ケイケイの映画日記
目次過去未来


2012年06月28日(木) 「ロボット 完全版」




30分短縮の日本版が好評を呼び、公開が実現した3時間バージョンです。日本版に乗り遅れ、完全版が公開されると聞き待つこと一ヶ月。完全版は一日一回レイトかイブニングのみのため、一発勝負の土曜日2時45分の回を、やっとこさ観てきました。私は長い映画が苦手で、出来れば全部90分前後で観たい派なので、途中寝落ちしないか危惧しておりましたが、体感二時間ちょいくらい。楽しく鑑賞出来ました。監督はシャンカール。

10年の歳月をかけ、バシー博士(ラジ二カーント)は自分とそっくりのロボット、チッティ(ラジニカーント二役)を作ります。博士はチッティを軍事用ロボットにしたいため、アシモフの三原則はプログラムしていません。超人的な能力のチッティを完全なものにするため、感情までプログラムする博士。チッティは博士の魅力的な恋人サナ(アイシュワリヤー・ラーイ)に恋しますが、折しも二人は正式に婚約。サナを巡って喧嘩になる博士とチッティ。怒った博士はチッティを分解してしまいます。そこへ博士の研究を横取りしたい科学者が、チッティを回収。チッティをそそのかし新たに殺人プログラムを組み込みます。

完全版はヒンドゥー語ではなく、タミル語で公開だそうな。もちろん私には違いはわかりません。もっともっと豪華絢爛で、金銀で目が眩しいのかと思いきや、予想を裏切り意外とまともな筋立てでした。博士が軍事用のためチッティを作ったと聞いた時は、へぇぇぇ!と違和感がありましたが、考えればインドも核保有国、お隣のパキスタンしかり、身近に戦争を感じるのでしょう。現在IT大国として名を馳せるインドの様子も、丁寧と言うか、素人向けにわかり易く描いてあります。

お話はよくあるストーリーで、「ピノキオ」と一緒ですね。人間に恋し、人間に成りたかったロボットのお話で、それを肉付けするストーリー展開やミュージカルシーンが巧みに繰り広げられ、飽きさせません。キャッチが「わけわからんが面白い」なので、どんなトンデモかしら?と予想していましたが、特に破綻は感じず、ミュージカルシーンが何箇所か唐突だったくらいかな?なのに長尺作品は苦手な私を飽きさせなかったのは、さすがだと思いました。ラスト近くのバトルは、私は怪獣もんにはあまり興味がないので、正直ちょっと弛れましたが。

しかし内容より何より、私が一番びっくりしたのは、ラジニの若さとアイシュの美しさ!インド映画ビギナーのワタクシですが、それでもラジニが国民的俳優で還暦過ぎているくらいは知っています。それがあなた、普通にアクションしておる。もちろんCGは使っていますが、それにしても驚異的な若さ!何か秘薬でも飲んでるのかしら?インドだし(いやいや)。
























そしてこの人!ワタクシ、今や絶滅種の「絶世の美女」と言うのを久しぶりに観ました。最近職場で今の女優で誰が美人か?と言う話になり、私が「シャーリーズ・セロン」と言ったきり、後続なし。それくらい美しさは多様化してしまい、誰が観ても美女と言う人は本当に少なくなりました。アイシュが美しいのは知っていましたが、動く彼女はもっと魅力的。インドの女優さんらしく肉付きがよく、セクシーなのに愛らしいと、雰囲気も満点。ダンスも上手で、キンキンキラキラの衣装も抜群に似合う。お人形さん的ではない、生身の女が香っているのも素晴らしい。正直サナさんは性格は良いとは言い難いのですが、これ程美しいんだもの、何でも許せるわ。正しく美しさは罪。これくらい大騒動起こすのも納得でした。

ラストはかなり強引ですが、上手く感傷的にまとめてあります。劇場はほぼ満席でした。ブームがまた来るのは難しそうですが、インド映画上映の際は、私もまた足を運びたく思います。



2012年06月23日(土) 「愛と誠」




ふざけた映画です。元作とは全然違うアプローチで作っています。でも拡大解釈と言うか、掘り下げれば、愛や岩清水のキャラなんて本当はこんなもんかもなぁ?とも思います。私は真剣に観ていなかったので、それなりに楽しめました。

幼い時、自分を助けてくれた大河誠(幼少時・加藤清志郎、少年期・妻夫木聡)が、札付きの不良になっていると知った財閥令嬢の早乙女愛(武井咲)。愛は全身全霊を尽くし、誠に更生してもらうと誓います。愛を愛する同級生の岩清水浩(斎藤工)は、それをじっと見守っていました。

えーと、有名だと思う原作ですが、実に40年ほど前なんですね。映画の方は一作目が西条秀樹・早乙女愛の主演、以降二作、愛はそのまま早乙女愛、誠は南条浩二、加納竜。ドラマも作られており、主演は夏夕介と池上季実子でした。
こちら、元作の早乙女愛。確か公募で選ばれた新人の彼女、役名をそのまま芸名にしたはず。当時すごい人気でしたが、今観ると、そう美少女でもない。早乙女愛は清純派をかなぐり捨てて、日活の「女猫」に出た以降の方が、女っぷりも上がりずっと素敵でした。秀樹の方は言わずとしれた、当時の大アイドルですね。

