ケイケイの映画日記
目次過去未来


2013年03月28日(木) 「シュガー・ラッシュ」(2D字幕版)




三回泣きました。春休み、お子様いっぱいの劇場で、おばちゃん一人で鑑賞です。子供達と同じところで笑い、同じところでドキドキし、そして同じところで泣けたはず。年齢によって違う感想でしょうが、刺激される感情は多分同じはず。これって凄い事ですよ。久々にディズニーの底力を見ました。

とあるゲームセンターの閉店後。ゲームのキャラクターたちはコンセントを通じて行き交い、交流していました。「フィックス・イット・フェリックス」の悪役キャラ・ラルフは、30年間悪役生活の自分に疑問を持ち、ヒーローになりたいと思い出します。金のメダルを持てれば、自分もヒーローになれると、ひょんな事から、シューティングゲーム「ヒーロー・デューティーズ」の兵士と入れ替わり、念願の金メダルを得ます。しかし帰る途中で、悪玉キャラの卵も一緒についてきてしまい、飛行船の操縦を誤ったため、またまた別のゲーム「シュガーラッシュ」へと侵入してしまいます。そこでバグキャラであるため、仲間外れにあっている9歳の女の子・ヴァネロペと出会います。

冒頭の「30年仕事がある事は有り難いが・・・」以下のラルフの独白には、30代以上の大人ならどっぷり共感するはず。職場や家庭がそれなりに安定していても、何か違うんだ、別の自分を目指したいと想う心は、人としての(ゲームキャラだけど)成長です。ラルフの場合は、ゲーム時間が終わっても、自分だけ疎外され、汚いゴミ溜めの家に押しやられるのですから、この自我の萌芽は当たり前。物凄く理解出来ます。縁の下の力持ちに対して、この仕打ちはないでしょう。独りヒーローキャラのフェリックスだけは、ラルフの本当の善良さを知っているようですが、他のキャラの手前、彼を庇う事はありません。これも学校や職場の苛めの構図に似ています。

悪役ゲームキャラ達が、集会を持っている設定が上手い。悪役の役割を確認し、誇りを持って仕事しようぜと誓う彼らですが、こうやってモチベーションを保っているのは明白です。だって爽やかで強くて、いつだって人気者のヒーローキャラは、集会なんてしないもん。

卵が孵化しては大変な事になると、「デューティーヒーローズ」からはカルホーン軍曹(美人の女性)が出動。フェリックスも責任を感じて、ラルフを探しに共に「シュガーラッシュ」へ。いつも怖そうな軍曹には、実は哀しい設定がプログラミングされていて、彼女は未だその痛みを引きずっていました。う〜ん、上手い!プログラミング=トラウマと解釈しても良いでしょう。過去の呪縛から解けない様子は、男勝りな彼女から、女性らしさを感じさせます。

勝気でお茶目なヴァネロペですが、不良品と言う事で、せっかくレーサーとしてプログラミングされているのにレースに出られず、事故を起こすと自分たちもバグされてしまうと、他のキャラ達から疎外されています。またしても苛め!人に嫌われる孤独を、いやと言う程知っているラルフが、ヴァネロペと友情を結ぶのに、時間はかかりません。

ラルフは壊し屋、フェリックスは直し屋としてプログラミングされているので、それはどのゲームに行っても一緒。限界があります。特に自分のゲームではヒーローであったはずのフェリックスが、「シュガーラッシュ」では、その力が何の役にも立たない事に注目しました。フェリックスは性格の良い明朗なキャラですが、彼を通じて「井の中の蛙」と言う言葉を連想しました。

しかし自分独りでは、その特性を上手く使い切れない彼らが、他者からの助言で、「他人の庭」でも存分に活躍出来る姿を観て下さい。成長するには、自分の力だけでは限界があると言う事ですね。もし自分だけで生きてきた、ここまでやってきたと思うなら、それは不遜な事なのです。

もう一人大事なキャラがキャンディ大王。ある大きな秘密を抱えた彼は、世の中で妬みや嫉妬ほど醜いものはないと、思い知らせてくれます。自分の強欲を満たすため、他者を陥れへいきで嘘をつく。その頭がありゃ、どんな素敵なヒーローキャラにもなれたのに。これも教訓でしょう。

シューティングゲームは、画面いっぱいに銃撃戦が繰り広げられ、ここだけ切り取ってお話が作れそうな迫力です。「シュガーラッシュ」の方は、画像のように、キュートでスウィート感が満載。しかしレースの場面は、あの「カーズ」を彷彿させる出来で、スリルがいっぱい。可愛いキャラや背景に頼ってはいません。

