ケイケイの映画日記
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2016年06月30日(木) 「クリーピー 偽りの隣人」




お友達各位で、賛否両論の作品。一般的には否に傾く感想が多くて、本当はパスしようと思っていましたが、映画はやっぱり観てなんぼ。私はイケるくちでした。監督は黒沢清。

大学で心理学を教える高倉(西島秀俊)。彼は元刑事ですが、訳あって退職。郊外の一軒家に妻靖子(竹内結子)と引っ越してきました。隣人の西野(香川照之)は、妻と娘澪(藤野涼子)の三人暮らしですが、得体の知れない何かがある人物です。不審に思っている時、刑事次代の同僚野上(東出昌大)がやってきて、未解決の一家失踪事件を、一緒に調べ直して欲しいと言います。

否定的な意見はわかるんです。随所にツッコミはいっぱい。警察の捜査は杜撰だわ、靖子は不可思議な行動を取るわ、これじゃサイコパスの犯人に、さぁ捕まえて頂戴、ってくらいなもんです。

途中までは、「あの人、お父さんじゃありません」のキャッチ・コピーに、何故ミステリーなのに、ネタばらしするかな?と思っていました。しかし、これはミステリーではないと、次第に思えてきました。サイコパス的な人に洗脳されていく様子を映す、不条理なホラーなんじゃないでしょうか?

冷淡にするかと思えば、妙に馴れ馴れしく靖子に近づく西野。なのに高倉には、「奥さんが我が家を詮索して、気分が悪い」と、怒ります。思えばこれは西野が、高倉夫婦を試したのでしょう。

妻がこれ以降自分に近づかないなら、手を出さず、近づいたなら獲物にする。靖子は後者でした。私はずっと、高倉家の食卓がSNSにアップするような、お洒落な食卓なのが、気になっていました。センスの良い器に、お店のような料理。古い中古住宅の家とは、似つかわしくない生活感。この夫婦が何でこの家選らんだのだろうか?

「引っ越しをすれば、少しでも変わるかと思っていたのよ!」と絶叫する靖子。妻は夫に不満があったのですね。それはわかる。禍々しい犯罪を好奇心いっぱいで追いかけて、趣味と実益(仕事)と言ってしまうような、高倉はそんな男です。ありあわせと言いながら、毎日渾身の思いで作ったはずの料理も、毎日一様に「美味しい」だけで通り過ぎたでしょう。誠実なれど鈍感で、知らずに人を傷つける夫。

そんな日常の鬱屈を抱えた靖子が、「あのチョコ、手作りですか?」の、西野の繊細な言葉が、心に沁みないわけはありません。

でもこの夫婦は破綻していたんでしょうか?いいえ、違うと思う。少しずつ溜まった心の澱は、誰もが持ち合わせているはず。その隙を見つけ、言葉巧みに心に入り込むのが、西野のような男なのでしょう。と言う事は、誰にでも起こり得ることなんだと、ぞっとしました。薬物中毒、中古住宅の中にある、得体の知れない秘密部屋など、あまりにリアリティがないです。でもこれ全部、記号的に感じればいいんじゃないでしょうか?ファンジーでもいいかな?(笑)。

一家失踪事件で、一人取り残された早紀(川口春奈)に高倉は、「あなたは人の心がない!」と言われますが、西野を評す隣人も同じ事を言う。面白がって追いかける輩は、ミイラ取りがミイラになってしまうんですよ、と言う事ですね。

ずっと不穏な空気に包みこまれ、心理的に怖かったです。ラストの高倉の行動は、ファーストシーンに繋がるのでしょう。彼なりに学んだ結果だったと思います。

家族ごと取り込まれ洗脳されていく、一家失踪の家族。人は誰ひとり、放っておかれて、大丈夫な人など、いないのでしょう。高倉は安心していたのですね。家族や友人には常に関心を持っていなければ、と強く思いました。原作はプロットだけ借りて、内容は全然違うとか。こちらも面白そうなので、読みたいと思います。



2016年06月28日(火) 「ダーク・プレイス」




非難轟々の作品。ミステリーとしては、色々破綻しているし、その他魅力的なプロットも生かせていません。それでも私は、母親の愛について考察出来る、この作品が好きです。監督はジル・パケ・ブランネール。

カンザスシティの田舎町。38歳のリビー(シャーリーズ・セロン)は、30年前、実の兄ベン(若い頃タイ・シェルダン、現在コリー・ストール)が、母(クリスチナ・ヘンドリクス)と姉二人を殺害すると言う、忌まわしい事件の生き残りです。兄逮捕の決め手は、殺害現場を観たと言うリビーの証言が決定打でした。しかし実際には観ておらず、幼かった彼女は、警察の誘導尋問に乗ってしまったのです。現在定職もなく、支援金も底をつきかけた彼女に、声をかけたライル(ニコラス・ホルト)。彼は事件の謎を解く事を趣味とした人々の集まり「殺人クラブ」のメンバーでした。ベンが無実と信じるクラブは、リビーに協力を願い出ます。お金に窮している彼女は、仕方なく申し出を受けます。しかしこの事が、彼女を30年前に引き戻す事になるのです。

前半のうらぶれたリビーを描くプロットがいいです。美しいのに化粧気のない顔。男か女かわからない服装。敗れたTシャツやジーンズは、お洒落のためではありません。一人薄暗いゴミ屋敷になった家に住む彼女。新しい自分に生まれ変わろうとしては、過去に引き戻されてきたのじゃないかしら?はした金のために、自分の尊厳まで売るリビーですが、私は卑屈さより、哀れを感じました。

兄ベンとの対面場面も良いです。兄を憎み怖れながら、後ろめたさを見せるリビー。そんな妹に、純粋な愛着と包容力を見せる兄。しかし得体が知れない。30年ぶりに会った兄は、妹の想像する人ではありませんでした。これがきっかけで、お金の為ではなく、リビーは事件の真相を追うようになったのでしょう。
 
幼い頃の回想場面も良かった。鬱屈を抱え、怒れる若者でもなく、さりとて逞しく女たちを引っ張る大黒柱にも成れない、若き日のベンも描いています。家庭は女性ばかりで、居場所がない。もうじき見つかったはずなのに。ベンの逃避行先は、恋人ディオンドラ(クロエ・グレース・モレッツ)の元でした。

