ケイケイの映画日記
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2013年09月28日(土) 「そして父になる」




今年のカンヌ映画祭審査員賞受賞作。私はカンヌで受賞した作品は、あまり合わないので、そう聞いても期待値上げないで観たのが良かったです。監督の是枝裕和は、子供を描くのがとても上手い人ですが、今回それ以上に二人の母親の溢れる母性を、とても丹念に、そして的を射て描いており、感嘆しました(脚本も監督)。お蔭でテーマである「そして父になる」福山パパの成長に、あまり感動しなくて困りました。おいおい泣き通しでした。

順風満帆の人生を歩んでいる野々宮良多(福山雅治)。妻のみどり(尾野真千子)と一人息子慶多(二宮慶多)と、東京の一等地のタワーマンションに住んでいます。ある日みどりが出産した病院から連絡があり、慶多が取り違えられた子供だと言うのです。相手は群馬に住む電気店を営む斎木雄大(リリー・フランキー)ゆかり(真木よう子)夫婦の長男琉晴(横升火玄)。両家は話し合いの元、まずは週末だけ子供たちを、本当に親と一緒に過ごさす事にします。

冒頭小学校お受験の風景が。夏休みは父とキャンプに行って凧揚げをしたと答える慶多。面接が終わって、「キャンプは行ってないのに、どうして言った?」と聞く良多に、慶多は「塾で教えてもらった」と邪気なく答えます。もうこの時点から、監督は野々宮家に少しの嫌悪感を滲ませています。

毎日帰宅は遅く休日も仕事で、家庭の事は全て妻に任せて、子供と接する事の少ない良多。みどりは不満がいっぱいですが、古風な考えの人なのでしょう、良多の言いつけ通りの子に育てたいと、一心に愛情を注ぎ子育てしています。しかしマンションはモデルルームかホテルの一室のようで、まるで生活感がありません。一生懸命みどりが巣作りしても、「母と息子」二人では、広すぎるのでしょう。

対する雄大は、お金にはみみっちく甲斐性なしですが、子供3人を実によく世話をし遊びます。私が好感を持ったのは、家族サービスではなく、自分も楽しんで子供と遊んでいる事。彼自身が子供だとも言えますが、こういう光景を見て、嬉しくない妻はいないでしょう。そして認知症の妻の父親とも快く同居しており、一人家に置いてきた父親のため、忘れずに「カツカレー一つ」と注文したのは、ゆかりではなく、雄大でした。家はあばら家で、ゆかりも容赦なく子供を怒鳴る、がさつな肝っ玉母さんですが、温かくたくましい生活感が溢れています。

私が上手いなぁと思ったのは、慶多は大人しくお行儀よく、琉晴はやんちゃで元気いっぱい。その家庭に似つかわしい子に育っていた事です。子供とは環境だなと思います。

こんな対照的な家なのに、母二人はまるで姉妹のように、同じ感情を共有します。6年間手塩にかけて育てた「他人の我が子」が、愛おしてく堪らないのです。子育てした人ならわかると思いますが、子供が一番可愛い時期だと同時に、自分を母親にしてくれた6年のはず。一心に自分を愛し求める子供に応えようと、夢中で日々を過ごしたはずです。この記憶は、例え子供が他人だったとしても、決して消せないものです。子供の交換に躊躇するゆかりに、良多は「血が繋がっていなくても育てられるのか?」と問いますが、「子供と繋がっている自信があれば、育てられる。そう思えないのはそうじゃない父親だけだ」と、きっぱり言い返します。全くその通り。ゆかりは答えながら、自分の夫は育てられる人であると、誇らしかったかも知れません。

劇中何度も泣くみどりですが、私が一番泣かされたのは、帰宅の電車の中で慶多を抱きしめ「二人でどこかへ行ってしまおうか?」と言うシーン。家庭を顧みない夫に不満を持っていたでしょう。しかしそれを忘れるかのように、懸命に子供を愛した育てた日々は、同時に夫と繋がっていると確信出来る日々でもあったはず。慶多は他人の子である、みどりはそれを否定されたのです。しかし慶多を愛した日々は本物。夫の子でないなら、自分ひとりの子として、誰も知らないどこかに行って暮らしたい思うのは、当然です。書いててまた涙が出ちゃうわ。

そしてみどりは、母親なのに何故わからなかったかのと、自分を責める。この様子にも泣かされました。あなたはちっとも悪くないのよ。母親だって、それも新米じゃないの、絶対わかりません。しかし良多は事実を知った時「やっぱりそうだったのか」と言い放ちます。最悪のセリフ。それも妻の前で。子育てを一手に妻に任せておいて、このセリフ。勝気な自分に似つかわしくない、優しい慶多に不満を持っていたのですね。のちに妻にこの言葉の事で逆襲された時、覚えていないと言う。本当に無自覚に失言する夫ほど、始末に悪いもんはないです(私もゴマンとしてきた怒り)。