コンセントで行き交いする様子、バーで一杯ひっかけたり、本音を語るキャラ達の人間臭さに、思わず感情移入する方も多いでしょう。ラルフがいないとゲームが機能せず、焦りまくる「フィット・イット・フェリックス」の人々も、現実社会の縮図かも?いなくなって初めて、その人の重要性を認識するのですね。ここは自警を込めて見なければ。

壮大な「旅」をしたラルフが、何を考え何を学んだか?人生の辛さや苦さから逃げず、自分で消化し納得する彼に、思わず泣いてしまいました。もちろんディズニーですから、ラストはご安心あれ。可愛い絵柄ですが、男の子女の子、両方に向く作品です。ストリート・ファイター、パックマンなど、お馴染みキャラも大挙出演。仕事に疲れたお父さん達に是非観て欲しい作品です。あなたのヴァネロペは、毎日家であなたの帰りを待っているから。もちろん私のように、大人の一人鑑賞もお薦めです。


2013年03月27日(水) 「ダークホース〜リア獣エイブの恋〜」

いや〜、すげぇ悲劇なんですけど。このポップなチラシを見ると、オタクを描くコメディ且つ成長物語みたいに思うでしょ?そんな事全然ありませんから。だって監督がトッド・ソロンズだもん。今までの作風同様、笑い難く毒のあるシニカルなユーモアが充満しつつ、ストレートな泣かせどころを最後に持ってくるなんて、ソロンズも50を越えて、心境に変化があったかもですね。私は声を殺して大変笑いました(だって観客7人だもん)。

ハゲ・デブ・オタク、その上のマザコンのエイブ(ジョーダン・ゲルダー)は30半ばの青年。性格も最悪の自己チューで、現在はパパ(クリストファー・ウォーケン)の会社で雇って貰っていますが、仕事そっちのけでネットを見てはフィギアを物色する始末。息子を甘やかしてしまったと後悔するママ(ミア・ファロー)ですが、それでも過保護の溺愛は変わりません。医師の弟(ジャスティン・サーバ)に差を着けられたエイブですが、「俺はダークホース。いつもで大成出来るさ」と、根拠のない自信が満々で、親の心配などどこ吹く風。そんな彼が美女ミランダ(セルマ・ブレア)に恋します。一度は断られたものの、何故か彼女はエイブのプロポーズを承諾。しかし彼女はある秘密を隠しており・・・。

とにかくオタクの描写が秀逸。ポロシャツの裾はズボンの中。買ったフィギュアに傷がある、交換しろと、開封したのにトイザらスに難癖つける。ダイエットする気もないのに、飲み物はダイエットコーラ。フィギュアやポスター、コミックでいっぱいの部屋をミランダに紹介するも、「俺はトレッキー(スタトレマニア)じゃないし。ハッハッハー」に至っては、生息地帯の違いで、お互い不穏な仲なのまでわかる。惜しむらくはリュック背負ってなかったのよねー。そして唖然とするほどの幼稚性が強く他罰的なのです。

どうしようもないわコイツと、親兄弟が思っていても、裕福なれば、息子を放り出せないのが親の情ってもんです。それが例え飼い殺しであっても。それを「両親には自分が必要だ」と大きな勘違いしているエイブ。

ミランダは初登場シーンからただ事ならぬメンヘラ感が充満。またセルマが上手いのよねー。投げやりで気だるく無表情。確かに美人だけど、これで一目惚れするのは、エイブも変と言うか、それ程女性を知らないのでしょう。おぉ、ここでもオタク男性の特性が。

私はメンヘラが隠し事だと思っていたんですが、そうではなく意外なものでした。って、えぇぇ!こう言うプロット大丈夫なのかな?関連団体から抗議されないのか?と思いましたが、大丈夫だったんでしょうね。でもなさそうでありそうな秘密は、観客もエイブと一緒に考えてしまいます。この辺の毒がいっぱいのセンスは、さすがソロンズと言う感じ。

さぁかつてない不安と葛藤がエイブに押し寄せる。これ以降は、妄想と現実を行ったり来たりの描写が続きます。妄想部分は、エイブが見ようとしなかった現実が突きつけられています。ママからは「同じに育てたのよ。弟は成功であなたは不良品」。弟からは「俺は努力したんだよ。賢くて悪かったねー、ハッハッハ」。普段はエイブに優しい会社の同僚マリーも、妄想の中では辛辣に彼を評します。でも普段彼に厳しいパパだけは、妄想に出てこない。出てきたのは、幼い頃背の高さを測った柱の傷に書いてある言葉だけ。ここで私たちは、思わず落涙するはずです。

誰も自分をわかってくれないと思い込んでいたエイブですが、本当は家族や同僚、そしてミランダにさえ愛されていたエイブ。でも時既に遅しなんですね。エイブは全然成長もせず救われもしません。思うに、大層な事を考えず、今自分に出来る力量・範囲の中で、コツコツ始めなさいよと言う教訓でしょうか?だって人生はトイザらスのフィギュアのように、返品は効かないから。後悔先に立たずと言いますが、後悔すらエイブにさせないところが、ソロンズらしい皮肉です。

