ケイケイの映画日記
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設定こそ1995年ですが、現代にタイムリーな原発問題を扱った作品で、評判も高いので期待値上げて観ましたが、うーん。あれもこれもと詰め込み過ぎて、肝心のテーマがぼやけてしまい、イマイチの印象です。監督は堤幸彦。今回はあらすじは省きます。
まずツッコミが満載。まず子供が簡単にヘリの内部に入れるような警備に問題あり。そして、仕事で家庭ほったらかしで、妻が夫の湯川(江口洋介)に怒り心頭なのはわかるけど、まず自分の子供の行儀の悪さを申し訳なく思うべきでは?片方の子は、止めようと一旦止めています。前後の出来事に情状酌量ありですが、それでも父である夫を責めて、夫が妻に謝るシーンは不自然で必要なし。自分の子供が迷惑かけてが一切なしって、この親はモンスターピアレントなの?入れるなら、これを入れて。
救出場面もなぁ。何故ヘリに入れないの?私は素人だからわからないのかもですが、でも観ている人、ほとんど素人のはず。あんなに解り易いアナウンスで、真ん中のボタンもわからぬ子が、どうやって機械を操作して、モールス信号出したのか?そしてずっとリュック背負ったまま(笑)。下すと思うよ、普通子供でも。
犯人の動機の掘り下げも甘い。伏線であろうズームも、何度も出てくる写真も、何かわけがあるんだろうぐらいしか匂わない。あれを伏線とは言わないです。脈絡なく出てくる真実も、直接大事を起すには、痛ましいけど動機が希薄。原発の将来性に対して警鐘を鳴らしたいのは理解出来ますが、もっと方法があったはず。綾野剛は白血病らしいけど、それが理由かと思ったら、また別の裏側も。その裏側って、挿入する必要があったのか?必要があったなら、もっと深く描きこまないと。
仲間由起恵も、これみよがしの手首の傷は何?匂わせる部分はあったけど、あれだけでは説得力不足。説得力不足はドイツに行かなかった事もそう。犯人は彼女を利用したかっただけ?演技が良かっただけに、キャラの描き込み不足は痛恨です。
江口のキャラも、すぐすぐ改心するなよ(笑)。冷血漢っぽいワーカホリックの部分が上滑り。嫁ももうちょっと華のある人が良かったなぁ。
原発に対して、問題提議している部分は良かったと思います。特に民が観ようとしない、考えようとしないと言う言葉は、秀逸だと思いました。他に良かったのは、アクション的見せ場は盛り上がり、上手かったと思います。
モックンのメールが一番伝えたいメッセージだと思います。これを心の底から肝に銘じるべき事のはずが、それまでの語り口が不味く、いらないシーンやツッコミが多かったので、ずどんと腹に来ないのです。あぁ勿体ない!
