ケイケイの映画日記
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2011年06月26日(日) 「デンデラ」




極寒の東北が舞台とあらば、壮大なファンタジーとして観るのが正解なんでしょうか、何せこの野性的な地上の極楽浄土、婆さんばっかりなんですね。これ女なら有りだわと、その生命力と執念にとても納得できました。「楢山節考」のその後を描く、と言うのがキャッチコピーです。監督も今村昌平の御子息の天願大介。婆さん予備軍の身としては、とても痛快な作品です。

東北らしき山村の小さな村。70才になると口減らしのため、雪山に捨てられるのです。斎藤カユ(浅丘ルリ子)も70才を迎え、息子におぶわれ豪雪の山に捨てられます。しかし目覚めた時、彼女は藁葺きの中。かつて山に捨てられたはずの老女たちがたくさんいました。そこは100才になるメイ(草笛光子)が捨てられた30年前、たった一人生き延びて、次々と女たちを助け指導者となり、力を合わせて作った共同体「デンデラ」だったのです。今では総勢49人。カユで50人目です。50人目になったのを機に、自分たちを捨てた村人に復讐するため、村を襲撃しようと決起するメイ。しかし無駄な血を流さず、自分たちが幸せに暮らす事こそ復讐だと、マサリ(倍賞美津子)は説くのです。

出演者は他に山本陽子、赤座美代子、山口果林、白川和子、山口美也子、角替和枝、などなど往年の大女優やらロマポのミューズやら名バイプレーヤーやら、わんさか名のある女優さんたちが、垢にまみれ老けメイクで、ズタボロのマタギみたいな衣装で頑張るのなんの。皆さん、実際は今でも年齢以上の美貌の持ち主ですが、若くても角替和枝の50代半ば、草笛光子77才、浅丘ルリ子70才。この年でこの役を引き受けたというのが偉い!これは今の自分で満足せず、更なる飛躍、変化を求めって事です。守りに入って当然の年齢で、極寒の地でカイロ貼りまくりながら、坂を転げるは槍で大格闘するは、大奮闘です。ルリ子さんなんか、吹っ飛ばされた時に骨折したんじゃないかと、本気で心配したもの。婆さんなのに凄腕スナイパー役の山口美也子なんて、惚れ惚れするほどカッコイイ。そしてほぼノーメイクなのに、優しい人は柔和な目、心に情念を秘めている人は鋭い眼差しと、その目力に強く惹かれました。

新入りで雪道も満足に歩けず、古い因習に捕らわれる新入りのカユは、仲間から小娘呼ばわりされます。70才の小娘!再三「おめえはまだ若い」とも。そして今まで教えられた常識とは正反対のデンデラの思想に戸惑います。
「ずっと家族のためだけに生きてきた俺を、家族はしきたりだと簡単に捨てた」(メイ)。
「俺たちは口減らしのため捨てたれた。でもどうだ、ここでは誰も飢えてねぇ。村は強い者、男、ガキどものため、食べ物が俺たちにあたらねぇんだ。」(ハツ・田根楽子)。
「俺は女だ。今まで自分で考えた事がねぇ。だからどうすればいいかわからない」(カユ)。

全て女たちがどれだけ抑圧されて生きてきたかの、心の吐露です。特にカユの言葉は、正に「女三界に家なし」の思想なんだわ。感情や思考すら、女だからというだけで、許されなかったんですね。

本当に復讐したいのは自分だけで、皆は何か生きる目的が欲しいだけだと言うメイ。そうだろうか?なんども出てくる、一度死んだ命と言う言葉。デンデラで生きるのは辛い。しかし浅ましかろうが恥知らずであろうが、死ぬのはもっと辛い。そんな彼女たちは、鮮やかな死に場所、死に様を求めていたのでしょう。それには悪しき因習に捕らわれる村人に鉄槌を下すのが最適だと。押し込められていた彼女たちの感情の爆発が、復讐に向かわせたのだと思います。

生命力に溢れた彼女たちは、猥談もすればあからさまなシモネタも。昔「死国」を読んだ時に、90超えの婆さんが、昔の自分、それも男に体を褒められた事、セックスがしたい煩悩にまだ苛まれる様子が描かれていて、ひょぇぇ!となりましたが、やっぱり女は灰になるまでなのかしら?「小娘」なんでわかりません。

