ケイケイの映画日記
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2014年02月21日(金) 「新しき世界」




前評判が良いので、すごく楽しみにしていました。個人的には潜入捜査官ものの金字塔「インファナル・アフェア」に迫る出来だと思います。深い人間ドラマが描かれる中、民族性を掘り下げた部分もあり、社会派でもあると感じます。今回感じるところありで、ネタバレです。監督はパク・フンジョン。

韓国最大の犯罪組織「ゴールドムーン」のNO2の華僑出身のチョン・チョン(ファン・ジョンミン)。チョンの片腕として敏腕をふるうイ・ジャソン(イ・ジョンジェ)ですが、彼の真の姿は、潜入捜査官です。ゴールドムーン会長が謎の事故死をし、組織は跡目争いが勃発します。有力候補はNO3のイ・ジュング(パク・ソンウン)。この跡目争いに目をつけたジャソンの上司カン・チョンヒル課長(チェ・ミンシク)は、「新世界」と名付けた新たなプロジェクトを立案。8年間の潜入捜査で疲弊するジャソンに、新たな任務を課します。

冒頭血まみれの組員が映されます。警察に組織を売ったと言う疑念を抱かれたからです。やっぱり韓国映画だわと、クスクスしましたが、この作品、血まみれの描写は多々あるのですが、いつもは過剰に演出する韓国映画にしては、引きが上手い。冒頭のシーンも、ハンマーで脚を砕くのは直接見せません。後半で女性が陵辱・リンチされたとされる場面も、ドラム缶に血みどろの息も絶え絶えの女性が映りますが、直接の描写はなし。なのに恐怖を想像させるのです。貯めていた分、大量流血場面は引き立ちます。どんな場面もやり過ぎて、食傷するのがオチだった韓国映画の芸風としたら、垢抜けていると思いました。

虫が好かないジュングでも、サツには絶対売ろうとしないチョンの義侠心。如何にもな出で立ちの構成員。酸いも甘いも苦味も表現するタバコの使い方。薄汚い底辺の殺し屋。そして「出入り」には拳銃より、ドスを振り回す様子など、どこか往年の日本のヤクザ映画を観ているようで、この辺懐かしく感じました。

そして本題のドラマ。ジャソンの、ひりつき焼けていく様な潜入捜査官としての辛さや哀しみが、とても伝わってきます。最初登場したチョンの様子が、あまりに軽薄でバカっぽいので、これは二代目のアホボンなのか?と思っていたら、実はチョンは華僑のハンデを覆し、二人は苦楽を共にした仲であるとわかります。

チョンは義侠心に富み、自分の配下の者は非常に大切にします。そして無闇に争いも好まず、人しての愛嬌も持ち合わせています。しかし自分に牙を剥く者には、容赦なく制裁を加えます。懐深い情の濃さと残忍さが混濁する様子は、観ていてとても蠱惑的です。その情けと恐怖を一番間近で知っているのは、ジャソン。彼がそっけなく無作法にチョンに対応するのは、これ以上親愛を感じたくないのと、素性がバレる恐怖の両方だったのでしょう。そう思うと、とても切ない。バレるかバレないかの、本当にドキドキする出色のシーンもありです。

チラシでは上司のカンを父、チョンを兄に例え、その狭間で苦悶するジャソンと言うキャッチコピーですが、う〜ん、それはどうかなぁ?チョンは合っていますが、私の目にはカンは父ではなく、あくまで上司でした。それも冷徹な。そしてジャソンには、冷徹ではなく冷酷に映っていたはずです。これは「インファナル・アフェア」を意識しての事かな?しかし冷酷ははずのカンは、いつも相手から罵声を浴びせられるような役を引き受け、警察官としてどちらを向いても、矢面に立っている。自分は悪役に徹して、仕事を進めようとする彼も、実は心を疲弊していて、この作品で一番陰影に富んだキャラでした。演ずるミンシクは、いつもの怪演どこへやら、今回は受けの静かな演技で、それもまた彼の実力を感じさせるものでした。


