ケイケイの映画日記
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| 2008年11月30日(日) |
「トロピック・サンダー/史上最低の作戦」 |

わー、面白かった!でももっと声出して笑いたかったなぁ。いや面白さが足りなかったんじゃなくて、場内誰も笑わないの。一人で大声出して笑っていたら、バカみたいでしょ?それだけが残念です。おバカ映画の様相を呈していながら、映画好きには堪らない風刺の数々で、制作・出演も兼ねるベン・スティラー監督の才人ぶりも堪能出来ます。
鳴りもの入りで製作されている戦争映画の「トロピック・サンダー」。この作品で起死回生を狙う落ち目のアクション俳優ダグ(ベン・スティラー)、お下劣な印象が濃いヤク中コメディ俳優ジェフ(ジャック・ブラック)、オスカー受賞の演技派だけど、白人なのに皮膚を黒く整形してまで黒人役になりきるOG俳優ラザラス(ロバート・ダウニー・Jr)など、出演者は超個性的で、イギリス人監督(スティーブ・クーガン)は、まとめるのに四苦八苦。そこへ原作者のベトナム戦争経験者のフォーリーヴ(ニック・ノルティ)は、ある事を監督にそそのかします。ヘリで到着した場所を何も知らずロケ地だと思い込む出演者ですが、そこは麻薬組織が暗躍する、本物の戦場でした。
最初のフェイクの予告編からして大笑いしました。ジャック・ブラックパートは、エディ・マーフィーの「星の王子NYに行く」のパロディだぁ、とか、俳優の名前がアルパ・チーノ(ダニー・マクブライト)だとか、もうとにかくこの辺で期待が膨らむ私。
次の戦場場面では、腸が出まくるシーンでこられ切れず声を出して笑ってしまいました。いや、なんかこう書くと非常に誤解されそうなんですが、あの大げさなジェイ・バルチェルの演技は、絶対笑わせようと思ってのはず。これ「プライベート・ライアン」のこと、コケにしてないか?コレ以降も「プラトーン」、「地獄の黙示録」などなど、色々な作品のパロディが満載なんで、映画好きなら、これはあれだとニヤニヤしながら観る事必死です。 「地獄のヒーロー」も入ってた気がするけどなぁ。一時夫婦ではまって、新作が出るとレンタルで観たもんです。
単に映画のパロディだけではなく、本業は俳優であるスティラーは、日頃感じているだろうハリウッドの体質も、風刺を利かせながら面白おかしく見せてくれます。
某超大物俳優(多分もう名前が割れてるよなぁ)が演じる、出演者の生死よりもお金が大事な超拝金主義のプロデューサー。ゲイ映画が軒並み高評価を得るハリウッドだけど、現実にはゲイだと人気に陰りが出るのでカミングアウトは出来ない。白人俳優に黒人役を取られて激怒する黒人俳優。確かハリウッドでは協定があって、映画やドラマでグループで主役だと、必ず黒人を入れなきゃいけない規定があったはず。その中の主役級の黒人を白人が演じ、端役である自分の役には本物の黒人だなんて、そりゃ頭に来ますよね。ラザラスが語るオスカーを取る定義、ブルーレイが何故DVDレコーダーに勝ったのか?のお話など、為になる雑学もふんだんです。
その白人俳優ラザラスはアメリカ人ではなくオーストラリア出身で、ラッセル・クロウ、二コール・キッドマンを先頭に、オスカー受賞の花形スター俳優はOG出身者が大挙で、今彼らがいなくなったらハリウッドは成り立たず、そういう部分も思い起こさせました。エージェント(マシュー・マコノヒー)と俳優のしたたかな駆け引きも見せながら、最後には絆の深さを感じさせるのは、これはスティラーが自分のエージェントに感謝しているからかしら?