しかし動けない者、穏健派のマサリたちを「意気地なし」と呼びますが、決して差別はしない。食べ物も平等、村八分などなく対等に尊重します。如何にメイが優秀な指導者であるかと共に、ここにも下界で虐げられ続けた彼女たちの辛さを痛感します。

しかし彼女たちの行手を阻むのが、自然はともかく「子供の産める若い女」というのが皮肉。這いつくばって、これでもかと食らいつく「女」に敬意を表しながらも、「まだ子供を産む気か?」と、嫉妬と怒りを見せるカユ。その辺にも昔は、女の値打ちは子供の産める年齢までだったんだなぁと感じます。

長年この世界で活躍している人ばっかりなので、主要キャスト全てに持ち場を与え、それぞれがきちんと役割を果たしています。一番良かったのは草笛光子。やっと衣食住足りてホッとしたとき、水面に映る汚い自分に驚き、魚の骨で髪を梳こうにも、ゴワゴワで出来ません。この時の涙は圧巻です。老婆である前に女、その前に人間なのです。最低限人としての尊厳が守れる集落を作ったメイに、感動すら覚えました。

途中で展開が「グリズリー」になったりで、何が敵かわからなくなって、ちと散漫な印象はまぬがれません。聖職者のようなマサリの存在も、メイのように回想シーンを使うなどすれば、彼女の言葉にも説得力が出て、よりくっきり存在が浮かぶと思います。

しかしそれを吹っ飛ばすほどのパワフルな婆様たちの大奮闘に、予備軍の私は大いに元気を貰いました。今はこの作品で描かれたような虐待や、ひどい男女差別はありません。でも家庭に入れば子供の進級・進学、夫の転職・仕事の変化で、女は寝る時間から起きる時間、果てはパート先の職場まで、ライフスタイルをくるくる変えて、家族の人数分支えているのです。家族からは口では「ありがとう」と言われるけど、実際はわかってないんだよなぁ。当たり前だと思われている。私は夫と子供にわからせるのに、28年かかりました。そういう生活に不満を持っているあなた!あなたのための映画ですよ。変化も進化もする大女優たちに見習って、小娘のワタクシたちも、まだまだ進化していきましょう。



2011年06月19日(日) 「アリス・クリードの失踪」




いや〜面白い!面白いわ!出演者はたった3人だけ、それもほとんどが密室劇で、これだけ面白いもんが作れるんですね。英国発のミステリーで、監督はこれが初作のJ・ブレイクソン。

中年のヴィック(エディ・マーサン)と若いダニー(マーティン・コムストン)。二人の男は、富豪の娘アリス・クリード(ジェマ・アータートン)を誘拐監禁し、父親に身代金を要求します。四肢をベッドに縛られ、絶対逃げ出せないはずのアリスなのですが・・・。

何も書けません。
何を書いてもネタバレになっちゃ。でもちょっとだけね〜。

冒頭熟練大工か?と思うほど、手際よく借りた隠れ家を作り上げて行く二人。着ていた服は場面が変わるごとに次々脱ぎ捨て、プロの手口を思わせます。父親に送り付ける写真のため、アリスをスッポンポンにして写真を取ります。でもヤラない。「犯さず殺さず火をつけず」。「鬼平」に出てくる「良い悪党」みたい。なるほど。ムショ帰りかぁ〜。なるほど。なるほど。の意味は途中で段々わかりますよん。)

とにかくね、予告編で観て想像していた展開は、全て裏切られました。二転三転、一つの綻びや嘘や本音から、三人の立ち位置がくるくる入れ替わります。あのセリフを信じてたのに、何だよ、お前!となるので、先が読めません。まぁちょっと強引つったら強引なんですが、そぅ〜だったの・・・と、納得は出来ます。あちこち伏線が張られていますが、ちゃんと処理できています。

ジェマは富豪令嬢にしてはやさぐれ感があって、今回のアリスにピッタリ合わせて役作りしています、化粧も崩れ髪もボサボサ、思い切り良く全裸を見せて大奮闘です。演技も思いの外上手く、しぶといと言う言葉がぴったりのアリスを好演しています。印象に残る脇役で活躍してるマーサンも、血の気の多い出来る悪党ぶりを好演。コムストンは、か弱く人の良さそうな小動物的な可愛さが印象的で、これがねぇ〜・・・。止めとこ。

