ケイケイの映画日記
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2010年06月27日(日) 「ケンタとジュンとカヨちゃんの国」




胸が苦しい心が痛い。お前は自分の子供だけがまともに育てば、それでいいのか?と、スクリーンから恫喝された気がします。辛くて辛くて、ラストの安藤サクラの呆けた顔を観ながら、さめざめ泣きました。紛れもなく、これも今の日本の「青春」なんだなと感じます。監督は大森立嗣。

幼い時から同じ孤児院で育ったケンタ(松田翔太)とジュン(高良健吾)。二人の仕事は壁を電動ドリルで壊す「はつり」と呼ばれるもので、厳しい労働条件なのに、低賃金の肉体労働です。ケンタは職場の先輩裕也(新井浩文)から虐めを受けており、毎月給料もピンハネされています。ある夜ナンバに出た二人は、カヨちゃん(安藤サクラ)と出会い、ジュンは彼女の家に転がり込みます。とうとう我慢しきれなくなったケンタはジュンを誘い、事務所と裕也の車を滅茶苦茶にし、会社の車と単車を盗んで、カヨちゃんも道連れで逃亡。三人はケンタの兄カズ(宮崎将)が収監されている、網走の刑務所に向かいます。

格差社会が叫ばれて久しいですが、幼い時のまま、底辺から抜け出せずにいる若者たちです。子供の頃は孤児院と言う「居場所」があった彼らですが、成人した今、辛うじて自分の食いブチは稼いでいるものの、自分の本当の居場所・住処は見つけられない彼ら。

恵まれない出自にもめげず、社会的に成功した人たちの出世話が日向なら、ケンタとジュンは日蔭。しかし日蔭の青年なら、裕也のようにやくざとの付き合いがあったり、そんな姿を想像しがちなのですが、彼らはそうではありません。ひたすら底辺を這いつくばって生きている。一生懸命でもなく、ただ淡々と境遇を受け入れているような日々。言葉づかいも、感情が高ぶり激昂する時以外はとても優しく柔らかい。乱暴さも暴力もなし。賭けごともせず大酒も飲まず。働けど働けど貧しい。閉塞、鬱屈、抑圧、貧困、虚無。そんな言葉に囲まれた生活です。

「ねえカヨちゃんってバカなの?ブスでバカなんて、最悪じゃね?」と、「愛する」ジュンにからかわれるカヨちゃん。おまけにわきが。彼女が誰にでも体を許すのは、愛されたいから。ここにもセックスが愛されることと誤解する女がいる。でも私が若い頃から今まで、そんなの愛じゃないとを認識出来ていたのは、私を心から愛してくれる人、親がいたからじゃないのか?彼女を観て思いました。愛されることが女の幸せだというのは、私は認められてもいい価値観だと思うのです。だから愛を求める彼女を、私はバカだとは言いたくないのです。

カヨちゃんはバカだけどブスだけど、純粋で無垢な心の持ち主です。踏まれてもへし折られても、ひたすらジュンを許し追い求めるカヨちゃん。その姿は自尊心がないのではなく、私には彼らを抱く菩薩のように感じるのです。彼女のふくよかな体に触れると落ち着くと言うジュンとケンタ。それはカヨちゃんから、抱かれる事のなかった母の柔らかさを感じていたのでしょう。面白半分にカヨちゃんを置き去りにする彼ら。しかしその事は、カヨちゃんから「無償の愛」を引き出すのです。

「俺とお前は違う」とジュンに言うケンタ。私には同じに見える。兄がいる、それだけの事で、ジュンとは違うと思いたいのでしょうか?言われる度に気分を害するジュン。しかしケンカしても、また元の二人に戻ります。それしか仕様が無いと言う閉塞感が満ちている。

それは何故か?他者とはあまりに違う環境や生い立ちのため、繋がりが結べないから。自分の未来を嬉しそうに語るキャバ嬢(多部未華子)を観て、呆然として言葉をなくすジュン。彼には未来への希望も夢もないのです。夢と希望、それが若さの特権じゃないか。私は切なくてこのシーンで号泣してしまいました。二度ケンタとジュンがカヨちゃんを置き去りにするシーンがありますが、二度目の時は、二人は明確にカヨちゃんと自分達の違いを認識したのでしょう。彼女には好きな男に愛されたいと言う夢がある。だからこそ、彼女を巻き添えには出来なかったのです。