ミア&ウォーケンの元カルト系美男美女の、老いを晒しながらの演技がとても楽しいです。ミアは可愛く品がよいので、溺愛ぶりのダメさより、エイブのマザコン息子のダメさ加減が上手く浮かびます。ウォーケンはね、お若い方は知らないでしょうが、シャープでハンサムだったんですよ。それがヅラをかぶり顔は弛みまくり。その弛みはエイブを心配する親心からだと感じさせます。

しかし何といっても、本作の白眉はエイブを演じるジョーダンですね。スーツ着て髪も上手く誤魔化しゃ、結構恰幅の良い男性で通りますよ。それがオタク青年の嫌悪感と、ちょっぴりの愛嬌を滲ます様子が絶妙でした。

何故一度振ったのに、ミランダが結婚をOkしたのか、その謎がわかります。あの嘘は相手を想う愛のある嘘ですよ。ソロンズファン以外には、何ですか、これ?だと思います。「ウェルカムドールハウス」「ハピネス」などに通じる物がありまくりなので、ちょっと気になるかも?と思われる方は、まずこちらからご覧下さいませ。待ってます(笑)。


2013年03月21日(木) 「キャビン」




斬新なホラーと言う事で、早速観てきました。う〜ん、面白かったし、私のムカついた部分は、後々回収されたのでまぁ良いのですが、ちょっと期待値は割ったかな?監督はドリュー・ゴダード。

人里離れた山小屋にバカンスに来たディナ(クリステン・コノリー)カート(クリス・ヘムズワース)ジュールス(アンナ・ハッチソン)マーティ(フラン・クランツ)ホールデン(ジェシー・ウィリアムズ)の大学生五人。この小屋で、惨劇が始まります。

スプラッタホラーのセオリー通り事が運ぶのに、確かに観た事がない設定です。早々に彼らはコントロールされているのが画面に出てきます。まずこの謎がだいぶ引っ張る。彼らは選ばれた五人と言う訳。

不気味なガソリンスタンドの店主が死を予言し、不穏な小屋の内部、若者たちのバカ騒ぎの様子から、ブロンドエロエロ嬢から毒牙にかかり・・・と、全くセオリー通りに事が運びます。これが二重の構図となっているのがミソなんですが・・・。

私が違和感があったのは、この若者たちが健全に青春を謳歌している感じの、気持ちの良い子達であった事です。何でこの子達が選ばれたの?男子は誠実で最後まで女子を守ろうとするし、ホールデンなど、黙っていても良さそうなマジックミラーの秘密をディナに伝え、部屋まで代わります。カートの決死の覚悟のダイブだって、自分が捨石になる気で仲間を救いたい気持ちからです。「淫乱」と言われるジュールスだって、仕掛けられた媚薬のせいでしょう?恋人のカート以外とは「やってません」し。マーティの葉っぱなんて、この子達の上を行くバカどもの乱痴気騒ぎに比べれば、大した事ありません。

と、この辺ずっとムカついていました。まぁこのバカどもにも鉄槌が下るので、これは計算済みなんでしょう。ムカついた以外は筋運びも上々、少しずつ捻れてセオリーから外れて行くのも、先行きをわからなくさせています。

中盤徐々に見慣れたスプラッタの光景が出て来て、謎が解明されてからの終盤、クリーチャー大集合で、たっくさんのモンスターが出てくる場面は、大量流血でこの作品のハイライト。しかしモンスターたちも管理されているとは・・・。彼らも住みにく世の中になったんですね。

ラスト解明のために出てきた某有名女優ですが、彼女が出てくる意味があんまりないなぁ。ちょっと興ざめのオチは、若者たちの血が、生贄のように感じたので、あんまり意外性はなかったです。このオチより、途中でマーティが「これは〇〇〇だ!」って叫んだ方にすれば、もっとブラックでリアルな怖さがあったと思います。でもこれ、違うんですよね?でもだったら、客って何?カートは何故「いとこの別荘」なんて嘘ついたのかしら?失敗した日本支部とかロシア支部などどうなったのか?等等、私には不問にはしづらいツッコミが色々有り、手放しとはいかなったのが残念です。

白人のディナとくっつけようとしたのが、黒人のホールデンと言うのは、ちょっと意外。人の良心を表すのも、人種が多数の中、黒人でした。こういう描き方は、今後も増えるのでしょう。視点を変えたホラーとして、まずまずだと思います。


