ケイケイの映画日記
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2011年08月30日(火) 「インシディアス」




いや〜、往生しまっせ!27日はシネマートで原田芳雄追悼作の「野良猫ロック 暴走集団」と未公開の「新世界」を観て、二時間のインターバルを置いて、二時半からこの作品を観るはずでした。が!「野良猫ロック」鑑賞後昼食を取り、ちんたら買い物しながらなんばTOHOに着いたのが1時35分頃。長蛇の列に並びながら、見上げると2時半ソールドアウト!仕方ないので4時半に変更するか・・・と思っていたら、順番が後3人と言うところで、またもやソールドアウト!な、なんで???この映画、そんなに評判なん?時計を見ると1時50分。ダッシュで列を抜けて梅田へ向かい、「未来を生きる君たちへ」の2時20分に何とか間に合うと言う、綱渡りでした。そして翌28日、夫と出かける予定でしたが、「しんどいから止める」というので、「今日も映画行ってもいい?」聞くとOKが出ました!(多分すごい嬉しそうな顔していたと思う)。雪辱のため12時過ぎに到着、残席2つで何とか2時半ゲット!作品はソールドアウト続出も納得の面白さでした。

高校教師のジョシュ(パトリック・ウィルソン)は、妻ルネ(ローズ・バーン)と三人の子供たちと幸せに暮らしていました。しかし新居に移ってきてから、怪奇現象に悩まされ、ついには長男ドルトンがはしごから落ちたショックから、昏睡状態に陥り目覚めなくなります。家に恐ろしいものが取り付いているというルネの訴えに、家族は新しい家に引っ越すことに。しかし止まない怪奇現象。ルネを信じるジョシュの母(バーバラ・ハーシー)は、夫婦に霊媒師のエリース(リン・シェイ)を紹介します。

「SAW」シリーズ一作目のジェームズ・ワン監督、脚本リー・ワネル(本作でもゴーストバスター役で出演)の作品。「SAW」シリーズは、たくさん作られていますが、ワン監督ワネル脚本は、最初だけです。

「ポルターガイスト」+「エクソシスト」+ちょこっと「ゴーストバスターズ」と言う趣です。オープニングから、BGMの調べと音響の強弱の使い方、禍々しく不気味な絵面など、とっても懐かしい!タッチがクラシックで、何とも言えず郷愁を誘われます。血みどろもいいんですが、私はこういう王道ホラーが観たかったの!

大きな家の気持ち悪さが、きちんと出ています。あんな家、夜中怖くて子供が一人でトイレに行けようか?いやいや、大人だって怖いぞ。西洋って幼児はおろか、赤ちゃんも一人で寝かせるでしょ?私は怖くて出来ません。その辺の心理的な怖さや、大きな家=不気味な家の撮り方が上手いです。

ジョシュとルネを、夫と妻、父と母と、各々の時の立場の違いを浮き上がらせながら、結束の強まる家庭の愛を描いているところが上手いです。至るところで伏線を張っており、これは伏線だよなぁ〜とバレバレなのが、ちょっと甘いかな?もう少し上手くオブラートにくるんで欲しかったですが、作りが端正で清潔で好感が持てるので、まぁいいかな?

ドルトンの昏睡の原因にひとひねりあり、これは初めて観たかな?その後の展開は王道ですが、繋がりは悪くありません。佳境に入ってのシーンもそれなりにドキドキさせるし、マネキン人形のような人々のシーンは、モダンでクラシックな趣があり、とても気に入りました。

佳境のシーンがいやにあっさり終わるなぁと、思っていたんですよ。でも家族愛がひしひし感じられて、まぁええかと思っていたのですが。ラストのドンデン返しまで王道でした。すんごい気に行ってたのに、このせいで気分は星一つ減点。ものすごく蛇足な気がしました。

何故ってね、ウィルソンとバーンが、とっても普通の良き夫婦を好演してたんですよ。ウィルソンは大味なれど誠意と優しさに溢れる持ち味があり、今回の役柄と絶妙にリンク。バーンも綺麗で優しい妻ぶりなのですが、子供三人の所帯やつれ感もきちんと出していたし、何より最後には夫を頼りつつ、一心に支える姿が、とても好感が持てました。あぁそれなのに・・・。

不審者の気配に、「君はここにいろ」と遮って、自分で一人で行くジョシュの姿に、あぁうちも昔はそうだったなと思いました。危険な時は夫一人で向かって、長男に「お母さんと弟たちを頼むぞ」と言ってたっけ。今は夫より息子三人が格段に体格が良くなって頼り甲斐もあり、すっかり忘れておりました。だから私はジョシュの手柄のまま終わらせたかったのかなぁ〜。う〜ん、皆さんの感想を求む!