こうやって羅列していると、如何にも真面目に作ってる感じがするのですが、ふ〜ん・・・と感慨に浸っていると、必ずドカンとおバカシーンが。この間合いが絶妙で、なかなかの才知が見え隠れするのに、でもおバカ第一を貫く作りは、コメディ作りへのプライドを感じます。
戦争映画なんで、そういうシーンもあるんですが、これがなかなかに見応えのあるアクションシーンで、お金の掛け方も充分。手抜きはありません。
スティラーは好きでも嫌いでもなかったけど、今回の作品で大好きに。ロバートも役者バカ一代という役柄で、完全復活だなと感じさせます。ロバートの代わりにヤクチュウ役のブラックですが、観た瞬間「これこそ正しい金髪豚野郎・・・」と思ったのは、私だけではありますまい。いつもの暑苦しいブラックですけど、今回それ以上か同等なくらい、周りのメンツが濃かったので、濃度が薄まってちょうど良かったです。他の軍人役マクブライトとバルチェルも、素直で初々しく演じていてい、ベテラン三人に決して引けを取っていませんでした。
他にもおぉ〜〜〜!というスター俳優が大挙ゲストで出ています。スティラーって意外と人徳があるんだね。映画を時々観る人よりも、映画好きや映画通を自認する人の方が、「より」楽しめる作品かと思います。

こんな映画サイトを運営している人が一番困る質問は、「一番好きな映画は?」だと思います。一応私はジョージ・ロイ・ヒルの「リトル・ロマンス」だと言っていますが、考えるのが面倒だから、この作品だと決めている節もあります。でもこの10年間でと限定付きだったら、胸張って即答できます。それはこの作品の監督であるフェルナンド・メイレレスのデビュー作「シティ・オブ・ゴッド」です。二作目の「ナイロビの蜂」も大いに気に入り、私的には10割打者の監督さんです。なのでこの作品もとても期待していましたが、見事10割維持。この題材でイニャリトゥだと、多分私にはケッ!と感じる作品に仕上がるような気がするので、監督との相性は本当に大切だと思います。
アメリカのとある都市。車を運転していた日本人男性(伊勢谷友介)が、突然失明します。その状態は真っ暗になるのではなく、ミルクが溢れたように目の前が真っ白になるというもの。妻(木村佳乃)に連れられて眼科医(マーク・ラファロ)に受診します。しかし原因不明のこの病気は強い感染力を持つ伝染病で、少しでも関わった人々は全て、失明していきます。各地で同様のことが起こり治療法も不明なため、政府は緊急対策として発病者を隔離施設に入れる事にします。ただ一人、何故か感染しない眼科医の妻(ジュリアン・ムーア)。彼女は失明したと偽り、夫と共に隔離施設に入ります。
隔離施設に入るのに、年齢性別人種役職など、目が見えていた頃の立場は全て無視。たった一つ感染したという理由だけで入れられる様子は、ナチスが「ユダヤ人」というだけで、収容所送りにしたことを連想させます。罪のない感染者の行く末に、繰り返してはならないはずの歴史を、人はパニックになると、いとも簡単に忘れるのだと暗示しているようです。
隔離施設とは名ばかりで、古い精神病院の病棟を使用する施設。そして本来なら保護されるべき感染者は、彼らだけで生活していかねばなりません。昨日今日失明した人ばかりで暮らすのですから、全ての人が介護が必要な状態で、基本的な衛生状態も保てず劣悪していく環境。たった独り目が見えるムーアは、かいがいしく患者たちをの世話をしていきますが、それも限りがあります。衣食住は人間としての最低限のものさえ満たされない惨状で、目の見える彼女には精神的にとてもきついものです。そしていつ自分が感染するかも知れないという恐怖とも戦う彼女には、かなりの疲労が蓄積されていきますが、へこたれません。
以前オウムの麻原彰晃が盲学校に通っていた時、ほとんどが全盲の中、弱視程度に目が見えた麻原が、盲学校で王のように君臨していたと読んだ記憶があります。なので私は、きっとムーアが救世主になるのだと想像していたのですが、彼女は知らず知らずに夫が語る、「君は妻ではなくなって、母か看護師のようだ」になっていきます。これは女性としての特性なのか?それとも本人の素養なのか?この疑問は、ラストに答えてもらえました。
反対に第三病棟の元バーテン(ガエル・ガルシア・ベルナル)には、麻原のような理由が見え隠れします。徒党を組み食欲・物欲・性欲をむき出しにする彼ら。こんな状況になっても、協調より強欲な方に心が向かう人間もいるのは、どこの国の戦中戦後でもあったことでしょう。そうなのです、ここは戦場なのです。
そして食欲という、人間としての一番基本の欲に支配される人々。そのために人間としての尊厳も奪われようとします。「人はパンのみにならず」と言いますが、それはあくまで「人」であるならの話。今の状況はそれ以下だと示しています。しかし男性は尊厳を放棄するのに対して、女性はしたたかに立ち向かおうとするように感じました。相手には通じずとも、彼女たちは決して泣きながら凌辱されたのではありません。ここに女性ならでは力強い生命力を感じるのです。
