ケイケイの映画日記
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2013年08月26日(月) 「ホワイトハウス・ダウン」




親愛なる映画友達のヤマさんご推薦作。飛ばそうと思っていましたが、ヤマさん的評価では「A中」。(ちなみにA上は観た事がない)これは見に行かなくては!と、勇んで観てまいりました。いや〜、普通にすんごく面白かったです!脱ぎの王様チャニング・テイタム主演ですが、今回ビューティーな胸板もお尻も封印。素敵な上腕二頭筋のみご披露ですが、とってもカッケー大活躍でした。

元軍人で議会警察官のジョン・ケイル(チャニング・テイタム)。別れた妻との間の一人娘エミリー(ジョーイ・キング)の憧れるソイヤー大統領(ジェイミー・フォックス)のSPに応募するも、あえなく不採用となり、その事はエミリーに隠したまま、二人はホワイトハウスのツアーに参加。しかし程なくホワイトハウスはテロリスト集団に占拠され、偶然が重なり、ジョンは大統領を警護する羽目になります。

私は現在「あまちゃん」に夢中なんですが、その中で主役のアキちゃんのママ役のキョンキョンが、「主役は大根でいいのよ。脇が固めるから。脇に回る方が下手が目立つの」と語って、へぇぇぇ〜!と、目から鱗でしたが、確かにそうかもなぁ。チャニングは華はあるんですが、確かに演技は上手いとは言い難い。脇はオスカー俳優のフォックスを始め、マギー・ギレンホール、ジェームズ・ウッズ、リチャード・ジェンキンスなど芸達者ばかりで、図らずもキョンキョンの言葉(と言うか、クドカンね)が立証された気がします。若くて身体能力が高く、ほとんど自分こなしているらしいアクションのキレは抜群で、「ダイ・ハード」型の巻き込まれアクションである今作では、彼の美点が生かされています。

エメリッヒと言えば、豪快に破壊したり天井から落っこちるアクションで名がしれていますが、今回も健在。なんたってホワイトハウスですから、壊し甲斐もあると言うもの。当初からどんどんスピードアップで、手を変え品を変え見せてくれるので、もう一度同じようなシーンが出てきても、「またかよ」と思う暇もない(笑)。2時間15分と少々長い作品ですが、とにかく展開が早くて、アクションはやっぱりスピードが命だよと改めて思いました。

エメリッヒと言えば、猿でもわかるお安い正義と人間愛(笑)。それが今回一捻りあり、作品の底上げに貢献しています。ジョンは20歳前後で結婚。まだ大人に成る前に父親になり、家庭から逃げたかったと語ります。それが30歳を幾つか過ぎた年齢になり、父親としての責任に目覚め、娘の信頼を得たいとの思いが、とても伝わってくるのです。テロリストも安直にアルカイーダなんかにしなかったのも良かった。犯人の一人、ジェイソン・クラークの背景なんか、そりゃ恨むわなと、しごく納得するのです。犯人側も動機はそれぞれ。一枚岩ではなく、同情は出来ても悪意や復讐心は利用され易しと、これも教訓になります。




出色は政治オタクのエミリーを演じたジョーイ・キング。役柄同様まだローティーンですが、勇敢で溌剌とした様子が、とても好印象です。この手の役柄は男子にふる事が多いですが、女子の設定によって健気さが加わった感があります。

ホワイトハウスのツアコン君の、ハウスに対する深い愛情も良かったし、随所に散りばめたユーモアも、良い息抜きになります。普段は知り得ないホワイトハウスの内覧会的な部分も楽しみながら、鑑賞後は魚の骨が喉に引っかかる部分もなく、素直に面白かったと思える作品です。


2013年08月22日(木) 「最愛の大地」

アンジェリーナ・ジョリー初監督作。ボスニア・ヘルツェコビナの紛争を舞台にした作品です。とても重厚で厳しい作品で、泣く事すら許して貰えないくらい、緊張感が持続します。しかし女性ならではの、細やかな表現もたくさんあり、その度に感情が揺さぶられました。アンジーの志を感じる立派な作品です。

民族間の緊張が高まるボスニア・ヘルツェコビナ。ムスリム系の画家のアイラ(ガーナ・マリアノヴィッチ)は、子供が生まれたばかりの姉レイラと三人暮らし。交際が始まったばかりのセルビア系の警官ダニエル(ゴラン・コスティッチ)とデートの最中、爆撃テロに合い、二人は難を逃れるものの、その後離れ離れに。四ヶ月後、アイラたちムスリム系の人間は、セルビア兵士によって連行されます。そこには将校として赴任していたダニエルがいました。昼は兵士たちの身の回り、夜は陵辱される女たち。しかしダニエルが手を回し、アイラはレイプはまぬがれます。ぎこちないながらも、恋人同士であった頃のような会話を交わす二人でしたが、ダニエルに転属命令が降り、それを機に、二人の運命はまた変わっていくのです。