良多は所謂勝ち組で、負けを知らない男だと描かれていましたが、そうではないと、後半から描かれます。「子供は二人共育てたい。金は渡すから」の良太の発言に激怒する斎木夫婦。当たり前です。しかし「金が誠意だと言ってたじゃないか」とポツリ。それは病院に対して言ったんです。第一妻には一言も相談なし。人の気持ちがわからなさ過ぎです。

良多は何不自由なく妻子を養っているのだから、責めるのは可哀想だと言う方もいるでしょう。しかし彼は妻子を幸せにする為に、仕事を頑張っているのではありません。自分のためなのです。彼の人生で学業や仕事が一番で、妻子はサイドストーリー。だから家庭を心配する上司(國村隼)が部署を変えをした事が、不満なのです。一見斎木家の方が幸せだと見えるのは、貧乏でも温かい家庭だよと言っているだけではなく、大黒柱である夫の、家庭へ温度差を浮き彫りにしていたと思います。

しかしこれこそ、彼の父親(夏八木勲)からのDNAみたいです。義母(風吹ジュン)と如才なく会話する兄(高橋和也)と比べ、未だにお母さんと言えない良多。育ててもらったのにです。その事はわかっているはずの義母ですが、優しく兄弟を包んでいます。大人になった今でも敬語で父と会話する兄弟、「お母さんは、ハズレくじを引いちゃいましたね」と冗談を言う兄から良多の育った家庭はそれなりに裕福で、良家だったように感じました。それが今は安アパートの暮らしです。暗に血に固執する良太の父の言葉を、否定していたのかも知れません。確かに「血は水よりも濃し」の父親の発言は正論です。しかしそればかりに捕われていては、一番大切なものを見逃すのじゃないでしょうか?

当時の看護師(中村ゆり)の登場と発言は、少し強引。彼女の義理の息子を登場させたかったからかと思いました。あぁ良多は、昔の自分に復讐されているんだなと感じます。彼の生い立ちを探っていく後半で、やっと良多の歪さがどこから来るのか、理解出来ました。

子供が生まれて、すぐに親になれるものではありません。自分のお腹で育てた母親より、父親の方が遅くに親になるのは、仕方ないのかも。うちの三男は予定外の子で、結婚10年目に生まれました。上二人とは8歳と7歳離れています。長男が「あいつ(三男)が生まれてなかったら、お母さん、お父さんに我慢出来ずに離婚していたと思う」と言われた時は、びっくりしました。図星だからです。うちの夫は子供が三人となって、やっと家庭を顧みるようになりました。長い10年でした。

良多は琉晴から父親としてダメ出しを喰らい、敗北感一杯だったでしょうね。何故あんな甲斐性なしの雄大に負けるのか、屈辱だったでしょう。それを経て、懸命に父親となろうとする良多。「そして父になった」彼が出した答えは、世間からはずれているけど、私はエールを送りたいと思います。ゆかりの言った「このままじゃ、ダメなのかしら?」のセリフを聞いた時、私は同調したので。

二宮慶多が激カワ。つぶらな瞳が、観客の心を掴むこと必死です。琉晴役の横升火玄も自然体で良かったのですが、群馬に住むと言う設定なのに、何故滋賀の子を起用?この年代で言葉の修正は難しいです。彼の関西弁が飛び出す度に、違和感が。これは火玄君に罪はなく、キャスティングの問題だと思います。頑張って演じている彼が可哀想になりました。

福山雅治は、うーん、可もなく不可もなく。あの生活感の無さが、良多に合うと言えば合うし、別の人でも可と言う気も。リリーさんは今回も好感触。でも雄大には良多と自分を比べて、甲斐性の面で卑下する部分もあって、良かったかなぁ。あのまんま「これでいい!」と自信満々に思われても、と言う気はします。尾野真千子と真木よう子は文句無し!

