ケイケイの映画日記
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2017年02月25日(土) |
「ブラインド・マッサージ」 |
すごーくすごーく良かった!最近「障害は個性」と言う言葉が盛んに使われ、私はすごく違和感があります。一口に障害と言っても多岐に渡り、一緒くたにしてもいいのか?と思うからです。そして、この言葉は、障害を持つ本人たちから出た言葉なのか?私たちは差別の目くらましのため、そう思い込まされているのじゃないか?そういう私の思いに、一つの返答をくれた作品です。監督はロウ・イエ。
南京にあるマッサージ店。院長はシャーとチャンの二人。盲人のマッサージ師を多数抱え、店は繁盛しています。そこへ子供の頃の事故が元で盲人になった若いシャオマーと、美人と評判のドゥ・ホンが新しく入ってきます。そしてまた、経営していたマッサージ店を閉店したシャーと同期のワンが、婚約者のコンを連れて、雇って欲しいと言ってきます。受け入れるシャー。しかしその頃から、マッサージ店は、様々な問題が噴出し始めます。
繰り広げられる彼らの日常は、観ていて頷いたり、感心したり、納得したり。 いかに障碍者を扱う作品が、綺麗事を並べていたのかと痛感するほど、生々しく彼らの本音が聞けます。美人のホンは、自分は目が見えなくてわからないのだから、美人と言われても、全く嬉しくないと言う。なるほど。「美人と言われるのには、うんざりだ」と言うせりふも、見えるなら傲慢ですが、ホンから言われると、切なくなるのです。
やがては盲目になるけれど、今は少し視力がある女性は、恋活に必死。心と顔と両方見開いて、しっかり見極めたいのでしょう。「私はここでは二番目に綺麗なの」と、ゲットした彼に言う女心よ。彼女は「美」を知っているから、自分に付加価値をつけたくて必死なのでしょう。でも彼には関係ない話なのです。
教養があって、人柄も優しいシャー院長は、目下婚活中ですが、縁遠い。自分にはわからない「美」を持つホンに、盛んにモーションをかけますが、ホンは「あなたは自分の知らない美を持つ私に、興味があるだけ」と、つれない。ホンはホンで、シャオマーが好きなのです。
しかしシャオマーは、ワンの婚約者コンに夢中になる。コンはどちらかと言うと、不美人の部類。しかしワンと肉体的にも結ばれている彼女からは、きっと女の匂いがしているのでしょう。彼女の体を必死で嗅ぐ若いシャオマー。
目が見えていれば、この複雑な男女関係も、また違った展開になるはず。そこに邪念や欲望が混じって、心にだけ忠実になれないから。ホンは言います。「目が見えないから、相手の心が見える」と。
しかし、恋活の女性マッサージ師に、「彼とはもう結ばれたの?」と聞くコンには、泣かされました。「まだよ。結婚するまでは」と答える同僚。泣き出すコンに、同僚はびっくり。中国には、まだ古風な貞操観念があるのですね。親にワンとの結婚を反対され、半ば駆け落ちにように南京に来たのに、結婚話は遅々として進まず、なのに体の関係は出来てしまったコン。自分はどこに行くのだろう、どうなってしまうのだろうと、心細いのです。女心に、障害は全く関係ないのです。コンを抱きしめる同僚が暖かい。
劇中、彼らが「近所迷惑になる」と、異常に日常生活に気配りしているように感じたのは、私だけでしょうか?「目の見える人は別の人種。目の見える人が神を見るような目で、自分たちは目の見える人を見る」と言う意味のナレーションが、数回入る。
「障害は不便だが不幸ではない」と言う言葉も、最近使われます。しかし、不便を不利に置き換えてみたら?ニュアンスがだいぶ違うと思う。生きていく上で障害とは、やはり圧倒的に不利なのです。盲人たちに、次の人生は目が見えたいか?と問うたら、彼らは「はい」と答えるのじゃないか?「障害は個性」。例え励ましであっても、障碍者以外の人が口にするのは、とても不遜な事だと思います。
