ケイケイの映画日記
目次|過去|未来
名匠・山田洋次監督作品。いつもながら見事に時代を再現。美術や当時の時代の世界観など、目を見張るものがあり、丁寧に作られた作品です。しかし、どうも合点が行かない箇所の多い作品でもあり、少し残念な感想になります。
大叔母タキ(倍賞千恵子)が亡くなり、身の回りの世話をしていた大学生の健史(妻夫木聡)は、姉(夏川結衣)叔父(小林稔侍)と遺品の整理に行きます。生前タキに自叙伝を書けと勧めていた健史は、タキの遺品から完結した自叙伝を見つけます。昭和10年、東北から女中奉公に東京へ来た18歳のタキ(黒木華)。奉公先のモダンな赤い屋根の小さなおうちには、美しい奥様時子(松たか子)が、夫(片岡孝太郎)と息子恭一と住んでいました。夫はおもちゃ会社の重役で、お正月に夫の部下で美術担当の板倉(吉岡秀隆)が、おうちに訪ねてきます。頻繁に家に出入りするうちに、段々と惹かれあう時子と板倉。しかし時代は戦争に突入していきます。
えーと、まず疑問に思ったのは、タキが東京に奉公に出てきたのが18歳って、遅くないですか?その時代なら、もうお嫁に行って子供がいてもおかしくないような。そして昭和10年に18歳なら、現在96〜97歳ですよ。倍賞千恵子の風情は、どんなにおまけして見ても80前後です。最後に時子の息子の現在の姿で米倉斉加年が出演していますが、彼の方が年配に見えるってダメでしょ。倍賞千恵子を使いたかったら、別の人にしなければ。その年齢の一人暮らしなら、頻回な身内の訪問は必要ですが、直系の孫でもない姉弟が何故担当に?甥(小林稔侍)がいるのに。介護ヘルパーは?いくら生涯独身でも、この辺も謎。
そして山田組を使ってのキャスティングもおかしい。もう30半ばの妻夫木君が大学生ですか?黒木華の見合い相手は50歳で、演じるのは60代後半の笹野高史で、その叔母が松金よね子ですよ。もう年齢がめちゃくちゃ。観ている私は違和感バリバリ。使いたいなら年齢を微調整するなりなんなり、手があると思います。ここまで「組」に拘る理由は、何なのだろう?橋爪功と吉行和子の夫婦は良かったです。
で、やっと本筋の感想です。回想場面では美しい着物姿、モダンな洋装、舶来と言う言葉がぴったりな応接間など、時代の空気を満喫出来て素敵です。そしてきちんと「和」の風情も描き込み、この辺に手抜きは一切なくて大満足です。
出演者では、松たか子と黒木華が秀逸。特に松たか子は絶品。あんなに艶やかに演じるとは嬉しい誤算でした。友人(中嶋朋子)が、女学生時代に学園の華で、彼女の結婚が決まった時、自殺すると騒いだ同級生もいたと言っていましたが、それが納得の華やかさと品の良さが共存しています。育ちの良い時子は、自分のそんな魅力に無自覚だと思って見ていましたが、板倉に会いに行く時の着物を着る所作と目つきで、それは違うのだと感じました。ゾッとする程の色香が漂う。無自覚なフリをしているだけで、充分に自分の魅力を知っている人だと思いました。嵐の日のキスは確信犯ですね。黒木華も、素朴で従順、そして健気なタキを好演。一歩間違えると、愚鈍に見えたはずですが、彼女の好演のお蔭で、思慮深い女性に映っています。
そんなコケットな時子ですから、「私、この頃おかしいの」とイライラする様子は、夫婦生活が不満なのだなと思いました。夫は政治や経済に長け、仕事に精力的な人。家庭はお留守気味ですが、家族を大切に思う気持ちは伝わる人です。しかし時子は、もっと文化や芸術の香りを欲していたのでは?そこで板倉登場が、欲求不満と重なるのは理解出来ます。しかしここでまた私は違和感。垢抜けなさが純朴ではなく、もっさりした吉岡秀隆でいいのか?あんなに艶やかな時子が夢中になるとは思えない。別のキャスティングはなかったのか?例えば西島秀俊や加瀬亮とか。これは私が単に吉岡秀隆が趣味じゃないからかな?
