ケイケイの映画日記
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2016年04月23日(土) 「さざなみ」

映画館で散々観たこの作品の予告編で、大層立腹した私。何なのだ、この夫の鈍感さは。本当に幾つになっても男って。妻の方も中々に意地悪そうだし、これは面白い心理劇が観られるかも?との思いで観に行きました。しかし私的にあの予告編は、ミスリードでした。妻の哀しみは本当は何だったのかを知った時、真逆の人生を生きた私の心も、深い同情の思いに包まれました。監督はアンドリュー・ヘイ。今回はネタバレせねば書けませんので、あしからず。

イギリスの片田舎に住む、結婚45周年のパーティーを間近に控えたジェフ(トム・コートネイ)とケイト(シャーロット・ランプリング)夫妻。しかしケイトと知り合う前に、ジェフの恋人だったカチャの遺体が見つかったと、夫婦の元に届きます。スイスで登山中のクレパスの間に残された遺体は、50年経つのに、若い時のままです。急にそわそわ昔の恋を思い出す夫に、最初は不承不承ながら、理解を示すケイトでしたが、夫が隠し持っていたカチャとの思い出の品を観た事から、妻の心は波立ちます。

確かに夫は、妻の前で「僕のカチャ」などのたまい、無神経。しかし思わず口に出たんですよ。その他予告編で流れた「結婚しようと思っていた」と言う言葉は、夫は本当の言葉はぼかしたいのに、妻が問い詰めて言わしたようなもの。若かりし日々の恋心再燃でそわそわするものの、それを反省して、妻を気遣う様子も見られる。夫の鈍感・無神経なんて、老若問わず世界規模の問題なので、あら、旦那さん頑張っているじゃない、これくらいなら合格よ。予告編観てバカじゃないか?と思ってごめんなさい、と思ったくらい。

久しぶりに夫婦の営みに妻を誘うのも、後ろ暗いのを隠したいのでしょう。男が浮気で使う手ですね。浮気ではないのに、気を使っている点は褒めて良し。しかしその直後妻が寝ていると思い、カチャとの思い出に浸る姿はいただけません。気遣いが台無し。起きてきた妻はそういう事だったのか・・・と、静かに怒りが燃え盛る(当然)。スイスも行かないと言いながら、手配したりして、妻にバレル。夫の隠し事程、腹が立もんはないです。この脇の甘さも、夫の実態を上手く捉えています。

書いていて、つくづく思いますが、結婚45年の70過ぎの夫婦の話しじゃないみたい。5年でも10年でも有りなお話です。半分観ているだけで、「夫婦」であると言う煩悩は、例え100歳を迎えようと、なくならないんだなぁと思う。

表だって嫉妬を見せないケイトですが、カチャの遺品の中に、彼女の映るスライドを発見します。健康的でエキゾチックな若い娘。そして明らかに妊娠している姿。ジェフの子を宿していたのでしょう。それを発見した時のケイトの怯え哀しむ表情が本当に切ない。この夫婦は子供がいません。この事実は、お前の負けだと宣告されたようなもの。子供がいたら・・・と、思う気持ちは、ずっと彼女自身が一番ぬぐえなかったのでしょう。

夫はその事で妻を責めたりしなかったでしょう。しかし昔の恋人は妊娠していた。妻である自分は出来なかった。責めなかった事に、妻は怒る。何故感情をぶつけてくれなかったのか?あれやこれや、妄想は肥大して、きっと今までの夫婦の有り方、自分の人生まで否定してしまったのでしょう。

妻は子供を産めなかった事で、ずっと自分を責めていたのでしょう。男性から見れば、とても理不尽な怒りに思えるでしょうが、私はすごくわかるなぁ。「あなたが私の何を不満に思っているか、わかったわ」と、言われても、夫は皆目わからないはず。夫の心は置き去りに、完全に妻の独り相撲です。それでも子供バカスカ3人も産んだ私でさえ、この妻の気持ちが痛いほどわかる。少々夫が可哀想にもなるのですが、男と女の間の深い川は、本当に長くて暗い。歌の通り。一生続くんだなぁと、暗澹たる気持ちになります。