どうしてこんな感染病が蔓延したのか?教会の様子が出てきますが、今の世の中を憂いた神が、鉄槌を下したように私は感じました。それは決してアメリカだからではありません。日本人夫婦は自分たちだけの会話の時は、日本語でした。アメリカ映画は舞台がどの国でどの人種を描こうと、登場人物には英語を喋らせます。これは意図的に日本語を話させたと思いました。白人黒人のみならず、日本人、ラテン系などあらゆる年齢層の人種を登場させたのは、舞台はアメリカでも「世界」を表現していると感じました。
その様々な層が一つの家族のようになっていく時、それは小国が手を繋ぎ協力し合い、絆を深めているように見えました。そして「自分は本当に大切なものが見えていなかったのかもしれない」というセリフの後に起こる事。これがずっと目が見え続けたムーアの理由だと思いました。
強い慈悲深さと勇気を持ちながら、決して彼女は自分が救世主だとは誤解しません。これが目が見え続けるという彼女だけの試練が与えられた理由かと思いました。人は世界は、支え合い支えられて生きていくもの。一人一人が自覚しなければならないことです。歴史に名だたる独裁者は、その登場時、民衆から救世主扱いされました。しかしその末路はことごとく悲惨なものです。救世主などはいない。人間は人間でしかないのです。たった独り目の見えるムーアの存在を描く事で、そう強調したかったかのかと、私は感じます。
寓話と言うには強烈で壮大なお話ですが、誰もが心に留めて置かねばならない、普遍的な教訓を描いた作品だと思います。最後に監督メイレレスも素晴らしいですが、ジュリアン・ムーアの素晴らしい事よ。私より一つ年上で、この年齢になると、なかなか主演作は来なくなるものですが、その演技力と皺も美しく見える美貌で、まだまだ主演を張る彼女。ナチュラルで良い年齢を重ねる彼女を、私もお手本にしたいと思います。時々謎の作品選びもありますが、それもご愛敬ということで。完璧な人だと面白くないもんね。
| 2008年11月24日(月) |
「マルタのやさしい刺繍」 |

公開時、制作国スイスで観客動員NO・1になった作品。老女たちの瑞々しい感性とファイトを描くだけではなく、息子世代である中年男の理解のなさやつまらなさも描き、いつまでも好奇心や向上心を失わないのは女性の方だというのは、万国共通なんだなぁと、しみじみと感じました。監督はまだ30代後半の女性のベティナ・オブレリ。秀作です。
スイスの片田舎で住むマルタ(シュテファニー・グラーザー)は80歳。夫に先立たれた哀しさからなかなか立ち直れず、同年代の長年の友人、リージ、フリーダ、ハンニたちは、心から彼女を心配します。マルタは実は裁縫が得意で、若かかりし頃ランジェリーショップを開くのが夢でした。ふとしたきっかけでそのことを知ったリージやフリーダは、マルタを応援することに。念願だったショップをオープンしたマルタですが、牧師でマルタの息子ヴァルターや、頭の堅い村の人々の偏見によって、ショップ運営は暗礁に乗り上げます。
80歳の老女が、チャーミングな下着を作って売るお店始めるなんて、何て素敵な!と、私及びこの日記を読んで下さる方なら、絶対思いますよね?ところが現実はそうはいかず、老女がいかがわしい下着を売るなんて!と、周囲は猛反発といやがらせの嵐。猛烈に怒る私ですが、田舎というだけではなく、現実の世の中はこんなもんなのかも知れないです。自分が浮世離れしているのかもと、ちょっと自覚しました。いや、それでもそんな自分を肯定しているんですけどね。
フリーダは高級老人ホームで暮らす身で、一見優雅な身の上です。しかし何もかも管理され、「ここはまるで監獄ね!」と、ホームの人に毒づきます。ハンニは体の不自由になった夫を献身的に介護していますが、若い頃からあれもダメこれもダメ、ひたすら夫と子供の世話に明け暮れ、忍従の日々を過ごしていました。それなのに夫は無理解、頼りの息子は親の世話を放棄して、二人して介護施設へ行けと言う。元々奔放なリージを含めて、マルタに刺激された彼女たちが、もうお迎えが来る年齢だからとあきらめず、自分の生き甲斐や幸せを求めてホップステップジャンプする様子が、本当に痛快で天晴れです。
日本には「女三界に家なし」という言葉がありまして、女は三従といって、幼い時は親に従い、嫁に行っては夫に従い、老いては子に従わなければならないとされるから、一生の間、広い世界のどこにも安住の場所がない。女に定まる家はなし、という意味合いです。私が結婚した26年前にも、この概念はまだまだ現役でしてね、うちの場合は夫が8歳年上の「フツーの人」だったため、私も大変苦労しました。 今はだいぶ違うけどね。夫の名誉のため付け加えます。
しかしこの概念、仏教由来と聞いたことがありましたが、キリスト教のスイスでも脈々と受け継がれていたとは、正に女とは最後の植民地。息子世代の中年男たち(及びその妻)が、まだ古き概念に囚われる中、皺くちゃで老化した皮膚を自分でごしごし洗い落した母親世代の女性たちが、棘かも知れない自立の道を歩み出す姿は、家族の世話に明け暮れる安定した忍従の生活より、自分で選んだ「自分の」人生を歩みたいという願望を、常に心に抱えていたからだと思いました。
監督はそういう自分の母親世代の女性たちの苦労を、きちんと見つめてきたのでしょう。現実の多くの女性たちには、マルタたちのような生き方は困難でしょう。しかし夢と希望が湧くような老女たちを描く事で、老境に入った女性たちをねぎらい、これから老いていく私たち中年女性へ、エールを送っているんだと受け取りました。やっぱ女同士はいいねぇ!