ろくでなしの弟の借金の督促が、両親や自分にまで及んだワン。目の見えない彼が、海千山千のやくざを追い返します。腹の据わった方法で、暴力には暴力で返す。流血しているワンが、両親に「ごめんよ」と謝ったのです。こんな方法しかなくて、親に辛い思いをさせたと思っているのです。親は親で、「何を言うの。謝るのは私たちの方だ」と、泣いています。きっと幼い頃は、ワンの目が見えるように奔走したのでしょう。その後も一人で生きていけるよう、手を尽くし見守っていたはず。ワンは、今までの親の愛情に感謝しているのでしょう。この麗しい姿に、涙がいっぱい出ました。
盲目の立派な兄。目の見える不肖の弟。盲目だから、目に見えない大事なものがわかるのでしょう。
波乱に満ちた道程を辿る、マッサージ院の人々。ラストにシャオマーのぼやけた視界に映ったのは、にっこり彼に微笑む「神様」でした。神様が下界に下りて、シャオマーの手を取ったのか?いいえ、この「神様」は、自分が不完全な人間だと、知っているのです。完全無欠な人など、この世にはいない。みんなが不完全な自分を認めること。これだけで、障碍者を取り巻く環境は、変化すると思います。
大事な事は、目に見えない。「星の王子さま」で出てくる言葉が、目の前で繰り広げられるお話でした。
胸クソ悪い映画です。でも面白いから、始末が悪い(笑)。一連の湊かなえ作品に通じる、「イヤミス」的な作品。そしてドス暗い。面白いけど誰にも感情移入出来ない中、ラストに腑に落ちるプロットもあって、最後まで楽しめました。監督はこれがデビュー作の石川慶。
雑誌記者の田中武志(妻夫木聡)。一年前起こった田向家惨殺事件のを、もう一度調べなおしています。事件は夫・浩樹(小出恵介)と妻・友季恵(松本若菜)と一人娘が殺されています。エリート社員の夫、美しい妻の高学歴夫妻と可愛い娘。誰もが羨望するような家庭を築いていた彼ら。しかし、調べ直していくうちに、世間が知らない彼らの裏の顔が見えてきます。田中は同時に、自分の娘の虐待で逮捕された妹の光子(満島ひかり)がおり、田中は面会に行きます。
友季恵の出身校が、慶応みたいと思っていたら、原作はもろ実名で慶応大学なんだとか。よく大学や出身者から抗議が来なかったなと思うほど、大学内での、内部出身者と外部出身者、出自や容姿を元にした、ヒエラルキーが描かれます。外部出身者が内部出身者に認めてられて仲間入りが「許される」と、昇格とか言われちゃうんだよ?原作者(貫井徳郎)は一環として、出身者から取材したとしているらしいですが、マジですか?来年から受験者が減るレベル。
田中や光子、田向夫妻は、30代前半から半ばくらいか?浩樹にしても、自己チューで自分勝手な理論の持ち主で、自分の利益になる女性に手を出しては、使い捨て。友人もシャーシャーと二人で弄んだ女性の話を自慢げに田中にして、その直後あんな良い奴が何故殺されなければならないのか?と涙ぐむ。バカなの?お前も死ねよ。ちなみに、二人の出身校は原作では早稲田と実名らしい(笑)。もうこなると、原作者は確信を持って、イヤミス的手法を使って、華やかな高学歴者の傲慢さを描いているのが、わかります。
しかし女子たちもなぁ。大学から慶応に受かるほどの頭があって、美貌があって、それなのに男捕まえるしか、頭使わないの?浩樹たちに弄ばれた会社のOLも、いい会社に勤めているんだから、エリート社員を捕獲しなきゃと必死で、やっぱりバカみたい。弄ばれても、あんまり同情が沸かない。
彼女たちの学生時代は、今から12〜13前でしょうか?今より女性は社会的には辛い立場であったでしょうが、ネットや雑誌で読む限り、今もあまり変わらないのですね。でもね、あんたたち間違えているよ。
家柄や親の財力や会社と結婚するんじゃないのよ。あくまでも男性個人と結婚するの。恋愛と結婚が違うと言われるのはね、好きでもない相手と条件だけで結婚するのではなく、この人となら、誠実で暖かい家庭が築けるか?と言う意味です。好きだけど、結婚には向かないなと思う男性、いるでしょう?事実、浩樹の元カノ(市川由衣)の最後の一言は、死ぬまで浩樹と関係が続いていたと言う事です。