テーマはすごく良かったのに、終わってみれば、原発を管理する人たちの信念や真摯と、自衛隊のカッコ良さが印象に残りました。これも大事でしょうけど、それだけでは残念な作品だと思います。ほんと、勿体ないです。
あまりの幕切れの鮮やかさと言うか、意外性に茫然としてしまい、慌てて鑑賞後にチラシを手にすると、そこには一種ネタバレ的な文章が。ふんふん、なるほど。しかし絶望的なお話で終わりそうなところを、ラストの締めくくりが、家庭に恵まれぬ兄弟にエールを送っているようで、拍手を送りたくなりました。監督はエドワード・ベルガー。
ベルリンに住む10歳のジャックと6才のマヌエラ。シングルマザーのママは優しいけど若く自堕落で、母親業より自分の遊びを優先させます。当然幼いマヌエラの世話は兄のジャックの役目に。しかしある事から、ジャックがマヌエラに火傷させたため、二人は児童相談所預かりに。マヌエラは母の元、ジャックは施設へ。しかし施設でもいじめに合い、馴染めぬジャック。何とか夏休みまで頑張ったのに、ママは迎えに来れないと言う。トラブルも重なり、ジャックはママの友人に預けられたマヌエラも連れ出し、足跡を辿りママを探す旅に出ます。
予告編で既に泣いてしまった私。多分号泣する羽目になるだろうと、先にハンカチを握りしめての鑑賞でしたが、これがこれが。ジャックの行動を淡々と追い、過剰な演出一切なし。ただ事実だけを積み重ねるドライな演出は、あまりにドライ過ぎて泣かせてくれません。
その代り、ジャックが何故そのような行動を起こすのか、彼の行動を追う事で、しっかり心情が理解できる。彼なりの統合性がありました。しかし事情を知らない大人には、ジャックが不良の道一直線に、急降下しているように見えるでしょう。感傷的に描いていては、同情は引けても、ジャックを真に理解することが出来ないから、計算して泣かせてくれなかったのです。それでは真に彼を救えないからだと思いました。
それはジャック=ネグレクトや虐待に合っている子たちだから。少し前に、鈴木大介著作の「最貧困女子」を読みました。その中に虐待に合っていた子供たちへのインタビューも載っていましたが、ジャックの行動は、まるで彼らの証言をなぞる様なのです。何故万引きするのか?何故施設の中にもヒエラルキーがあるのか?哀しい事に、カーストトップは、親がたくさん面会に来る子だそう。誰も面会に来ない子は、自分たち同士で励まし合うのではなく、傷口に塩を塗る行為をするそうで、この作品でもそうでした。怒りの矛先を、どこに向ければいいのか、わからないのです。
ジャックがマヌエラを連れ出したのは、寂しかったからでしょう。家族に拘りたいジャック。彼は彼で、マヌエラの世話をする事は、ママが喜ぶ。その事で自分自身の存在意義を確立していたはずで、連れ出すのは自然だと思いました。
三日間、子供の目線からは計り知れない恐怖だったでしょう。恐怖を与えたのは、暗闇と空腹と見知らぬ大人たち。年端もいかない子供を追い払っても、何故事情一つ聞かないのかしら?これはどこの国もありそうです。
やっとまともな大人に辿り着いたら、それはママの元彼。何故こんなまともな人と別れたんだろう?と咄嗟に思いましたが、まともな男性なら、ジャックのママとは結婚しないなと、すぐ思い直しました。彼の行動はしごく真っ当だと思いました。
二人はママに会えるのか?ママは二人を捨てたのか?サスペンスを見るよりドキドキしていたら、何とあっけない。たった三日間の事ですが、三日でジャックが大人になったわけではなく、薄々わかっていた、でも否定していた事を、彼が納得するための三日だったように思います。子供はいつまでも子供ではない。親がそれを忘れがちなのです。
ラストにマヌエラの手をしっかり繋いだジャックは、寂しさからではありません。弟も守らねばと言う、兄の責任感に満ちていました。水際で自分と弟を救ったのです。この映画の原題は「Jack」。邦題は辛いけど秀逸だと思います。
