ケイケイの映画日記
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2017年01月29日(日) 「マギーズ・プラン 幸せのあとしまつ」




大好きな「フランシス・ハ」の、グレタ・ガーウィク主演なので、勇んで観てきました。略奪愛して結婚した夫を、愛が冷めたから元妻に返そうなどと言う、とんでもない女性のお話が、グレタが演じると、何ともユーモラスな、ほのぼのしたラブコメになるんですから、あら不思議。監督はレベッカ・ミラー。ちなみにダニエル・デイ・ルイスの奥さんです。

ニューヨークの大学で職員として働く30才目前のマギー(グレタ・ガーウィク)。恋愛が続かない事が悩みの彼女、子供だけは欲しくて、友人の精子を貰って人工授精しようと思っています。そこへ知り合ったのが、人類学者のジョン(イーサン・ホーク)。彼の書いた小説の感想を求められたマギー、その才能に魅せられます。大学教授の妻ジョーゼット(ジュリアン・ムーア)は家庭を顧みず自分の仕事優先で、安らぎがないと言うジョン。妻と別れて君と結婚したいと言うジョンに、マギーはあっさり陥落。それから数年後、徐々に噛みあわなくなってきたジョンとの生活に、マギーが疑問を感じていたある日、ジョーゼットと会う事に。ジョーゼットは鬼嫁なんかではなく、今もジョンを愛していると感じたマギーは、何とジョンを返還したいと申し出ます。

「フランシス・ハ」のフランシスの数年後か?と言うほど、キャラが被る今回のマギー。美人なのにちょっと鈍くて大柄でもっさり。ドタドタ歩く様子は洗練には程遠く、なのに、ゆったりのんびりした様子は、絶妙にチャーミング。家庭生活に余裕がなく、疲弊していたジョンが魅かれるのも、宜なるかな。

念願の娘にも恵まれ、順風満帆のはずのマギーの生活ですが、落とし穴が。ジョンが小説を書くべく仕事を辞めてしまったので、家事も育児も経済的にも、一気にマギーの細腕(太そうだけど)にかかってきたのです。

題材はとっても反道徳的なのですが、この作品、夫婦の心模様、すれ違い、子供たちとの家庭の様子などが、とってもよく描けている。なのでマギーの勝手な提案が、これ全てみんなの為と、何だか納得出来るのです。

優秀さでは敵わないジョンが、ジョーゼットのサポーに回ったものの、ある種の卑屈さを託つジョンを、マギーも私が支えて、小説家として大成させてみせるわ!と思ったんでしょうね。しかし男に仕事をさせず、夢を見させると言うのは、甚だ危険なもんですよ。ろくなもんじゃない。妻のため、専業主夫になる方が、ずっとましです。

時間が経ち、家庭の全てが自分の糧にのしかかれば、妻は疲弊するに決まっているし、夫は夫で、ある程度でけりをつければいいものを、妻に苦労かけているので、傑作を書かなければ捨てられると思いこんでいる。妻はそんな事より、早く出版して、形になって欲しいのに。

面白かったのは、不満を小見出しに仕掛けるマギーに、ジョンは秘密のカジノに連れて行き、その後濃厚な夫婦の営みと、たっぷり二人とも楽しんだ「はず」の翌朝の様子。ジョンは大喜びの妻に、こんなにサービスしたんだから、もうストレス解消したよね?と、妻の不満は大したことじゃないと思っているのに、マギーの方は、ほんの憂さ晴らしよ、根本的な問題は何も解消してないじゃないの?と、また議論に持ち込み険悪に。夫はびっくりうんざり。あー、もう私にも心当たりがあちこちに(笑)。男女の根本的な思考の違いを、ユーモアに、でも辛辣に描いています。

ジョーゼットは学者としては超優秀でも、女性としては好感の持てる未熟さを持つ人。マギーの提案にバカにしてんの?と一蹴するも、その後乗る様子は、あぁ未練があるんだなぁと、切なくなります。元妻としては、とても屈辱的な話なんですが、それより自分の気持ちに素直になったんですね。

