ケイケイの映画日記
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2017年11月27日(月) |
「人生はシネマティック!」 |
すごく良かった!素晴らしい!ダンケルクの救出を描く映画作りの裏側を基本に、当時の戦局、男女格差、ロマンス、老いなど、あれこれ詰め込みまくって、全部きれいに料理できています。今を生きる女性たちへの、エールもいっぱいです。監督も女性のロネ・シェルフィグ。
1940年のロンドン。ダンケルクの救出劇で、双子の女性たちがいた事を知った政府は、国民の士気を高めるため、彼女たちを題材とした映画を製作しようと試みます。そこへやってきたのが、カトリン(ジェマ・アータートン)。カトリンはコピーライターの秘書で雇われたと思っていたのに、戦争で人で不足の折り、いきなり脚本を任されることに。驚きながらも、彼女をスカウトした情報省映画局の特別顧問バックリー(サム・クラフリン)やレイモンド(ポール・リッターと共に、執筆に励みます。公私共の紆余曲折を経て、果たして映画は完成するのでしょうか?
「アメリカの夜」など、映画作りの裏側を描いた作品は数々あれど、戦争中の国民の感情を鼓舞するための映画、と言うのは珍しい。結束も一枚岩ではなく、立場によっては、狐と狸の化かし合いみたいな時も。その時々で、脚本や台詞が変わるのは、しょっちゅう。時には名優だけど、老いて落ちぶれてしまったヒリアード(ビル・ナイ)の御機嫌も取らなくちゃいけない等々、想定内だけど、ニヤリとします。アメリカの横槍を仕方なく受け入れるも、イギリス紳士たちが、瀬戸際のプライドを固持しようとする気骨も良いです。
実は双子は船の故障でダンケルクまで辿り着けず、途中で兵士を拾ってイギリスまで帰ってきていました。真実を曲げることは出来ないと言う偉いさん方に、バックリーは「映画は所詮は虚構。大切なのは、危険を省みず彼女たちが、出航した事だ。一番大切な事を伝えるのに、フィクションが混ざるのは、当たり前」的は発言をします。これは本当に映画の本質だと思います。私が映画を浴びるほど観るのは、正にここです。
父親の叱責に怯える双子。第一次大戦に出征して、帰還後アルコール依存となり、暴力を振るうようになった父に、我慢するしかなかったバックリー。高圧的な父性をさり気なく描写するのは、今も続いている女子供の憂鬱なのでしょう。そして賃金の格差!「女性は男性より賃金が低いですが、構いませんか?」「はい、喜んで」。これは今も脈々と続く悪しき慣習です。
駆け落ちしてロンドンに出てきたカトリンは、傷痍軍人の夫エリス(ジャック・ヒューストン)の絵が売れず、生活苦から働いています。しかし夫は、彼女を養えなくなったから、国に帰れと言う。絶対に嫌なカトリンは、自分の甲斐性で夫の絵を買い、二人の暮らしを支えます。この辺りから、妻は自我に目覚め成長しているのに、エリスは気付かない。
二人のその後は、予想通り。養わなければならないと言う沽券と、傍らに自分に敬意を払い、賞賛する妻が必要なエリス。彼の中で共存するこの二つを描くのも、今でもエリス=最大公約数の夫、なのでしょう。攻撃的には描いておらず、これを紐解くと、トロフィーワイフを選択する夫の気持ちも解読できる。 女性の成長は、男性の成長の何倍速だとは、よく言われますが、妻は成長する生き物だと言う事を、エリスが認識して、それを喜ぶ人であれば、また違った展開になったろうに、と思います。
そこでバックリー。ヒーローとして双子を描きたいカトリンに対し、「女性はヒーローより、ヒーローの恋人になる方が好きだ。」と、のたまいます。カトリンも私も憮然。しかし、ちゃんと双子の役割は膨らませてくれました。そうそう、この歩み寄りが大事なわけで。
