ケイケイの映画日記
目次過去未来


2009年01月30日(金) 「ファニーゲーム USA」




ぎゃー、怖い!そんじょそこらの、血まみれホラーの何十倍も怖いです。1997年に、監督のミヒャエル・ハネケが作った「ファニーゲーム」を、舞台をアメリカに移しての完全セルフリメイク作。だそう。ワタクシ元作は未見です。ハネケ作品は「ピアニスト」一作しか観ていませんが、「この作品、良かったです」というと、たいていの方にドン引きされます。ひからびた根性悪の(変態でもある)中年女の悲喜劇なんですが(そう、喜劇の部分もあるんすよ)、主人公エリカが何故こんな女になったか、そこに母親の執着の愛と支配を観たとき、まかり間違ったら、これ私だったかも?という気になったからです。そうすると俄然彼女が理解出来ました。

私の母親も同じタイプで、真面目で優等生タイプの私(自分で言うか?)には、当時の価値観からは順当な、平凡な結婚をし、男子に恵まれと満足していました。特に男の子を産みたかった母は、長女の私が男の子を産んだことに大満足。「これであの男(私の父親)に復讐出来た」と、産科のベッドで横たわる私に喜々として語り、もうおっぱい止まるかと思うほどのショックを、娘に与える母なのでした。

妹はちょっとナンパで人目を引く容姿をしていたので、これまた虚栄心満タンの母には、別の意味での欲望を満足させるのに、格好でした。まぁ妹のことなんでね、深くは書けませんが。とにかく己の理想の女の在り方を、娘二人で実現しようと、やっきになっていた人です。子供と言うのは、親の望むような子供であろうと頑張るもので、私たち姉妹は従順に母の言いつけを守っていたと思います。

なので中年になってもまだ処女のエリカの奇行や、老いた母に「このくそ婆!」と罵りながら、母親をぼこぼこにしばいたかと思うと、一転今度は母に「ママ、ママ、愛してるわ!」とすがりつく姿なんぞ、本当にぞっとするぞ。この様子に笑いもしたけど、その後非常に痛ましい気になりました。だって私がずっと独身であったなら、エリカにならない保証など、どこにもないわけです。特に母が生きていたなら。この作品を観たとき、母が早く死んだのは(享年55歳)、私たち姉妹のためだったんだなと、心の底から感じたものです。

というような感慨は、今回の「USA」版には全くなかったです。そんなウェットな思いを抱かせる間もなく、たたみかける神経逆なで、胸糞悪い描写の連続でした。しかし観た後の感想は、潔いというか、奇妙な爽快感があるんですから、さぁお立会い。

別荘に遊びに来たファーバー家。夫のジョージ(ティム・ロス)と妻のアン(ナオミ・ワッツ)と一人息子のジョージ(デヴォン・ギアハート)は、この休暇をとても楽しみしていました。そこへ隣家に滞在中のポール(マイケル・ピット)とトム(ブラディ・コーベット)がやってきて、折り目正しく卵を分けて欲しいと言ってきます。しかしこれが惨劇の始まりでした。

仲良し家族が、二人の青年から不条理な暴力に遭うお話、というのは知っているので、ポールとトムの一挙一足に目が離せず、始終ピリピリした緊張が襲います。まるでガラスをキキィーとこするような不快感を描き、それが沸点に到達したかと思うと、二人は本性を見せ始めます。もうここまで本当に怖い怖い。

評判の暴力シーンですが、正直大したことはありません。しかし決して恐ろしくないのではなく、大量の血糊や惨殺シーンなど、映画的ケレン味のある演出をしていないだけです。知人の家に助けてもらおうとして、そこで死体を観る。逃げ回りどこに相手がいるかわからない恐怖。助けを求めて真っ暗な誰もいない夜道を走る様子。そして容赦なく女子供までも手にかける。まるで犯罪ドキュメンタリーを観ている感じと言ったら、ご理解いただけるでしょうか?、得体の知れない恐怖に直面すると、人間ってこんな反応するんだ・・・と、結構間の抜けた、しかし必死のファーバー家の人々の様子に、返ってリアルに暴力を体感します。

何が潔いって、この二人の青年が、何故こんな酷いことをするのか、一切説明がないことです。彼らにはただのゲーム。彼らを病的だとも、心の闇を抱えているだのという「言い訳」が、全くありません。それが却って、どんな理由があろうとも、暴力は暴力、絶対ダメなのだと、私には強く感じました。