2011年08月21日(日) 「人生、ここにあり!」




いや〜、素晴らしい!うちの患者さんたちそっくりの出演者の様子の、明るく笑って痛恨に泣ける内容は、まんま私の職場での日々です。それもそのはず、これは実話を元にした作品なんですって。デリケートな精神病を題材に、問題点もきちんとリアルに盛り込んで、こんな素敵なコメディが作られるなんて、本当にすごい。起伏のある山あり谷ありのストーリー展開も、パワフルで文句なしです。監督はジュリオ・マンフレドニア。

1983年のイタリア・ミラノ。熱血漢の組合員ネッロ(クラウディオ・ビシオ)は、そのあまりの熱血ぶりが他の組合員の反発を招き、別の組合に異動になります。そこは労働組合とは名ばかりで、精神病患者たちが、切手貼りなど、極めて単調な軽仕事をこなしているだけ。労働ではなく、今でも保護される対象です。最初は戸惑うネッロですが、彼らに労働の意義や楽しさを知ってもらおうと、奮闘します。

イタリアは1978年に制定された「バザーリア法」により、精神病院の入院を廃止、予防や治療は地域の保健サービスが担っています。バザーリア法という名前は、この制度を提案した精神科医師フランコ・バザーリアにちなむもの。尚、やむおえない時には総合病院に病床15床のベッドを用意し、二名の医師の個別の判断の元、入院も可能です。

彼らの主治医であるデルベッキオ医師がさらっと語る、「彼らが退院して、今度は家族が発狂しそうになった」と言う台詞は、テンポ良くユーモアたっぷりに進むお話の中の前半で、とても重たく響きます。確かに毎日毎日感情の起伏が激しい彼らの世話は、家族は情や執着が絡むので、愛情だけで世話がしきれるものではないでしょう。観ていると実際のところは、家族と暮らしている人や一人暮らしの人の他、日本で言うところの、グループホームやケアホームで暮らしている人も多いようです。

登場する患者たちの様子が、あまりにリアルで目をパチクリしてしまいます。多弁な人、妄想や思い込みのの激しい人、凶暴そうな人。きちんと薬を服用していても、気分の落ち込みの激しいときは、起きることも出来ないところ。そうだ、滑舌も悪い。特に薬の副作用で、歩き方が多少歪になったりするところまでパーフェクトに表現しています。オーディションで選ばれた役者たちは、一年間精神病患者と過ごして、彼らの様子を観察したとか。こういう細かい演技指導は、デリケートな題材であるだけに、好感が持てます。

「イカれているけど、バカじゃない」彼らを、保護され管理される生活から、労働して収入を得て自由な生活へ。自分の信念の元、彼らの精神を改革していこうとするネッロ。ひょんな事から寄木の床張りが評判を呼び、彼らの組合に仕事が殺到します。

始めて労働の喜びを知り、見違えるように生き生きしていく彼ら。彼らの生活の急激な変化を危惧するデルベッキオ医師や家族。規則正しい服薬は副作用も多く、彼らに仕事は無理だと言うのです。そこへ薬の投与の減薬を提案するフルラン医師が登場し、患者たちの多数決で主治医はフルラン医師へ。彼らは望み通り仕事を始めるのですが、軌道に乗った頃、思わぬ大事件が起こります。

ネッロは精神疾患には疎く、服薬の大切さはわかりません。フルラン医師の、自分の観察下において、必要最小限の薬で、精神病患者に人並みの暮らしをさせたいと言う願いもわかります。でも一見過剰摂取のように思えるデルベッキオ医師の処方は、長年彼らを診ている見地から、両刃の剣になりかねない「人並みの暮らし」より、病気と共存し、心穏やかに生きて欲しいと思う親心でもあると感じました。家族の思いも同じ。病気の彼らをずっと見守って、出した結論だと感じました。