是枝監督を愛したくなりました。監督の人柄も感じる作品です。あの場面この場面、じっくり語り尽くしたい作品です。年甲斐もなく、また子供が育てたくなりました。


2013年09月27日(金) 「ビザンチウム」




とっても良かった!昨日は「ウォーム・ボディーズ」の予定でしたが、この作品が週末からイブニング一回だけと知り、急遽予定入れ替えで観ましたが、本当に見逃さず良かったです。ニール・ジョーダン監督久々のヴァンパイアもので、前回の「インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア」と打って変わり,今回は女性二人、それも母娘の道行です。

清楚な16歳のエレノア(シアーシャ・ローナン)と8歳年上の妖艶なクララ(ジェマ・アータートン)の姉妹。クララは海辺の「ビザンチウム」と言う元ホテルに、言葉巧みに持ち主の男性を言いくるめ、滞在します。実は二人は姉妹ではなく母娘で、200年の時を生きるヴァンパイア。しかし彼女たちの属する秘密結社は、女性のヴァンパイアは許されておらず、二人は各地を転々として逃亡しています。孤独と逃亡の辛さに疲れ果てていたエレノアは、フランクケイレブ・ランドリー・ジョーンズ)と言う白血病の少年と知り合い恋に落ちます。そして彼に自分の秘密の全てを告白しようとします。

冒頭、秘密結社の男に追われるクララのシーンが、ちょっとしたアクション映画並みで、上出来。「どんな役でも引き受けます」のジェマですが、アクションも出来るとは知らなんだ。あの手の振り方は、結構走れる人なんでしょうね。秘密結社の男役に、私の好きなデンマークのトゥーレ・リントハート。彼が出ているなんて知らなかったので、超得した気分。

逃亡にはお金が要るもの。二人は何を生業にしているかと言うと、クララの売春です。「彼女は何故かすぐに客を見つける」と言うエレノアの独白がありますが、その理由も後で拾っています。

クララの事を愛しているエレノアですが、同時に抑圧され鬱屈した感情も持っています。それは人間のティーンエイジャーと変わりません。ヴァンパイアものは永遠の命を持つ苦しみを描く事が多いですが、エレノアの苦悩は「忘れられない」事。年が行くと物忘れが激しくなるもんですが(私も絶賛進行中)、永遠の16歳の彼女は、母の語った話、自分の体験など、200年間分全て覚えている。人生は良い事ばかりではなく、苦しみや哀しみ、恥ずかしかった事など、辛い記憶も多いはず。私は年齢を重ねた人が忘れっぽくなるのは、神が与えし恩寵だと思っています。それが全てを覚えていたら、どんなに苦しいか。自分の秘密を紙に書いては捨てるエレノアが、とても理解できます。

忘れなさいと娘に教えるクララ。彼女だって、全て覚えているはず。なのに、感傷など一切感じさせない獰猛さと逞しさです。これはひとえに娘を守りたいからです。彼女はエレノアには決して売春させません。汚れた事は一手に自分が引き受ける母。それは母親の業で、娘に永遠の命を与えてしまった贖罪なのでしょう。「あなたのために、私がどれだけ頑張っているか!」と、重い母性を振りかざすクララですが、根源の部分では娘に詫びたい気持ちがあったと思います。繊細さと清楚な心を失わないエレノアですが、矢面に立ち続けたクララあっての事でしょう。

ヴァンパイアはヴァンパイアになった瞬間時が止まるので、8歳差の二人は謎でしたが、それも回想場面で解けました。あちこち思わせぶりな描写があって、気になっていましたが、現代と過去を上手く交差させ、判りづらい事はありません。200年前は幻想的なゴシック調で美しく描き、ヴァンパイア好きの思いも汲んでくれます。

ジェマはビッチで暑苦しいママを大奮闘で熱演。ユーモラスな役からエロビッチまで幅広く演じて、個人的にはどれもハイアベレージだと思います。日本で言うと、鈴木砂羽に似てません?今回半裸で豊満な肉体美も惜しげなく披露していて、其の辺も好感度大です。シアーシャの少女期の美しさを見られるのは、これが最後でしょう。彼女も全編出ずっぱりで、親離れしたい、でも母を愛してやまない葛藤、そして切ない恋心と、少女役最後(勝手に決めてますが)にふさわいし透明な存在感でした。

200年も男だけの結社なんて、時代錯誤な!と怒っていたら、最後はちゃんと現代の感覚が反映されていました。200年も生きているんだもの、学んで成長しているんですね。この味付けも今までに観たヴァンパイアものとは少し違い、新鮮でした。俳優は他に、フランク役のケイレブの繊細さと、サム・ライリーの如何にもイギリスの優等生的な、誠実な美青年ぶりが印象に残っています。

親離れ子離れとは、果てしなく時間がかかるもんだなと、ラストを観て思いました。そのきっかけにも注目してね。血の禍々しさとロマンチックさが上手く共存した、「美しい」お話です。


2013年09月25日(水) 「凶悪」




冒頭「実話に基づいたフィクションです」と出ます。そのフィクションの部分が私と合わなかったのか、色々手を広げ過ぎて、やや散漫になっている気がしますが、大変力作だと思います。取りあえず必見作。監督は白石和彌。

