ケイケイの映画日記
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2019年09月29日(日) 「宮本から君へ」




主演の池松君のファンな事、一週間くらい夢中だったコミック「おかめ日和」の作者、入江喜和の御主人・新井英樹が原作者だったので、早速見てきました。新井氏は「愛しのアイリーン」の原作者でもあり、作品はR15。また濃厚で熱いのだろうな、でも池松壮亮って、体温低そうだけどなぁ、とか思いながらの鑑賞前。熱いと言うより、暑苦しい(笑)。熱いのは比較的得意な私も、わ〜堪忍して下さい!的雰囲気が充満。疲れ果て体力も残り少なくなってきた終盤、形勢逆転。ラストはしっかり涙した作品です。監督は真利子哲也。

不器用で熱血漢の文具メーカー社員の宮本(池松壮亮)。会社の先輩の仕事仲間で、年上の靖子(蒼井優)と付き合っています。しかし、取引先の会社の部長馬淵(ピエール瀧)の息子琢馬(一ノ瀬ワタル)が絡み、宮本は男としてのけじめをつけようと決心します。

テレビ版と同じキャストだそう。私は原作も未読で、まっさらで臨みました。冒頭血だらけの宮本。歯も折れています。喧嘩で相手を入院させ、上司にお説教を食らうも、相手は訴えません。ここで相手が悪いのだとわかる。以降過去と現在を行ったり来たりしますが、そこは上手く処理して時間の迷子にはなりません。

結婚の報告を二方の両親にしに行く宮本と靖子。両方とも一見歓迎しているようで、父と母で微妙な温度差がある。宮本の母は、靖子の妊娠に気付き、それまで付き合っている事も、結婚の挨拶である事も事前に知らされず、戸惑い憤っているのを隠している。まぁ心配ですよ。責任取っての結婚かと、普通は思いますから。でも私も息子三人ですけど、男性から責任取るから結婚しようは女性として嫌ですが、母親観点からは、責任取らずに逃げたら勘当です。

靖子の方も、靖子の母や責任取っての結婚か?娘は愛されての結婚なのか?と危惧しますが、宮本の「靖子さんを愛しています!絶対一生幸せにします!」宣言で、安心して涙。しかし父は信用して東京に行かせたのに、デキ婚である事を苦々しく思っていると、靖子に告げます。

それでも両方とも、宮本や靖子に当たることもなく良識のある、いいご両親だと思いました。子供の性で親にも微妙に感じ方が異なり、この描写は私も年頃の子供を持つ親なので、とても理解出来ます。ところで、「おかめ日和」でも、ヒロインの名前は靖子。夫となる岳太郎の親への挨拶は「靖子さんを誰より愛しています。必ず幸せにします」でした。夫婦仲が良い事で(笑)。今は何て言うのかしら?結婚している長男には、恥ずかしくて聞けないわ。娘なら聞けるよなー。因みに私の時は「一生大切にして、幸せにするので、僕についてきて下さい」でした。私の大幅な頑張りにより、半生は幸せです。

靖子には腐れ縁の恋人祐二(井浦新)がいましたが、鉢合わせ時、宮本の「俺が守る!」宣言にて退散。二人は結ばれます。靖子の恋愛は辛いもんだったんでしょう。「守る」の言葉に、すがりつきたかった女心はよく解る。若いけど古風な男女感を二人が持っているのがわかります。

でも濡れ場の演出がなー。ここもR15の由縁でしょうが、何と言うか、体臭が感じられる演出。これが良いと思う人もあるでしょうが、私は濡れ場に体臭を感じるとダメなの。好感度の高い二人が演じても、汚く感じてしまってアウト。あんなに痴態を繰り広げた「火口のふたり」には、それがありませんでした。映画との相性だな。この辺は見る人によるでしょう。