閉塞した人生を壊す=打破した人だと、二人が思いこんでいたケンタの兄カズは、彼らが思っていた人間ではありませんでした。そのことを理解した時、ケンタが「兄ちゃん・・・」と心の底から絞り出すように語りかけた姿が、今も目に焼きつきます。ケンタには薄々分かっていた事が、目の前で露見したのだと思います。

親がいない、人生を導いてくれる人がいない、帰る場所がない。なのに誰にも助けを求めない。その哀しさ辛さが画面から充満しているのに、その事に彼らは気付いていないのが、一層哀しいかったです。

主役三人とも好演でしたが、特に目を引いたのが安藤サクラ。ロークラスを匂わせる品のない衣装、一種白痴めいた演技を見せながら、本当に無垢さを感じさせます。これは大物でしょう。美人とは言えませんが、それがどんな役にも対応できる、彼女の武器になると思います。その他はカズ役の宮崎将。刑務所での演技は、頭にも心にも何も持たない哀しさは、もう人間では無いのじゃないか?と絶望させるような演技で、圧巻でした。妹(宮崎あおい)ばかり持て囃されますが、もっと表に出て来て良い俳優だと思います。

世界に二人きりの彼ら。「三人なら生きられる」というコピーは、こういう意味だったのか。痛切なラスト。バカでもブスでも、カヨちゃんには夢も希望も愛もありました。彼らのような若者は、今後いっぱい増えるのでしょう。若者だけでは無く、いい歳の大人だって、彼らのように孤独を孤独ともわからず、老いて行くだけの人が増えているような気がします。私は何をすればいいのかな?あれもこれも、人生足りない事だらけの私だけど、愛もあれば孤独もないです。でも人生足りないからこそ、彼らの痛みもわかるのです。私的には傑作の部類に入る作品だと思いました。


2010年06月17日(木) 「アウトレイジ」




あぁ〜面白かった。気分爽快、清涼飲料水のような作品。えっ?と思いますよね。爽やかさなんか微塵もない、やくざ映画のどこが?って。血生臭い暴力シーンのオンパレードに、気分が程良く高揚して行く自分に、改めてバイオレンスをテーマにした作品は、上級の娯楽映画になるのだと実感しました。監督は北野武。

関東一円を仕切る巨大暴力団の山王会。そこの若頭加藤(三浦友和)は、傘下の池元組と弱小暴力団村瀬組が盃を交わした事を怪しみ、組長池元(國村隼)に、村瀬組を締めろとせっつきます。池元は配下の大友組に丸投げ。面倒なことはいつも自分の組だと、組長の大友(ビートたけし)はぼやきますが、若頭水野(椎名桔平)以下組員に指示を出し、村瀬組との抗争がはじまります。しかしこれには山王会会長関内(北村総一郎)の思惑があり・・・。

ストーリーは至って簡単。ヤクザ社会の掟、上下関係、それに絡む陰謀や裏切り渦巻く世界を、行間を読む手間なんざ一切なく、潔いくらいの単細胞的演出で、めちゃくちゃ解り易く描いています。人殺しや殺傷、裏切る事に、良心の呵責も葛藤もなくイケイケドンドン。出演者は四つの組織入り乱れてかなりの人数ですが、名の知れた俳優を大挙使ったお陰で混乱も一切なし。キャラも似ているようで皆それぞれ違いがくっきり、この辺はキャスティングに演技巧者を集めた点が生きています。

てめぇ、このヤロー!バカヤロー!、舐めてんのかこのヤロー!、ぶっ殺されたいのかてめぇは!このどれかが三分間に一度は出てきます。あぁ〜気持ちいい〜。だってさ、実際現実にね、こんなこと言ったんさい?言いたい瞬間・相手は数あれど、言っちゃったら終わりですよ。そこをぐ〜と堪える。それをやくざさんたちが代わりに暴れてくれるのですね。ずっと大昔、作家の安部譲二が、「ヤクザの頃は金がなくて支払い出来ない時は、『無いものはねぇんダよ!』と凄んで開き直っていたけれど、頭を下げてすみませんと謝る事が、どれほど男らしくて大人であるのか、堅気になってようやくわかった」と書いていました。そう、ワタクシどもは皆大人。でも後先考えずに暴れたい時だってあるじゃんか。画面はそれのオンパレードです。

凄まじいバイオレンスシーンが売りだと聞いていましたが、私的にはまぁ色々見せてくれました、くらいかな?斬新と言うよりオーソドックスに物量作戦と言う感じ。それより血が噴き出しているのに、笑えるシーンが多数あったことが印象的でした。でもこの笑えるっていうのが、とてもリアルでね。当人は本当に痛いんでしょうが、遠巻きで観ていると滑稽なのです。恐怖と笑いは紙一重ってか?