と言う昔話はさておき、こちらの作品は、一応ミュージカル仕立て。曲目は「激しい愛」「空に太陽がある限り」など、昭和歌謡大全集の趣。私は小学校高学年から洋楽を聴き始めたので、当時のアイドルのレコードは一枚も持っていません。しかし当時のアイドルの偉いところは、そんな生意気な小娘にも、ワンコーラス歌えるくらいに深く記憶に残っているところですね。単純に楽しかったですが、バックの踊りがどーも。武井咲の「あの素晴らしい愛をもう一度」の、フォークダンス風ノリ、斎藤工の下手クソなダンスは狙っているんでしょうね。これはユルユルでわかるんですが、それ以外の郡舞的なダンスは、もっとしっかり踊れる人を配置した方が、メリハリが効くし良かったかも?

あっ、それと金粉ショー!これも下手クソでしたが、私が子供の頃は、限りなく裸の美女が金粉塗りたくって、テレビで踊っていました(いやほんまに)。金粉ショー=昭和な香りがします。まぁこれも、もっとちゃんと踊って欲しかったかな?

原作も誠一筋の愛お嬢様ですが、考えてみれば相当変な人ですよ。この勘違いやウザさは、面白おかしく描いたら、こうなるわな。岩清水君も当時そんな言葉はなかったけれど、今思えば完全にストーカーだしね。そう思えば納得です。誠が全然強そうでないのに(妻夫木君ですから)、多勢に無勢でバッタバッタと敵をなぎ倒して行くのも、何とも懐かしい風景です。昔のアイドルは、喧嘩のシーンになると急に強くなったもんです。

一番楽しかったのは、伊原剛志演じる座王権太登場シーン。歌い踊る「狼少年ケン」は私が大好きだったアニメで、思わず小声で歌いそうになってしまいました。でも座王権太、全然覚えてへんねんねぁ。高原由紀もガム子も覚えてんのに。観ながら早乙女家の運転手がチラッと出てきて、「この人は西田さんだ」も思い出したのに。

高原由紀を演じるのは大野いと。で、この子、どちらさん?台詞まわしは下手クソだわ、可愛くもないわ、何で起用されたん?あの幼いムードの高原由紀がお望みなら、もっと他になんぼでもいたでしょう?野暮った過ぎ。武井咲の愛の鬱陶しさは笑えたけど、この子が出てくると、何かテンション下がりました。ごめんね。

全編狙ったチープさで昭和を香らせる事には成功していたのに、終盤やけに真面目に泣かせにかかるので、こちらも真剣になってしまうと、アラが見えてきます。細部は忘れましたが、誠の実家が離散した理由は、あの額の傷にあったはず。それを母に変更してしまったのは良いとして、あの描き方なら、誠に息子だと名乗らしてはあかんでしょ?母に気付かせないと。ラストは三部作をまとめるための苦肉の作でしょうが、あれでは雑。時間もこの手の「イロモノ」にしたら長すぎ。全編お笑いで通して、90分くらいにまとめて欲しかったです。

でもなんだかんだ言いながら楽しめたのは、笑わせてくれたから。早乙女愛と夏夕介は共に50代で他界。昭和の大アイドル秀樹も、現在闘病中。南条浩二はまだ役者しているんでしょうか?加納竜もほとんど見かけない。池上季実子だけは瀬戸際で踏ん張っていますが、それでも同世代の大竹しのぶや名取裕子に比べたら、物足りない現状です。昭和のビックネーム作品だった「愛と誠」は、今は寂寥感を抱かせる作品となりました。だから笑わせてもらったので、寂しさではなく、懐かしと感じたので、この作品が私にはOKの一番の理由です。ご覧になるなら、くれぐれも真面目に観ないように。絶対1800円ではご覧下さりますな、も付け加えておきます。


2012年06月20日(水) 「泥の河」




宮本輝の川三部作は、だいぶ以前に読んだものの、映画の方は全て未見でした。「泥の河」も、今回観た九条のシネ・ヌーヴォでは、時々上映していますが、いつも時間的に合わず未見のままでした。今回台風前の静けさの中、無事鑑賞。月曜日の朝10時20分の回と言うのに、劇場は7割方入っていて、生前主演の田村高廣が「自分の出演作で一番好きな作品は『泥の河』」と言ってた、伝説的なこの作品の力を思い知ります。上映の度足を運ぶ、そういうお客さんが多いのではないかと思います。公開当時まだ未成年だった時より、今の自分の方が数段深く味わえる作品でした。監督は小栗康平。原作は読んでいますが、大昔過ぎて忘れてしまっているので、今回細かい比較は出来ません。