チャンスがあるのに、相手を撃つ事ができない息子、こんなどうしようもない状況で、妻に「申し訳ない」と謝る夫の姿。夫として父親として男として、自分の不甲斐なさを心から詫びています。そして足を折られた夫もいっしょにと、決して自分だけ逃げようとはしない妻の姿。これが理由なき快楽的な暴力を楽しむ二人の対比となって、人間の持つ良心や善なる心は、どんな状況においても、失われることはないのだと、逆説的に浮かび上がらせています。

出演者はみんな好演。特に演技派の誉れ高いワッツは、散々な姿にされ、鼻水垂らす大熱演ですが、プロデューサーにも名を連ねているそうで、さすがだと感心しきりです。

マイケル・ピットがカメラに向かって話したり、リモコンで巻き戻しして場面を別方向に展開させたりとと、ちょっとしたおふざけがありますが、私はユーモアだと感じました。何度も逃げるチャンスがあって、その度にこっちまでドキドキしてと、そういう疲労感はありました。でも評判ではかなり精神的にやられると聞いていましたが、そうでもなかったなあ。それは一見全く救われないお話だと描いているのに、私が勝手に光を見出したからでしょう。うん、これでハネケは私には合う!と確信したと言ったら、また変人扱いされるかなぁー。


2009年01月25日(日) 「レボリューショナリーロード /燃え尽きるまで」



お友達のTAOさんの、「さすがはサム・メンデス」という一行で、矢も楯も堪らなくなって、本日夕方観てきました。私が現役監督で大好きなのは、フェルナンド・メイレレス、ギレルモ・デル・トロ、そしてこのサム・メンデスです。メンデスと言う人はイギリス人ながら、一見アメリカを辛辣かつ皮肉に描いているようですが、決して高所から見下ろすのではなく、実は深い愛情と理解を持って、アメリカを描いています。その辺に品性と知性を感じさせるところが、私がこの人を好きな所以です。今回レオとメンデスの妻でもあるケイト・ウィンスレットの「タイタニック」コンビで、1950年代のアメリカの、中流家庭の悲劇を描いています。

1950年代のアメリカのコネチカット州郊外の住宅街。”レボリューショナリーロード”と呼ばれる街に、フランク(レオナルド・ディカプリオ)とエイプリル(ケイト・ウィンスレット)夫妻は、二人の子供と共に住んでいます。若かりし日々の夢は何処へ、フランクは家族を養うために面白味を感じないサラリーマン生活、エイプリルも女優への夢を断念、専業主婦として生活しています。お互い不満が積もり、夫婦仲にも支障をきたし始めた時、エイプリルはその打開策として、家族でパリへ移住しようと提案します。

冒頭夫婦喧嘩する二人に、あぁ昔を観ているようだと思う私。二人は妊娠がきっかけで結婚したようで、結婚七年です。未婚の人から見れば倦怠期でしょう。でもその四倍近くの年月、夫のいる身の私としては、あの頃の自分は何も夫婦のことがわかっていなかったと、今なら振り返れるのです。相手が譲ればこちらが意地になり、譲った方が怒れば今度は意地になった方が、向こうが追いかけてくるのを待つ。お互い争いを避けるための手立てが分からず、呼吸が合いません。それが手に取る様にわかり、なかなか上手い描き方です。

「私たちは特別な選ばれし人間のはずなのに」。このような不満は私にはなかったのですが、「こんなはずではなかった」なら、思わなかった人はいないでしょう。その思いに囚われながら、受け入れつつ生活している現実主義者の夫と、どうしても我慢がならない世間知らずの妻。妻の提案を夫は一度は受け入れますが、仕事で成果を出し、出世がちらつくと、その気持ちは揺れ動きます。

観客にはフランクの方が受け入れやすいでしょう。私もそうでした。エイプリルは、自分で提案した夢物語にうつつを抜かす、未熟な妻に感じると思います。しかし本当にただの甘ったれなのでしょうか?夫は会社という「社会」で頑張れば認められ、息抜きもでき、そして束の間の情事も楽しめる。