冒頭のバスのシーンから、一癖ある男だと印象づけた田中。彼が何故まだ田向家に拘るのかが、明かされてからの展開がお見事。数々の伏線が全部が繋がっていく過程は、ミステリーとして見応えがあります。
浩樹と光子は、両親ともに虐待されて育ちました。育児放棄の母親、DVで娘に性的暴行を働く父親。守ってやらない母。その母親の現在の暮らしが描かれます。何と再婚して、一人息子を得ての平穏な暮らし。「あの子達で失敗したから、今度こそ」。反省して学習したんですか?ハンマーでぶん殴ってやりたくなりました。再婚なんかせず、反省したなら、陰からでもいいから、息子と娘を見守ってやれよ。子が自分を尊重できず、虐待事件を起こしたのは、明らかに両親のせいです。
私も厄介な両親の元、しんどい子供時代でしたが、私の親は虐待なんかしなかった。愛情表現が間違っていただけなんだと、改めて感じました。救われるべきは、虐待された子供です。武志と光子が痛々しい。家柄や学歴を鼻にかける人々の内側を、せせら笑うように面白おかしく見せて、実は子供には選べない自分の出自の嘆きや悲しみを描き、虐待された子供の悲惨な末路を見せて、世間に問う作品じゃないでしょうか?「愚行録」の意味をかみ締めたいです。
女性の出演者は、現在みんな三十路超えですが、みんなが回想場面で、ちゃんと女子大生に見えたのはびっくり!さすがは女優さんです。数々の嫌な女性が出てきますが、私は臼田あさ美が演じた宮村が、一番マシでした。でも独身なんだよねー。あぁ。妻夫木聡は、役者として絶好調なんですね。何でも来いで今回も上手い。対して小出恵介は、爽やか過ぎたかな?
ラスト、ファーストシーンとは対照的な、田中の様子が描かれますが、あれは光明ではないな。ほんの詫びでしょうか?石川監督の次回作も、是非観たいです。
2017年02月18日(土) |
「たかが世界の終わり」 |
賛否両論の作品ですが、私はとても感動しました。100分足らずで、子供たちが幼い頃の楽しき家庭から、何故現在のようにいがみ合い、罵り会う家族になったのか、その軌跡が手に取るようにわかるのです。監督はグザヴィエ・ドラン。
劇作家として成功した34歳のルイ(ギャスパー・ウリエル)。死期が近い彼は、それを告げに12年ぶりに家族に会いに帰ります。母(ナタリー・バイ)や、当時子供だった妹シュザンヌ(レア・セデゥ)は大歓迎です。初めて会う兄嫁のカトリーヌ(マリオン・コティヤール)は、一生懸命場を和ませようとします。ですが兄のアントワーヌ(ヴァンサン・カッセル)は弟に対して、揚げ足を取ったり食って掛かったりを繰り返します。
ルイはゲイ。彼がこの家を離れたのは、田舎らから都会に出たいとの思いもあったでしょうが、当時から居場所の無さを感じたのでしょう。初対面なのに、カトリーヌとは心が通じあるように見えるのは、二人ともこの家族の中で、自分の居場所を探しているからです。血は水より濃しですが、離れている年月は、確実にその血を薄くしてるのです。
まだ子供だった妹には、ハンサムで成功した次兄は、自慢だったでしょう。彼女の部屋が、それを示している。子供の頃のような愛情を兄に示す妹に対し、大人の女性になった妹に、どう接していいか、わからない兄。
アントワーヌは、わかり辛い存在です。最後の方で「父とルイが対立した」という台詞が出てきます。それもゲイが原因だと思いました。あっけらかんと、「ゲイは美しいものが好きなのよ」と、派手でケバケバしい装いの母。勘違いであっても、それは久しぶりの息子を持て成す感情なのに対し、胸に一物あるアントワーヌ。
美形で才能があり、寡黙なのに人を惹きつける弟。対する自分は田舎町にくすぶり、仕事も転々としている。「ゲイの弟」に対するコンプレックスが、彼を呪縛しているのだと思う。でも弟がゲイであるというには、唯一の自分の感情へのいい訳だと、兄はわかっているはず。だから、それを隠すため、弟に対して横柄で攻撃的になる。弟に会うと言うことは、卑小な自分を自覚する事。彼はそれが堪らないのでしょう。