2013年03月17日(日) 「クラウド アトラス」



訳わかりませんが、取りあえず感動しました。

スケールは大きい作品です。
19世紀から24世紀までの長きを渡り、トム・ハンクスを始め13人の俳優たちが、人種や性別を越えて複数名の役柄をこなし、それぞれの時代を生きるお話。繋がりが悪く、きちんと後始末出来ていないプロットもちらほらありますが、叙情的なシーンが多く、イマジネーションの広がりを感じる作りは、鑑賞後「美しい」と言う感情を残します。監督はウォシャウスキー姉弟(そう、「兄」だったラリーは性転換して、姉ラナに!)と、トム・ティクバ。

ストーリー紹介はバラバラなので、今回なし。出演者はトム・ハンクス、ハル・ベリー、ヒュー・グラント、ジム・ブロードベント、スーザン・サランドン、ヒューゴ・ヴィーイング、ジム・スタージェス、ベン・ウィショー、ジェームズ・ダーシー、ペ・ドゥナ、ジョウ・シュン、キース・デヴィット、デヴィッド・ジャーシー。彼らが一人で何役もこなしています。

たくさんのパートが出てきますが、私は好きなパートはウィショー&ダーシーのゲイカップル、ペ・ドゥナ&スタージェスのクローンと革命家のカップル。ゲイカップルの方は、愛情が手紙を通じて表現されます。画面に直接は映らぬ、その心の美しい事!ある決意をしたウィショーが、ダーシーの姿を離れて見つめる様子など、絶望的な状況なのに、エレガントな幸福感に包まれています。その後の数十年、ウィショーを想うダーシーの物静かな様子にも心打たれます。ダーシーはもうじき公開の「ヒッチコック」で、アンソニー・パーキンス役で出演。あまりに似ているのでびっくりしましたが、先に見たこの作品の好演で、俄然彼に興味が湧いてきました。

クローン&革命家パートは、「私はウェイトレス用に作られたので、貴方たちの役には立てない」と言っていたソンミ(ペ・ドゥナ)が、開放を夢見て生きていたクローンたちの哀れな末路を見て、やがて自我に目覚める様子は、何度も見てきたはずのクローンやアンドロイドの心模様です。それでも描き方や演じる俳優の力量で、素直に感情が揺さぶられます。革命家チャン(ジム・スタージェス)との愛も、ぎこちないソンミの様子が初々しく、ソンミを命懸けで守ろうとするチャンの男らしさと相まって、とても清々しい気持ちになります。アクションの振り付けが「マトリックス」を思い起こさせ、これはウォシャウスキー姉弟が監督かな?ゲイカップルはティクバでしょう。

メイクの工夫は、すぐわかる人・えぇぇ!の人ありで、楽しめます。でも欧米人を韓国人にするメイクは、ちょっと無理がありました。みんなミスター・スポックみたい(笑)。ペ・ドゥナのアメリカ人に変身も、これも×。カラコンを入れてつけ鼻をしていますが、元々平べったい顔の彼女は、やはりアジアンチャーミングのようです。その点彫りの深いジョウ・シュンのアメリカ人は上手くはまっています。意外だったのは、ヒュー・グラント。人食い族の原住民メイクがとても似合っていて、びっくり。ラブコメキングのヒューですが、最近容色の劣化著しく、これからどうするべ?と心配していましたが、今作は全編ほぼ全て敵役で、女っけまるでなしですが、存在感は際立っていました。嫌味な策士なんか似合いそうで、生き残れそうです。

テーマは「輪廻転生」と「愛」だと思います。三時間の長きをあっち行ったりこっち行ったりしますが、最後の一時間で繋がるように仕上げています。上手く拾えないパートもありますが、それぞれのパートが面白く、映像も力強いので、退屈する暇はありません。鑑賞後は作品の欠点より、それぞれのパートの正義や愛を描く心が強く残り、それを集約すると「美しい」と言う気持ちになります。

近未来は「マッドマックス」で描かれる荒廃した風景は見慣れていますが、それを過ぎての世界は、文明のまるでない世界になっているのは、少々ショッキングでした。人類の英知を欲望が滅ぼした、的なセリフはとても納得感がありました。私たちの子孫が流浪の民にならないように、切に願いたいです。


2013年03月14日(木) 「愛、アムール」



















何を書こう、どう書こう?感想を書こうと思っただけで、涙が溢れるのです。単純に見れば、厳しい老老介護に疲弊した老夫婦の顛末に見えるでしょう。でも私は違うと思う。これは二人の老夫婦の、子供の頃から現在までの「かくも長く美しい」人生の全てを描いた、神々しいまでに崇高な作品だと思います。いつもいつも、悪意に満ちた描写の羅列で、多くの映画ファンに「この先をどう思う?」と、不敵に微笑んできたミヒャエル・ハネケから、こんなにストレートな愛に包まれた贈り物を貰えるとは。彼を追い掛けて、本当に良かったです。本年度アカデミー賞外国語映画賞作品。