とね、前半はタイトル通りの、それぞれが別々の「暗い場所」で、もがく様子が描かれて、とても良いです。しかし、肝心の謎解きになると、一気にお安い二時間ドラマ的に収束しようとするので、すごく落胆しました。殺人クラブも面白そうな集団なのに、終盤まで全く出てこないし、あんなに親身になってこの家族を心配していた母の姉は、現在リビーと全く付き合いがないのは、何故?そして警察の捜査は、あまりに杜撰過ぎる。父親、友人の扱いも中途半端。その他諸々、真相の辻褄合わせの為だけの雑な展開で、本当にがっかりしました。

しかし視点を母に移せば、これは考えさせられる内容です。クズの夫とは離婚して、一人農場を切り盛りする母ですが、生活は困窮するばかり。シングルマザーの貧困問題は、国を問わないのでしょう。それでも朝、きちんと子供たちにパンケーキを焼く姿から、彼女の子供たちへの深い愛情が伝わってきます。夫のいない家庭で、息子に手を焼くのは、心細い事だったでしょう。息子の起こした事件で、母親の自分が至らないからだと姉に涙する姿には、思わず貰い泣きしました。

そして彼女の出した結論が、哀し過ぎる。私は絶対賛成できない事ですが、追い詰められて、袋小路に入り、この方法しか考えられなかったのでしょう。母として、自分に自信を無くしていたのも相まっての結論は、無責任だと誰も責められないと思います。プロデューサーも兼ねるセロンが一番望んだのは、この母の愛を、肯定的に描く事だったじゃないでしょうか?

今やハリウッド女優のトップと言ってもいいような存在のセロンが、今回とても地味に演じています。これも内容を浮かび上がらせるための、計算かな?私はクリスチナ・ヘンドリクスのお母さんが、一番良かったです。この人、確かバストが1メートルあるんですよね。なのにセクシー系ではないようで、聡明さと暖かさを感じました。そんな人が出した結論だったのが、余計哀しくて。
若き日のベン役のタイ・シェルダンは、期待の若手だそうで、それも納得の存在感。クロエは、う〜ん。次代を担う彼女がこんな汚れ役、しなくてもいいかなぁと思いました。綺麗な役ばかりしろとは言いませんが、この展開では、演じても損な役回りだと思います。

成人のベンの得体の知れない、そこはかとない怖さは、実は少年のまま時が止まってしまった、純粋さなのだと、ラストで理解出来ました。刑務所で勉学に励んでも、それを生かす場がないと、結局本当の大人には成れないのでしょう。

真相に辿り着き、事件のあった生家の前にいるリビーは、晴れやかで穏やかな、良い表情でした。「ダーク・プレイス」から抜け出した彼女のこれからの人生が、幸多かれと祈りたいです。


2016年06月26日(日) 「日本で一番悪い奴ら」




やくざ映画かと思いました(笑)。いやいやれっきとした警察を描く映画です。例え腐敗していてもね。私は事件は全然記憶にないのですが、北海道の警察官の手記を元にした実話です。一番悪い奴って、そういう事だったんですね。監督は白石和彌。

優秀な柔道選手である事を見込まれ、北海道警察に入職した諸星要一(綾野剛)。最初は純情な好青年だった諸星ですが、先輩刑事村井(ピエール瀧)の「指導」よろしく、やくざの黒岩(中村獅童)やチンピラの山辺(YOUNG DAIS )、パキスタン人のラシード(植野行雄)を情報屋の「S}にして、検挙率をアップ。あっと言う間に所轄のエースとなります。しかし、ノルマのような検挙数に、しだいに焦りを感じ、段々と違法行為に手を染めて行きます。

描いている内容は、刑事を主役にしたピカレスクロマンなどに、既視感のある内容ですが、これが実話だと思うと、本当に驚愕。拳銃不法所持の検挙方法なんて、目が点になります。シャブ、チャカ、シャブ、チャカ。そしてお互いを呼び合う時に、「兄弟」「オヤジ」って(笑)。もうこの言葉の洪水で、警察とやくざは表裏一体どころか、ほとんど同化していると言っていい状態です。

前半はコミカルにテンポよく、「天下を取った」気分よろしく、出世していく自分に酔う諸星が描かれます。かなりパワフルに面白おかしく描かれるので、こちらもついつい笑ってしまう。両隣が高齢のオジサマ(要するにオジイサマ)でしたが、とにかくよく笑っていらっしゃる。そして私も同じところで笑う(笑)。笑いのツボは、描かれる年代が20世紀な事もあって、何となく懐かしい味わいでした。

しかし、検挙する覚せい剤のグラムで、点数が違うなんて知らなかった。その点数に縛られ、営業マンみたいに上司から尻を叩かれる刑事たち。物を売る訳じゃないんだからなー。普通に考えたら、検挙が少ない方が平和だと思うんですが。すごく奇異に映ります。

出世、と言っても、それほど階級が上がる訳でもなく、「糟糠の情婦」ホステスのユキ(矢吹春奈)と結婚するわけでもなく、他に女まで作る(なんと婦人警官!)。まるで足抜け出来ないやくざのようです。

泳がせ捜査やでっち上げ、Sに渡すお金のため、諸星は借金まみれに。どう考えても、おかしい。自社製品を買わされる会社員よりもっと悲劇に思えますが、本人は気付かない。やがてそれがため、本当にびっくり仰天の方法で、お金を工面する諸星。

ここからは坂を転げるように転落する諸星が描かれます。反目・裏切り・仲間割れ。悪行で結ばれた絆は儚いもので、おもろうて、やがて哀しき哀愁に満ちた展開が待っています。

綾野剛が絶品。純情青年からハイテンションのイケイケ悪徳刑事、昨今巷に話題の転落場面まで、全編出ずっぱりで大奮闘です。彼の作品はあれこれ観ていますが、全部印象が違うのに、「綾野剛」を強く印象付けるのがいいです。美形を売りにする顔立ちでもないので、中年期以降もすごく楽しみです。

覚せい剤を打つ場面が出てくるんですが、すごく物哀しい気分になります。孤独だったり絶望だったり。結局は現実逃避なのです。最近は普通の主婦までターゲットになっているそうで、君子危うきに近寄らず、現実逃避はもっと安全な方法が良いようです。映画とかね(笑)。

警察の腐敗を描くいているのに、憤りより、むしろ悲哀を感じてしまいました。後に引いたり、思いにふける作品ではないですが、観ている時はとっても面白い!そこも昔のやくざ映画を彷彿とさせる、「刑事もの」でした。


2016年06月23日(木) 「葛城事件」


この画像、どこかで見覚えありませんか?