現代の場面では、楽しかった昔を綴るタキに、そんなはずはない、あの暗い時代にと決め付ける健史との対比が新鮮でした。昭和の初頭、あの小さないえでの暮らしは、タキにとって確実に美しい記憶なのです。美化するなと否定する健史ですが、現代に生きる者には暗黒だと決め付ける時代にだって、美も和みも楽しみもあったと言う事です。これはいつの時代にも通じる事ですね。過去を尊重し学ぶのは、大切な事です。
色んな思いを抱きながら観ていました。そして映画の肝として宣伝されていたタキの秘密。しかしこれもなぁ。小さ過ぎる。大好きだったおうちですよね?奥様を大層慕っていたのですよね?あの家庭を守るためにした事だと、私は取りました。それはのち、時子夫妻が亡くなった時の姿で立証されているじゃないですか。これが終生の悔恨で、タキが独身を貫いた理由なら腑に落ちません。
と思っていたら、親愛なる映画友達から、貴重な情報を頂きました。原作ではタキの時子への同性愛的なニュアンスが感じられるそう。ふ〜ん、なら私の疑問も氷解します。でもどうして描かなかったのだろう?あの描き方は「憧れ」の域です。男装の麗人めいた中嶋朋子で想像しろなら、乱暴だと思うけど。板倉が最後タキを抱きしめたのも、「小さないえ」に時子と並んだタキを描いたのも、中途半端な描写だと思っていましたが、これで納得。板倉はタキの気持ちを知っていたのでしょう。女中の分を弁え、静かに自分たちを見守ってくれた同じ女性を愛したタキに対しての、感謝と贖罪なのでしょう。でも原作読まなきゃ理解出来ないってのは、如何なものか。
情感豊かに描いていたのに、諸々引っかかり、どっぷり映画に浸れなくて残念でした。とここまで感想書いて、ちょっとネットを除いたら、驚愕の事実が。原作では時子は息子を連れて再婚。夫とは夫婦関係がなかった設定らしい。これ重要なポイントですよ。何故描かない?映画ではすっぽり抜けています。映画では、夫の稼ぎも充分な有閑マダムが、寂しさを理由に浮気している風な描き方です。実際私は時子の不倫を、情の濃さを持て余した果てと取りましたから。原作通りなら、抜本的に時子の見方が変わります。最後まで謎が多い作品です。
2014年01月26日(日) |
「ゲノムハザード ある天才科学者の5日間」 |
記憶を上書きされた男の謎を追うミステリーのはずが、思いの外アクション映画でした。それは一見文系男子風(立派な中年ですが)西島秀俊が、ほぼスタントなし熱演してくれたお陰。噂に聞いていた肉体美も披露。全編出ずっぱりで、妻を思う新婚の夫を演じるので、彼のファンなら充分楽しめます。言い換えれば、そうでない人には大雑把なミステリーです。私は西島秀俊好きだけど、残念ながら後者の方です。監督はキム・ソンス。
美術系の会社員石神武人(西島秀俊)は、自分の誕生日帰宅した家で、新婚の妻(中村ゆり)の遺体を発見します。動転する彼に、何と死んだはずの妻から電話が。その直後、刑事を名乗る男たちが彼を拉致しようとしますが、寸でのところで脱出した石神は、ひょんな事から知り合った韓国人の女性記者ジウォン(キム・ヒョジン)に救いを求めます。職業柄、石神に興味を持った彼女は、彼と行動を共にし、謎を究明していきます。
前半はテンポが良いし、ジウォンが彼に興味を抱くのもよくわかるし、必死で混濁する自分の記憶から、真実をつかもうとする石神にも、結構手に汗握ります。でもなぁ、テレビに医師として伊武雅刀が映った瞬間、これは真相ショボそうだの予感。悪い予感って当たるのよね。
あちこち散りばめた伏線は、終盤に畳み掛けるように拾っていくので、うまく回収しているようですが、拾いきれていない物もあり。女性記者が都合よく何故石神の居所がわかるのか?ジウォンは記者のはずが、何故警察手帳のような物を見せ、「逮捕出来るのよ」なんて言うの?石神の家を行ったり来たりするのですが、元の住所は半年前から別の住人が住んでいるのに、次に行った時は、やっぱり石神の住居であるのは何故?大学の研究所に、あんなに簡単に深夜侵入出来るもんなのか?この辺、きっと原作は上手く処理している気がします。
石神の二人の妻は、中村ゆりは心情がよく伝わりますが、真木ようこは、あれで「愛している」と言われても。謎の拾い方が強引で辻褄合わせに必死で、情感や憐憫と言った感情をすっ飛ばすのです。お蔭で余韻に浸ったり感傷的になる前に、こちらも必死で記憶を手繰り寄せ、パズルを合わせるのに必死になります。なんか呆気ないんだなぁ。