この作品のチラシの横に子供虐待防止の「オレンジリボン活動」のチラシが置いてありました。子供を虐待していると自覚がある人は、些細な事でもいいから、ご相談下さい。それが急がば回れ、虐待防止につながります、そういう趣旨が書いてありました。親を救えば子供が救われる、大賛成です。
ジャックたちのママをバッシングするには簡単です。でもバッシングから何が生まれるのか?知らないわからないなら、教えてあげたい。感情が育っていないなら、おざなりでないカウンセリングを。あのママはどうしようもないママだけど、全く望みがないわけじゃないのは、私よりジャックが知っています。それが家の鍵をもぎ取った理由じゃないかな?このお話はフィクションですが、是非続編も作って欲しい。ジャックとマヌエラとママのその後を見守るのは、大人としての義務のように感じています。
9/13に観たのに、ず〜と感想書くのをほったらかしにしておりました(笑)。面白くなかった訳じゃなく、むしろその逆。私はスパイ映画は門外漢ですが、コリン・ファースがスパイなんて、面白そうじゃんと言う事でチョイスしました。厳密に言うと、コリンが主役ではないと思うけど、豪華キャストが奏でるスパイ映画のパロディは、華やかでエレガントで、ちょっとシリアス。ブラックな毒もたっぷりで、とっても面白かったです。監督はマシュー・ヴォーン。
高級テーラーで働くハリー(コリン・ファース)。実はこれは世を忍ぶ仮の姿で、本業は秘密裏に正義を貫くスパイ組織”キングスマン”のエージェント。新しいエージェントを育成するため、ハリーは職務中に亡くなったエージェントの遺児エグジー(タロン・エガートン)をスカウトします。他の候補者とと共に、過酷な訓練に身を投じるエグジーですが、世の中では、大富豪のヴァレンタイン(サミュエル・L・ジャクソン)が、大がかりな陰謀を企てていました。
英国のスパイって、上流階級の人しかなれなかったんだと、この作品の紹介記事で知りました。あのショーン・コネリーだって、下層階級出身なので、ボンドを演じるに辺り、徹底的にジェントルマン教育されたんだとか。この作品でキングスマンのトップを演じるマイケル・ケインも、同じ経験をしたとか。
それを覆そうとするのが、ハリー。まるで。「山猫」のバート・ランカスターの如く改革に手を染める彼の、意気や良し。今の自分の素行の悪さや不遇を、父親のいない環境や生まれのせいにするエグジーに、「マナーが人を育てる」と言う意味の言葉を、繰り返し言い続けます。自分の命の恩人の息子に、己の信念を託したいのでしょう。
と、ハリーの信念をベースに、しかし画面はハチャメチャで華やかなアクションの連続で、観ていてとっても楽しいです。バッタバッタ人が殺されて、普通ならグロテスクに思う場面も、コミック調に描くので、これまた笑えます。「007」などスパイ映画だけじゃなく、「シャイニング」などのパロディも出てきて、オマージュと言うほど大したもんじゃないけど、お遊びが楽しい。良い意味で軽い出来です。
人を階級で選別しようとするヴァレンタインですが、あんた黒人でしょ?この辺のギャクっぽい皮肉も利いてます。権力や財力を持つと、自分のしがらみや過去は忘れ去って、生まれた時から銀の匙を加えて生まれてきたと、思い込みたい、人間の真理が現れているようです。
しかしサミュエルって老けないなー。調べてみると、御年67歳。10年前から全然変わんない。モーガン・フリーマンがこれくらいの時は、もうだいぶ爺さんでしたよ。私は男優はエレガントな人が好きなので、当然コリン・ファースも好きなわけなんですが、この作品でちゃんとアクションしているように見えるのには、驚いちゃった。本当にしてたのかな?(笑)振付のお蔭?しかし何故に英国演技派俳優(リーアム・ニーソンとか)は、50過ぎるとアクションに目覚めるのかしら?次はレイフ・ファインズかな?(笑)。
エグジー役のタロンですが、小柄ですが俊敏で、顔つきも可愛いのに精悍で、おっ!と目を見張りました。この作品の出来不出来は、彼が魅力的に見えるかどうかにかかっていると思うので、上々の演技。他には「キル・ビル」の時の栗山千秋を彷彿させる、ソフィア・ブテラと、真摯で冷静、でも冷徹ではない教官役のマーク・ストロングが良かったです。ストロングはスキンヘッドにしてから、断然男っぷりが上がった気がするなぁ。