「ニューヨーク 眺めのいい部屋売ります」も、結婚40年の子供のいない夫婦でした。おまけに妻は教師と同じ。しかし全然似てないの。アメリカの夫婦は陽光燦々と降り注ぐ(ブルックリンだけど)陽の夫婦なら、イギリスの片田舎の夫婦は、天候と同じいつも曇天のような陰。

「眺めの〜」の方は、子供が出来ない事で、妻が泣いたリ騒いだりしたのを、夫が受け止め慰める。夫は夫で、黒人である事は妻には社会的に厳しく、教師と言う職業に支障もきたした事を知っているはず。妻は常にその事で夫を庇っていたでしょう。そうやって夫婦の絆を育んできたはず。対するこちらは、夫は現役時代大手の会社で組合活動も盛んだったようで、労働者階級の勇だったのを匂わせている。田舎の下町で教師をしていた妻とは、お似合いです。だからこそ、子供がいたら完璧だったのに、との思いが拭えなかったのでしょう。

この作品で、ランプリングは初のオスカーノミニーでした。彼女ほどの大物がとても意外でした。いつまでもお洒落でチャーミングなダイアン・キートン、、気風の良い艶やかさを見せるヘレン・ミレンなど、この年齢でこそ出せる女の華やかさを持続させる中、同年代のランプリングはどうでしょう?

劇場に彼女の年表と若き日のポートレートの数々が掲げれれていました。奥様とご一緒の年配男性が、「全然違うな」とびっくりされていました。若き日の彼女は、冷たく気品のある美貌は謎めいていて、一種凄みがあり、それはそれは綺麗な人でした。それが今はもう、すっかりお婆さんで、現役の女はとうに辞めた風情です。そのランプリングが、女の残り火を明々と燃やす様子は、灰になるまで女って、こういう事なのかと、深いため息を尽かせます。だって私も行く道だもん。



ジェフの感謝のスピーチは本心ですよ。ジェフが満面の笑みを湛え高らかに上げた繋いだ手を、ケイトは険しい顔で下していたけど、時が解決しますよ。どんなに穏やかに見える夫婦にだって、山あり谷ありあったはず。そうやって乗り越えてきたんだもの。ただしこの夫婦には時間がもう少ない。一緒にスイスに行かないか?と、ジェフはケイトを誘ってくれないかなぁ。ケイトは行かないでしょうけど、ちょっとは機嫌が直るでしょう


2016年04月19日(火) 「スポットライト 世紀のスクープ」




本年度アカデミー作品賞・脚本賞受賞作(監督・作品ともトム・マッカーシー)。鑑賞中ずっと力がはいったので、、観終わった後、とっても疲れました。そしてお腹が空いた(笑)。寝食を忘れて走り回る記者たちと、すっかり気分が同化してしまったからだと思います。でも心地よい疲労感でした。私がティーンだった頃観た、数々のアメリカのヒューマニズム作品を懐かしく思い出すような力作です。実話が元の作品です。

2001年ボストン。地元紙「ボストン・グローブ」の新編集局長として、親会社のニューヨークタイムズから、バロン(リーヴ・シュライバー)がやってきます。バロンは早速、お蔵入りになっていた神父による児童の性的虐待事件を掘り起こせと、編集者たちに命じます。購読者の半数以上はカトリック信者であるグローブ紙には、大変危険な取材となり、古参の記者たちは反発しますが、バロンは押し切ります。こうして記事は、ロビー(マイケル・キートン)を中心とした、マイク(マーク・ラファロ)、サーシャ(レイチェル・マクアダムス)、マット(ブライアン・ダーシー・ジェームズ)のチームで作る特集記事欄「スポットライト」に任される事になります。

出演者は実力派揃いながら、地味な作品です。しかしカトリックが生活に根付くアメリカでは、カトリックではないユダヤ人のバロンが強力に記事を後押しする事、「よそ者」であるアルメニア出身の弁護士ギャラベディアン(スタンリートゥッチ)が、ボストンと言う街全体を敵に回しても、この事件を明るみに出そうとするところに、多種多様な民族で成り立つアメリカと言う国家の、恥部だけではない、正義とルールも浮かび上がらせています。