この作品では、爆撃シーンや銃撃戦なども盛り込まれていますが、監督が特に力を入れて描いている暴力は、レイプです。当時二万人ほどの女性たちが犠牲になっており、それは兵士の性欲処理ではなく、軍の組織的な命令だったとか。セルビア人の子をムスリムの女性たちに孕ませ、もう堕胎できない頃に開放する。それはムスリムの誇りを辱めるだけではなく、効果的にムスリムの血を排除するためだったと言うのです。聞くだけで怒りで血が煮えたぎる気がしますが、監督はその表現に、「君は僕の所有物だと言ってあるので大丈夫だ」と、親切心から告げるダニエルの言葉に、後ずさりするアイラの足元を映すに止めています。

直接的なレイプ場面もありますが、痛ましいですが、それほど扇情的とは思いませんでした。一部に、セルビアだけが悪者として描かれていると言う感想を目にしましたが、将軍であるダニエルの父に紛争の起こりを語らせたり、レイプ場面も無機質に(それでも十分に被害者の心情は伝わる)描いているのは、一方的に描きたくはない、その配慮だったように思います。

ただ父親が語る内容は、息子には知らぬ事。こうやって親から子へ、あたかも自分が受けた傷のように、憎悪が受け継がれるのだと感じ、これが争いの根源でもあると感じます。

監督が描きたかったのは、普遍的な反戦の心だったと感じます。例えはダニエルは、当初は昨日まで友人だったムスリムの人々に暴行を加えることに疑問を持ちますが、次第にセルビアの将校として、勝つ事だけが至上と変貌していく中、アイラへの愛は立ち難いと、複雑な心を見せます。

所有物と言う扱いに心を閉ざすアイラ。それでも部屋に呼ばれ、二人だけの逢瀬を重ねるうち、心は和らぎます。しかし体は重ねても、二人共恋人同士には戻れないのはわかっているのです。そう物語るアイラの表情が哀しい。

一度は強制収容所から逃げたアイラですが、「複雑な事情」で、今度はダニエル専任の画家と言う名目で、彼の囲われ者となります。彼女を愛し続けてはいても、異常な環境の中、疑心暗鬼になり、時にはアイラに暴力的になるダニエル。しかしある目的を持っていたアイラは、一歩も部屋から出られない軟禁状態とも言える生活の中、ダニエルほど心は揺れません。

二人が部屋でダンスをするシーンが印象的です。事後なのでアイラは全裸。部屋を出て行くはずのダニエルは着衣。ダニエルがダンスに誘います。彼は愛する女の豊かな肢体を見続けていたいがため、あえて服を羽織らせなかったのかも。素直な笑顔はきっとそうなのでしょう。しかしアイラにとってはどうなのか?束の間の昔の恋人同士の出会った頃を思いだし、彼女にも笑顔が見えます。しかし男は着衣、自分は全裸。支配される者とする者。笑顔の中にも、決して愛し合う対等な男女とは成りえないのだと、感じていたでしょう。

こういった繊細な演出が随所に見られます。戦場下で性的に弄ばれた女性たちは、興味本位な目で見られがちですが、アイラや他の女性を通して、当時決して娼婦性を持って生きていたのではないと、監督は言いたかったのだ感じました。

アイラは被害者でもあり加害者ともなりました。ダニエルも、アイラの姉も。戦争とは結局そう言うものだと、その虚しさと辛さを、ダニエルとアイラの愛に込めて描いていたのだと思います。何もかも捨て、本当は身も心もダニエルに委ねたい。でも心の底を自ら凍らせてダニエルに接していたアイラは、どんなに辛かったでしょう。彼女の「ごめんなさい」には、その万感の思いが込められていたと思います。ダニエルの「俺は戦犯だ」の言葉はこそ、アイラの意を汲み、彼女への愛情を示す言葉であり、決して絶望からではないと、私は思います。そして自分を育んでくれた最愛の大地であるボスニアの地への、彼の贖罪だと思いました。

反戦映画であると共に、秀逸なメロドラマだとも感じました。とても力強い作品です。セルビアの誠実そうな兵士が、「もうじき妻に子供が生まれる」と微笑むシーンがありますが、それに同調してはいけないのです。彼もきっと、捕虜の女性たちを陵辱していたはず。それが平和のためだと思い込まされる怖さを感じなければ。そして軍事介入と言えば、いつもきな臭いものではないとも知りました。もっと早く国連が介入していれば、この紛争の終焉も早まったはずだと描いています。この辺は素直に受け取りたいと思いました。