全編貫く小汚さは、時々オェ!となるシーンも出てきますが、本当の監禁なんて、これ以上なんでしょうね。これくらいにしときます。時間にして90分ほど、あなたも騙されてニタニタして下さいませ。


2011年06月18日(土) 「127時間」




いや〜良かった!素晴らしい!私はアウトドアは全くで、子供たちが小さい頃、キャンプには行っていたくらい。そんな私でも、きちんと主人公アーロンと同化して観ることができ、様々な彼の感情を共有しました。こんなワンアイディアの作品で、感動させて元気も勇気も貰えるなんて、ほんと素晴らしいわ。監督はダニー・ボイル。ちなみに実話です。

ロッククライミングが趣味の青年アーロン(ジェームズ・フランコ)。いつもの週末のように、ブルー・ジョン・キャニオンに向かいました。荘厳な自然を満喫する彼でしたが、谷底を渡っている時落石があり、右手が挟まれて抜けなくなってしまいます。様々な作を巡らし、試みるアーロンでしたが、一向に状況は好転しません。

軽快で馳走感のあるオープニングが良いです。親兄弟に連絡そっちのけで、趣味に走っているのをサラっと描いて、自然を独り占めして満喫する様子を、若々しく撮っています。しかし、これが落とし穴の始まりです。

アーロンは身体能力やロッククライミングの技術に優れているようで、険しい場所に臨むのに、軽装です。危険な場所なのに慣れているから大丈夫とばかり、親兄弟や友人にも場所を告げていません。落とし穴2。

自然は容赦なくアーロンを襲い、何度も彼を絶望の淵に立たせます。そこで観る幻覚や夢。手を変え品を変え頑張っても、一向に変わらぬ状況に焦るアーロン。時の止まったような状況に、自分の日常を振り返ります。親兄弟には不義理し、恋人は趣味の邪魔とばかりに別離。自然の素晴らしさを教えてくれたのは父なのに、自分を励ますための趣味のビデオ撮りは、元は子供の頃母が贈ってくれたのが始まりなのに。そして恋人は自分を愛してくれたのに。アーロンは愛情に恵まれた日常に感謝する事を忘れて、自分一人で生きているように錯覚していた事を、後悔します。

アーロンに慢心はあっても傲慢じゃない。間違った選択はあっても、悪いことはしていません。自由であっても奔放ではない。むしろ一般的には好青年の部類です。彼を傲慢だとか自分勝手だと言うのは、言い過ぎだと思うのです。彼の後悔や慢心は、実は誰しもに心当たりのある類のものです。観客は死を目の当たりにするアーロンから、自分も如何に雑に生き、周りに感謝する心を忘れているか、思い知るわけです。

私はハリウッドの若手ではフランコが一番好きです。理由は伸びやかで自由な雰囲気、ガツガツしない感じに育ちの良さを感じるからです。そんなフランコのイメージは、両親に愛情いっぱい育てられたアーロンに重なり、絶妙のキャスティングだと思います。落ち込んだ自分を奮い立たせたり、錯乱したりやつれ果てたり、全編ほとんどフランコ一人芝居の感じですが、エネルギッシュに繊細に、見事に演じています。

もうあちこちでネタバレしている行く末ですが、だいぶ凄惨です。私はこの手の描写は全然大丈夫なのですが、ホラーやサスペンスではない作品、おまけに実話ということで、今回はかなり痛かったです。その後の展開は壮絶な開放感と共に、決して孤独を愛するなどと、嘯いてはいけないと思いました。一人が好きと、孤独を愛するは違うんだなぁ。

「今の状況は自分が招いた」と吐露するアーロン。荘厳で美しい自然が、彼に教えてくれたのでしょう。エンディングでの現在のアーロンの様子を観ると、失ったもの以上に得た物がたくさん。これはアーロンが自然に愛されていたということなのかな?

