ケイケイの映画日記
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2010年05月30日(日) 「パーマネント野ばら」




27日に観て来て、あまりに今の私の心が求めていた作品だったので、西原理恵子の原作も帰りがけに買って読みました。原作の持つ愛すべき獰猛な逞しさを絶妙に脚色していて、「映画と原作は別物」を立派に体現出来ていて感心しました。原作 ・映画、それぞれ別の良さがありました。監督は吉田大八、脚本は奥寺佐渡子。

まさ子(夏木マリ)が経営する、高知の海辺にある美容室「パーマネント野ばら」。村で一つしかない美容室は、あけすけに日常を語る、村の老若の女性たちの社交場です。なおこ(菅野美穂)は、一人娘のももを連れて、母まさ子の元に出戻ってきました。なおこの幼馴染のみっちゃん(小池栄子)や、ともちゃん(池脇千鶴)も、それぞれ男運のなさに嘆きながらも、毎日を逞しく生きていました。なおこも高校教師カシマ(江口洋介)との恋を育んでいましたが・・・。

のっけからパンチパーマのおばちゃんたちの、下ネタ満載の毒のある会話に爆笑。髪型だけじゃなくて会話にもパンチがあって、こちらまで元気になれそう。なおこ、みっちゃん、ともちゃん、その他野ばらに集まるおばちゃんたちのエピソードも、全て独立していながら、上手く物語に溶け込んで、ユーモラスで女の逞しさを感じさせる作品感を造形しています。

浮気性の夫を持つフィリピンパブのママのみっちゃん、貧乏所帯で健気かつ執念深く夫の帰宅を待つともちゃんの、ガシガシ大地を踏みしめる生活感溢れる存在感に比べて、一児の母なのに頼りない脆さを感じさせるなおこ。カシマとの逢瀬にも、そこだけが作品から浮遊した印象を受けましたが、それには秘密がありました。

その秘密には、私は初めの方から気付いていました。私の咀嚼では、秘密の鍵を握っていたのは、母のまさ子。カシマとの逢瀬の後、夜半に帰宅すると夢を観て泣いている娘のもも。しっかり孫娘を抱きながら、「ももの母親はおまんぜよ」と、きつくなおこに言い放つまさこ。華やかさときっぷの良い女っぷりで、モテモテだったと語られる彼女。回想シーンから受けた印象は、どんなに男と恋しようが、母親である事は絶対に忘れなかったと思われました。なおこと、今は外で女を作っている再婚した夫(宇崎竜童)との穏やかな交流を観ると、まさ子が男を選ぶ時、なおこの事も考えていたように感じました。それでも尚、母の愛情を独占できない寂しさを託った幼い日の彼女。ずっとその心が、彼女の心の底に沈んでいたように私には思えました。

浮気した夫と店のホステスを、車で轢いてしまうほどの激情を見せたみっちゃんの選択には、今は認知症になってしまった父親(本田博太郎)の存在があったと思えるのです。子供の頃、家が食うに困るほどお金がなくなった時、電柱を切って闇で売ってお金にしたみっちゃんの父。「お父ちゃんはいつも命懸けで身体を張って、家族を守ってたんよ」と、亡くなった母から聞かされていたみっちゃん。どんなに愛していても、夫には成れない男もいるのだと、両親から学んでいたのでしょう。

なおこの秘密は、自分が一番輝いていた時に記憶が帰ってしまった、みっちゃんの父親と同じなのでは?あの時この人といっしょになっていたら、私はどうだったのか?今の壮絶な寂しさは、払拭されたのではないか?その思いが、彼女に秘密を抱えさせてしまったように思えました。

私が本当に感激したのは、なおこの秘密を知っていた村の人々みんなが、彼女を甘やかさず、しかし温かく見守って受け入れていたことです。登場人物全てが、屈託を抱えて生きている現実を、極太のユーモアで笑い飛ばしながら、女として生きる事の息苦しさと生き甲斐、この相反する二つを、見事に描き出せていました。女同士っていいなぁ、とつくづく再確認しました。

とにかくキャストがドンピシャ。菅野美穂は今にも心が散り散りに成りそうななおこを、抜群の透明感を持って演じていて好演。池脇千鶴はいつもながらの安定した演技です。そして小池栄子!やり手で情が濃いみっちゃんの、豪快な女っぷりに滲ませる、女心の切なさを表現しきって絶品でした。順調に女優として成長してくれているようで、彼女のファンとしてはとても嬉しかったです。夏木マリも、パンチパーマで素顔がほとんどなのに、やっぱりモノが違うよなぁと感じさせる華があります。今でも女としての現役感満載の彼女から発せられる、「ももの母親はおまんぜよ」の意味の深さを、私は忘れられません。