真相も二段階あって、両方ショボい。いや二番目はショボくないはずなんだけど、時間不足で描き甲斐のあるはずのプロットが、何だか再現フィルムのようなのです。真相はショボくても、そこに至る原因の方は壮大です。でもこれもよくわからん(笑)。いやわからなくてもいいんですよ、こんなもん。だから、もっとハッタリかまして欲しかったかと。
そして最大の謎は、何故韓国人学者の設定を持ってきたのか?です(日韓合作だからと言うのは、なし!)。こんなの日本人学者としても、全然大丈夫なストーリー展開です。明確に韓国人でなければならない理由を描いて欲しかったです。
しかし記憶が混濁し、苦悶し葛藤する石神の様子は、充分感情移入出来ました。それはジウォンの語る、「記憶は失っても、感情は残る」と言う、今まで数々の映画で描かれていた事を、西島秀俊が繊細に表現してくれていたから。素敵な彼のお蔭で、ぶちぶち文句垂れながらも、最後まで観る事が出来ました。キム・ヒョジンは日本語が上手くて感心したけど、華がなくなり地味になりましたね。記者だから地味ではありません。インテリジェンスが欠けていたと思います。雰囲気に好感が持てたのは救い。中村ゆりは、健気な風情が出ていて、好演でした。
面白くなりそうな題材なのに、凡作に終わって少々残念。でも西島秀俊が素敵だったから、まぁいいかぁ。と思える作品。
2014年01月16日(木) |
「インシディアス 第2章」 |
監督のジェームズ・ワンの作る近年のホラーは、家族愛に満ちていて、大好きです。今回も前作同様、クラシックで品のある作りが好ましく、二つのお屋敷と廃屋を行ったり来たりで、ちょっとゴシック調の雰囲気もありました。まずまずの出来です。
息子ダルトンを悪霊の魔の手から奪還したジョシュ(パトリック・ウィルソン)とルネ(ローズ・バーン)夫妻。しかし、その事に尽力してくれた霊媒師エリーズ(リン・シェイ)の死亡により、ジョシュは殺害の疑いをかけられています。疑心暗鬼のまま、夫を信じたいルネ。家族五人はしばらくダルトンの母ロレイン(バーバラ・ハーシー)の元に身を寄せる事にします。しかし謎の現象は収まらず、家族は恐怖にさらされ、ロレインはエリーズと一緒に仕事をしていたスペックス(リー・ワネル・脚本も)とタッカー(アンガス・サンプソン)を通じて、エリーズと懇意であった霊媒師カール(スティーブ・コールター)に調べて調査を依頼します。
「ソウ」でセンセーショナルにハリウッドデビューしたワン監督ですが、以降シリーズは制作に廻り、監督が交代した為か、回を追うごとにシリーズは劣化。う〜んと思っていた頃に、「インシディアス」を制作。個人的にまた好きな監督となりました。「ソウ」の轍を踏まない気概か、この本作は自分でメガホンを撮っていたのが良かったのか、前作同等レベルの出来です。出来れば前作を観た方が、わかり易いでしょう。
もうすっかり忘れちゃったわ的な方も、エリーズ死去とジョシュが何やら悪霊を連れて下界に戻ってきた、と言うのを覚えていれば大丈夫。あちこち超常現象が起こるのも同じですが、その伏線もきちんと拾えており、後半の解説も上手い展開です。
今回の霊媒師カールが用いるのは、アルファベットが書いてあるサイコロを使い、霊からの伝言を聞くという代物。西洋版こっくりさんですな。読み取るまでに時間がかかるのがスリリングで、なかなか面白かったです。
前回は家族愛・夫婦愛に感動しましたが、今回はその愛が拡大。エリーズとジョシュの過去が明らかになり、霊界に行こうとも縁のあったジョシュの事を心配し、大きな愛でエリーズがジョシュ一家を見守っている事に、感じ入りました。ご先祖が見守ってくれている感覚ですね。
今回の悪霊の正体は、哀しさと腹立たちさが混濁です。そんなに女の子が欲しいか?男の子いいぞ。バカだけど単純で素直で可愛くて、育て易いよ。ダルトンを見てごらんよ、「僕がパパを連れ戻す」と言った姿の頼もしさよ。怖いよ〜、悪霊は前回でどんだけ怖いか知ってんのに。まだほんの子供でも、母を守ろう精神が、息子にはデフォルトされておるのですよ。ジャック・ニコルソンになった父からも、見事に息子二人で母を守った事にも、我が意を得たりでした。