昭和31年の大阪。安治川の川縁で食堂を営む晋平(田村高廣)貞子(藤田弓子)夫婦の一人息子の信雄は、小学校三年生。ある日川に船が留まっているのを見かけます。そこには信雄と同じ年のきっちゃんと姉の銀子が、母親(加賀まり子)と三人で暮らしていました。きっちゃんと友達になった信雄は、銀子も一緒に自宅に遊びにくるよう誘います。二人を丁寧にもてなす信雄の両親。しかし父は信雄に、「あの船に夜は近づいたらあかん」と言います。船は郭船と呼ばれ、きっちゃんたちの母親は、客を取って生計を立てていたからです。

バラック建ての家、舗装のされていない道、ランニングに半ズボンの男の子たち。車ではなく、まだ馬で荷を運ぶ人もいます。もう戦後ではないと言われた昭和31年ですが、晋平の言葉に取り残された人々もいるのだとわかります。「戦争で死んだ方が良かったと思う人もいるやろ。」と言う台詞。

生き残った事の罪悪感、生き残った命を精一杯生きる。私が今まで観てきた映画は、その二つしかなかった気がします。しかし晋平は、死んだ方が良かったと言うのです。戦争を生き抜いても、事故死ししてしまう人もいる、犬死だと。何とか生活出来ている晋平ですら抱える虚無感。高度成長に取り残された人々もたくさんいたのだと、今更ながら感じます。晋平の言う「スカの人生」が、頭にこびりつきます。

そんな晋平をもう一度「生きたい」と思わせたのが、40回って出来た信雄だったのでしょう。この夫婦は妻の略奪婚だったようです。温厚・誠実を絵に書いたような晋平、明るく働き者の貞子。一見そのような陰りは全くありません。普通なら離婚してまで一緒にならなかったでしょうが、それ程子供の誕生は、当時の生き甲斐のなかった晋平の人生を照らすものだったのですね。訳あり夫婦は、訳ありの銀子ときっちゃんにも、何も聞かず温かく接します。夫婦とも罪を感じていて、それが他人への優しさや思いやりに変化しているのだと思います。

信雄に「お名前は?」と優しく尋ねる銀子。貧しい暮らしの中、育ちの良さを感じさせる物腰は、父親が生きていた頃は、さぞ温もりのある家庭であったろうと感じさせます。育ちの良さは、氏素性や経済的なものではありません。如何に愛情に恵まれた生活だったか、私はそう思うのです。行儀の悪いきっちゃんとの違いは、そのまま姉弟の年齢差です。銀子は幸せだった時を充分に覚えているのでしょう。

晋平の前妻(八木昌子)が死の床に付き、信雄に会いたいと言います。この心情は物凄くわかる。自分が産めなかった、愛した男の子供の顔が観たいのです。自分に子供がいたら、前妻が身を引くことはなかったでしょう。「信雄はあてが産んだ子や!」と、憤る貞子。妻としての自分に自信がないのですね。たかが子を産んだくらいで、この傲慢さ。さもしい嫉妬ですが、貞子の不安もわかるのです。この家族は、まだ小さい信雄だけを一人寝かせ、衝立を隔てて夫婦が寝ています。川の字ではないのだなぁと思っていましたが、これは貞子が夫の傍で寝たかったのですね。これはいつか夫が自分の元から居なくなるかもしれない、その怯えなのでしょう。着物に身を包み、結局前妻を見舞い謝る貞子は、女として立派だったと思います。

きっちゃんの母は、夢のように美しい女性でした。こんな汚い郭船には似つかわしくない、淑やかな美貌です。夫の生前も船での暮らし。一時は子供のために船から上がり、工場勤めもしたと言います。とても複雑ですが、私は彼女が夫を今でも愛しているが故、この船で客を取っているのかと感じました。彼女ほどの美貌なら、子供を養うため、妾稼業も出来るはず。しかし一人の人に身を任せるのは忍びなかったのでしょう。ゆらゆら海に漂っているのは、彼女の心なのですね。地上に魂はないのでしょう。懐かしい夫との思い出の船の中だけに生きる彼女。客を取り糊口を凌ぐには、やはり子供のためでしょう。母親のよがり声を聴きながら生活する姉弟。それがどういう事か、子供心にわかっているはず。銀子の子供らしからぬ聡明さは、同性として母親の女心を包んでいるのだと思います。それが出来ないきっちゃん。祭りの後の出来事は、歪な心を蟹にぶつけているのだと思いました。

自分の子供の頃、大人の世界を朧気に理解できているのに、知らない振りをしていた事を思い出しました。親も知らない事です。また都合良く、親も知らないふりをしていた事もあります。信雄ときっちゃん・銀子の出会いと別れを観て、形を変えて自分にもそういう事があったのだと、今懐かしく思い出しています。それで良かったのだと。

モノクロの映像は美しく、公開当時の昭和56年によくあんな風景がまだ残っていたなと、びっくりしました。細々した日常を映すだけなのに、とにかくどのシーンも心に染み入るのです。当時の子は親の顔色を見ながら生活するも、子供は親が大好きだったのがよくわかります。それは今の子供たちだって、同じはず。昔を懐かしむのでなく、昔が良かったとも、全く語らない作品。だから時代を越えて愛されるのでしょう。今の時代の「泥の河」を描く作品が作られないかなと思います。