この紛争で生まれた赤ちゃんたちは、どうなったのでしょう?アイラが強い意思を持ち続けられたのは、姉の赤ちゃんの事が影を落としているはず。「サラエボの花」「あなたになら言える秘密のこと」が、その後を描いているはずです。私は未見なので、是非観ようと思っています。




2013年08月16日(金) 「パシフィック・リム」(2D吹き替え)




実は監督のギレルモ・デル・トロが大好きです。なのに「ヘルボーイ ゴールデンアーミー」以降は、プロデュースばっかりで、寂しく思っていました。だから新作が来たと聞いた時は、狂喜乱舞ですよ。それなのに万を持しての新作は、私の興味外の怪獣映画と聞き、気分はがっくり。でも死ぬまで観続けると決めた監督だし、それなりには面白かろうくらいの気分で臨みましたが、冒頭からノリノリ、クライマックスには感動して泣いてしまいました。よく女・子供って一括りで言うでしょう?言うなれば、この作品は究極の「男・子供映画」。男子なら萌えて燃えてもえまくる作品です。

ある時太平洋から巨大な怪獣が現れ、大都市を次々と破壊していきます。人類滅亡の危機に立たされた地球上の国々は、一丸となって怪獣を倒すべく、巨大ロボット「イエーガー」を作ります。イエーガーは中に二人のパイロットが入り操作すると言う代物で、イエーガーの能力を最大限に発揮させるには、パイロット同士の高いシンクロが必要とされていました。ローリー(チャーリー・ハナム)は優秀なパイロットでしたが、ある怪獣との戦いで同じパイロットの兄を失い、失意のまま5年間戦線離脱。そんな彼を司令官ベントコスト(イドリス・エルバ)が探し当て、復帰を促します。再びイエーガーに乗る決意をしたローリーは、以前とは違う現場に戸惑いを見せます。そんな彼をガイドするのは、イエーガーを修復する日本人研究者のマコ(菊池凛子)。しかし彼女の本心は、イエーガーのパイロットになる事でした。

冒頭から超巨大な怪獣が、豪快に大都市をぶっ壊す場面です。あそこまでスケールが大きいと、悪役でも天晴。爽快感すらある。てな事を言っている場合ではなく、打倒怪獣のため、各国が手を結びます。人類は一家、人間は皆兄妹精神ですよ。この辺の設定で、既に感慨深い思いが過ぎる。だって現実は、あっちもこっちも争いばっかだもん。

そして簡単に説明の後、颯爽とイエーガー登場!いや〜、今まで目にしていたロボットアニメを実写すると、こうなるのかと、また感激。だって精巧だしスケールでかいし、アニメそのまんまなんだもん。パイロットは相性が大事なのですが、記憶のあれこれを深くシンクロさせなければならないため、兄弟や親子が選ばれると言うのは上手い設定で、登場人物たちに無理がない。ローリーとマコの場合も、納得出来ます。

その後のストーリーはですね、とにかく皆が命懸けで気球を救う、これ一点でイケイケドンドンです。その間に親子の情や葛藤、武器商人ならぬ怪獣商人(ロン・パールマン)の登場や、オタク博士たちの頑張り、過去のトラウマ、パイロットのプライドなんかが描かれます。そんなに深く掘り下げてないけど、こんなもんで充分です。大事なのは、己を捨てても地球を守ると言う、崇高な正義感が伝わるかどうか?です。もう段々「男・子供」の世界に、洗脳されたかのような気分ですよ。

自己犠牲が国のためなら?これはちょっと胡散臭いでしょ?でも地球のためだもの、すごく素直に立派だなぁと受け取れます。なので、あぁこの人たち本気なんだわと、最終決戦の前にイエーガーに乗り込むパイロット達に感動して、涙が出ました。パイロットの一人の生意気君が、司令官に「あなたと組めて光栄です」なんて良い子に改心して言うから、また涙。なんてことない台詞なんですが、多分どっぷりはまってしまったんでしょうねー。

監督が偉いのは、オタク心満開で、その筋の人だけに向いて、描いてはいない事です。非力なオタク博士たちは、コメディリリーフ的な活躍だけかと思いきや、彼らは彼らで、身を呈して地球を救おうとし、貴重な戦力として描かれています。そしてマコ。作品に華を添えるだけではなく、立派に戦士として戦います。ローリーはマコの事、足出まとい扱いでもなく、守ってやるぞ!でもなく、パートナーとして、本当に尊重していました。彼女の意を汲み、120%の力を出し尽くすまで、ちゃんと見守る。これぞ21世紀の男子ですよ。オタクだって女子だって、ちゃんと地球を守る事に貢献させていて、本当に素晴らしい!

