ケイケイの映画日記
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2018年01月31日(水) 「ジュピターズ・ムーン」




難民の少年が、空を飛ぶ力を得る、とだけの前知識だけで鑑賞。観る前はCGをふんだんに駆使し、華やかなりしアクションで魅了する作品、と想像していました。でも実際は終始緊張感と静寂に包まれた、厳かな作品でした。見た直後より、段々と後を引く作品です。監督はコルネル・ムンドルッツォ。日本では珍しいハンガリー作品です。

医療ミスにより、勤めていた病院を追われたシュテルン(メラーヴ・ニニッセ)。今は難民キャンプで働いており、違法に金を取り、難民を密かに脱出させています。そのお金を賠償金にあてて、訴訟を取り下げて貰いたいのです。ある日シュテルンの元に、瀕死の少年アリアン(ジョンボル・イェゲル)が運び込まれます。しかし彼は、負傷によって自然治癒と重力を操ると言う、不思議な能力を身につけます。訴訟のために大金が必要なシュテルンは、アリアンを利用して、一儲けを企むのですが、違法発砲でアリアンを撃った刑事ラズロ(ギェルボ・ツセルハルミ)が、自分の立場の保持のため、執拗に二人を追いかけます。

アリアンが宙に舞う姿を観て、病床で彼に安楽死を懇願する人もいれば、浮遊する彼に、お金を全部差し出す人もあり。空を飛ぶ=奇跡を意味するからでしょう。

キャッチコピーは、「天使か悪魔か?」。欧米では空を飛ぶのは、天使だとの認識があるそうです。それは観る人によって、答えが変わるのでは?祈りの境地にいる人には、天使。自分の地位を脅かされているラズロには悪魔。そしてシュテルンは?

アリアンの言動に触れるに連れ、段々とシュテルンは魂が浄化される如く変貌していきます。欲得でアリアンを守っていたシュテルンですが、二人の身の上に襲い掛かる出来事を潜り抜ける事で、次第に自分の医療ミスに対して謙虚な心が芽生えます。命からがら、生きている人もいるのに、その傍で観光やら社交ダンスのコンテストがある風景。世の矛盾です。シュテルンは、生来の傲慢さから、自分の人生で素通りしてきた事柄です。自分の身の上を嘆くばかりだった彼が、アリアンを通して、変化が起こったのでしょう。

アリアンと父が国境を越える姿は、壮絶な困難でした。何故か父は、落ち合う場所を確認するだけで、暴動の中息子の手を離します。最初は冷たい父だと思ったものですが、もしかして、父は息子が神より選ばれし、使命を持った子供だと知っていたのかと思いました。息子の手を離したのは、息子の足手まといになりたくなかったから。

自爆テロの顛末など、これはありそうだなと、報道の奥に潜む「何か」にも、今後気になると思います。

最初、浮遊していく我が身に戸惑いしかなかったアリアンが、その力を確信してから、優雅に力強く宙を舞います。その姿は神々しくさえ感じ、私には「天使」に見えました。彼自体も、変貌していったのでしょう。アリアンは救世主ではなく、観る人の心によって、世の中を変えるのだと思います。

これはこれで、神秘的で素敵な作品でした。ハリウッドで作ったら、きっと私の想像したような、もっとわかりやすい内容で、華やかな作品になるだろうと思います。これは希望したいなぁ。



2018年01月29日(月) 「ロング、ロングバケーション」




これも素晴らしい!どんな絶望的な状況でも、笑って泣いて怒って、普通の感情を抱えていいのだと、教えてもらえました。長く結婚生活を送っている人には、とてもとても滋味深い作品。妻として様々な感情を、大いに刺激されました。監督はパオロ・ヴィズリイ。

結婚生活50年のジョン(ドナルド・サザーランド)とエラ(ヘレン・ミレン)夫妻。しかし現在ジョンは認知症を患い、エラは癌で闘病中です。エラが入院すると言う当日、夫妻は二人の子供たち、ジェーンとウィルに無断で、思い出のいっぱい詰まった大型キャンピングカーで、旅行に出かけてしまいます。目的は大学で英語教師だったジョンが、長年行きたがっていた、ヘミングウェイの住んでいた家に行くこと。子供たちの心配をよそに、旅を楽しむ二人でしたが、様々な出来事が、二人を待ち受けます。

