ケイケイの映画日記
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2016年05月23日(月) 「殿、利息でござる!」

評判良いので、観てきました。うん、確かに面白かったけど、絶賛する程かな?と言うのが、正直な感想。でも昨今騒がせている某知事の事など、本当にお上には腹が立つことばっかりなので、観客が溜飲下げて、爽快な気分になるのは、よーくわかる。それがヒットの要因では?監督は中村義洋。

江戸中期の仙台藩。貧しい宿場町吉岡宿は、藩からの厳しい重税に苦しみ、村人の夜逃げが続出していました。造り酒屋穀田屋十三郎(阿部サダヲ)は、そんな苦しみを打破しようと、お上に訴えようとしますが、村一番の智恵者の菅原屋篤平治(瑛太)に、打ち首になるぞと止めに入られます。その後、とき(竹内結子)の居酒屋にて、ふと篤平治は、村中からお金を集め、それを藩に貸して利息を貰い、それを宿に還元すればよいと漏らします。前代未聞のアイディアに飛びついた十三郎は、早速町の商人たちを集めて、案を練ります。しかし金額は千両(約3億円)。さぁどうする?

このトンデモなアイディアは、実話なんですと。それを聞けば、色々ツッコむところも、まぁ有りよねぇと思ってしまう。宿の人々は200軒。そんな数なのに、商人たちは、よく今にして一軒三千万なんか出せたなぁと、びっくり。
私は中学から私立の女子校なのですが、当時高度成長に乗ったうちのような中小企業のオーナーの娘が一番多かったように思いますが、その子たちに交じって、酒屋さんや市場のお漬物屋さん、果物屋さんの子が同級生にわんさかいました。お商売って、一見地味なお店でも、そういうもんなのかも?

宿を治める肝煎(寺脇康文)には、てっきり断られると思っていたのに、夫婦して家財を売っても!と、この案件に大乗り気。これは遅くに生まれた息子のお蔭でしょう。負の遺産を子供に残したくないのですね。子を持って知る感情です。とってもよーくわかる。その上の大肝煎(千葉雄大)が話に乗ってくれたのは、それとは対照的に、まだ夢や希望を持ち、悪しき環境を変えて行こうと言う若さだと思いました。

この案件は誰にも話すな、末代まで秘密にして、決して人にひけらかすべからず。三億は大金です。壮大な世の中を良くする夢。支え合う仲間と何年もかかって、知恵を出し合いお金を作る様子に、この苦労は自分だけの欲なら、とうに諦めてしまっているだろうなと感じました。人って、本来は善で出来ているんだろうなぁと、信じたくなる。あっ、ここもヒットのポイントだ。

先代浅野屋(山崎努)の思いは、上記に通じるものです。たった一人でするには辛くて、家族や番頭たちにも啓蒙したのかも?言い続けたら、辞められませんもん。篤平治の妻は、「言いだしっぺがお手本になるものです!」と言いますが、浅野屋が一番そう思っていのでしょう。

現浅野屋甚内(妻夫木聡)や十三郎の息子の行動は、古臭いけど、親が清廉潔白なれば、子供は観ていて、親を助けてくれるのだと、感じました。その逆もまた真なり。そして世の中を変えていくのは、一代では難しく、次代を継ぐ人間を作る必要があるのだと思いました。ホロホロする場面はたくさんありましたが、私が本当に感動して涙したのは、十三郎の息子の件です。

ただ、一つだけ納得出来ないのは、十三郎が押さない時養子に出された件。いくら口が堅いのが家訓かも知れないけど、長男が養子に出されるのは、それなりに重大な理由が必要なはず。それを子供に何も教えず、養子に出すのは如何なものか?それがため、十三郎は傷つき、実家にコンプレックスを持っています。甚内とて、兄に申し訳なさを持ち続けている。

親が兄弟の仲を裂く事はいけません。そして7歳の時に養子に出たなら、弟の様子もわかるはず。教えないのは不自然です。ここが私の最大のツッコミです。

正しい心・行いは、曇った心も照らし動かすと言う事。但し私利私欲を捨て、強靭な心と行動力を持ちなさい、と言うお話。これがノンフィクションなら、少々鼻白む話ですが、実話はやっぱり、ずっしりと重い。そして善人がいっぱいのお話は、観ていて気持ちよく元気も出てくる。