怪獣は豪快で重量感は感じましたが、同じようなシーンが多く、イマイチ私には面白みが欠けましたが、オーラスは空を飛んだり楽しめたので、まずは及第点。それよりイエーガーがカッコよくて、これは大満足でした。スコアもとっても良くて、気分を更に高揚させてくれました。

キャストは日本では無名の人ばかり、有名なのはロン・パールマンと菊池凛子くらいかな?菊池凛子は監督が彼女を当て込んで書いたらしく、私も初めて彼女が良いと感じ、健闘しています。吹き替えはプロの声優、それも大御所ばかりで安定しており、キャストが無名の人ばかりのためか、違和感は全くありません。映画の吹き替えはプロか有名人かが、よくお題に乗りますが、上手けりゃ誰でも良いと思います(笑)。選ぶ方は、その観点で是非チョイスしてもらえたらと思いますね。

観て楽しんだもん勝ちの作品。「男・子供」映画ながら、充分女性も楽しめる作品です。


2013年08月11日(日) 「マジック・マイク」




ヒューヒュー!主演のマイク役チャニング・テイタムが、19歳の時、本当に男性ストリップをしていた経験を元に映画を作りたいと、スティーブン・ソダーバーグに持ち込み、首尾よく映画化した作品。マイクや同僚たちのストリッパーとしての生態や葛藤など盛り込んでいますが、基本イケイケのストリップ場面が売りの作品(個人的考察)。もぉ〜超楽しかった!欲を言えば、ドラマ部分は半分に削って(それ以下でも可)、ステージ場面に充てて欲しかったです(笑)。

昼はガテンな仕事をしながら、夜はダラス(マシュー・マコノヒー)の店で看板ストリップダンサーとして踊るマイク(チャニング・テイタム)。お金にも女にも困らないこの仕事を気に入ってはいますが、手作りの家具の店のオーナーになるのが夢です。ある日仕事先でアダム(アレックス・ペティファー)と知り合ったマイクは、偶然が重なり、マイクは店のダンサーとして舞台に立つ事に。初々しい彼は、たちまち人気ダンサーとなります。身持ちが堅く真面目なアダムの姉ブルック(コディ・ホーン)は、派手な世界に入った弟を心配します。今まで出会った女性たちとは、明らかに違うブルックと接するうち、マイクは今の生活に疑問を持ち始めます。

なんたってダンスシーンがカッコイイ!腰をクネクネ、胸板も厚いマッチョでハンサムな男性たちが踊る姿は、とってもホットでクール。華やかでセクシーなれど、猥褻感は意外と薄く、それは意外でした。だからジョークに映っても、下品にはならない。観客は女性オンリーで、そりゃすごい嬌声っすよ。この恥じらい全くなしの盛り上がりも、とっても良かった。とにかく明るいのなんの。ダンサーたち、みんな仲がよくチームワークがいいのも印象的。

手を変え品を変え、ダンスシーンがふんだんに出て来て、その度にこちらの気分もアゲアゲ(笑)。ただ踊っているだけではなく、観客を舞台に呼んで、寸劇混じりの事をやったり、自分たちも役を演じたり衣装を手直ししたり、鍛錬を怠りません。女性のストリップも観た事ないけど、こんな感じかな?その生真面目な姿に、ちょびっと心打たれるもんもあります。あっ、金粉ショーもあった(笑)。

チームのケン(マット・ボマー)が妻帯者だったり、女漁りはすれど起業のため貯金に励むマイクなど、私生活も意外と真面目だったりします。(たまに酒池肉林もあり)。この辺は、テイタムの意見も取り入れているのかしら?そんな中、今までの地味な生活から一変してしまったアダムだけは、ドラッグと女性に溺れていきます。

ザ・お水の世界の中で、一人気を吐くブルックに、次第に惹かれていくマイク。彼がいくらお金を掴んでも、自分が浮き草稼業だと痛感したのは、銀行に融資を断られた事以上に、親しく付き合っていた客のジョアンナに、実は遊ばれていた事を知った時じゃないでしょうか?いやマイクだって遊びなんだけど、意味が違うわけ(観て下さいね)。世間より一段下の男に見られている屈辱を、痛感したはずです。

とまぁ、色々葛藤や苦悩はあるんだけど、描写はペラい。マイクも家具屋になりたいのか、ダラスと共同経営したいのか、両方なのか、何故なのか、その辺は全く説明なしだし、すれ違い気味のマイクとブルックの会話も上滑りです。

