ケイケイの映画日記
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2008年12月29日(月) |
「ラースと、その彼女」 |
心温まる作品です。男性がお人形に恋する、または心を乗っ取られるいった作品では、前者では邦画の「人でなしの恋」、後者では若き日のレクとター博士@アンソニー・ホプキンス主演の「マジック」を観ていますが、両方ともサイコ調のサスペンス的味わいの深い作品でした。しかしこちらは、とってもハートフルな作品に仕上がっており、「妄想」と言う言葉をキーワードに、観客の誰しもが自分を投影でき、癒しも感じられる作品になっていました。
アメリカの小さな田舎町に住むラース(ライアン・ゴズリング)。きちんと仕事をし、町の誰からも好感をもたれている彼ですが、シャイで人づき合いが苦手です。兄夫婦のガス(ポール・シュナイダー)とカリン(エミリー・モーティマー)は、年頃なのに恋人もいない弟を心配していました。そんなある日、ラースが恋人に合わせたいというのです。大喜びの兄夫婦。しかしラースが連れてきたのは、等身大のリアルドールのビアンカでした。唖然&戸惑う兄夫婦は、ラースをバーマン先生(パトリシア・クラークソン)に診せることに。バーマン先生は、ラースに同調するように指導します。かくして小さな町はラースのため、一丸となってビアンカを受け入れることになります。
妄想なんだから、ビアンカ嬢の設定もラースの思うまま。デンマーク人とブラジル人のハーフで、元宣教師で修道院で育ったんだとか。前半のお水の花道まっしぐらの濃い化粧とイケイケ衣装のビアンカは、それはないでしょうのアンバランスさ。しかし生まれてすぐ母が亡くなったという設定は、ラースと重なるのです。それが物語のキーワードでした。
母が自分を生んですぐ亡くなった事で、長年自責の念にかられていたラースは、そのことが起因で女性が苦手だと、バーマン先生とのカウンセリングで明らかになります。ラースの妄想がどうして始まったか、それは兄嫁カリンの妊娠がきっかけだったのでしょう。
弟の気が触れたと動揺する兄夫婦は、町の長老や教会の神父に相談。町ぐるみでビアンカは受け入れられます。この辺は温かい寓話だよなぁと思って観ていた私ですが、ラスト近くの神父のセリフ、「ビアンカの存在によって、私たちは試された」という言葉はを聴き、これは寓話なんかではなく、とっても大切なことを教えているんだと気づきました。
昔娘さんが精神的な病に罹られて、治したい一心で、ある宗教で信仰する道を選んだお母さんがいらしっしゃいました。その方が、「お話しを聞くと、とても心が落ち着くんですよ。初めは娘のため、私が娘を連れて来ていると思っていましたが、今はこの子がいたから、私はこんなに安らかな気持ちになれるのだと思うと、私ではなくこの子が私を連れて来てくれていたんだなと、素直に思えるんです。」
一見不可解はラースの行動は、周囲の人々の心の底にしまってあった、意識のない罪の意識を、表面化させます。自分がラースを心配していたのは、表面的に過ぎなかったと反省するカリン。ラースが大好きな同僚マーゴの心の変遷。私が一番感銘を受けたのは、兄ガスが、触れたくなかった昔の自分に向き合ったことです。ラースに対して罪の意識は多少あったでしょうが、偏屈だった亡き父に対してのガスの心の変化は、正にラースとビアンカが引きだしてくれたものだと思います。ガスは積年の心の澱から、きっと解放されたはず。
その他町の人々の善意の行動は、多かれ少なかれ、ラースを思う気持ちを通じて、知らず知らずに「隣人を愛す」という心を、新たにしたことでしょう。ラースのためにと取った行動は、自分を解放してくれたり、力をつけてくれたりした訳です。