しかし起こった出来事は、彼らが精神病だから起きたんでしょうが?友人の悪口を言われたら、誰だって怒るでしょう?恋に悩んで行き詰まったら、誰もがこの不幸を同情するはずです。精神病患者が怖いのではないのです。誰もが経験するはずの挫折や苦難が、彼らに降りかかっただけ。問題はこの経験をどう活かすか?私たちの日常と同じなのです。映画はそのことを立証する展開です。

彼らの生き方を変えられると思っていた、自分の傲慢さを反省し、落ち込むネッロ。これも指導する立場の経験のある人なら、相手は精神病患者に関わらず、誰もが経験する自己満足の結果です。しかし感情の起伏を抑えるのが苦手な彼らは、想像を遥かに超えたことを仕出かしてしまい、取り返しのつかない結果を招く事もあるでしょう。彼らと深く接するならば、やはり前もって勉強した方が良いのだと思います。


女性と経験のない彼らが、国から正規の助成金を得て、その道のプロと初体験する件は爆笑ものです。恋もセックスもきちんと描くのは、情熱の国イタリアですね。しかし実際はその事に盛大にお金使って、食費にも事欠く人もいるので、私には正直映画の中での笑いだけに留まってしまいました。

仕事をして、自分たちの存在意義を確認した彼らが、落ち込むネッロに対して行なった事は?これは大いなる成長で進化です。デルベッキオ医師の保護の下にいたのじゃ、この成長はなかったはず。それを素直に認める老医師の姿も素晴らしいです。笑いと涙に包まれながら、精神病患者と一般社会の共存を見事に示唆した、本当に立派な作品です。

出てくる患者たち、気持ち悪かったでしょう?そう思って良いんですよ。受付にいて、私だってそう思う患者さん、いますから。自分の清潔に気を配れないので、臭い人不潔な人が多いのも特徴で、顔をしかめることもしばしば。それは差別でも何でもないと思います。ただ病気持ちだからと言って、むやみに怖がらないで欲しいのです。心の綺麗な人、根性の腐ったの、したたかな人、優しい人、色々いるのも普通と同じ。心をニュートラルにすれば、気持ち悪いがキモカワくらいにはアップするから、あら不思議。

実際の現場は、この映画のように笑いが絶えず楽しいです。それは嘲笑ではなく、ファニーな笑いです。一般的に連想される、生気のないどよ〜んとした空気は、ありません。この作品以上に手強い患者も多く、ネッロのように落ち込む若い職員さんを観て、ただの受付の私は痛く同情してしまい、何とか後方支援できないか、考える日々。そういう職場が精神科です。ただヴァイタリティはイタリアに負けるかな?

私にも気になる患者さんがいて、私の顔を観れば、「今日はデイ(ケア)休む」「お腹痛い」「デイのあとは(グループ)ホームに帰れへん」「明日は静岡まで行く」(行くと言ったら本当に行ってしまうのだ)と、一方的に話す彼。これ全て甘えで、私になだめて欲しいのです。この手の甘えは若い職員にはせず、私を含むオバチャン職員にしかやりません。おばちゃんたちは、いい年こいた彼が、子供にしか見えないという母性本能をつついた、高等技術です。そういう人を見る目(?)があると言うか、悪知恵があるのも、普通の人といっしょ。それが最近、「どんな絵を書いて欲しい?」とか、「どこから来てるの?」とか、私に質問するのです。一方的な会話に慣れていた私は、もうびっくり。嬉しくって。でも次の日は知らん顔です。私も精神科に勤める端くれ、ネッロのように先を急がず、彼が歩み寄ってくれるまで、待つとしますか。



2011年08月16日(火) 「ツリー・オブ・ライフ」




公開前に職場で、「『ツリー・オブ・ライフ』って、どんな感じ?」と聞かれました。「好きな人には生涯の傑作で、ダメな人には拷問のような映画と思う」と予想を述べたワタクシ。まぁ〜開けてびっくり、予想はぴったしカンカンじゃございませんか。巷で言うほど難解で高尚な印象は受けませんでしたが、私の肌には合いませんでした。てか、多分それが大多数。今回は肌に合わなかったモンのレビューです。
監督はテレンス・マリック。カンヌ映画祭でパルムドール受賞作です。