と、ドラマ部分はイマイチよね、と思っていると、またステージ場面が来て、ヒューヒュー(笑)。そして核爆弾のように、マコノヒーのフューチャーシーンが登場します。これが濃いのなんの。アダムに踊りを教えるシーンなど、百戦錬磨を思わす腰の振り方で、圧倒されます。圧巻はラスト近くのマコノヒーの舞台。今まで散々見てきたキレのある踊りは、あれは何だったんでしょうか?と言うくらい、年季の入った男の色気満開の、これぞ男性ストリップと言うステージを見せてくれます。いや踊りだけならテイタムが断然上手い。でもストリップはそれだけじゃないぜ!と言わんばかりなんだなぁ、あのお尻(笑)。

アダムの初舞台の時に流れた曲が、マドンナの「ライク・ア・バージン」だったり、ダラスの時は、火を噴いと思ったら、流れて来たのはキッスの「悪魔のドクターラブ」。この曲のボーカルはポールではなく、火を噴くジーンなんですねー。ラストに流れるマコノヒーのカントリー調の歌といい、楽曲選びのセンスが、大変良いと思いました。

出演者では、とにかくマコノヒーがダントツの存在感です。狡猾でやり手の経営者にして、ストリッパー上がりである事もちゃんと基盤に出来る才覚の持ち主であると、感じさせます。またしても怪演するマコノヒーですが、これからどこに行くのかしら?目が離せません。ブルック役のコディは美人ではありませんが、実直な地に足がついたブルックを演じて、好感が持てます。テイタムも私は良かったです。唯一ペティファーだけ、ずーとメリハリを全く感じない演技で、?。役作りだったんですかね?ハンサムだけど、私にはあんまり縁のなさそうな人です。

セックスそのものを感じさせる踊りや寸劇などですが、エッチなんだけど笑い飛ばしながら、意外と爽やかに観られます。映画なら、こそこそ見る必要もなし、女性の方はどうぞ一度ご覧になっては如何でしょうか?舞台だけでも、充分元は取れます。実は私ももう一度観たいです(笑)。


2013年08月09日(金) 「17歳のカルテ」




もう公開してから13年になるんですね。ずっと見逃していたこの作品、やっと昨日ケーブルのオンデマインドで観ました。思春期の女子たちが集まる精神病院が舞台なのと、当時アンジーがオスカーを取った事しか認識がありませんでしたが、境界性人格障害のヒロインのお話だったのですね。観ていてむせび泣いてしまう場面が続出。人格障害については、個人的な思いもあり、実に感慨深い鑑賞でした。秀逸なガールズムービーでもあります。監督はジェームズ・マンゴールド。舞台は1967年のアメリカの精神病院。旧作につき荒筋なし、ネタバレです。

自身も境界性人格障害で精神科に入院歴のあるウィノナ・ライダーが、プロデューサーも兼ねて、原作者のスザンナ・ケイスンを演じています。同じく人格障害ですが、もっと獰猛な少女リサがアンジェリーナ・ジョリー。他に虚言癖のクレア・デュバル。顔にやけどの引きつりのあり、精神的な成長を停めてしまったエリザベス・モス。摂食障害のアンジェラ・ベティス。同じく摂食障害ですが、近親相姦の秘密も抱えている少女に、亡くなったブリタニー・マーフィー。一時代を築いたり、現在中堅女優として活躍したりと、錚そうたる面々です。

厳しい監視の目をくぐり抜け、彼女たちが院内を冒険する様子が愛らしい。戯れに寝た相手の妻から詰られるウィノナを、少女たち全員で守る姿も微笑ましい。入院ではなく、女子高の様です。誰にも理解されず、今まで居場所がなかったのでしょう、ここは彼女たちの安息の場なのだと感じます。この笑顔、どこかで観たなぁと思い起こすと、「プレシャス」でした。この映画も、恵まれぬ環境の中、学校に通えなかった少女たちが通うフリースクールで、彼女たちは初めて年相応の笑顔を見せます。環境や傷ついた心を共有する人がいる大切さを、感じずにはいられません。

しかし、これはステップなんですね。一見絆を結んでいるような彼女たちも、実はガラス玉のように壊れやすい関係です。次々医療者側の気持ちを裏切るような行動に出る彼女たち。私も医療従事者として、遠巻きに見てきた風景です。もちろん彼女たちは、裏切ってなどいない。成長や回復を望むの、こちらの勝手な思い込みです。このもどかしさを乗り越えて、彼女たちを見守る看護師をウーピー・ゴールドバーグが演じています。厳しくてちょっと怖く、何事にも動じないウーピー。彼女たちを信じるでもなく突き放すでもなく、常に温かさだけは失わず接せられたのは、彼女も黒人として、人生の辛苦を舐めてきたからだと思いました。