あまり知られない江戸時代の制度も解り易く説明され、お勉強にもなります。
大傑作とかではないですが、ヒットするのは充分わかる作品です。


2016年05月20日(金) 「オマールの壁」




鑑賞後、打ちのめされ、辛くて胸が張り裂けんばかりになりました。これだけ長きに渡って、イスラエル・パレスチナ問題は話題に上っているのに、オマールが命がけで渡る壁の事さえ、私は実情を知りませんでした。全く持って無知を恥じ入るばかり。出資・スタッフ・出演者、ほぼ100%パレスチナ人で作られた作品で、フィクションですが、今のパレスチナの現状を具に映した作品かと思います。社会派にして、見事な娯楽作でした。監督はハニ・アブ・アサド。

真面目なパン職人のオマール(アダム・パクリ)。今日も幼馴染のタレク、アムジャド、そして恋人のタレクの妹ナディアに会いに、パレスチナ自治区を分断する壁を上ります。タレクやアムジャドと共に、イスラエル兵の狙撃を企てます。狙撃後、秘密警察に捕まったオマールは、激しい拷問の後、釈放と引き換えに仲間を売ってスパイになれと、執拗に迫られます。

この分離壁なのですが、高さ8メートル。私はイスラエルとパレスチナ自治区を分ける、ベルリンの壁のようのものかと思っていました。それが自治区を二分するものだなんて。管轄は全てイスラエル。よじ登って向こうに渡るのが発見されれば、重い罰が待っています。一応、イスラエルの言い分は、テロから守るためとの事ですが、パレスチナの力を分断するためかと思います。

私は社会派作品だと思って観始めましたが、途中からサスペンス的な逃走が始まり、青春物のような輝きも感じられ、どんな境遇にいても、青春の光は消せないと描きたいのかと思っていたら、とんでもない。その後、私の感傷など吹っ飛ばす展開が待っていました。

敵を欺こうと、一旦はスパイになる事を承諾するふりをするオマールですが、敵は一枚も二枚も役者が上。結果オマールは、敵にも味方にも居場所がなくなり、追い詰められます。

仲間同士の疑心暗鬼、裏切り、そして嘘。これもイスラエルの狡猾なラミ捜査官(ワリード・ズエイター)が、彼らを巧みに操って作り出した情景です。普通の青春時代なら、ほろ苦い思い出で通り過ぎて行く出来事が、彼らには、全てが死に辿り着く。蹂躙される青春。腰抜けで耐え忍ぶのか、命がけで未来を勝ち取るのか?秘密警察が来たと知らせる幼い男の子、車に投石する人々。常にイスラエル兵から、虫けらのように甚振られるパレスチナ人。この環境で育った男子たちが、命を賭ける事を選ぶのは、自然なのだと感じると、辛くて堪らなくなります。

一度秘密警察から目を付けられたら、二度と元へは戻れない。それを知らせに分離壁を上ろうとするオマールですが、かつては軽々と登っていた壁が、今は登れないのです。未来や希望を勝ち取ろうとしていた時は登れても、その夢が無残に消えた今は、登れない。しかし「可哀想に。手伝ってやろう」と、手を差し伸べたのは、見知らぬ老人でした。この老人は、オマールにかつての自分を見たのではないか?青春だけではなく、この老人は人生を蹂躙されたはず。この老人は、分離壁を登り、縦横無尽に自治区を行き来する事を夢見る、パレスチナ人の想いの象徴なのではないかと思いました。

思えば、一度も愛する人たちを裏切らなかったオマール。勇敢で心優しいこの若者が選んだ幕引きが、あの結末とは。茫然としました。一切のBGMのないエンディングに、席を立った人はわずかでした。終わりまで見届ける。そうでなければ、パレスチナの人々に、失礼だと思いました。

二転三転する展開は、普通なら上手い捻りだと感心するところが、この作品では、先に痛ましさが募ります。しかし、この映画的な巧さが面白さに繋がり、この作品をただの社会派の啓発作品にしなかったのだと思います。

この作品は、オスカーの外国語映画賞にノミネートされ、カンヌでも賞を取ったとか。パレスチナの現状を、私のように知っているようで、実は何も知らない人々は、世界中に溢れていると思います。パレスチナで何が起こっているのか知る事が、まずは作り手の心に報いる事かと思います。