未来は確実に変わっていくのだということを、老人ホームの若い職員たちや、孫世代の柔軟な対応で表していて、それも嬉しかったです。忘れちゃいけないのが、お爺ちゃんたち。頭の堅い中年男たちを置いてけぼりに、お爺ちゃん世代が軒並みマルタたちに理解を示したのが印象的。昔の男は女房を大切にした人は少ないんですよ。それを隠居して地位や名誉のなくなった身になり初めて、妻の内助の功あってこその自分だったと悟るのですね。四人の中でたった一人夫が存命のハンニが、独善的だった夫を優しく受け入れる姿が、妻の自負を表していて清々しかったです。人生無駄な苦労はないですよね(と、自分に言い聞かせる)。
もう亡くなった患者さんなんですが、私が「この前息子と話してたら、『その話、前にも聞いたわ』って偉そうに言うんですよ。腹が立って『ほな、あと200回話したるわ!』って、言ってやったんです」と言うと、「お姉ちゃん、まだ若いから強いなぁ。私は息子にそんな口、もう何十年と利いてないわ・・・」と力なく微笑まれて、胸が詰まった思い出があります。その時私も30年経ったら、同じ思いを味わうのかと暗澹たる気持ちになりましたが、この作品を観て、そうはいくかい!とファイトが湧いてきました。「老いては自由気まま」。これが30年後の座右の銘になるよう、頑張りたいと思います。
| 2008年11月19日(水) |
「ハッピーフライト」 |

先週の土曜日に観てきました。新しい仕事先に初出勤で緊張しまくった後、どわわわわ〜んと疲れが出て、映画館で寝てしまうんじゃないかと危惧していましたが、中々面白かったので杞憂に終わりました。確かに予定調和だし小粒な作品ですが、今私、とっても精神的に大変なんでね、この手の安定したプログラムピクチャー的コメディは、すごーくありがたいです。監督は「ウォーターボーイズ」などの矢口史靖。だから安心して観に行ったんです。
飛行機に乗り込む乗客の安全を守る、たくさんの人々。操縦士、CAは元より、グランドスタッフ、整備士、果ては管制塔や航空会社の管理センターなどまで見せ、グランドホテル形式で軽やかにコメディタッチでその苦労を見せる群像劇。
最初綾瀬はるか扮する新人CAの失敗が強調されたので、懐かしの「スチュワーデス物語」風になるのかと思いきや、飛行機が飛ぶことに携わる全部の人を平等に描いています。
操縦士・CA・グランドスタッフ・整備士・管制塔・航空会社の管理センター全てに、ベテラン・中堅・新人を配置し、仕事の厳しさと忠誠心、一生懸命さが報われる瞬間ややりがいなどを描き、一見華やかな空港を舞台にしていますが、意外ときちんとした職業映画だと思いました。グランドスタッフの田畑智子が、一瞬飛行機の搭乗口に足をかけてすぐ引っ込ますシーンや、若い整備士盛岡龍が、鍵のかかった自分の工具箱からスパナがなくなったため、必死になって全員の整備士で彼のスパナを探すシーンなど、随所に航空業界の掟を描いているのが印象的です。管制塔が飛行に深く関わるのは周知のことですが、それ以外のこういった縁の下の力持ち的存在があってこそ、安全に飛行機は飛ぶのだと、改めて感じました。
他にも機長と副操縦士は、万が一に食中毒に備えて、同じお弁当は食べないなど、アメリカの大統領と副大統領は同じ飛行機に乗らないのと同じなんだと、妙に感心。民間レベルでこういう危機管理が充実しているって、知りませんでした。
転んでまでお客様の荷物を追いかけた田畑智子と、岸部一徳扮する全然パソコン音痴で、喫煙ルームで煙草吸いまくるアナクロ人間の管理センターの上司が、パソコンが落雷でダウンしてしまうと、水を得た魚のように力を発揮しまくるのが楽しかったです。笑って観てましたが、結局どんなにパソコンで管理しようと、いざとなったら自分の力以上のこともやってのけてしまう、人間の力の方がやっぱり上なんだわと、しみじみ感じました。
と、このように笑いながらかる〜く観ていた割には、色んな教訓もさりげなく心に入ってくる、上級テクニックの作りでした。