個人的な思いとは、私の亡くなった母が人格障害だった事です。母は精神科に通院歴はなく確定ではありませんが、私が精神科に勤めるようになり、気づいた事です。近頃流行りの「母が重たい」と、多分根本的には違うと思う母娘関係だと思われます。アンジー演じるリサを観ていて、まるで母を観ているようでした。華やかでカリスマ性があり、リーダーシップを取る。自分の手の内にいる時は守るけれど、飛び出そうとすると決して許さず、相手を傷つけまくる。攻撃的で常に自分に注目を集めたい。リサはまだまだ綺麗に描いている方です。

私の母も睡眠剤や安定剤、鎮痛剤が手放せない。少しでも口応えすると、半狂乱になる。それでも不仲の両親、問題のある家庭に育った私が、我慢できずに、今思えば思春期の辛さを母にぶつけただけでした。そうするとお決まりの自傷。私ではありません。母がです。ガス管を口に加える、舌を噛み血だらけになる、窓ガラスをバッドで叩き割る。そうすると、私が「お母ちゃんごめん!私が悪かったから!」と、号泣して謝るからです。女が出来た父を責め立て、布団に火を付けた事もあります。そして繰り返される両親の壮絶な喧嘩と、腹違いの兄たちや、母の親兄弟とのドロドロの確執。

人格障害の人は虚言癖もあり、それで周囲が振り回されます。母の葬儀の時、叔母の一人が、「姉ちゃん、頭が良くてセンスもよくてな。でも小さい時から嘘ばっかりつくって、お祖母ちゃんがよく困っていた」と言う言葉も、今の勤め先で働きだしてから、意味がわかりました。話を盛る程度ではなく、事が真逆の内容の事もしばしばで、母の場合困った事に、自分の創作した話が、いつの間にかそれが真実になっている事でした。

思春期になると、母はよその家のお母さんとは違うと、ぼんやりわかってきます。人より抜きん出た気の強さと、父や自分の親族との不仲のため、母は神経を疲弊させていたからだと、私は思っていました。ある日いつものように包丁を取り出し、「あんたがわかってくれへんねんやったら、お母ちゃん生きてても意味ないから、今から死ぬわ!」と言う母に、当時18歳だった私は、「死にたかったら死んだらええやん!もう勝手に死んで!」と、大声で泣き、謝らなかったのです。へなへなとその場に座り込んだ母は、たった一度私に謝り、それ以降は私の前では自傷しなくなりました。妹の前ではしてたみたいだけれど。その時の姿が、「誰も私の背中を押してくれない」と、泣きまくるアンジーに重なりました。この母と対峙する事でいっぱいいっぱいだった私は、自分自身をコントロールできない母の辛さは、全くわかりませんでした。

幸いにも、母の状態が出るのは身内だけ。これは今でも心から良かったと思っています。

ぼんやりだった母の輪郭がくっきりしたのは、結婚後。母から離れてからです。そんな生い立ちなので、何者かになるほど賢くもなく、不良に成るほどバカでもなかった私は、この家庭から脱出するには、結婚するしかないと思い込んでいました。せっかく生まれてきたのだから、一度は幸せだと言う思いを抱きたかったのです。しかし母が私や妹に吹き込んでいた父の人間としての欠陥を、何と夫も共有している。暗澹たる気持ちの新婚の私が、でもそれは、「男」だからなのだという解釈に到達したのは、それから程なくです。

結婚するまでの私は、幸せだと思った事は一度もないけど、でも不幸だと思った事もありません。それは母が何を言っても、父親が頑張って贅沢な暮らしをさせてくれた事への感謝の気持ちを、私が持っていたからでした。破天荒で4度の結婚離婚を繰り返した父ですが、母からモンスターのように吹き込まれていた父も、また母を持て余していたのだと気づくと、家庭を顧みなかった父への憎しみも、消えていくのがわかりました。

何故母は気づかなかったのだろう?母の四面楚歌状態は、実は自分がチョイスし、作り出したものだと解釈していくと、母親としての力量も足らない、こんなか弱い人が、家庭を顧みない夫の分までと、必死になって私や妹を育てたのかと思うと、180度違う人に思えました。「お母ちゃんは、父親も母親も兼ねられる器のある人間」と豪語して、私をしらけさせた母。実は自分を奮い立たせる言葉だったのだと、気づいたのはずっと後年です。

人格障害を克服するには、どうすればいいのか?と、うちの先生に尋ねたところ、「自分が変わりたいと言う強い意思が必要なんです」と回答を得ました。この作品で、正にそのシーンがありました。ブリタニーの自殺にショックを受けたウィノナが、涙ながらに「変わりたい」と、ウーピーに抱きつく場面で、涙が止まりません。それが如何に困難か、私にもおぼろげながらわかるからです。この作品は当時アンジーにばかり賞賛が集まり、これ程好演していたウィノナは、批評家から無視された事にご立腹だったとか。しかしそれは、演じた役柄のせいではないかと思います。立ち直った(そもそも人格とは一見わからない)スザンナより、強気な外見を装いながら、実は自分を持て余し、世間からも疎まれる者の哀しみや孤独が、リサの造形に溢れていたからでしょう。世間は弱い人に同情するものです。もちろんアンジーの好演あってのことですが。