しかし妻は?良妻賢母であることが当たり前の、家庭に縛りつけられる時代です。仕事に向き不向きがあるように、結婚に向かない女性もあるでしょう。女が結婚しないという選択が認められなかった時代、自分に対し嘘をつけない不器用なエイプリルの辛さが、共感はせずとも私には理解出来ました。

壮絶な修羅場と蜜月を繰り返す二人。これも長い夫婦生活にはあることです。一見フランクの言う事が常識的で正しいのですが、夫婦という「個の単位」では、常識より相手を受け入れられるかどうか、私はその方が重要なのだと思います。この作品では驚くほど、子供達の存在が希薄です。これは原作もそうなんでしょうか?「子はかすがい」という言葉が、日本にはありますが、それは夫婦<家庭を表すと言ってもよいでしょう。あくまで夫婦と言う観点から家庭を顧みるというところが、アメリカらしいなと思いました。

エイプリルをただの我がまま妻に思わせ無かったのは、ケイトの好演もありますが、キャシー・ベイツの息子に扮した、精神病を罹患しているマイケル・シャノン演じるジョンです。みんなが夫妻のパリ移住を戯言と陰口を叩く中、ジョンだけが素晴らしいと誉めたたえます。そして雲行きが怪しくなると、フランクを罵倒しエイプリルを慰めます。魂が共鳴し合うようなジョンとエイプリルを観ると、常識の枠からはみ出す自分を貫こうとすると、その不器用さ故、精神が病んでいくのだとわかります。不器用=純粋とも取れました。

ラスト近くの夫婦だけの朝食場面が秀逸。エイプリルの様子は、タイトルの副題「燃え尽きるまで」を予想させました。昨日の修羅場が嘘のような穏やかな夫婦の姿。「あなたの今度の仕事は何をするの?」「言ってなかった?言ったはずだよ」「いいえ、聞いてないの」。嬉しそうに妻に語る夫。それも詳しく。妻の質問が嬉しかったのでしょう。この会話の深い深い意味。

エイプリルは夫と共に人生を歩きたかったのです。後ろでも前でもなく、一緒に腕を組んで、手をつないで。彼女の中でそれを実現するには、誰も知らないパリで暮らすことが必要だったのです。「ベティ・ブルー」のベティーは、愛するゾーグが小説家ではなく、水道工に甘んじているのを「あなたはそんな仕事をする人ではないわ。私あなたを尊敬したいのよ」と言います。それは水道工を馬鹿にしたのではなく、愛する男に本来の才能で開花してほしいと願う、切なる言葉だと思います。私が養うから、あなたはあなたの好きな道を見つけて。そしてあなたらしく生きて。エイプリルもいっしょなのではないでしょうか?

しかし妻には欺瞞に満ちていると見える夫の姿、私にはこれが本来のフランクの姿だと感じます。妻は夫に理想を押し付けているのか?それともフランクには、本当に別の自由な彼の生活があるのか?そして一環して夫が妻に望むのは、「良き妻」のみであること。本当に夫婦とは難しい。

亡き姑は私に「男の言う怒りに任せた言葉は、全部口から出まかせやで。信じたらあかん」と、常々私に言ったものです。フランクの妻への罵詈雑言は本当にそうだなと思いました。しかしエイプリルの言葉は、全部本心でした。このすれ違い。それを埋めるのが、ラストのベイツの夫が妻の言葉をさえぎるため、黙って補聴器を切ることであり、夫婦ともそれぞれフランク夫妻に気があったのに、何事もなかったように夫婦を続ける隣人夫婦の姿でしょうか?

「タイタニック」から十年以上。レオもケイトも順風満帆の役者街道を歩き、華と実力を兼ね備えた、立派な俳優となりました。今回もささやかな心の機微も繊細な演技力で表現し、観る者に強く訴えかけ、理解もさせる演技で、堪能させてくれます。

夫婦生活を長続きさせるコツは、色々言われます。馬鹿になる、我慢する、理解する、受け入れる。どれもが本当です。「そうか、君はもういないのか」のドラマ化で、気の利いたセリフを聞きました。「夫婦は無邪気でいること」。無邪気に楽しみ、無邪気に困難と戯れる。無邪気と言う言葉からは、立ち向かうという言葉は似合わないので。今のところ、この言葉が一番気に入っています。