ただ一点、私が物足らなかったのは、部下の尻拭いをする上司全て、叱責と自分の処理能力を観て学べとしか描いていなかったことです。確かにそこには温かい感情も観て取れるのですが、アメリカ映画ならこう言う時、必ず直接悩んでいる相手に対し、「あなたなら出来るわ」「君なら出来る」と言う言葉が出てきます。私はこの言葉が大好きなのね。多くの人達から選ばれたあなたなんですよ、だからきっとあたなには出来るはず、という先輩からの言葉は、仕事ができなくて落ち込んでいる新人には、涙が出るほど嬉しいはず。この言葉がなかったのが、「言葉にせずとも感じ取れ」という、如何にも日本的な気質だなぁとも思いました。私はこの点に関しては、アメリカ式が好きです。
昔ゲームソフトで「パラッパラッパー」というゲームがありまして、小学生だった上の息子たちが喜々としてやっているのを、苦々しく見ていた私でありますが、このパラッパラッパー君が様々な場面で難関が出てくると、必ず「I can do it!」=「僕なら出来るさ!」と言うのですね。もう私はこの子が大好きになりまして、息子たちに「あんたら、このポジティブさを学ぶんやで!」と言ったもんです。
やる気には結果がついてくるもんですよ(と思いたい)。私の後に勤めて下さる人は、医療業界は初めてだとか。引き継ぎは金曜日から四日間ですが、「あなたなら出来ますよ」と、毎日言うつもりです。

とっても素敵な作品です。星先生(妻夫木聡)が教師として未熟であるのがわかっているにの、こんな先生に担任して欲しいなぁと思わせるのが、素敵なのです。子供を三人育てた母親としては、描写に少し物足りない点もありますが(後述)、それを遥かに超える子供たちの豊かな感受性を受け取り、私まで瑞々しい心で満たされました。 監督は前田哲。
新しく6年2組の担任となった、新米教師の星先生。クラスの子供たちに、命の尊さをその恵を頂くことの意味を教えたくて、卒業まで生後間もない子ブタを飼育し、そして食べようと提案します。様々な困難が予想されましたが、理解ある校長先生(原田美枝子)の後押しもあり、実現。子供達はブタをPちゃんと名づけ、皆が平等に飼育に参加します。そして卒業間近となり、Pちゃんを当初の予定通り食べてしまうか、このまま飼育することにするか、クラスで意見が真っ二つに分かれます。
「コドモのコドモ」に主演していた、甘利はるなが出ているせいか、この作品と比較してしまいました。子供達の団結やクラスのまとまりを描くのに、決して奇をてらうことはないのだと、改めて実感します。甘利はるな演じる転校生花は、新しい学校に馴染めず、まだ以前の学校の制服を着て通学しています。クラスの子が受け入れないというより、花がやや拒絶しているように感じるのです。しかしPちゃんの飼育を通して、クラスが一つの目標に向かって団結して行く時、あることをきっかけに、花は前校の制服を脱ぐのです。それは如何にも子供らしい「嘘」がきっかけですが、そこには花を守りたいという同級生の気持ちが溢れています。
成長したPちゃんの行く末を熱く討論する子供達。このディベート場面だけでも、この作品は充分存在価値があるほど、素晴らしいです。手塩にかけたPちゃんを食べるのは忍びず、他の案を模索しようとする派、自分たちが手塩にかけて育てたからこそ、その責任の名において、Pちゃんは食べた方が良いという派。どちらも見事な意見の交換です。時には激こうしてケンカ腰になるものの、とても小学生らしい純粋さを感じさせるものから、大人顔負けに理路整然と自分の意見を述べる子など、私も参加しているかのように、どうすればいいのか、いっしょに考えてしましいました。
そして話し合いが進むにつれ、クラス全員の心の根っこには、Pちゃんの寿命を全うさせてやりたいのが本音だと、段々明らかになります。もうこの辺から私は号泣。観ればわかるのですが、本当にその純粋さに涙が止まらなくなります。大人として教師として、星先生は子供たちを見守り続けます。