「仁義なき戦い」シリーズを観た時も、これって「やくざで学ぼう、社会学」だなと思いましたが、30年弱経ってのこの作品も同じです。名前は「大友」ですが、組長大友は、かのシリーズの広野昌三的役回りでしょうか?弱小企業は言葉巧みに、吸収合併と言う名の廃業に追い込まれ、利権は大企業へ。その画策には配下の者を使い、上は手を汚さぬまま。「俺たちゃ、いつも貧乏くじだ・・・」という大友のため息に、思わず我が身を重ねる方がいるはずなのもいっしょです。所謂「しのぎ」も、覚せい剤が簡単に手に入る場面を描写、治外法権の大使館の使い方もなるほどと思い、上手く現実感も出せています。

「全員悪人」というキャッチコピーですが、悪党であっても悪人じゃ無い輩もいました。汚職賄賂まみれの小日向文世の刑事が、大友から「刑事っていいよな。弱くってもやくざに集れるんだから」と言われる時の目が印象的。あの目の意味は深いよ〜。最後まで何にもしないこいつが、結局一番狡猾で悪い奴なんだよなぁ。やくざより悪い刑事!この辺は脚本の妙味かと思いました(脚本も監督)。

「仁義なき戦い」シリーズでも、「代理戦争」辺りになると、上半身裸の菅原文太が、墨の入った背中を向けて振り返ると、それだけでもう目がハートになってしまったワタクシですが、今回はもう絶対椎名桔平!今まで達者な役者だとは認識していましたが、今回はもう惚れ惚れ。忠実な大友の部下役なんですが、案外見せ場が乏しいのに、その少ない見せ場全てがマックスの存在感でした。やっぱり男は40代だね。他に目を引いたのはインテリやくざの加勢亮。メークで眉を薄くしたのが酷薄そうな印象を受け、役柄にぴったり。中々はまっていました。

彼以外でも、だいたいやくざの役やると、男優はみんな生き生きすんのね。男優はやくざ、女優は娼婦を演じると絶対上手く演じると言われますが、作家の勝目梓は、「同時期の中上健治の才能に打ちのめされた。その上彼には書くべき部落というバックボーンがあるのに対し、自分は何も無い。暴力とセックスなら、誰もが持つ欲望であるから、自分にも書けるのじゃないか?」と思い、純文学からバイオレンス官能小説にシフトしていったとか。
潜在的に誰もが持つものだから、娯楽に成りえると言う訳ですね。

こう言う事書くと、眉をしかめる「良識ある方」もいらっしゃるでしょうが、この悪党どもが尽く最後どうなったか、ちゃんと映画は描いているので、その辺まで読み取って下さい。娯楽であっても、決して暴力を賛美している訳じゃないから。

一か所だけ濡れ場がありましたが、女はほとんど記号扱い、名の知れた女優も、大友の愛人役の板谷由夏だけでした。その濡れ場も当人の心情が伝わる場面で、この手の作品にありがちな男性観客へのサービス的な女優の使い方はなく、これは一見女はいらずと見せかけて、監督の女性への敬意と思っていいのかな?女が殴られる場面はなかったし、一蓮托生ではあっても、男に泣かされる女もいませんでした。

と、このように日頃の憂さが吹っ飛ぶ作品です。別に目新しさはないけど、このアベレージ感+αは、幅広い観客を取り込めるよう、監督が当てに行った作品だと感じました。とにかく私はストレス解消出来て大満足。間違っても賞を取るような作品じゃないけど、私はもう一回観てもいいわ。感動させるだけが映画にあらず、迷ってる奴ぁ映画館に行くんだぜ、このヤロー!!!