ほとんどが動きのない岩場のシーンなのに退屈する間の無い、あっという間の94分でした。美談仕立てにありがちなあざとさはなく、愛情と感謝の言葉の意味の深さを反芻し、清々しさと共にたくさん明日に希望の湧く作品です。閉塞的な今の世の中には、打ってつけの作品と思います。


2011年06月11日(土) 「軽蔑」




出来が良いとは言い難いです。でも世間を甘く見ている若い子たちを、一刀両断に切り捨てる事が出来ないのです。甘いなぁ私も。破滅の道を突き進むの男女の姿は、若さの特権のように感じるのです。観て時間が経つに連れ、良かったところが膨らんできました。監督は廣木隆一。

歌舞伎町のチンピラのカズ(高良健吾)は、借金をチャラにする約束でポールダンスバーを襲撃。そこで働くダンサーの真知子(鈴木杏)はカズの恋人。もう歌舞伎町に戻れないカズは、真知子を連れて駆け落ちのように故郷に戻ります。しかし以外にもカズは資産家の息子でした。放蕩三昧であった息子に愛想を尽かし気味の両親(小林薫・根岸季衣)でしたが、マンションの一室をカズと真知子に与えます。故郷の不良仲間たちとの再会を喜びながらも、真面目に叔父(田口トモロヲ)の酒屋で仕事を始めるカズでしたが・・・。

う〜ん、二人が強く惹かれ合っているのはわかるけど、そもそもの馴れ初めや、それまでの付き合い方が一切省かれているので、観ている方は気持ちがついていきません。それを補う意味での、二人のセックスシーンの多用なんでしょうか?情熱は伝わってくるけど、愛がなくてもセックスは出来るからね。その辺はもう少し深く描いて欲しかったです。

「五分と五分だからね」と言うのが真知子の願いです。しかし天涯孤独の真知子と、両親のいる資産家の息子で、悪たれの友人に囲まれたカズでは、それは無理。自分なりに懸命に真知子を守ろうとするカズですが、甘ったれの世間知らずなので、すぐ暴力に訴え逆効果。この辺のヘタレ感は良く出ていましたが、真知子の疎外感や孤独感はちょっと希薄。真知子は花形ポールダンサーとして自活していたわけで、決してあばずれではありません。孤独を描かないのであれば、孤高の強さみたいなのを感じさせて欲しかったです。

真知子が東京へ戻った理由は、原作もそうなんでしょうか?ちょっと時代がかり過ぎて、これでは納得出来ません。「世界は二人を愛さなかった」がコピーですが、二人だって世界に愛されようとはしていません。この二人の哀しさは、若気の至りと年齢(20代半ば)以下の幼稚さです。ここは今の時代にもアピール出来るはずなんですが、プロットの古臭さが邪魔をして、中途半端に感じてしまいます。

カズと相対する山畑(大森南朋)の、「なんでお前ばっかりが愛される?」と言う、嫉妬を超えた憎しみのこもった言葉が印象的でした。しかし残念ながらその問いかけには、全く答えてくれません。もったいない。描かないなら、どうしてこのセリフ書いたの?二時間半の長丁場の作品で、私は原作は未読ですが、切るところ膨らますところ、別に脚色するところ、その辺がどうもチグハグな気がしました。

とまぁ、つらつら不満はいっぱいあるんですが、例え刹那であっても、若い男女がお互いを求め合って激しく愛し合っている、その感情は全編に渡って充満していました。これは主役二人の功績でしょう。後で別れちゃってもいいんですよ。愛するのに理由はいりません。計算高く相手を値踏みするより、私はこういう恋愛の方が好きだわ。なんでも有りの今の時代、障害のある激情の恋、と言う作品の核心は、十分に感じられました。


2011年06月05日(日) 「クロエ」




官能サスペンスのカテゴリーですが、凡作です。ムードや心理的葛藤はそれなりに楽しめますが、如何せん内容が陳腐で掘り下げが甘すぎ。フランス映画の「恍惚」のリメイクですが、私は元作は未見。何とか観られたのは、ひとえにヒロイン役ジュリアン・ムーアの好演のお陰です。監督はアトム・エゴヤン。

産婦人科医のキャサリン(ジュリアン・ムーア)は、大学教授の夫デビッド(リーアム・ニーソン)と一人息子のマイケル(マックス・シエリオット)の三人家族。偶然見た夫の携帯メールから、キャサリンはデビッドとその教え子の不倫を疑います。疑心暗鬼になったキャサリンは、娼婦クロエ(アマンダ・セイフライト)に夫を誘惑して、その一部始終を話して欲しいと依頼します。