幼い頃、毎週末は、車で家族へ出かけた話をする母。何度も聞いたと言う長男に対し、私が楽しいから話したいのと、全く意に介さない母。そうでしょうとも、私もわかる。その頃が母親として一番楽しく、活気があった時代だからです。夫に文句を言われながらも、ニコニコ同じ話を聞くカトリーヌは、良き嫁です。
アントワーヌは、家庭でも暴君なのか?私はカトリーヌの一生懸命この家で居場所を探す姿に、違うと思いました。カトリーヌと二人で育んだ家庭は、二人の子の父親として、大黒柱として、居場所があるはずです。それはカトリーヌが作ったのでしょう。しかし実家に帰れば、居場所の無さを実感するアントワーヌ。暴君でなくとも、実家では段々と居場所は無くなるもの。それ自体は健康的な事なのに、攻撃的にしか表現出来ない兄。
唯一母だけは昔と同じ愛情で子供たちに接します。彼女は何故このようにいがみ合う家庭になっていったのか、わかっていると思います。ルイが出て行き、夫が亡くなり、女ばかりの実家で出来の良くない長男は、無言の弟との比較に乱暴になる。しかし彼女は、いつも無邪気で自分勝手に事を進める。何があっても「変わらない」存在なのです。「あなたは、まだ気づかないのね。私があなたを愛していること。この気持ちは、誰も奪えない」。何たる名台詞。ルイが自分の死を知らせなければと思ったのは、この母がいればこそです。
子供が自立し家を出て行くのは、当たり前の事です。でもルイは,けんか別れのような形で出て行ったからか、後ろ暗く思っている。その贖罪のつもりが、誕生日に出す絵葉書。しかし、書くことがない。だから、絵葉書なのでしょう。
ルイを演じるギャスパー・ウリエルが、静かな存在感。絶世の美少年でしたが、今も憂いのある美青年です。ほとんど台詞のない役で、感情を表すのは難しかったろうに、今ルイは何を考えているのか、こちらに伝わってきます。狂言回しのように、家族それぞれの思いを浮かび上がらせたルイですが、ラスト近く、思いを込めて家族に語ります。それは母が望んだ内容ですが、それだけではなく、本心からの、ルイの願望も入っているはず。
ナタリー・バイのお母さんも出色の演技。一軒破天荒な母ですが、家族の集まりに手料理を振る舞い、時には道化のように笑いを誘おうとします。何か重大な事があるのだと、多分わかっているのに、次々食べ物を出しては、気をそらず。ルイを黙らせてしまうのは、聞きたくなかったのでしょう。ラスト、ルイではなくアントワーヌを追いかけたのには、とても肯きました。とってもいいお母さんです。曲がりなりにも、この家庭が成り立っているのは、この母あってだと思う。
その他、役者は皆熱演・好演でした。
私も家族が集まると、一触即発。常に気の張る家庭に育ちました。今の楽しく笑い会う自分の家庭は、毎日が奇跡のように思えるのです。今振り返れば、皆が皆、屈託や不満を抱え、自分を守ることで精一杯だったのだと思います。誰かを思いやる余裕なんか、なかったんだ。毎日が嵐みたいなかつてを、この作品を観て、懐かしいような気持ちで思い出しました。
家族という、厄介で煩わしく、そして愛おしいもの。その全てが描かれた作品でした。ドランの作品は、これからも見逃せません。
CGアニメから実写に帰ってきて、目覚ましい活躍のロバート・ゼメキス。王道のメロドラマを端正に作ってありながら、ゼメキスの趣味も全開。楽しませて貰えます。
戦時中のモロッコのカサブランカ。英国人の諜報部員マックス(ブラッド・ピット)は、フランス軍レジスタンスのマリアンヌ(マリオン・コティヤール)と夫婦を装い、ドイツ大使暗殺と言う任務を担います。その中で愛を育んでいった二人は、任務後結婚。娘にも恵まれ、幸せな結婚生活を送っているある日、マリアンヌに二重スパイの疑いがかけられます。
いや〜、いいもん見せて貰いました。やっぱメロドラマは美男美女でなくっちゃ。それに場所はカサブランカ!前半は研ぎ澄まされた能力を必要とするスパイ活動を、丹念に描写。二人の優秀さを映しながら、当時の華麗なファッション、異国情緒あふれるセットを再現。見応えたっぷりです。