それと取引先の宴会に、二人が連れて行かれるシーンも生理的にダメ。一気飲みだのセクハラ発言だの、俺のいう事が聞けないのか!、あるいは大声でのバカ話等、体育会系脳みそ筋肉系は、お願いです許して下さいと思うくらい、昔から大嫌い。如才なく対応する靖子に尊敬すら感じました。私も夫が若かりし頃、とある格闘技をしていて、嫁さん連れて来い!と言うことで、何回か参加。今思えば新婚の妻に、その手の冷やかしもなく、タメ口もなく敬語も使って頂き、悪い人たちじゃありませんでした。でも夫が肴にされていて、居心地の悪さはマックス。ずっと引きつった笑顔で、とにかく早く帰りたかったもんです。

今となっては面白い記憶ですが、しかし何なのこの原作者夫婦?(笑)。私の想い出のツボばっかり突いてくるなー。年代は近いみたいで、この古い世界感は、昔を思い出す人も多いかも。

それでも柄本時生演じる同僚が、恋人のいる宮本に、「専用便所が出来ていいな」と言うのな。何なんだこの台詞!必要なのか?原作にあっても、削除すりゃいいだろうが!と、腹立たしい。この作品合わないわーと、半分捨てていました。

そして冒頭に繫がる事件が。イングランドに勝って、現在日本中ラグビーで湧いているのに、こんなクズ、カス、下衆な、ラガーマン出して良いの?悩みながらでも、よくこれで二人は別れなかったと思う。この重すぎる展開を救ったのが、暑苦しい語り口でした。

あの巨漢に無手勝流で臨むなんて、バカ過ぎる宮本。そこに男としてのプライドや、靖子への詫びや愛を感じて、フリーズしていた私の頭も心も溶けていきました。ラストの大立ち回りは痛快でした。あの手の輩は、あの制裁が一番いいのよ。法律で決めて欲しいくらいだわ。よくやった、宮本!

池松くんは、原作大好きなんだそう。意外でした。怒鳴ってばっかりで、竹中直人が憑依したのかと思いました(笑)。私はもごもご喋る彼が好きなんですが、まぁ新境地と言う事で。優ちゃんも怒鳴りまくり怒りまくり。怒った顔がますます白石加代子に似てました(笑)。靖子のキャラは、正直苦手。お腹の子供の父親がどちらか分からないなど、だらしない女は嫌いです。私のような女を引き受けるには、元彼から金を借りるのも受け入れろなんて、どこのメンヘラ?祐二のキャラは面白い。靖子を挟んで、宮本にエールを送り、シンパシーを感じているのがわかる。クズなりに悪い人ではないのよね。

うちの息子たちも、これくらい熱量もてる相手と結婚すれば幸せだなと、最後にはそう思いました。原作では熱量どおり、6男4女の家庭を築いたのだとか。見ていて体力を消耗するので、先に御飯食べてから、見て下さい。


2019年09月26日(木) コミック「おかめ日和」から考察する夫婦のあり方




忙しい忙しいと言いつつ、スマホでも読めるので、ここ二年ほど電子コミックにも嵌っています。一番最初に嵌ったのが「とりかえ・ばや」(王朝絵巻とドストライクの帝に捕まる)で、以降無料を中心に読んでいますが、初めて大人買いしたのが、この作品。最初無料版三巻まで読み、主人公靖子の夫・岳太郎(たけたろう)のキャラの面白さを愛でていたら、何と「モラハラ夫だ!」と、あちこちのレヴューで糾弾されておる。は???検索してみれば、二年前くらい、その件で大炎上したのだとか。しかし読み勧めるうち、私の37年間の妻稼業が大きく照らされた心地になり、コメディ仕立ての作品ながら、最後は号泣するはめに。この気持ち、忘れないために、今回特別にレビューです。原作は入江喜和。

17巻まであるので、取り合えずウィキで
あらすじを。
この説明、イマイチなんだけどね。

岳太郎がモラハラじゃない確たる説を立証しようと読み進めると、モラハラどころか、前妻響子相手にDV(笑)。4巻では、現妻靖子に平手打ち。だめじゃん!岳太郎!響子の時は当時27歳くらいですね。最初の数巻は、太めで料理上手で、人柄良し。未だ夫にベタ惚れの主婦靖子が、短気で癇癪持ち、融通が利かず人嫌い。取り柄は頭脳と顔だけみたいな(でもお年寄りに優しく根は善人)夫を立てて、三人の可愛い子供たちとの日常を描くホームドラマでした。それが二人の馴れ初めを描く談に連れ、コメディで笑わせはするものに、段々ディープに。お話は途中から過去に戻り、二人の馴れ初めを中心に描かれ、今が挿入されていきます。