何度も良心の呵責から、ジョンにこの試みを告白しそうになるジョーゼット。そして結婚生活に反省もしている。理由はわからないのに、そんな元妻の様子に愛おしさを募らせるジョン。この辺はねー、元夫婦だものねー。現妻が離婚した先妻と夫が会うのを嫌がるのは、こういう事かと、納得しました。これは男女が逆でもありそうです。私ならね。

イーサンがユマ・サーマンと結婚した時は、まぁこんな坊やとじゃ、釣り合わないよねと、びっくりしたもんですが、中年以降グングン男としての渋さと愛嬌を兼ね備えたイーサン。今回も愛すべきダメ男を好演。女性二人にいいようにされて、男として立つ瀬がないはずが、「一番悪いのは俺」と自覚している様子に、二人の妻が惚れてしまったのも納得。そんなジョンを好演しています。

演技派ジュリアンは、今回もセックスシーンありで、裸になったらどうしよう?と、ドキドキしたんですが、今回ヌードはなしで、安心しました(笑)。小柄で華奢な体にセンス抜群のファッション。滲み出る女性としての風格と、夫に対しての不器用さのギャップを、流石の演技力で披露。

そしてグレタ。ジョーゼットに「あなた変な人ね。純粋でバカで損得考えないで。でもあなたが好きよ」と言われる不器用なマギーを、本人じゃないのか?と思わせるほど、自然体に演じています。この作品への好感は、彼女あっての代物です。

各自が収まる所に収まり、不思議なハッピーエンドに包まれるラスト。愛は恥をかこうが、プライドを失くそうが、素直に表現したもん勝ちだなと、思いました。年がいくと、これが結構難しい。最近パワハラ妻を自覚しているワタクシ、この三人を見習おうと、思います。


2017年01月25日(水) 「沈黙-サイレンス-」




中学生の頃、一連の「狐狸庵VSマンボウ」を楽しんで読んでいた私は、次に「ドクトル・マンボウ航海記」にも手を伸ばしました。わ〜面白かった。じゃあ次は狐狸庵先生だねと、手を取ったのが、この作品の原作。しかし(笑)。まだ中学生には読めども読めども、全然面白くなく、途中であえなく玉砕。まぁ中学生だったので無理からぬ話ですが、今回の映画化も162分の長尺で、退屈だったらどうしよう?と、怯みながら後ろ向きの鑑賞前でしたが、一切杞憂に終わりました。素晴らしかったです。難解な問答を、誰にでも解り易く描き、深く掘り下げた作品で、私的に傑作だと思います。監督はマーティン・スコセッシ。

17世紀。日本で布教活動を行っていた、高名な宣教師フェレイラ(リーアム・ニーソン)が、拷問に耐えかねて棄教したと、教会に届きます。フェレイラの弟子のロドリゴ(アンドリュー・ガーフィールド)とガルベ(アダム・ドライヴァー)は、危険を顧みず、フェレイラ探しを兼ねて、日本への布教を志願します。二人は日本人のキチジロー(窪塚洋介)の道先案内で、長崎の貧しい村へとたどり着き、モキチ(塚本晋也)たち信徒に、引き合わせて貰います。

まず素晴らしいと思った点は、とにかく解り易い。生死を賭けて信仰心を守り続けるのか?それとも、一旦引いて、生き延びる方が大事なのか?そしてその生死が、自分の決断により、他者に及んだら?これが、パードレ(神父)や信徒の農民たちで、繰り返し描かれます。頭ではすぐ答えが出るのに、その度に心が揺らぐのです。激しい拷問に殉教する人々を、どこか美しいと思ってしまう自分が、とても意外でした。

思うに、殉教する信徒たちは、拷問より辛い日常を送っていたのではないか?そしてキリスト教を信仰する事により、死ねば「パライソ(パラダイス=天国)に行けると思い込んでいる。

宗教が人々の安寧な生活と生きる喜びを導くものとは表面で、裏では国家勢力の拡大に伴い、戦争まで引き起こしているのは、周知の事実。とても生臭いものであるのも事実。それを危惧しての、幕府の弾圧だと言うのも、きちんと盛り込んでいます。下手に知恵を付けられて、貧しき信徒に暴動など起されては困るから。