2010年06月10日(木) 「告白」




原作は読んでいます。まず読まれた方なら誰もが思うのは、これをどうやって映像化するのか?と言う点でしょう。監督が大好きな中島哲也なので、それなりに安心して鑑賞に臨みましたが、想像以上に上手く作っていました。独特のケレン味も控えめで、オーソドックスに脚色しているのに、原作の持つ、「超面白いけど嫌悪感がいっぱい」の持ち味を上手く薄めて、面白さを上手くすくい取った感じです。観方は色々あると思いますが、私は決してやりきれないラストだとは思いません。

ある中学の学年末の終業式。一年B組担任の森口(松たか子)はこの学年限りで学校を去る前に、生徒たちに命の大切さを説いていました。森口はシングルマザーで、つい最近娘の愛美を、事故で亡くしたばかり。しかし愛美は事故ではなく、このクラスの生徒に殺されたと言うのです。

冒頭から淡々と空恐ろしい本音を生徒に語りかける森口。もう原作そのまんま。映像化は難しいかなぁと思っていた場面も何なくクリア。これは演出もですが、松たか子の抑揚を抑えながらも、深々と魂に宿る怒りを感じさせる独白が圧巻だったからでしょう。中島哲也というと、極彩色に彩られた画調が浮かびますが、今回は少し寒々としたブルーが基本の色調です。その中で真っ白の牛乳の怖さ、真っ赤な血のグロテスクさが、一層浮き上がります。

殺人犯がクラスの中にいるということで、正義を気どり陰湿にいじめを重ねるクラスメート。現実では親に誰一人この現実を「告白」しないのは変だし、事件の影響で心に変調をきたしてしまう子もいるはず。第一進級したら、クラス変えもあります。しかし作品は、心と体が著しく成長、そのギャップに不安定になる時期だからこそ、暗いエネルギーを一致団結させる彼らを描く事に、力点を置いています。彼らは中二。そこにこの作品のテーマである少年犯罪とを、掛けているのでしょう。

原作では、日記や独白で各々登場人物が自分を語ります。その内容が、日記や独白なもんだから、自分を美化及び正当化したものなので、欺瞞と傲慢がいっぱい。鼻もちならなかったり、怒りがこみ上げたりするのですが、それらを巧みに取り入れながら再構築した脚本も上手いです。少年犯罪の根源には、ネグレクトや放任、それと真逆の過干渉や母子密着、父親不在があると匂わせながら、どちらも子供の「真には親に認めてもらえない孤独と寂しさ」を、浮き彫りにしています。

嘘八百並べる登場人物の中、唯一最後まで本当のことしか語らない森口。クール過ぎて残忍な心ばかりが浮き上がり、同情は出来るけど共感はし難かった原作の森口ですが、松たか子は、その難しい森口にも赤い血が流れているのを実感させてくれます。復讐では何も癒される事はない、とはある人物の言葉ですが、劇中で流れると何と白々しい言葉よ。日頃から少年法の限界に疑問がある方は(含む私)、自分の手で制裁を加える森口に、共感出来るのではないでしょうか?

他に描き方で良かったのは、木村佳乃のバカ母。自分の子供が犯罪を犯しているのに、自分の子が可哀想と泣き、引き込もりになるも、いつもエレガントで美しいまま。子供を溺愛するって、これ自己愛なんだわと、思わず目から鱗でした。だから「愛」ではなく「恋」なんですね。彼女が及ぼうとしたことも、親としての責任じゃなく、自分の幻想が壊れたから。案外上手くいってそうに見える母と子も、一皮むけばこれと同じじゃないかと感じ、薄ら寒くなります。

「あなたたちに命の大切さを知って欲しい」と、何度も繰り返す森口。と言いつつ、全く正反対の行動に出る彼女。テーマの一つであろうこの言葉が何度も出てくるのに、これほど命が軽く扱われる作品も珍しいです。それが逆に、「命」って何だろう?と問題定義しているように感じました。そのせいか、作品の中で重大な役割を担うHIVについて、正しい知識を得られるように描いていました。

よくもこれだけ根性悪く、そして面白く書けるもんだわと、原作を読んだ時感嘆したので、後味の悪さはあまり感じなかったのかも?でも原作にはなかったラストの森口の、「なーんてね」という笑顔には、原作には描かれきれなかった、生徒と刺し違えても復讐を果たしたいという彼女の切なる母心が感じられて、とても溜飲が下がりました。子供たちよ、大人を舐めちゃいかんのだよ。そして子供に舐められる大人になっても、いけないのです。


2010年06月03日(木) 「春との旅」




評判が良いので、急遽映画の日に観てきました。最近は、とうとう来ました、更年期・・・。という体調を整えるため、岩盤浴にはまっていて、週イチは通っているのですが、今週は用事がたくさんあって、涙を飲んで岩盤浴はパスしての鑑賞でした。が、岩盤浴に行った方が良かったかも。この手の老人や家族をテーマにした作品は、自分に近しい環境のため、滂沱の涙というのも珍しくないのですが、説明不足や次の展開への繋ぎが悪い様に感じ、最後まで乗れず、居心地が悪いまんまでした、監督は小林政広。ちょっと悪口も書くので、ネタバレ気味です。