こんな迫力の女優陣の中、宇崎竜瞳、江口洋介、みっちゃんの夫加藤虎ノ介、ともちゃんの夫山本浩司、本田博太郎と、キャラの濃いのから薄いのまで、みーんなちゃんと女優陣を引き立てる演技で記憶に残り、素晴らしいです。

ラストにももが、母親のなおこに「お母さん」と呼びかける後の言葉は、「私がいるから大丈夫やろ?」ではないかと思います。そう、この村に居れば、なおこもみっちゃんもともちゃんも、みーんな大丈夫。女として生きる苦悩を、大らかに見守って、今日も明日も頑張ろうと思わせてくれる作品でした。さあ、私も頑張るぞ!


2010年05月16日(日) 「オーケストラ!」




もう大好き!愛してます!予告編で予想していたより相当ドタバタしていましたが、そのドタバタがあったがこそ、皆の思いが集約する、圧巻のラストが盛り上がったと思います。こんないい加減な設定のコメディが、まさかの社会派作品として成立し、こんなに心に響くとは。監督はルーマニアのラデュ・ミヘイレアニュ。ロシアの楽団を描くフランス映画です。

かつてはボリショイ交響楽団の天才マエストロだったアンドレイ(アレクセイ・グシュコフ)。しかし30年前のブレジネフ政権時代、国はユダヤ人敗訴の運動を強行。楽団のユダヤ系演奏者たちが犠牲になるのを目の当たりにし、彼らを擁護したことから楽団を解雇されます。以来浮き上がることなく、現在は劇場清掃員の身。しかし清掃中にパリの劇場から楽団に、出演依頼のファックスが届くのを偶然目にした彼は、かつての仲間を集めて、偽の楽団で公演しようと思い付きます。妻や楽団員で友人のサシャの応援を得て、計画を進めるアンドレイ。彼はある思いを抱いて、ソリストにはフランスの人気ヴァイオリン奏者アンヌ・マリー・ジャケ(メラニー・ロラン)を指名します。

抱腹絶倒とまではいきませんが、とにかく笑えること請け合いです。その中で、冒頭のコミカルに描くアンドレイの様子や、昔の仲間が集まった時に口々で奏でる「ウィリアム・テル」の楽しそうな姿など、未だに彼らが音楽への情熱を失っていないことを、観客に知らしめます。

楽団員たちは皆不遇を託ち、オンボロ救急車の運転手や蚤の市の差配人、ポルノ映画のアテレコで生計などなど。しかしドキュメントタッチで重苦しい「クロッシング」と違い、こちらはあくまで底抜けに明るく、生き抜くバイタリティを感じさせます。これは今は共産主義から抜け出したロシアと、政治に圧迫される北朝鮮の違いが、描き方の違いにも現れているのでしょう。

何とかかんとかパリに来てみれば、楽団員それぞれの思惑は違い、金儲けに走る者、もしかしたらそのまま亡命?みたいな人、共産主義を再び!に並々ならぬ熱意をかける人、てんでバラバラ。リハーサルさえおぼつきません。何ていい加減な!と憤慨することなかれ。この右往左往がとっても面白くチャーミングに描かれているので、全然物語を破たんさせません。それどころか、政治に翻弄されて今まで抑圧されていた人々が、本来の生気を取り戻したように生き生き感じさせるのです。上手い政治批判だなぁ。

やり手に見えるアンドレイの妻が、夫に計画を打ち明けられるや、「離婚するわよ」のすぐ後に、「この計画を実行しなかったら」の言葉には、胸を熱くさせられました。何かと言うと、タマの大きさの違いを見せてやる!とか、タマをちょん切るとか仰る豪快な奥様なんですが、肝の太さと妻として繊細な愛情で夫を支える姿は、今は不遇のアンドレイの、本来の優秀な音楽人である姿まで感じさせてくれます。

アンヌ・マリーに執心したのは、実は深い訳がありました。私は最初別の理由を想像したのですが、そうではなかったです。それは大いなる贖罪を意味し、人間としての誠意と自負を感じさせるもので、短絡的な私の想像を超えた、とても意味の深いものです。回想シーンでとある女性がヴァイオリンを「奏でる」姿に、私は号泣。どんなに厳しい状況に置かれても、心から大事なものは奪えないのだと言う希望を感じさせる描き方に、救いの見えなかった「クロッシング」との違いを、また痛感させられました。