「新世界」の全容が明るみに出た時の驚き。その「汚さ」はヤクザ以上だと感じました。それを察したジュングですが、「毒を飲まなければいけない」と言う台詞には、少々しびれるもんが有り。出入りの場面は凄惨で、盛り上がります。特にエレベーターでのチャンの大立ち回りにまたしびれ。かつての日本のヤクザ映画は、この手法で男性観客の心を掴んだんでしょうね。

チョンはジャソンが潜入捜査官だと知っていました。何故彼は殺さなかったのか?同じ華僑だからだと思いました。何度もチョンを「よそ者」呼ばわりする場面があります。韓国人は儒教精神が残っているので、長幼の序はまだあると思いますが、しかしヤクザは下克上。そんな事知っちゃいないの場面もあるのに、何度も出てくる華僑出身の言葉。

チョンは育ちは韓国のはずだし、ジャソンは警察官なのですから、国籍も韓国のはず。捜査上の機密を教えてもらえず、真から信じて貰えない場面を描くのは何故か?全部最後のジャソンの選択を納得させるためのものだったのかと、後から思い起こしました。最後までジャソンを愛し、懐の温もりを与えてくれたのは、同じ血のチョンだったと言う事です。

韓国という国は、大昔は中国の存在に怯え、戦争前後では日本に統治され、今は同じ血の民族同士で対立。どんな時代も強い民族性を持たなければ、生きていけなかった民族です。それが高じて、やり過ぎの今があるのじゃないかと思う訳です。その高い民族性は、他の民族を排他する。今まで自分たちがされていた同じ事を、今度は繰り返す。

ジャソンに寝首を掻かれる様子は、その愚かさを描いているのじゃないかと感じるのです。この作品で、一番観客を惹きつけたのは、チョンのはず。もちろんファン・ジョンミンの好演あってのものですが、あえて華僑のチョンにチャーミングなキャラを背負わせたのは、それを感じ取って欲しかったのかと思いました。

私も彼らと同じ境遇です。ヘイトスピーチには苦笑しながら受け流す。憤慨せず何故それが出来るのか?世界中どこでも同じだからです。韓国は華僑を蔑み、日本は在日を蔑み、欧米に行けば日本人が同じ目に。「未来を生きる君たちへ」を観たとき、デンマーク人がスウェーデンを蔑む様子を観て、欧米は欧米でその構図があるのだと痛感しました。いったい何時になったらなくなるのか。不毛な事だと思います。頂点に立ったはずのジャソンのやるせない表情は、その象徴のように感じました。

私は日本に生きる韓国人として、自分の出自を恨んだ事はありません。でも次に生まれるのは、日本に生きる日本人か、韓国に生きる韓国人でありたい。その方が楽だから。私の思いは、チョンやジャソンも共有しているはずです。この作品のタイトル「新世界」は、ジャソンのものだけではない、深い意味が込められていると、私は思いたいです。

この作品は、これから前日譜、続編と三部作の予定だとか。私の読みが深読みかどうか、楽しみに待っています。






2014年02月17日(月) 「スノーピアサー」




韓国の誇る俊英監督ポン・ジュノのハリウッド・デビュー作。エド・ハリス、ティルダ・スウィントンなどが脇を堅め、結構な大作です。出来の方は微妙でしたが、妙に力強い作品で、トンデモすれすれですが、私は結構楽しめました。今回はあらすじはパスです。

見て一週間経ってしまったので、色々粗が見えてきました。まず計画が杜撰だし、17年間あの不衛生な場所に生きる最高列車の人々が、医療にかかっていないかのような様子も変。なのに子供もいっぱいいる。という事は、あんな鮨詰めの寝台列車のようなところで、辺り気にせずセックスする野蛮な人達なんですよね?その割には、結構秩序や思慮深さも持っていて、妙な感じです。

舞台は近未来のアメリカ、なので人種の坩堝。だからアジアからはソン・ガンホと「グエムル」のコ・アソンが再び父娘で登場。しかし何故かガンちゃんは変声期のようなもんを使って、英語を喋りません。何故に韓国語で押し通す?想像ですが、喋れないなら頑張って勉強すれば?意味がわかりませんでした。

それとガンちゃんは列車のセキュリティを担当していたそうですが、その卓抜した頭脳を披露する場面はなく、ひたすら原始的な方法で扉を開けて行きます。えっ?近未来ですよね?30年くらい前の方法かと思いました。この辺は工夫以前。もっとSFチックに表現して欲しかったです。