この作品の字幕監修は、重信メイでした。彼女に取っては普通の母親だったそうですが、あの母の子として生まれることは、どんなに過酷だったかは、想像に難くありません。オマールたちの分まで、彼女がジャーナリストとして活躍出来ますように、願っています。



2016年05月15日(日) 「ヘイル・シーザー!」

わ〜、私これすごく好き!往年の映画を思い起こさせる撮影風景がわんさか出てきて、さながらオマージュのオンパレード。映画作りにまつわる苦労話・裏話があれこれ出てきて、だいたいは既存の話しなんですが、一本通して描かれると、こちらもむくむく映画への思いが充満してきます。最近腰痛に悩まされて、昨日も湿布はりはり劇場に向かった私ですが、鑑賞後はスキップして帰りたくなるくらい、楽しかったです。監督はコーエン兄弟。

1950年代のハリウッド。エディ(ジョシュ・ブローリン)は、どんなトラブルにも対応する仕事請負人。仕事は全く選ばず、夜討ち朝駆けで仕事をこなしています。そんな彼の手腕を見込まれ、ロッキード社からヘッドハンティングを持ちかけられ、心揺らぐ今日この頃のエディに、またも難事件が。撮影中の「ヘイル、シーザー」の主演俳優ベアード(ジョージ・クルーニー)が、突然誘拐されます。

もうエディの毎日が大変で可哀想で。人気女優の妊娠隠しから、撮影の延滞、監督の不満の聞き役、宗教物を作る時の政治的配慮と、何でもござれ。その辺のブラック企業なんか、鼻で笑えるくらいの物凄い忙しさ。なので神父さんに懺悔の時間は午前四時(笑)。そしてエディが仕事を捌けるようアシストする秘書さんの、超有能っぷりが光る。

当然家庭なんかほっぱらかしで、可愛くて良妻賢母の妻(あれ、アリソン・ピルだよね?)に任せっぱなし。「転職の話しがあるんだ。もっと時間にはゆとりがある。どう思う?」と、妻に問えば「家には居て欲しいわ。でもハニー、あなたが決めていいのよ」と、夫に全幅の信頼を置く、泣かせる台詞が返ってきます。しかしこの愛ある妻も台詞に、別の意味で泣けてくるエディ。本当はね、妻に「絶対転職して!」と言って欲しかったのよ。それがなきゃ、どんなに好条件でも、今のストレスフルだけど、遣り甲斐のある仕事を辞められないのです。ロッキードのスカウトマンには、「映画なんか、は〜ん。うちの社はもっと社会的に格上だよ〜ん」なーんて言われるのも小憎らしいし。もうこの辺りで、私が映画好きとしてエディに感謝して、彼が物凄く好きになっていく。

豪華絢爛な配役陣が、それぞれ当時の撮影風景とその裏模様を見せてくれます。私の産まれる前なんですが、それらは私が幼い時分、洋画のテレビ放映華やかなりし頃の作品群を連想させて、もう懐かしくって。キリストを扱う史劇の超大作、MGMのミュージカル、西部劇等々。スカーレット・ヨハンソンは、エスター・ウィリアムズですね。エスターは元水泳選手で、水の中でも常に陸と同じ笑顔を見せると事で有名だったそうですが、スカヨハも水中でずっと笑顔のまんま。あれ本当に頑張ったのかしら?一糸乱れぬシンクロも美しく、見応えあり。スカヨハのビッチさにも笑えます。

チャニング・テイタムの水平さんたちのタップダンスも楽しくて上手かった!ダンサーばかりではなく、添え物のような太っちょのマスター役まで、きちんと振付してあって、アステア×ロジャース型を選ばず、このような群舞形式にしたのは、それを観客に知らせる意図があったのでしょう。マスターのちょっとしたセリフも、後であー、そーゆーことぉ〜とニヤニヤします。

ベアード主演のスペクタクルは、後ろにロールスクリーンに絵が描いてあったり、セットも張りぼてで、もう懐かしくて(笑)。今観ればチープ感満載なのに、今観ても大作感満タン。やっぱりCGじゃないからだと思う。人海戦術&美術は、無駄じゃないのよね。

西部劇の新星ボビー(オールデン・エアエンライク)は、アクロバチックな見事なアクションを魅せるも、セリフはほとんどなし。次の作品はゴージャスなロマンスもののようですが、大根でイモ兄ちゃんのボビーは、監督(レイフ・ファインズ)を大いに泣かせます。ここのやり取りは爆笑もので、すっごく笑いました。これはロマンスの超大作を撮っているようで、シットコム風コメディを狙っているのかな?