アンヌ・マリーの存在の大きさで、あり得ない展開も力技で納得。神様っているんだなぁ。つくづく希望の大切さを痛感します。

ヘタレなのか誠意ある信念の人なのか、揺らぎまくるアンドレイ他、豪気な彼の妻、悪役でアクの強さは人一倍なのに、ここ一番でいい仕事をしてくれた元マネージャー、大らかで心優しいサシャ(ちなみに私がこの作品で一番好きな人)、清楚で純粋なのに、少し憂いのあるアンヌ・マリーなど、登場人物全て解り易く、キャラに好感が持て、その他の楽団員の善良かつ計算高い食えなさ加減なども、本当にチャーミングに描いています。笑って笑って最後に大泣き。ラストの圧巻の演奏を聞きながら、クラシック音楽は、案外庶民的な感動を呼ぶ芸術なのだと思えてきます。

私は梅田ガーデンシネマで平日の朝一番に観たのですが、五分前に着くと何と立ち見席!ガーデンは大阪ではここでしか上映しない作品が多く、立ち見のレディースデー鑑賞が続いたので、3年前にこの劇場の会員になったのにと、嘆いての通路に座り観でしたが、鑑賞後はそんな不平などなんのその、次回上映を立ち見だと嘆いていた方に、思わず「立ち見でも観る価値充分ですよ!」と、声をかけてしまいました。少し空いて来た頃に、ちゃんと座ってもう一度観たいと思います。


2010年05月10日(月) 「プレシャス」




実は4/28に観ていて、もう二週間近く過ぎてしまいました。とても感銘を受けたのですが、所々疑問があり、それが日が経つに連れ増大。考えがまとまらないまま、日が過ぎて行きました。良い作品でしたが、「私の映画」ではなかったみたい。監督はリー・ダニエルズ。母親役のモニークが、アカデミー賞最優秀助演女優賞を受賞しています。

1987年のNYのハーレム・16才のプレシャス(ガボレイ・ジディベ)は、極度の肥満体の上、読み書きもままならないほどの学習能力です。彼女の家庭環境は悲惨で、義父にレイプされ最初の子はダウン症で生まれ、今また妊娠中。母(モニーク)と生活保護を受けて生活していますが、母はプレシャスに容赦なく手をあげ、虐待の限りを尽くし、国からの保護費も独り占めです。二度目の妊娠で退学を余儀なくされたプレシャスは、校長の勧めでフリースクールに通うことに。そこで教鞭を取るレイン先生(ポーラ・パットン)との出会いが、彼女の人生を変えて行きます。

まずプレシャス役のガボレイの存在感が圧巻。アメリカは肥満の人が多いですが、彼女は150キロぐらいでしょうか?色も本当に黒いです。黒人は少しでも色が薄い方が美しいとされると読んだことがあり、自分の容姿・家庭環境・学習能力のレベルなど、彼女が人生に絶望してもおかしくないのに、それを救うのが、豊かな想像力です。夢想して現実逃避するのです。

こんな逃避方法、本来ならやり切れないシロモノなのに、そのシーンがティーンらしい楽しさとユーモアに溢れているのが、とても利いています。

子供たちの父親は義父。若い子らしいロマンチックな思い出もなく、セックスの相手をさせられたあげくの妊娠かと思うと、それだけで涙が出ました。フリースクールでレイン先生と出会い、文字を習い。「愛する」という本来の意味も学ぶプレシャス。そのスクールは訳ありの子ばかりが通っているのですが、二番目の子の誕生を病室で、ティーンらいし弾けるような笑顔で祝う同級生の女の子たちとプレシャス。例えフリースクールでも、「学校」なのです。この屈託ない明るい笑顔は、学び舎を共有する者同士の笑顔です。この共有感こそ、私は学校の大きな値打ちだと思います。

読み書きが出来るようになると、日記を書かせるレイン先生。今まで自己表現の術を知らなかった彼女ですが、初めてその術を知ります。そうすると己を見つめる事ができ、自我が芽生えます。自我の目覚めは、眠っていた上の子への愛情も呼び覚まします。教育ってすごいなぁ。東大やハーバードを舞台にするより、ずっと根源的な「何のために学ぶのか」という意味が描かれます。

教育により変貌する少女というのが、この作品の一番のテーマですが、もうひとつのテーマは、ネグレクトの親でしょう。プレシャスとラスト近く対峙する母の思いの丈を聞き、私はずっと謎だった事が理解できたのです。