「僕たちの家族」そっくりなんです。



妻子のため、一生懸命マイホームを手に入れた父親、子供は男の子二人に美しい妻。全く同じなのに、まるで真逆の道を辿ります。希望と絶望。相反する言葉は、表裏一対であると感じ、誰もがどちらにでもなり得るのだと、噛み締めるように観た作品です。監督は赤堀雅秋。

親から引き継いだ金物店を営む葛城清(三浦友和)。愛らしい妻伸子(南果歩)と長男保(荒井浩文)と次男稔(若葉竜也)にも恵まれ、25年前郊外に一戸建ての家を購入しました。しかし、それが清の人生のピークでした。現在は通り魔事件を起し、死刑判決を受けた稔を抱え、近所から村八分状態。そこへ死刑反対の意思を持つと語る順子(田中麗奈)が、稔と獄中結婚をしたと、保を尋ねてきます。

独善的で家族を抑圧する清を軸に、反抗する出来の悪い稔、夫を恐れながら毛嫌いする伸子、唯一父の味方でありながら、誰にも本心を伝えられない保の心模様が、時空を超えながら、交錯して描かれます。

四人が四人とも、誰が観ても欠点をあげつらえるような人間ばかり。しかしデフォルメはしてありますが、四人とも実にありふれた、どこにでもいる人なのです。特に清の姿には、どことなく共感する中年以上の男性は多いのじゃないかしら?既視感バリバリの人たち。と言う事は、この四人に、誰もがなりうる可能性があると言う事です。

清は私より少し上の世代でしょう。私が子供の頃は、ホームセンターなどなく、家庭で必要なものは、全て金物屋で調達していました。事実近所の金物屋は、大変な金持ちだと評判でした。順調な家業を息子に継がせたいと思ったのは、当たり前です。

しかし時代は変わる。こういった生業の人は、PTAの役員をしたり、町内会の世話役をしたりして、その縁を活用し、何とか店を持ちこたえるものですが、尊大な清には、その才覚はなかったと思います。上司も部下も同僚もなく、日長一人で店番をする清。一見筋が通っているような彼の理屈は、書物で学んだのではなく、新聞や雑誌、テレビで仕入れたものなのでしょう。実践感がまるでない。引きこもり日長ネットに噛り付いて、ふらふらとした傲慢な屁理屈を並べる稔は、父親そっくりです。

清は、会社勤めに憧れた事でしょう。それが出来の良い保に、絶対に会社勤めをしろと言った理由です。しかしそれが、将来の夢を持つことが許されなかった自分と同じとは、気付かない。子供に自分と同じ安定した道をと思う親心と、自分のようになって欲しくないと言う相反する思いが、同じ意味を持つ皮肉。「お前のため」。それは子供の自由を奪う事なのです。

子供とは、親の役に立ちたい、喜ばせたい。そう思うものです。保は自分の気持ちを押し殺したのではないか?兄より出来の悪い稔は父親から差別され、それがコンプレックスで父に反抗を重ね、兄を憎悪する。その時母の伸子はどうしたか?

最初私は、こんな男じゃ愛想も尽きるなと思いましたが、そうだろうか?観ているうちに、この家庭の「戦犯」は、彼女だと思いました。劇中食事の場面が、たくさん出てきますが、どれもこれも店屋物やコンビニ弁当、外食ばかりです。主婦が食事を作らなくなるのは、家庭に家族に愛情が無くなった時です。稔の悪行や出来の悪さを必死で庇う伸子ですが、稔の屁理屈には、曖昧な笑顔を浮かべるだけ。庇うだけで、息子を励ましたり肯定したり叱ったりは、一切ないのです。

伸子は家庭に疲弊していたのですね。もっと言うと夫に。しかしね、家庭の主婦はそれじゃダメなんだよ。父の日が近づいたある日、三男に「父の日って、プレゼントの売り上げ、母の日の1/3なんやって」と何気なく言うと、「そらそうやろ。両親揃ってて、お父さんの方が好きなんて、子供が可哀想過ぎるわ」。一瞬胸が詰まりました。有難くて。

劇中唯一幸せそうな場面は、母と息子二人が粗末な食卓を囲む場面です。例えカップ麺であっても、お腹は空いていないかと、長男を気遣う母。兄には暴言しか吐かない弟が、三人だと、ぎこちなくでも兄と会話するのです。これが母親の力なんだよと、涙が止まりませんでした。

家庭に置いては、母親とは絶対的に優位なのです。だから私は、妻は母は、誰より家庭に責任があると思う。暴君でいつも暴力をふるっているようなイメージの清ですが、伸子に手をあげた場面は一度だけ。暴力は絶対ダメですが、理解は出来る場面です。その夜、眠る伸子に抱き着く清。猛烈に拒絶する伸子。私なら、そのまま抱いてあげるのになと思いました。

結局自責の念で自殺してしまう保。保の通夜に、手つかずで何皿も置かれた寿司桶は、通夜の参列者の少なさを表しています。友人もいなかったのですね。姑である伸子は「あなたが殺したのよ」と言う。でも保の妻は、夫の実家に殺されたと言いたいのです。誰にも責任はないと、思います。でも敢て言うなら、私も責任の重きは保の妻だと思う。妻は幼い子供二人のかかりきりで、クビを言い出せない夫の言動に気が向きません。何度も挿入されるこの場面。男って、手がかかるのよ。見守るのは、子供だけではダメなんです。

酔狂でトンチキな自己愛女の順子に、「俺が三人殺せば、俺と結婚してくれるのか?」と清は迫ります。「ふざけないでよ!」と、拒絶する順子。いやいや、ふざけているのは、あんたでしょ?私はずーと、あんたが救われたいのなら、世話するのは稔ではなく清だよと、思っていたもの。壁一枚で身を守って、傷ついたふりしていても、現状は打破出来ないのよ。