彼自身、どうすればいいのか、心がぶれているのです。確かに教師としてもっとしっかり誘導して、子供達の不安で波立つ心を助けてあげるべきでしょう。しかしこの未熟さを一番知っているのは彼自身です。だから一生懸命手探りで、答えの出ない先を模索しているのです。子供達と一緒に悩みに悩む星先生。しかし子供たち皆が星先生を信頼し大好きなのは、未熟さを隠さず悩む姿をさらけ出し、星先生が自分たちといっしょに成長しているからではないでしょうか?そこにはしっかり、先生が自分たちを懸命に思う心を見出しているのでしょう。
Pちゃんの飼育に夢中になりすぎ、勉強がおろそかになると、苦言を呈しに母親数人が校長と星先生に談判に来ます。その時の校長の対応が本当にお見事。教師と生徒の間には、如何に信頼関係が大切か、そして親から見た良き先生と、生徒から見た良き先生に隔たりがある場合、我が子を信頼しなければならないと、痛感しました。教師とは、生徒と親に育てられるものだと思っていましたが、校長という指導者の存在を忘れていたなと、これまた教えてもらいました。
二人の父親が出てくるのですが、星先生の指導に理解があるのが印象的です。大局的に観る父親、目先に囚われる母親。でも両方があってこそ、バランスが取れるものですから、私は決して母親の言い分も間違っているとは思いません。
少しだけ苦言を呈せば、6年生というと、受験をする子が必ずいるものです。塾通いで忙しく、実際はブタの飼育どころではない子もいるでしょう。そういう子の寂しさや参加出来ない葛藤、他の子はどこで折り合いをつけるのか?その子を排他するのか?など、織り込めば、掛け値なしの傑作になっていたと思います。とはいえ、これでも充分ですが。
こういう機会を与えられた子供達が、本当に羨ましかったです。この手の葛藤は大人になればなるほど、出くわすものです。人の意見に左右されず、自分の頭で考え、人の前で臆することなく意見する。これは本当に貴重な経験です。Pちゃんの飼育を通して学ぶ生命の尊さを、本当の意味で完結させたのが、この討論だったと思います。
Pちゃんは結果どうなったのか?どうぞ作品をご覧になって、確かめて下さい。私には納得出来るものでした。生き物の恵を食し生きている人間。万物霊長類の長として、自然界に対して責任は大きいんだよなぁと、その点もつくづく感じました。ありがとう、Pちゃん。私からもお礼を言います。
| 2008年11月09日(日) |
「レッドクリフ Part I」 |

先週の日曜日に観ました。何故こんなに書くのが遅くなったかと言うと、実はワタクシ、10月の末から思うところあって転職を決意。年齢もあって短期決戦で行こうと頑張った甲斐あり、お陰さまで希望通りの勤め先に採用されました。まぁ、これは映画の感想には関係ないことなんですが、面接から合格までのスリルとサスペンスの日々や、辞めたい旨を現雇い主に納得できるよう伝えることに心血を注ぐ日々を送ったため、すっかり映画は忘却のかなた。面白かったんですよ、この作品。それでもやっぱり、現実のサスペンスは映画を勝ってしまうのを、つくづく実感しています。監督はジョン・ウー。
有名な「三国志」の、”赤壁の戦い”までを描いています(以降は来年四月公開の�兇如法G鮠�しますとね、ワタクシ「三国志」はほとんど知りません、わかりません。曹操(チャン・フォンイー)や孔明(金城武)など「ビッグネーム」のキャラは、一般常識的に知っているくらいでして、恥ずかしながら今回主役格のトニー・レオン演ずる周瑜など、存在すら知りませんでした(恥)。しかしそんな無知な私でも、しっかり筋と登場人物たちのキャラがわかるよう、上手く作ってありました。何でも欧米の公開も視野に入れているそうで、そのため説明部分に時間を費やした模様です(良かった・・・)。
主な登場人物だけでも10人ほどいますが、各々武将たちのキャラ立ちはとても鮮明です。あまり名の知られない俳優は、三国志に出てくる役がらそのままの扮装で登場。誰が誰だか迷うこともありません。