しかしこのイモ兄ちゃんは、感謝の心を忘れない善意の好人物でした。他の悪たれスターたちとは違うのは何故か?ボビーは映画の裏方出身で、下積み経験もありました。この作品は、当時のハリウッドの脚本家たちと赤狩りを絡めて背景にしていますが、本当に言いたいのは、映画は俳優・監督・脚本家だけではなく、その他諸々、美術や撮影や記録や編集など、裏方全ての人間(含むエディみたいな人)の協力なしでは、作れないのだと、強く感じました。

華やかな表舞台と、誰にも言えない裏舞台をこれでもかと描きながら、根底にあるのは、裏方や脇役への感謝の気持ちです。それをあちこちに、散りばめています。この気持ちを最後の方で、エディに代弁させていました。これは監督であり脚本家であるコーエン兄弟の、「その他大勢の人たち」への、プレゼントじゃないでしょうか?だってベテラン編集者(フランシス・マクドーマンド)が、命がけ(映画を観ればわかります)で編集した作品の中のボビーは、都会的で洗練され、キザな笑顔を見せていました。これぞ編集のマジック!

出演者は何でみんなこんなに楽しそうなの?というくらい、ノリノリで演じています。クルーニーは段々タイロン・パワーに見えてくるし、エディの役じゃなくて、よく頭の軽いベアードを引き受けたなと、彼の事好きになりました。ブローリンは、先に観た「ボーダーライン(感想未)」でも、憎たらしくて大変良かったのですが、今回は映画好きなら、ハハー、エディ様!と平伏したくなるような役を、猛然とタフで精力的で、哀愁まで感じさせちゃう好演です。

他にはテイタムもスカヨハもレイフも、みんなみんなに良かったですが、私イチオシはオールデン・エアエンライク。拾い物です。出演作を見たら、結構観ているのに記憶にござらん。でもこれから出てきますよ。覚えて損のない名前です(覚えにくいのが珠に傷)。

そうそう、劇中語られるベアードの大スキャンダルですが、どんな秘密かと思ったら、なーんだ、そんな事〜でした。そんなのアラン・ドロンでもやってるじゃん(大ネタバレ)。別段悪い事だと思いませんが、そう思うのは私だけ?

二時間の間に、50年代のハリウッドの表裏がお勉強でき、かつ溢れる映画愛にニコニコする作品。往年のハリウッドの名作が、とっても観たくなります


2016年05月06日(金) 「ズートピア」

すごーく良かった!久しぶりのディズニーです。大人が観る方が楽しめると言う評判を聞いたので、観てきました。観てびっくり。これ程秀逸に人間世界の問題を映しているなんて。サスペンスとしても、バディっものとしても、アクションとしても楽しめる、しっかりした脚本です。もちろん愛も希望も勇気もあってよ。監督はバイロン・ハワード&リッチ・ムーア。

可愛いウサギのジュディ。頑張り屋さんの彼女の夢は、正義の味方の警察官。、警察学校で一番になって、ウサギとしては初めて、警察官になります。配属は、肉食・草食動物が仲良く共存する夢の街・ズートピア。しかし水牛のボゴ署長からは歓迎されず、偏見の目で観られます。ズートピアの現在の難事件は、肉食動物ばかりが失踪している事。ジュディにもお鉢が回り、ひょんな事から、この街を知り尽くしている、キツネの詐欺師ニックの協力を得て、捜査を開始します。

勇気凛々、可愛い絵柄からのスタートダッシュからは、想像もつかない内容です。出てくるのは、偏見・差別・社会的格差に、票取りしか考えていない政治家の隠蔽工作からパワハラまで。そしてあっと驚くどんでん返し。これを人種・男女間・社会的地位・経済格差に置き換えれば、まるで人間社会の縮図です。尻尾まであんこ状態に詰め込んでいるのに、綺麗に整理されているので、すぐに呑み込め咀嚼できます。子供には浅く、大人には奥深く、しっかり理解出来る作りです。