岳太郎は、響子より四歳年下。生い立ちに苦労があり、妻には母も姉も友人も、そして妻もと全部望んでいます(響子談)。対する前妻響子は美人で才媛なれど、家事一切が全くダメ。天然気質で人柄は良いのですが、作家としてこうなり名を遂げたい野心があります。姉さん女房の彼女ですが、性格に難ありの岳太郎は、響子の手にあまり、流産をきっかけに、妻から離婚を告げられます。

のちに靖子への手紙で、離婚して初めて、自分も包容力のある人を欲していたのだと、暗に岳太郎への侘びを認めた響子。そうなんだよね、結婚は愛されたい者同士じゃ、上手く行かない。うちの両親がこれで、当然離婚しています。愛されたい×愛したいがベストなのだと思います。でも自分がどちらかなのか、結婚して初めてわかるのよ。

私も複雑な家庭に育ち、8歳上の夫には、当然幸せにして貰える、愛して欲しいと願い結婚しました。夫ももちろん、そのつもりだったでしょう。それが新婚すぐに夢破れ(笑)。しかしすぐに子供に恵まれ、年子の男子を育てているうちに、私にこんなに母性があったのか、この根性は何ですか?と言うくらい、人間的に成長した私は(これ、母親あるある)、当初の目論見が逆転。私愛する方、夫愛される方で、今に至ります。しかーし!普通は愛される方が優位に立つみたいでしょ?これが愛する方が優位なんだな。男女間では、愛されると言うのは、意外と脆弱なもんだと言うのが、私の意見です。それが親子の愛情との違いでしょうか?これを愛される側が理解していると、夫婦も長続きするのじゃないかしら?

靖子は小学生の時、家庭教師に来た岳太郎に一目惚れ。以来大願成就の結婚まで実に15年間、岳太郎を一途に「大好き」でした。その間空白もありーの、響子との結婚離婚もありーの、DVや大暴れするのをライブで目撃したり、岳太郎が自暴自棄の時にぼこられて、瀕死の時に看病したり、何度も無様な恰好を見ています。当初は元教え子と言う以外、靖子に興味がなかった岳太郎も、次第に彼女が気になりだしますが、五年間は膠着状態。靖子は悶々としながらも、「大好き」なまま。まー、これはもう一種の才能だわね(笑)。

でも、この無様な岳太郎を見つめた靖子の15年があるから、現在夫婦円満なのかと思います。短い年月じゃ、絶対この男は理解出来ません。岳太郎は自分でも欠陥人間と言う通りの人で、コミュ障なれど、モラハラ亭主ではないと思います。だって外でも同じだもの(笑)。決して妻子を支配したいわけじゃない。自分の意見を通したいだけです。それに私見では、目くじら立てるほどの事、言ってないしね。この辺は読む人の年代で違うでしょうが。

欠陥人間なれど、心根は優しく噓は絶対つかない。靖子は目に見えない彼の良さを知っています。岳太郎が自分の気持ちに噓をつくのは、結婚までの五年間の靖子への愛情だけでした。自分は10歳年上のバツイチ、現在薄給の雇われ鍼灸師である身。幸せにする自信もない。ましてや相手は美人ではないけど、ぽっちゃり可愛い癒し系。人柄の良さは折り紙つきで、良き家庭で燦燦と愛情を注がれた、小さな箱入り娘です。エベレスト並みの敷居の高さに、どの面下げて靖子の愛を受け入れる事が出来ようかと、心の底に彼女への思いを秘める。

