ケイケイの映画日記
目次過去未来


2018年04月30日(月) 「君の名前で僕を呼んで」




いや〜、良かったわ〜。私はBLに興味はないけど、さりとて同性愛に嫌悪感もなく、素敵な恋愛映画ならば、何でもウェルカムです。甘酸っぱく、ほろ苦く、美しいひと夏の「初恋」を描いた秀作。監督はルカ・グァダニーノ。

1983年の夏。毎年夏は両親と共に、北イタリアの田舎町で過ごす17歳のエリオ(ティモシー・シャラメ)。大学教授の父(マイケル・スタールバーグ)は、毎年インターンとして大学院生を招いていて、今年はアメリカ人のオリヴァー(アーミー・ハマー)がやってきます。最初自信家のオリヴァーに嫌悪感を見せるエリオですが、やがてその気持ちは変貌していきます。

前半は丹念に、エリオの環境と性格を描いていきます。エリオの母はイタリア系で、劇中英語・イタリア語・フランス語と入り乱れ、友人たちも様々な国の人々。インテリジェンスと教養溢れるエリオの両親ですが、厳格さはなく、大らかで寛容、食物の恵みを大切にする様子、使用人への親しみのある優しさなど、エリオは恵まれた環境にいるのがわかります。

最初、何事にも自信に満ちたオリヴァーへの嫌悪を口にするエリオですが、あれは同性への慕情を自制する心が、言わせるのでしょう。それはオリヴァーとて同じ事で、お互の心を試すような様子がじれったい。でも、そのじれったさは、私を遠い昔に連れて行ってくれるんだなぁ。

二人が愛情を確かめ合った後の描き方が、叙情的で甘美で、もう素晴らしい!特筆すべきは、官能的なのに、瑞々しさと清潔観があること。特にキスシーンが素晴らしい!私は即物的な濡れ場は、どんな組み合わせもあまり好きではないのですが、その点もこの作品は、キスシーンと抱擁中心に描いてあって、私的にとても気に入りました。

普遍的なひと夏の恋を、少年と若い男性で描いた秀作だと思っていたら、現代的な味付けを、ラスト近くで父に語らせます。自分らしく、正直に生きる事。それには、今も昔も勇気が要る事なのだと、思います。エリオが同性愛者かどうかは、私には不確かに見えました。たまたま17歳の夏、一番愛した人が、同性のオリヴァーだっただけ。これからの長い人生、愛する対象がどちらか、はたまた両方なのか、ゆっくり向き合えばいいと思います。

この作品で、オスカーの脚色賞を受賞したジェームズ・アイヴォリー。今年90歳なんですよねー。キワモノ的に成りかねない世界観を、上品で甘美で若々しい青春ものの秀作に仕上げるなんて、本当に脱帽です。

美少年と話題沸騰のティモシーですが、画像だけ見て、そんなに美貌か???と訝しかったのですが、超絶チャーミングでした(笑)。どことなくエキゾチックな容姿で、彫りが深く大きな目ですが、目力ではなく憂いがあります。22歳の立派な成人男性ですが、とにかくスリム!上半身を見せるシーンが多いのですが、この細さが繊細な少年美を作り出し、適役でした。エンディングで、声を殺して咽び泣くシーンが、もう切なくて。私も貰い泣きしちゃった。あのシーンだけでも、オスカーの主演男優賞の候補に上がったのも納得です。

たくさんの出演作があるハマーですが、今回嫌と言うほど、彼が美青年だと確認させて貰いました(笑)。それもクラシックなハリウッド型のハンサムだったのが意外でした。癖のある役が印象的な人ですが、王道のロマンスも充分いけそうです。

ラストの切なさとほろ苦さも後を引いて、とても良かったです。女性には概ね好評を得る作品だと思います。男性の評価が聞きたい作品です。


2018年04月22日(日) 「娼年」




え〜と(笑)。最初なかなか面白そうな題材だな、女性の性の深淵を見せてくれるのかしら?と思っていたら、出来は悪いとの評価が多く、どうしようかと思っていました。でも皆さん口を揃えて、松阪桃李は良かった、頑張っていたと言うので、そちらの方を信じて観る事に。もう本当に見事に評価通りの作品(笑)。監督は三浦大輔。

人生に意義が見出せず、虚無な日々を送る大学生の領(松阪桃李)。女性と肉体関係は持っても、恋愛からは身を置く領。ある日アルバイト先のバーに、静香(真飛聖)と言う女性が現れ、領を男性娼夫として、スカウトします。この誘いに、何かを感じ取った領は、静香の元を訪れ、仕事を始めます。

冒頭から、全裸のファックシーンで頑張る桃李君。以降彼の全裸がいっぱい(笑)。ミステリアスな導入から、仕事が始まるまでは、まぁいいでしょう。それ以降、何パターンか、女性たち(+男性一名)の欲望が描かれ、それに絡む領の心と体を通して、彼の成長を描いています・・・、が!どんな女性の欲望も受け入れて、あなた菩薩なんですか?と思うような領君。昨日まで「女なんてつまんない」と思っていたんでしょう?もうちょっと驚けよ(笑)。一回も客を怒らせないのも不思議。それを超えてこその成長でしょ?急にプラトンなんか、語りだすなよ。