パリの瀟洒なマンションに住むジョルジュ(ジャン・ルイ・トランティニャン)とアンヌ(エマニュエル・リヴァ)夫妻。二人は共に音楽家同士で、一人娘のエヴァ(イザベル・ユペール)も音楽家となり、今は結婚してその息子も音楽家となり、離れて暮らしています。人生の終盤を悠々自適に楽しんでいた二人ですが、ある日アンヌの病気が発覚。成功率が高かったはずの手術は失敗。彼女の右半身は不自由になります。甲斐甲斐しく妻を介護するジョルジュ。穏やかに日々は過ぎて行きますが、やがてアンヌの病状は進行し、夫婦は追いつめられていきます。

アンヌの弟子の演奏会から帰宅する二人。広々とした空間の使い方、楽器や書物に囲まれたマンションは、しかし華美な雰囲気はなく、二人の教養や人となりを物語っています。「今日の君は綺麗だったよ」と夫。「あら、どうしたの?」と妻。顔は映らず声だけですが、穏やかな夫の表情、弾んだ妻の顔まで浮かびます。二人は80過ぎくらいのカップル。こういった会話は、例えフランス人でも、老いてなかなか出来るものではないでしょう。

娘のエヴァは父との会話の中、「子供の頃パパとママが営んでいる時の声を盗み聞きするのが好きだった。二人の絆を感じたから」と言います。意表を突かれました。語るエヴァは誇らしげです。二人は良き両親であるとともに、愛し合う夫婦だとも認識させていたのでしょう。

二人の中に常にあったのは、敬意と尊重だと思います。この気持ちは、娘に対しても同じです。浮気を繰り返している夫を持つ娘に、「愛しているのか?」と問う父。愛していると即答する娘。それだけです。気に入らぬ娘婿だと思います。しかし何も言わない父。ずっと三人は、こうやってお互いの気持ちを思いやり尊重してきたのでしょう。

半身が不随になり介護される立場になっても、夫婦の対等感は変わりません。感謝はすれど卑屈にならない妻。夫も淡々と応じます。夫婦の何気ない会話が、またこの夫婦を浮き彫りにします。「僕のイメージって?」「時々怖い時もあるけれど、優しいわ」「一杯奢るよ」。この時の少年のようにお茶目な夫の笑顔が素晴らしい。こうやって、いつもいつも会話して、親愛を深めていたのですね。

ある日妻は失禁してしまいます。硬く強ばった表情は、自分自身に対しての情けなさと怒りです。病人は自分で排泄することに拘るものです。それは人としての、最後まで残る羞恥心や尊厳だからでしょう。この頃から急速に妻の病は悪化。寝たきりとなり認知症の症状が出てきます。

変わり果てた母の姿に動揺する娘。泣いています。どうして黙っていたのかと父を詰る。「お前と同じくらいパパもママを愛している」と答える父。思いやりの嘘だと思いました。本心は「お前よりママを愛している」です。娘には仕事も家庭もあります。もし究極の選択を迫られたら、自分の家庭を取るべきだと、父は考えているのだと思いました。物言わぬ母も。何故なら人生を共に歩むのは、親ではなく夫婦だから。

妻の口が不自由になってからも、夫は妻に話しかけ歌を歌います。一生懸命「アヴィニョン橋」を歌う妻。子供の頃の記憶が蘇るのでしょうか、愛らしく童女のようです。そうかと思うと、オムツ交換や食事介助の困難、始終痛い痛いと叫ぶ妻の、痛々しい様子もありのまま映します。私が印象に残ったのは、妻が看護婦に入浴させてもらっている姿を、離れて哀しげに夫が見つめている様子です。妻は当然裸体。かつて何度も繰り返し見たはずの裸体です。老いた妻の裸には夫婦の愛の歴史も詰まっているはず。手伝うのではなく、やりきれず目をそらす夫の気持ちが、とても理解できました。

一年には四季があります。冬来りなば、春遠からじ。必ず春は巡ってきます。人生にも四季があると私は思います。春が過ぎ夏が来て。でも過ぎ去った春も夏も、もう二度と戻ってはきません。哀しいかな、その事に気付くは、人生の秋や冬です。そして冬の先に厳冬が待っている時もある。しかし今が厳冬だからと言って、美しい春や夏は、その人の人生から消え去るのでしょうか?妻の今の状態は、晩節を汚しているのか?そんな事は絶対にない。長く美しい人生の終盤のひとコマだと、私は思いたいのです。厳しい介護の様子を描きながら、何気ないながら、豊かでチャーミングな会話を随所に挟んだのは、私はその為だったと思っています。

何故厳しい介護を通じて人生の美しさを描くのか?70代で大学を卒業し、マスターズ陸上で90歳の人が記録を出し、それは称えられるべき事です。でも皆が出来ることでしょうか?あえて裕福な老人を主役にし、誰にでも平等に来る事柄を題材にして、人生を肯定して欲しいと、監督は思ったのではないでしょうか?決して皮肉で選んだ題材ではないと思います。