四の五の言うより、観て楽しんだもん勝ちの作品かと。決して後には残らないけど、面白いよ〜とお勧め出来ます。
2015年09月12日(土) |
「あの日のように抱きしめて」 |
痛切極まりない女心をメロドロマとして描きながら、その奥に、厳しく戦争のの罪を問い、ドイツのユダヤ人を尊重する永遠の決意を感じさせる秀作です。監督はクリスティアン・ペッツォルト。
終戦直後のベルリン。奇跡的に収容所から帰還したネリー(ニーナ・ホス)。しかし顔に大怪我を負っており、友人レネ(ニーナ・クンツェンドルフ)の手助けによって、複願手術を受けます。レネはパレスチナに新しく建国するユダヤ人の国家で一緒に再出発しようと、ネリーを誘います。しかしネリーは、彼女をナチスに「売った」疑いのある夫ジョニー(ロナルト・ツァフェルト)を探したいと言います。夜な夜な出歩き、ジョニーを探すネリー。やっと見つけた夫はしかし、妻がわかりません。それどころか、死んだネリーの遺産が入るので、ネリーのふりをしてお金を騙し取ろうと、「本物」のネリーに持ちかけます。夫を忘れられないネリーは、レネの不幸になると言うレネの助言を跳ね除けて、ジョニーと奇妙な同居を始めます。
誰もがすぐに「本物」のネリーと認識するのに、夫だけわからない。声も筆跡も骨格も同じ本人。とても不自然です。でもそれは、人は観たいようにものを観るのと同じで、観たくないものは、観えないのじゃないか?段々とそう思えてきました。ジョニーは先にナチスに捕まり、妻の居所を白状させられています。多分拷問もあったでしょう。結果的には妻を売った、その罪悪感から逃れるには、妻が死んでいないと苦し過ぎるのです。
大きな目をいっぱい見開いて、夫だけを見つめるネリー。ほとばしる女心は、観ていて辛い。彼女は違う顔にも出来るのに、元の顔をと望みました。それは夫にすぐわかるようにとの思いと共に、自分が一番幸せだった時を取り戻す事で、凄惨な収容所での生活を忘れ、再生への道としたいのだと感じます。
対するレネは、ドイツに住み続けるのは嫌だと言います。彼女は収容所には送られていないようで、この地で逃げ惑う生活をしていたのでしょう。彼女もまた計り知れない傷を負っている。ネリーがジョニーとの愛に生きる希望を見出したいように、レネもまた、収容所からの奇跡の生還を果たしたネリーと行動を共にすることで、自分の再生の一歩にしたかったのだと思います。ネリーはレネに取って、希望の光だったのだと、私には思えました。
「私はユダヤ人じゃないわ」と言うネリー。「ユダヤ人だから捕まったのよ」と言うレネとの会話が、個人的に強く印象に残っています。ネリーは両親のどちらかがユダヤ人で、あまりユダヤ的日常を送っていなかったのかと想像しました。
ユダヤ人としての意識が薄かったネリーに、命がけで思いを託したレネ。ナチスやそれに加担した人を、決して許してはいけないのだと言うのが、私はこの作品に隠されたテーマだと思うのです。そう思えば、心ならずも妻を売ってしまったジョニーもまた、ナチスの被害者では?友人の居る場所から遠く離れ、ひっそり、うらぶれた生活をしているジョニー。それは妻への贖罪のように思えます。彼こそ、妻の面影から逃げられなかったのではないか?だから極めつけの悪党になって、自分は元から卑劣な人間だったのだと、自分を納得させようとしたのかも。
囁くようにネリーが歌う「スピーク・ロウ」が、段々と力強く聞こえ始めた頃、この作品は鮮やかに幕切れします。輝く日の光を浴びるネリーは、レネの想いもジョニーの想いも、深く包み込み力強さを感じます。原題は「PHOENIX」。ジョニーの働いているバーの店名ですが、そこにネリーの未来が込められているのは、明白です。
鑑賞後、とても後を引く作品です。哀しい甘美さに彩られながら、見事に反戦の心を感じる作品。この監督・主演二人がコラボした前作「東ベルリンから来た女」も、是非観たく思いました。