2009年01月22日(木) 「ヘルボーイ /ゴールデン・アーミー」




わーい、面白いぞ!秀作を連発するギレルモ・ジェル・トロ監督、プロデューサーからお金をいっぱい引っ張れたのか、前作より数段バージョンアップして登場です。思春期の中坊男子のようだったヘルボーイ、心はそのまま、今回愛するリズとの恋模様もしっかり描かれ、随分大人になりました。だって、××になるんだもの(想像してね)。

地獄生まれの正義のヒーロー、ヘルボーイ(ロン・パールマン)。相棒の半魚人エイブ(ダグ・ジョーンズ)と、発火念力の超能力を持つ恋人リズ(セルマ・ブレア)とともに、極秘任務を受けて超常現象捜査防衛局エージェントとして、街を守っています。今回の敵はエルフの末裔アヌダ王子(ルーク・ゴス)。かつてエルフは地球の支配を巡って人間と対立。しかしエルフの王は戦いに心を痛め、自ら作りだした鋼鉄軍団「ゴールデン・アーミー」を封印。三つの王冠に分散され、二度と蘇ることはありませんでした。しかしアヌダ王子はエルフ復権を目論み、王冠を我が手に得ようと暗躍します。

とにかく出てくるクリーチャー全てが、超チャーミング!みんなオドロオドロシイのに、愛嬌満点だったりします。今回はちんまい歯の妖精(可愛い!)から超大型のクリーチャーまで盛りだくさんなので、アクション場面は変幻自在で、どの場面も飽きさせることがありません。前作のクロエネンのスタイリッシュさに痺れた私ですが、今回クールなアヌダ王子が、クロエネンに代わり、見事な剣さばきをみせてくれます。前作に引き続き、敵役が魅力的なのも嬉しいです。

登場人物も少数の人間以外、人間のあり姿をしているのはリズだけですが、人間以外である彼らの、何と人間臭く愛しい事よ。リズの気持ちはとってもわかるわ。世界で一番愛する男は、乱暴で粗野で超短気。しかし本当は心優しき人で、誰よりも自分を愛してくれる世界でただ一人の人なのです。やんちゃな恋人を持て余し、上手く扱えない自分にも、彼女は苛立ちがあるのですね。そんな女心も全然わからない鈍感で善良なヘルボーイ。あぁほんと、若々しい恋人たちぶりで、いいわ〜。

今回物静かで知的な紳士、エイブにも清らかな恋が巡ってきます。相手はエルフのアヌラ王女。繊細で芯の強い彼女とエイブはお似合いで、観ながら、どうぞこの恋が成就しますようにと、願わずにはいられません。ヘルボーイと二人、各々が恋しい人を思い歌う場面は、出色です。

街の人々を助けたのに化け物扱いされ、意気消沈するヘルボーイ。「いい仕事をしたじゃない」とリズに慰められますが、「なのにどうして、こんなに気持ちが沈むんだ?」と、「人間外」として、決して世の中には受け入れられない自分に、苦しむ彼。そして異形の人々が暮らす世界での潜入では、「とても落ち着くぞ。お前も来いよ」と喜々としてリズを誘います。少数の異端者の哀しみを、さらっとですが、深く描いています。これは異端の異形の人々の形を借りて、人種・障害者などにも置きかえられて観られることだなぁと、心に染みました。

しかし前作で自分を否定していたリズの、今回の自信に溢れた颯爽として姿を見よ!これは愛する人がいて、愛される喜びがそうさせているんじゃないでしょうか?そんな彼女の「究極の選択」は、私にはとても共感できるものでした。

今回は「ダークファンタジー」の、ファンタジー部分が強化されている気がします。子供さんから大人まで、誰もが楽しめる良質の娯楽作として仕上がっています。私的にはそんなにオタク色は強いとは感じませんでしたが、コレは私がオタク気質が強いからか?こんなに面白いのに、レディースデーの劇場はガラガラ。ああぁあぁもったいない!


2009年01月18日(日) 「007 慰めの報酬」




昨日夫と先行上映で観てきました。う〜んと・・・。出来が悪いとは思いませんが、あまり楽しめませんでした。そこそこの出来のアクション映画であって、果たして「007」の冠をつける必要があるのか?と、ずーと感じながらの鑑賞でした。

前作「カジノ・ロワイヤル」から数時間後、愛するベスパーの死の復讐を誓い、真相を探るべく、ボンド(ダニエル・クレイグ)はハイチに飛びます。そこで訳ありの美女カミーユ(オリガ・キュレリンコ)と出会い、彼女を通じて、ドミニク・グリーン(マチュー・アマルリック)の存在を知ります。ドミニクは環境団体を装いながら、その実ボリビアの天然資源を独占し、世界支配を目論んでいました。

地味です。ゴージャスさが全然足りん!ユーモアも足りん!知性も足りん!セクシーさも足りん!荒唐無稽な面白さがなく、リアル一辺倒!