列車内は学校や美容院、ハイソなサロンや退廃的なクラブまでありますが、どこで住んでいるのかは不明。色々不思議でした。クリス・エヴァンスに届けられる謎の手紙も、誰からなのかは、その手渡し方法で、察しがつきます。

でも!何故観ている間はぐいぐいと引っ張られたかと言うと、主演のクリス・エヴァンスのお陰です。普段の甘い二枚目ぶりはどこへやら、この髭面でお風呂にも入っていなさそうな容姿は、すごく精悍なのです。自分はリーダーの器ではないと、長老の指導者ジョン・ハートからの指名を固辞しますが、カリスマ性は充分、初めて良い俳優だと認識しました。髭はもうそっちゃったみたいで、すごーく残念。

アクションシーンは列車の中なので、制約があり難しかったと思いますが、短調になりがちなところを、工夫して頑張っていたと思います。特に印象的なのは、絶体絶命の危機を、松明をかざして抜けきったシーン。おぉ!と唸りました。他はジェイソンかターミネーターか?のボディガードにも、笑ってしまいました(失笑にあらず)。

チラチラ感想を読んで気になったのは、最後尾列車の人は、無賃乗車でお情けで乗っているので、あの人間以下の待遇でも我慢すべきと言う意見が多くて、それは違うと思いました。食べるものはプロテインだけ(それも中身はアレだし)、毎日朝か夜かもわからず労働もさせない。監獄でもまだましです。列車
をひとつの社会と見なし、秩序を振りかざすなら、無闇に抑圧するのではなく、労働の機会を与え、人間らしい生活を取り戻す基盤を作るべきです。

まぁラストに出て来たエド・ハリスを見りゃ、それは無理な人だとわかりますが。ティルダの首相(怪演です。てか、この役を断らなかった「女気」は素晴らしい)も、相当なもんだしな。これって一国の指導者がおかしいと、国は滅ぶと言う揶揄ですか?

ラスト近くのクリスの告白で、何故彼がリーダー役を固辞したのかわかり、そこは胸が痛みます。でもそれ以降十数年、最後尾で秩序が保たれた理由にしては、少し弱い気が。それよりエド・ハリスが語る人口のバランスの話しは興味深かったです。これって、戦争が起こる根源だと聞いた事があります。ハリスとハートの関係は些かショックでしたが、これも世の中には往々にしてある事ですね。

近未来の劇画チックな設定ながら(原作はフランスのコミック)、結局は「普遍的な現在」を写した作品と言う事でしょうか?着想は良かったのに、詰めが甘くて出来は良くないですが、私にはまずまずの作品でした。


2014年02月11日(火) 「ウルフ・オブ・ウォールストリート」




超面白い!怪作にして傑作。三時間が本当にあっという間でした。本年度アカデミー賞、監督・脚本・作品・主演男優・助演男優ノミネート作品。みんなあげちゃって下さい!作品賞で受賞したなら、オスカー会員の皆々様も見上げた気風の良さですが、この下品さではまず無理(笑)。監督はマーティン・スコセッシ。これも実在の人物、ジョーダン・ベルフォートの手記が元の作品です。

1980年のアメリカ・ウォール街。学歴なしコネなしのジョーダン・ベルフォート(レオナルド・ディカプリオ)。何とか一流投資銀行に入職したのに、トレーダーの資格を得たその日がブラック・マンデーと言う運の悪さ。銀行は破綻し、次に入った陳家な証券会社で、あっという間に頭角を現した彼は、26歳で会社を設立。全米1%の富裕層を狙い、巧みな話術を社員に伝授し、今では700人の従業員を抱え、年収49億円。当然不正もてんこ盛り。それを凝視しているFBI捜査官のデナム(カイル・チャンドラー)がいました。

苦労に苦労を重ねて起業するのかと思いきや、割とあっさりジョーダンは出世。考えてみれば、売り買いするもんは株なんだから、他人の褌で相撲取るようなもんですよね。舌先三寸で、あっと言う間の億万長者の描写は、株の本質を描いているのかも?