私が特に気に入ったのは、渋さと気骨のある男気満開の関羽を演じたパーサンジャプと、若々しい凛々しさと勇敢さを余すところなく見せてくれた、趙雲役のフー・ジュンです。その他脇役たちの見せ場もたっぷり、おいしいところは金城武やトニー・レオンばかりが持って行くと思っていたので、意外で嬉しい誤算でした。この辺はそれぞれのキャラにファンがついていると思うので、上手い配分です。
私は女性と絡む金城武が大好きなのですが、今回頭の良さで抜きんでている孔明を、金城君に出来るのか?と危惧していたのですが、意外や意外、飄々として如才なく、聡明にして策士の片鱗もちらちら見せながらの好演で、びっくりしました(←本当にファンなのか?)。周瑜と荒々しくも優美な筝の饗宴を見せてくれますが、これがゲイ的と言うのではなく、男同士の友愛を感じさせて、中々に官能的です。

で、主役扱いのトニーですが、今回も無難にこなしています。というか、実はうちの夫がトニーを観ながらスクリーンを指差し、「この俳優、『シルミド』に出てたやろ?」と小声で言うのです。はぁ〜?何言うてんねん、と思いつつ、はたと「それはアン・ソンギ。これはトニー・レオン」と、また小声で囁き返したのですが、今回この画像を観る限り、限りなく似ているのだね。私のように映画観過ぎている人間は、「トニー・レオン」と思いこんで観るので、こういう面白い間違いはしませんが、今回は夫を小馬鹿にした私が悪かったです。つーことは、トニー老けたか?
そして壮大なこの物語の鍵を握る、美女周瑜の妻小喬役に、美貌で有名なモデル、リー・チーリンが扮しています。この方、何故か評判いまいちみたいですが、私的には、なるほどトロイのヘレナ的存在も納得出来るのですが。若き日の竹中直人夫人、木之内みどりにそっくりだと思うのは、私だけか?
 若き日のみどり嬢
こちら、リー・チーリン嬢
戦闘場面も面白みがあり、殺陣もスピーディーかつ重厚さが感じられました。中国・香港と言うと、剣劇は何かと言えばワイヤーで飛ぶのに食傷しますが、それもほとんどなし。地に足付けての立ち回りは、とても見応えありでした。オールスター映画らしい華やかさとスケールの大きささを感じさせながら、見せ場は戦闘場面や剣さばきに力点を置くのが、いかにもウーらしく、きちんと監督の特性も感じさせます。今作は次回の壮大な前振り的位置づけなので、次も絶対観なくっちゃ!と思わすのに十分でした。なので合格なんじゃないでしょうか?
そうそう、ウーと言えば白鳩と二丁拳銃ですが、今回さすがに無理かと思いましたが、鳩は出てきます。どこで出るか、お楽しみに〜。
| 2008年11月02日(日) |
「ハンサム★スーツ」 |

ぶちゃいくな男性が、謎の「ハンサムスーツ」を着ると、容姿端麗のイケメンに早変わりし、その後どうなるか?という、設定だけで面白要素がいっぱいの作品。こういういわば定石のコメディこそ、監督の手腕が問われると思いますが、これが初監督の英勉は、ある意味本当にオーソドックにまとめて、笑いあり切なさありで、観た後心もホカホカ。万人が観て楽しめる作品に仕上げてあって、私は充分合格点があげられると思います。
大衆食堂を営む大木琢郎(塚地武雅)は、亡き母の遺志を継ぎ、味と値段を守る好青年。琢郎を「ぼっちゃん」と呼ぶ、母の代からの従業員の明(ブラザー・トム)と共に切り盛りし、お店はお客さんにも喜ばれ、大繁盛です。しかし琢郎には唯一最大の悩み事がありました。それは「ブサイクなこと」。女性とは全く縁のない生活を送る琢郎でしたが、ある日友人の結婚式のためのスーツを買いに「洋服の青山」に立ち寄ると、ハンサムな中年の店長白木(中条きよし)が、「これを着ると、超容姿端麗のイケメンになります」というスーツを、琢郎に差し出します。それを着た琢郎は、背丈もぐんと伸び、超イケメンに。試しに街を歩くとモデルにスカウトされ、名前を光山杏仁(谷原章介)と名付けられます。こうして琢郎と杏仁の生活を、行ったり来たりするようになった琢郎ですが・・・。