伸子の顔の痣は、清ではなく稔でしょう。これは通り魔事件へ繋がるサインではなかったか?母は水に流してしては、いけなかったのですね。横柄な屁理屈ばかりこねる稔が、たった一度順子に向かって吐いた本音は、通り魔事件の加害者には、誰もがなり得る可能性があるのだと、痛感します。

「お父さんが好きなの。だから、別れたくない」。「僕たちの家族」で、原田美恵子のお母さんが言った台詞です。世の夫に一番大事な事は、妻に愛され続ける事じゃないでしょうか?それが主婦に力を発揮させる秘訣なんだと思う。家族って何だろう?家族の笑顔が観たい。悲しませたくない。役に立ちたい。愛し愛されたい。至ってシンプルなのに、これがどれ程困難か。わかり過ぎるくらい理解出来る四人を通して、もう一度自分の家庭を見つめたくなりました。

三浦友和(大好演!)からは、「この作品からは絶望ばかりではなく、希望も感じてほしい」と、書いてありました。うん、希望と言うか、勉強になりました。三男の言葉に恥じない母であり、妻でいたいと思います。そして身近に伸子がいたら、お友達になりたいと思います。


2016年06月18日(土) 「ヒメアノ〜ル」




評判良いので、観てきました。猟奇的サスペンスもエログロも大丈夫の私ですが、ラストにまさかの落涙。世間の評価の高いのは、ただ面白おかしく作っているだけでなく、どうして森田(森田剛)がシリアルキラーになったのか?ちゃんと想起出来る様、作ってあるからだと思います。監督は吉田恵輔。

清掃会社でアルバイトする岡田(濱田岳)。先輩の安藤(ムロツヨシ)が、行きつけのカフェの店員ユカ(佐津川愛美)を好きになり、恋の橋渡しを頼まれます。その時ユカから、ストーカーのように付きまとわれる森田(森田剛)の事を相談されます。偶然にも岡田と森田は高校の同級生でした。話してみると、ユカには関心ないと言う森田に、安心する岡田。色々とユカと交流するうち、彼女から告白された岡田は、安藤に秘密にして、付き合いを始めます。

この作品の原作は、古谷実。「ヒミズ」の時もびっくりしたのですが、この作者、あの「行け!稲中卓球部」の作者なんですよね。息子たちと笑いまくった、あの「稲中」の原作者だなんて、信じられないくらいシリアス。

前半は楽しいラブコメ風です。安藤はピュアで善人なんだけど、我が道を行く強引さと、その善人ぶりもかなり独善的。そして気持ち悪い。それに引きずられていく優柔不断な岡田の関係は、昨今よく取沙汰される発達障害と、人に嫌われたくない症候群とでも呼びたくなるような、若者気質です。それに絡むのが、無自覚な魔性の女ユカちゃん。結局登場する男三人、全部彼女に魅かれているわけですしね。岡田に空虚な生活を苦悩している事を吐露させたり、可愛いユカに恋する安藤に、「生物としてムリ!」と言い切るなど、岡田を代弁者にして、レールから外れた人生を歩んでいる若者たちの葛藤を、語らせてもいます。

岡田とユカが初めて結ばれるのを、じっと見つめる森田。ここで初めてタイトルが流れ、意表が突かれました。ここからは、シリアル・キラーの森田のお話になっていきます。高校時代、虐めにあっていた彼は、同様の同級生和草駒木根隆介と共に、ある秘密を抱えます。高校の時は同等だったのに、自分は今も底辺をはいずり回っているのに、和草は父の経営するホテルで勤め、結婚間近の恋人(山田真歩)までいる。この不公平。岡田が和草をゆすっていたのは、金ずるだと言うだけではなく、ここにも理由があると思いました。

とにかく次々と躊躇なく人殺しする森田。それも得手勝手の理由で。あまりにカジュアルに繰り返される殺戮場面に、茫然とするほど。彼が精神疾患を持っている描写が出てきて、そっちに流れると嫌だなと思っていましたが、これは杞憂でした。

森田剛が上手いと評判ですが、確かに。とにかく不潔感いっぱいで、すえた臭いまで漂ってきそうなんです。変に熱演するでもなく、感情の籠らない、日常の延長線上にあるような殺人場面を演じるのは、難しかったはずです。上手くこなしていました。実力があっても、ジャニーズだからと言って役柄を限定して腐らせてしまうなら、この使い方は大いに有りだと思います。

岡田は、ある事で森田に罪悪感を持っていました。ユカと付き合う事を、安藤に内緒にする事も、私にはその延長線上の事のように思えました。虐めは傍観者を巻き込み傷つけたはずが、傍観者はその事を忘れようとして、また人を傷つける事を繰り返してしまう。これは観客へ問いかけているんでしょうね。

「俺たちはもう終わってんだよ」。居酒屋で森田が岡田に向かって吐くセリフです。正社員ではない、恋人がいない。それだけじゃない。容姿の事も言っているのかと思います。彼らは男子にしては低身長。この作品を観ていると、男子の世界では、圧倒的に不利で引け目なんだなと感じます。男性の低身長は、女性の容姿に匹敵するコンプレックスを持つのでしょう。原作はどうなのか知りませんが、二人をキャスティングしたのは、そういう意図もあったのかと思いました。

どういう展開になるのかと、固唾を呑んでいましたが、見事な収束です。岡田は昔の自分とも対峙し、悔恨と詫びの感情を抱き、コミュ障的な安藤は、彼の一番の長所である純粋さで友情を取り戻す。そして森田。彼をシリアル・キラーにさせたのは、何のか?いたずらに精神疾患に怯えるのではなく、観客はその奥の原因を憎むでしょう。

本当はもっと悲惨なエンディングを監督は用意していたそうですが、あんまり人でなしなので、こちらにしたとか。お蔭で深い余韻が味わえました。これも原作を是非読んでみたいです。


2016年06月12日(日) 「64」(前後編)

一気観したかったんですが、時間の都合で、前篇を五月半ば、後編を公開初日に観ました。私はドラマ・原作とも未見です。ドラマに軍配が上がるとの声が多いですが、未見でも理由は何となくわかるくらい、掘り下げが甘く、消化不良の部分が多いです。ですが、作り手が熱くて良心のある刑事ドラマを作ろうとする気概は充分に伝わり、力作であると思います。監督は瀬々敬久。今回あらすじはなしです。