ジュディの事は無視する署長に、直談判で掛けあうジュディ。「交通違反を一日で100件集めろ」と言われ、「半日で200件集めるわ!」と頑張る彼女。結果、数秒の違反でも、鬼のように反則切符を取って、ブーイングの嵐。警察学校では、体格のハンデを人の三倍努力して克服したジュディ。「学校」はそんな彼女を温かく見守ってくれたけど、社会では、努力だけでは通用しないのですね。もうこの序盤から、何てリアルな・・・と、心は鷲掴みに。

ジュディの両親は、娘の将来を思い、夢をあきらめさせようとします。前人未到のパイオニアは、どれだけ苦労するか、大人ならわかっているから。分相応、身の丈だけに生きるのは、向上心を失くすこと。でも足るを知らない人は、向上心を野心に変えてしまった。う〜ん、難しい難しい!この境目はどこにあるかしらと、今でも答えが出ません。

差別も偏見もない社会なんて上辺だけ。現実はそうじゃないんだよ。ウサギの女の子の警察官なんて、所詮人寄せパンダだ。苦い現実を知り、一度ジュディを挫折させるとは、何と見事な脚本か。挫折を知らない人生は味気なく、傲慢になるだけだもん。そこから這い上がらせる様子も心憎いです。

皮肉屋で人生を斜めに見ているニックも、暗い過去がそうさせていました。そんな彼も、ポジティブバカ一歩手前のような、ジュディに触発されます。どんなに自分が踏みつけにされても、泣かなかったジュディですが、劇中一度だけ泣きます。それはニックの心を傷つけた時。頑張り過ぎて、人にも同じ事を望んでいた彼女ですが、人にはそれぞれ、そうなる事情があるのだとわかったからです。

一割の肉食動物と九割の草食動物。社会の格差を映しているのでしょう。しかしジュディは言います。「悪い草食動物だっているし、いい肉食動物だっている」。その逆もまたしかり。一度も差別されたり偏見に晒されたりしなかった人って、いるのかな?なかったと言う人は、まだ人生を知らないだけだよ。金持ちだって、庶民からみれば偏見の対象です。そしてその地位も、この作品の中のように、あっと言う間に地に堕ちてしまう時も。素っ裸の自分を見つめ、素っ裸の相手を尊重しようよ。

こんな深い内容ですが、ディズニーらしく快活でテンポよく、ユーモアたっぷりに、ジュディたちは疾走します。初夏一番のお勧め作、どうぞご覧下さい。


2016年05月05日(木) 「アイアムアヒーロー」

評判良いので、観てきました。私はゴア系は全然大丈夫で、むしろ好んで観るくらい。今作はR15ですが、18でも良かろうの巷の噂に、ちょっと期待して出向きました。結論として、良かったです。邦画のメジャー系が、名のあるキャストで、これだけ容赦なく流血させて、脳みそ爆発させて、本気でゾンビを作ったんだと思うと、ちょっと胸が熱くなりました(本当に)。監督は佐藤信介。

漫画家のアシスタントとして、冴えない日々を送る秀雄(大泉洋)。同棲中のてっこ(片瀬那奈)には結婚を迫られていますが、漫画家の道をあきらめきれません。そんな時、感染者が次々と人を襲う謎の感染病が国中に急速に広まり、国は厳戒態勢に。感染者はすぐに死亡するのですが、すぐにゾンビのように蘇り、人を襲います。彼らはZQN(ゾキュン)と呼ばれます。逃亡中知り合った比呂美(有村架純)と共に、富士山へ向かった秀雄は、アウトレットモールでZQNに襲われ、屋上でアジトを組む井浦(吉沢悠)や、藪(長沢まさみ)に救われます。

邦画では、インディーズでゴア描写が売りの作品も何作かありますが、誘拐だったり殺人鬼だったり、観ていて気分が悪くなるのね。だからあんまり楽しめない。そして陰気でめっぽう暗い。日本のホラーは、心理的に追い詰めるジメジメ系は得意ですが、この作品のように、爽快なスプラッターはあんまり観た記憶がござらん。

爽快って、お前は人でなしか?と思われそうですが、相手はもう人間じゃないですから、ゾンビですから。ゾンビと言うと、昔は走れないのが定番だったのに、昨今全力疾走出来ちゃう系も出てきて、百花繚乱状態。今作もその辺は色々工夫を施しており、予想通りに惨劇が起っておりました。