とにかく配役がもんのすごくぴったり。今回キング・オブ・ブサイクに選ばれたも同然の塚地ですが、確かに背も低いし太っているしブサイクですが(ごめんよ〜)、とっても愛嬌があるでしょ?人間の着ぐるみを被っている白豚というか(ひどいこと言ってるか?)、そういう可愛げがありますよね?なのであちこちで女性たちにキモがられる散々な描写を観ても、これは作り物なんだって笑えるのでしょう。本当に気持ち悪いような人がやっていたら、笑うに笑えないでしょう?このへんスプラッタ映画に通じるもんがあるよなぁ。
イケメン時が谷原章介というのも、本当に決まり過ぎ。この人本当にキザが似合う超ハンサムなんですが、その二枚目を逆手に取って笑いを取るという高等技術を使わせると、右に出るもんがいない人です。ハンサムなんだけど、変人が協調される阿部寛とは、根本的に違うと思う。あくまで「二枚目」目線なんだけど、でもなんか変な人、というのが谷原章介の持ち役なわけで。この作品でも急にイケメンになったため、ブサイク時の習性が抜けなかったり、逆に男前ならやってみたかったことを実行したりと、大いに笑いを取ってくれます。
あからさまなタイアップで「洋服の青山」が出てきますが、ハンサムスーツを観ると、そんなこたぁ、どうでもいいさ!と、思っちゃうほど、可愛いのがこれ。「ゴーストバスターズ」のマシュマロマンそっくりでしょ?この漫画チックさが堪りません!

物語はモデルとしての活躍ぶりや、二重生活を送る中でのシチュエーションで大いに笑わせながら、どうやっても自分の容姿に対して強いコンプレックをぬぐえない琢郎を描き続けます。友人も多く心も優しい彼がそのことに囚われるあまり、心までもブサイクになり、清楚で可愛い寛子(北川景子)に、その卑屈な思いをぶつけるシーンが、とても印象に残ります。
私も容姿には自信がないし、琢郎ほどではないにしろ、若い頃はコンプレックスがいっぱいでした。だからこのシーン、「寛子ちゃんは綺麗やから、そんなことが言えるねん!」と八つ当たりする琢郎の気持ちが理解出来ました。今も若いころと比べたら、とんでもなく太ったし、老けてしまいましたが、でも私は今の自分の容姿にそれほど不満はありません。何故なら山あり谷ありの、それなりの人生を潜り抜け、一つ一つを頑張って越えて来た自分の内面に、外面以上の誇りがあるからです。ですから今は、すんごい美人の横に立っても、「いやー、別嬪さんやねー」と、卑屈にならず心から言える自分がいるわけね。
なのでいい歳をしていつまで経っても、自分の容姿の自慢をしたり、反対に異常にコンプレックスを持ったり、はたまた他人の容姿をあげつらう人は、内面の薄さをまだ埋め合わせ出来ていない人だと、私の中ではランク付けしています。反対に美貌には全然恵まれないのに、内面の充実度が容姿を凌駕し、どんな美しい人と並んでも引け目ない人もいますよね?うん、こっちを目指そう!
私が思っていることを体現しているのが、「こころ食堂」店員の本江(大島美幸)。北川景子、佐田真由美他、モデル役の美形がいっぱい出てくる中、劇中で一番観客の心を照らすのは、「ビジュアルで差別されるのは慣れている」と言う本江です。知らなかったのですが、脚本は大島の夫の鈴木おさむ。この本江役は妻の本当の姿なんです、だから好きになったんです、と言われているようで、夫の妻への愛を感じさせ、私はとっても微笑ましい気分になりました。

どたばたした終盤の展開から、ラストは平凡ですが、倫理的や教育的指導と言う感じではなく、人の感情ってそういうもんだよね、理屈じゃないよと感じさせ、とっても気分の良いものでした。ちなみにラストに明かされるある事は、私は最初から気づいていましたのでね(ガハハハハ!)。これはちょっと卑怯っちゃ卑怯なんですが、乙女心に免じて許してしんぜよう。昨日は5時半頃の回を観たせいか、映画の日にもかかわらず、空いていました。しかし場内は笑い声でいっぱい。ちょっと肌寒かったけど、心ホカホカで家路に向かいました。
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