BGMはなく、食器のカチャカチャ鳴る音、水道の蛇口の音など、セリフ以外は、ほぼ生活音が響くだけです。日常の暮らし=生命のように感じました。CDやピアノが奏でられるのですが、それは彼らの過去を浮き彫りにしていると感じます。

一羽の鳩がマンションに飛び込みます。22年前、危篤の母の傍らに沿っていた私は、季節外れの蠅が迷い込んだのを見つけます。不衛生なのに、この蠅を殺したら、母まで亡くなってしまう気がして、私は泣きながら窓を少し開けました。母は55歳でした。夫は鳩をどうしたか?娘への手紙には「開放」と書いています。妻は母より30歳前後年上です。私も開放だと思いました。

今までのハネケなら、ここで終わるはず。しかし今作では、雪解け後の春の日差しを感じる場面が映るのです。夫の行いを肯定しているのだと感じました。「もう終わりにしたい」。初めの段階で、妻はそう語っていました。やっと私の気持ちを受け入れてくれて、ありがとう。妻の微笑みはそう感じさせます。

オスカー受賞のジェニファー・ローレンスも見た、素晴らしい演技で個人的にはジェニファーを優っていると思ったジェシカ・チャステインも見た。でも今年のオスカーの主演女優賞は、エマニュエル・リヴァに捧げるべきだと、心底思いました。与えるのでなく、捧げると。教養ある美しい老婦人の頃から、寝たきりとなり認知症となっても、魂は変わらぬと教えてくれました。その真骨頂が、無理やり口に入れられた水を吐き出すシーンです。その後、夫が思い余って妻の頬を打つ姿には号泣させられましたが、謝る夫に、無言で怒りに燃えた表情を見せる彼女の、凛とした気高さは本当に感動しました。

繊細な知性派俳優として、数々の名作で観たトランティニャンは、本当に久しぶりに観ました。彼も82歳、最初はすっかり老人になり寂しかったのですが、声を聞き、あぁ彼だと嬉しくなりました。声を荒げることもなく、静かにこの状況を受け入れるジョルジュ。しかし刻々と彼が追い詰められていく様子が、手に取るようにわかるのです。手伝ってくれる管理人の労いに、「ありがとう」と言う時の、心ここにあらずのそっけなさ。この状況に励ましなど、何の値打ちもないのだと、痛感しました。トランティニャンの演技も、本当に素晴らしかったです。

ラスト、呆けたように独りマンションに佇むエヴァ。応接間の椅子に座ると、段々と顔の表情が和らいでいきます。両親の辛さは、彼女は想像するだけです。真実まではわからない。それで良いと親は思っているはず。この家での想い出と共に、愛を受け取って欲しいと願っているはずです。ずっと夫婦だけ追い続けながら、最後は子供を思いやる親の心まで映すなんてと、また涙でした。この作品はハネケの両親がモデルとなっているとか。監督が如何に両親を敬愛していたか、悔恨と共にとても伝わってきます。

何を感じ何を思うかは、自由。とにかくたくさんの人に観て欲しい作品です。私には生涯の一本になる作品。



2013年03月10日(日) 「フライト」




予告編と全然違う作品。予告編では、デンゼル扮する機長は、フライト前に飲酒していたのかどうか、そこがキーポイントみたいに描かれています。それがあなた、冒頭フライト直前だと言うのに、同僚CAのお姉ちゃんと事後の後だは、飲酒はおろかコカインまで吸引!しかし予想は外れたものの、以降お話はアルコール依存症男性の人間ドラマに移っていきます。身近でアルコール依存の患者さんを観る機会も多いので、とても興味深く且つ共感しながら観られました。監督は久々の実写のロバート・ゼメキス。

アトランタ行きの旅客機が突如制御不能に陥り、機内は大パニック。しかし機長のウィトカーの機転と抜群の操縦テクニックで、飛行機は別の場所に不時着。犠牲者は最小限に留まります。自らも傷を負ったウィトカーをは、多数の乗客や乗組員と共に入院。組合の幹部で友人のチャーリー(ブルース・グリーンウッド)が、ねぎらいの見舞いにやってきて、簡単な調査があると告げます。しかし全米のヒーローとなるはずだったウィトカーは、血液検査でアルコールが検知。それがバレれば、彼は身の破滅で、ヒーローが一転重罪人です。事態を重く見た会社は、辣腕弁護士のラング(ドン・チードル)をウィトカーに引き合わせます。