最初に入った会社の上司(マシュー・マコノヒー、「ダラス・バイヤーズクラブ」出演のため、激やせ中。通常の男ぶりが戻るか、非常に心配)が、とても強い印象を残します。曰くマスターベーションは日に2回、そして薬をやれだって。血液の循環を良くして脳を活性化させるためだとか(笑)。これって、常にハイテンションを維持しなければ、億単位のお金を動かすのが、怖くて出来ないからでは?良心や常識なんか蹴散らさなければ、ウォール街では、やっていけないと言う事でしょう。

なので、仕事しているシーンより多い狂乱の宴が、延々繰り広げられるのですが、妙に納得。一晩に接待260万、ジョーダンの独身サヨナラパーティーに2億円。会社に半裸の娼婦が大挙おでましで、薬物とアルコールの酒池肉林。そして糟糠の平凡の妻は捨て、再婚の妻ナオミ(マーゴット・ロビー)は、ブロンドでグラマラスな「プレイボーイ」風味の美女。だいたい2時間はこれだけ。しかしゲップが出そうかと言うと、さにあらず。超絶に楽しいのです。

男性ならきっと、まるで夢のようだとうっとりするはず。でも正直言うと、私も一万ドルくれるなら、坊主頭にしてもいいわ(笑)。ここまで楽しげに繰り広げられると、お金は無くても豊かな心、充実した人生とか、そんなもん、クソ食らえだと言われている気がする。年食って身の程を知り、日頃は清貧の賢者を目指しているワタクシなんですが(嘘です)、それはもう、お金には縁の無い人生だと、諦めているからなんだと痛感しました。やっぱりお金あった方がいいですよ。すごい真理だと思ったのは、「寄付だって潤沢に出来る」みたいなセリフ。震災の時、それこそ貧者の一灯で寄付したもんですが、今じゃさっぱり。ジョーダンくらいお金があれば、ドーン!と寄付するのになぁと、そんな事も考えたり。

毎日日替わりで薬をキメながら、娼婦を抱くジョーダン。まぁ馴染みの娼婦はいるかもしれないけど、ほとんどが一夜限り。この劇中で愛した女性は二人だけです。そして両方共妻になっている。これは意外でした。最初の妻とは離婚したけど、真面目で的確なアドバイスを夫に出す地味な前妻も、変貌していく夫には、多分付いて行けなくなっていたはず。そしてジョーダンは、あんなお金持ちになっても、常に妻には頭が上がらない。そして社員も大切にする。こういうの、すごく珍しいと思う。だいたいが、暴君になるんじゃないですかね?下衆だけど、決して悪党じゃないんですね。むしろ愛嬌がある。

詐欺まがいの不良債券を売りさばくのに、何故悪党に見えないか?それは買う方だって欲に目が眩んでいるから。年寄りの虎の子を奪うのではなく、富裕層の余ったお金だもん。だから観ていてこちらの胸はちっとも痛まない。所詮ジョーダンたちと顧客は、同じ穴の狢って事ですかね。

永遠にこの日々が続くはずはなく。やっぱり悪い事してたら、目立つのはいけない。「アメリカン・ギャングスター」で、デンゼル様も言ってたでしょ?。ようやく事態を虎視眈々と見守っていたFBIさん登場。これが実に颯爽としていて、カッコ良かったのですね。年収49億円の大金持に対して、臆することなく年収600万の国家公務員が、ジョーダンから賄賂を見え隠れされても、バンと撥ね退ける。やっぱりね、正義はお金じゃ買えないのよ!(もうコロコロ気持ちが変わる)。この時のジョーダンの演出も良かったです。「こんな大きなクルーザーの上では、僕は007の悪役のようだ。あっはっは」と、大物気取りなのですが、ちょっとFBIに挑発されると、もう激昂。子供じみています。面白かったけどね。

ジョーダンと言う人は、頭の回転も良いし切れるのですが、隙もいっぱいなわけ。上記のシーンもそうだし、お縄になるよりは社長を引退して、片腕のドニー(ジョナ・ヒル)に譲ると言う案を飲んだはずなのに、社員を前に引退の演説していて気持ちが高ぶり、あえなく撤回。先は読めているはずなのに、売られた喧嘩は買うと言うか、負けが見えても勝負するのが男だと思っていると言うか(笑)。金の計算はするけど、人生の計算は度外視しているんですね。その割に変わり身も早く、危険を察知すると自分を一番大切にします。

