫なんだとか。別居婚よりセックスレスの方が離婚率が高いのだと言う。うーん、行為の最中、明後日向いてセックスする夫に、違和感を持たないのかな?この夫婦を観ていると、円満な同居人のように見える。

一方、幾度の逢瀬を繰り返し、そのチャンスがあっても、ヘジュンとソレは、一線を越えません。リップクリームを使っての間接キスや、その他の描写の官能的な事よ。セックスしないのは、二人の間に壁があるから。壁を崩壊させるのは、二人で地獄に落ちるのを理解しているのでしょう。

ソレから離れ、単身赴任から戻った夫に、妻は元気がないのは、田舎町で暴力も殺人もなく、刺激が少ないからだと思っている。夫の心に別の女が居座っているからだと、微塵も思わない。セックスしているから大丈夫だと思い込んでいる。でも、夫婦とはセックスだけじゃないんだよ。相手を見つめなきゃ。

ヘジュンの同僚は、「一人殺すと、後はハードルが下がる」と言います。しかしその理由が、懇願・解放・守護から来たものだと判ると、悪だとは言い切れない哀しさがまとわりつきます。

不明になったソレを探し当てるヘジュン。見つけて貰えた嬉しさに、初めて自分からキスするソレ。あんな濃密に愛情が溢れるキスシーンは、昨今観た記憶がありません。長くたくさん映画を観ていますが、このキスシーンは、肌を重ねるより何十倍も官能的で、美しかったです。

ソレがファム・ファタールであると捉えられがちですが、私はむしろ、ソレに取って、ヘジュンこそが「運命の男」だったと思う。ヘジュンを想い、一人地獄に堕ちようとするするソレ。今では二重三重の鎖に巻かれたソレが、命からがら韓国に着いた時、初めて接する男性がヘジュンだったら?と思わずには、いられませんでした。

タン・ウェイが素晴らしい!彼女のようにタヌキ顔の美貌は、愛らしさが先に立つので、なかなか今作のように妖艶さは出難いのですが、年齢が味方をしたのでしょう。妖艶さの中に、純粋な感情を見え隠れさせて、ソレを忘れ難いヒロイン像にしています。旦那さんが韓国人だそうで、今後韓国映画にも、たくさん出演して欲しいです。

パク・ヘイルも充分中年男性なんですが、私は「殺人の追憶」での、中性的な容疑者が今でも脳裏に深く、大人になったなぁと感心。ソレに振り回されているようで、その実、彼女の人生を狂わせたのは、私はヘジュンだと思います。

サスペンス部分も、トリックも目新しく、澱みがありません。スマホを使っての翻訳は、ソレの中国語を「あなたの心臓が欲しい」と訳しますが、正しくは「あなたの心が欲しい」でした。心臓が欲しいなら殺人ですが、心なら、欲しいのは愛情です。このシーンが忘れられません。男女はこのように、言葉の意味を正しく噛み締める必要があるのだと思います。




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