雑誌記者の藤井(山田孝之)は、死刑囚の須藤(ピエール瀧)からの手紙により、彼の元、刑務所に面会に行きます。須藤は自分が犯した殺人は他の数件あり、その黒幕は「先生」と呼ばれる不動産ブローカー木村(リリー・フランキー)だと言うのです。太陽の下でのうのうと暮らしている木村を許せない、告発したいと言う須藤。編集長の反対を押切、須藤からの聞き取りで独自の調査を始めた藤井は、段々と核心に近づいて行きます。

最初に三つの殺人事件が描写されます。それがため須藤は捕まったのですが、核心は実はもっと他の方向にありました。前半は凶暴の限りを尽くしている風の須藤が描写されます。しかしすっかり改心し、悔い改めたと言う面会室の須藤の姿は、憑き物が落ちたように穏やかで、、こちらも半信半疑に。それは藤井も一緒だったはず。

木村と須藤は昵懇の仲で、二人は共謀して老人を殺害しては、土地を転がしたり保険金を騙し取るなど、繰り返していました。この様子が挿入されるのですが、いやはやこれが、まるで再現フィルムさながらの迫力。多くの配役に無名の人を使っているのが功を奏し、本当にあった事のようにリアリティがあり、常に嫌悪感を持ちつつ見続けてしまいます。それが単純に暴力もエンタメだよなと、面白がって観ていた「冷たい熱帯魚」とは、違うところでした(これはこれで私は大好き)。

老人たちは認知症やアルコール依存症だったりと、世間から置き去りにされた老人たちばかり。世の中に用無しなんだから、心を傷めなくてもいいんだよと、言わんばかりの木村と須藤。被害者の共通するのは、先祖代々の土地持ちである事です。中にはその事で法外な借金をこしらえたくせに、自分に甲斐性があるから借金出来たと錯覚している被害者もいる。その様子を憎々しげに語る木村の様子から、彼の生い立ちは貧乏で、苦労したんでしょう。それは須藤も一緒でしょう。老人の命を錬金術師のようにお金に変える彼らの、根源的な乗り越えられない過去なのかも。

しかしターゲットに、何も迷惑をかけていない老婦人(白川和子)まで手を伸ばす様子は、やはり「殺人鬼」なのだと痛感します。老人=老害。彼らはこの思考だと思っていたけど、そうじゃなくて、お金になれば誰だっていいんでしょう。てっとり早く殺せて、犯罪が発覚しづらいというメリットが一番で、老人を物色していたのだと思います。要するに、「死んでも良い年齢」だと、警察の操作も手抜きになるんだよと言う事です。改めて老人は弱者であると、これも痛感します。介護事業所が絡んでいるのも、怖かったです。

でも「嫌悪感を持ちつつ」私が見続けていたと言う事は、興味があったわけです。ざっくばらんに言うと野次馬根性です。藤井はかそれを妻(池脇千鶴)に見透かされ、「仕事に没頭していて、楽しかったでしょう?」と皮肉ではなく、直球で言われます。狼狽する藤井。彼は記者としての正義のため、夜討ち朝駆けで取材し、家庭もほっぱらかしにしていると、「自負」していたはずですから。

認知症の姑を抱えて、自宅にも戻らぬ夫に、妻の言い分はすごーくわかる。彼女には仕事であると同時に、夫の記者としての業が「娯楽」にも見えたのですね。でも、記者さんたちにそういう生臭い感情があるから、私たちはその記事に興味を惹かれ、読むのだと思います。家庭を犠牲にしてスクープをものにする彼らの正義感や誇りを、「悲哀」と言う視点で、見守っているのだと思うのですね。藤井の思いを踏みにじった須藤の証言を聞いても、「あなたはよくやった」と、いつもは厳しく冷静な編集長の労いの言葉に、それが集約されていたと思います。

藤井の記事が発端で、結局木村は逮捕。今度は木村にアプローチする藤井。「俺は死刑にはならないよ」と嘯く木村です。「俺を死刑にしたいのは、須藤じゃなくて」と言いつつ、薄笑いしながら、面会室のガラスをトントンと叩き、藤井を指差ず場面が秀逸。あれは藤井だけではなく、世間を指差しているんでしょうね。そういう思いは、この手の犯罪が明るみに出たとき、確かに世間が共有する感情ですから。