後半は一転、質素ながらも若夫婦の堅実な巣作りを描いているので、疑心暗鬼のマックスの苦悩を、観るのが辛い。妻がスパイだったら、この幸せは、根底から覆されるのだから。齢53歳のブラピ、まだまだメロドラマの二枚目が出来るじゃないか!と、感激します。
砂嵐の中の車中での激情の様子、空襲の中での出産など、ドラマチックでロマンチック。その他の空襲の様子にも、色々CGを駆使し、この辺は王道の中にも、監督の趣味もきちんと入っています。
ただ、完璧だった前半から比べて、後半イギリスでの様子は、若干弱い。妻の秘密を探ろうとする余り、マックスの公私混同が激し過ぎるし、出産時のマリアンヌの台詞で、あ〜、そう〜と、オチもわかってしまいます。この辺は脚本をもう少し練って欲しかったところです。それと、良かったけど、欲を言えば、新妻を娶り、赤ちゃんのいる役ですからね、やっぱりブロピには10年前に演じて欲しかったなぁ。
だがしかし!それを補っているのが、マリオンの好演。どの角度から観ても完璧に美しく、前半は社交界の華的優美さと、スパイとしてのクールさのバランスが抜群です。、平凡さを前面に押し出した美しき良妻賢母ぶりの後半も素敵。とにかくもぉ〜、どこから観ても、ザ・女優の美しさ。彼女を観ているだけで、元が取れます。気付かぬふりをしていますが、彼女も夫の様子に動揺しているのも、上手く演じています。
この作品でアンジーがプラピとマリオンの仲を疑い、離婚のきっかけになったそうです。このマリオンを観ちゃ、現在人権家と映画監督が中心で、女優業はお休み気味のアンジー。女優として女として、マリオンに嫉妬したかもなぁと思うくらい、大輪の花が咲き誇ったような、マリオンでした。
メロドロマの端正な様式美に彩られ、うっとりはするけど、感動はせず。程合いもほどほど。深みはないけど、満足はさせて貰える作品です。
2017年02月11日(土) |
「ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち」 |
バートン作品は、感想を書かなかった「ビッグ・アイズ」以来久しぶり。私的に続け様に外れて、今回もダメだったら、もうバートンとはおさらばしようと思っての鑑賞でしたが、今回は本当に良かった!クライマックスのバトル場面や、ミス・ペレグリンの子供たちへの愛情を深く感じる場面など、涙ぐんだほど。私の好きなバートンが帰ってきたんだもん。監督は、ティム・バートン。
フロリダで暮らす孤独な少年ジェイク(エイサ・バターフィールド)。幼い頃から冒険譜を話して聞かせる祖父のエイブ(テレンス・スタンプ)だけが、唯一の彼の理解者です。しかし祖父は不可解な亡くなり方をし、亡くなる直前、ジェイクに謎の遺言を残します。ジェイクは祖父の残した遺品を頼りに、イギリスはウェールズの小さな島を訪れます。そこに祖父の言う児童養護施設があるはずが、戦争中に空襲に遭い、今は廃墟となっていました。しかし、何かに導かれるように廃墟に入ると、そこには数人の子供たちが。子供たちの手引きで、ジェイクは祖父の昔からの知人であり、この施設の寮長であるミス・ペレグリン(エヴァ・グリーン)に出会います。
私は昔からバートンが好きでした。それは他の彼のファンと同じで、異形の人の哀しみや孤独を描きながら、決してそこで終わらず、ラストは魂の救済や幸福を描いていたから。「愛」があったからです。でも「アリス・イン・ワンダーランド」での、赤の女王の扱いに、本当に憤慨。それでも未練がましく見続けていましたが、「ダーク・シャドウ」もペケ。「ビッグ・アイズ」は、そこそこでしたが、バートンらしい作風ではなかったです。
それが今回異形の子供たちへの愛が炸裂、久々に堪能しました。子供たちは人とは違った、奇妙な特性を持った子ばかり。世間では生きにくく、皆ここへ送り込まれた子たちばかりです。そして何故彼らは年を取らず、毎日同じ日を繰り返しているのか?そこには哀しい秘密が隠されています。