息子二人、娘が一人の義妹によれば、「女の子はややこしいで。そやから嫁さんもややこしいと思ってたら、間違い無いで」と、最近脅かされた私。義姪は、最近では稀な、大人しくて真面目な良い子で、その子をして母親から「ややこしい」と言われるってか?と、先行き暗い気持ちになりそうでしたが、今回のロレイン&ルネの嫁姑は、なかなか協力タッグで、ジャック・ニコルソンになった夫・息子に対しての態度は一枚岩で、ブレのないコンビネーションの良さを見せます。まぁあんだけブレないのも、外見はジャック・ニコルソンではなく、パトリック・ウィルソンのままなので、それもどうかとは思うんですが。時間の関係で割愛したと思っとこう。
そのジャック・ニコルソン化したパトリック・ウィルソンなのですが、最近の私のハニーなのですね♥。俳優としではなく、男性として好みでして。誠実で真面目なハンサムなれど、大味でちょっと(ちょっとの匙加減が難しい)鈍感な感じでしょ?(←褒めてます)。男はちまちました事に囚われず、繊細な妻の逆鱗に触れた時は、意味がわからず狼狽するぐらいがよろしい。彼ならその後のフォローも出来そうでしょ?(←ここ重要ポイント)。現在朝ドラ「ごちそうさん」の悠太郎(東出昌宏)もこの系譜で、ワタクシ大変気に入っております。この系譜では、アンソニー・エドワーズ@マーク・グリーン先生を死ぬ程愛していたのですが、「ER]降板後、ほとんど音沙汰無しで非常に寂しい思いをしておりました。ウィルソンがワン監督の常連となりつつある今、非常にめでたい気分なのです。このままスリラー映画の良い夫で終わって貰っても困るけど、アンソニーよりは使い出があると思うので(おい!)、大船に乗った気分です(笑)。
そんなこんなで、私にはポイントの高い作品。次も作ると思います。出来ればパトリック出演でお願い!
2014年01月12日(日) |
「ハンナ・アーレント」 |
やっと観ました。映画好きとしては、絶対に外せない作品とわかっていながらも、重厚に重厚を重ねていそうな内容に腰が引けて、延び延びになっていました。しかし実際に観ると、意外と言うか、重厚さはあまり感じず、「面白い」が先に立つ作品でした。もちろん一般的な娯楽作の面白いとは質が違いますが、人の心理を描くと言う視点からは、本当に面白い作品でした。監督はマルガレーテ・フォン・トロッタ。
1960年初頭、ユダヤ人哲学者のハンナ・アーレント(バルバラ・スコヴァ)。収容所経験もあるハンナは、現在夫のハインリヒと共にニューヨーク在住です。逃亡中のナチスの重要戦犯アイヒマンが、イスラエルのモサド(諜報部)に捕まり、イスラエルで裁判にかけられる事になります。彼女は自らニューヨーカー誌に、レポートを書きたいと申し出ます。裁判を傍聴した彼女は、思考停止の中アイヒマンは、命令に従っただけの凡庸な悪。そしてナチスに協力したユダヤ人もいたと、レポートをまとめます。しかしこのレポートは、ユダヤ人社会から、激しいバッシングを受けます。
観る前は、自分の信念の忠実な女性哲学者の姿を真摯に描く作品と思っていました。それは当たっていましたが、それ以上に、ハンナと言う人が面白かった。
ガチガチの堅物で近寄りがたい鉄の女と思いきや、まず中年男性の魅力いっぱいの夫に甘える仕草の「上手さ」に、ちょっとびっくり。若かりし頃のボーイフレンドたちは、今でも民族愛で結ばれ交流がある。失礼ながら、外見は普通の中年婦人ながら、モテモテです。他にもアメリカで知り合った女流作家メアリー・マッカシー(ジャネット・マクティア)とは親友付き合いだし、秘書のロッテは娘同様で、男女分け隔てなく人気がある、人たらしぶり。これは彼女の英知や頭脳だけではなく、人柄にも魅力があるのでしょう。そして私が注目したのは、ナチス党員と知りながら、学生時代、恩師ハイデカーと不倫関係にあった事。
ハンナはとにかく煙草を始終吸います。依存症に如く。あれは収容所の恐ろしい体験の記憶から、自分を隔離するための安定剤代わりなのだと思いました。当時も薬物やアルコール依存はあったでしょうが、賢く強い彼女は、その果てを知っていたはず。だから煙草なんだと思いました。逃避場所を作ると言うのは、弱さも持ち合わせているとも言えます。
そして優秀な頭脳と分析力。信念を貫く強固な意思の持ち主。私の目に映るハンナは、実に多面性を持った女性でした。自分自身が幾つもの心を持ち合わせていたから、アイヒマンの冷酷な行動の別の顔も、想起出来たのではないでしょうか?彼女自身、当時ハイデカーとの不倫は、思考を停止して、感情に溺れた結果だったのでは?