上に書いた以外でも、フライトの最中にもオレンジジュースにアルコールを混ぜて飲酒する様子も出てきて、ウィトカーはかなり重度のアルコール依存症だと印象づけます。私がびっくりしたのは、アルコールの酔い醒ましにコカインを吸引していた事!もうびっくりでした。この描写は後にも出てきます。

旅客機事故は機体に問題があり、ウィトカーの責任ではありません。しかしお酒を飲んで操縦機を握っていた事がバレれば、彼は終身刑かもしれないのです。これは私の推測ですが、チーフパーサーのマーガレットの言葉、酔っ払ったウィトカーを正気に戻すためにチャーリーが取った行動を見ると、彼らは以前から飲酒しながらウィトカーがフライトしていたのを、知っていたと感じるのです。そして初めて彼と仕事する副操縦士。「あの時酒の匂いがした」と言いながら、咎めない。今まで仕事に支障がなかったから、周囲は見て見ぬ振りをしてきたのか?これは恐ろしい事です。アメリカ映画を観ていると、飲酒運転がすごく多いのが、以前から気になっていました。事故しなければ良い、そういう社会に対して、問題を投げかけているのかと感じました。

そしてアルコールが検出されていることを、簡単に揉み消せるのかと、これもびっくり。やっぱりアメリカって問題多いなと痛感します。これは事故は機体の問題であると言う前提があるのでしょう。そう言う意味では不承不承納得出来るので、脚本の勝ちかな?

真実から逃げ回るウィトカー。マーガレットや副操縦士に嘘の証言を頼みに行くという惨めさ。それでもお酒は止められません。アルコール依存症は病気なので、専門的な治療が必要なのは言うまでもありませんが、それ以前に「治したい」と言う意志が必要です。彼にはその気持ちがありません。妻子に捨てられても「俺は家族より酒を選んだのさ」と豪語します。嘘に嘘を重ね、逃げて逃げて安住する場所がなくなって、誰も彼に寄り付かなくなっても、それでもお酒を飲み続ける彼。見ていて本当に辛くて嫌になってきます。

彼がどうしてこんな重度の依存症になったのか、作品では描かれません。女性の依存症患者はキッチンドリンカーと称されますが、それは料理酒が始まりの事が多いから。お酒は麻薬などではなく、上手に付き合えば百楽の長と言われたり、人生の楽しみの一つです。最初は些細な事から始まり、やがて取り返しのつかない事になるのでしょう。それは誰しも待ち受けている落とし穴だと言いたいが為、あえて依存症の理由は描かなかったのかと感じました。並行して描かれる依存症女性ニコール(ケリー・ライリー)など、志を持って都会に出てきたのに、最愛の母の死の辛さを乗り越えられず、また薬に逆戻り。誰しもが依存症に陥る隙があると示唆しているかと思いました。

ちなみに私はほとんどお酒は飲みません。そんな私がウィトカーの姿に怒りを覚えず共感までしたのは、理由を描かなかったからでしょう。彼は弱い人間です。私も自分は強い人間ではないと自覚があるからです。機長、飛行機事故という身近にはない題材にしながら、自分の身に引き寄せて考えられるのは、デンゼルの演技と監督の手腕だと感じています。

最後の最後まで自分はダメな人間ではないと、「偽りの誇り(ウィトカーの言葉)」を手放さなかった彼が、どんな着地をしたか?意外でした。そして涙が出ました。今の今まで、そんな気はなかったでしょう。しかし依存症とは、名誉の殉死と称えられても良いはずが、その事で、死して尚鞭打たれ、濡れ衣まで着せられそうになる。やっと目が覚めたのですね。彼の証言は、死者の尊厳を守るだけではなく、自分の「本当の誇り」を見つけた瞬間だったのかも知れません。

デンゼルだけではなく、ケリーの演技もとても良かったです。あの何とも言えぬ薄汚い感じは、依存症患者(とりわけ女性)特有のものです。彼女が断酒会に入り、仕事を見つけ、「変わりたい」と決意してからの変貌までを、しっかり演じていました。

ウィトカーとニコールが出会う場面で、ガン患者の言った「あなたは彼女と出会うために、事故が起きた」と言う言葉が深く心に残ります。そういえば、多分この患者もニコチン中毒ですね。私はお酒・タバコ・ギャンブル、そして依存的な薬もなし。でもこれだけ映画を観るのは依存症なのか趣味なのか?そしてネットの前にいる時間も、家族の誰よりも長い。う〜ん危ない危ない。自問自答したくなる作品です。


2013年03月03日(日) 「ジャンゴ 繋がれざる者」




長い映画は嫌いです。でも観たい。どこを取ってもこの作品、面白そうでしょ?オスカーでは助演男優書@クリストフ・ヴァルツが取るし、監督のタラは脚本賞も受賞。私的にはオスカーは脚本賞を取った作品が、その年一番面白いと思っています。もうびっくり、最高ですよ。三時間弱一瞬も飽きさせず、様々な感情が刺激されまくり、とにかく面白い!「アルゴ」も好きなんですけど、私がオスカー会員なら、絶対この作品に投票したなぁ。監督はクェンティン・タランティーノ。