新聞を連日賑わす児童虐待ですが、無職の内縁の夫に我が子が虐待されて、どうして母親たちは逃げ出さないのか?という事です。プレシャスの母は、セックス=愛されていると大きな勘違いをしています。いやこれは勘違いではなく、肉体の快感しか、己を癒すことが出来ないのでしょう。私がぞっとしたのは、実は義父のレイプシーンより、母親が実の娘をマスターベーションの手伝いに呼ぶシーンでした。母にとって肉体の快感というのは、赤ちゃんがお腹が空いて乳房を吸うのといっしょなのです。

でもそれって人間以前でしょう?ここまで描いておきながら、母親の背景が見えづらいのです。彼女も母の愛の薄かった人だとは想像出来ます。しかしどこにも光明の見えないはずのプレシャスが、最後に見せる豊かな母性も、祖母から母に受け継がれたものへと変化しないと言えるでしょうか?人は親を手本にしたり反面教師にしたして成長するものですが、「ああはなりたくない」と思っていた、親の嫌な部分に似ている自分にハッとする、そんな経験は誰にでもあるはずです。

なので私はもう少し母の背景を深く描いて欲しかったと感じました。そして母にも、救済が欲しかった。如何にも日本的な考え方かも知れませんが、それがプレシャス自身の、未来へも繋がる気がするのです。

モニークはコメディアンですが、そのせいか、鬼母なのに笑いを取るシーンが上手く、激情に駆られるシーンとの落差が、よりこの母の無知の哀しさを浮かぶ上がらせていました。ただの演技派が演じても、悲惨さだけが浮かび上がり、やり切れなかったと思います。

生活保護が増大し、児童虐待が世間を騒がせる毎日、ドロップアウトした子供たちが通うフリースクールなど、私はとても20数年前のアメリカの話だとは思えませんでした。プレシャスは生きている。でも彼女の年まで生きられなかった子供も、たくさんいるのです。「魂萌え!」の敏子が、虐待される子供のニュースを観て泣くシーンがありましたが、同じ経験があるのは私だけではないでしょう。そういう気持ちが、この作品を少し物足らなくさせましたが、力のある良質の作品であるとは、感じています。


2010年05月03日(月) 「クロッシング」




久しぶりに声まであげて泣きました。脱北のことは盛んにテレビの報道番組でも取り上げられていて、出てくるエピソードは既に見知った事も少なからずありました。しかし知っている事が描かれているのに、切々と深々と感情を揺さぶられるこの力こそ、これこそが映画なのだと感じました。監督はキム・テギュン。100人以上の実際の脱北者に取材し、綿密に脚本を練り上げ、4年かかって作った作品です。

かつてはサッカー選手として国家代表にも選ばれたキム・ヨンス(チャ・インピョ)。今は炭鉱夫として働き、貧しいながら優しい妻と明朗な息子ジュニ(シン・ミョンチョル)とを養い、温かい家庭を築いていました。しかし充分な栄養も取れない暮らしが続き、妊娠中の妻は結核に罹りますが、療養費がありません。意を決したサンスは、身の危険を冒しながらに中国に渡り、出稼ぎすることにします。懸命に働くヨンスでしたが、妻はジュニの行く末を案じながら亡くなります。一人残されたジュニは、父親と再会すべく、中国を目指します。

泥だらけで肉体労働に励むサンスに、笑顔で迎える妻と息子。二人はヨンスに対して敬語です。そこには大黒柱として家族を養う夫・父に対しての、尊敬と信頼が伺えます。隣人との気のおけない交流、小学生同士の淡い初恋。北朝鮮と言えば、独裁政権下で悲惨な状況ばかりがクローズアップされますが、このように穏やかな笑顔で暮らす当たり前な一面もあるのだと、そこにまず意表を突かれました。市井の人々の心映えの美しさを目の当たりにし、新鮮でした。

しかしヨンスの妻が妊娠中に栄養失調から結核に倒れてから、ヨンス一家の暮らしは暗転します。真面目に働いても食うに困る生活。秘かに中国国境の警備員に賄賂を渡し、物資を密輸していた隣人も警察に捕まり、薬を入手出来なくなったサンス。そもそも結核の薬が、北朝鮮では入手困難なのです。家にある金目の物は全て現金に換えても、生活は苦しさを増し、ついにヨンスは家族を守る為、出稼ぎのため、一人中国への脱北を決意します。