原作が家に一巻だけあって、読みました。終わりの方で、てっこが感染するところで終わっており、それまでは裏バクマン的な、目の出ない中年に差し掛かる男の悲哀が中心に、描かれています(これはこれで面白い)。原作の英雄の妄想はもっと病的で、これ、陽性の大泉洋の役かなぁ?と訝しく思いましたが、原作は長尺のようで、だいぶキャラは省略。上手く脚色していたと思います。原作のてっこは、英雄の良き理解者で、私は映画での改変は残念だったけど、片瀬那奈の捨て身の熱演で、良しとしよう。

ゾンビ映画が人気なのは、アクションとしても楽しめるからかと、個人的には思っています。今作も配役陣は、アクションとしては想像できない面々でしたが、みんなキレが良く、頑張っていたと思います。その辺も花丸。特にラスト、ガンガン頑張る大泉洋は、とってもカッコ良かったです。

作り手の本気度としては、ロケ地や美術など、韓国映画のスタッフに協力を要請したとか。流血と言えばバク・チャヌクだし(笑)。この辺も努力が実って、見応えがありました。

協力し合っているようで、誰が「帝王」になるのか虎視眈々な様子、弱い立場の女性などの描写も、原作ではもっと描きこんでいるのでしょうが、映画はこれで充分。それより気弱でヘタレな英雄が、崖っぷちで「ヒーロー」として覚醒する様子に焦点を当てた脚本は、それまで待ちに待たされたので、カタルシスも存分に味わえました。

ラストも余韻があって良かったです。ちょっとロメロの「ゾンビ」のラストを思い出しました。原作はまだ続いているようなので、続編作られたら、絶対観たいと思います。


2016年05月04日(水) 「孤独のススメ」

オランダ映画です。オランダと言えば、バーホーヴェンとルトガー・ハウワーくらいした浮かばないのですが、こんな素敵な作品があるなんて。だからヨーロッパは侮れない。コメディテイストながら、様々な見方が出来る味わい深い作品です。監督はディーデリク・エビング。

妻に先立たれ、一人息子とは別れて暮らす中年男性のフレッド(トン・カス)。几帳面な彼は、毎日判で押したような生活をし、人付き合いも最小限。
そんなある日、一人の素性のわからない中年男テオ(ルネ・ファント・オフ)と知り合います。行く宛てのなさそうなテオを見かねて、面倒をみるようになったフレッドですが、やがて彼の生活が変化していきます。

男やもめとは思えない整った家の中。愛想なし。6時きっかりに食事を取り、テオにある事を教える際のスパルタぶりを観て、さぞ妻子は大変だったろうなぁと想像しました。私みたい大雑把な妻なら、息が詰まっちゃう。

何故そんなフレッドが得体の知れないテオの世話をしたのか?私は思考より先に行動に出たのだと思いました。体に変調が来て、初めて、あぁ私はストレスが溜まっていたんだなぁと言う時、あるでしょう?その心版。フレッド自身は、孤独と言う認識はなかったのでしょうが、頭より心が反応したのかと思いました。

珍妙なテオ。最初は何か隠し事があるのかと思っていましたが、観ているうちに、何らかの障害があるのかと思い始めます。傍若無人な変なオッサンだと思っていたのに、段々と天真爛漫な子供のように見えてくる不思議。規制の概念なんて、まるでなし。そんなテオを観ているうちに、段々と規制や規約に縛られた自分を顧みて、バカバカしくなるフレッド。

テオにまつわる人物で、ある重要な人が出てきます。その人もテオのために、当初は振り回され、嘆き哀しみ、怒りに震えた事でしょう。それが今はテオが幸せならばと、全てを包容しています。当初テオのためと思っていた事は、本当は自分がテオになって欲しかった事だったのでしょう。執着です。テオの幸せを一番に願う、それが愛する事だと学んだのだと思います。

それはフレッドも同じ。規律に自ら縛られ、神の名の元、子供まで追い出してしまう。テオの出現によって、その欺瞞に気付いたのですね。段々と解放されていくフレッド。まだ規律に苛まれている隣人に対して、温かな感情を見せるのは、今彼の心が自由だからです。

中盤以降ヘンテコだけど居心地の良かった展開から、ラストは大きな感動が待ち構えています。ワタクシ号泣。周りもすすり泣く声がいっぱい聞こえました。一人では勇気の出ない彼が、誰を同伴に頼んだか?孤独を好んでいた時には、考えられない事です。人は誰かと関わり合いを持ち、成長も愛も育まれるんだと、お仕着せがましくなく教えて貰いました。