入院当日、逃亡した両親に、慌てふためき狼狽する娘と息子。生き生きとした母エラとの対照的な様子に、まずクスクス。そうよね、たまには親が子供に心配かけたっていいよね。エラみたいに、子供たちを困らせてみたいと私も思いました。

内容はロードムービーになっており、さながら珍道中の様相です。ジョンは所謂まだらボケ状態で、過去と現在を行ったり来たり。通常は夫と言うより、エラの手のかかる息子のようです。妻を置き去りにして車を出発させたり、ここに居ろと言われたのに、勝手に徘徊したりと、その度に大騒動。夫に振り回され、罵っては病気がさせているのにと、自己嫌悪に苛まれ、落ち込むエラ。

私が感慨深かったのは、居なくなったジョンを探している時、「あの人か?」と問われ、「あんな貧乏くさい男じゃないわ。彼はもっとハンサムで髭だって整えた紳士よ!」とエラが言うシーン。あぁ、奥さんだわね。髭を整えているのは、誰あろうエラのはず。身なりを整え、少しでも見栄えよくと願うのは、他人にはただの老人であっても、夫は彼女の中で、まだまだ自慢の人であるのだと思いました。

なのに時々夫に戻り、エラに初恋の男が忘れられないのだろう、そいつが一番で俺が二番か?俺は一番じゃなきゃ嫌だ!と、50年以上も前の事を言って罵ります。そうかと思うと、妻を認識出来ず、大昔のジョンの浮気が発覚。当然エラは激怒(笑)。どうお仕置きしたか、お楽しみに。

ドタバタ大いに笑わせながら、夫婦の50年間の歴史が、くっきり浮かび上がる脚本が秀逸。夜な夜な二人で見るスライドは、周囲のキャンパーにも好評で、行く先々で「お客さん」が来る。また私がほろっとしたのは、そのスライドのほとんどに、子供たちが映っていた事。私も早く大きくならないかと思いつつ、必死で息子三人を育てた日々が、今は本当に懐かしい。大変な事もいっぱいあったはずなのに、今は楽しかった思い出しかないのです(夫は違うよ)。二人にとっても、長い夫婦生活で、一番華やかで楽しかった時期だと、表していたと思います。

ケンカしたり笑ったりしている二人を観ていると、ついつい認知症と癌の夫婦だと忘れがちになるのを、再認識させるシーンの挿入も上手い。パンクに乗じて、強盗しようとする輩を、銃で撃退するエラ。護身の銃を持っているのに、何故夫には隠したのか?それは後でわかります。妻の初恋の相手が意外な人で、流石は我妻と褒め称えたのに、真逆な人物にエールを送るジョン。思考が混濁する姿が、とても哀しい。そして数度の失禁。エラは痛みを堪え、最後まで夫の世話を焼く姿は、妻のプライドに溢れていました。

優秀な姉に、そうでもない弟。親に対する思い方の違いも、どこの家庭にもあることです。僻む弟に、クールな姉。しかし親を思い、姉が涙する場面は、彼女と共に泣きました。心配してガミガミ母に言う息子に、怒って電話を切ってしまうエラ。この場面も大好きです。

一見まだ大丈夫そうに見えたエラは、実は癌の末期状態だと観客にわかります。そして、最初に何をしていかた解らなかったーンが、蘇るのです。この終活は、エラは最初から考えていたのですね。このラストは、多分賛否両論になるでしょう。これは監督の意見なのかと、最初は思いました。でも今は違います。エラの立場なら、私も多分そうしたい。でも実際は、勇気がなくて出来ないはず。このラストは、人生の長きを二人で歩んだ、夫婦たちの「夢」を、ジョンとエラに託したんだと思います。あの幸福感に満ちた様子は、夢を叶えてくれたからだと、思うのです。

連れ合いで、家族で、自分の子供たちの親で、笑って泣いてケンカして、男と女でもある二人。私の15年先を行くジョンとエラは、まるで私たち夫婦だと思いました。認知症の夫と末期癌の妻が、あなたは幸せなのよと、私に教え、老いの道行きに
勇気を与えてくれたのです。

しかしそれにつけても、老後を自由にしようと思うと、お金が必要だわね。健康なうちは、しっかり働かなきゃと、心が引き締まりました。ジョンとエラに感謝です。熟年の皆様に向けて、手放しの絶賛です。