それは、アメリカだけはありません。どんな小さな社会でも、よそ者の排他と言うのは起こり得る事例で、誰が観ても自分に置き換えやすいのです。変革は必ず混乱を引き起こし、寛容を不寛容にしてしまうからだと思います。要するに、「怖い」のです。

狙われた子らには、父親がいない、貧しいなどの共通点があり、信仰だけを頼りに生きています。神父はいわば神同然。抵抗出来ず、自分の子供が精神
を破綻させても、信仰を守るため秘密を守る母親たち。これも「よそ者」だからわかる、ファナティックは感情です。これも神しか頼るところのない、様々な貧しさが、そうさせるのだと思います。

一から取材していく記者たちですが、灯台下暗しで、記事の貴重なネタは会社の図書室や資料室に、たくさん眠っていました。取材しても、カトリックを敵に回して、記事には出来ないという思い込み。

額に汗して、入念な取材と裏付けを取る記者たち。門前払いなどへっちゃらです。とにかく歩き回る走り回る。時間との闘いなので、家庭はほっぱらかしで、マイクなどは妻に愛想を尽かされている。今はネットで簡単に情報が入り、ライターも小手先の文章が目立ちます。なので、このアナクロ感には、素直に感動しました。記者としての正義感と、他紙に出し抜かれてはいけないと焦るあまり、失態を演じてしまう姿の共存も、人間臭くていいです。「スクープ」は、やっぱりジャーナリズムの華なのでしょう。

繰り返されてきた悲劇として、被害者であり、加害者でもある神父も登場させ、臭いものに蓋をしてきた枢機卿一人の責任とはせず、教会全体の罪であると、記事をまとめようとする姿勢も誠実です。

途中で911が起こり、枢機卿の名スピーチの挿入は良かったです。神の使いは神ではなく、神の子=人間です。枢機卿は立派な人格者であるのがわかり、彼を卑怯者にさせたのは、組織であると思いました。虐待した神父も枢機卿も、皆信仰心は厚いわけです。でも閉鎖的な教会と言う人の集まりに身をおくと、自分のすることは神のする事だと勘違いし、正当化してしまうのだと思います。ロビーが枢機卿のスキャンダルとして世に出してもスクープなのに、
教会の責任を追及出来るまで記事を温存したり、虐待の連鎖を示唆する神父を登場させたのは、作り手は、何が彼らをそうさせたか、個人の罪より、組織の罪に重きを置きたかったからだと思います。

私の大好きなラファロが、ビリングトップでした。しかしオスカーでは助演候補。順番などあまり関係ない作品で、チーム皆が同列だと思います。作り手にも、そういう思いが強いのでしょう。作品賞を取った時のラファロの喜びようは、作り手全員で取ったオスカーだったからでしょう。シュライバーは、今までたくさん観てきたけど、今回が一番良かったです。知的で落ち着いていて、押し出しも効いて、とても素敵でした。

ネット全盛の今、どの紙も部数を減らしているそうですが、我が家は今も取っていて、毎日読んでいます。単純に好きなのです。ジャーナリズムは週刊誌に取って変わられたような立ち位置ですが、是非関係者の方々に、この作品を観て、奮起してほしいなと、新聞好きとしてお願いしたく思いました。それと同時に、この作品にオスカーを与えたハリウッドにも、もう一度期待したく思います。私はハリウッドが好きだから。


2016年04月15日(金) 「ルーム」




本年度アカデミー賞主演女優賞作(ブリー・ラーソン)。ブリーの演技もさる事なら、息子ジャックを演じたジェイコブ・トレンブレイが素晴らしい!実質二人が主役です。これだけの名演技なのに、何故ジェイコブはノミニーにもならなかったのかしら?特異な背景を用いながら、母と子供の幸せとは何か?を、深々考えさせられる、素晴らしい作品です。監督はレニー・アブラハムソン。