超豪華な出演陣ですが、名のある人、見知った人を隅々まで配したのは良かった。膨大な登場人物の名前は忘れても、顔で認識出来ました。無駄に豪華な配役の時もありますが、今回は功を奏しています。前編では、県警トップのキャリア組・椎名桔平が、表面は暖か味がありそうながら、切れ者で冷徹な面をきちんと出しており、ほんの数分の登場ながら、出色の演技。警察でのキャリア組の位置づけを、出番の多い同じキャリア組の滝藤憲一より、強烈に印象に残します。これは滝藤はキャリア組と言うより、人柄のように感じるのに対し、全く私人を感じさせない椎名桔平の役作りの為かと思います。

省いた方がいい箇所は、佐藤浩市の娘の失踪の件。原作で鬼瓦と揶揄される役柄を、ハンサムな佐藤浩一にやらせる点で、もうすっぱり切れば良かったかと。他は広報部と記者たちの小競り合いは、前半でもかなり苛々しながら観たのに、後半も繰り返され、ここも半分強カットして欲しかった。何故ならあまりのしつこさに、記者たちに反感を抱いてしまったからです。それって、作れ手の本意じゃない気がします。

出世街道の脇道に逸れた佐藤浩市に対して、順調に出世していく同期・中村トオルの件も、映画では必要なし。余計に話が解りにくくなる。これだけでも、随分尺が削れると思います。

職務に忠実であると良心が痛み、かと言って上に抗議してもラチがあかないジレンマを抱えた、佐藤浩市。相当なストレスでしょう、こちらも胸が痛む。彼が数々の難問を老獪ではなく、誠実であれと職務を全うするので、寄り添いながら観ていけました。

警察のキャリア組VS叩き上げの図式は、キャリアが悪で叩き上げが善と捉える
描き方はたくさん観ていますが、この作品のように、両方ともが、出世・野心・保身にまみれ、犯罪や被害者感情が置き去りにされていく様子は、あまり記憶がありません。心ある刑事たちが退職や閑職に追いやられていく様子には、憤りを感じました。キャリア組でも、何も出来ない若手の柄本祐が、無能な様子を晒しながらも、短時間で成長や根性を見せる場面もあり、一つに括らない描き方は良かったです。

後半では、犯人が誰か、割と早い段階で目星がつきます。犯人の動機はチラッと台詞で出てきますが、ここはもっと掘り下げて欲しかった。隠し通した十数年間の葛藤は、犯人の背景を見ると壮絶なはず。ここは回想でも本人でもいいので、語らせていたら、より64事件の哀しみが浮かび上がったと思います。

色々文句を言いましたが、それでも作品に見入ってしまったのは、全てのキャストが浮く事なく埋没する事無く、熱演してくれたからです。これ程膨大なキャスティングで、見事なアンサンブルを見せるとは、本当に素晴らしい。これは役者さんたちだけではなく、一番の功労者は、やはり監督だと思います。

その中でも出色の演技を見せるのは、被害者の父役永瀬正敏。同じ萎れてやさぐれてしまっても、「あん」とこの作品では全然質が違う。前者は希望のなさで、後者は絶望です。絶望の淵から見せる執念は、子供のいる人なら、涙を禁じ得ないものです。そこに佐藤浩市や吉岡秀隆は、心を揺さぶられたのも納得出来ました。

佐藤浩市と緒方直人が対峙する場面がヤマ場なのですが、ふと、この二人は二世俳優だなと思い出しました。二人とも押しも押されぬ一流の俳優ですが、両者とも父親とは違うタイプの役者です。決してハンサムじゃなかったけど、男として華やかで押し出しの利いた緒方拳は、晩年も主役を張っていましたが、息子はこのまま貴重な脇役としての道を選ぶ方が、息が長いような気がしました。(ちなみにワタクシ、佐藤浩市が大好きです)。

佐藤浩市が上と刺し違える覚悟で犯人逮捕の暴挙に出た事を、正義や良心と言う言葉だけではなく、こうしなければ逮捕出来なかった警察のシステムを観客に問うているようで、私は良かったと思います。複雑な感情と共に、清々しさ有る、良いエンディングだったと思います。長編の作品は、どこを刈ってどこを膨らまし、どこを要約するのか、本当に難しいと思います。結果あれもこれもと詰めて、散漫になってしまう作品が多い中、この作品はギリギリセーフだったと思います。

最近前後編が多いですが、だいたい前半〇、後半失速が多く、この作品も当てはまります。出来れば脚色の段階で練って、三時間2000円でも良いので、一本にして貰えるとありがたいです。好きか嫌いかと問われれば、好きな作品です。


2016年06月08日(水) 「団地」

上映後に舞台挨拶のある日曜日、観てきました。先に書いておきますが、私はこの作品大好きです。多分年末の私のベスト10にも必ず入るだろうと思う程好き。ですが!これ、トンデモです(笑)。まさかの〇〇。あぁそれなのにそれなのに。親愛なる映画友達の方によると、あのキネ旬でも評判が良いそうな。映画秘宝とちゃいまっせ(笑)。これはね、あっと驚く展開になる、それまでのディティールが、どれだけ丹念に描かれ、かつ味わい深かったと言う証拠かと。団地に暮らしてウン十年、そう私は現役団地妻。この団地妻と言う響きに、淫靡な郷愁のある大人の方、何のこっちゃ?と言うお若い方皆々様、どうぞご一読お願い致します。

ある出来事がきっかけで、営んでいた漢方薬局店をたたんで、古い団地に越してきた清治(岸部一徳)とヒナ子(藤山直美)夫妻。半年が過ぎた時、薬局時代顧客だった真城(斉藤工)がやってきて、どうしてもいつもの薬が欲しいと言います。宅配便でやり取りする話がまとまった矢先、今度は次期自治会会長に清治を推薦したいと、現自治会長・行徳(石橋蓮司)の妻・君子(大楠道代)がやってきます。しかし選挙結果は行徳が当選。いやいや立候補したようながら、密かに団地のためにお役に立とうと思っていた清治は傷ついてしまい、「もう僕は死んだ事にしといて」言い、床下収納庫に隠れてしまいます。やがて何週間も清治の姿を見ない住人たちは不審に思い、ヒナ子が殺したのでは?と言う噂が、団地中に広まります。 