2018年01月28日(日) 「パディントン2」




素晴らしい!前作も好評で、見逃したのを悔やんでいました。今回はヒュー・グラントが悪役で出ると言うので、字幕版がイブニングだけになる前に、勇んで観てきました。モフモフ熊の、可愛いファミリー映画の皮を被った、秀逸な社会派作品。いやホントです。監督はポール・キング。

ペルーの山奥から出てきた、善良で紳士的なクマのパディントン(声ベン・ウィショー)。ブラウンさん(ヒュー・ボネル)のおうちに迎え入れられ、たくさんのお友達にも恵まれて、幸せな日々を送っています。育ての親のルーシーおばさん(声・イメルダ・スタウントン)の100歳の誕生日が近づき、飛び出す絵本をプレゼントしようと思いつきます。しかし世界で一つしかないその本は、とても高価なのです。働いてお金を貯めて、プレゼントしようと、仕事に励むパディントン。しかしある日、その本が盗まれ、警官の勘違いから、パディントンに濡れ衣がかけられ、彼は刑務所に送られてしまいます。

とにかく全編ファンシーで夢のあるシーンが盛りだくさん!ず〜とニコニコして観てしまいます。飛び出す絵本に入り込むシーン、移動遊園地のクラシックでポップな様子、刑務所の中だってファンシー!。とある場面の気球なんか、思わず手を叩いて喜んじゃった。そのファンシーな中に、人が生きる上で大切な教訓が、いっぱい詰まっています。

誠実・親切・正直・素直。そして可愛い!どんな賛辞を並べても足りないくらいのパディントン。あの目に見つめられたら、何でもしちゃうわよ。刑務所で刑務官に、「僕、寝るときは、いつも奥様(ブラウン夫人、サリー・ホーキンス)に絵本を読んで貰うのですが・・・」との言葉に、ブラウン夫妻は、もう一人子供がいれば良かったなと、思っていたんじゃないかな?と推測。そんな時、やってきたのがパディントンなのかと思いました。タイミングが合わず、そのまんまと言うのは、良くある話しで、うちは強引に生まれてきた(笑)三男のお陰で、家が楽しくなりました。なので、予定外の妊娠は、私は産む事をお薦めしたいな。

その人柄の良さで、街中を明るく照らしていたパディントンは、刑務所でも如何なくその力を発揮。みんなの嫌われ者なのに、腕っ節の強さだけで、囚人たちの上に君臨していたナックルズ(ブレンダン・グリースン)を、ルーシーおばさん直伝のママーレードの美味しさで懐柔。ナックルズは教わったママレードの出来が心配で、「どうせ俺は人に認められたり、感謝されたりは出来ないんだ!」と、癇癪を起こす姿を見て、ハッとします。自己評価が低く、自尊心が育たない環境だったのでしょう。人に勝るのは腕力だけ。ナックルズは、愛されるより恐れられる事を選んだのだと思うと、とても哀しい。

で、結果はナックルズの取り越し苦労で、食事を美味しく楽しく食べる工夫は、刑務所全体に幸せをもたらします。これは、どんな場所でも真理だと思う。

親戚にして同居人のバードさん(ジュリー・ウォルターズ)、新聞作りに励むジュディ(マデリーン・ハリス)、隠れSLオタクのジョナサン(サミュエル・ジョスリン)、そしてブラウン夫妻が一丸となって、パディントンを救わんとする場面は、ちょっとしたスペクタクルで、見応え充分。皆が皆、自分の持てる力を発揮すれば、それは百人力になるんですね。

ブラウンさんは、落ち目の俳優ブキャナン(ヒュー・グラント)は、自分の会社のプラチナ会員なので、悪いことは絶対しないと言う。そして刑務所の人々に、パディントンがお世話になってと、挨拶する自分の妻が気に入らない。犯罪者なんか信用出来ないと言います。この固定観念や頭の硬さは、社会の枠組みの中で生きる事が多い、男性に有りがちな思考を表していると思いました。