ジョーダンを見続けていると、男性の本質って、これなのだなと感じます。とにかく本能に忠実です。それを突き抜けて描き続けるから、道徳感はガン無視、こんなに下品で猥雑、感動や成長も描かないのに、正直だから爽快で痛快なんだと思い当たりました。計算高い小賢しい男より、チャーミングですよね。

実はね、若い時は何度も同じ事を繰り返し、私を激怒させた夫なんですが、その時々に、本心から「悪かった」と思っていたのだと、ジョーダンを観て思いました。あれは忘れるのが早かっただけなのだと(笑)。素早い立ち直りに、何も反省してないじゃねーか!と、責め立てたもんですが、多分半日、いや一時間くらいは本当に反省してたんだと、やっと今納得しています。ジョーダンも前妻と別れて三日目にナオミと暮らし始めていますが、まるまる一日くらいは、猛反省したと思われます(笑)。

身から出た錆と、仕事の出来るFBIさんのお蔭で、ジョーダンの末路は想像通り。しかしあなた、ここでもすぐ立ち直る。印象的な「このペンを売ってみてくれ」のシーンが二回あります。それがどこで出てくるか、お楽しみに。ジョーダンの非凡なところは、反省すれども学習せず、ではなく、反省しなくて学習するところですかね?ただじゃ起きないぞと言うラストは、妙に元気が出て、嬉しくなりました。

とにかくレオが出色の出来!オスカーは大スターに厳しくて、古くはレッドフォード、現在ならジョニデやブラピなど、オスカーと縁のない俳優はたくさんいます。大スターの中でも、レオは作品の出来でも演技でも、常に抜きん出ています。作品選びの目利きも上手。愛嬌たっぷりに演じてくれたから、あんなキュートでチャーミングなジョーダンになったと思います。

助演ノミニーのジョナ・ヒルは全然悪くないですが、、個人的にはマコノヒーかチャンドラーだと思います。マコノヒーは主演でノミニーだから外れたんでしょうね。チャンドラーの宴の終わりの複雑な物思う表情が、作品を面白いだけではなく、引き締めていました。

原作もこんな感じなのかしら?スコセッシの最近の作品は全て観ていますが、どれも風格は感じても、私はあんまり面白い作品はなかったです。そんな自分の作品にイライラしていたのは、実はスコセッシ自身だったのかも?この生臭い男の一代記を読み、眠っていた男の本能が戻ってきたんですかねぇ。

もっと色々書きたいんですが、この辺で。オスカー発表がとっても楽しみです。


2014年02月03日(月) 「アメリカン・ハッスル」




本年度アカデミー賞10部門ノミネート作。主要部門も総なめです。コンゲームが繰り広げられまが、でもそこには痛快や爽快と言う感覚はなく、ユーモアの中に、孤独と哀愁が広がる内容で、私は好きな作品です。監督はデヴィット・O・ラッセル。

1978年のアメリカ。表向きはクリーニング店を営むアーヴィン(クリスチャン・ベイル)ですが、裏では詐欺師稼業。愛人兼仕事のパートナーのシドニー(エイミー・アダムス)と共に、詐欺に励んでいましたが、野心家のFBIリッチー(ブラッドリー・クーパー)の囮捜査により、あえなくお縄に。開放の条件として、捜査の協力を二人に要請するリッチー。リッチーが蒔いた餌に食いついたのは、意外な大物政治家カーマイン(ジェレミ−・レナー)。囮捜査で芋づる式に政治家を逮捕しようとしますが、そこに立ちはだかる人物が。何をしでかすかわからないアーヴィンの妻ロザリン(ジェニファー・ローレンス)の存在でした。

まず特殊メイクですか?のクリベーの姿にびっくり。ぶよぶよのお腹にハゲ隠しの術。近頃めっきりお目にかからないデ・ニーロ・アプローチですが、彼は
忠実な後継者みたい。あの頭髪は、本家デ・ニーロが「アンタッチャブル」のでカポネを演じた時みたいに、毛抜きで抜いたんだろうか?(剃ったんちゃないよ)。