同じ政治局内で、立ち位置が異なるムーア(レイチェル・スターリング)とカトリンですが、そこは女同士。プライベートで悩むカトリンに、親密なアドバイスを出します。やっぱり女同士はこうでなくちゃ。かの排除発言の前に、総選挙後の首相は誰が良いか?と言う討論をテレビで観ましたが、田島陽子センセイが、「小池百合子」と書いたのには、びっくり。政治的スタンスは、ほぼ真逆のはずなのに。私はそこで、男社会で苦しみもがいてきた、彼女の悲哀を見た気がしました。女同士は、手を携えなければ。だって長い事、男の植民地だったんだから。
戦時中の様子は、どこの国の人も、死と隣り合わせだったんだなと、何度も何度も同じようなシーンを見ているはずなのに、感慨にふけりました。戦地に赴き、休暇中に亡くなった兵士の話しに、「無駄な死になってしまったのね」とカトリンが言うと、バックリーは「死に意味なんかない」と言います。名誉の戦死もない、と言うことですね。
自分の老いを認めないヒリアードの気持ちを変えたのは、エージェントのスミス(エディ・マーサン)から仕事を引き継いだ姉のソフィー(ヘレン・マックロリー)が、敏腕だったから。頑固爺に見えて、感性はしなやかだったのですね。彼はカトリンに「君や私に仕事が来るのは、戦争中だからだ」と言います。働き盛りの男がいない、と言う事です。正しくピンチはチャンス。
数々のドラマチックな愛と涙と笑いの展開も、バックリーの言葉の通り、映画は虚構だから出来ること。しかし、その虚構のお陰で、子供の頃のバックリーや、辛くて堪らない今のカトリンは、救われたのです。今までの涙は、男性の差し出すハンカチで拭いていたカトリンですが、ラストはそれを丁寧に断り、自分のハンカチで涙を拭う姿に、エールを送りたくなりました。
私のご贔屓ジェマは、最初これでもかと言うほど地味でしたが、段々と明るく溌剌としてゆくカトリンを好演。ますます彼女が好きになりました。バックリーの役柄は、私的にストライクど真ん中の役柄で、サムの名前も覚えておきたいです。落ちぶれ役者のビル・ナイは、すごく楽しそうに演じているのが、わかる(笑)。最後の方で味わい深さ炸裂でした。ソフィはヒリアードに「怪我が治ったら、もっと栄養をつけて太らなきゃ。あなたはまだまだハンサムよ」と、にっこり励まします。これで踊るんですから、男性は単純と言うか、何と言うか(笑)。
女性向けですが、男性にも是非観て頂きたい作品です。過去から学び、今を生きる女性たちがどう歩んでいくべきか?示唆に富んだ秀作でした。
2017年11月23日(木) |
「ローガン・ラッキー」 |
映画からは引退を表明していた、スティーブン・ソダーバーグの復帰作。陽気なクライム作品くらいに思って見に行ったら、意外や私には結構な社会派作品に感じました。のんびりお間抜けな登場人物たちに見え隠れする、アメリカの地方都市の縮図を見た思いです。
足が不自由な事で仕事を失ったジミー・ローガン(チャニング・テイタム)。それが元で、仕事も家庭も失っています。しかし彼にはある企みが。それがはバージニア州で一大イベントであるカーレース場のサーキットの金庫から、現金を強奪すると言うもの。戦争で片腕を失ったバーテンダーの弟クライド(アダム・ドライバー)と、美容師でカーマニアの妹メリー(ライリー・キーオ)も巻き込みますが、この計画に不可欠な人物が。それは現在服役中の名うての爆破屋のジョー(ダニエル・クレイグ)。仕事の間だけ脱獄させて、終われば刑務所に返す算段です。さて、この作戦は成功するのか?