でもブラウンさんが偉いのは、自分の考えが間違っていたら、きちんと軌道修正できる事。パディントンが熊だと言うだけで、危険視し排除しようとする隣人のカリーさん(ピーター・キャパルディ)に、「あなたはそうやって、思い込みの偏見だけで、パディントンを糾弾するが、パディントンは、人の良い所を見つけて、付き合おうとする。だから彼は人に愛されるんだ」と、啖呵を切ります。この言葉は、コミュニケーション全般、人種差別や移民問題にも幅広く適用されるべき言葉です。

おぉ、書くのを忘れるところでした、愛しのヒューは今回悪役ですが、憎めないところは、いつも通り。落ち目の俳優と言うことで、若作りもなく、コミカルで楽しく演じています。女性じゃなくて、相手役はクマだって大丈夫(笑)。こんな役も引き受けてくれるなら、息の長い俳優生活を送ってもらえそうで安心しました。最後にヒューのミュージカルシーンもあります!

ずっと笑顔、時々涙と、気分がずっと高揚し、観た後は爽快な気分になります。ファミリー映画のカテゴリーは難しく、大人と子供が楽しめる実写映画は本当に貴重です。何で春休み公開じゃないの?と、少し怨めしくも思いますが、寒さを堪えて映画館に向かう価値は充分の作品。全ての映画好きにお薦めの作品です。


2018年01月20日(土) 「勝手にふるえてろ」





いや〜面白かった!観て一週間経ちましたが、記憶は鮮明。老若の「女子」なら、ヒロイン・ヨシカに、過去・現在の自分の面影を見るんじゃなかろうか?と言うか、そういう女子が、私は好きです。妄想好きと言う女子の特性に斬新に切り込んだ、女子のバイブル的映画だと思います。監督は大九明子。

ヨシカ(松岡茉優)は会社の経理課に勤める24歳の女子。絶滅種の動物が大好きで、博物館からアンモナイトを払い下げて貰うオタク女子です。同僚のクルミ(石橋杏奈)と仲が良く、コイバナもしばしば。しかし現実に好きな相手がいるクルミと違い、ヨシカの相手は中学の同級生だったイチ(北村匠海)で、もう10年間会っておらずの、片思い。そう、ヨシカは彼氏いない歴=年齢のバージンです。しかし会社の営業課のニ(渡辺大地)から、人生初告白されたヨシコ、脳内のイチと現実の二のどちらを選ぶ?

冒頭、きゃりー・ぱみゅぱみゅと見紛う、趣里演じる可愛い金髪少女相手に、美し〜い涙を流しながら、「でも私、やっぱりイチが好きなの・・・」と独白するヨシカ。そうだよそうだよ、恋は打算じゃないんだよ!と、まだ何にも始まっていないのに、一瞬で心が乙女に戻ってしまい、ヨシカに肩入れする私(笑)。その後の怒涛の展開を鑑みると、凄く上手い導入です。

今のヨシカは、雪国の実家から女一人、大都会の東京に出てきて、きちんと一人暮らしを確立。お洒落も上手で、あのシーンこのシーン、本当に可愛い。なのに彼女は、中学時代イケてなく、友達もいなかった過去を引きずっています。多分自己肯定が低いと言うか、上がらないのですね。イチを思い続けているからと言うより、その自己評価の低さから、イチは恋愛で臆病になっている彼女の、隠れ蓑だったんじゃないかと。

それがニからコクられると、タイプでもないのに、あちこち言触らし有頂天になるヨシカ。若い頃女としての自己評価を上げる、手っ取り早い方法は、男だもん。すっげーわかるわ。その点、みんなが狙っていそうな同僚男性に、自分からアタックをかけるクルミは、確かにそれなりに恋愛は経験しているのでしょう。

妄想のイチとの会話では乙女、現実の二とは、がさつで強気な自分を見せるヨシカ。でもこれは、猫を被っているのでも素でもなく、両方彼女自身なのだと思います。若い頃はまだ主体性に乏しく、悲しいかな男性によって、コロコロ無自覚に自分自身も変わっちゃう。これを自覚してやっているのは、性悪女です。男性諸氏は、気をつけてくれ給え。

自分の失火で焼死するかも?の思いをしたヨシカ、一念発起して邪な手で同窓会を開き、イチとの再会を試みます。この邪な手も、コミカルに描いていますが、非常に切ない。私如きの名前で開いても、誰も来てくれないと思っているんでしょう。そうまでして再会したイチとの会話も弾み、期待満々の彼女に、イチは衝撃の一言を投げかけます。