7年間見ず知らずの男オールド・ニック(通称)の納屋に拉致監禁されたジョイ(ブリー・ラーソン)。その間にニックの子、ジャック(ジェイコブ・トレンブレイ)を産みます。息子にありったけの愛情を注ぎ、育てるジョイ。ジャックが5歳になったのを機に、監禁から脱出しようと捨て身の作戦を立てます。

冒頭笑顔も交えて、母と息子の情愛が描かれます。監禁状態であると言う事を忘れさせるような、慈愛に満ちた姿。この状況で、これだけの養育が出来るのは、ジョイ自身が愛情に満ちた父母の元で育ったと想像しました。それがニック登場で、一気に凍りつき、現実に引き戻される。この落差は効いていました。

ジャックは賢い子ですが、まだ五歳。今まで教えたなかった事実を息子の話すジョイ。聞きたくないと泣いて訴えるジャック。怖い話、哀しい話は聞きたくないのです。この反応は観ていてとても辛い。そして、確かに子供はこういう反応するよなぁと、私も子育てしていた遠い日を思い出しました。

脱出劇が本当にハラハラします。その辺のサスペンスを軽く凌駕する出来。初めての外の世界で、青空を見つめるジャックの表情が秀逸。首尾よく警察に繋いでからの、茫然自失のジャックの様子も、確かに子供はこうなるでしょう。脚本は原作と同じエマ・ドナヒュー。本当にこの年頃の子供心が、細部に渡って描き切れているのです。これは子供の存在を愛し、関心を持つ人の描き方です。感嘆しました。それを的確に演じるジェイコブにも、感心します。

凡百の作品なら、これで終わりでしょうが、この作品の値打ちは、むしろこれ以降。ジョイとジャック親子が、忌まわしい体験を経て、やっと自由の身になってからの出来事でした。

やっとの思いで恋しい両親と再会したら、二人は離婚。母(ジョアン・アレン)には既にパートナーのレオ(トム・マッカムス)がおり、父(ウィリアム・H・メイシー)は、遠く離れて住んでいました。戸惑い裏切られたように傷つくジョイ。しかし両親の離婚は、誘拐か家出かわからない状態のまま、娘が消えてしまった事が原因ではないかと思いました。すぐにジャックを抱きしめる母に比べ、娘の顔も孫の顔も、まともに見られない父。

あぁ、父親って脆いなぁ。ジョイが正気を保てていたのは、ジャックの存在だけではなく、もう一度両親に会いたかったからです。夢見るハイティーンだった娘が汚され、孫はその結果です。自分の娘に何の罪科もない事は、充分理解しているはずなのに、抱きとめてやれない父親。ジョイを救出出来たのも、ジャックの様子に何かを感じた婦警が、辛抱強くジャックの心をほぐしていったからです。男性警官は面倒くさいのか、質問さえしようとしませんでした。

私は男性や父親を責めているのじゃありません。事実レオは良き人で、血の繋がりがないぶん、ジョイとジャックが手助けが必要な状態だと認識して、陰から支えています。それでも子供の存在に対して、母親や女性の感受性は、圧倒的に男性より優れているのだと、作り手は言いたいのだと思う。それは主に、女性たちへ、その持てる特性を自覚して欲しいと言う事じゃないでしょうか?

全く外の世界を知らずに育ったジャックでしたが、段階を踏まえ、世間に馴染んでいきます。子供の柔軟さを改めて痛感。対するジョイは、7年間の空白に対して、適応できない。変わってしまった母に対して、母子二人きりの濃密な空間だった納屋を懐かしむジャックが、切ない。

テレビのインタビュアーが、「子供は手元に置かず、誘拐犯に託して、病院の前に捨てるなどしようと思わなかったのか?その方が子供のためではなかったか?」と言う、思いもよらない質問で、一気に精神が崩壊するジョイ。このインタビュー内容に、私は激怒します。

ジョイが気丈さを保てたのは、ジャックの存在です。幼い我が子を育てなければ。その感情は、何より母親に力を与えます。子の幸せだけを願うのが良き母なのか?私は違うと思う。断言出来ます。母と子供、両方が幸せになれる術を模索すべきです。それは母子の数だけ、様々な形で存在するはずです。母親には健やかに子供を育てる義務、幸せになる権利があるからです。

