ケイケイの映画日記
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2017年10月30日(月) 「あゝ、荒野」(前後篇)




素晴らしかった。面白いとか詰まらないとか言う前に、映画を観て、こんなに興奮して熱い涙を流したことは、久しぶりな気がします。主人公たちと共に、全力で馳走した前半に比べ、後半はやや失速したものの、手応えは充分。脇のプロットが上手く本筋に絡んでいない箇所も多かったけど、そんな事うっちゃるくらい、気に入りました。多分私の今年の邦画NO・1です。監督は岸嘉幸。

2021年の新宿。オレオレ詐欺と暴力行為で、少年院から出てきたばかりの新次(菅田将暉)。施設育ちで身寄りはありません。理容室で働く吃音の建二(ヤン・イクチュン)は、幼い時に韓国人の母が亡くなり、以来元自衛官の父(モロ師岡)と二人暮らしですが、ずっと虐待され続け、成人した今も、給料を詐取されています。寄る辺ない身の上の二人は、ひょんな事から元ボクサーの堀口(ユースケ・サンタマリア)のジムに誘われ、二人はプロボクサーを目指します。

原作は寺山修司が60年代に書いたものを、今から四年後の新宿に移して描いてます。新次の恋人芳子(木下あかり)が、東北の震災の被災者であったり、テロの様子、介護職や自衛隊に入ったら、奨学金免除の法案が決議とか、上手く今の時代を照らし、脚色しています。特に法案は、本当に出来てしまいそうで、怖い。

日向を歩いた記憶がない二人。ジムに寝泊まりし、仕事をしながら練習に励む日々は、初めて真っ当に生きている手応えを感じたはず。そして、友情も。障害に近く言葉の出ない建二を、新次は「兄貴」と呼び、年上として敬意は示しますが、何くれとなく庇います。この頃から、新次に対する建二の「憧れ」が芽生えたのでしょう。

自分や施設時代の先輩リュウキを売った、今はボクサーのユウキ(山田結貴)が、許せない新次。試合で殺せば合法だと嘯きますが、半身不随となったリュウキは、ユウキを許している。その心が解せず、どす黒いジレンマに縛られる新次。

ここから、数々のボクシングシーンが描かれます。練習風景、迫力満点の試合など、非常にリアル。超売れっ子の菅田将暉は、いったいどこで時間作って、ボクシングの練習したんだろうかと、本当に感心しました。とても様になっている。日の出の勢いの若手が、役作りに手間隙がかかり、観客動員もそれほど望めない作品の主演を引き受けた事に、事務所や本人の心意気を感じ、少なからず感激しています。この子はこれから、邦画を背負って立つ子だと確信しました。

いつもは強面のイクチュンが、小心で心優しい建二を演じて、絶品なのにも感心。どこにも心の許せる友人のいなかった建二が、ボクシングを通じて、堀口や新次と築いた「絆」。それを一度ぶち壊したくなった心こそ、建二の成長ではなかったのか?それが独りよがりであっても。

体を売って自分を育てる母親(河井青葉)を嫌い、母を捨てた芳子。彼女が体を売った相手からお金を盗むのは、自分の過去や母に復讐していたのでは?そこまで幸せが来ているのに、その幸せが怖くて、逃げ出す芳子。映画でたくさん観てきた女性です。その感情はどこから来るのか?自尊心が保てず、自分を愛せないのです。演じる木下あかりは、私は初めてでしたが、存在感抜群。芳子も人生に重たい物を背負った子ですが、明るい普段から、かいま見せる暗さも上手く、脱ぎっぷりもいいです。伸びやかな手足は、濡れ場でも官能性より若々しさを感じさせました。この子も、伸びますよ。

この作品に出てくる親は、クズばかり。捨てたはずの息子との再会に、下手に出たかと思えば、突然怒り出す情緒不安定な新次の母(木村多江)。自分の鬱屈に対して、酒を煽り、息子を支配し暴力を振るう事しかしない建二の父。娘を探す芳子の母も、娘が心配と言うより、「母親」と言う自分の居場所が欲しいのでしょう。芳子は母から「求められる」、それが嫌なのです、きっと。