いや〜、これは衝撃ですよ。自分の10年間の思いも木っ端微塵にする破壊力。しかし待てよ、ヨシカだって、きちんと名前を呼ぶのは、クルミだけでしょ?他は全て彼女がつけた仇名で、名前を呼ぼうとはしない。知らず知らずに、自分から一線を引いているのかと感じました。大事なのは未来、過去なんか花も嵐も踏み越えればいいものを、「嫌だ〜、イチ君ったら!」と、切り返せないヨシカは、大層傷つきます。

そこから一気にミュージカル調になり、調べに乗ってヨシカの真実の独白。これがあなた、涙無くして観られません。そーだったのかーと、滂沱の涙の私。きっとヨシカは自分を変えたくて、東京に出てきたのね。気持ちを切り替えて、ニとのデートに励むヨシカに、母のように安堵した私でしたが、二の余計な一言から、疑心暗鬼が肥大し、ヨシカの大暴走が始まります。好人物なれど、ニもあんまり女性経験はないと観たね。

自分の行き場のない怒りを持て余し、周囲に八つ当たりし、ついには大嘘までつくヨシカ。この嘘で、自分のコンプレックスを払拭するつもりが、周囲には発狂したようにしか見えない。しかしここもね、やるやらないは別にして、大いに気持ちは理解出来ます。こんなにプライドが傷つく事はありません。しょうもないプライドだったと思えるのは、人生後半からです。女性ならみんな、恋愛に対して、幾つかの狂気の種子を、お腹に抱えているんじゃないかな?それが花開くのか、狂気のままで終わるのかは、自分次第なんだよ。決して相手ではないと思います。

松岡茉優ちゃんが、大変素晴らしい!主演女優賞ものですよ。これ12/23公開なので、今年の選考になるのかな?元々この子が好きでしたが、全編出ずっぱりで、観客の心をしっかり掴んでくれます。整った容姿ですが突出した特長もなく、返ってそこが等身大の女の子を演じるのに功を奏しています。これだけ演技力があるんだもん、どんな役でも演じられ、女優としてこの容姿は、大変強みになると思います。

またまた「だって私が○○でなくなったら、もう好きじゃなくなるんでしょー!」と、本音をぶつけるヨシカ。あぁもうー、面倒臭い。しかしまたまた涙した私。それくらい怖いのが美徳とされた時代もあったもん。あっ、そうか、アンモナイトって、ヨシカなんだ。

クルミの他に、ヨシカが誰の名前を呼んだか、ラストそれを見届けて本当に安堵しました。クルミとも仲直りしてね。そして人の名前はしっかり呼ぶこと。人間関係はそこからスタートするはずだから。


2018年01月13日(土) 「キングスマン ゴールデンサークル」




面白い!前作が高評価だったようで、まさかの続編。だったらハリー(コリン・ファース)は殺さなきゃ良かったよなぁ、と思っていたら、まさかの復活(笑)。この辺の件だけ結構まともで、他は前作以上に荒唐無稽、なのに心に染み入る描写が随所にあり、監督のマシュー・ヴォーンに心弄ばれる140分です。

亡きハリーの後を次ぎ、立派にキングスメンのメンバーとなったエグジー(タロン・エガートン)。しかし、サイコパスの女ボス・ポピー(ジュリアン・ムーア)率いる巨大麻薬組織ゴールデンサークルによって、壊滅の危機に瀕します。生き残ったエグジーとマーリン(マーク・ストロング)は、アメリカの同盟組織ステイツマンに助けを求めます。しかしそこで何と、死んだはずのハリーと再会しますが、ハリーは記憶喪失でした。ステイツマンのボス・シャンパン(ジェフ・ブリッジス)から、配下のテキーラ(チャニング・テイタム)、ウィスキー(ペドロ・パスカル)、ジンジャー(ハル・ベリー)を紹介し、キングスマン復活の協力を約束してくれます。果たして、エグジーとマーリンは、ゴールデンサークルを倒し、キングスマンをふっかつさせられるのか?