なのでキリスト教を憎んでも、信徒たちは棄教すれば許される。この事がインプットされたのは、取り締まる奉行の井上(イッセー尾形)の存在です。凄惨な拷問を指示しながら、飴と鞭を使い分け、老練な手練手管でロドリゴを追いつめる井上。しかしながら、清濁飲み合わせる風格と、非情なだけではない、懐の深さも感じます。イッセー尾形が見事に演じて、監督の期待に応えていました。

ただ、この井上様、確か転び伴天連だったと記憶しています。私はそれを知っていたので、キリスト教を学んだ上での行いと、井上が解り易かったのですが、劇中それは描かれていたかしら?

もう一人、印象的な存在がキチジロー。彼が一番共感出来る人は多いのでは?私もそうです。生きるために泣く泣く踏み絵を踏み、脅されてはロドリゴを売り、何度も何度も告解をして、キリスト教信徒に戻っては、また裏切る。下俗で狡猾なようで、一番信仰を欲していたキチジロー。キリスト教徒に戻っても、何の得にもならないのに、それでも信仰を欲する彼こそ、一番にキリスト教の素晴らしさを体現していたのではないでしょうか?

棄教か殉教か?壮絶な葛藤に身を置くロドリゴに、沈黙し続けた神が、彼に語りかけます。あれは私は、ロドリゴの内面の声だと思うのです。神は内なり、そう描いたのかと感じました。

宗教は長い年月を掛けて受け継がれるもの。それがその時代時代のリーダーによって、自分の思惑や感情が混じってしまうと思うのです。それが神の教えだと言い伝えられ、その次に受け継ぐ者もまた、自分の感情を入れ込む。末端の信者は、正しく教えを受け継いだ人を、師に選ぶリテラシーを持たなくてはいけないのだと思います。棄教してしまったロドリゴですが、煮え湯を飲まされたキチジローが、最後まで彼に寄り添い、ロドリゴがキチジローに「ありがとう」と言葉をかけた時、初めてこの厳しい作品中、涙が出ました。ロドリゴは立派な神父です。

フェレイラは、「日本は沼地で、キリスト教は育たない」と言います。かつて沼地であったのに、立派に信仰者は増えている。それはキリスト教だけが偉かったのではなく、日本と言う国が、成熟したから。それが一番だと思います。決して沼地に戻りませんように、切に願います。






2017年01月20日(金) 「ネオン・デーモン」




あちこちで、賛否両論の作品。この画像のエル・ファニングを観た時、何て綺麗なのかしらと思い、絶対観ようと思った私は、賛でした。しかし、けばけばしく悪趣味全開の画面は、否の感想も充分わかる作品。監督はニコラス・ウェイティング・レフン。

田舎町から、一人ロスアンジェルスに出てきた16歳のジェシー(エル・ファニング)。安モーテルに泊まりながら、モデルとして売り込む彼女は、際立った美しさがすぐ目に留まり、トップモデルとして輝き始めますが・・・。

最初、画像のエルが映された時、ラストシーンから始まるのかと思いましたが、これは売り込みの為の撮影でした。これでこのお話は、全て虚構として観ろと言う意味かと、感じます。

とにかくエルが素晴らしい。美しい、完璧と、劇中絶賛される彼女ですが、実はそんなに美人じゃないです。しかし長身で手足や首が長く、これくらい痩身なら、本来頬はこけるはずが、丸顔で小づくりの童顔は、桜色の頬がぷっくり。そして抜けるように白い肌は、ミルクを塗ったように輝いている。そして天然のブロンドの巻き毛は、おとぎ話のお姫様のよう。

彼女の全身は、あらゆるファッションを表現するキャンパスとして、「完璧」で「美しい」のじゃないのかな?色を塗り、装わせ、カメラマンやデザイナーが、自分色に完璧に染められる逸材なのだと、感じます。エルはその意図に応え、清楚だったり超モード系であったり、娼婦のようだったり。どの場面でも変幻自在に自分を操り、いつまでも彼女「だけ」を観ていたい気分にさせる、素晴らしい存在感。撮影当時17歳だったことを思えば、恐れ入る好演です。