予告編は、本編をかなり脚色した構成でしたが、クスクス笑えるのは確か。のんび〜り、とぼけた雰囲気でお話は進みます。先祖代々から不運に苦しむローガン家。クライドはその呪縛に捕らわれていますが、その様子が、気の毒なんだけど、また笑いを誘います。
しかし、あんまり賢そうじゃない彼らなんですが、綿密に練られた計画は、案外まとも。サーキット場へ侵入してからの展開は、コメディタッチですが、ハラハラとさせられ、楽しめます。
しかし、ユーモアに包まれた薄紙をはがしていくと、アメリカの地方都市の、閉塞感や哀しみが見える。真面目に働いていたジミーが解雇になったのは、足が悪いため社会保険料が上がるから。会社的口減らしです。兄弟の昔話を聞くと、昔からお金には縁がなかったようで、高校のとき花形のフットボール選手であったジミーが、一家の不運を一発逆転させるはずが、足の怪我で、それもおじゃん。クライドが派兵を志願したのも、一家の閉塞感を打破しようとしたため。美人で働き者のメリーとて、かつての兄の嫁(ケイティ・ホームズ)の、裕福そうな現夫から、セクハラまがいの誘いを受ける。決してビッチな子じゃないのに。貧困の連鎖は、日本だけじゃないようです。
ジョーもバカ丸出しの弟二人がいますが、この儲け話に、弟たちも一口かませろと言う。お金を渡したいのです。ジョーも決して賢そうには見えなかったのに、いざ爆弾作りの段になると、いやいや凄くクレバー。ジミーしてもジョーにしても、この賢い頭を真っ当に使う場所がないのですね。正確に言うと、与えられないのでしょう。街自体が洗練とは程遠く、取り残されている感じで、きっと街全体が貧しいのでしょう。
ちっさな時のダコタ・ファニングを、思い切りお茶目にしたような、ジミーの娘が可愛い。普段は母と暮らしていますが、大好きな父との面会を楽しみにしています。その娘が、父が大好きな歌だからと、子供のミスコン大会で「カントリー・ロード」を歌うのです。私は号泣。この泥臭く教養のない街で、一生懸命もがく父を、幼い娘が肯定し、応援しているように感じたから。
この後で、え〜!それはもったいない!と言う展開が待っていますが、まぁあの「カントリー・ロード」の後じゃなぁと、納得していましたが、そこからまた、爽快なドンデン返しがあるので、お楽しみに。私はヒラリー・スワンク演じる捜査官が、話しのわかる人である事を、祈っています。
貧しさって、悪い事ばかりなんだろうか?ジミーやジョーたちの兄弟仲の良さは、貧しさから、片寄せあって生きてきたからなんじゃないかな?我が家も決して裕福ではなく、狭い家で顔を突き合わせて暮らしてきましたが、息子三人大人になっても仲がよく、三人のライングループもあるらしい。私の育て方の良さもありましょうが(笑)、「貧困」はダメだけど、「ビンボー」は家族の結束を生むのかも?と思いました。
うーん。素材はイマドキ感いっぱいだし、キャストも豪華なので期待していましたが、イマイチでした。調理が拙かったみたい。監督はジェームズ・ボンソルト。
巨大SNS企業「サークル」に新入社員として入社したメイ(エマ・ワトソン)。地味な生活を送っていた彼女には、びっくりほど華やかな世界です。同僚から時間外でもっとレクも楽しめと勧められた彼女は、次第にその華やかさに慣れていきます。ある事で九死に一生を得た彼女は、「サークル」の創始者イーモン(トム・ハンクス)の勧めで、自身の24時間の生活を、ネットで公開する事になります。
SNSやネットの功罪は、言われ始めて久しいですが、その部分は上手く描かれています。毎日を楽しく充実させなきゃいけないと言う、同僚からのプレッシャーに、最初は追い立てられて、付いていくのに必死だったメイが、次第にその世界感に染まり、パーティーや習い事、自己啓発セミナー三昧の生活を送る様子は、若い子以外でもありそうです。
常にエキサイトしていて、見ていてしんどい。だって楽しいから必死になるはずが、楽しむ為に必死になっているんだから。そうこうしているうちに、SNSに興味のない幼馴染のマーサー(エラ・コルトレーン)まで、悪気ないメイの写真のアップで、喧騒に巻き込まれます。
それが段々イーモンや腹心の、「地球に平和を!」と叫ぶ姿の裏に何があるのか?が、次第に明らかになります。ここまでは良かったんですが、その後が、ダメ。企業サスペンスとしては凡庸で、「サークル」の鍵を握るラフィート(ジョン・ボイエガ)の扱いが雑。メイとの絡み方が拙く、イーモンと袂を分かっても、重要機密扱いのIDは所持し、いくらでも自分だけで、初志貫徹出来たんじゃなかろうか?