今の観点からじゃ、岳太郎・アスペルガー説も出るでしょうが、私はこの点や、育った家庭での自制ぶりなど、それは当てはまらないと思いました。

それが、靖子が他の男性とデートしているのを目撃。岳太郎、嫉妬で自制心崩壊(笑)。この俗物ぶり、すごく良かった。当時はなんやかやで、岳太郎何度目かの絶望期(人生絶望にまみれた男)。年が行った分、今回は打撃が大きく、自分の菩薩・靖子に「俺を幸せにしてくれ」と、やっと心の底からの告白。男女ってね、年齢が離れていても、どちらが包容力があるかは、関係ないわけ(身に染みています)。

あちこちで癇癪起こしまくり、器が小さいと言われる岳太郎。でも男女で言うと、男性の方が器が小さくないですか?容量は女の方が大きいと思うな。うちの息子たちも、ひそひそと自分の父親を「器が小さい」と話していますが、喧しいわ、お前らだって充分小さいよと思いますもん。

でもね、思うのですが、器の形が違うのではないかと。尖っていたり、一箇所だけ深かったり大きかったり。それが「腐っても鯛」と男性が比喩される由縁かと思うのですが(可哀想な比喩でごめんよ)。靖子との結婚への幾多のハードルを蹴散らす岳太郎を見て、そう思いました。

夫婦物なので、夫婦の営みも出てきます。ネットやコミックでは、夫婦のセックスレス記事がわんさかで、お陰様でその経験のない私は、本当かな?と少々びっくりです。この作品でも、氷河期(靖子談)を経て、狭い住宅事情のため、営みの機会を作るのに悪戦苦闘の夫婦の姿が描かれ、私も覚えがあるので、もうクスクス。その中で疲れてしまった岳太郎が、妻に上半身だけ裸になってもらい、豊かな胸に抱いてもらって眠るシーンが、一番印象的でした。靖子もそれで大満足。妻がセックスレスで悩むのは、単に性欲ではなく、スキンシップを望んでいるのだと思います。肌の触れ合いで、心は満たされるものです。

時々、中年夫婦がお互いセフレを持ちながら、家庭存続のため離婚はせず、自分たちは新しく上等な夫婦だと勘違いしたような記事を読むと、私は心の底から「死んでしまえ」と思っちゃう(大暴言)。連れ合いが他の相手とセックスしても平気なら、私は夫婦でいる意味はないと思います。

私が物凄く感じ入ったのは、岳太郎の異母兄弟の明ちゃん(大好きなキャラ!)登場で、継母や異母兄弟に気を使って我慢していたため、弟たちの岳太郎の印象は、「いつも穏やかで優しく、スラっとしていて美形の自慢の兄」。詐欺です(笑)。そして明に「兄ちゃん、今怒っているの、私にだよね(LGBTです)。兄ちゃんがいつも何かに我慢しているのは、判っていた。でもそれを隠して妻子に当たるのは、お父ちゃんみたいだ」と、指摘されます。もう目から鱗でした。

実はね、私の夫がこれなのです。亡くなった舅は、岳太郎のバージョンアップだったそうで、義兄も気質が似ています。私から言わせれば、夫も同じ気性なのですが、多分押さえ込んでいたのだと思います。だって三人もこんなのがいたら、大変でしょう?なので姑や義妹二人からは「優しくスラッとして自慢の息子・兄」だったようです。

それが結婚するや否や暴君ネロ。うちの夫こそモラハラ亭主です。この明の言葉でハッとしました。夫は自分の育った環境から、妻とは自分を曝け出して、受け入れて貰えるものだと、無自覚に認識していたのだと思います(大迷惑な学習)。それがわからない私は、何故夫は自分の実家と私では違うのか?。厳しい事ばかり言われ、どんなに可愛がって貰えるだろうと結婚した、8歳年下の新妻である私には、皆目わかりません。気に入らずに食卓テーブル(ちゃぶ台にあらず)をひっくり返したと、泣きながら姑に話せば、「あの子はそんな事をする子じゃないのに」と言われ、それじゃ私が悪いのか?何が悪いかも判らず、落ち込み絶望する日々でした。