モデル仲間のサラ(アビー・リー)やジジ(ベラ・ヒースゴード)の、ジェシーに対する妬みや羨望。魔物に取りつかれたように、美に執着し年齢を気にする様子など、モデル以外でも大なり小なり、女子ならあるあるです。出世街道を歩み始め、純朴だったジェシーが、段々と同じように狂気じみた世界へ馴染んで行く様子など、作り込んだサイケで退廃的な画面とは別で、内容は既視感たっぷり。

違うのは、そこから何か教訓を得たり、感動を呼ぶ出来事が起きないこと。考えるのではなく、感じる作品なのだと思います。自分にフィットすれば、とても楽しめる作品だと思います。

たっぷりエルの破格のチャーミングさ感じた後、どうなるのかと思っていたら、あれあれ、お話は思い切りホラー染みてきます。ここからは強烈な描写の連続。ジェナ・マローン演ずるメイクのルビーは、ジェシーの唯一の友人と言っていい存在です。私はジェシーとルビーの出会いの場面で、あれ?この子(ルビー)もしかして?と感じたので、展開にはそれほどびっくりしなかったのですが、その次の描写が、もう悲しくて。

インモラルの極みですが、彼女はこうやって、ずっと自分を慰めていたんじゃないかなぁ。地味な格好で、モデルたちに最高のメイクを施し、常に女神のように美しい女性たちに囲まれていたルビー。友情や感謝も、この世界では仮初。自分が見守り、雛から育てたような愛おしさを抱いていたジェシーに、きっと裏切られたと感じたんでしょう。夢か現実かの、浮世離れしたダークな世界観の中、どの女性にも肩入れ出来ない中、ルビーの哀しみだけが、生温かく感じました。

安モーテルの支配人のキアヌ・リーブスや、ジェシーの友人(カール・グルスマン)、カメラマンにデザイナーなど、男性陣は記号的役割ながら、美に魅入られた女性たちとの関係性を、それぞれの立ち位置から浮彫にして、上手い使い回しだと思います。

美と嫉妬と狂乱の世界で生き抜くには、毒を喰らわば皿までなんだよと、サラは言っているのかな?ショッキングな場面が多く、あまりお勧め出来る作品ではないですが、画像のエルちゃんが素敵と思った方は、イケる作品かな?




2017年01月10日(火) 「ドント・ブリーズ」




一番好きなカテゴリー、小品佳作でスタートした今年。なら次は、二番目に好きなサスペンスだ!と言う事で、この作品をチョイスしました。見逃しも覚悟していましたが、大阪市内では一館しか上映していないのに、意外に健闘していて、無事観る事が出来ました。オーソドックスな展開ながら、設定に小技が効いていて、結構怖くて、ワクワクしながら観ました。そう、ドキドキではなく、ワクワクね(笑)。監督はフェデ・アルバデス。

ロッキー(ジェーン・レヴィ)、アレックス(ディラン・ミネット)、マニー(ダニエル・ソヴァット)の三人は、窃盗を繰り返す三人組。その三人に、盲目のイラク戦争の退役軍人の老人(スティーヴン・ラング)が隠し持っている大金を、強奪する話が持ちかけられます。虐待する母親から、幼い妹を救い出したいロッキーは、嫌がるアレックスを説得。夜中に侵入した三人ですが、そこから悪夢のような惨劇が始まります。

この手のお話は、昔からありますが、逃げ惑うのが盲人である場合が多いと思います。逆転しているのが、今作のミソ。そして老人が退役軍人の設定が効いている。観る前は、もっと人間離れしたキャラなのかと思っていましたが、超人的ではありますが、まぁ人間の範疇(笑)。身体能力は凄いとは思いますが、イラクで戦っていたと言うのは、説得力ありでした。

盲目の老人相手だから、簡単に強奪出来ると思っていた三人ですが、待ち受けていたのは、戦慄の世界。セオリーを踏襲したストーリー展開で、まずの犠牲者は、ある意味捨てキャラ。泣かせる嘘を残すのですが、老人にすぐ見破られます。