唯一私が残念に思ったのは、藤井の家庭の描写です。仕事にかまけて、認知症の母(吉村実子)の面倒を妻に任せきりにして、家庭は崩壊寸前です。その設定は良いのですが、描き方が雑。家庭を顧みず自分とも親とも向き合わない夫に、妻が怒り追い詰めるのはすごくわかる。でも「もう限界」は、あれくらいの描写では納得出来ません。ヘルパーが入っているとセリフにあるので、介護保険を使っているのでしょう。妻が留守出来るくらいなので、要支援ではなく、要介護を取っていると思われます。それなら少しでも子供が息抜き出来る様に、デイサービスやショートステイに通わせれば?言っても夫がわからないのなら、妻はケアマネや行政に頼る事は出来たはず。その描写がないので、切羽詰った感は、私は乏しかったです。徘徊も食い止めるのではなく、昼夜逆転して夜中に探し回るとか、失禁とか、もっと描きこめば良かったと思います。

ピエール瀧とリリーさんがあんまり上手いので、演技派として名高い山田孝之が霞んでしまう程。でもこれは、計算していたのかも?二人が引き立つ事で、より訴える事が鮮明になるから。しかし、自分たちは人の命をむしり取り悪行の限りを尽くしても、自分は生きたいのだね。凶暴で強欲なこんな犯罪者は、これからもいっぱい出てくるのだろうなぁと、そこには暗澹たる気持ちになるのでした。





 


2013年09月19日(木) 「共喰い」




えーと、好きな作品です。が!大小様々に文句言いたい箇所がいっぱい!何故それでも好きなのか、自分でも混乱しているので、今回ネタバレで書きながら検証していきたいと思います。監督は青山真治。

昭和63年の下関に住む17歳の高校生遠馬(菅田将輝)。父・円(光石研)と若い愛人琴子(篠原友希子)との三人暮らし。母仁子(田中裕子)は、セックスの時女を殴る夫の性癖を嫌い、川を隔てた家に一人住み、魚屋を営んでいます。現在の相手である琴子も、時々顔に痣を作っています。遠馬には深い仲の恋人千種(木下美咲)がおり、父と同じ事をするようになったら、どうしようという怯えが、いつも彼を支配していました。

特異な環境に育ちながら、遠馬はそれなりに真面目な高校生のようです。しかし神社の物置でセックスする二人にびっくり。盛のついた感じは、この年代らしいですが、千種の造形に私は疑問がいっぱい。この当時の夏は、今のような亜熱帯のような暑さではなく、高校生位の女子が日傘をするのは稀でした。原作もそうだったかな?

お嬢さんっぽさを醸し出す千種ですが、服を脱ぐと白いお臍まである木綿のショーツを履いている。う〜ん、ちょっと野暮った過ぎないか?この時代女子高生で、セックスまで行く彼氏のいる子は、少数派だったはず。そんな「発展家」の女子が履く下着じゃないな。勝負下着の概念も既にあったはず。結構女性の下着姿は語るんですよ。あの場面では清楚な刺繍でも施した、お臍より下のショーツだと思います。

何度体を重ねても、いつまでも痛がる千種に自信喪失気味の遠馬。しかし妙に達観している千種。そして赤裸々な言葉も平気で口にします。お互い初めてな訳でしょう?この千種の貫禄は、いったい何なんだ。普通は私の体はおかしいのではないか?と、悶々とするはず。あんな卑猥な表現も普通しないわ。最後までわからない子でした。

「なんで俺を親父のところに置いてきたのか?」と問う息子に、仁子は「あの男の息子やから」と答えます。同じ血が流れているからと。しかしそれは本心ではないでしょう。円が琴子が妊娠中に自分から逃げた時、「俺の子供を持ち逃げしやがった!」と憤っています。女性遍歴を繰り返しながら、遠馬はずっと手元に置いていたはずの父。彼なりに父親としての強い愛情を持っており、遠馬を手放さなかったのでしょう。仁子の後述で、息子は父親に殴られた事はないとわかります。だから仁子は籍は抜かず、少し離れたところから、息子を見守るために、あそこに暮らしていたのでしょう。

最初は不可思議で情の薄い女性に見えた仁子が、物語の中で彼女自身の言葉から、段々輪郭を表す手法は良かったです。戦争で失った左手を、婚約者の母からからかわれ、殴って破談にしてしまった程気が強かった仁子が、何故殴られても、円と一緒にいたのか?手がない事で見下して殴ったのではないと、彼女の口から聞いた時、理解出来ました。片手の為あれこれ差別され、手っ取り早く水商売にも行けなかったはず。彼女が戦後に舐めた辛酸までもが、忍ばれました。