私の住む団地は高層住宅でエレベーターあり。敷地もこじんまりとしており、一見すると普通のマンションのようで、知人に団地だと言うと、「えっ?あそこ団地やったん?」と、たいがい聞き返されます。ヒナ子の住む団地は5階建てのEVなし。昔はEVを付ける基準は6階建て以上でした。今は低層階住宅でもEVがあるので、そこから相当古い団地だと推測されます。間取りもうちとは異なっていますが、生態はだいたいあんなもんです(笑)。

実はうちもね、最近夫が交通事故に遭いまして、一か月半ほど仕事を休んだんですね。入院の必要なし、しかし安静と言うことで、病院に行く以外は、しおしおと隠遁生活の夫。その間、

「お宅の御主人最近みぃへんけど、元気にしてはるの?」と、あの人この人に何べん聞かれた事か。その度「ええ、元気にしてますよ。」とニコニコと、私も何回嘘八百答えた事か。夫の怪我はトップシークレット。だってこの作品と同じやもん。「実は・・・」と誰かに言ってみ?噂が尾ひれ羽ひれ付いて回る事必死やもん。

「あそこ(うちの夫婦)、なんかあったで。別居か離婚かしたんちゃうん?」
「そうか?仲良さそうやったやん?」
「そんな家こそ、危ないねん」
「どっちかが浮気したとか?」
「あっこ、旦那さん男前やし、奥さん可愛いし」(←これは私の妄想・ワハハ!)。

いやいや、上四行は、確実に言われてたね。だいたい仲の良い人は、そんな事誰も聞けへん。聞いてきた人は、ほとんど挨拶程度の人ばっかりです。そやから、「殺人やて、そんなアホな・・・」と全く思わず、あるあるこの展開!と、納得しまくりでした。また竹内郁子や濱田マリらの、大阪のおばちゃんの井戸端会議風景が、上手い事作品に溶け込んでいるんやね。噂を真実のように決めつけ、正義者ぶる者、振り回されて疲弊する者。その滑稽さを、ユーモアたっぷり、かつその奥に辛辣を滲ませて描いています。この光景、団地だけではありません。毎度お馴染み、ネットの世界ですね。

清治夫婦は、二年前に交通事故で一人息子を亡くしています。ちょっと暗いと、人から噂されていますが、そら当たり前やわ。事故は相手のトラックの不注意で、過密労働がマスコミで騒がれ、当事者の清治とヒナ子は、その喧騒に取り込まれてしまい、終わった時には「もう泣く事も出来へんかった」(清治)。

この人ら、充分泣いてないねんな。悲しんでないねんな。そしてぶつかってへん。子供を亡くした辛さ苦しさ、それをぶつける相手って、誰?もちろん加害者でしょう。でも加害者にぶつけても、その後には憎しみが募るだけやと思う。私、思うねん。ぶつけるなら、夫婦じゃないかと。この苦しみを同等にわかるのは、夫婦だけやねん。だから理不尽なようでも、こんな時夫婦は思いの丈をぶつけあい、大ケンカせんと、あかんねん。そこから本当に支え合う事が出来るんじゃないでしょうか?一度だけ、「あんただけが哀しいと思てんの?」と、大人しいヒナ子が夫に向かい声を荒げた時、そう思いました。

ぶつかる代わりに妻は店を閉めようと夫に頼み、夫は妻を気遣い、生き甲斐の店を閉め、林に毎日逃げる。お互いがお互いを思いやり、不満を持ちつつ毎日を過ごす。その突破口が、床下収納庫やったんですね。「僕はお前と薬だけあったら、もう何もいらんねん」と達観した夫を、私は世間の目から守っていると言う自負。そやからヒナ子は、生き生きしてきたんでしょう。

そんな夫婦に手土産のような話を持って、5000人分の薬を頼みにくる真城。真城さんて、けったいな人です。まず日本語が不自由(笑)。いつもポーカーフェイスで表情穏やかなれど、それしかない。この俗っぽい世界観から、浮きまくり。まるで〇〇人やんかと思っていました。真城さんの使いの宅配の兄ちゃん(冨浦智嗣)かて、三分経ったら、お腹壊すやなんて、あんたはウルトラマンか?と思っていたら、これ全部伏線ね(笑)。うぅ、苦しい!

漢方薬の丸薬は、あんな風に作るんですねー。不眠不休の夫婦の息の合った、そしてくたびれた様子が、夫婦の年輪を絶妙に表していました。

ここから怒涛の展開(笑)。舞台あいさつで阪本監督は、「直美さんを遠くに連れて行きたかった」と仰っていますが、藤山直美は「脚本読んだとき、とうとう監督、頭おかしなったんやと思いました」(場内爆笑)。それでも出演したのは、「私が映画に出るなら、阪本監督作品だけです」と、全幅の信頼を寄せているからだそうです。

この作品のテーマは、大事な人を亡くした時、人はどう思うのか、どう生きるのか?だそう。この言葉は鑑賞後聞きましたが、君子がヒナ子に、「負けへんかったでー!って、言うてやりや!」と言う台詞に、ふいに涙が出た私。誰よりも大事な子供を失っても、お腹がすくからご飯を食べる。そんな時、親なら何と私は浅ましいと、辛いでしょう。やがて苦しみは癒えなくとも、掃除して洗濯して、また誠実に日々を生きてしまう。それは哀しみに負けへん事なんやね。勝たんでもいいやん、いや勝ちたくなんかないわ。君子はそこをわかっていたから、「勝った」ではなく、「負けへんかった」と言ったんでしょう。

最後はキツネに摘まれたの如く、超びっくりしました。そうや、薬局の元お客さん(麿赤兒)、「もうじき三回忌やな」と言ってはった。真城さん「二日かかる」と言ってはった。そうやそうや、うんうん。「なんたら」を一万回くらいしたんやわ(観れば意味がわかる)。もうどっちゃでもええわ。嬉しいから、それでええもん。「観た人に、幸せな気分になって欲しかった」(監督)そうで、まんまと手の内にはまりました。

監督も主演女優も大阪出身と言う事で、ほんまの大阪を映したかったのだとか。「東京が描く大阪は、大阪ちゃうでしょ?あれは東京が自分の立ち位置のため、描いた大阪です」(直美談)。確かにきれいでも汚くもない、日常の大阪弁が会話され、おばちゃんたちは、誰もヒョウ柄を着ずとも、大阪感満タン。団地からは毎朝「ありがとう、浜村淳です」が聞こえてきます。地方地方に、「浜村淳」がいてるねんやろうなぁ。