以降狂気じみた殺戮場面が延々繰り広げられます。見覚えのあるような場面ばかりですが、一つ一つの見せ場を丁寧に作ってあるので、見応えがあります。特に老人から全ての灯を消され真っ暗な中、迷路のような室内を、犯人たちが見えるはずないのに、カッと目を見広げながら歩く様子は、自分も一緒に体感しているようで、気に入りました。

金に執着しなきゃ、傷は浅かったろうにと思うものの、執着する気持ちもわかるし、老人もトチ狂っている人ですが、それも一人娘が交通事故で亡くなったからだと思うので、同情も出来る。二方一片の憐憫を感じさせる脚本が良かったです。

ある遺体を抱いて、「おぉ、ベイビー・・・」と抱きしめ涙ぐむ老人に、はっ?何故?あんた、この人が憎いんでしょ?と謎でしたが、ベイビーは文字通りの意味だったと解明した時、上手い!脚本に座布団五枚!と、叫びそうに(笑)。他にも「クジョー」や「地獄の貴婦人」を想起させるプロットもあり、90分足らずの作品ですが、最後の最後まで先が読めず、楽しませてくれます。

ラストは、まぁ痛み分けかな?続編を作りたそうな最後です。逆切れした犯人が、老人を罵る場面があって、なんだよ、悪いのはお前だろうが!と思った人は、私を含め多数のはず。私のように爺さんに肩入れした人は、きっと次も観に行くと思います(笑)。


2017年01月07日(土) 「ミス・シェパードをお手本に」




明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。

何と一か月ぶりの映画です。12月中旬からの体調不良が長引き年末年始に突入。今もすっきりしません。こんなにしつこい風邪は、記憶にござらん。子宮筋腫の時でも、術後二週間で家族に内緒で劇場に向かったこの私が!そんな中、何とか4日に観てきました。老女が主人公の作品ですが、湿っぽく描いていません。ユーモアの中に真心とペーソスを滲ませ、始終クスクス笑ったり、時折涙ぐんだり、大変楽しめました。監督はニコラス・ハイトナー。劇作家のアラン・ベネット(今作品の脚本も彼)の実体験を元に描かれた、実話です。

ロンドンのカムデン、グロスター・クレセント通り23番地。文化人が多く住むこの地に引っ越してきた劇作家のアラン・ベネット(アレックス・ジェニングス)。程なくして、ミス・シェパード(マギー・スミス)と呼ばれる老女の存在を知ります。オンボロのバンをねぐらにする彼女は、ホームレス。悪臭をまき散らして街を練り歩く彼女でしたが、不思議と住人達は彼女を受け入れ、共存していました。ある日、とうとう退去命令が出て、途方に暮れた彼女を見かねて、ベネットは自分の敷地の一角を貸すことに。ほんの数か月のつもりだったベネットですが、ミス・シェパードの滞在は、実に15年続きます。

冒頭、事故を起こしたような、過去のシェパードの姿が映され、これがホームレスになった起因であるのは、明白でした。以降笑っては観ましたが、結構壮絶な腐臭に満ちた場面が続出。作品に品を失わせない、的確な演出だと思いました。

あちこちでミス・シェパードの「臭い」に、閉口する人々。これね、私も経験あるんです。精神科の医療事務をしていた時、そりゃ匂いには、悩まされました。病のため整容の出来ない患者さんが多く、特に顕著な人が帰った後は、消臭スプレーが欠かせませんでした。それも室内用ではなく、トイレ用(笑)。
この辺りで、どんな臭気か想像いただけましょうや?