2012年06月17日(日) 「スノーホワイト」

ご存知グリム童話の映画化。みんなが知っているお話ですけど、スタンダードなのは、ディズニーの「白雪姫」では?だからぱっと思い浮かぶのは、こっちだと思います↓


















実は原作はもっとグロいのですが、その原作とも視点を変えて、一般に知られる内容を大胆に脚色、ダーク・ファンタジーに作られています。私的には有りの脚色で、現在向かうところ敵なしのシャーリーズ・セロンの好演もあって、大人の鑑賞に充分満足出来る作品となっています。監督はルパート・サンダース。

昔々あるところに、可愛いお姫様がおりました。その子の名前はスノーホワイト。しかし王妃は亡くなり、スノーホワイトの父である王が妃に迎えたのは、魔女のラヴェンナ(シャーリーズ・セロン)。ラヴェンナは王を殺し、自分が女王となり、幼いスノーホワイトを幽閉します。七年後、魔法の鏡に未来を問うラヴェンナ。鏡は「あなたの栄光は今日まで。これからは世界一美しいスノーホワイトの時代です」と告げます。怒ったラヴェンナは、スノーホワイト(クリステン・スチュワート)を殺そうとしますが、機転の利くスノーホワイトは、命からがら、城を脱出します。

意地悪継母、魔法の鏡、七人の小人、毒リンゴ、王子様のキスなど、お馴染みの場面は全て描かれますが、全部捻りの効いた脚色です。今までの「白雪姫」との一番の違いは、スノーホワイトと継母の描き方です。今までの受身一辺倒、運命に身を任せ、誰かの助けて生き延びた姫ではなく、今回の姫は、過酷な運命に抗い、自らその苦難を切り開こうとする賢さと凛々しさがあります。そして自分の出自の誇りを失わず、民を第一に考える高潔さがあり、現代にマッチしながら、クラシックでもある姫のキャラは、大いに好感が持てます。

継母の方は、今までその背景を語られる事はなかったはず。今回の解釈では、時の権力者に焼き払われた村の生き残りで、その事を嘆き恨む母の妄執の願いで、ラヴェンナは魔力を持ったように描かれます。類い稀な美貌を武器にのし上がるも、簡単に相手に裏切られ、男を恨む過去も忍ばせます。邪悪ですが、充分に彼女への同情も生まれるキャラです。


私は何も知らず、セロンが魔女役だから観たのですが、これが結構なコスプレ大作の趣で、城の造形、追っ手の兵士から逃げる姫には白馬が用意され、魔の森のダークさも丹念に描かれます。妖精の森は美しく実にファンタジックで愛らしい。終盤の戦いの様子も、お子様向けの「白雪姫」とは言わせない本格的なもので、結構興奮しました。

で、セロンに完全に負けていると言う噂のクリステンですが、私は充分健闘していたと思います。そりゃ美しさから何から、セロンに見劣りするのは致し方なし。しかし若く美しく、そして正しい心を持つ少女は、汚れた者の心も正しくさせ、人としての誇りを目覚めさせる。そういう高潔な姫を演じて、私は充分合格点を上げられる演技だったと思います。

そしてセロン「様」。もう様をつけちゃおう!彼女の「俺は女優だよ!(漢字の俺ね)」的、男前な演技には感動すらします。今回は怖〜いラヴェンナの冷血な様子、その裏の哀しさ、そして圧倒的な美しさ、全て満点。彼女の好演あってこそ、ラヴェンナに同情出来たと言うものですよ。そして果敢に老けメイクも披露します。年齢的に40前と女優としては微妙な時期にさしかかっているセロン。その輝く美貌が邪魔していた時期もありますが、邪悪な女王として貫禄たっぷりに敵役を演じる彼女は、今や完全無敵。作品選びもバラエティに富んで、必要とあらば裸も辞さずの彼女。女優として完璧だと思います。私はメリル・ストリープを継ぐのはセロンだと思うな。ちょっと美人過ぎるけど。

他の主な登場人物に、姫を助けるハンターのクリス・ヘムワーズと、幼馴染の王子役サム・クラフリン。クリスは豪快さにはちょっと欠けるけど、心ばえの清潔な様子は作品の世界観に合っています。なるほど彼なら、「白い肌の異常な夜」にはならず、あの時身を引く様子も納得でした。サムはイマイチ印象薄く、毒リンゴの時、やっと出番だよと思っていたら、えぇぇぇ!何故?となりました。その後の展開で存在意義が発揮されるという、噛ませ犬的存在ですが、まぁやっぱり清潔感があったので、良しとしよう。

七人の小人は、てっきり本当に身長の小さい人が演じると思っていたら、あらあの人じゃん、この人も!と見知ったオッサン名バイプレーヤーがCGで小さくなって演じていて、楽しいです。むくつけきオッサンたちですが、やっぱり小人になると可愛いです。ユーモアは薄い作品ですが、彼らのパートのみクスクス笑えるのは、やっぱり俳優の力量かな?