私がびっくりしたのは、自分のレポートがバッシングを受けるとは、想像出来なかったと言う件。ちょっと笑ってしまいました。だって当たり前ですよね? この世間知らずの無邪気さを、夫やメアリー、ロッテは、愛したのでしょう。彼女はアイヒマンを擁護したのではありません。事実からの、彼女の冷静な感想を述べただけ。しかし、それを読み取る理性より前に、ユダヤ人たちには、感情が先走ったのでしょう。これも無理からぬ事だと思いました。バッシングの手紙の罵詈雑言に涙する彼女には、親近感を覚え、「思考を停止すると、平凡な人の誰もが、悪となり得る」と言う彼女の説に、真実味を感じます。
ラスト近くの、学生たちを前にした彼女の、揺るがぬ信念を感じる演説は圧巻。表舞台のハンナ・アーレントです。ここで終わると思いきや、講義を聞きにきた親友ハンス(ユダヤ人)に、自分の真意が伝わったと思い、笑顔で駆け寄る彼女に、ハンスは絶交を申し渡します。もうひとりの親友クルトからも、同じ仕打ちを受ける彼女。
あぁそうかぁ、と納得する私。ハンナの講義に万来の拍手を送ったのは、アメリカ人学生です。戦争もナチスも知らない若い外国人たち。ここに、歴史から学べと言う意味があると感じます。苦い過去を繰り返さないため、ハンナのレポートは重要です。しかしあの時代は、まだ生々しくナチスの蛮行の傷跡を持つ人たちが、証人として大勢いた時代です。冷静に思考しろと言っても無理な事。ハンナの落とし穴は、人と自分は違う。その単純な事に気づかぬまま、自分の言動が多くの同胞を傷つけたと、思い至らぬ事だったのではないでしょうか?