冒頭から、往年の007シリーズを彷彿させる、改良した車を使ったカーアクションが見られます。スピード感がすごいのに、ちゃんと今何しているか、アクションがわかって、カメラさんすごい!(撮影はジョージ・リッチモンド)。私は007の改良車と言えば、水陸両用が一番記憶に残っているのですが、おぉ〜、こういう危機には、こうするのかと、パロディが楽しい。きちんとオマージュになっているのも、いいです。

あっ、「ターミネーター」もパロっています。他にも「ファーゴ」を想起させたり、雪山のアクションで、またまた007など、随所に既視感バリバリのシーンの連続ながら、とっても楽しめます。映し方が、監督、これらの作品が大好きなんだろうなぁと、元作への気配りを感じるので、楽しめたのだと思います。

気配りと言えば、前作でスウェーデン王女といい仲になったエグジー、今作ではきちんとお付き合いしている脚本に感心。そりゃ架空の国じゃないものね。あのままやり捨てなら、本物の王女様に傷が作ってものです。とても愛らしい女性に描いていて、バンバン殺戮場面があるのに、所詮映画だからね〜と、鷹揚に構えられるのも、監督のこの気配りあってかも?

あの手この手で、ハリーの記憶を取り戻そうとする、エグジーとマーリン。同僚と言うだけではなく、彼が好きなのですね。記憶喪失時とを記憶が戻った時とを、同じ衣装、同じ部屋なのに、瞬時に観客に解らせるコリン。オスカー受賞時の第一声が、「これで僕のキャリアもジリ貧だ」と言う超皮肉から始まったコリン。これ以上なく、由緒正しき英国紳士だと世界に知らしめた彼ですが、キャリアはジリ貧どころか、まだまだ上り坂みたい。

危機また危機のアクションの間に挿入される、登場人物のキャラの掘り下げ加減もいいです。ポピーの作った砂糖菓子みたいな島は、最初私も気に入ったのですが、彼女が精神疾患を抱えているとわかると、この優秀な頭脳を正しく導く人はいなかったんだなと、島自体も毒々しい人口甘味料なんだと感じ、彼女の孤独も忍ばれます。

ジンジャーや、アメリカ大統領の補佐官(エミリー・ワトソン)の、男社会で生きる、エリート女性の悲哀も見え隠れ。大統領(ブルース・グリーンウッド)は、ポピー並みのめちゃくちゃな政策を打ち出し、姑息な手で一人勝ちしようとするゲスですが、ラストに誰から鉄槌を下されるか、お楽しみに。

しかし、何だかんだ言っても、近作のハイライトは、マーリンが「カントリー・ロード」を歌う場面だよ。場をさらうと言うのは、これなんだなと思いました。「ローガン・ラッキー」でもこの曲で泣いたし、最近この曲で泣かせるのがブームなのかしら?

と、荒唐無稽に見せて、あれこれ繊細に配慮して、最後に正義は勝つ!を、とても面白く見せてくれる作品です。本物のエルトン・ジョンも、超楽しそうに出演しています!続編も作る気満々みたいなので、このクオリティでよろしく〜。


2018年01月08日(月) 「嘘八百」




既に御屠蘇気分も抜けて、フツーの生活に戻ってしまいましたが、明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い致します。新年最初の一作目は、6日にやっと観たこの作品。予定調和にお話が進みますが、程よい人情話になっていて、品良く笑えてペーソスもたっぷり。楽しかったです。監督は武正晴。

しがない古物商の小池(中井喜一)は、西に運ありの占いを信じ、娘のいまり(森川葵)を連れ、はるばる大阪は堺まで来ました。そこで落ちぶれた陶芸家野田(佐々木蔵之介)に、いっぱい食わされます。しかしただでは起きない小池、それをきっかけに、二人を落ちぶれさせた因縁の大物鑑定士・棚橋(近藤正臣)に一泡吹かせようと、千利休にまつわる茶碗の贋作を作り、一世一代の大芝居を打とうと、野田に持ちかけます。

私は古美術・骨董品には、歴史の重みを伝える役目とは別に、どこか胡散臭いものも感じていたのですが、この作品で繰り広げられる丁々発止は、正にその思いを絶妙に表現していました。

棚橋によって贋作陶芸家に成り果てた野田が、一世一代の「贋作」を作るため、精魂込めて懸命に取り組む姿は、匠と謳われた、古美術を作った人々に通じるのだと感じます。当初は棚橋憎しと金に釣られたはずの野田ですが、一心不乱に器作りに没頭している時、頭の中には、良い器を作りたい、それだけだったと思います。その気持ちには、本物も偽者もないのじゃないか?