成功した実業家のジャック(ショーン・ペン)は、自分の育った家庭に想いを馳せます。1950年代半ばのアメリカ。成功して金を得ることが人生の一番の重大な事だと、息子に教える厳格な父(ブラッド・ピット)。慎ましく夫に従い、子供たちには精一杯の愛情を与える優しい母(ジェシカ・チャスティン)。二人の弟と共に、愛情に育まれて成長していくうち、様々な葛藤を抱えていくジャックですが・・・。

昨日は炎天下の中、遠目の銀行二つに行き、帰りはスーパーで買出し。帰宅後ちょっと休憩して昼食を取り、またチャリで15分のラインシネマに向かい鑑賞でした。出だし10分ほどで、荘厳なクラシック音楽が流れる中、画面は火山が噴火したり溶岩が流れたりの、地球の成り立ちを映す描写へ。当然寝落ち。ふと目覚めると恐竜が何かしていました。まだ寝てもOK!と判断し、再び寝落ち。大変気持ち良く眠りから覚めたところ、長年鍛えた映画的本能のおかげか、ちょうどドラマ部分が始まるところ。時間にして30分程でした。

ドラマの内容は、音楽家に成りたかったのに挫折し、実業家としても中途半端に終わった父親が、自分のようにならないように、息子たち、とりわけ長男に強く人生観を押し付けます。そんな夫を受け入れ、温かく家族を見守る母。そして反抗期。それが美しい画面と共に、淡々と描かれます。もう本当に淡々。でもこれは悪くない手法で、こういった男親と息子のハードボイルドな関係は、誰でも多かれ少なかれ思い当たるもので、自分の生い立ちと重ね合わせ易いと思います。要するに平凡な家庭なのですね。

特別なエピソードもなく、躾に厳しい父親との食事はまずかろうなぁ〜、でも男として腕っ節も大事と喧嘩の仕方を教え、時々は笑顔で遊んでくれる。独善的で世俗的だけど、良い父親だと私は感じました。母も心映えの美しさが表面ににじみ出る人で、とても好印象です。しかし繰り返しますが、本当に淡々。ハイ、それで?と言う気になる。掘り下げは出来るのだけれど、面白くない。世俗的な者を父、神の恩寵を受ける者として母を描いていますが、この辺もキリスト教がわからないので、曖昧にしか意味が感じ取れません。

我が家がリアル三兄弟なのがいけません。どうしても比べちゃう。父親が帰宅すると火が消えたようになり、いなくなると、母親と息子三人が盛り上がると、こんなところは一緒です。この作品、シネコンの拡大公開ですよね?シネコンに来る観客は娯楽としての映画を求めているので、こういうところを、もっと工夫して見せて欲しいんじゃないかなぁ。

例えば食事のシーンで「重要なこと以外は話すな」と言う父親に息子たちが刃向かうシーン。緊迫感が走りますが、辛気臭く終結。。うちの夫は「子供を躾る時は、親は自分の事は棚に上げる」「男は外で一生懸命頑張っているので、仕事で疲れて妻や子にあたるのは当然」と言う、男にとって夢のような価値観の家庭に育っているので、うちの夫と比べたらブラピなんか、辛気臭い事を除けば、本当に普通の良き父親です。テーブルもひっくり返さんしな。

常に夫を理解しようと努める妻も、たまには逆上し、夫に歯向かいます。よしよしと思った私ですが、えっ?これで終わりですか?の顛末。私なんか、このようなシチュエーション多数で、ブチっとキレてしまった時なんか、気が済むまで暴れたのになぁ。だいたい息子から「お母さんはお父さんに見下されているじゃないか」と、侮辱めいた暴言を吐かれて、ただ苦渋に満ちて見守るだけでどうする?下の毛も生えてないような年頃ですよ、見守るなんてもっと後、思春期くらいです。私はこんな時、「どの口がそんな生意気言うんや!」と、往復ビンタでしたもんです。観るなら我が家の方が面白いと感じる人も多いはず。

以上は私の個人的な違和感ですが、三男の扱いが雑。男兄弟はライバルになったり親密になったり、その葛藤も多いものですが、三人いれば誰かが潤滑油になるはずです。うちの場合は三男です。焦点は主に長男、次に次男で、三男はほとんどなし。三人兄弟にする意味がないです。

出演者は大変に良かったです。ブラピは中年の父親の鬱屈と、息子たちへの不器用な愛情を好演。チャスティンは大変豊かで気品溢れる演技で、すっかり魅了されました。人間的な大きさまで感じさせます。劇中のお洋服もみんな素敵で、それもポイント高し。子供たちは悪ガキめいた事をしでかしても気品を失わず、この両親の子だなと、充分感じさせてくれました。長男役の子の、怒れる眼差しも良かったです。ペンはそれほど印象に残っていません。