この時期の事は今でも私は執念深く怨みに思っており、何年かにいっぺんは蒸し返し、その度に夫は謝るのですが、「何時まで言われるんや」と切れ気味に言われると、「お墓に入っても言うわ!」と答えていました。息子たちにも、「お父さんは実家が一番で、お母さんとあんたらは、その次や」と言う始末。我ながら情けなや。でもそれぐらい辛い記憶で、夫に「そうじゃない、お前たちが一番大事」と言われても、今の今までこの気持ちは、心の奥底で拭えないものでした。

これを機に、きっぱり夫の言葉を信じるとします。夫は感受性薄く、記憶も本当に薄い。それを茶化すと「あほ〜。アンタみたいに何でも敏感に感じて、記憶も良かったら、俺なんか今生きてられへんわ」と言う言葉の重さが、ようやくわかりました。この気持ちは、夫には言わないでおきます。夫が私に語る育った家庭は、とても素晴らしい良き家庭です。その側面も勿論あり、夫の記憶のままで、良いと思うから。

そして絶望から私を不死鳥のように救ったのは(笑)、やはり子供の誕生です。岳太郎も、三子誕生からだいぶ穏やかになり、結果腕は良いけど閑古鳥だった診療所は毎日千客万来に。うちも思わぬ三男の妊娠に、年長の主婦仲間が口々に「心配しな。子供は自分の食い扶持持って生まれるから」と励まされたもんです。まー、夫も穏やかになったし、暮らしも何とかなったしね。なので私は、結婚生活中の予定外の妊娠は、産むほうを勧めます。

最終巻、長男の社会の宿題で、お父さんが幸せを感じるのはいつ?と聞かれて「お父さんは、いつも幸せだ」と、答える岳太郎。幸せになりたくて靖子と一緒になり、幸せになったんですね。12巻の終わりの「俺を幸せにしてくれ」と繫がりました。靖子、お約束の号泣。私も泣きました。男子たるもの、恥ずかしくて言えるはずもなかった言葉、岳太郎も成長したものです。

コミックとしての総括は、作者がどうしても書きたかった馴れ染め編が、やはり一番感情を揺さぶられます。不器用な者同士の恋愛としても、一人の男の再生としても読み応え充分。子供たちが可愛く、長い年月でちゃんと成長も見せてもらえて嬉しかったです。サブキャラ全部、描き方もよく存在感があったのも良し。特に二人の父親が母親より色濃く描いており、その辺も珍しかったし、良かったです。難を言えば、現在の靖子をもうちょっと小奇麗に描いて欲しいです。あれではあまりと言えばあまり。同性として許せない(笑)。それと、岳太郎の良き継母、操も、もう少し描いて欲しかった。先妻の子への分け隔てない愛情は、素晴らしい事ですから。

ドラマ化して欲しいけど、あんまり時代に合ってないからダメでしょうね。岳太郎は高橋一生、馴れ初め編は富田望生ちゃんがいいなぁ。

私が今一番幸せと感じるのは、おやつを半分こして、夫と分け合うとき(太るので)。「こっち大きいから」と、お互い言い合って渡しています。先日私が「夫婦でこうやって昼下がり、おやつ分け合って」の次、「幸せや」と言おうと思うと(好きだ、愛している、幸せだ、は常に安売りして言っている)、先に夫が、「幸せや」と言いました。すごく嬉しかった。私も靖子のように泣けば良かったわ(笑)。これを読んでくださっている皆さんも、自分が今一番幸せな時はどんな時か?思い巡らせて下さいね。






2019年09月15日(日) 「火口のふたり」




すごく良かった、素晴らしい!観る前はもっとドロドロしたお話だと思っていましたが、良い意味で裏切られました。肌の合う男女の性を通じて、普遍的な男女の情愛を描いた秀作。監督・脚本は荒井晴彦。今回ネタバレです。

東京に住む賢治(柄本祐)は、故郷秋田の父親から、従妹の直子(瀧内公美)の結婚式があるので、帰って来いと連絡があります。実は数年前、二人は男女の関係でした。久しぶりに会う賢治に、直子は「今日一日だけ、あの日に戻ってみない?」と、賢治を誘います。

冒頭は、以前関係があった男女とは、微塵も感じさせない、仲の良い従兄妹同士の二人が描かれます。取り留めなく、遠慮のない会話は、以降ずっと続きます。何気ない会話から、次第に二人の過去の様子、当時や今の心模様が浮かぶ描き方が秀逸です。