設定は2007年なのですが、人々の暮らしぶりから街の様子まで、まるで終戦直後の日本なのです。テレビは貴重品、配給で手に入りにくい物は闇市で買い、ガスの使用もありません。日本ではもう30数年前に炭鉱は次々閉鎖されているのに、国家の貴重な資源として国民に吹聴するマスコミ。余りの文明の遅れに、とてもショックを受けました。しかし禁制の韓国のサッカーチームの試合のビデオを観ていたヨンスは、「ちゃんと食べているから動きが俊敏だ」と言います。かん口令が引かれ、北朝鮮の庶民は、韓国の実態をほとんど知らないと思っていましたが、どうやらそうではないようです。

幾度か脱北の様々な様子が出てきます。そこはやはり、賄賂が横行したり、脱北をビジネスにしている人々も出てくるのですが、胡散臭い人もいれば、人助けにしか見えない人もおり。観ていて複雑な気分になります。そしてやはり脱北の様子は命懸けです。万に一つの狂いも許されず、アクシデントは自分で乗り越えなければいけません。鬼気迫る迫力が、観ている者に伝わるのです。

夫の帰りを待たずに亡くなってしまう妻。こんな時日本なら韓国なら、10歳程の子が、路頭に放り出される事はないでしょう。しかしたった一人残されたジュニは、術もわからぬまま父のいる中国を目指します。

私は家族を置いて脱北した人は、何故残した家族が不遇を託つのを知っているのに、自分だけ脱北するのか?と不思議でしたが、この作品を観て「壮絶な成り行き」で、そうなった人がたくさんいるのだと理解出来ました。特に後半のヨンスの展開は、誰が悪かったというのではありません。生き残る事に懸命であった、ただそれだけのことなのです。ヨンスの雇い先の上司の、「誰にでも色んな事情があるんだ」と言う平凡な言葉が、とても胸に沁みます。

やっとの事で父とジュニが電話で会話出来た時、ジュニの最初の言葉は「お母さんを守れなくてごめんなさい」でした。この言葉に私は号泣。一人で恐ろしかった、または結果的には置き去りにした父親を詰る言葉があってもよかろうに、たった10歳の子の言葉は、自分を信頼して母を託してくれたはずの父の期待に応えられなかった、その事への謝罪でした。息子として、幼くても男としての責任を果たせなかったジュニの悔恨は、そのままヨンスの重い重い悔恨でもあるのです。他方は信じられない劣悪な環境に身を置き、他方は北朝鮮ではあり得ない安定を享受し。しかし一緒に暮らしたいと言う共通の願いは、二人とも一度も忘れた事はないのです。

この作品の成功はヨンス一家のお互いを思いやる強い心を、シンプルに力強く描いた事だと思いました。今の日本や韓国でジュニのこの言葉は、中々引き出せないセリフだと思います。私も不謹慎ですが羨ましいような感情に駆られ、この美しい心を持つ善良な家族の幸せを願わずにはいられないのです。この作品は韓国国内のみならず、世界的な展開を視野に入れた作品のはずです。この作りなら、どの国でも理解出来るのではないでしょうか?

この作品を北朝鮮をバッシングするプロパガンダ映画だと評する声も聞かれます。確かに想像以上の劣悪な収容所の様子、ストリートチルドレンの悲惨な様子が描かれ、目を覆いたくなる描写もありました。しかし私が観る限り、声高に北朝鮮の体制を批判する描写は皆無でした。映したのは「ありのまま」だった、と言う印象が強く残ります。作り手はその「ありのまま」を観て、観客に感じて欲しかったのではないかと思います。

出演者ではヨンス役のチャ・インピョが大熱演で好演しています。誠実で心の逞しさを感じさせる風貌が良く、夫として父として、責務が果たせぬヨンスの壮絶な焦りに、とても感情移入させられました。ジュニ役のシン・ミョンチョルも素直で明朗な様子が好感が持て、何度も泣かされました。

エンディングで流れる浜辺で家族ぐるみで近所の人々が遊ぶ様子。子供たちは元気にはしゃぎ、大人は鍋を囲みお酒を飲み、楽しく歌い踊り。仕事に励み家庭を守る人々が、休日にささやかに楽しむ、人として当たり前の風景です。その当たり前の生活が許されないのが、今の北朝鮮なのです。同じ民族として、朝鮮半島の半分に住む人々が、心穏やかに人生が送れるよう心から願う、監督の心が現れていたように思います。

心斎橋シネマートは超満員でした。大阪ではここだけの上映ですが、一人でも多くの方に観ていただき、上映館が増えればと思います。私の感想が微力でもその力になればと願っています。