女優さんたちもね、見事な脱ぎっぷりで、そこはすごく頼もしかったです。でも私が面白いと感じた性癖を見せたのは、脱がなかった馬渕英里何と江波杏子でした。他の人は違うシチュエーションながら、濡れ場が同じような振り付けで、延々観せられて、あきちゃった。エロスを描くのに、必ずしも裸や濡れ場は必要じゃないと言う、典型例でした。

馬渕英里何が、「中年女のこんな姿、観たくなかったら、帰ってもいいのよ、お金は払うから!」と叫んだのは、あぁわかるなーと。セックス(これもね)とは、両方が楽しまなければ、つまらないと私は思うんです。自分の知性(かなり教養も高そうな女性)に見合った男性は、みんな理解してくれないと泣くのには、痛く同情しました。愛と一緒に、セックスだって育むものだと思うから。インテリって変態が多そうなんですけどね(笑)。

彼女は変態の部類です。私は変態には寛容な方で、嫌がる他人の心身を傷つけなきゃ、自己責任で構わないと思っています。自分のセックスを人に語る機会は、あまりないと思います。受け入れてくれる人のいない悲哀、受け入れられた時の至福の笑顔。このプロットには、私がこの作品に望んでいた、性の深淵を感じました。

江波杏子には、本当に笑った(笑)。いやーもー、ご立派。私は70になっても、あんな芸当は出来そうもないけど、彼女だけでも観た甲斐がありました。一瞬「バーバレラ」を想起させるプロットでしたが、薬を使わない分、江波杏子の方がすごい(笑)。老人の性を描くと、醜悪だったり、滑稽だったりしますが、彼女のはユーモラスで楽しくて、天晴れでした。孫ほどの年齢の男と寝る女性ですが、それも冥途の土産にいいかもなぁと、不潔さを感じさせないのも、江波杏子の力量だと思います。

後半から展開や性のパターンがお安くなってきて、中には艶笑話的なものもあり、どんどん三流ポルノ風に。終盤に色々と、領の天性の娼夫性は、母との因果にあるとか、エイズとか色々出てきます。でもそれも伏線もなく(亡き母の「いい子にしているのよ」は、あれは伏線とは言いません、はい)適当にこじつけて、深味を出してみました感満載で、あれでは出汁の元にも、なりゃしない。

こんな出来で、男とまで絡まされて、松阪桃李は脱ぎ損だったかと言うと、さにあらず。全力投球して、頑張りましたね!と、健闘を労いたくなります。こんなお安い内容でも、手抜きもせず、一生懸命演じた彼あっての作品です。ポルノはポルノでもいいんですよ。ただ、心境著しい松阪桃李が、体を張って頑張ったのですから、もっと作りこんで欲しかったな。三流ではなく、一流のポルノにして欲しかったなと、すごーく残念です。

とこんな感想ですが、劇場は女性ファンで超満員。男性客は恥ずかしいかも?桃李君のファンなら、是非見てあげて下さい。


2018年04月15日(日) 「ラブレス」




観たいと思いつつ、時間が合わず観られずじまいだった監督、アンドレイ・ズビャギンツェフ。まぁほんと、胸くそ悪い夫婦と言うか、出来の悪い両親を、これでもかと描くお話なのですが、ラスト、母親の着るパーカーに浮かぶ「RUSSIA」の文字に、あー、そうだったのかと、合点が行きました。厳しさの中に、監督が自分の国への憂いを、いっぱい込めた作品です。今回ネタバレです。

ロシアの一流企業に勤めるボリス(アレクセイ・ロズィン)と美容院を経営するジェーニャ(マリヤーナ・スビヴァク)は、離婚が決定している夫婦です。目下の問題は、離婚後一人息子のアレクセイを、どちらが引き取るかです。二人とも既に新しいパートナーがいて、アレクセイが邪魔なのです。そんな折、アレクセイが下校途中で、突然失跡してしまいます。

冒頭、凍てつくロシアの風景が映されますが、この家庭はその風景も生易しく感じられる程、冷え冷えしている。凍えるような家庭に投下されるのは、暖かい暖炉の火ではなく、夫婦の壮絶な喧嘩の果ての、怒りの炎だけ。私にはこの光景は見覚えがある。私の育った家庭です。

違うのは、母は私と妹の手を絶対離さなかった事です。アレクセイが、自分を押し付け合う両親を陰で見ながら、一人咽び泣く姿に、泣かない人はいないでしょう。あの時幼かった私は、妹ときつく手を握り合い、やはり声を殺して二人で泣いていました。たった一人、兄弟のいないアレクセイが、どれ程心細く辛いか、私には痛いほどわかり、しばらく涙が止まりませんでした。

アレクセイが失踪した時も、両親とも不倫相手と堂々と(そう!堂々と!)外泊しており、いつ居なくなったのかも、確かにはわからないと言う有様。親として、お粗末過ぎです。