一見飄々としながら、試合で片目を失い、ボクサーとして不完全燃焼な感情を、新次と建二に託す堀口。最後の一花咲かせたいトレーナー(でんでん)。品がなく山師的ながら、愛嬌たっぷりで情の濃いジムの社長(高橋和也)。演じての好演も相まって、突出した個性を見せる登場人物の中、私が心に残ったのは、ジムの土地の持ち主で二代目と呼ばれる男性(川口覚)です。

華やかな新次の影に隠れた、地味な建二に関心を持ったのは、自分もそういう立場だからじゃないでしょうか?二人で食事するシーンでの、無邪気な彼は、決して金に飽かせて、建二をおもちゃ代わりにしたのでは、ないと思います。
体の弱い彼も、男性的な強さに憧れがあり、自分の代わりに建二に体現して欲しかったのでは?二人三脚の気持ちだったと思います。

不完全燃焼な自分、変化したい自分、成長したい自分。皆が皆、自分をぶつけるボクシング。その集大成が、ラストの壮絶な試合なのでしょう。現実では有り得ない試合ですが、一心な心と肉体がぶつかり続ける姿に、無性に涙が出て、止まりませんでした。とても辛いラストなのに、新次と建二と共に馳走した5時間の、カタルシスも味わいました。

「明日のジョー」の歌の最後は、「明日は、どっちだ」でした。新次の明日は、どこなのか?呆けた傷だらけの彼が見つめる先にいるのは、芳子か母か堀口か?私は芳子であってほしい。彼と共に人生を歩めるのは、芳子しかいないから。そして二人の明日が見つかった時、この愚かな母たちを、許してあげて欲しいのです。




2017年10月28日(土) 「アトミック・ブロンド」





いや〜、全然面白くないのに、すごく良かった(笑)。ひとえにシャーリーズ・セロンのお陰です。彼女のアイドル映画。監督はデヴィッド・リーチ。

東西冷戦さなかの1989年。イギリスの諜報部員ロレーン(シャーリーズ・セロン)は、何物かに奪われた極秘リストの奪還と、二重スパイとされている、サッチェルなる人物を暴く任務を帯び、ベルリンに出発します。当地では先に潜入調査しているパーシヴァル(ジェームズ・マカヴォイ)と組むように言われますが、ロレーンは信頼できません。誰が敵か味方かわからない攻防戦に火蓋が、切って落とされます。

展開が、特に前半重たいです。ロレーンに事情聴取しているプロットに、それを回想として再現する趣向なのですが、これが結構わかりづらい。ガスコインだとか、プレモヴィッチだとか名前が覚えづらく、誰だっけ?と、思い出している隙に、台詞に置いて行かれそうになります。予告編で「キラー・クィーン」が思い切り流れ、それだけで予習せず、ワクワク見に来たことを反省。

でも、それを払拭して余りあるのが、セロンの豪快な魅力です。優秀なスパイ役なので、とにかく凄腕。セクシーだけど、色仕掛けなんて甘っちょろい真似はせず、銃を持たせりゃ一発で仕留め、一匹狼で殴る蹴る走る!ただ強いだけではなく、自分も血だらけ傷だらけ。腕力に長けている女性を描くと、どうしても添え物か、アメコミのヒーロー、または男勝りになり勝ちです。それがセクシーでゴージャスな女盛りの美女が、生身を使って危機また危機を潜り抜ける男前さに、もう惚れ惚れ。

それをその辺のアクション女優がやるのではなく、当代イチの美貌と演技力を誇る、シャーリーズ・セロンが、壮絶なアクションの数々を演じ、ヌードも濡れ場も有りってなんですから、一層惚れるじゃございませんか。ジェニファー・ローレンスも、エマ・ストーンも大好きなんですが、セロン姐さんのこの貫禄の前じゃ、まだまだ太刀打ち出来ませんて。