常に厳格に子供たちを取り締まるミス・ペレグリン。それは外の世界では生き辛い彼らに、平和な日々を送らせるためです。カッコよく煙草をくゆらせる彼女ですが、これが唯一の息抜きなのでしょう。身の危険を顧みず子供たちを守る姿は、胸が熱くなりました。鉄の女の彼女が涙ぐみ、「あなたたちをお世話出来て、光栄でした」と言う。ペレグリンは、上の場所に居たのではなく、常に子供たちに寄り添っていたのでしょう。子供たちを保護する対象や、異端者として観ているのではなく、人格を重んじ接していたから、「光栄」と言う言葉が出たのだと思う。誰も他に大人はいません。責任と愛情の滋味深い共存。彼女なくば、子供たちは生きられなかったはず。
一見何の特性もないようなジェイクが、バトル場面で子供たちの指揮を執ります。フロリダでは、同級生から浮いていた彼が、何と逞しく勇ましい事よ。他の子供たちの特性も、一見役に立つどころか、生きる上で持て余すようなものです。しかし、それは使い方次第。観よ、この華々しい活躍!これはペレグリンが、日常生活で活かせるものであると、指導していた事が生きている。
ジェイクが島へ来ることは、必然だったのでしょう。その必然を作り、孫に自信をもたらしたのは、祖父の導きです。現在子供たちを取り巻く環境は、発達障害、性同一性障害など、昔は知らなかった、言えなかった事が表面化し、一見厳しさを増したように思えます。でもそうかな?偽りの自分、知らなくて辛い思いをする方が良いのか?家庭や学校で、認めて貰い自信をつければ、この作品の子供たちのように、世の中に出て活躍できるのだと思うのです。願わくば「戦い」ではなく。ミス・ペレグリンや、ジェイクの祖父に学ぶことは多いです。
バートンは絶対エヴァ・グリーンに惚れてます(笑)。もちろん女優としてね。セクシーで気前よくヌードも見せる彼女ですが、今回真っ黒の衣装で色気は封印。代わりに慈愛と厳しさを併せ持つ、母性いっぱいのハンサムなミス・ペレグリンを、心を込めて演じているのがわかる好演でした。バートンはジョニデじゃなくて、これから彼女と組むといいわ。
一言だけ苦言があって、CGでスタンプの若い頃が出てくるんですが、彼の若い頃は、もっとハンサムだぞ。この辺は敬意が足らないです。気をつけてくれたまえ。
バートンは、これからも見続けていけそうで、安心した作品(笑)。この作品、大好きです。
2017年02月06日(月) |
「破門 ふたりのヤクビョーガミ」 |
主演の自覚よろしく、あちこちにバンバン宣伝しまくっている佐々木蔵之介。たまたま見ていたテレビで、司会者の人が、「佐々木さんは高校の時、学校帰りにマクド(マクドナルドの事)に立ち寄り・・・」の「マクド」の発音を直線で語った瞬間、傍に居た溝口淳平(和歌山出身)と「いやいや、『マクド』!」と、声を揃えて語尾を下げて訂正。そして何故か二人ともドヤ顔(笑)。まだ撮影中のように、関西人の血がたぎっておりました。そのノリが劇中炸裂、関西の人間が観たら、痛快な作品で、とっても楽しみました。監督は小林聖太郎。
建築コンサルタントの二宮(横山裕)。聞こえは良いけど、実態は「サバキ」と言われる、暴力団対策が仕事。その縁で二蝶会のやくざ・桑原(佐々木蔵之介)と知り合います。この家業から足を洗いたい二宮ですが、腐れ縁の桑原とは、人から「相方」と呼ばれる程、ディープな付き合いに。ある時二宮は、映画プロデューサーの小清水(橋爪功)と知り合い、アドバイザーと出資の話しを持ち込まれます。実は二宮の亡くなった父は極道で、桑原の兄貴分の二蝶会若頭・嶋田(圀村隼)は、亡き父の弟分。今でも恩義を感じている嶋田は、二宮を甥のように可愛がっており、その話を聞き、3千万出資します。しかし、小清水が愛人のレミ(橋本マナミ)といっしょに、その金を持ち逃げしてしまい、桑原と二宮は、小清水に追い込みをかけますが、この話には裏があり・・・。
監督・主要登場人物は、ほぼ関西人をキャスティング。蔵之介によると、「普段”カット!”の声がかかったら、どんなに方言使ってても、普通の標準語に戻るんですが、この作品ではキャストが皆関西人なんで、撮影のノリでそのまんま盛り上がりっぱなし」だったそう。わかるわかる。徹頭徹尾、なんて耳慣れたガラの悪い大阪弁かと、そのリアルさに感心しましたもん(笑)。この作品、ガラの悪い大阪と大阪弁を「愛でる」映画です。