土曜日担当の男性の先生に、「先生、人格って遺伝するんですか?」と聞くと「いや、環境やで」とお返事いただきました。そこが他の精神疾患とは違うところみたい(人格は病気ではない)。「うちの母親は人格だったんですよ。何で私はならなかったんですかねぇ」「それはケイケイさん、旦那さんが良かったんちゃう?」といたずらっぽく言われ、二人で大笑いしました。

「ダウンタウン」「この世の果て」など、スイートな名曲も、彼女たちの複雑な気持ちを表現するのに役立っていました。女の子の一断面を切り取った青春ものとしても、精神疾患を扱った作品として観ても、秀逸な作品だと思います。統合失調症は比較的若く発症するので、これはもう大丈夫でしょうが、これからは老年期妄想症とか、老人性うつ病が待っている(笑)。精神疾患は、生きている間は口を開けて待っているかのようです。そう思うと、著者ケイスンの「精神病院に入るのは簡単」と言う言葉は、実に重い意味を放つ気がしませんか?


2013年08月01日(木) 「31年目の夫婦げんか」




いや〜、面白かった面白かった!こんなの観ていると、アメリカも日本も夫婦の間は同じよね〜と、世界に国境なしを感じます(いやホントに)。実はワタクシ、21歳になったばかりの時に結婚し、今年の冬で結婚丸31年。現在結婚31年目を進行中でしてね、この映画はとっても楽しみにしていたんです。私のように結婚歴が長い人が観ると、「わかるわ・・・」と、ため息漏れつつ、共感しまくる作品です。監督はデヴィッド・フランケル。

結婚31年目のアーノルド(トミー・リー・ジョーンズ)とケイ(メリル・ストリープ)夫妻。息子二人は自立し、夫婦ふたり暮らしです。惰性で暮らす夫婦生活に疑問を持ったケイは、アーノルドに内緒で、週4000ドルの夫婦で受けるカウンセリングに申込みます。最初は剣もほろろだったアーノルドですが、渋々ケイに付いて行くことに。カウンセラーはフェルド医師(スティーブ・カレル)。フェルドの質問に、次々本音を語りだす二人。フェルドは二人に課題を出しますが、それが新たな夫婦関係を築くきっかけとなります。

「夫婦げんか」と言う邦題になっていますが、要はこの5年くらい寝室も別で、セックスレスに悶々とする夫婦関係を、何とかしたいと妻は思っているわけです。私は映画を観ていて、欧米の人は生涯現役なのだと思っていたので、やっぱりセックスレスの悩みがあるのかぁ〜と、新たな発見です。

と言うとね、如何にもケイがスキモノみたいですが、逆にセックスには奥手の奥さんだと見たね。それなのにこの悩み、ここに深ーい妻心があるわけですよ。まぁ〜アーノルドと来たら、せっかく夫婦水入らず出かけてるのに、とにかく文句しか言わない。うちの夫と同じ!夫って、どうしてこの状況を楽しめないのかしら?私も二人で出かけると、夫の気分をアゲアゲにするため、どれほど苦心惨憺する事か。夕食後、アーノルドがテレビを観ながらうたた寝するところも、うちと一緒。うちなんか、そっとテレビを消すと、「なんで消すんや。気持ちよぉ寝てたのに」と目を覚ます。そう、テレビの音が子守唄なんですねぇ。本当にもぉ、夫って夫って夫って!

ケイによるとアーノルドは、結婚記念日に「妻が欲しがっていたから」と、湯沸かし器をプレゼントしたと言う唐変木ぶりも発揮します。カウンセリングに4000ドル使った妻が、「私が今まで何か好きなものにお金を使った?」と言うと、「冷蔵庫を買ったじゃないか」と仰る。唐変木の上に朴念仁と来たもんだ(笑)。ずっと夫唱婦随で来たようなこの夫婦、妻が老後に向い危機感満タンになるのは、私はとっても理解出来ました。

最近は夫婦が別室と言うのも多いそうです。これどうなのかなぁ?ケイの悩みは、夫が自分に触れてくれなくなったと言う事。これはうちは思い切りセーフ(笑)。夫曰く、「あんたが女やと言う事を忘れんように、”触ってやってる”」そう。うちは子供が小さいうちは川の字でしたが、自分で寝るようになってからはずっと隣同士です。そうすると、お互い触れ合う機会が頻繁なのですね。フェルドの出した第一関門を突破し、夫に抱かれながら迎えた朝のケイの笑顔が、嬉しさ満開でとても可愛い。