何度でも言おう。母親は自分と子供、両方が幸せになる道を、模索する権利と義務があります。主体は母親で、子供ではない。何故ならそこには自由と重い責任があるから。子に思い責任を持たせるべきではありません。自分の存在は、母の人生を豊かにしたと、子に満ち足りた思いを抱かせる義務が、母親にはあります。

ジャックの長い髪は、私の思う子供から得る力の象徴だったんだなと、鑑賞後に感じました。「お祖母ちゃん、好き」のジャックの言葉に、一瞬言葉を詰まらせながら、「お祖母ちゃんもよ」と涙ぐむジョイの母親。平凡なこの言葉の重さ。離婚・新しいパートナーと言う選択をした彼女もまた、強靭な心で娘の帰宅を待ちたかったからだと、思いました。

ラストにジャックが希望した事。彼の実感。そのシーンの前に、「オッパイ」とジョイにねだるシーンがあったので、あぁここからジャックは、幼児から少年になって行くんだなと思いました。ジャックの希望を叶える事が出来たジョイにもまた、新たな一歩が待っているのでしょう。願わくば、父とも和解してほしい。

女性客が多かったですが、是非男性にも観て貰いたい作品です。








2016年04月10日(日) 「あやしい彼女」




うんうん、楽しかった!私の大好きな「怪しい彼女」のリメイクです。大筋は元作を踏まえて、細部は日本を感じさせる小技が効いていて、リメイクは大成功。ストーリーは知っているのに、元作と同じ個所で大笑いして、またまた号泣しました。監督は水田伸生。

偏屈な老女のカツ(倍賞美津子)。夫は早く亡くなり、一人娘の幸恵(小林聡美)と孫の翼(北村巧海)の三人暮らし。戦災孤児で、お互い支え合ってきた次郎(志賀廣太郎)だけが唯一の友人で、楽しみは子供と孫だけの生活です。しかしそんな母親にイラついた幸恵と喧嘩した事から、カツは73歳にして初めて家出します。夜道を歩いて、偶然通りかかった写真店で写真を撮ってもらったところ、なんとカツは20歳の頃の自分(多部未華子)に戻っていたのです。早速彼女は「大鳥節子」と名を変え、再び巡ってきた青春を謳歌します。

元作も主演のシム・ウンギョンの超絶なチャーミングさに心奪われっぱなしでしたが、我らが多部ちゃんも全く引けを取らないです。あの可憐な多部ちゃんが、口の悪い婆さんを衒いなく演じる弾けっぷりが、本当に楽しい。古風なファッションも愛らしく、満点の出来です。

元作を観た時、韓国の流行歌を知っていたら、もっと楽しめたろうなと思いましたが、今回は私も知っている年の名曲が数々歌われ、その歌に合わせてカツの過去がオーバーラップするのですが、もうワタクシ号泣。歌は世に連れ、世は歌に連れ。それは歌の数だけあるんですね。自分の幼い頃の事まで思い出しました。もうこの時点でリメイクの意義ありと感じました。アジア各国でリメイクされているのは、「歌の力」を十分に味わった欲しいからじゃないでしょうか?多部ちゃんはすんごく歌が上手くて、元々なんだと思っていたら、この作品のために猛特訓したんだとか。花丸の頑張りです。

その他、元作が母と息子だったのに対し、今回は母と娘。そしてシングルマザー同志。この変更も脚色の上手さで成功しています。カツはたった一人で子育てした苦労から、娘にはそんな思いはさせたくないと、孫育てから家事まで、この歳までずっとずっと頑張ってきたのでしょう。次郎の銭湯でのパートだって、孫にお小遣いをあげたいし、少しでも娘に苦労かけたくないから。でも女同士の気安さから、「お前のため」と言い続け、言い返せない娘の苦しさには気付かない。