私の好きなマカヴォイ君も、怪しさ満点のやさぐれスパイを演じて、好演。裸のシーンも多かったですが、あんなにいいガタイしてたっけ?段々怪優っぽくなるのが、少々心配ですが、昨晩3Pした娼婦を起こすのに、蹴っ飛ばすんじゃなくて、キスして起こしてあげるなんて、やっぱりマカヴォイ君だわ〜と、筋に全然関係ないところで、こちらも惚れ惚れ。ソフィア・ブテガも、結構重要な役で登場。異形じゃない彼女は初めてですが、今回初仕事の諜報部員役で、初々しい感じが良かったです。異形ばかりだと、色がついちゃうからね。でも異形の方がチャーミングです。

他には80年代の音楽も、すんげぇ良かった!スマッシュヒットの「ベイビー・ドライバー」も観ましたが、確かに面白かったんですが、音楽がイマイチ私には合わなくて、クィーンの「ブライトン・ロック」以外心弾まず。気分が上がらず終わってしまったので、この作品も期待値低めに設定してましたが、クラッシュやネーナの80年代のロックポップは、私の波長にあって、楽しさ倍増でした。「キラー・クィーン」は流れなかったけど、「アンダー・プレッシャー」が最後に流れたので、良しとしよう。

後半やっと展開が速くなり、スパイ映画らしい、二重三重のどんでん返しもあります。でもその頃には、相関図が頭に入らないのも、展開の退屈さも忘我の如く。セロン姐さんに、身も心も釘付けになっているので、無問題。面白くないのに、もう一度観たいです(笑)。


2017年10月09日(月) 「パーフェクト・レボリューション」




すごく複雑な思いを抱かす作品です。この作品は昨今取り沙汰される「障碍者ポルノ」と言う言葉を、圧倒してうっちゃりたかったはず。そこそこ上手く行っていたのに、それが一番大事なラストで、敵に寄り切られた風なのです。すごく残念。監督は松本准平。

幼い時に脳性麻痺を患い、四肢が不自由なクマ(リリー・フランキー)。中年の現在は、親元を離れて自活しています。生業は文筆業。障碍者の性に理解を深めようと、ネットや講演も活用しています。クマの講演を聴きに来た若い風俗嬢ミツ(清野菜奈)は、クマに一目惚れ。押しかけ彼女になります。最初は困惑していたクマですが、次第に打ち解け、お互いが誰より必要となります。しかし、クマを支えるはずのミツもまた、人格障害と言う心の病を抱えていました。

クマのモデルの熊篠義彦が、原案を提供しています。この人の事は、新聞やテレビで取り上げられていたので、少しは知っています。クマは講演ではエッチな事ばかり言って、ユーモアたっぷりですが、実際は良識のある大人の男性です。私の覚えている熊篠氏と、違和感無く重なりました。なので、え!?未だに障碍者に対して、こんな侮辱的な態度を取る人がいるのか?と、思いましたが、これは事実なのでしょう。最初はミツを迷惑がっていたクマですが、そんな失礼な輩に食ってかかり、暴力を振るった彼女に、「ありがとう。さっきは嬉しかった」と言う件は、胸を張って生きているように見えるクマでさえ、本当は世間に小さくなって生きているんだと感じ、辛くなります。

母親(丘みつ子)との間もそう。多分お互いがお互いに「すまない」と、思っているのでしょう。母親が、法事に派手な格好、ピンクの頭髪でいきなり現れたミツを、すんなり息子の恋人として受け入れたのは、息子の「人並み」が嬉しかったのでしょう。「人並み」は、親として子に与えてやれなかったもの。このお母さんがどんな気持ちか、これだけですごく良く表現出来ていました。

しかし、親は子供の障害の重みを甘んじて受けても、親戚や兄弟は違います。弟の嫁のよそよそしさ。無神経な叔母の発言。叔父の説教。どれもこれも、クマには煩わしかったはず。きっと母にも。だからクマは、自活の道を選んだんだね。弟は間接的な表現でしか描かれませんでしたが、一心に母の愛を受けたはずの兄への、複雑な気持ちがあったはず。兄が健常であれば、反発も出来たでしょうが、そうは出来ない、有無を言わさぬ雰囲気が、クマの家庭にはありました。弟はもっと掘り下げて欲しかった。