その気持ちが如実に表れたのが、本来は変化がないはずのビアンカの容姿です。いつのまにかイケイケ娘は、化粧薄く服装は地味、髪型も優しく清楚そのものになっていきます。ラースだけではなく皆の妄想=思いが、ビアンカを変えていったのでしょう。
どうなるんだろう?と思っていた行く末ですが、初めからラースの心は決まっていたのではないでしょうか?ほら、新しい生命の誕生の時は・・・って言うでしょう?現実を受け入れ乗り越えるために、ラースにはビアンカが必要だったんですね。そういう意味では、本当にベストパートナーでした。
大笑いではありませんが、クスクス笑えるシーンも随所にあり、軽く観ているうちに、段々と心が豊かになって行く作品です。「ウォーリー」と共に、このお正月の恋愛映画は、ちょっと変化球みたい。
2008年12月24日(水) |
2008年 年間ベスト10 |
早いもので今年もあと一週間。恒例の年間ベスト10です。今年は100本観るのが目標でしたが、早春の三男の高校入試、4月の姑の死去、秋の私の久々の就活などで慌ただしく過ぎて行き、今日観た「ラースと、その彼女」まで劇場で新旧合わせて93本の鑑賞です。無念・・・と思っていたのですが、昨年のベスト10を見返すと、89本。今月はあわよくば「K−20」も観たいと思っているので、結局昨年より4〜5本増えています。まぁ上出来かな?今年はアメリカ44本、デンマーク2本、フランス2本、日本29本(うち旧作3本)、中国4本、イギリス6本、ドイツ3本、韓国・ロシア・スイス各一本の計93本です。忙しさにかまけて、「ガチ★ボーイ」と「ブーリン家の姉妹」が書けなかったのが残念です。では洋画から。
1 イントゥ・ザ・ワイルド
2 コレラの時代の愛
3 イースタン・プロミス
4 ある愛の風景
5 潜水服は蝶の夢を見る
6 アウェイ・フロム・ハー
7 ヤング@ハート
8 シークレット・サンシャイン
9 12人の怒れる男
10 さよなら。いつかわかること
邦画は本数が少ないこともあり、ベスト5ということで。
1 休暇
2 実録・連合赤軍 あさま山荘への道程
3 ぐるりのこと。
4 純喫茶磯辺
5 接吻 (クリックすると飛べますので、よろしかったお読み下さい)
う〜ん、選んでいて愕然。なんと全てミニシアター系の作品です。中にはシネコンで公開のもありますが、大阪市内で一館だけの公開だったり、実質単館系と同じです。私はいつからこんな好みになっちゃたんでしょう?(謎)。メジャー系では「おくりびと」も、本当に好きな作品でしたが、「接吻」の小池栄子を忘れがたく、涙を飲んで選びませんでした。何の権威もないベスト10なので、まぁいいか。
今年は本当に私的に変革の年でした。そこへ100年に一回と言われている未曾有の大不況。正直このせいで、慣れた午前中だけの仕事から転職を決意したようなもんです。観たい映画が今まで通り観られる勤務時間でと選んだ、現職場です。とはいえ、月に20時間くらい勤務時間が増えるので、今までのように全て感想をアップすることは難しいかもしれませんが、細々でも週イチくらいはアップしていきたいと思います。だって私にとって一番大事なものは家族。二番目は映画を観て、感想を書くこと。ですからこのサイトです。節約の掛け声と共に、無駄なものを生活から削ぎ落としていくと、案外大切なものは見えてくるもんですね。
毎朝目に飛び込むのは暗いニュースばかりという日々には、いつおさらば出来るかわかりません。それでも来年は少しでも明るくと、祈らずにはいられません。来年も家事して仕事して映画観て。そういう平凡な毎日が送れるよう、願っています。
それでは皆様、今年も大変お世話になりました。来年もどうぞよろしくお願い致します。
2008年12月18日(木) |
「WALL・E/ウォーリー」(吹き替え版) |