劇中、同性婚(?)も出てきます。性的な関係はありませんが、「病める時も健やかなる時も」と言う、お決まりのフレーズが出てきます。結婚にはそれが一番大切な事です。私もこの「結婚」には賛成です。昔々、淀川長治の著書で、「映画をたくさん観て、人に人生を知り感受性を磨き、自分の人生に生かすのだ」と言う言葉が、私の金言です。淀川さんに感謝の日々です。


2016年05月01日(日) 「レヴェナント:蘇えりし者」




祝・レオ様オスカー主演男優賞受賞作。オスカーは例えハリウッドに貢献していようと、スター俳優に厳しいきらいがあるので、もう取れないかと思っていました。レオの事は10代半ばくらいから見続けているので、今回はとても喜ばしく思います。これも想像していたのと違った内容でした。監督はこちらも二年連続オスカー監督賞受賞のアレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ。う〜ん、でも今回は撮影の(これもオスカー受賞)のエマニュエル・ルベツキと俳優陣の頑張りに助けられた感も。それでも堂々たる作品だとは感じています。

1823年のアメリカ西部。まだ未開拓の地で、様々な国の白人たちは、集団で狩猟を繰り返しています。ヘンリー(ドーナル・グリースン)を隊長とする一団は、ガイドにベテランハンターのグラス(レオナルド・ディカプリオ)と、先住民との間に出来た息子ホーク(フォレスト・グッドラック)を雇い入れます。ある日先住民たちに襲撃させたヘンリーの隊は、犠牲者を出しながら生き残った者だけで隊を進めます。しかしグラスは途中で熊に襲われ瀕死の状態に。困ったヘンリーは、フィッツジェラルド(トム・ハーディ)とブリジャー(ウィル・ポールター)にグラスを託して、隊を進めます。しかし諍いが起こり、グラスはホークを殺害。ブリジャーには嘘をついて、グラスを置き去りにして去っていきます。

子を思う父親の復讐劇だと思っていたら、主役は自然でした。未開拓の冬のアメリカの荘厳な厳しさを、粛々と映すルベツキのカメラが素晴らしい。森、清流、崖、山、豪雪。全てが厳しいのですが、本当に雄大。よく人間は自然の前には無力だと言われますが、それは抗うからではないか?大自然に身を委ね、畏敬の念を抱き、様々な知恵を凝らす。瀕死の状態からのグラスのサバイバルは、必死に生を追い求める彼を、見守っているようにさえ、感じました。

レオは大奮闘。グリズリーに襲われて傷だらけだは、雪の中で真っ裸だは、深々凍えるような川には浸かるは、崖から落ちるは、もう大変。撮影中傷だらけ打撲だらけだったはず。これは他の出演者もでしょう。監督はサドなのかと、本気で思いました(笑)。ハリウッドのメインストリームに鎮座する大スターなのに、オファー断らないなんて、男気があるわと、グラスのサバイバルより、そこに一番感動しました(それでいいのか?)。これでオスカーあげなきゃ、オスカー会員は鬼だわと思いました(笑)。

先住民族は言います。「この土地は我々のものだ」と。この台詞、「セデック・バレ」にも出てきました。アメリカの先住民は、戦いに勝った証しに頭の皮をはぎ、台湾のセデック族は首を刈る。野蛮です。しかし、その土地に先に住む人々を押しのけ、土足で踏み入り、彼らが共存していた自然から、村を焼き払い、次々強奪していくのは、野蛮ではないのか?これは二方と関係のない立場のメキシコ人のイニャリトゥが撮ってこそ、意義があるのかと思いました。文明を齎した、と、幾ら開拓者が言い募っても、元から住む人々に取っては、侵略以外の何物でもないのだなぁと、感じます。

憎まれ役トムハは素晴らしい存在感。少しの描写で、彼がどうして悪漢になったのか、陰影深く演じていて、作品を引き締めます。その他私の大好きな「リトル・ランボーズ」のウィル・ポールターが重要な役で出ていて、嬉しかったなぁ。久しぶりに観たので、大きくなってと、近所のおばさん状態でした。

延々レオのサバイバルが続きますが、二時間半スピリチュアルな気分にさせてくれます。私は好きな作品です。


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