と、ここまでは屈折した心理ですが、キャサリンの気持ちもわからぬではない。結婚生活は20年くらいでしょうか?後述でセックスは自分から断りセックスレス。崩れた自分の裸体を夫に晒すのがいやなのですね。まぁ、何て高い女としての自意識。見習わなくちゃ(嘘)。自分からセックスレスに追い込んでおいて、夫の浮気に発狂寸前です。何が彼女をそうさせるかというと、夫も50半ばなのに、現役感満点の渋い男っぷりのせい。自分は更年期から老いへと加速しているのに、夫の方は若い頃とは違う魅力を手に入れています。この辺の葛藤や苦悩は、男女の年齢における魅力の違いや、才色兼備の高学歴女性の悲哀に満ちていて、同情出来ます。売れっ子産婦人科医の心理としては甘いですが、現実はこんなもんですかね?

と納得出来たのはここまで。妻は仕事そっちのけで、どっぷり神経を病み、頭の中はクロエと夫の事だらけ。しかしだね、私はクロエの密告を聞く限り、これはおかしいんじゃないの?と、その裏は気づきます。いい年の男が、街でモーションかけた若い女と、二人きりでキス出来る所を探したりする?長く時間をかけて落とした女ならともなく、その場限りなら速攻ホテルでしょ?疑心暗鬼中の妻ならともかく、私なんかすぐ裏のからくりがわかっちゃったわ。

何故クロエはこんな行動に出たか?その辺結果だけを描いて動機が全く描かれいないので、クロエの心模様がちんぷんかんぷん。いくら50にして脱ぎまくる素敵なジュリアン・ムーアさんがお相手でも、これではあかんわ。クロエを変質者にするサイコサスペンスにしたいにしても、これでは中途半端過ぎです。




映画と関係ないけど、参照画像として去年のブルガリのムーアさんのポスターです。何て美しい・・・。ちなみにアタシより一つ年上です(驚愕)。まっ、これを観るとクロエさんの行動にも理解を示せるんですが、如何せん演技派のムーアさんは、この作品では疲れた中年女性を見事に体現しておられます。

で、話を戻すとですね、息子は何のためにご出演?これも無理からクロエの魔性や謎を引き立てる役目であろうと思うのですが、こいつが女の子を家に連れ込んだり、円満だった両親がこの一件で諍うのをたった一度観ただけで、「もうこんな家いやだ!」と言うバカ息子なわけです。今まで裕福にぬくぬく暮らしてきたはずの息子、打たれ弱いと言うか、ただのアホと言うか。いやなら出て行け。男前でもないし、これはアマンダのナニのシーンのための、噛ませ犬的にしかこの展開じゃ感じません。

ジュリアン・ムーアは、オバサンの可愛らしさ全開の「キッズ・オールライト」とは打って変わって、社会的地位のある女性でも、男女間に置いては容姿の衰えに全ての原因を求めるって、私たち普通の女と同じよねぇ〜という共感を呼ぶ演技で、いつもながらの百点満点の演技。彼女一人で作品を引っ張っていた感があります。ニーソンは夫の造形は彼を当て込んで書いたのじゃないの?と言うくらい、役柄にぴったり。アマンダは私は期待してる若手なのですが、う〜ん、美しい裸身を出し惜しみなく披露している点は買いますが、いまいち魅力が不足。個人的にアップも美しく撮れているとは言い難かったですし、謎めいた妖艶さも表現不足でした。

無理にサイゴタッチに持って行かず、忍び寄る老いに怯えるキャサリンの心理と、クロエのキャサリンへの複雑な感情を掘り下げて描いた方が、良かったと思います。それとサスペンスなら、最後くらいドンデン返ししなさいよ。あれじゃ捻リも何にもないじゃん。

当方社会的地位もなく、容姿も歳相応に崩れております。近頃じゃ開き直っておりますが、夫もその辺のオジサンさんなので浮気の心配も無く、キャサリンの哀しみはございません。うちの息子たちもバカですが、それなりに苦労しているせいか、この作品の息子よりは、ず〜と親孝行で出来が良いです。とまぁ、失うもんが少ない方が世の中強い、を実感させてくれたのだけが拾いもんでした。


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