信頼できる映画友達の方から、絶対大人は字幕版!と、ご助言いただいておりましたが、なんせ新しい職場でまだ3週間足らず、いっぱいいっぱいの身には、電車で20分のなんばTOHOも遠いのよ。しかしこの作品は何としても観たく、吹き替え版のみの近場のラインシネマをチョイス。なので、めでたさも中くらいかな?と予想していましたが、しっかり思い切り感動して参りました。精神年齢が低くて良かった・・・。監督は「ファインディング・ニモ」などのアンデリュー・スタントン。
誰もいなくなった地球に、置いてけぼりになったゴミ処理ロボットのウォーリー。実に700年間、毎日毎日廃墟と化した地球で、たった独り仕事に励んでいます。そんなある日、飛行船から現れたのが新型ロボットのイヴ。彼女に一目惚れしたウォーリーは、なんとか彼女の気を引こうとしますが、イヴはある使命を帯びて、地球にやってきたのでした。
出だしからロボット二体の出会いと交流の描き方が、秀逸です。一生懸命ごみ処理をするウォーリーからは、生き生きとした楽しさが感じられるのですが、画面を引くと、そこは廃墟と化したアメリカが映し出されるのです。広大な荒れ果てた地でたった一体のウォーリー。人工知能を持っているのでしょう、自分の住まいを作り、ゴミの山から好みの宝物を探し、いそいそ持って帰る様子が健気で切ないです。それは彼の見つけた孤独を癒す方法なのでしょう。何百年も前のはずのお気に入りのビデオ「ハロー・ドーリー」を繰り返し見ながら、手を繋ぐシーンに憧れるウォーリー。自分の手を組みながら画面を食い入るように観る彼に、ほとんどロボットだとは忘れそうです。
そんなウォーリーの前に突然現れた流麗なフォルムの新型ロボットのイヴ。、これが「T3」の近代型ロボット、クリスタナ・ローケン真っ青の破壊力を持っています。内気で優しく不器用なウィリーと、別嬪さんだけど気が強くてすぐに手が出るイヴの交流は、ほとんど会話がありません。ボディランゲージだけなのですが、これがロボットなのかというほど、二体の動きと表情は、セリフ以上に豊かに彼らの「心」を語ります。この辺は常にCGに血の通った温もりを感じさせる、ピクサーアニメの真骨頂というところでしょうか?
ウォーリーが初恋のイヴを追って以降のお話は、私は全然予備知識がなかったので、すごく考えさせられました。ごみ処理していたウォーリーが汚染物資扱いなのは、現代の狂信的な清潔神話めいた風潮を揶揄しているように思えます。人間が何百年かけて助々にロボットに世話してもらう部分を増やしていくと、ああいう姿になるのも納得です。思考能力から感受性まで、全て退化しているのがわかります。怒るという概念もないみたい。身体を使うという事がいかに大切かが伺い知れます。
人工知能に支配される様子は、とあるSF映画を彷彿させます。そしてその映画に印象的に使われた音楽も使われますが、それを踏まえて、この作品ではとってもブラックな味付けです。本来は人間の進化を表す場面ですが、自分たちに都合よく便利よくを追求すると、人間は進化ではなく退化するのだと言う皮肉が込められています。
宇宙船の艦長が叫ぶ「生き抜きたいのじゃ無い、生きたいんだ!」というセリフは、生きている実感が欲しいと目覚めた言葉で、とても印象的です。それを気付かせたのが、他ならぬ人口知能を持ったウォーリーやイヴなのですから、ここには未来に向けて、ロボットと人間の共存を望んでいるのを感じました。
今は廃館になりましたが、大阪にパナソニックスクエアというところがありまして、人工知能を持ったロボットが人気でした。小学生だった息子たちが楽しげに「彼」と会話した後、私も彼とお話することに。名前と住所を聞かれ答えると、「あれ?今聞いた名前だよ。○○くん(息子の名前)のお母さん?」と尋ねるではありませんか。「賢いねぇ!」と、思わず私が褒めると、「それほどでも・・・」と照れるではありませんか。一瞬心が通ったように感じたのは、錯覚だったのでしょうか?