ハンスの言葉で、傷ついたのは自分だけではないと、彼女は初めて思い知ったのでしょう。彼女が終生「悪の凡庸さ」をライフワークとして探求し続けたのは、どうすれば同胞にこの想いが伝わるか、贖罪の気持ちがあったのではないか?私は信念より、そちらを感じました。
歴史というのは、その時々に様々な立場の人の感情が入り乱れ、事実だけを見るのは難しい事です。ネットを読むと、まるで自分がその場に居たかのような記述に、危険なものを感じます。歴史に真実はなく、あるのは事実だけ、バッシングに耐え、信念を貫くハンナは、それを教えてくれたと思います。
本当に本当に感動しました!画像は主役のマーク・オブライエンを演ずるジョン・ホークス。障害者のセックスと言う、如何にもキワモノ的な題材ですが、品良くユーモアたっぷりに作っており、共感こそすれ、居心地の悪さはまるでありません。性と生は根源的に深く関わっていると再認識させてもらい、そして最後には、主人公に感謝したくなります。終映後は、あちこちで拍手が起こりました。監督はベン・リューイン。実話を元に作ってあります。
38歳のマーク・オブライエンは六歳の時にポリオに罹り、首から下が麻痺し、ベッドに寝たきりの生活となります。両親はしかし、彼を施設には預けず養育。本人の努力と相まって大学を卒業。詩人件ジャーナリストの職を得て、今はヘルパーの力を借りて自活しています。ある日出版社から、障害者の性についてレポートしてくれと依頼され、引き受けるマーク。そこで自分が童貞である事実を突きつけられ、セックスセラピーを受けたいと思い出します。相談を受けた懇意のブレンダン神父(ウィリアム・H・メイシー)は、困惑しながらも、神父としてではなく、友人としてなら応援すると承諾を得ます。カウンセラーに紹介されやってきたセラピストは、成熟した人妻のシェリル(ヘレン・ハント)でした。
冒頭ユーモラスにマークの生い立ちを説明。苦労を忍ばせない、のんびりした解説ですが、目の前には鉄の肺と呼ばれる機械に入っているマーク。一日の大半を過ごさなければ、生きていけないのが現実です。
傍若無人なヘルパーをクビにして、次にやってきたのは若くて愛らしい、介護経験のないアマンダ(アニカ・マークス)。慣れない手つきで、一生懸命介護してくれる彼女に、マークは恋します。アマンダも障害に負けず、知的でチャーミングなマークにすっかり心酔。しかしそれは、人としての敬愛でした。マークが愛を告白すると、彼女は困惑の表情と哀しい涙を残し、去っていきます。
次に来たのはプロの介護士の中国人ヴェラ(ムーン・ブラッドグッド)。無愛想で取っ付きにくい彼女ですが、陰ながらマークを支えており、二人は親睦を深めます。思うにヴェラも新人の頃はアマンダのように、クライアントの障害者に感情移入し、苦い涙を流したのでは?彼女の化粧っけのないひっつめ髪、女性を強調しない服装は、クライアントを誤解させないため。介護とは、透明な壁を一枚作り、相手をよく観ながら平常心を保つ事が大切なのでしょう。
麻痺はしていても、マークの体には感覚はあります。神父との会話で、「介護してもらっている時に、ふいに射精する事がある。屈辱だ」と言います。これはそうでしょう。男性の下半身は意思に関係なく反応してしまいますもん。とても同情しましたが、これはマークが健康な男性機能を持っている証でもあります。
セラピー当日、ヴェラにあれこれ尋ねて、落ち着かないマーク。出来れば逃げ出したい。自分で言い出したのに(笑)。強引に後押しするヴェラ。神父には「怖い」とも語っています。でもこれもとてもわかる。未知の世界は誰だって怖い。怖いもの知らずなのは、無知だからです。でもマークはインテリジェンス豊富なのです。射精は出来ても、セックス出来なかったら?それは不完全な彼に、更に追い討ちをかけることです。
初回のセラピーの最中は舞い上がってしまい、暴言・失言続出のマーク。お互いに裸になり、シェリルに触れられるだけで、あえなく射精。いや〜、そんなもんですよ、童貞だもの(笑)。でもその時、「裸の人が横にいるのは不思議だ。いつも僕だけ裸だから」と言う言葉に、胸を突かれます。排泄・入浴・着替え。常に羞恥との戦いなのでしょう。自分だけが裸でいるのは、人としての尊厳を奪うことなのですね。そっけないヴェラの様子は、思いやりなのです。このように男女の営みを、ユーモアとペーソス織り交ぜて描き、絶妙です。
セックスはお互いが快感を得ないといけないと思い込むマーク。知識は本から(笑)。シェリルやヴェラから、分析するなと嗜められます。そうですよね、こんなもんは、まず当たって砕けろ精神の方が大切。でもマークの意見は愛のあるセックスの基本です。
マークの切なる願いが叶えられた時の描写が秀逸。事後、満ち足りたてキスを交わす、障害者の青年と中年女性の笑顔は、今まで観たたくさんのセックスシーンの中で、一番美しく愛に溢れていました。自分勝手なだけのセックスは、ただの排泄行為でしょう。相手にも感じて欲しい、その思いやりの気持ちが愛を育むのだと、私は思います。
セラピーは6回限り。同じクライアントとは接触しない。踏み込んだ感情を持ってはいけない。シェリルが出した切ない提案は、二人の良き「セッション」を破綻させない為だったと思います。セックスの後の彼女の笑顔は、セラピストとしてではなく、女性としての笑顔でした。透明の壁を蹴ってしまいそうになったのですね。肌を重ねる事は、理屈ではなく、男女の距離を急速に近づけるものですから。