詐欺を働く二人には、家庭に恵まれなかった過去が挿入されます。平気で騙す人からお金を詐取しているように見える二人ですが、アーヴィンの「一つだけ人生で良い事をした。若いシングルマザー(ロザリン)と連れ子を家族にした事」の独白は、アーヴィンが詐欺をする心の穴埋めにしているのかと思いました。血の繋がらない息子を、溺愛ではなく慈しむ父親ぶりは、自分の良心の拠り所にしているのかと感じました。

シドニーも寄る辺ない身の上。ストリッパー上がりからOLとなり、ひとつひとつ堅実に階段を登っていた時に、アーヴィンに出会います。デューク・エリントンの曲が取り持つように見える二人ですが、男女の縁に理由なんかいらないのよ。目の前に運命の人がいた、それだけよ。こうして軽蔑されて当たり前の彼らを、身近に感じられる演出が上手い。

しかしまぁ、語り口はとにかく騒々しい。ブラッドリーとジェニファーは、「世界にひとつのプレイブック」を引きずるような役柄で、二人共常に軽躁状態。クリベーもエイミーも怒鳴るわ騒ぐわ、もう大変(笑)。しかしその喧騒の中に、彼らの孤独が透けて見えるのです。いい年の大人が皆、迷い子のよう。愛する人に身も心も抱いて欲しくて堪らない。そのままならない様子がとても切ないのです。トイレで絶叫するシドニーの滑稽でやるせない姿に、あなたも私も、自分を観ると思います。

上記四人は、全てオスカーノミニーで、演技合戦が観られるのも、この作品の長所です。特に感銘を受けたのは女性陣。いつも愛らしく健康的なエイミー・アダムスですが、今回露出の多い服装で、セクシー路線です。しかし泥水に浸かる詐欺師を演じようが、男を誘う腰つきでねっとり演じようが、彼女はやはり愛らしく賢いのです。それもキャラが突出する「偉大な大根」ではなく、演技派としてです。これは女優として稀有は長所じゃないでしょうか?彼女が女優になる前に、フーターズで働いていたと聞いた時、意外な気がしましたが、きっと自分を見失わず女優を目指していたのでしょう。新境地の役柄に挑戦した今回は、是非オスカー取って欲しいです。

オスカー女優ジェニファーにも、大いに笑わせてもらいました。ロザリンのキャラが凄すぎ。日本で言うとヤンママのDQNで、ビッチで躁鬱。バカ丸出しなのに豪快で、口論すると他罰的で自己弁護がとにかく上手く、海千山千のアーヴィンが必ず言い負かされます。先の読めない彼女のお蔭で、作品が撹乱され、大いに楽しませてもらいました。

私利私欲ではなく、市長である自分の市のため、違法性を知りつつ汚職に手を染めるカーマイン。それは底辺の黒人やマイノリティーを救いたい一心からです。私はハメられる彼に、とっても同情しました。リッチーのしている事は「捜査」ではなく、アーヴィンたちがしてきた「詐欺」と同じじゃないですかね?これはアメリカでは合法の囮捜査を、暗に批判しているのかと思いました。手柄を立てたいがため、上司まで殴るリッチーですが(これ絶対病気だと思うわ)、シドニーに対する男心の純情も描き、一片の情けを見せる演出が心憎いです。

本家デ・ニーロがマフィアのボス役で、ノンクレジットで登場。老いた姿ながら、殺気も妖気も漂い、怖いのなんの。コメディ仕立てでお茶目な「マラヴィータ」とは打って変わった姿に、格の違いを見せつけられ、感嘆しました。

予測不可能なロザリンのお蔭で、着地が読めなかったのですが、痛み分けとも言える内容でした。カーマインの大らかな人柄に惹かれ始めたアーヴィンには、息子以外の良心が芽生え始めていました。結局人としての良心を失わなければ、自尊心を捨てずに済むと言う事なのでしょう。

ちなみに実話が元のお話ですって。でも多分脚色てんこ盛りの予想。優秀な人には目もくれず、ダメ人間を愛し続けるラッセル監督。きっと監督も同じような屈託を抱えて生きているのでしょうね。監督もまた、正直で愛すべき人なのです。


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