ある地方都市では、試みに独居老人に簡単に受け答えできる人形を貸し出しているそうです。あるお婆さんは噛み合わない会話に、やはり人形ではダメだと感じていた時、何気なく帰宅時に「ただいま」というと、そのお人形が「お帰り」と答えてくれて、とても嬉しく思ったと、新聞で読みました。
イヴが足でまといに思っていたウォーリーを愛しく思い始めたのは、付き合いが深まり情が湧いてきたからなのでしょう。彼女の脳ではなく体が記憶し保存した過去の情景をプレビューすると、そこには、物言わずフリーズした自分を、甲斐がいしく慈しむウォーリーがいました。私はその時のイヴに、「ハロー・ドーリー」を食い入るように見つめていたウォーリーが重なりました。
知能であるからには、学習もするのでしょう。感情とは記憶の積み重ねから生まれるものだと思います。人間が作ったものですもの、人間の英知が組み込まれているはずのロボットたち。格差のあるロボット社会や、人間を支配しようとするロボットがいるなら、ウォーリーやイヴのような、人間のような感情を持つロボットもあり。どんな目的でどんな人が人口知能付きのロボットを作るのか、とても重要に思いました。願わくば便利なだけではなく、平和のために作られますように。
飛べない旧型ロボットのウォーリーが、消火器を使ってイヴと宇宙でダンスする場面が、ファンタジックでとっても素敵です。瓢箪から駒みたいな使い方でしたが、これも知恵の一つということで。
初期化されたウォーリーの行く末には、本当に号泣。これは単に擬人化されただけではなく、人口知能という付加がついたロボットだけに、リアリティがありました。この結末は甘いのかも知れませんが、私はこれで良かったと思います。
大人は一様に私のように感動するでしょうが、子供達がどう見るか、とっても興味深いお話でもあります。だって彼らがウォーリーやイヴを作るのですから。
素晴らしい!素晴らしすぎ!昔書き込みをしていた映画の掲示板で、「芸術とは感動させる力のあるもの」という意味の事を書いておられる方がいて、深く印象に残っていました。深い人生の陰影に彩られたソウルフルな彼らの歌声に、何度心が震えて涙が出たことか。決して上手くはなんです。でもこの感動は、オペラやクラシックなどと対等な芸術なんだと、私は絶対思います。
1982年にマサチューセッツ州のノーサンプトンの高齢者向け公営住宅で結成された、老人ばかりのコーラスグループ「ヤング@ハート」。平均年齢は実に80歳。その彼らの歌う曲は、讃美歌や牧歌なのではなく、ロックばかり。彼らの子供の様な年の50半ばのボブ・シルマンから指導を受けて、年に数回外国にまで出向いて公演している、現役バリバリのロックンローラーのコーラス隊です。
何が素晴らしいって、ラモーンズですよパンクですよジミヘンですよ、ジェームズ・ブラウンですよ!彼らが歌う曲の数々です。好きな音楽は?の問いに、口々に「クラシック」「オペラ」「ほら、ジュリー・アンドリュースの・・・(「サウンド・オブ・ミュージック」です)」などなど、本当は嗜好からはかけ離れているわけね。それがひとたび「ヤング@ハート」の練習となると、自分の中にほとんど数%しかなかったものを、必死で歌い込み手繰り寄せ、「イエーイ、この曲は俺達のモノになったぜ、ベイビー!」(80歳のお爺ちゃんのセリフ)としていくのです。指導者のボブが「新しい曲を彼らに渡す時が一番好きだ。」というのが、実に良く理解出来ます。
この過程は本当にスリリングで苦しいものです。しかし成し遂げた後の爽快感や達成感は、この年齢ではなかなか味わえないもののはず。いやボブや私の年代だって、滅多に遭遇できる機会はありません。しかし私の親や祖母の様な年代の彼らは、一つ一つ難関をクリアして、老いてなお「新しい自分」に出会えるわけです。この好奇心とバイタリティの見事さよ。さらに言えば、これが孤高の行いではなく、大切な仲間と一緒というのは、この年齢ではまずお目にはかかれません。