藤山直美は、やっぱりすごい、上手い。普通のちょっと暗いおばちゃん役ですよ。それも、ちょっとどんくさい(笑)。それがねぇ、セリフ一つ一つ、所作の一つ一つが味わい深い、面白い。ヒナ子はね、社会的にはどんくさいかも知らんけど、家庭では丁寧でとても誠実な人です。家庭に置いては、愛される人なんですね。だから、家業である薬屋の時は、同じ仕事でも輝いていたと思います。このどんくささ、誰かに似ていると一生懸命考えていたら、「じゃりん子チエ」のヒラメちゃんやわ!と辿り着きましたが、この解説は、余計わからんかな(笑)。

直美以外も、岸部・石橋・大楠諸氏も、皆さん本当に味わい深い演技でした。直美曰く、「それは演技以前に、何回も冬を超え夏を超え、そうやって自分に備わった、そういうもんが演技以前に出たんやないかと。私らもみんな、そんな年になったと言う事ですわ」何と謙虚なお言葉。当日の彼女は、艶やかな黒の着物姿。気さくな物言い、低い物腰。オーラではなく、包み込むような貫録。皮肉ではなく、美を超越した女らしさで、本当に素敵でした。

清治はええ年して「僕」って、奥さんに言うんですよ。奥さんに「僕」と言う旦那さんは、大阪では少ないです。これだけで育ちの良さや優しさが的確に表れる一人称は、他にはないです。そんな清治を、岸部一徳も絶妙に表しています。斉藤工を藤山直美は知らず、「さいとう え」て、誰?状態だったのだとか(笑)。とぼけた演技が上手かったですよ、彼。石橋蓮司も、豪快なようでスケベで小心な善人っぷりが良かったし、大楠道代も、温か味のある演技で、ちょっと格上の大阪のおばちゃんを感じさせて貰いました。

全編笑いとペーソスで、ぐちゃぐちゃです(笑)。「こんなに映画で笑ろたん、久しぶりやで」とは、ロビーで聞こえた会話。同感同感。俗っぽいのに、高尚な気分にもさせてくれる、不思議な作品。真城さんのとある言葉、是非聞いてね。現世を生きる極意です。


2016年06月05日(日) 「デッド・プール」




マット・デイモンが、GG賞の時のインタビューで、「『オデッセイ』はコメディなんですか?」と聞かれて、「ミュージカルだよ」と答えたと読み、さすがマット、ジョークも気が利いているわと思いました。でも作品を観たら、あながちジョークでもなかったな(笑)。この作品でも、主人公デッド・プールが、「この作品はラブストーリーだ」と言います。またまた〜と、作品中人を食ったジョーク連発だったので、これもそう受け取りましたが、観終わってみれば、ラブストーリーでした(笑)。予告編観て、期待していましたが、予想通り楽しかったです。監督はティム・ミラー。

かつて特殊部隊の傭兵として活躍していたウェイド(ライアン・レイノルズ)。今は引退して、悪人を懲らしめて小銭を稼ぐ事を生業としています。娼婦のヴァネッサ(モリーナ・バッカリン)とは、客としての出会いからすぐに意気投合。愛を深めた二人は、もうすぐ結婚と言う時に、ウェイドの癌が発覚。余命わずかと診断されます。絶望するウェイドに前に、ある男が現れ、秘密の治験に誘われます。ヴァネッサのために意を決したウェイドですが、そこは人間をミュータントに変身させて、奴隷として売買する組織でした。超人的な力を身に付け不死身になった代わりに、顔を含む全身にケロイドが残ったウェイド。こんな顔では、愛するヴァネッサの元に戻れません。復讐の鬼と化したウェイドは名前をデッド・プールと変え、自分をこのような体にしたフランシス(エド・スクライン)と組織を追います。

正直言うと、アメコミヒーロー物はあんまり好きじゃないです。何かみんな同じに感じる(笑)。観ている間はそれなりなんだけど、大がかりなアクションも大差ないし、観た後、やっぱり他のにすれば良かったと思うので、最近はほとんどスルーです。でも何十回観たろうこの作品の予告編は、大変面白かった。冒頭ふざけまくるオープニングに流れた曲に、あれ?聞き覚えが?しかしサビの部分の「Just call me angel of the morning, angel〜♪」を聞いて、あっ、昔好きでよく聞いていた(でも忘れていた)ジュース・ニュートンの「夜明けの天使」だ!と思いだし、美しい歌声に確信的に会わない画面に、もう釘づけ(笑)。私の気分は盛り上がりっぱなしのまま、最後まで突っ走りました。

とにかくデッド・プールのキャラが最高。下品でお喋りで毒舌家。ウェイドの頃からデッド・プールになっても、くだらない事を、のべつ幕なし喋っている(笑)。しかし裏表なく正直者で、ヴァネッサを心の底から愛しています。映画の小ネタが、セリフにあちこちバラまいてあるですが、それもブラックな楽屋落ち的セリフが満載。ネットで面白い言い回し読んでいるような感じで、映画好きは、ウハウハする事請け合いです。私はリーアム・ニーソン主演の某シリーズ物の事を、「何回も誘拐されて、親もアホだよな」と言う台詞に、爆笑しました。確かに(笑)。

アクションはそんなに期待していなかったので、及第点って感じで満足しています。それより、そんな手に汗握る様な場面でも、デッドがふざけ倒す余裕っぷりが、とっても素敵(笑)。お茶目なポージングも、いちいちツボでした。

結構壮大な仕掛けで火薬やカーアクション使っていますが、元を辿れば私怨の復讐と顔を元に戻したいばっかりの私利私欲のみで、人を殺しまくるわけで、真っ当なヒーローには程遠いのね。そのため、「X-MEN」チームより、コロッサスが新人のネガソニック(ブリアナ・ヒルデブランド)を引き連れて、デッドに、ヒーロー道を教えてに、教育的指導にやってくる。コロッサスって、いい人なのよね、紳士だし(笑)。発火少女のネガソニックも、怒れるゴスッ子ぶりがティーンエイジャーらしく、いい仕事するのも非常に良い!