それは琴子とて同じ事でしょう。「私の体が良いと言うから」と、バカ丸出しのセリフを言う琴子ですが、遠馬の誕生日の心尽くし等見ていると、女性として温かく行き届いた人だとわかります。多分身寄りもなく、教育も受けず、早くから水商売に出ているのでしょう。男遍歴もそれなりにあったはずです。円の必死の口説きに、真心を見たのかも知れません。父親の悪口を言う遠馬に、「お父さんをそんな風に思うのは、不幸な事」と諭す琴子。泥水の中でもがくような生活なのに、人としての心映えの美しさを見失わない彼女。人って職業や学歴じゃないなと、痛感します。私はこの作品の中で、琴子が一番好きです。

と感じるのは、ひとえに女優さん達の好演のお陰。何かイマイチ円は描き切れていません。女たちが逃げなかった重要な要因は、セックス以外では、殴らなかったからのはず。得体は知れませんが、仕事もしているし、決してヒモではなかったはず。日常では普通の円が、一旦スイッチが入ったら、狂気を孕む人だと思われます。それが仁子の言う「あの男がああいう目つきをするときは、気をつけんといけん」と言うセリフだけで、円の「あの目」は、私は劇中わかりませんでした。雨の中、逃げた琴子を必死で探すのは、絶倫で暴力的な性癖を持つ自分を受け入れてくれる女は、そうそういないからだと思いました。愛より性の男なのです。自分の性欲に翻弄され、その滑稽さも哀れさも自覚できない円。その無教養の哀しみが、こちらに伝わってこないのです。なので、千種を犯した事に平然としている様子も、ただの頭のネジが飛んでしまっている男に見えて、拍子抜けです。

重要なはずの円と琴子のセックスシーンなんですが、もうちょっと荒々しく描けなかったもんか。琴子の様子は良かったです。これから殴られるとわかっているのに、嫌がっていない。ちゃんと感じている風でした。それを変態ではなく、受け入れていると感じさせます。心と体が一致している訳ですよ。篠原友希子、上手かったなぁ。円はもっと動物的に描くべきでは?人間に見えてはダメと言うか。それを事後の後も萎まない、フェイクの性器で表現しているなら、違うと思います。

そして円に犯された千種の様子にも違和感が。傷ついているのはわかりますが、あんなに冷静にいられるもんかな?あの年頃の子が。極めつけは「マァ君は悪くない」です。いや約束の時間に来ていたら、親父にやられる事はなかったでしょう。あの台詞も原作にあるのかな?ホントにこの子はわからない。

父親を殺しに行く息子を制し、自分が向かう仁子。自分たち夫婦の因果を、息子に引き継がせてしまった事に、ずっと自分を責めていたのでしょう。殺す時を待っていたのかも。う〜ん、でも片手の女に、酔ってもいない大の男が、あんなに簡単に殺されるもんかな?このシーンも、もうひと工夫あればなぁ。商売道具の義手で仕留めたのは、もう娑婆には戻らなくても良いと言う母の決意に感じて、良かったです。

原作はここまでらしいのですが、この後も映画は創作で続きます。それは蛇足に感じました。仁子は「あの人」と言う言葉を用いて、天皇の戦争責任を問う発言をします。う〜ん、全くのこじつけに感じました。戦争で壮絶な痛手を負った人はたくさんいる訳で、懸命に生きてきたから、今の日本があるんじゃないでしょうか?その事に執着している暇はなかったはずです。この恨み言のせいで、凛とした仁子の人格が、少しぼやけてしまいました。

琴子も、お腹の子は浮気相手の子で、円の子ではないと言う。女のしたたかさを表現したかったのでしょうが、これも琴子のキャラを汚しています。私はそこで産むから「あの男の子供」になるわけで、知らない土地で自分一人で産めば、「私の子」になるからだと、彼女が逃げた理由を解釈していました。円のあの喜びようは、多分避妊していなかったのでしょう。同時に複数の男性と避妊なしのセックスをすれば、誰の子かわかりません。ドラマや映画で「女はわかるのよ」的な子宮信仰的な発言がありますが、そう思い込むのは、馬鹿な女だけです。琴子はそんな馬鹿には、私は思いたくないなぁ。

千種は仁子の魚屋を継ぎます。あんた、学校は?喧嘩している二人を心配する千種の母が、仁子の口から出ますが、ちぐはぐでしょう?当然反対するはず。それを押し切った風な台詞もなし。そして自分の性癖を気にしてセックス出来ない遠馬の手を縛り、騎乗位でセックスする千種。う〜ん、手を縛ったくらいで、気持ちが落ち着くかな?男の力ならその気になれば、足で押さえつけたり、踏みつけにしたりできると思います。血に苦しむ葛藤の落としどころがこれかい?と、また落胆しました。