直子が母を子供の頃に亡くしたため、普通の従兄妹より距離が近かった二人。
東京に就職した賢治を追って、直子も東京の保育士専門学校に通います。

若かりし頃の二年くらいでしょうか?きっと濃密な関係だったと思います。「私の体のこと、思い出さなかった?」と聞く直子に、「ない」と答える賢治ですが、後々の展開を鑑みると、これは真っ赤な噓。自分の傍に来ない賢治に、おいでと言う代わりに、ソファを叩きまくる直子。あー、気持ちがわかるなぁ。賢治が意気地なしに思えたのでしょう。たくさんセックスシーンは出てきますが、直子は終始とても攻撃的でした。「抱かれる」という感じはせず、対等でした。

直子を「怖れて」いたはずの賢治。一度関係が復活すると、箍が外れてしまい、結婚式までの五日間、二人は昔に戻って暮らします。セックスシーンのあれこれですが、煽情的な描き方もあれば、ユーモラスだったり不恰好なもの、果ては変態的なものまで多種多様。これはリアルでした。だってAVみたいな事ばっかり、やってませんて。同じ相手と始終セックスしていて、いつも同じなんて事、ないもん。あれこれやるから、続くんですよ。思わずこのシチュエーションは、身に覚えがあるなぁと思ったり。いやいや、バスと路地裏の事ではございません(笑)。

と言うか、あれこれやれる相手だから、続くとも言える。例えば変態的な行為も、片方が望んでも片方が嫌なら出来ない。私は変態には寛容で、その人たちが良ければ、警察に捕まる行為、暴力的な行為以外は、何でもいいと思っています。あー、でもうっかり見せられたら、迷惑ですね。男女の肌が合うというのは、単に快感だけじゃないんだなぁと目から鱗でした。そして「あれこれする」には、信頼関係が絶対です。


じゃあ、この二人は、セックスだけの結びつきなのか?と言うと、然に非ず。
直子が酷い下痢になった時、賢治は甲斐甲斐しく看病します。「北野さん(婚約者)には、看病して貰えない。恥ずかしいから。」あー、これも凄くわかる。私も下痢になって看病して貰える男性は、夫だけです(息子は別枠)。結婚していたって、これは当分は難しいよ。恥ずかしくって言えません。このシーンを観た時、私には改めて夫は特別な「男性」なのだと感じました。普段は夫なのか子供なのか、もうわからないもん。

年季の入った夫婦でもないのに、そんな事が言えるのは、直子はその理由を、従兄妹だから解り合えるのだと言います。そうなのか?そうなんでしょう。でも、その従兄妹だという事が、二人の間に深くて暗い影を落としている。

直子は賢治に「捨てられた」と言い、賢治は「そうじゃない」と強く反論します。恋愛の先には結婚がある。その先には子供。二人はお互いに溺れながら、血が濃い事に対して、子供を得る事に強く不安があったのでしょう。最初結ばれた時から、何時かは直子との関係は終るのだと思っていたと吐露する賢治。その辛い思いこそ、彼も直子を愛していた証拠ではないかしら?

他の女性と関係を持った時、死ぬんだと直子を呼び出した賢治。その事を感じ取り、就職先が決まっていたのに、秋田に帰った直子。その女性とデキ婚したものの、浮気であっさり離婚した賢治。彼は絶倫でも浮気者でもないです。直子より愛せる女性、直子より肌の合う女性を求めて、直子を忘れたかったんじゃないかなぁ。誰よりも直子を愛して、誰より直子が怖かった賢治。彼は直子から逃げたのでしょう。賢治は離婚以降、セックスしていませんでした。

直子は故郷に帰ってすぐは、誰彼なしに寝ていたと言う。賢治と同じ理由でしょう。それが同僚の紹介で結婚しようと思ったのは、子供を産みたかったから。この二人、子供がキーワードなんですね。直子が賢治と違うのは、賢治が怖かったのではなく、あきらめだと思います。