これね、私もすごーくわかるんですよ、幸恵の気持ちが。私の母親も同じだったから。そして母はカツほど苦労もしちゃいない。幸恵は母親の苦労を知っているから、言い返せない。そして一生懸命頑張っているのに、苦労は母親だけみたいに言われる。カツはカツで、自分がいるのだから、幸恵は恵まれていると思っている。確かにそうなんですが、幸恵には似合わない、黒のネイルを観た時、彼女がファッション誌編集長時代、如何に無理をしていたのかも感じます。思っている事の五分だけ話さず、時には全部腹の内をさらけ出して話さなくちゃいけないのは、夫婦でも親子でも、一緒だと思いました。

文句なしの多部ちゃん以外に良かったのは、小林聡美。節子の役は、30年前だったら彼女だったですよね?母親の捜索中に、母の軌跡も追う過程で、頑なだった幸恵の心が溶けていくのが、こちらにも届きます。志賀廣太郎も、頼りなくもカツに愛と忠誠を尽くす次郎を、普段の実直でインテリなイメージと差がない演技ながら、笑わせてくれます。意外だったのは、要潤。程よい二枚目感で、薄くも濃くもない存在感が、泡沫の存在である節子とのプラトニックラブに似つかわしかったです。

倍賞美津子だけが、ちょっとなぁ。彼女が悪いと言うのではなく、キャラがイマイチ。元作はいるいる、こんな婆さんと思いましたが、まずセンス悪すぎ。イマドキの高齢者は綺麗な人がいっぱいで、あの髪形・服装はやり過ぎです。嫌われ者感も、ちょっと作り過ぎ。彼女のような大柄でクールなイメージの人より、むしろお姉さんの倍賞千恵子のような、まるい雰囲気の可愛い系のお婆ちゃんに、毒舌吐かせた方が良かったかなと思いました。

とは言え、これも些細な事。私の大好きだった、出来なかった青春を、このまま謳歌してくれと言う子供に、「もう一度お前を産んで、同じ苦労をするのよ」と言う台詞は、今回も健在で、またまた号泣しました。結婚して、この男と結婚しなけりゃ良かったと思う妻は数あれど、この子を産まなきゃ良かったと思う母親はいないはず。思った事あると言うお母さん、それ気の迷いだから(笑)。夫の苦労は嫌だけど、子供の苦労は好き好んでやっているのよ。だから、ぜーんぶ忘れた。カツの「お前のため」も、ただの口癖くらいに思って良し。今回はクレジットになかったので、私が言いましょう。この作品を、全てのお母さんに捧げます。


2016年04月03日(日) 「ロブスター」

突然ですが、「籠の中の乙女」と言うギリシャの作品をご存知でしょうか?世に特異な作家性を持つ監督はたくさんいますが、この作品を監督したヨルゴス・ランティモス監督も相当なもんです。「籠の中の乙女」も、一応自分なりに咀嚼はしましたが、それより何より珍妙でブラックな描写のオンパレードで、それに目を奪われっぱなしでした。人に寄れば、くだらない又は嫌悪するシーンばっかりなんですが、何故か私はツボにはまってしまい、何度も爆笑(少ない劇場内、そんな人は私だけだった)。そんな酒の肴の珍味みたいな監督が、こんな豪華キャストで作っちゃうなんて、あな恐ろしや。今回も大変楽しめました。今回ちょいネタバレ気味です。

独身者は罪の世界。パートナーがいないと、収容所のようなホテルに放り込まれ、45日以内にパートナーを見つけないと、動物に変えられてしまうのです。デヴィッド(コリン・ファレル)も妻に一方的に去られてしまい、このホテルに連れてこられます。ホテルには足の悪い男(ベン・ウィショー)、滑舌の悪い男(ジョン・C・ライリー)などがおり、皆日数内に相手を探さなくてはと、戦々恐々。デヴィッドも消去法で感情のない女(アンゲリキ・バブーリァ)とパートナーになりますが、とあることが原因で、ホテルを「脱獄」し、独身者ばかりが潜む森に逃げ込みます。そこはリーダーの女(レア・セドゥ)が取り仕切っており、恋愛禁止のルールがありました。しかし皮肉な事に、デヴィッドは近視の女(レイチェル・ワイズ)と恋仲になってしまいます。