夫は妻に、子供がいらないと言うと、母親の方が家裁に悪く思われるぞと脅かします。今の日本の風潮じゃ、けしからん父親だと言われそうですが、私も夫の意見に同意する。理屈や御託じゃなく、母親は何より子供が大事じゃないのか?私は親とも離れたかったし、夫と離婚を考えた事もあります。「愛する」人と別れたいと思ったのです。

でも子供と別れたいだけは、一度もなかった。何故なら子供が子供である時は、母親が世界で一番好きなのです。例え思春期の入り口の12歳であっても。この母と子の濃密な至福の時は、一心不乱に子育てする母親への、褒美なのです。私が戻りたいとすれば、あの時です。今ならもっと良い母親になれるのに。それなのに、どうして?

従業員に、如何に難産だったかと、まるで自分が被害者のように語るジェーニャ。年かさの従業員に、「みんなそうよ」と、軽くいなされる。愛人と居る時は、まるで童女のように、愛したのはあなただけ、子供も夫も愛した事はないと、むしゃぶりつきます。対する夫には、子供なんか産まなければ良かった、中絶すれば良かった、あなたに利用された、全部あなたのせいよと、食ってかかる。まぁ本当に呆れ果てました。全く持って、ジェーニャが子供なのです。愛人に寝物語に語るふわふわした戯言は、この不倫に酔っているだけで、きっと夫とも同じだったのだろうと思います。

ジェーニャは実母とも折り合いが悪く、常に「愛される事」に飢餓感があるのでしょう。でも私は、愛されるためには、愛する事が先だと思う。

ボリスにしても、まだ妻と離婚もしておらず、問題山積みなのに、愛人は臨月。世間体ばかりを気にし、妻にも愛人にも真剣に向き合っているとは思えない。もちろん、子供にも。この先の不安に涙する、年若いボリスの愛人が哀れです。しかしこの期に及んでも、ボリスとジェーニャは反省もせず、罵り合うだけ。この夫婦は富裕層に当たり、二人とも社会的には成功しているはずなのに、親としてのあまりの幼稚さに、怒りすら沸かず、ただただ情けない。同時に、これは日本でもある風景なのだろうか?と、暗澹たる気持ちになります。

警察に届けるも、他にもっとやる事があるのさと、おざなりの対応で、何とボランティア組織を紹介するには、また唖然。しかし、このボランティアたちの頑張りが、情けなさと絶望する私の感情を救ってくれました。

組織化され、系統立てて指令が下され、老若の市井の人々が、凍える寒さも厭わず、アレクセイを懸命に探します。この作品で始めて観た「愛」でした。しかし肝心のボリスとジェーニャは、いつ息子が帰って来るかもしれないのに、お互い愛人宅に入り浸る。本当にどうしようもない親です。

しかし、国家が個人の善意に頼って、危険を省みず、何の権限も持たせず、事件に近い事柄に踏み込ませて良いのだろうか?それはこの夫婦と同じくらい、情けない事ではないのかしら?ボランティアの頑張りを観るほど、私の疑念は広がります。

そして数日経ち、少年の遺体を確認するボリスとジェーニャ。二人とも否定するも、激しく慟哭する姿は、きっとアレクセイなのでしょう。そしてまた夫を罵る妻。どこまで行っても、変わらない夫婦。微かな救いは、二人からアレクセイへの愛が見えた事です。

それから数年後、不倫相手と結婚している二人。しかしそこに幸福感はなく、ボリスの家庭は、妻の母が入り浸り、可愛い盛りの息子を相手するでもなく、ぞんざいに扱うボリス。ジェーナは夫と二人並んでテレビを見ているのに、会話するでもなく、相変わらずスマホを弄っています。そしてテレビから流れる、ウクライナの内戦の様子。家族を思い、現状の悲惨さを必死で訴えるウクライナの女性と、溢れかえる豊かさの中、退廃的なジェーニャとは対照的です。そして、唐突に屋外のルームランナーを使用するジェーニャの羽織ったパーカの胸には、「RUSSIA」の文字がくっきり。

あー、そうなのか。ボリスとジェーニャに、今のロシアと言う国を投影していたのですね。急激に経済的には好転するも、家庭(国家)の中身はスカスカで、成熟には程遠い。身近な家族や隣人(ウクライナ)への愛は見出せず、愛はあっても自己愛だけ。ボランティアをクローズアップさせたのは、やはり社会の成り立ちの歪さを、映していたのだと思います。

しかしこのお話、ロシアだけなのでしょうか?日本でも、終末期の高齢者は、お金のかかる医療や福祉ではなく、隣近所のボランティアで面倒をみようとする案が、実際出ているのです。富める者は自己愛に走り、市井の人は善意のボランティアへと、政治が案内する。これでは国家崩壊へ、舵を切っているようなもんです。

一番肯定されやすい、子供への愛情すら示さない夫婦を通して、国の在り方を問うた作品ではないかと、感じました。ロシアのお話が、遠くの日本でも地続きで繋がっているかのようでした。


ケイケイ |MAILHomePage