吹き替え版も用意されていますが、どちらかと言うと大人が味付けの作品です。小さなお子様では、ちょっと怖過ぎたり気持ち悪い場面もあるので、私はファミリー映画としてはあまりお薦めはしません。観ても小学校中学年以上くらいかな?大人には文句なしにお薦めします。


2012年06月14日(木) 「サニー 永遠の仲間たち」

ご覧になった映画友達の方々の、熱〜い感想に惹かれての予定外の鑑賞です。これがびっくりするほど面白い!意外性もなく繰り広げられる内容は、鉄板と言って良い予想出来るものなのに、とにかく笑って泣いて、また笑っては泣きの連続に大変満足しました。でもよくよく思い返してみると、ちゃんと風刺もメッセージも込めているのですよね。監督はカン・ヒョンチョル。

優しい夫、高校生の娘を持つ専業主婦のナミ。恵まれた生活だとは自覚していても、物足らなさを感じる日々です。ある日入院する母を見舞ったナミは、「サニー」と名付けた高校の時の仲良しグループのリーダー、チュナが入院しているのを見つけます。チュナを見舞ったミナは、彼女からガンで後二ヶ月の命だと知り愕然とします。ナミが何かして欲しいことは?と問うと、「サニーのメンバーに会いたい」と答えるチュナ。ここから25年ぶりの再会を目指し、ミナの奮闘が始まります。

冒頭、大都会ソウルでも裕福な暮らしだとわかるナミの日常が映ります。娘は思春期で、ちょっと扱いづらそうですが、夫は仕事が忙しくミナの母の見舞いにいけないのでと、代わりにバッグを買うよう妻にお金を渡します。普通に良い家庭ですが、どこか居心地が悪そうなナミ。

チュナは特別室に入院中。もう退院出来ない事を思えば、膨大な入院費が掛かるはずです。相当出世した模様。しかも独身で他に親兄弟の存在も見えない。出世した後知り合った人と違い、バカもやった、恥ずかしい事も知っている昔の親友ナミの出現は、孤独に死と向かい合っていたチュナにとって、どんなに救いになった事でしょう。

まずは自分たちの母校に向かうナミ。鮮やかに当時の回想と切り替わる場面は澱みなく、ここから現在と昔が交互に描かれます。手法は手際よく、どれもこれも鮮やかです。ナミが田舎からソウルにやってきた転校生だった事、対立する少女グループがいたこと。家庭が綿密に描かれるのは主人公のナミだけですが、他のメンバーのキャラも立っており、親の職業なども簡単に語られるのは、25年後に繋ぐためでしょう。親は教師だったり、やり手の裕福な美容師だったり、歯科医だったり。しかし現在の彼女たちの境遇は、その生い立ちからは想像し難いものです。平凡な家庭から裕福な主婦へとなったナミの例もあれば、その逆で転落の一途を辿った者、家庭にがんじがらめの者まで多様です。独り者のチュナしかり。親の庇護の元、ある意味横一線だった学生時代と違い、親元を巣立った後が本当の人生が始まるのだと感じます。特に女の子は、夫選びが人生を大きく左右するのは、これは日本も韓国も同じです。

当時の風俗や出来事なども描いています。当時政治的に過度期だった韓国で起こった学生運動。暴動場面に嘴の青い少女たちの乱闘場面をユーモラスに挿入したのも、女子高生たちには、知ったこっちゃないを表現しているのでしょう。あの当時を描くと、どうしても暗く重たくなりがちですが、こんな楽しくお気楽な青春も実際はあったのだと、観客に思い出して欲しいのだと思います。

女子高生ですから、もちろん恋愛もあり。サニーはどうも硬派な女子高生たちのようで、煙草はOK、でもシンナーは御法度、恋愛の扱いも仄かなものです。当時も発展家の女子高生はいたでしょうが、やはり初恋の扱いは、この方が甘酸っぱい。サニーたち憧れの君が、当時の感じをよく表現した好青年だったのも良かったです。この子、名前はわからないのですが、とてもノーブルなハンサム君です。チャン・グンソクより10倍は良いと思うので、これから出演増えればいいなぁ。

どれもこれも秀逸なエピソードなのですが、気になる箇所が二つ。サニーたちが、イジメを受けるナミの娘を救う場面ですが、救急車送りの者を出して、あの仕舞い方は如何なものか?ナミの夫はエリートだし、学校関係もあれでは済まないのでは?もう少し練って欲しかったです。これ以上に気になったのが、上記のシンナーのせいでサニーから除外された少女の事。演じた少女の好演もあって、この子の背景やその後を知りたく思いました。あのまま救済がないのは、ちょっと冷たくはないか?ナミがデッサンを手渡すシーンは、私は要らないと思ったので、そこはぶいて、この子の行く末を描いて欲しかったです。

この作品が韓国で大きな観客動員を生んだのは、女性開放の祈りが込められているからでしょう。顔を整形しただけではなく、性格まで猫を被って変えたメンバーのジニは、ひとえに玉の輿に乗りたかったからでしょうね。恵まれすぎていると感じるナミは、夫の甲斐性に感謝を通り越して引け目すら感じているようです。家庭を守らなければ申し訳ない、そのため長い間、自分の人生の主役は夫と子供になっています。