北海道の寂れた海辺の村に暮らす忠男(仲代達矢)は元漁師。妻に先立たれ、一人娘は六年前に自殺。今は足の不自由な身で、19歳の孫娘の春(徳永えり)に世話をしてもらって生活しています。しかし、春が給食調理員として働いていた小学校が廃校。生活のため、春は都会に働きに出て、忠男は兄弟の誰かに引き取ってもらおうと、春は提案します。怒った忠男ですが、なす術がある訳でなし、長年疎遠だった兄弟たちを、春と共に訪ねて行く事にします。

予想通り、兄弟には兄弟の事情があり、ましてや長年疎遠だった兄弟が突然世話をしてくれと来たんですから、各々良い反応はありません。エピソード的には、どれも無理はないのですが、話の持って行き方の繋ぎが悪い。場当たり的と言うか、長弟を訪ねる際に、「清水」という女性を探すのに、入った食堂の女主人(田中裕子)がそうだったのですが、そのきっかけが、常連客が「清水さん、定食一つ」と注文するところから、糸口が。食堂のおばさんに、名字で呼び掛けるか?田中裕子を見つけ出す前の、小林薫との会話も、あれで見つけ出せるなんて都合良すぎ。

姉・淡島千景は旅館を経営していて、この不況下、満員御礼の日もあるほどなので、経営はそれなりに順調なはず。しかし「ここは働けないものには、居て貰っちゃ困るんだよ」と、愛情深くですが一蹴します。そして「今の不遇はお前自身が作ったんだ、だから春ちゃんだけは自由に。独りで生きなさい」と諭します。でもなぁ、確かに孫に甘えてばかりで、今までの我がままぶりも想像出来る勝手な爺さんですが、推定70半ばの、世話してもらったことしかない男の老人に、それはあまりに酷です。私はこれが弟のためになるなんて、思わないなぁ。突き放すには忠男は老い過ぎています。

「姉ちゃんだけには頭が上がらない」と苦笑いする忠男ですが、こんな冷たい姉ちゃんのどこが?ほとんど知らない春に女将修業はどうか?と持ちかけるのは、身内の情として由として、それなら忠男もいっしょに住まわせるのが普通だと思います。そして別れ際、春にお小遣いくらい持たせて当然なのでは?忠男の家庭の窮状はわかっているはずです。淡島千景の凛とした演技は素敵であっても、見過ごせない謎の造形の姉でした。

それに比べたら、長男の大滝秀治と末弟の柄本明のエピソードは良かったです。特に仲が悪くて今も取っ組み合いのけんかをするような間柄の弟が、今は自分も落ちぶれているのに、無理してホテルのスィートルームを取って、忠男と春を一晩泊めるのには、ホロッと来ました。妻(美保純)の「あの人に惚れ直した」というセリフも心に残ります。兄弟って、こういうもんでしょう?

そして祖父を観て、春は長年会っていなかった父(香川照之)に会いに行きます。語られる両親の離婚の原因を考えても、春は父が引き取るのが筋では?お蕎麦屋のエピソードから、色々推察出来ますが、お金には困っていない父親は、養育費は送っていたのでしょうか?ならあの窮状は?ここも父の再婚や春の母親の三回忌など、雑多なエピソードを語る割には、肝心な父娘の交流がどの程度だったのか、不透明。なので盛り上がるはずの春の慟哭も、今イチこちらに届きません。

言いたい事はわかるし、良い骨格なのですが、脚本が雑に感じました。饒舌に語らす割には、肝心のところは見えてこない描き方です。色んな方が書いている通り、あのラストの唐突さもいただけなかったです。

仲代達矢は、まぁ無学な元漁師にはちょっと見えなかったけど、素敵だったのでOK。いや〜、あんな素敵な老人に街で「お茶でも」なんて言われたら、喜んでついて行きそう。徳永えりは、大御所仲代に一歩も引かず、大健闘でしたが、終始がに股だったのが、最後まで謎。あれで地方の若い子の純朴さを表現したつもりなら、ピントがずれてます。

以上の理由で、私はあまり乗れませんでした。個人的には惜しい作品ですが、引っかかりのない方も多数いらっしゃる作品ですので、お確かめになって下さい。


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