1800年代半ばのアメリカ南部。奴隷制が横行していた時代です。ドイツからやってきた歯科医のキング・シュルツ(クリストフ・ヴァルツ)は、今では賞金稼ぎ。次のターゲットの顔を知らないため、手荒い方法で相手の顔を知る奴隷のジャンゴ(ジェイミー・フォックス)を買取ります。奴隷制に嫌悪感を持つシュルツはジャンゴをパートナーとして尊重。ジャンゴに銃の使い方を教え、やがてはシュルツの得難いパートナーとなります。実はジャンゴには離れ離れになった妻ブルームヒルダ(ケリー・ワシントン)がおり、必ず連れ戻そうと決心していました。妻のドイツ系の名前から故国の神話を思い出したシュルツは、ジャンゴに協力。ブルームヒルダは、今は非道であると有名なカルビン・キャンディ(レオナルド・ディカプリオ)の農場にいると、突き止めます。

冒頭で「ジャンゴ〜♪」のメロディと共に、懐かしい感じのタイトル風景が出てきて、一気に心が鷲掴み状態。これはフランコ・ネロ主演の「続・荒野の用心棒」で流れていたメロディです。これ以降、奴隷制批判、賞金稼ぎの様子、一途にお互いを思うジャンゴとブルームヒルダの愛を描く中、飄々と泳ぐシュルツの、心の変遷が描かれます。

とにかく筋が面白い!先が読めないんです。ずーと、どうなるのか目が離せない。その間に登場人物たちのキャラをくっきり浮かび上がらせ、如何に奴隷が家畜以下に扱われていたか、白人の蛮行の限りを丹念に描きます。当然見ている方は嫌悪感と怒りがマックス湧きます。

私が特に印象強かったのは、心身を陵辱される黒人たちの様子より、キャンディ家の狡猾な執事スティーブン(サミュエル・L・ジャクソン)や、キャンディの愛妾のような存在の美しい黒人奴隷。同じ黒人を見下し、白人と同じ立場になったように、奴隷の虐待を面白がったり無関心な様子が、本当に怖い。マンディゴと呼ばれる格闘用奴隷(闘犬の奴隷版のようなもの)が、相手に対して一瞬の情けを見せるのとは対照的です。このマンディンゴたちは、相手の奴隷を殺さなければ、自分が殺されるのです。これらは、白人がどうの黒人がどうのと言うより、人間はその時代の価値観の擦り込みで、これ程までに冷酷で残酷になれるのかと、戦慄する思いです。

オスカーの時、ドイツからきたリポーターが、是非この作品に作品賞を取って欲しいと言っていて謎でしたが、さもありなん。白人は全部悪い奴ばっかりで、「良い白人」はシュルツだけ。ナチスは映画に描かれる事が多く、歴史を背景にした作品の時は、必ず悪者のドイツ人ですから、今回の役どころは、国を挙げて喜んで当然ですね。「イングロリアス・バスターズ」でナチス将校役でオスカーを取ったヴァルツが、今回も賞をゲットなのはそういった縁を感じます。曲者ですが、ここ一番に非情になれず、良心の葛藤を見せるシュルツを、ヴァルツは善き人に感じさせる好演です。

ジェイミーはとってもカッコイイ!黒人が西部劇の主役は見た記憶がないですが、とてもはまっていて、さすがです。ケリーも美しさより愛らしさを強調して良かったです。レオは冷酷非道なキャンディを、嬉々としてやっている感じが、とっても素敵。元々演技は上手いのですから、主役に拘らず癖のある脇役でこれからも演じて欲しいです。って、休養するのか。ジャクソンは本当に憎たらしくて、こんな彼は見た事がなかったので、新鮮でした。でもこの人たち、これほど演じてもオスカーにはノミネートされなかったんですね。やっぱ白人を非道に描きすぎたから?タラの監督賞もノミニーなかったしなぁ。


















マンディンゴの場面で、キャンディの賭け相手で元祖ジャンゴのフランコ・ネロが出ています。これは新旧ジャンゴが会話する場面。私はネロを劇場で観たのは、「キャメロット」のランスロットしかないので、むさいマカロニウェタンの彼より、このように紳士的な方が好きです。お年を召してもハンサム!

タラお得意の無駄話は、今回はKKKを思わす場面で出てきます。いつもより短め。実に納得出来る会話で面白かったです。超面白い娯楽作で、スケールのでっかい作品。タラの人間のスケールも実は大きいのかも?とまで感じて、私は彼の作品で一番好きです。早くも今年のNO1候補です。


ケイケイ |MAILHomePage