夫の浮気に、すったもんだしたあげく目をつぶるジニに、メンバーの一人チュンミは「韓国の女は結局は男に従うんだよ」と言い、独身のチュナの葬儀は「独身だと寂しいもんだわ。だからあんた、離婚しないの?」と、ジニに言います。並みの男以上の出世をしたチュナは、人に言われぬ苦労の連続だったはず。しかしチュナの死を心から哀しむ親友とて、無意識にこんな言葉を吐くのです。これが韓国の現状なのでしょう。

それを鮮やかに救ったのがチュナの遺言です。サニーのリーダーだった彼女は、友情を永遠に誓い、メンバーの苦境には駆けつけると約束していました。頑張っても頑張っても、陰ではあれこれ言われたろうチュナの人生の、私は一世一代の女の意地が、あの遺言だったのではと思います。

同じような筋書きのドラマの連続にブーイングの入院中のお婆ちゃんたちや、敵対グループのリーダーに言わせる言葉などに表現されるように、この作品は確信犯的にベタな展開を狙っているのでしょう。しかし挿入される数々のエピソードには、全てメッセージや当時の風刺が入っているのは、丁寧で知的な演出だと思いました。なので本当に上記二つの疑問が惜しい!

ラストのオバサンたちのサニーをBGMに踊る姿は、とにかく号泣します。オバサンだって踊っていいのよ。自分の人生の主役は自分なんだから。葬儀の前の、ナミが出張の夫を空港まで出迎えるシーンが好きです。夫を労い娘に父親を立てる事を教えています。今まで自信のなかったナミが、夫に対して引け目ではなく感謝の心を表しています。同じ事をしているようで、彼女の気持ちの中で対等になったのですね。これもチュナからの贈物だと思います。昔を懐かしむのは、今を元気に生きるため。そうでなきゃ。オバサンだって大志を抱け。オジサンもね。


2012年06月12日(火) 「外事警察 その男に騙されるな」




騙されるなって、こういう事だったのかぁ。元はNHKで放送されたドラマの映画化ですが、私はドラマは未見。いくらフィクションでも、この内容でよくNHKで放送出来たなぁと、びっくりしました。ところどころ、何かおかしいと思う箇所もありますが、俳優さんたちの迫力の演技の前に、観ている間はすっかり忘れちゃった。面白かったです。監督は堀切園健太郎。

大学施設から、核兵器についての機密書類が盗まれます。その時朝鮮半島から濃縮ウランが持ち出されたと聞き、日本政府は極秘に公安に捜査を依頼。刑事四課のチーフ住本(渡部篤郎)の元、部下(尾野真千子、北見敏之ら)が集められます。まず目をつけたのは、5年前に来日し、子連れの日本女性香織(真木よう子)と結婚し、日本国籍を取得した奥田。住本らは香織に近付き、密かに協力を要請します。

えーと、日本はスパイ天国だと言うのはよく聞く話で、昨今も中国大使館の人間がスパイだったと話題になったばかり。でも日本の公安も、CIAみたいな諜報活動をしているとは、正直びっくりでした。いやフィクションなんですから、これを鵜呑みにしているわけではありません。でも近しいことはあるのでしょう。ターゲットに近づくのに、身分を偽り、どこからか子供まで調達する様子はびっくりでした。

人の弱みにつけ込み協力者に引きずり込む様子は、虫酸が走ります。相手の何を利用して味方にするのか?と部下の尾野真千子に聞く住本。私は怒りだと思いました。ビンゴ。やっぱりね。人心を我が手に納めるためには法スレスレ、もしくは逸脱した事もやってのける住本。

日本政府、韓国政府入り乱れ、二重スパイが暗躍し、「国益を守れ」のお偉方の号令の元、丁々発止の狐と狸の馬鹿仕合が、繰り広げられます。爆弾騒ぎが起こり、殺人や銃撃シーンもありますが、基本アクションよりも、手を変え品を変え、心理戦で相手を追い詰める場面が印象に残ります。アクションは花を添える程度。でも充分にスリリングです。これに香織や科学者の背景を取り入れながら、ドラマ部分に厚みを加えています。

出演者で出色は真木よう子と科学者役の田中泯。田中泯の初登場シーンは、目だけが異様にギラつき、息を呑みました。深く皺の刻まれた顔に、背負ってきた過酷な過去を感じさせますが、目だけがとにかく鋭い。その目が虚ろになったり優しさを帯びる時は、哀しみを表します。真木よう子は、天涯孤独の母親の葛藤を、情熱的に好演。「あんたたちが私の幸せを奪ったのよ!」と言う矛盾極まりないセリフが、彼女の口から出ると、本当に切なく納得できます。整理しきれなかった奥田への愛や情の発露だと思う。「頼りない母親でごめんね」と幼い娘に泣いて詫びた時は、私も一緒に泣きました。薄幸さよりも、気の強さが上回る印象の香織の、本当の姿だと思ったから。この二人の御陰で、ドラマではなく、きちんと「映画」だと認識出来ました。