シェリルは上品で知的な素敵な女性です。それが何故このような仕事をしているか、想像しました。夫は働いていませんが、良人のようです。同じベッドで寝ていて、スキンシップもあるのに、セックスの場面は出てきません。妻の仕事は知っていて、聖母のようだと賛えます。う〜ん(笑)。「夫を愛している」「セックスが好き」と語る彼女。夫は病気か何かで、仕事やセックスが出来なくなったのかも。子供もいるし、大黒柱として生計を立てる為の仕事かと思いました。妻に送った素敵なマークの詩に、夫が嫉妬した事は、何か救われたような気がしました。
ここまでも充分秀作だと思っていた私ですが、その後の怒涛の展開に、本当に大感激。気にかかる女性に、「僕、童貞じゃないんだよ」と、いたずらっぽく笑うマークに、あの劇場にいた観客全員が、微笑ましくクスクスと笑ったはず。しかしこの言葉は、彼の人生で欠落していたものを、埋めたのでした。
男女が愛し合えば、肉体的に結ばれたいのが当然です。言われた人は、マークが障害者であると共に、男性としても認識してくれるでしょう。シェリルとセックスした事は、マークに男性としての誇りをもたらしたのですね。
人間とは、全ての人が欠落した何かを抱えているものです。それは、銀の匙をくわえて生まれてこようとも、同じ。自分を完全無欠だと思っている人は、ただの思い上がりです。努力しても改善できない時は、誰を恨むでもなく、受け入れるのです。諦めは絶望に繋がるけど、受け入れる事は、希望を失わない事、出来る事を探す事でもあります。
絶対絶命のピンチに立った6歳の少年は、途方もない年数をかけて、ひとつひとつ、人としての誇りを得ていく。教育を受けて、職を得て自活し、恋をし恋に敗れ、人妻をよろめかせ、そして・・・。立派な男としての人生ではないですか。この作品は、障害者の性を描きながらも、根源的な人としての在り方を学ばせてくれるのです。
ホークスは実年齢ではヘレン・ハントより上なのですが、若々しくてびっくり。とにかく少年のように瑞々しく、チャーミング。ネバネバした特有の後遺症を感じさせる台詞回しも、愛嬌に感じるほどです。すっかり魅了されました。ハントは半分は全裸です。年齢から思えば、とても勇気のいる役です。彼女の知的で清潔感のある役作りも、作品をキワモノから救っています。 ロックな神父さん、メイシーも、人間臭くて良かったし、ブラッドグッドのクールビューティーぶりも素敵でした。
大昔、知的と身体に障害を持つアメリカの女性が、24時間介護を付けて、ひとり暮らししている様子を、ドキュメンタリーで観ました。彼女の生活をコーディネートしている福祉関係の男性が、「こんなに重度の障害を持っていても、一人で自活できる。人間とは強いものだと学ばせて貰って、彼女には感謝している」と答えて、私はびっくり。当時の私は、彼女は偉いけど、人の世話になっているとしか、思えなかったから。
長い年月を経て、彼の言葉は本当だと、やっと納得しました。マーク・オブライエンの愉快な人生は、私に人としての誇りを失わなかったら、人生は切り開けるもんだよと、学ばせてくれたのです。そして人生とは愛だ!と、大声で笑顔で叫びたい気分です。私はこの作品に感謝しています。
2014年01月05日(日) |
「ハンガー・ゲーム2」(吹き替え版) |
明けまして、おめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い致します。
4日から仕事なので、お正月休みの映画は諦めていたところ、夫が「映画でも行こうか?」と言うので、小躍りして最初、「いっぱいおっぱいとお尻が出てくるドキュメント観よ!」と、「ファイア&ルブタン」を推薦したら、「別に観とうない」と夫却下(私は観たい!)。「ほな『永遠の零』は?(私は興味ないけど、夫はこの手が好き)」と聞くと、「原作者が嫌い」と、これまた却下。それで二人共前作未見なれど、簡単なストーリーは知っているこの作品を観てきました。これ、三部作なのですね。えぇ!これで終わりかい?と言うラストを観て、初めて知ったもんでも、充分内容はわかりました。お正月らしい華やかさもあり、まずまずの手応えでした。監督はフランシス・ローレンス。
近未来、独裁国家パネムの行う「ハンガー・ゲーム」で生き残った少女カットニス(ジェニファー・ローレンス)。同じく生き残った偽りの恋人ピータ(ジョシュ・ハッチャーソン)とカットニスを、民衆は熱狂的に迎えます。カットニスの勇気に希望を見出した民衆の、独裁政権への反乱の機運は高まっています。それを危惧したスノー大統領(ドナルド・サザーランド)は一計を案じ、記念の大会に当たる75会大会は、今までの「ハンガーゲーム」の勝者だけを集めて戦わせ、カットニスを抹殺しようと計画します。否応なしに出場するカットニスですが。
ゲーム主体にアクションが描かれるのかと思いきや、登場人物それぞれの心模様を時間を割いて丁寧に描いていました。でもちょっと長過ぎかなぁ。でもそのお蔭で、ウディ・ハレルソン、エリザベス・バンクス、レニー・クラビッツの役割や、何故カットニスは恋人ゲイル(リアム・ヘムズワース)がいるのに、ピータと偽りの恋人同士を演じるのか?とか、前作未見の人でもわかるようになっていますので、この辺は作り手の戦略かも?