NO・1だったのが、やはり70代の女性でした。その人が来院すると、ずっと口で息しなきゃいけない程でした。しかし付き添いのヘルパーさん(女性)は、ニコニコと会話して、手はつなぐわ、脇を支えるわの適切なアシストぶりに、職員一同驚嘆。もちろん私たちだって、「臭い」と言う顔はしませんよ。でもあれは出来ないなぁ。「あの人、ほんまのプロやなぁ。凄いわ」と、称賛したものです。

それと似たような場面が、この作品にも出てきて、救急隊の職員に対して、付き合いの長い自分も出来ないのにと、ベネットは敬意を覚えます。それと排泄。不潔なシェパートが勝手にトイレを使用するのに、ベネットが怒ると、今度は便を庭にまき散らす彼女(笑)。溜息つきながら処理するベネットは、シェパートどの付き合いの中で、「介護とは排泄処理」と悟ります。どちらも人としての根っこの部分。大げさではなく、尊厳だと思います。そこが失われた人を、人として尊重出来るのか?いや、しなくちゃならないんだ。私が仕事場で学び、ベネットはシェパードを通じて学ぶのです。

ベネット以外にも、シェパードを気遣い、何くれとなく世話をする住人たちに、可愛げのない悪態をつく彼女。いやはや(笑)。それでも苦笑しながら、子供までが彼女受け入れる。それも深入りせず。時々悪口言うのは、ガス抜きですね。素敵な街だと思いました。このコミュニケーション術は学びたいです。

ベネットは認知症の母がいて、彼女を題材に戯曲を数作書いており、少々後ろ暗い。他のエンタメ的作品も書かなくちゃと焦っている時、現れたミス・シェパード。老女専門劇作家になる危機感を覚えながらも(笑)、作家としての好奇心もあったでしょう。

実の母は介護施設に入れながらも、ミス・シェパードの世話をするのは、息子として罪悪感があったでしょう。彼が息子の顔を忘れた母の元へ通い続けた原動力は、ミス・シェパードの存在ではなかったか?そして、悪態つきながら元気いっぱい、人としての気高さを失わないシェパートの姿は、愛はあっても情けをかけられない母への、詫びではなかったのかな?「僕はいつ出て行ってくれてもいいんだよ」と言いながら、何くれとなく世話をする、腐れ縁の男女ならぬ、母と息子のようなベネットとシェパード。

シェパートの死を発見したのが自分以外の人で、「何で僕じゃないの?」と、不満を漏らすベネットに、ホロッとした私。惰性で世話をしていると、自分で思い込みたいのでしょうが、ちゃんと情が湧いていたのを自覚したはず。でも彼女の人生で、感謝の意を示したのは、きっとベネットだけだと思います。

不満もあります。シェパードの背景の描き込みが、ちょっと雑です。事故の種明かしがあっけないし、才能あるピアニストが、何故信仰の道に走ったのか、見落としているかもしれませんが、描かれていませんでした。神への忠誠を誓うため、生甲斐のようなピアノを辞めてしまうのは、かなりファナティックなので、彼女の元々の気質を、それで表しているのかも知れません。

貴婦人や知的で剛健な老婦人が似合うマギー・スミスが、腐臭を漂わせながら、愛嬌たっぷりに、嬉々と演じていて、絶品です。ジェニングスも、飄々として、喜怒哀楽を見せない演技の中、しっかりとベネットの心情を伝えてくれて、好演でした。

もう一つ不満が。やっぱりタイトルは違うでしょう。シェパードはお手本にしたくないもん(笑)。実は至近にお手本にしたいお爺ちゃんがいるのです。「年行ってまっさかい、何もわかりまへんねん。耳も目ぇも悪うてなぁ」「そやから、ちょっとお願いしても、よろしいか?」と言われて手伝うと、「ありがとう、ありがとう、助かりましたわ」。こう言われると、こちらは使われているのに、年寄りに良い事をしたと爽やかな気分で、徳積した気分となる。そしてとどめの一撃は、「あんた、ほんまにええ人や」と笑顔。すんごい破壊力です。「またいつでもどーぞ」と、必ず言いますよ(笑)。そして実のところ、すごーく賢くて、何でもわかっているんです、このお爺ちゃん。

ベネットの成功も、シェパードの世話で徳積したのかも?(笑)。ミス・シェパードも、ベネットのお蔭で、老いの道行きが良き色に彩られたのも、人徳かも?人生は神のみぞ知る、捨てたもんじゃないと、思わせる作品です。


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