純粋に古美術に魅せられ、古の匠たちの思いを汲み、目利きを磨くのに、精進に精進を重ねてきた小池。そんな彼が言う、「人は観たいように観てしまうもの」の言葉は重いです。それに乗じて、自分の業界の権威と名声を餌に、野田の作った贋作を本物と偽って、小池に渡した棚橋と古美術商の樋渡(芦屋小雁)。古の人々に敬意を払わず、不遜にも汚い金儲けの道具としたのです。なので、この二人が「観たいように観た」時は、とっても痛快な気分でした。

定番で綴られる内容を、枝葉の演出が涙も笑いも誘います。それに味わい深さを与えたのは、適材適所の役者さんたち。かつての手酷い仕打ちに、うらぶれるも荒まないのは、小池・野田とも、元は熱く真面目な人だと感じさせます。各々キャラに合わせた役作りで、主演二人は安定の好演。負け犬人生を挽回させるコンビとして、相性の良さを感じさせます。

貫禄とはんなりとを共存させた、関西のご老人を演じて、最近は独壇場の近藤正臣。今作では、そこに絶妙の「いけず」を滲ませての好演です。若かりし頃のニヒルさも見え隠れさせ、まだまだ色っぽくて、敵役なのにチャーミング。チャーミングと言えば、小雁さん。この人、20年くらい、いっこも変わってないわ、幾つになりはったんやろ?と検索したら、何と84歳!台詞回しも声の張りも、全くお変わりなく、感服です。この人、こんな小悪党や可愛いお爺ちゃんだけでなく、怖〜い大親分の役も、難なくこなすんですよ。健在なのを確認出来て、すごく嬉しかったです。

その他、関西物には欠かせなくなった木下ほうか。演技か素かわからんけど、観ているだけで楽しい坂田利夫。利休ラブの様子がほのぼのさせる、利休記念館の館長塚地武雅など、大阪出身たちが更に楽しさを盛り上げます。

でもでも、私が一番感激したのは、野田の妻役の友近!情の深い糟糠の妻を、滋味深く好演しています。途中離婚の危機があって、「あんた、いきなり来てすき焼きよばれている人(小池のこと)に、好き勝手言われて、悔しないの?」と言った翌朝、家を出て行きます。重石になっている棚橋ならともかく、素性のわからぬ輩にまで、卑屈になる夫が許せなかったのでしょう。彼女の中で、プツンと張り詰めていた糸が切れて、出て行ってしまうのは、とても心情が理解出来ました。

一番好きなシーンも友近絡み。棚橋と樋渡によって、贋作作家と成り果てた夫が作った茶碗を、そうと知りながら、へそくりはたいて100万円で買い、お茶を飲むシーン。彼女に取れば、有名な作家の作品ではなくても、夫の作った茶碗は、100万の値打ちがあることを、野田にわかって貰いたかったのでしょう。

まぁそれ、若い時分の回想シーンやったわけで。長い事野田はそのまま腐っていて、妻の気持ちには応えていなかったと言うわけ。そして妻が出て行って初めて、やっとやっと目が覚める。男と言うか、夫なんか、こんなもんやわね(きっぱり)。てか、目が覚めるだけ、野田はマシかも知れません。

友近ね、映画もドラマも、何を観てもすごくお芝居上手いです。小手先の上手さではなく、熱演じゃないのに、情感を醸し出すのが、すごく上手い。芸人としても腕があるし、このまま行けば、浪花千恵子やミヤコ蝶々になれますよ。性格悪いらしいけど(笑)、このまま化け続けて欲しいです。

難を言うと、せっかく堺でロケしたらしいのに、利休の記念館と灯台以外、堺らしさがあまり感じられなかったことかな?包丁とか自転車とか、せっかくなので、地場産業も映して欲しかった。仁徳天皇稜とかもね(笑)。ラストに、また一芝居ありますが、これは余計な気が。あまりドタバタせずに、綺麗にまとめて欲しかったです。

大阪を舞台にすると、ガラが悪いかファンキーかに傾きがちですが、大阪の匂いを存分に放ちながら、上品に仕上がっているのも、ポイント高し。6日の土曜日は劇場満員でした。ヒットして欲しい作品でした。




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