エンディングは大円団で、折しもただ今お盆で、この感覚は悪くないです。しかし美しいですが、徹頭徹尾淡々として辛気臭い作品です。ただ私に合わないだけで、気品も感じるし、こういうテイストを好む人の気持ちもわかります。だけど私のように映画館通いが仕事のような人間なら、それなりに作り手の言いたい事を感じようとしますが、映画を年に数本しか見ない人にとっては、何が言いたいのかさっぱりわからないと思います。

どう見ても、シネコンで拡大公開の作品じゃないでしょう?ミニシアター鉄板の作品です。だいたいカンヌでパルムドールって、だいたいがミニシアター公開ですよね?それがブラピ&ペン共演の家族ものだから拡大公開って、本当に配給元さん、映画観てるんですかね?PRの重要ポイントは、「監督、テレンス・マリック」だと思いますが。ちなみにネットを除く私の周囲で、マリックを知っている人はいません。

内容を紐解くのに重要なポイントで、キリスト教の教義が何度も出てきます。私は表層的にしかわからないので、この点はなんとも言及出来ません。深く反芻してみるのには、もってこいの作品です。しかし普通の映画ファン&たまに映画見る人には、そんな気にさせてくれないと思います。私は下世話な娯楽作が好きなのだと、つくづく思い知る作品となりました。テレンス・マリックの信者さんにだけ、お薦めします。


2011年08月14日(日) 「海洋天堂」




ジェット・リー主演作ですが、アクション一切抜きで、自閉症児を男手一つで育てる父親を演じています。正直、彼がこんな穏やかで静かな演技が出来るとは思っていませんでした。決して滑らかな語り口語り口ではありませんが、とにかく作り手が、一心に真心を込めて作ったのが、切々と手に取るように届きます。あざとくはないのに、場内号泣の嵐、私もびゃーびゃー泣きました。監督はシュエ・シャオルー。

水族館で働くシンチョウ(ジェット・リー)は、妻に先立たれ、自閉症の一人息子ターフー(ウェン・ジャン)を育てています。ターフーは21才になりましたが、父親がいなければ、毎日の暮らしが成り立ちません。そんな時、シンチョウがガンで余命3ヶ月と診断されます。焦るシンチョウは、ターフーの受け入れ先を探し奔走します。

冒頭息子と心中しようとするシンチョウのシーンで始まります。結果は泳ぐことが得意なターフーによって失敗。しかしプールでターフーが溺れかけているかも知れない場面に出会すと、「お父さんが助けてやるからな!」と、服を着たままプールに飛び込むシンチョウ。あぁこれが親の気持ちなのだと、もうここで早涙の私。一緒に死ぬのは良いが、息子だけ先に死なす事など、出来るはずがありません。

この作品を観る前に、同僚のPSWさん(精神保健福祉士)にお話を伺ったところ、自閉症は知的障害を伴う事が多いそうです。今の私の職場でも、自閉症ではありませんが、知的障害と精神疾患を両方持った患者さんが何人かおられます。みんないい年なのですが、これが本当に7才前後の子供にしか思えず、当たり前ですが性格も各々全然違う。そして一様に可愛いです。自閉症児は、生活全般に自分なりのこだわりが強いと聞きます。演出はそういった自閉症児の側面を丁寧に描写し、演じるウェン・ジャンもそれに応えて、大きな体が、幼子にしか見えない愛らしさです。

私が強く印象に残ったのは、障害児を持つ親の心です。ターフーの母親は、息子が障害を持つことを苦にしての死ではないかと、シンチョウは語ります。絶望、悲嘆、必要のない自責もあったでしょう。誰もが子供のために強くなれるわけではない。シンチョウは妻の「ひ弱さ」を断罪せず、受け止めています。そしてターフーを可愛がる隣家の女性とシンチョウは、お互い想いを抱いているのですが、シンチョウは息子のため、その想いを告げませんでした。作り手は妻のひ弱さを受け入れながら、シンチョウの親として自分を強く律する姿を崇高なものとして描いています。こうであるべきだとは描かず、親を責めない。その優しさと見識の高さが深く胸に残ります。