離婚後、たまにアルバイトするくらいで、四年間隠遁生活をしている賢治。預貯金はあると言っているので(養育費も送っているでしょう)、それなりに良いお給料があったのでしょう。そして直子も、折角の資格を無駄にして、今は契約社員で事務をしています。別れた事で、人生が狂ってしまったんだな。

鑑賞前は、身体の相性が良いため、別れられない男女を描いていると思っていました。しかしセックスだけではなく、会話や食事、睡眠や病気。全ての様子から、私が痛感したのは、別ち難い男女の強い愛情です。セックスはその愛情表現の一つであるだけ。愛があるから、誰より良いのだと思います。

このまま切ない思いを抱いて、二人はどうなるのだろうと、センチメンタルな気持ちでいると、あっと驚く大逆転。婚約者が自衛隊のエリートであるというのが、こういう風に使われるなんて。ラストの賢治の「中出ししていい?」と言う台詞、もう泣けて(実話)。劇中初めての男らしさでした。まさかこの形でハッピーエンドに終るとは、想像できませんでした。

出てくるのは、この二人だけ。出ずっぱりで大変だったでしょうけど、ユーモアがあり健康的にさえ感じたのは、二人が若かったせいだけではないです。全裸で頑張って好演したんだもん、是非賞取りレースに参戦させてあげたいです。

私が一番好きなシーンは、バスタブに浸かった二人のシーン。後ろから賢治に抱きすくめられていた直子は、どのセックスシーンよりも、賢治に「抱かれて」いたと思います。身体を通じて、直子は心を抱かれていたのでしょう。セックスをテーマにする凡百の作品群とは、一味も二味も違う、濃密で爽快な作品でした。賢治も直子も、幸せになってね。







2019年09月09日(月) 「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」




とっても楽しかった!二人の架空の俳優とスタントマンを狂言回しに、60年代末期のハリウッド事情を描いた作品。私は1961年生まれで、この作品の背景は覚えている事も多く、すごく懐かしく思いました。監督はクエンティン・タランティーノ。

かつてはヒットドラマの主演もあった、スター俳優のリック・ダルトン(レオナルド・ディカプリオ)。今は落ち目で、悪役ばかりやらされています。専属スタントマンのクリス(ブラッド・ピット)は、お陰で本業ではなく、現在はリックの付き人のよう。焦燥感いっぱいのリックの家の隣には、将来を嘱望される新進監督のロマン・ポランスキーとシャロン・テート(マーゴット・ロビー)のカップルが引っ越してきます。

主演二人はフィクションですが、他は実名やら実際の事柄をあちこち散らばめに、有名な惨劇、シャロン・テート事件へと繋げていきます。

落ち目のリックは、「映画出演で失敗した」と言う。この時代、テレビドラマがに隆盛となり、映画は徐々に斜陽へと傾きかけるのですが、まだまだ俳優の格は映画が上。テレビの人気を足がかりに、映画へと向かう俳優は多かったですが、成功は難しかったようです。今はほぼ同格みたいですが。

私が子供の頃は、アメリカのドラマがいっぱい放送されていて、「ローハイド」でイーストウッドを見た記憶があるんですが、これは多分再放送。「ハワイアン・アイ」とか「サンセット77」も記憶にあるけど、これも多分再放送。作中出てくる「FBI」も観ていました。私が大好きだった「奥様は魔女」と「かわいい魔女ジニー」がブッチされたのは、タラの好みじゃなかったのか。でも一番愛してた「ナポレオン・ソロ」が出てきたので、良しとしよう。テレビ版のアダム・ウェストの「バットマン」も観てました!

と言う訳で、台詞を聞いているだけで、気分が高揚してしまった(笑)。落ち目の自分を卑下するリックは、アル・パチーノ演じる大物プロデューサーに現実を突きつけれては号泣し、プロ意識の高い子役を前にまた泣いて慰められ、前夜の深酒で台詞をとちって、恥ずかしさのあまりトレーラーで独り逆ギレと、未熟さの塊。しかしひとたび気合を入れて演技をすると、凄まじい程の好演です。このギャップを観ていると、未熟さや女々しさも含めて、丸ごと愛したくなります。これがスターって事かしら?