新興宗教めいた啓蒙や啓発など、詐欺感がいっぱいです。これにお金が絡むと、人々が狂乱するのは納得出来るのですが、「24時間ネットで自分を晒す。そうすれば、悪い事出来ないでしょ?」と言う理屈は、云わば道徳心アップです。好奇心がそれほど続するとは思えない。悪意だって一過性だものね。 群集心理の恐ろしさを、ネットで描くのは、もう古臭く感じます。
作品の途中で、高齢の男性が席を立ち、「この映画、あかんわ。皆さん、これは間違ってまっせ!」と、捨て台詞を吐いて、退席されました。そう、間違っているのです。その絶対的な間違いを、胸に刻みつけずに、表層的に撫でて終わり。一番最悪なところは、そこでした。ネットに不慣れな高齢者には苦々しくとも、この描き方では、ネット民の心には、響きません。
お洒落には程遠く、センスも悪かったメイが、段々と洗練されていくのですが、これが着飾るのじゃなく、ニットにパンツスタイルでのセンスアップ。女性版スティーブ・ジョブズ的で、IT社会では、着飾るのはご法度なのかと、興味深かったです。
メイの両親を演じたのは、ビル・パクストンとグレン・ヘドリー。奇しくも二人とも、まだ60過ぎの若さで亡くなっています。特にビルパクは、たくさんの作品で楽しませて貰い、映画好きには名の知れた人で、とても寂しいです。私はお茶目な「トゥルー・ライズ」の彼が、一番好きでした。お二人のご冥福を祈ります。
2017年11月09日(木) |
「IT/イット “それ”が見えたら、終わり」 |
20年近く前だったでしょうか。この作品、前後編でNHKBSでドラマとして放送していました。当時の感想は、前編・神、後編・ゴミ(!!!)。前篇があんなに面白かったんだから、後編はどんなに面白いんだろうか?ワクワクワク。その思いを墓場まで持って行けば良かった、それが幸せって言うものよ!あぁぁぁぁ!見なければ良かったと、当時後編を見た事を、どれほど後悔したことか。原作のスティーブン・キングのファンなら、先刻ご承知だった事でしょう。なのに懲りずにまた観にいったのは、秀逸だった、前篇を映画化したと聞いたから。ダークな思春期の子供たちの姿に、上手くピエロ=ペニーワイズが溶け込み、スプラッタ物とは一味も二味も違う、思春期ホラーの秀作でした。監督はアンディ・ムスキエティ。
1988年。アメリカの片田舎のデリー。子供たちが神隠しにあったように行方不明になる事件が、多発していました。中学生のビルの弟ジョージーも行方不明に。一人で遊びに行かせた事に責任を感じるビルは、幻覚を観るようになります。彼の仲間のリッチー、スタン、エディも、実は幻覚に怯えているのですが、この幻覚は、大人には見えないのです。そこへ同級生では少し大人びたべバリー、転校生のベン、両親を火事で亡くしたマイクも加わり、幻覚に深く関わっているペニーワイズ(ビル・スカルスガルド)の真相を突き止めようと、団結します。
この作品を観ていると、子供たちの毎日は輝いているとの思いは、大人だけだなと、それこそ幻覚なのだと感じます。学校では上級生から苛めに合い、家に帰れば親の抑圧、支配、肉体的・精神的な虐待と、この作品の子供たちの毎日は、痛みに苛まれている。街全体が、悪意に満ちている感じがして、育むと言う雰囲気がありません。
親に特に問題のなさそうなビルとて、自分たちが子供を亡くした事に嘆き悲しみ、弟を亡くし傷ついているビルへのフォローは全く無し。図書館で羨望の眼差しでビルたちを見るベンを、司書の年配女性は、「夏休みは子供は外で遊ぶものよ」と説教します。友達がいればね。
反面、友情・勇気・絆と言う、少年ジャンプ的な風景も盛り込み、更には幼い恋や性の芽生えまで映す。安息はなくても、「仲間」と言う居場所の重要さ。表裏一体の陰と陽の照らし方が、繊細です。
ペニーワイズの出し方も上手。怖がらせ方も、神出鬼没でオーソドックスですが、ドキリとします。子供が主役なのに、R15指定は、「キャリー」並みの血の描写か、背徳的な関係があるからでしょうか?幼い子には、ペニーワイズはトラウマ必死ですが、せめてR12にして、中学生にはビルたちを観てもらって、自分の力で租借して欲しかったなぁ。