唯一作り手が責めるのは、国の障害児への対応です。公的機関がなく、奔走するも受け入れ先が見つからないシンチョウの怒りに、その気持ちを代弁させています。しかしそれも民間と周囲の人々の善意が、風穴を開けるとヒントも出しています。サーカスの少女とターフーの交流には、爽やかな温かさを感じるものの、少女も幼い頃親と離別しています。「親のない子は、サーカスに売られる」、そんな前時代的な微妙なニュアンスも感じられ、監督の国の福祉に対しての怒りを、静かに感じます。

水族館が舞台なので、ブルーを基調とした撮影は美しく、清らかさを感じます。撮影はクリストファー・ドイルと聞いていたので期待していましたが、とても満足しました。

自閉症児は感情を表現するのが下手で、親であるシンチョウは百も承知のはず。しかし己の寂しさに胸がいっぱいで、親との別れに表面では何もないターフーの哀しさまでは、気付きませんでした。これは子供に障害が有る無しに関わらず、親には有りがちな事だと思います。

場内は障害を持っていると思しき親子連れも、ちらほら見かけました。大阪は好評のようで、一旦終了後、再上映も決まっています。涼しく清らかな作品です。


2011年08月07日(日) 「この愛のために撃て」




いや〜、すんごい面白かった!昨日は梅田ガーデンシネマで、「復讐捜査線」と「海洋天堂」を観て、難波に移って「モールス」を観るつもりだったのですが、あと一本観たらガーデンのポイントが貯まるのに気づき、三本目はこの作品に変更しました。これが大当り!先に観た2作品もとても気に入り、昨日は本当に良い日でした。監督はフレッド・カヴァイエ。

看護助手をしているサミュエル(ジル・ルルーシュ)の病院に、不信な患者サルテ(ロシュディ・ゼム)が、交通事故で運び込まれてきます。訳ありそうなサルテは、不法侵入の者に殺されそうになりますが、サミュエルの機転で未然に防げます。しかし翌朝、出産間近の妻ナディア(エレナ・アナヤ)が何者かに誘拐されます。開放条件はサルテを病院から連れ出す事。平凡で幸せな日常を送っていたサミュエルは、愛する妻を救い出すため、大奮闘することになります。

サミュエルは誘拐の取引の常套句、「警察に知らせたら人質の命はない」と言う言葉を真に受けたのが運のつき。サルテを逃がしたいがために、自分まで警察に追われるのです。もう本当に普通の平凡な男性で、逃亡中もドタバタ。最初警察に電話すりゃ、済むことじゃんと思いながら観ていた私ですが、逃亡の仕方の、全く先を考えない命懸けの破れかぶれぶりに、次第に胸が熱くなってきます。何故ならそこには、愛する妻とお腹の子を絶対救いたいと言う、夫としての愛が、画面からほとばしっているから。

「あれ?違うの?」「えっ?何でここで殺される?」とキョトンとしていると、ばっさばっさ画面は勢い良く進みます。しかしキョトンも一瞬、上手くその後をフォローしているので、混乱することはありません。何せ時間は85分、その間、手に汗握る大興奮が続きっぱなし。先が読めない。誰が味方で誰が敵なのか謎めいたまま、二転三転の筋運びの中、敵であるはずの人物の変貌も、上手く浮かび上がらせています。

ルルーシュは本当に平凡で人の良さそうな旦那さんなので、命懸けで傷だらけになる姿には、思わず目頭が熱くなりました。決してカッコいいタイプじゃないので、昨今流行りのノンストップアクションについて行くのにやっとの感じが、妙にリアリティありでした。アヤナは夫にそう思わす愛らしさ満点、妊婦の気丈さもちゃんと感じました。




サルテ役のゼムが出色の好演。斜視気味の鋭い眼差しが、ただの冷酷非道な悪党なのか、そうでないのか、観ている方も迷わせます。次第に明らかになる大物らしさに似つかわしい、クレバーな男ぶりで、すっかり魅了されました。

サスペンスなので、今回はこれくらいに。「お前に警官役は無理だ。顔が善人過ぎる」と言うサルテの台詞が、私のこの作品でのお気に入りです。時間も短く、映画好きさんにも、ただの暇つぶしにも持って来い。暑気払いに抜群のお薦め作品です。フレッド・カヴァイエ、これから追いかけて行こうと思います。




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