死の淵から生還し、4年ぶりにコーラス隊に戻ったお爺ちゃんの容体が再び悪化。しかし彼は病院を抜け出し、練習に参加します。「息子は止めたけど、練習に出なかったら、俺のパートは別の人に取られるから」。何なんですか、この執念。老いの一徹ではなく、これは高校生の部活、それも体育会系のレギュラー取りと同じノリではないですか。それも命を賭けた。メンバーは皆、命がけで歌が大好きなのです。「歌っている時は、腰や関節が痛いのも忘れるのさ」。その瑞々しくほとばしる彼らの思いは、観る者の心までを熱く熱くしていきます。
口々に「ボブは厳しいよ」と語るメンバーたち。憎まれ口まで出てくるのがご愛敬です。なかなか上達しない曲には「もうこの曲は止めよう」と容赦ありません。悔しさを滲ませ必死に練習する老人たち。グッドとナイスを間違えるくらい、私ならお年寄りなんだからと、きっと妥協してしまいます。でもそれは本当はとっても失礼な事なんだと、ボブの指導を観て思い知りました。老人だから仕方ないというのは、彼らの限界を勝手に作ってしまうということです。彼らの無限の可能性信じるボブだからこその厳しい指導。やはり復帰したお爺ちゃんが語ります。「俺達がこうやって歌っているのは、ボブの厳しい指導のお陰さ」。年齢を超えた本当に素敵な子弟の絆。
決して上手くはない彼らの歌声に私が涙したのは、甘い戯言から人生の風雪を滲ませたものまで、彼らが歌詞を自分のモノとして消化し、彼らの生きてきた軌跡まで、私の心に届いてきたからです。枯れた味わいや渋さではなく、この若々しい豊かな厚みを引きだしたのは、やはりボブの指導なのですね。
病院で入院中の、ガンで闘病歴のあるメンバーは、「あと10年は頑張りたいよ」と語ります。老人とは過去の出来事は良い事も悪い事も、繰り返し語るものです。しかし現在や未来の自分への願いは、なかなか出てくるものではありません。映画は現在の彼らの境遇については語っても、彼らがどんな人生を送りどんな社会的地位だったのかは、ほとんど触れません。語るのは今の彼らの事と、歌への取り組み方や熱意だけ。今と未来を大切にする老人だけが、過去から解放されるのだと感じます。
言い換えてみれば、昔を振り返るばかりのお年寄りは、未来への希望がないからなのですね。これを一概に老人ばかりに罪を押しつけていいのか?とも思います。私たちは何をすべきか?ボブから学ぶことはたくさんあります。
この年代では避けて通れないのが「死」です。メンバーの死をコンサートの前に知らせるボブ。動揺を避けるため、終わってからでもいいのにと思う私。ボブは語ります。「メンバーの死の哀しさは、歌うことで皆で分かち合うんだよ」。最年長メンバーの92歳のアイリーンは語ります。「私は歌うわよ。だって亡くなった人もそれを望んでいるはずだから。私が死んだら、虹の上に座って、みんなが歌う姿を見守るの」。表面だけの付き合いでは、ここまで死が間近なお年寄りの心を理解するのは無理でしょう。根底に彼らへの敬意を持つボブだからこその、対応だったのです。
場内は笑い声と感動の涙がいっぱいでした。その笑いは上品でゆったりした、お年寄りならではのユーモアに包まれていました。とあるバラエティ番組の御長寿クイズなる作られた老人のボケぶりを、「癒される」と称して笑いものにするような欺瞞は、皆無でした。
老人とは昨日出来たことが、今日や明日には出来なくなっていくものだという固定観念が、私にはありました。しかし「ヤング@ハート」のメンバーは、人とはいくつになっても新しい課題を克服できるのだと、昨日歌えなかった歌を、今日は見事に歌って見せてくれます。そこには保護される老人像は、全くありません。私たちと対等かそれ以上の彼らに、心から畏敬の念が湧いてきます。彼らの公演は全てソールドアウトだそうな。そりゃー、そうですよ。スクリーンで観たって、こんなに感動するんだから。思わずスクリーンに向かって、スタンディングオべーションしそうになっちゃった。
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