渡部篤郎は割と器用な役者で、この人も得体のしれない感が魅力の人です。人を人とも思わず、心を踏み躙る割には、人の心の善を信じ、韓国NSI役のキム・ガンウ(彼も好演)に甘いと言われます。しかし基本は相手の気持ちを騙すと言うか、手段の為には弄ぶような事もするのね。しかし最後のシーンで同じ事を見せられて、それを笑顔で受け入れる私がいます。最初の嫌悪はどこへやら、虫酸の走る住本に共感させられたのですから、映画は成功だったのでしょう。

大手配給の邦画は(今作は東映)お手軽な作品が多く、イマイチ私も足が向きませんが、この作品は大人の鑑賞に耐えられる重みのある作品だと思います。


2012年06月07日(木) 「私が、生きる肌」




帰ってきたド変態。もちろん今作の監督ペドロ・アルモドバルの事です。近年巨匠にお成りやそばして、円熟味たっぷりの貫禄の演出で、コンスタントに秀作を送り出す監督。しかし大昔の変態でヘンテコで、でも純粋で、人間って滑稽だけど愛しいわと言う作品群を知る私には、少々寂しく物足りなさもありました。が!今作に置かれましては、昔のパワーが蘇っております。今回アントニオ・バンデラスとは20年ぶりのコラボだそうで、そう言えば私はその前作「アタメ」が一番好きなアルモドバル作品です。バンちゃんが眠っていた監督の変態を起こしたのよね、うんうん。人を選ぶ作品ですが、私は大満足でした。

スペインの形成外科医ロベル(アントニオ・バンデラス)。人工皮膚に関して権威ある医師です。今は独身の彼ですが、妻も娘も自殺するという哀しい過去があり、大邸宅に数人の使用人と暮らしています。その一人、メイド長のマリリア(マリサ・パレデス)は、子供の時からロベルの世話をしています。しかしこの邸宅には秘密があって、全身の肌を保護する風変わりな衣服を着せられたベラ(エラナ・アナヤ)と言う美女が監禁されていました。

何も書けません。今回ね、筋に関しては何を書いてもネタバレになり、ミステリー(なのか?)としての魅力が損なわれるのでね、その手の感想はなしです。

要するにバンちゃん演じるロベルはね、「アホ」だと私は思うんです。妻にはあんな事され、娘には〇〇魔と間違われ、それでも尚赦し愛して止まない。まぁ娘に関してはアホと言うより鈍感ですが、妻に関しては、それでも純粋過ぎてイタい愛を注ぐわけでね。多分このイタさ、妻に取ったら日々気持ち悪かったんでしょうね。それがあんな事した原因なんでしょう。これは後半の展開で立証されわけで。

アホで鈍感なのは、マリリアとの関係にも及びます。普通わかるで、あれくらい使用人からズケズケ物を言われたら。まぁズケズケ言う方も言う方なんですが、ご主人様は威厳はあるのにマリリアを嗜めることもせず。しかし大らかな人にも見えん。でもロベルがものすごーく、生真面目な人だとはわかります。そして純粋。監禁しているベラは大層美しく、監禁している方の彼がベラの虜になり、心は支配されているのがわかります。そりゃ自己満足の結晶ですもの。では何故普通の恋人として接しないのか?

ジャ〜ン!ここに変態の変態たる由縁あり。まぁロベルにしたら、一石二鳥なわけですね。そして二つの内の一つ、一途な純愛に比重が置かれるのですね。しかし純愛って・・・。いやいや大層哀しいお話なのですが、考えれば考えるほど、頭おかし〜くなるのです。しかしこの感覚こそ、私が求めていたアルモドバルでありまして。年月を経て蘇った変態は、巨匠になった分以前より格調高く上品で、大真面目にやればやるほど、爆笑と哀しさを誘うという、比類なき力強さに満ちています(いやほんまに)。しかしこんな脚本、よくも思い付くよなぁ。取りあえずコレ、コメディではなく真面目なドラマですから。真面目にきちんと作っているのがすごい!

バンちゃんはもう50歳回りましたが、かつてのマチズモ的魅力から、上手く油の抜けた熟年紳士にシフト。バンちゃんてね、私生活も良い人なんですよ。私は彼の嫁(メラニー・グリフィス)の話題が出てくる度に、浮気もせず支えて、なんていい人かしらと思っています。そんな彼ですから、ロベルの心情は深く理解出来たのかも?