それでも私が良い映画だと思えるのは、遠馬を演じた菅田将輝から、血の汚さに葛藤する少年の苦しみに、絶望ではなく未来と瑞々しさを感じたからです。それは遠馬が与えられた業が、自分の人生を左右する重要な事と捉えているからです。無教養な父親を超えた、真摯な人生観だと思います。仁子が無慈悲に「あの男の子や」と言い続けた本心は、ここにあるのだと思いました。

親の業や血の汚さに苛まれる子供はたくさんいます。大人になっても、その葛藤に縛られる人もいるはず。それはちっぽけな事なんだと、嘘くさく語るのではないです。だってちっぽけでは絶対ないから。もがき苦しみながら乗り越える姿を描いた事に、私は感銘を受けました。

ただ、父親の息子への気持ちは描けているのに、息子の父親への気持ちは、性癖を嫌悪する意外は、あまりわからない。この辺は、決して嫌いではないと描く方が、より遠馬の苦しみが浮き彫りになると思います。

役者は菅田将輝は文句なし。私の遠馬の感想も、彼なくば成立しません。それは田中裕子も篠原友希子も同じです。木下美咲は、どうなんでしょうね、私はイマイチでした。光石研は健闘していましたが、ちょっとミスキャストかなぁ。ハンサムな男性ではないと言う点では、着眼は良いと思いましたが、狂気と普段の生活の落差を、もっと見せて欲しかったです。

と、つらつら最後まで文句垂れていますが、感想を書き上げても、好きな作品だと言う認識は変わりません。色んな方と語って、もっと掘り下げてみたい映画です。うん、やっぱり好きです。


2013年09月12日(木) 「サイド・エフェクト」

スティーブン・ソダーバーグの映画からの引退作。うつの新薬に関するサスペンスと聞いて、製薬会社の内幕が暴かれる社会派サスペンスを期待しましたが、出来は着眼点の良い二時間ドラマ程度。高評価が多く、とても期待していたので、個人的に物凄く肩透かし感があります。

インサイダー取引のため収監された夫マーティン(チャニング・テイタム)の帰りを待つ妻のエミリー(ルーニー・マーラ)。やっと夫が四年間の刑期を終え戻ってきたのに、彼女はうつ病を再発。バンクス(ジュード・ロウ)の治療を受けることに。エミリーの前医シーバート(キャサリン・ゼタ・ジョーンズ)から新薬を勧められた彼は、エミリーに処方します。しかし薬の副作用で夢遊病に侵されたエミリーは、マーティンを刺殺。彼女は裁判で有罪か無罪か裁かれると共に、危険な薬を処方したとして、バンクスの地位も失墜します。しかし、シーバートととの会話から、バンクスは失地回復の糸口を見つけ出します。

前半はまずまず。薬害を訴えるエミリーの姿に、杜撰な治験の有り様が暴かれるのかと予想しました。でもこの時にも疑問が。この薬の治験には、5万ドルの報酬をもらい、バンクスも参加しています。薬は諸刃の剣であるのは、処方する医師が一番わかっているはず。副作用なんか、きちんと下調べするはずです。それをシーバートが隠していたと描いていますが、医師なら普通自分で把握するのでは?

バンクスがエミリーに熱を入れて診ているようなシーンもありますが、あれはルール違反。診察は診察室でが前提で、そののちバンクスのかつての過去が明かされると、なーんだ、学習出来てないじゃんと苦笑します。お金事情の世知辛さも描き、医師だって生身の人間ですから、人間くさく描くのは結構。でもそれはあくまでプライベートの部分で、バンクス以外でもこの作品に出てくる医師全員、まったく表の顔の、医師としてのプライドや倫理観を感じさせるシーンがまるでないのです。自分の保身と欲得がらみだけが強調されるので、キャラに含みが与えられず、片手落ちの感がありました。

それはマーティンやエミリー、シーバートにも言える事。簡単な説明のようなセリフと回想シーンだけ始末をつけているので、何故こんな事を起こしたのか、説得力に乏しいです。物語に深みを与えるはずの、登場人物のキャラが、描き込み不足に感じました。

と言う事で、謎解きの方に神経を集中させるかと鑑賞方向を変えてみれば、これが、は???と言うような強引な理由。エミリーの自殺未遂や思わせぶりなシーンは、何とか拾っていましたが、この真相はないよな。インサイダー取引が鍵だと言うのは良かったです。

エミリーの件で家庭も失いそうになり、焦燥感にかられたバンクスが、他の医師に薬を処方してくれと訴えるシーンは秀逸。アメリカはカウンセリング大国で、薬もすぐ処方するのでしょう。精神科薬に依存している人が多数いるのが忍ばれます。