最初ホテルで、「あなたの性的嗜好は?」と聞かれて、女性と答えるデヴィッド。しかし「いや一度だけ男性ともある」「どちらにしますか?」と聞かれ、少しの間合いの後、「女性」と答える。もうこのシーンだけで、観に来て良かったと思いました(笑)。この間合いが絶妙でね、ベテランの芸人のようです。昨日テレビで三男と吉本新喜劇を観ていて、絶妙な掛け合いと間合いに、爆笑しっぱしでしたが、二人で「やっぱり笑いは”間”やな」と、語り合ったもんですが、この作品もそれにぴったり当てはまる。どんなにブラックで悪趣味全開のシーンの羅列でも、私が笑えるのは、この間合いが私と波長が合うのでしょう。昨日新喜劇を観て、私がこの監督が好きな理由がわかりました。

ホテルでは独身は背徳、森のグループでは恋愛は憎悪対象。どちらにしても強制的に管理されている。結局同じなのですね。独身にしろ恋愛にしろ、本来は自由であるべき。管理なんかするもんじゃない。これが社会制度なんて、本当に恐ろしいわ。

その証拠に、ホテルの支配人夫婦は、レアたち「レジスタンス」にパートナーとしての欺瞞を暴かれます。要するに動物になりたくないだけなんですね。その他気になったのは、このホテルに入っている人は、何かしら欠点がある人ばかり。そして非モテ系。だからなのか、同じような欠点を持つ人ばかり探す。この視野狭窄的思考は如何なものか?その中でデヴィッドは、自分に好意を寄せてくれる女性もいるのに、多分容姿的な意味から、一番危ないだろう、感情のない女性を自分も同様であると装って、選びます。これも危険です。結果残酷な破綻。このホテルから、恋愛に対しての客観的な推考が出来る仕組みになっています。

対する森のグループのレアも、ほぼ感情のない女と同じ冷血漢。悪意にも満ちていて、多分性格破綻者である感情のない女より、レアの方が罪深い。愛情の対岸は無関心で、憎悪ではない。だから、思想ではないのです。憎悪すると言う事は、彼女はかつて恋愛で痛い目にあったか、何か個人的な理由があるはず。極端な思考に走るリーダーの、個人的な思考に付きあうのは、一旦立ち止まった方がいいかもです。世に蔓延るカルトな組織に、救いを求めて群がる人々に警鐘を鳴らしているようです(深読み)。

さぁ恋愛関係になった二人はどうなるか?ラストに、あっと驚く「春琴抄」になるなんて、思いもしませんでした。思春期に読んだ谷崎の「春琴抄」には、究極の愛だと感動した若き私ですが、あれはそういう語り口だからなんですね。今回は愚かしくも、とても切ない気分。近視と言うファクターはあっても、それ以降はお互いの人間性で愛し合った二人のその後は、観客に託すラストです。

コリンは数々のハリウッド大作で、マッチョなフェロモン出しまくる人気スターですが、私は苦手。この作品では18キロ増量して臨み、地味なメガネをかけ冴えない中年男です。ですが!初めて愛していいですか?くらい、素敵に見えました。どこも魅力のなさそうなキャラの中、姑息でひ弱な男性が、愛と勇気を奮い立たせる姿は、人間的魅力に溢れていました。その他、名のある華と実力を併せ持つ俳優陣が、欠点ばかりが目立つヘンテコな役柄を、哀愁を込めて演じています。これも監督が引き出した魅力でしょうか?特にレアなんて、ボンドガールより、ず〜と魅力的です。コリンが増量しても出演したかったのも、さもありなん。

この題材ならハリウッドで作れば、もっと解り易くて笑える作品になったでしょうが、愛や社会制度について考えたり出来たかな?と思います。目を覆いたくなるグロシーンもありますが、出来れば目を背けないで。自分勝手な解釈でどうぞ、と言われているような懐の広さも感じて、もっとランティモス監督が好きになりました。


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