アメコミの原作は、結構ダークな実社会を反映させたものが多いですが、この作品でも、ウェイドもヴァネッサも、虐待や超貧乏の家庭育ちを匂わせ、現在の底辺の状態の原因を匂わせています。盲目のヘロイン中毒の黒人老婆の登場や、ウェイドが治験に誘われたのも、彼が底辺の人間で、いなくなっても誰も騒がないであろうと言う理由から、目を付けられました。この辺はしっかり受け取りましたが、「俺ちゃん(デッド)は、どうでもいいんだよ〜ん」と笑い飛ばしてくれるかしら?

私が感激したのは、ウェイドが失踪したあと、ヴァネッサがまた娼婦に戻らず、ショーパブ(エッチな店だけど)のウェイトレスをしていた事。体を売るのは、やっぱり褒められた事ではありません。彼女がウェイドを心から愛していたから、もう娼婦には戻れなかったんですね。やっぱり誰かを愛するのは、人生の巻き返しに役立つんですねぇ。

多彩な役柄を器用にこなすレイノルズですが、いつまでも若々しく、好感の持てるイメージがチャームポイントの彼。この作品でも、無難にこなしています。しかしあんないい体しているとは、知らなかった。何でセクシーな男NO・1なんだろうと???と不思議でしたが、納得しました(笑)。若造だと思っていたのに、もう40歳なんですねぇ。ハリウッド大作(かな?)に主役張って、これで「ブレイク・ライブリーの夫」と言われなくなるのを祈ります。

私が一番ハラハラしたのは、化け物のような容姿になったウェイドを、ヴァネッサが受け入れられるか?と言うシーンでした。一途な男の純情を見せるウェイドの気持ちをしっかり受け止めていたので、どんな危機一髪のシーンよりドキドキしました。だから、ラブストーリーなの。毒舌や皮肉であれこれひっくり返していたから、先が読めなかったのよ(笑)。今思えば、これもこのシーンを惑わすためだったのかも?

とにかくホント、面白かった!ヒーロー物は、やっぱりキャラですな。続編作らないってエンディングで言ってたけど、絶対作るよね(笑)。次も絶対観ます!

では、映画に全然似つかわしくない、「夜明けの天使」をどうぞ。


2016年06月04日(土) 「神様メール」




神様はブリュッセルに実在しており、意地悪でろくでもない男。そんな神の子として生まれた娘が、父親である神に鉄槌を下し、地球を救う(?)お話。最初突拍子もない設定に慣れず、ツッコみながらの鑑賞でしたが、娘が地上に降りてきてから、あぁそういう事なのかと、自分なりに感じ入る事もあり、楽しい作品です。監督はジャコ・ヴァン・ドルマン。

ベルギーのブリュッセルのとあるアパート。そこには神に父(ブノア・プールボールド)と女神の母(ヨランダ・モロー)との間に生まれた娘エア(ビリ・グロイン)が住んでいました。神はモラハラ・暴言・DVが日常と言う、とんでもない男。一室に籠っては、パソコンで人類を操り甚振り、一人邪悪な喜びに浸っていました。そんな父に反抗的なエアは、置物になってしまった兄のJC(キリスト)のアドバイスにより、父のパソコンから人類の各携帯に余命を一斉送信。そして下界に降りてきます。神はカンカン。エアを追いかけて下界に降りてきます。

この神を観て、キリスト教信者は卒倒するんじゃなかろうか?(笑)。とにかく酷過ぎる行いに、観ているこっちが怒りに燃えるほど。女神である妻など、あまりのモラハラで、言葉も奪われる始末。エアの反骨ぶりに、溜飲が下がる。

自分の余命がわかってからの人々の行動が納得。戦争は停止となり、何をしても死なないはずと、無鉄砲な行動を起こす者あり、自分より長生きする障害者の息子に手をかけそうになる母がいたり、悲喜こもごもです。

そんな中、JCのアドバイスにより、使徒になる六人を選んだエア。こちらもバラエティに富んでいます。エアは何を基準に選んだのだろうと考えてみました。それは境涯のせいで、本当の自分を生きていない人たち、ではないでしょうか?死んでしまうなら、自分を欺く事なく、本来の自分らしい自分で残りの人生を過ごしたい。それが獣姦だったり不倫だったりするのは、どうかと思うんですが(笑)。これもコメディ仕立てなので、観易くなっています。

使徒の中で、一番観客の心を打つのは、片腕の美女じゃないかしら?片腕を失ったせいで、目立たないよう、静かにに生きる彼女に、夢も希望もありません。自分を閉じ込めている象徴が義手のように感じました。その義手が銃で撃たれた後、待っていたの心の解放。その感情を導いたのは、エアが美女に見せた夢の中の、失った手が踊る、美しいダンスだったのでしょう。自分の心は誰にも束縛出来ない。自由に出来るのは、自分だけだと、気付いたのですね。毒舌とブラックユーモア満載のこの作品の中、私はこの美しいシーンが一番好きです。

エアはあんな父親には絶対会いたくないと言いますが、ママには会いたい。でも母性を尊んでいるのかと言えば、ミュンヒハウゼン症候群を思わず母が出てきて、どうもそうじゃないらしい。人間賛歌を描く時に必要なのは、誰かを何かを愛する事。そして心の解放じゃないかと思います。自分の余命を知って、そこまで辿り着かせるのは皮肉ですが、こうまでしないと、欲望や絶望が邪魔をして、人は気付かないって事でしょうか?おぉ、宗教っぽくなってきた(笑)。

酒に溺れ人の苦しみが一番の喜びと言う神は、ある意味一番人間臭かった気がします。逆説的に言うと、天上の神を崇めるのではなく、各々人々が自分の心の中の神様に恥ずかしくない行動を取れば、それでいいのでは?あっ、これが良心か!

私は「ぼくのバラ色の人生」と言う作品が大好きなのですが、今回も女の子になりたい男の子が出てきます。願いがあっさり認められる展開は、いくら余命が近くても隔世の感あり。彼も心の解放の象徴でした。

そして最後に起る「奇跡」も、穏やかなユーモアがたっぷり。「運も実力のうち」と言うのも、あれも奇跡なのかも?人の世は小さな奇跡に満ち溢れていると思うと、夢も希望も湧いてくる、と言う作品。


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