エミリー役のルーニーは、清楚な外見に似合わず、何かあるぞこの娘感を絶妙に忍ばせて、したたかな感じを上手く出していました。キャサリンはエロエロビッチ過ぎて、もう〜。二時間ドラマの法則でした。ロウは薄らハゲが知的に見えて、医師役は案外似合っていました。

一番好きなのは、オチ。えぇ〜?これで終わりかよ!こいつに罰はないのか?と憤っていたら、ちゃんとサイド・エフェクト(副作用)が与えられました。副作用には副作用と言うことですね。皮肉と毒がいっぱいで良かったです。

と、個人的にはレンタル待ちでも十分の作品でした。勇んで見にいって、ちょっと損しちゃった。


2013年09月01日(日) 「スター・トレック イントゥ・ダークネス」(2D字幕)




このシリーズは、子供の頃テレビで放映(多分再放送)していたのを観た記憶があり、その後、確か高校生の時深夜帯で再放送した時に、またちょろっと再見。それは何度目かの再放送で、既にその時は大量のトレッキーが存在する、カルト作品だったと思います。私はSFが昔から苦手。科学的なものに対して、何の興味も感慨も湧かないタイプで、それ以降スルー。オリジナルキャストが出演していた劇場版も、この作品の前作も全て未見。そんな私でも、問題なく娯楽作として楽しめる作品に仕上がっています。監督はJ.J.エイブラムス。

西暦2259年。エンタープライズ号で、惑星ニビルを探索中のカーク艦長(クリス・パイン)は、副鑑賞のスポック(ザッカりー・クイント)の命を救うため、規律違反を犯してしまい、そのせいで艦長の職を解かれます。しかしその後、謎の人物ジョン・ハリス(ベネディクト・カンバーバッチ)の陰謀が明らかになり、やがてジョンは惑星クロノスに逃亡。カークは再びエンタープライズ号の艦長となり、ジョンを追うのですが・・・。

えーと、そんなSF大嫌いな私が観ようと思ったのは、ひとえに今後破竹の勢いで快進撃が予想される、カンパーバッチが出演しているから。彼の作品は「ブーリン家の姉妹」と「裏切りのサーカス」を観ているのみ。大評判のドラマ「シャーロック」も未見と言う体たらくなもんで、今作でも主役を食う演技だと読んだので、これは挽回しなくっちゃと思った次第です。

結論を言うと、彼は良かったです。「とても」は付きませんが。私は「裏切りのサーカス」の方が良かったです。まぁこの手の作品はアクションに目が行き易いし、カンバーバッチの真骨頂は、コレ系ではないと思われるので、次作に期待します。ニヒルでクール、素敵なのは間違いなしでした。

私が今作で一番良かったのは、クイント。スポック役はオーディションで選ばれたそうで、最終決定権は元祖スポックのレナード・ニモイにあったとか。その経緯もあってか、旧作を知る者に懐かしさを感じさせると共に、ニモイへの敬意を感じさせます。それでいて、若々しいクイントのスポックでもあると感じさせ、ベストな役作りだと思いました。私はスポックは非常にストイックは印象があったので、恋人がいる事に、すごーくびっくりしましたが。

私が高校生当時、サブカル雑誌などで、毎回キスシーンやお姉ちゃんとイチャイチャするカークの事を、「すけべえカーク」と揶揄していましたが、その片鱗も今回チラッと表現。まぁこんなに未熟で、よく艦長出来るなと思う節もありますが、これはドラマ編の前日譜。この荒削りな若さとカリスマ性を、パイク提督(ブルース・グリーンウッド)が見込んだのもわかる作りになっています。

物語が進むと、違和感なくその他の登場人物をを覚えている自分にびっくり。それほどスタトレを知らない私でも、ちゃんとクルーのキャラも覚えているのです(好きだったのはドクター・マッコイ)。この辺に、このシリーズの偉大さも感じました。

バルカン星人と地球人のハーフであるスポックの苦悩や、彼に友情や絆の意味を感じて貰おうとするクルーの思いも素直に伝わり、ドラマ部分も浅からず重からずで、娯楽大作としては、ちょうど良い塩梅に思います。

SFにしては、壮大な宇宙規模の描写は少ないです。畳み掛けるアクションシーンの連続は、とても楽しめるのですが、「ミッション・インポッシブル」シリーズみたいでした。そう言えばエイブラムスも監督していましたね。その辺がちょっと?と思いますが、そのお蔭でトレッキーじゃない私も、遜色なく楽しめたのですから、これで良かったのだと思います。

大作らしい豪華さも楽しめ、幅広い層に受けるように作ってあります。個人的には熱心なトレッキーの感想も拝聴したいです。


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