ビル・スカルスガルドが真っ赤な唇が毒々しく、出色の出来。ドラマ版は怪優ティム・カリーが演じた役ですが、演じ手が若返っているので、当然若々しいペニーワイズでした(笑)。もうじきステランの息子、と言う付け足しは、要らなくなるかも。 べバリー役のソフィア・リリスも、バービー人形のようなキュートな容姿で、とてもチャーミング。きっとこれから、たくさん観られると思います。
エンディングで、第一章と出てきたので、やはり第二章も作られる模様。ゴミのパートです(笑)。オチは知っていますが、大人になったビルたちを観たいので(違う役者が演じるのだけど)、やっぱり見に行こうと思います。取りあえずは、子供たちの人生の一大事には、相談して貰えるような大人にならなくちゃと、強く思った第一章でした。
2017年11月08日(水) |
「彼女がその名を知らない鳥たち」 |
「ユリゴコロ」に続き、沼田まほかる原作の映画化です。監督が私には安心の白石和彌だし、外さないだろうと予想していましたが、これが期待以上の出来。ムカつきまくった主人公二人が、冒頭とラストでは、まるで違った人に見えました。パトリス・ルコントの「仕立て屋の恋」を思い出しましが、こちらは切なさに、微かな幸福感があります。
8年前、手酷い捨てられ方をした男・黒崎(竹之内豊)が忘れらない十和子(蒼井優)。今は建設作業員の15歳年上の陣治と暮らしています。無職で怠惰な日々を送る彼女ですが、ある日腕時計のクレームを販売店に入れた事から、主任の水島(松阪桃李)と知り合います。水島に黒崎の面影を見た十和子は、既婚者の水島と関係を持ちます。黒崎への思いを抗いきれない十和子は、彼へ電話をしますが、その事で、五年前から黒崎が失踪した事を知ります。
冒頭現れる十和子と陣治の部屋ですが、まぁ〜汚い汚い!発狂するほど汚い!掃除も収納も何もしなかったら、こうなるわなぁ。テーブルの上に食べ散らかしのお菓子や、そこかしこに散乱する洋服、台所もひっくり返っている。なのにインテリアとして小物なんか飾ってる。何だかありそうで、美術さん、いい仕事しているわと、すごく感心(笑)。その時は、十和子のだらしなさを表現していると思っていましたが、最後まで見ると、あの散らかった部屋は、二人の心模様だったのでしょう。
仕事も家事も一手に引き受け、甲斐甲斐しく十和子の世話をしながらも、邪険にあしらわれる陣治。そして邪険さが尋常ではなく、見ていて腹が立つほど。それでも十和子に媚び諂う陣治に、また腹が立ち。そして不潔な身なりの陣治に、この人の作る料理を平然と食べられるなんて、どんな衛生観念をしているんだろうかと、また十和子に腹が立つ。見ているだけで、腹が立ちまくる(笑)。画面は不快感と嫌悪感マックスです。
と、そんなところへ、十和子と黒崎&水島との、ハーレクィーンロマンスの如きラブシーン。男性二人ともカッコいいんですが、これが薄っぺら過ぎてもぉ〜。歯が浮くような台詞は、返ってバカ丸出し。クズとゲスばっかりで、ため息が出ます。
そうこうしている内に、ゲスの本性を出し始める水島。十和子の回想での黒埼もそう。この辺りから、画面は黒崎の行方を追ってサスペンスフルな展開へ。
先は読めるのですが、それでも感動しました。こんなくだらない女なのに、人の良い陣治を虜にするなんて、魔性の女だわねと思っていた十和子ですが、魔性ではなく、運命の女だったのだと、ラスト近くに描かれる二人の馴れ初めを見て、感じました。
出会った当初は、それなりに精悍であった陣治ですが、今では見る影もない。でも運命の人に出会えたなら、自分は堕ちてしまっても、相手が美しいままなのは、本望だと思うのです。卑屈に感じた陣治の笑顔が、崇高なものに転じました。
尻軽に見えた十和子も、関係があったのは、出てくる男たちだけ。あんなに黒崎を追い求めたのは、まだ大人になる以前の出会いだったからなのだなぁと、思い至ります。黒崎との事が、彼女から大人への成長を奪ったのですね。その事も含み、陣治は彼女を受け入れたのですねぇ。
大阪が舞台なのに、主要人物で大阪弁を喋るのは十和子と陣治だけ。何くれとなく十和子を心配する姉(赤澤ムック)さえ、標準語なのは、どうしたわけか?それもラストの陣治の「ずっと二人で、楽しかったなぁ」との言葉で、納得。陣治の世界は、リアルに息づくのは、二人だけだったんですね。ちなみに優ちゃん&サダヲちゃんの大阪弁は、完璧でした。