重要な人物に、クマの介護人の恵理(小池栄子)。長年介護してしるのでしょう、もう姉か母親のようになっている。近過ぎる関係に、それで失敗した
「セッションズ」を想起しましたが、恵理が既婚者であるのが、二人の防波堤になっていたのでしょう。以前、子供のいる脳性麻痺のご夫婦のドキュメントを観ましたが、奥様が泣きながら介護者(女性)に悩みを訴え、介護者が親友のように受け答えしていました。日本では、このような親密感は、仕方がないのかも。

強引なミツに引きずられ、でも精神的にはクマがリードして、二人が親密になり恋人同士になって行く様子が、とても自然です。その過程は、障害も年齢差も、全然関係ありません。障害者だからと言って、恋をしてはいけないなんて、思い込む必要はないんだと、訴えかけています。お互いがお互いの生き甲斐になって行くのですね。セックスに愛情は必要ないと思い込もうとしていたクマですが、そうではなかったと、きっと思ったはず。ミツもそうでしょう。私はずっとずっと以前に読んだ、どんなセックスが一番いいですか?と言う質問に、「好きな人とするセックスが一番」と答えた、風俗嬢さんが忘れられません。

それが、ミツの結婚したい、子供が欲しいと言う願いを、クマが躊躇し始めた事が原因で、綻び始めます。リストカット、暴力行為・暴言、自殺願望など、超がつく情緒不安定ぶり見せるミツ。人格障害で顕著な症状です。人格障害の人は、本当に面倒くさくて、こちらの精気を吸い取るが如くです。なのに、一見は普通なので、身近な人しかわからない。本当に厄介です。何でそんなに詳しいかと言うと、前職で精神科の受付をしていたからですが、それ以上に、私の亡くなった母親が、人格障害だったから。

もう27年前に亡くなっているので、そんな病があるとも知らず、精神科にも通院していなかったので、確定病名をもらったわけじゃないけど、多分ね。私はそれがわかっただけでも、精神科に勤めて、本当に良かったと思っています。母はミツ+摂食障害、虚言癖がすごく、今思えば、大事な話しは、ほとんど「大盛り」でした。等身大・自然体が苦手で、とにかく振り回される。私が精神科に勤めていた頃、先生に母の話をしていて、私には何で症状がないのかを尋ねたら、人格障害は、環境が作るもの。そして母のようになりたくないという強い信念が、私にあったから。と言われました。

ミツは子供より男を選ぶ母に生まれて、ネグレクトで育ち、気がつけば、男を憎みながら、男の愛情を求める、母のような女になっていました。私が自分を尊重出来たのは、そんな母でもしっかり愛情は感じていたからです。例えそれが、束縛と名がついても、そんな事はずっとずっと後で気付いた事です。なので私は、人格障害の女の子たちを見限りたくない。

母が右往左往しながらも、病死と言う形で人生を全う出来たのは、私と妹がいたからです。救われたくて、ミツが子供を産みたいと思ったのは、本能的なものだった気がします。諸刃の剣では、ありますが。

と、ここまでは、お涙頂戴ではない、問題提議もいっぱいして、なかなか良かったのに。自分を傷つけ、周囲を傷つけた二人の行く末が、あれか?傍観者でも偽善者でもなく、ミツに寄り添って保護者のようだった晶子(余貴美子)に、何であんな事させるの?恵理まで加担させて。一番二人を理解して、二人に幸せになって欲しいと思っている彼女たちが、どうして最後の最後、善意の偽善者になるの?とにかくラストで、思い切り落胆しました。

あれでは、破綻へ一直線。この作品はフィクションです。だから尚、もっと現実的で希望の持てるラストを描いて欲しかった。ラストで大きくバッテンをつけたい気分です。

ファンタジーオチとでも言いたくなるようなラストは、熊篠氏もOKだったのでしょうか?現実に行き詰まり、仮初の希望にOK出したのなら、残念です。
本当にクマの事、ミツの事を思うなら、別のラストを描いて欲しかった。私なら作業所でもどこでもいい。働くミツを観たかった せっかく演じ手皆がとても好演していたのに、本当に残念です。



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