それほどセックス好きそうじゃないケイが、セックスと言う行為に拘るのは、肉体的な乾きより、体を通して、夫に自分の心を抱いて欲しかったんじゃないでしょうか?長年夫婦をやっていると、セックスは快楽と言うより、コミュニケーションツールになると思うんですね。この夫婦が頻繁に会話があったりハグしたり、挨拶ではない親愛のキスを重ねていたら、妻はセックスにはこだわらなかったと思いました。日本は欧米よりセックスレスの数は多いと思いますが、ここんところをクリアしている夫婦が多いのでしょう。ただ、セックスレスでダメになる熟年夫婦はあるけど、セックスがあってダメになる熟年夫婦は、少ないように思います。

名医か、はたまた詐欺師か?のフェルドの質問に、赤裸々に答える夫婦の言葉に、思わず聞き入ってしまったプロットがあります。妻はセックスを思い浮かべる時、夫と実際した事しか浮かばないそうで、これは私も同じです。セックスをしている夢も観た事がありますが、何故か相手はいつも夫。これはちょっと残念だなぁ(笑)。ところが朴念仁で唐変木のはずの夫は、近所の奥さんと3Pしたり、仕事場の机の下で、妻がオーラルセックスする事を妄想していたと言うのです。びっくりしました。男性の生理は、ある程度把握していると自分で思っていたんですが、そーですか、そーですか、勉強になりましたと言う感じです。私も夫に聞いてみよっと。

同僚に妻の変化を嘆いたアーノルドは、同僚から、「俺はそんな時、家から逃亡した。あの時花かアクセサリーでも妻に買っていれば、今頃ひとり暮らしはしていない」と言うアドバイスに従い、全然妻に似合わないピアスをプレゼントしたりします。一方こんなに寂しさが募るなら、一人で暮らした方がいいかも?と思いつめるケイ。へぇ〜、アメリカでも熟年になったら、夫は妻に捨てられるのが一番堪えるんだと、ちょっと感慨深かったです。

浮気もせず、一生懸命仕事をしてきたアーノルドは、この年代の男性のスタンダードでしょう。男性と言うのは、女性のように柔軟性に欠けるので、変化は好まないはず。おまけに鈍感(100回くらい言いたいわ)。だから妻は危機感満タンでも、「円満な夫婦に問題を起こそうとしている」なーんて、言えるんですね。でも唐変木で朴念仁のアーノルドは、自分なりにケイを心から(これは本当)愛しているし、根は誠実な良人です。その誠実さに惹かれたからこそ、ケイもアーノルドを伴侶に決めたのでしょう。ケイも愛しているからこその、危機感なのです。

観ていて感じたのですが、熟年で五年もご無沙と言うことで、アーノルドはケイだからダメだというのではなく(浮気もしてないし)、要するに「出来ない男性」になっていたんじゃないかなぁ?妻はそれをわからない。夫も言わない。と言うか、言えない。何も大金払ってカウンセリングしなくても、それほど険悪な夫婦じゃないんだし、話し合えば?と見えるかもしれません。でもね、夫婦二人きりなら、本音を隠して言い合いになって、喧嘩になりますよ。質問されるから、正直に答えるんだと思います。長年夫婦生活をしていても、ことセックスに関しては、デリケートなものだと思います。

とにかく名のある大俳優二人が、会話からセックスシーンまで、とにかく赤裸々でびっくり。しかも初々しいのなんの。二人共善良に生きてきたんだろうなぁ〜と、感じさせます。断ることも出来ただろうに、期待に応えた二人に好感が持てます。二人の実年齢が70前と65前後なんで、この年齢でもセックスレスを気にするか?と言う気になりますが(特にトミー・リーは、しわくちゃくちゃ)、役柄的には60前後と50半ばと思えば、全然納得出来ます。

ラスト、ケイが「愛するあなたとは、哀しい事に、二人で過ごす時間が残り少ない」と言うセリフが出て来て、思わず涙が出ました。そうなんだよなぁ。子供たちがやっと大人になり、自分たちの好きな事が出来ると思ったら、残り少ないんだよね。いくら寿命が延びても、健康でお金を稼げて、あちこち出かけられるのは、あと僅かなのです。このセリフが一番心に残りました。

夫婦とは二人で始まり、また二人に戻るもの。戻った時からが本当の夫婦かもなぁと、帰り道、今日の夕食は夫の好きなものをと、たくさん買いながら思っていました。必見!とまでは行きませんが、熟年夫婦で観るのも楽しいかも?の作品です。さぁ共感するのか、居た堪れなくなるのか、お楽しみに!


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