蒼井優ちゃんは未来の白石和子を信じているワタクシですが(笑)、今回その白石和子を彷彿させる般若の形相や、濃厚な濡れ場も出てきます。いやーねー、あえぎ声付きとは、思わなんだ。可憐でエロチックでびっくり。奔放な男性遍歴が知られる彼女ですが、既婚者がいたわけじゃなく、男をとっかえひっかえなんて、女優として何ら問題なし。むしろ箔が付くと言うものです。どこにもいない、「蒼井優」と言う個性を持って、大女優へ向かって下さい。
竹之内豊と松阪桃李は、確実に今まで演じた役柄で、キングオブクズでした(笑)。主役も張る彼らが、よく引き受けたなこの役と、感心。そんじょそこらの二枚目じゃ、この逆転の引き立て役は、叶わなかったと思います。
そしてサダヲちゃん。やっぱり上手いのよね。あんな不潔で愚鈍な男を、愛に生きる殉教者に転じさせるんですから、すごい。種無しと連呼されますが、それをモチーフにしたオチも、哀しく美しいです。
姉の「浮気する男は、死ねばいいのよ」。陣治の「このまま(水島と付き合っていたら)、大変な事が起こるぞ」等々、終わってみれば、暗示でした。腐臭がすると見せかけて、澄み切った純愛映画でした。
面白かった!これは拾い物でした。人種差別を描くと見せて、実は・・・、でもやっぱり!と言う作品。監督も黒人のジョーダン・ピール。
黒人の好青年クリス(ダニエル・カルーヤ)は、週末白人の恋人ローズ(アリソン・ウィリアムズ)の家族と一緒に過ごす事に。一抹の不安は、自分が黒人だと、ローズの家族は知らない事。しかしローズの両親のアーミテージ夫妻(ブラッドリー・ウィットフォード、キャスリン・キーナー)は、歓迎してくれ、弟ジェレミー(ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ)も加わります。それでも、黒人メイドや黒人管理人に不穏な空気を感じるクリス。翌日は、祖父の代からの白人ばかりの親睦会があり、そこでたった一人、黒人を見つけるクリスだったのですが・・・。
とにかくアーミテージ家に着いてから、観ていて居心地悪いのなんの。観たいのだけど、帰りたくなるような、ムズムズ感。これは、クリスの感情を体感しているのでしょう。差別と思えばそうだけど、考えすぎと言われれば、それまで。それがず〜と続くのですから、クリスも私も体に悪い。
母が精神科医と言うのが、不穏な怪しさをぬぐえない。キャスリン・キーナーなので、ますます怪しい(笑)。父も医師で、オバマ支持の、リベラルで知的な白人だと印象つけます。実はこれが、ポイントなのじゃないですかね?
父親のオバマを支持しているの発言は、本当なんでしょう。集まる白人たちも、身体的な黒人の能力の高さを羨望している。色々と配慮や尊重もしているつもり。そう、「尊重してやっている」のであって、対等ではないのです。感想は書いていませんが(残念!)、秀作「ドリーム」の中で、黒人部下のオクタヴィア・スペンサーに対し、散々な対応をしてきた白人のキルスティン・ダンストが、「誤解しないで。私は差別感はないのよ」と言うと、「知っています。あなたが、そう思い込んでいるのは」と、痛烈に返答したオクタヴィア。
知的でリベラルな白人たちの、自分たちも気付かない心の底を、デフォルメして描いていたのじゃ、ないかしら?こうでもしないと、気付かないでしょうね、「してやっているつもり」の白人には。それをホラー仕立てで描くのが、秀逸なアイディア。でも秀逸過ぎて、俺のことじゃないぜ、と思われるかも?(笑)。対するクリスは、お前の思い過ごしだよ的な差別を、怒りを飲み込み、笑顔で大人の対応で切り抜ける。この様子に、監督の多くの黒人を代弁する気持ちが、込められていたと思います。
冒頭の車に飛び込む鹿、意味不明の黒人メイドの涙など、びっくりさせたり、じわじわ気持ち悪くさせたり、禍々しいムード作りも上手い。クリスの友人の使い方もユーモラスで、不穏さを持続させながら一息つけます。ラストは最後までどちらに転ぶかわからず、固唾を呑みましたが、お陰様ですごい開放感でした。ピール監督、なかなか知的な才人のようです。
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