ボンドに望むことは、人それぞれだと思います。私が望んでいるのは↑に書いた足りない部分で、現実ではあり得ない、だけどあったら面白いだろうなという武器やプロット、ボンドのゴージャスなライフスタイルを見せてもらうことです。それで浮世の憂さ晴らしがしたいわけですよ。別にボンドで「ジェイソン・ボーンシリーズ」を観たいとは思いません。

監督のマーク・フォースターは、アクションは初めて撮ったはずで、そういう意味では及第点はあげられますが、最初のカーアクションは小手調べとしてはまずまずでしたが、その後のマヤカシ系の身体能力誇示アクションは、前作の焼き直しです。前作ではボンドの年齢が若返った象徴のように感じ、好感触でしたが、二度続くと新鮮味なし。アクション場面も爆破や素手、銃撃戦など、それなりに上手く撮っていますが、褒めるほどのもんでもなかったです。歌劇「トスカ」上演中に事が起こるのですが、もっと「トスカ」を前面に出しながらの工夫は出来なかったんでしょうか?舞台の様子をきちんと描くことで、ぐーんと豪華さは増したはず。

私がイメージするボンドとは、ワイルドにして知的、ユーモアがありエレガント、そしてセクシーです。一言で言うと「洗練された強い大人の男性」です。前作でのボンドの造形では、まだビギニングということもあって、新鮮味に軍配を上げましたが、今回は違和感バリバリ。クレイグのブルーカラー的荒削りボンドは、それはそれで魅力も値打も認めます。でも申し訳ないけど、私の趣味じゃないわ。

敵役のドミニクの造形も、これまで魅力的だったお歴々のような愛嬌がなく、ひたすら非情さを感じさせながら必要悪のようにも描き、よくわかりません。演じるアマルリックはとても良い役者ですが、このキャラでは、彼の演技力を持ってもどうしようもなし。脚本はポール・ハギスなので大いに期待しましたが、社会派娯楽作の側面を出そうとして、中途半端に終わったと感じました。この辺も私が「007」に望んでいることと、大幅に隔たりがあります。

ボンドガールもなぁ。キュレリンコも個人的には魅力が薄かったです。ずっと表情が硬く、柔らかさがないです。あの背中は、過去の火事での火傷を表しているんでしょうか?そんなリアリティ、「007」には不要です(あぁ、どうしよう、段々ボルテージが上がる・・・)。過去の美女軍団とは言いませんが、匂い立つヨーロッパの香りに、可憐な幼さも見え隠れさせた前作のエヴァ・グリーンよりも、数段劣ると思います。もう一人のボンドガール、「ツンデレ系」ミス・フィールズ役のジェマ・アーダートンの方が、数段チャーミングでした。それとM(ジュディ・デンチ)がお化粧落とすシーンがありましたが、これも不要。それってMの威厳が薄まるし、彼女のことお母さん的役割にしたいのでしょうか?確かに部下は「マム」とは呼んでますが、ある種尊敬を意味する言葉のハズです。年配の女とみりゃ、全てお母さん役にするなっての。

というわけで、書く前より書いているうちに、不満が増大してしまいました。過去のボンドに思い入れがない人には、受け入れられる作品だと思います。でも私には無理。次回は荒唐無稽な大いなるマンネリボンドが復活していることを、切に望みます。


2009年01月04日(日) 「ワールド・オブ・ライズ」




毎年お正月は、三日くらいに難波に出て夫婦で映画を観てきます。この作品は近場のラインシネマでもやっているので、私は心斎橋シネマートで上映中の「バンク・ジョブ」の方が良かったんですが、夫がこちらをチョイス。しかし映像の迫力は、大きいスクリーンの方が堪能出来る作品で、なんばTOHOでの鑑賞で正解でした。面白かったですけど、社会派娯楽作というより、単純に娯楽作として観た方が楽しめる作品のような気がします。