クリスは女房殺しの嫌疑をかけられたいわく付きの男。でもリックは全幅の信頼を寄せています。クリスもボスとしてリックに尽くしている。専属のスタントがいるのは知っていましたが、仕事がなくなりゃ、コンビ解消と思っていました。ここは義理人情が好きなタラならではの造形かな?喧嘩を売ったブルース・リーに、スタントにしては顔が良いと言われていたので、容姿で俳優になり損ねた人が、スタントに回った事例もあったのでしょう。

このブルース・リーね、もうそっくりだったのー。この頃は「燃えろドラゴン」じゃなく、「グリーン・ホーネット」に出演。助手の日本人カトウ役で、ブレイク以前です。コニーと言われていたのは、こにー・スティーブンスかな?この人は記憶にないので、わからない。でも一番感動するくらい似ていたのは、ダミアン・ルイス演じるスティーブ・マクィーン!激似なのに、本家より15%減に感じるのが、また良かった。これは本家さんへの敬意だと思います。

リックは結局、主役が出来てお金にもなるしと、イタリアに渡りマカロニ・ウェスタンで主役を演じる事に。イーストウッドやリー・ヴァン・クリーフがそうでしたが、これは当時の象徴的出来事として描かれたのでしょう。ハリウッドでは、三下映画のの扱いで、これでハリウッド復権は望めないと、リックは理解しています。

他にも小ネタがいっぱいでね、シャロンが「テス」の初版版を夫にプレゼントしますが、これはのちにポランスキーが映画化。マンソンのコミューンに暮らしている未成年の少女が、クリスを誘惑しますが、「俺は今まで逮捕の網を潜り抜けてきた。今更そんな事で逮捕はごめんだ」と言います。これって、ポランスキーが未成年と淫行に及んで、ヨーロッパに逃げた事を連想しました。あれも当時ジャック・ニコルソンとアンジェリカ・ヒューストンが同棲していて、その屋敷のパーティーで起こった事なんだよなーと、もう映画の引き出しの数珠繋ぎ(笑)。

他にもチョイ役で、カート・ラッセル、ブルース・ダーン、ダコタ・ファニング、マイケル・マドセン、レナ・ダナムなど、豪華絢爛。シャロン邸に赤ちゃん連れで遊びにくるのは、ブルース・ウィリスとデミ・ムーアの娘だったと思う。三人とも似ているので、どの子かはわかんない。マンソンの一味で、逃げ出してしまう子は、確かイーサン・ホークとタラのミューズ、ユマ・サーマンの娘マヤ・ホークでした。

フィクションの二人に、ハリウッドの裏側の哀歓を演じさせるのに対して、ロビー演じるシャロン・テイトは実在人物。この事件を知らない人は、調べてから観た方が解りやすいかな?とても愛らしくロビーが演じています。自分の出演作(「サイレンサー破壊舞台」)をこっそり観に来て、観客の反応が上々なのをとても喜んでいる場面が初々しく、こっちはのちのちを知っているので、切なくなります。

この作品のポランスキーの描き方に、今の妻のエマニエル・セニエがお怒りだとか。ほとんど出演してないんだけどな(笑)。「12歳に見える才気溢れる小男」と言われてますが、私は絶妙な表現だと思うけどな。取り合えず、シャロンに対しては、最大限敬意を払っていると思いました。ここもポイント高し。フィクションとノンフィクションの融合も上手く噛み合って、愛すべきハリウッドの寓話になっていると思います。

二人の関係は、「兄弟以上、妻未満」と表現されます。何て深い結びつきなんでしょう。この二人の本当の終焉は、コンビ解消ではなく、シャロンの家に招かれた事だと暗示するラスト。これは古き良き時代の残骸を引きずっていたハリウッドが、新しいシステムに移行するのも、暗示していたのかなぁと感じました。

いっぱい懐かしく、いっぱい笑い、やっぱり私はハリウッドが好きなんだなぁと痛感した161分です。長くてお腹満腹ですが、中身は濃くないので胸焼けはしません。


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