エレナは大変美しく、惜しげなくスリムな肢体も披露。画像の服、とても官能的かつ上品で、ちゃんと胸のところなど透けないように作ってあります。上品な悪趣味テイストのデザインはジャン・ポール・ゴルチエ。冒頭のヨガのシーンなんか、裸より官能的です。そんな上品な官能的魅力をふりまく彼女、怒りに任せ服をビリビリに引き裂くシーンがあり、そこは大股で別人なんですね。う〜ん、芸が細かいと感心しました(観れば意味がわかる)。

そして数々の作品で、「僕はマザコンよ」を表明している監督、今回も片時も息子を忘れないお母さん達が登場。子供に美味しい食事を作る、それがお母さんだと言いたいんですね。きっと監督のお母さんは料理自慢なのでしょう。ラストはその気持ちに報いるように描いています。まっ、この後色々あるでしょうが。

相変わらず美術は凝っており、色彩も綺麗。それも見どころです。書けるのはこれくらい。とにかく情報を入れないで観るのがベストの作品です。還暦過ぎて、ますますのご活躍を祈っていますね、監督。


2012年06月03日(日) 「ミッドナイト・イン・パリ」




ぐずぐずしていたら、観てから一週間近く経ってしまいました。本年度アカデミー賞脚本賞受賞作にして、アメリカでウディ・アレン作品一番のヒットとなった作品。ウディの作品はそれほど観ているわけじゃないですが、思い起こせば嫌いな作品はなかったな。この作品は彼の集大成的な作品ではなく、メッセージがわかり易い作品で、とにかく楽しい作品です。

脚本家のギル(オーウェン・ウィルソン)は、婚約者のイネズ(レイチェル・マクアダムス)の両親が仕事でパリに来ているのに便乗して、二人して旅行中。価値観の違いからギクシャクする二人の間に、イネズの憧れの君ポール(マイケル・シーン)の登場で、ますます気鬱なギル。ある日真夜中のパリをギルがさ迷っていると、何と1920年代のパリにタイムトリップしてしまいます。

冒頭、朝な夕なのパリの情景が映し出されます。晴天だったり雨だったり、その時々に活動的だったり憂いがあったりの風景が楽しい。私は出不精で,映画館以外はあまり出歩かないのですが、それは映画館で色んな場所を毎週のように巡るからなんだと、改めて再認識させてもらいました。

真っ暗なスクリーンから二人の会話が流れますが、まるで水と油。ロマンチストで人付き合いが苦手なギルと、現実的で社交的なイネズ。これ以降もロマンチックは風景などまるでない二人は、まるで気弱な亭主を尻に敷く女房のようです。でも恋とはこうしたものよのぉ。何故だか自分の理想とはかけ離れた相手を愛してしまうものです。

自分を否定され、鬱々していた時に飛び込んできた昔のパリの情景は、ギルが愛して止まない時代です。ヘミングウェイやフイッツジェラルド夫婦、ピカソ、ゴーギャン、ゴヤ、ダリ。夢が目の前に現れたギルの生き生きした様子が楽しい。現代では存在感の希薄な彼が、まるで水を得た魚のようです。憧れの彼らとの交流が楽しく描かれます。

そこで美しいアドリアナ(マリオン・コティヤール)と出会うギル。自分に好意を示してくれる彼女に夢中になるギル。しかし彼にとってアドリアナは「夢の女」だと痛烈に感じさせる出来事が起きます。「昔は良かった」と過去にすがったり、憧れたりしても、それは詮無い事。結局人は、今を精一杯生きる事が肝要なのだ・・・が、結論として描かれます。

こう書くと、な〜んだ、それだけかと思うでしょ?でもここに持ってくるまでが、本当に楽しく描かれているので飽きません。ウディの化身のように描かれる、頼りなく気弱なギルは愛すべき人です。演じるオーウェンは、たくさん出演作があるのに、今までイマイチ私は印象に残っていませんでした。今回は飄々とコミカルに演じていましたが、観客に好感を持って迎えられたのは、ひとえに彼の好演あってこそだと思います。20年代の再現も華やかです。

そして何といっても女性陣がチャーミング!マクアダムスは快活で気の強いイネズを彼女の持ち味の延長で演じています。ファッションが素敵で、たくさんお着替えしていますが、ディナー、買い物、美術館とTPOに応じた服装は、皆上品で彼女にとても似合っていました。母親と買い物に行く時、背の高い母親役の人と同じくスラッと見えるように、彼女の靴の方がヒールが高いのを見つけました。私はすごーく監督の愛情を感じたんだけどなぁ。多分今回のアレンのいち押しはレイチェルですよ。

マリオンもクラシックな美女がお似合いで、当時あんなに足を見せる服があったのかしら?と、そこはちと疑問ですが、今でも参考になりそうなファッションだったので良しとしよう。そして「現実の女」ガブリエル役のレア・セドゥーのパリジェンヌ姿もセンス良し。美しくない中年女性に描かれることが多いキャシー・ベイツのサロンの女主人ぶりは、貫禄と懐の広さを感じさせて良かったし、さりげなく女性を美しく敬意を持って描くところは、齢80歳になっても変わらずで、そこも嬉しく感じ入りました。

唯一サルコジ嫁のカーラ・ブルーニだけは、イマイチ魅力が足りなかったかな?アレンの好みじゃなかったのかしら?その他時間はいつものアレンタイムの95分。私は映画はこのくらいの時間が絶対好み。無駄がなく観ている間、ずっと楽しめる作品です。


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