フェリス(レオナルド・ディカプリオ)は、中東に滞在し命の危険を顧みず情報を集めるCIAの工作員です。上司のホフマン(ラッセル・クロウ)は安全なアメリカに身を置き、彼に非情な命令を送り続けます。今の二人の標的は爆破行為を繰り返すテロ組織のリーダーであるアル・サリーム(アロン・アブドゥブール)を探し出すこと。ホフマンはヨルダンの諜報部のリーダーであるハニ(マーク・ストロング)に協力を要請すべく、フェリスにヨルダンに向かうように指示します。

とにかくアクションシーンも含めて映像が圧巻。爆撃シーンやら低飛行のヘリの様子やら、それを冷徹に監視し続ける大きなモニターなど、この辺はさすがリドリー・スコットと言う感じの華麗さです。弟のトニーがカチャカチャカメラワークをいじくり過ぎて、作り手はスタイリッシュを狙ったつもりが、目が疲れるだけじゃねーか!と言う事がしばしばあるんですが、リドリーの方は腰の座った撮り方というか、堪能かつ感心させられます。

次にいいのが登場人物のキャラがきちんと確立されていることです。非情な面も持ちあわせながら、義理や人情にも揺れ動く、やり手の諜報部員フェリスを、華も実力も着々とアップのレオがワイルドに好演。紳士然としてエレガントな風情から、切れ者の風格を漂わすハニ役ストロングもとても良かったです。「私には嘘は絶対つくな」「こうやって恩を売るのだ」という言葉からは、中東の思考というより、私はインテリ極道みたいだと思いましたが。この彼の思想というか信念が、ラストで効いてきます。

ストロングはアンディ・ガルシア似で、もっとスマートにした感じの人ですが、キザっぽさが若き日の津川雅彦にも似ているのだね。津川さんの方がもっと俗っぽかったですが。






しかーし!意外なことに私が一番良かったのはメタボで慇懃無礼、尊大にして冷酷な「俺様がアメリカだ!」と公言してはばからない、ホフマン役ラッソーでした。28キロも役作りのため太ったって、元々じゃがいもみたいない人ですから、そんなに変化は感じませんでした。憎々しいのですがね、仮面マイホームパパぶりさえ愛嬌があるお茶目ぶりで、レオやストロングにはない、堂々たる風格の大物感を漂わせて好演していました。この作品でも表現される、毎度お馴染み反省と自虐的なアメリカの自国感でしたが、どこかに救いを残したかったんでしょう、それはフェリスではなくアメリカに居座るホフマンで表現することで、監督は観客に光明を感じて欲しかったんではないでしょうか?

ラッソーってね、私は役者さんとしては好きなんですが、何と言うか、男性としてあまりに私の意識外の人なんでね(リドリー作品で大好きなのは「アメリカン・ギャングスター」のデンゼル様)、、彼が一番良かったというのはとっても意外でした。リドリーが信頼して何作も連投させる理由が、ようやくわかりました。

筋としてはレオの造形など少々甘いなと思う部分もあるし、あれだけ非情な事をして置いて、何人もの命も利用し奪っておきながら、良心との葛藤部分を、美しい女性とのロマンスで表現するのは、ちょっと虫が良い気がします。題名にある「嘘」も、国と国との壮大な狐と狸の化し合いも、それほど盛り上がったとも思えません。この作品を観て、中東やアメリカの関係が全部わかったような気がしては、いけないとも思いました。しかしながらそれを補うものが、主役である今のレオには充分ありです。脚本の甘さを監督の演出と実力を兼ね備えるスター俳優で補っていると感じたので、上記に書いた「社会派娯楽作」ではなく、お気楽に「娯楽作」として観た方が良いと書きました。

ハイテク機能による機密漏洩は、ますます容易になってるんだと思いきや、遠く離れた場所から衛星で中東を監視するアメリカに、テロ組織が撹乱させた方法は、とってもアナクロな方法でした。でも胸がすく思いがしたのは、私だけではありますまいて。


2009年01月02日(金) 「ミラーズ」




皆さま、今年もどうぞよろしくお願い致します。

と言う事で、本年一発目は念願叶って、元日の映画鑑賞となりました。昨年のお正月の傑作ホラー「ヒルズ・ハブ・アイズ」に続き、フランス人監督アレクサンドル・アジャがハリウッドに招かれて撮った作品です。傑作だった「ヒルズ・ハブ・アイズ」に比べると見劣りしますが、見え隠れするツッコミをかわす風格が感じられて、力がついたんだなと感じます。