2010年05月01日(土) 「タイタンの闘い」(2D字幕版)




公開早々の4/24に観ました。今日(5/2)も「クロッシング」観て、その前には「プレシャス」観て、本来なら感想飛ばしてもいいくらいの作品なんですが、私のマッツ・ミケルセンが出演しているので、やっぱり書く事にします。まぁこんな一見後ろ向きな評価なんですが、マッツが思いの外たくさん出ていて、それも大層カッコ良かったので、それだけで私的には大満足の作品でーす。画像向かって右ね(ハ〜ト)。

神と人間が共存していた太古の時代。神ゼウス(リーアム・ニーソン)の息子で半神でありながら、人間の子として育てられたベルセウス(サム・ワーシントン)は、暴虐の限りを尽くすゼウスの兄ハデス(レイフ・ファインズ)倒すため、王からの使徒であるドラコ(マッツ・ミケルセン)たちと旅だちます。

予定調和で進み、あのシーンこのシーン既視感いっぱいの作品。でもこれがつまらんかとゆーと、さにあらず。結構面白いです。画面の作りがしっかりしている事もありますが、一番の勝因は華のある実力派俳優(それも美中年)をいっぱい集めていて、主演の若いワーシントンを支えていることです。その中に私のマッツもいるわけで(おほほほほほ)。内面の掘り下げなんかほったらかしで映画が進む中、さすがは皆さんキャリアが豊富なので、きちんと表面だけでどういう心の葛藤があるかまで感じさせてくれ、腕のある役者はやっぱり違うわいと、感心しきりです。

だいたいこの神々なんですが、女はレイプするわ、主権をめぐって骨肉の争いはするわ、自分達の傲慢なプライドで人間に制裁を加えるわで、有難味もへったくれもない神々です。正しい神(そーとも思えんが設定上はそう)リーアム・ゼウスは純白の衣装でキラキララメ光線を放ち、おでこを半分くらいハゲさせたレイフ・ハデスは邪悪な神で怪演と、もうこの辺で映画好きはウハウハするこ請け合いです。特にレイフは楽しそうだったなぁ。「ハリポタ」シリーズでもヴォルデモードを演じているし、こういう役が好きなんですね。ビートたけしが世界の北野になっても、かぶりもんを止めないのといっしょなのかも?好感度アップ!

そしてそして、一番私が嬉しかったのは、こんなイケメン美中年俳優目白押しの中で、マッツが一番カッコ良かったこと!予告編では薄汚かったので、あんまり期待していませんでしたが、それは勇敢に闘った証だったのですじゃ。今回髭も白く、若干老けこんだ印象はありましたが、立派な体躯を生かすマッチョな役でクリーチャー相手に大活躍。マッツの闘う男ぶりに魅了されました。カメレオン俳優ではないのですが、役柄で年齢が10歳以上幅があるように感じるのはザラ、顔も超ハンサムに見えたりフランケンシュタインみたいに見えたり、マッチョだったりエレガントだったりと、変幻自在なのも魅力です。

普段の画像なんか観ると、全然ファッションには無頓着みたいですが、これは2007年に「H&M」の公式モデルになった時のもんらしいです。実は今回夫といっしょに観たので、「この人が私が一番今好きな男優やねん!」と、言うと、「そうか。中々渋いええ役者やと思って観てたんや」と、評判も上々で嬉しかったです。なんかもうね、父親に恋人を始めて紹介する気分。「シャネル&ストラヴィンスキー」のイゴール役なら、「お前はまた、何をこんな辛気臭い男を・・・」と言われる事必死なので、この作品で良かったです。

で、主役のワーシントンなんですが、可もなく不可もなく。思えば「T4」「アバター」も、大作の主役級ながら、役柄はほとんど人間もどき。今回も半分神様と、真っ当な人間役は観た事がありません。今回も無難にこなしてはいますが、大味な大作でもきちんと結果を出すベテラン陣に比べると、存在感の薄さは否めません。次は現代もののアクションかドラマで、目先を変えた方がいいかも?女優陣はアンドロメダ役のアレクサ・タヴァロスが、慈悲深い聖女的な王女には全然見えず、ミスキャスト。ベルセウスの守護神役イオのジェマ・アータートンは、神秘的で美しく、良かったです。

クラーケンなどクリーチャーも迫力あり、観ている間退屈をすることはありません。怪獣とイケメン中年がお好きな方には、特にお勧め致します。


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