で、期待のハンガーゲームの場面も、予想と違いました。私は「バトル・ロワイヤル」形式の、人対人で戦うのかと思っていましたが、実際は人口に作ってある島内で、様々に仕掛けられたトラップを見抜きながらのサバイバルゲームで、偶発的に敵と出会うと殺し合いが始まると言うもの。まっ、これはこれで趣向を凝らしており、面白かったですが。ハイテクを駆使し、お金をかけまくった「風雲!たけし城」だと言うと、作り手に怒られちゃうかな?たけし城は命は取らないけどね。
一つ不満は、カットニスの恋心はどちらにあるのか、その葛藤や狂おしさが描かれないこと。ピータは明らかに彼女に恋心があるし、偽りの恋人と言う切ない立場でも、男の包容力でカットニスを包みます。ゲイルも嫉妬を自分の不甲斐なさから来るものだと、こちらも実に誠実に自分と向かい合っています。なのに肝心のカットニスは、ピータに気持ちが移ったのか、なら背徳感は?と言う描写がありません。せっかくのプロットなのだから、描き込んで欲しいかと思いました。
ハンガーゲームの開会式は、古代ローマを思わすもので、殺し合いが民衆の娯楽になっている事も、大昔と同じ。ハイテクで管理されたパネムとは相反するようですが、現在世界的に右翼化傾向が強まりつつある中、パネムの世界観は、近未来を危惧しているようにも感じます。
自分は家族のため、その小さな社会を守るだけで精一杯なのだと、世間から希望の星のように祀られることに、違和感を持つカットニス。しかし、人口の島の天空に矢を放ち、それが本当は実存しない虚飾にまみれたものだと実証したのは、彼女です。風穴から覗く空は、とても青くて清々しかった。
ハリウッド一押しのジェニファーですが、初めて彼女を見た夫には不評で、「何でこんな不細工な子(←おい!)主役に持ってきたかと思ったけど、あれは弓が打てるからやな」と、散々でした(笑)。昔と違い、女優でも「大」スターになるにはアクションものは欠かせず、彼女もその布石かと思います。私は頑張っていると好感を持ちました。ジョシュは小柄ですが、賢そうで若さに相応した男性的風格があり、感心しました。次代のマイケル・J・フォックスになれるかも?大柄な体を窮屈そうに演じるリアムとは対照的。リアムも役柄がわかっていると思いました。
若手を盛り立てるベテラン勢も、演技巧者の曲者揃いで、こちらも安心の好演。キャラがとてもわかり易かったです。スタンリー・トゥッチは、カツラ被っていたので、最初誰だかわかりませんでした(笑)。その点バンクスは、奇天烈な扮装でしたが、すぐ彼女とわかりました。芸域広いなと感心しました。
さぁカットニスは、パネムのジャンヌ・ダルクたる自分の使命を覚醒させるのか?その為に裏工作した面々は、意外とも予想通りとも取れるメンツでした。 三部作であると知らなかった私には、へっ???となる幕切れでしたが、次作への期待は高まる終わり方で、次も必ず観ようと思います。
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