大好きなピアース・ブロスナンが出ているので、観に行きました。彼の前作「スパイ・レジェンド」は、ぼやぼやしているうちに終映。またそんな憂き目をみないように初日に行きましたが、これが拾い物。シンプルな逃走劇としても、緊張感が途切れる事無く秀逸だし、家族愛や政治にも触れ、観終わった後も余韻が残りました。監督はジョン・エリック・ドゥードル。
アメリカ人のジャック(オーウェン・ウィルソン)と妻のアニー(レイク・ベル)と二人の娘の一家は、ジャックの仕事のため、東南アジアの某国に家族ごと赴任した直後、民間人のクーデターが発生。政府は倒れ、彼らの宿泊先のホテルにも暴徒が乱入。彼らの狙いは、政府から欧米諸国の来訪者を皆殺しにする事に移ります。ジャックたちは、知り合ったばかりのハモンド(ピアース・ブロスナン)の手を借りて、国からの脱出を試みます。
国を特定していないのは、差しさわりがあるからでしょう、色々と。タイにもマレーシアにもインドネシアにもカンボジアにも思えます。日本に住んでいると、それぞれ違う国であると認識出来るのですが、欧米人には多分どの国も同じ。その辺を皮肉っているのかもしれません。
ヒタヒタと暴徒が迫ってくる怖さが秀逸。捕虜ではなく皆殺し。一瞬の猶予もなく、地理もわからず、正に着の身着のままでで逃げるジャック一家。それがどれ程の恐怖か、我が事のように感じます。顔立ちがまるで違うので、生物としてまるで異質にも感じて、そこに放り込まれたとしたら・・・。そう思うと更に怖い。
そんな中、父親として夫として奮闘するジャック。劇中の台詞から、この渡航も妻には相談せず独断で決めたとわかります。万事がそういう事が多かったのでしょう、妻には苦労をかけているのですね。必死に耐えて付いて行く妻は、それでもこの暴動のさなか、自分は幸せだと言い切る。それはジャックがいつも家族のために、と思ってやっている事が裏目に出ているだけで、夫の人生の中心は、自分と娘たちなのだと理解しているからだと思いました。ただの自分勝手ではないのでしょう。「フレンチ・アルプスで起きたこと」の旦那さんとは、真逆なんだな、きっと。強面でもなく、ヒーローっぽくもないウィルソンが演じる事で、一層の誠実味を感じさせます。
夫婦で子供を必死で守る姿には、泣けてきました。そうなんだよ、親として一番大事なのは、子供の命を守る事なんだと痛感しました。危機また危機を潜り抜ける度、何度ホッとしてため息をついた事か。
お目当てのブロスナンですが、激シブで出だしから、タダのネズミじゃない感満タンで感激しました。若い頃より、今の方が断然素敵だわ。女好きのチョイ悪オヤジっぽいのですが、今は妻子にも去られて独り身。人生の盛りを過ぎ、振り返ってみれば、幾つも悔恨があったのでしょう。改めて何のために生きるのか?自身で問うて、きっと今のハモンドになったのですね。
私も思い当るのです。伊藤比呂美の「閉経期」を読んでいて、「おばさんになってくると、社会悪に対して、ものすごく怒りを感じるようになる」と記述してあって、今の自分にドンピシャなので、びっくり。私も人生の盛りの頃は、子供と家庭を守る事で必死で、世の中をしっかり見て回る余裕なんかありませんでした。遅まきながら見渡してみると、もう怒りがいっぱい(笑)。ハモンドみたいに命は張れないけれど、私も何か出来る事はないかなと、思いました。
何故暴動が起きたか?ハモンドが語る理由を、ジャックたち市井の人は知らされていません。人道的に立派な事をしていると信じている。「黄色人種の命は、白人より軽い」。そんなふざけた思い上がりが、まだまだ欧米には根強いのでしょう。その結果が暴動です。無残な殺戮を招いたのは何故か?何故普通の市民が殺人に手を染めなくてはいけなかったのか?政治家は本当に国を思って欲しいし、民はそれを、しっかり吟味する目を持たなくちゃなと思います。
最後の最後までノンストップでハラハラするので、観た後ぐったりしますが、あれこれ想起出来て、拾い物の作品です。
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