元NY市警の刑事ベン・カーシー(キーファー・サザーランド)は、一年前誤って同僚刑事を射殺。そのため現在は停職中で、酒びたりに。妻のエイミーや子供たちとは別居、妹のアンジェラ(エイミー・スマート)の家に居候しています。何とか生活を立て直したいベンは、火災後、裁判中のため現状のままのメイフラワーデパートの夜警の仕事を見つけます。しかし彼が夜警中に不可思議がことが立て続けに起こり、それが鏡から起因していることに気付きます。不審な出来事は、やがてベンの周囲で惨劇を巻き起こします。

冒頭の前任者の不審な死が映されますが、役者さんの鏡を前にしての、追い詰められた恐怖心満載の演技が上手く、序盤から期待を抱かせます。

演出はかなりオーソドックス。「ヒルズ・ハブ・アイズ」の時も書きましたが、この方向性への転換は成功みたいで、暗闇に一人警備する恐怖、焼け跡の不気味なマネキンの情景、音やBGMで煽るドッキリなど、全部マックスではありませんが、平均点を上回るくらいは、あげられます。特に感心したのは、大火傷した女性が出てくるのですが、手足や顔などの造形だけではなく、ちゃんと衣服がはだけ、露出した乳房まで焼けただれたメイクがしてあったことです。ゴア描写目当ての人はそれほどでもないでしょうが、普通の映画好きには、充分目をそむけたくなる造形です。

このように視点はコアなホラー好きではなく、一般の映画好きを対象としていると感じました。その方が集客が見込めますもんね。しかし妻エイミーは監察医らしく、遺体の解剖場面あり、切り裂きジャックよろしく喉元をかき切る描写などもふんだんにあり、年季の入ったスプラッタファンにも御満足してもらえる程度の、血まみれ描写もあります。

その他ハリウッドホラーのお約束、美女のお色気場面も押さえています。妻役ポーラ・パットンは大変美しくスタイルがいいのですが、仕事と似つかわしくない衣装で無駄にフェロモンを振りまき、胸の谷間もおみ足もみせまくりです。エイミー・スマートに至っては、フルヌードあり。そのヌードの直後にギョッとする描写がありますが、これが大変印象に残るのですね。監督はエイミー・スマートの方が好みなんだと思うなぁ。だってホラー監督だもん。

医師の妻なんですが、最初ゴア場面のための医師役かと思っていたんですが、彼女の夫への同意の仕方を観ていると、これは役柄が深くかかわっていると感じます。医師という職業は、例外もありますが、基本はデータや記録など、目に見えることを信じて進む、仕事なんじゃないかと思います。だって「奇跡を祈りましょう」と医師から言われたら、それは最後通告ですから。なのでエイミーが自分の目で確かめて、初めて夫に同意を示すのは、職業柄演出力アップに役立っていたと思います。

そしてベン。酒浸りになりダメな男に成り下がった夫であり父である男が、命がけで妻子を守ろうとする姿が、鏡の謎と共にもう一つの主軸となります。今もって老年の父のドナルドに、男っぷりは負けている感のある息子のキーファーですが、うらぶれた男の崖っぷちの底力を演じて、とても感情移入出来る好演でした。

なので鏡の謎の陳腐さ、もう一人の夜警のおじさんには、何故鏡は取り憑かなかったのか?などなど、疑問が残る展開だったのですが、監督がホラー映画の基本に忠実に作ったので、観ている私も、少々の疑問はすっ飛ばそうという、これまたホラーの基本に戻っての鑑賞でしたので、それほど気にはなりませんでした。この辺は発展途上監督の、勢いでもあると思います。

私が一番気に入ったのはラスト。結構なスペクタクルアクションの後の展開は、家族の再生を切に願った男に対し、非情で哀しいものでした。しかし家族を守ろうとして取った、強引な行動のけりの付け方としては、とても納得もできるものでした。もう一つの主軸を上手く生かせたことが、鑑賞後の余韻を深いものとしています。

怖さもほどほど、出来としては中の上くらいかな?私はとにかくラストの苦さが気に入ったので、これからもアジャ作品は見続けるつもりです。



ケイケイ |MAILHomePage