いや大阪弁てね、怒鳴り合い謗り合いの言葉合戦の時は、最強やね。 「アウトレイジ」も、とっても面白かったですが、セリフは、「てめー、このヤロー、ぶっ殺すぞ!」ばっかりでしたが、この作品は、何とセリフのバリエーションと表情豊かな事よ(笑)。例えばね、上記の番組で、溝端淳平が京都のスイーツを京都育ちの蔵之介に紹介するパートがあったんですが、淳平君、しどろもどろ。すかさず蔵之介、「お前、ちゃんと調べたゆーたやんけ!」とツッコむ。東京なら、「お前調べたんだろ?そう言ったじゃん?」ですかね?うん、ユルイ(笑)。
番組ではもちろん笑顔でしたが(淳平君と仲が良さそうだった)、これ劇中の桑原よろしく、目ぇむいて怒鳴ったら、そら怖いよ。「おんどれ!いてこましたら!」は、人生で言った事がない大阪男子は多いでしょうが、「お前、〜ゆーたやんけ!」の、怒鳴り合いのケンカなら、みんな覚えがあるはず。うちの三男は中高ラグビーをしていましたが、中学の時、試合の前に先生が、「相手の人生潰す気でやってこい!」と、生徒を鼓舞したとか。ええ普通の市立中学の体育教師がです(笑)。
しかしながら、ガラの悪さもマイルドテイスト。監督もソフトな面差し、お父さんから毒気を抜いたような小林監督をチョイスしたのも、制作が松竹と言うのもあるでしょう。エロも割と健全で、血は見ますが、暴力場面もバイオレンスと言うより、アクション風でスピーディです。東映制作で井筒監督なら、血もドバドバ、お姉ちゃんの裸もいっぱいのはず。その辺のコテコテ感もマイルドです。だから、関西圏以外でも観易いと思います。
それはキャスティングにも言えて、あまたいる関西圏出身の俳優の中、京都は造り酒屋の次男坊にして、神戸大学出身の佐々木蔵之介を選んだのも、桑原にインテリ感を出したいからかと思いました。「但馬(兵庫県の地方都市)から出てきて20年、極道一本のこの俺や!」の桑原に、絶妙に蔵之介本来のキャラがブレンドされて、舎弟でなくても惚れてしまいそうでした。
横山裕はへたれでグータラ、なのに強欲でどんな大変な事もどこか他人事、の二宮を、憎めないキャラに作って好演。当初は、自分の事をクズと自嘲するなら、もうちょっと感情込めて演じた方がと思いましたが、この「何を考えてんねん、お前は!(by桑原)」の、ぼっ〜と浮ついた感覚が、二宮の持ち味。桑原に情があるのかないのか、曖昧感も上手かったです。
橋爪功は、東住吉区出身なんですね。大阪の人て、全然知らんかった。表面はお茶目で小心、実は狡猾で転んでもただでは起きない小清水を、愛嬌たっぷりの絶妙の好演。お蔭で先がかく乱されて、最後の最後まで楽しめました。ちょっと早いけど、今年の賞レースでは話題に上がって欲しいです。
その他、圀村隼、キムラ緑子、北川景子、中村ゆり、宇崎竜童、木下ほうかなど、全国区の関西人を出演させて、関西ローカル俳優を起用しなかったのは、マイルドテイストを狙っていたからだと思います。ちゃんと子離れ出来ているけど、幾つになっても息子は心配と言う母親の性が上手く出ていたキムラ緑子が、良かったです。割を食ったのが橋本マナミ。悪かった訳じゃないですが、どうも北の方角の匂いがするなと調べたら、やっぱり山形出身でした。水を得た魚のような北川景子と対照的。15年前なら杉本彩の役ですね。ちょっと気の毒でした。
展開のテンポもよく、やくざ社会のからくりもチラチラ伺える、マイルド極道映画。そうそう、桑原の舎弟が「桑原さんて、昭和残侠伝なんですわ」と言ってましたが、極道社会は、今も昭和の健さんがレジェンドなんですかね?続編も目論んだラストですが、劇場は程よく観客が入っており、私も是非観たいです。ドラマ版は、北村一輝と濱田岳のコンビ。味わいが異なりそうで、こちらも是非観たいです。
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