ケイケイの映画日記
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2007年12月29日(土) 2007年ベスト10

もう一本何か観て書こうと思っていましたが、今年も残すところあと二日となり、先にベストテンを書こうと思います。今年の劇場鑑賞作品は、新旧合わせて89本。内訳はアメリカ42本、日本23本、イギリス6本、フランス4本、韓国3本、スウェーデン2本、スペイン2本、ドイツ、オランダ、香港、イラン、インド、スイス各一本です。昨年まではアジア映画と欧米作品とその他の国分けていましたが、今年は洋画と邦画に分けたいと思います。では洋画から、旧作以外でベスト10です。

1 善き人のためのソナタ
2 ヴィーナス
3 パンズ・ラビリンス
4 ブラック・ブック
5 酔いどれ詩人になる前に
6 毛皮のエロス
7 ドリームガールズ
8 ヘアスプレー
9 プラネット・テラー in グラインドハウス
10 リトル・チルドレン

今年は昨年ほど豊作ではなく、あまり悩みませんでした。100本割るということは、結構考えて作品を選んでいたということなので、あまり当たり外れはありませんでしたが、その代わり突出した作品も少なかったようです。「善き人のためのソナタ」は、春に観ました。その後、これこそ今年のベスト1!という作品が何作が出てきましたが、次の日になると「やっぱり『善き人』かも・・・」と、常に頭の隅にあった作品で、結局この作品にしました。

邦画は今年は10本くらいしか観ていないと思っていたら、何と旧作を含めて23本も観ていました。そのうち新作20本からベスト10、ではなく、今年はベスト3です。だってダントツで思い浮かぶ作品が、この三つなのです。

魂萌え!
人が人を愛することのどうしようもなさ
クワイエットルームにようこそ

他に気に入った作品もありましたが、↑に挙げた作品とでは、私の中では相当開きがありました。巷で賞を総ナメしている「それでもボクはやってない」は、感想にも書いたように傑作だという認識は今でも変わりませんが、私にとっては心の中に、いついつまでも深い余韻を残す作品ではありませんでした。

並べてみると、作品はバラエティに富んでおり、なかなか鑑賞スタイルは健康的である模様です。映画は雑食が一番、来年も何でも観て自分の人生の肥やしにして行きたいと思います。

心残りは、今年は末っ子が中三で受験生のため、足繁く進路相談で学校や塾に通い、はたまたこの息子の年始めの入院や、脱臼からのまさかの手術などで、またしても三桁の鑑賞数ならずだったこと。二年連続100本超えた年は、次からは本数は気にしないでおこうと思いましたが、やはり三桁行くと、年末には満足感がありました。

なので来年は再び三桁目指したいと思います。それには家内安全・仕事も順調・家族元気でつつがなく暮らすことが、兼業主婦である私には必須条件です。映画をたくさん観られる日々は、それなりに安定した生活のバロメーターというところでしょうか?

今年の鑑賞代は74290円、一本単価約840円、電車代18000円、各劇場年会費合計6000円でした。月割りでは8500円くらいです。高い高いと言われながらも、努力と工夫で映画はやっぱり一番安い娯楽&芸術みたいです。

今年も拙い私の感想文にお付き合い下さり、本当にありがとうございました。お陰さまでいつまで続くやらと思っていた「ケイケイの映画日記」も、早いものでサイト開設から4年目に入っています。来年も息災で過ごし、ロムして下さる皆様に楽しんでいただけるような感想が書けたらいいな、と思っています。それでは皆様、良いお年を。来年もどうぞよろしくお願い致します。


2007年12月17日(月) 「ベオウルフ / 呪われし勇者」(2D上映)




先週の土曜日に観てきました。2D上映は低評価、3D上映は絶賛多数と真っ二つの作品です。私はクリニック勤務なのでね、土曜日はお仕事です。いつもはダッシュで帰って、家族のお昼御飯を作らなきゃいけないんですが、その日は夫→医療関係なので毎土曜日は午前中出勤。その日は用事でお昼御飯がいらない。三男→高校受験のとある科目を予習しに某高校へ。次男→月1の土曜日出勤、その後会社の忘年会。長男→休日。お昼ごはんはどうでもよい(こうやって家族のいない時を見計らって観ているので、、私がこんなに観ているとは誰も知らない)。とゆーことで、時間がぽっかり空いたので、もちろん映画館へ。本当は3D上映の梅田ブルグまで行きたかったのですが、そこまでの時間はござらん。よってラインシネマへGO!2Dでも普通に面白かったです。

古代のデンマーク。勇者ベオウルフ(レイ・ウィンストン)は、王フロースガール(アンソニー・ホプキンス)の命により、暴れまわる怪物グレンデル退治に出動し、勝利を果たします。しかしその後も何人もの兵士たちが殺され、それはグレンデルの母(アンジェリーナ・ジョリー)の仕業とわかりました。グレンデルの母をも成敗しにいったベオウルフですが、逆に魔物であるグレンデルの母の色香に迷わされることになります。

モーション・キャプチャーという手法を使っての全編CG作品。なので出演者は全て本物の俳優のCGで、声だけ本人です。監督のロバート・ゼメキスは、「ポーラー・エクスプレス」「モンスター・ハウス」に続いてのCG作品です。

ファンタジーで、目玉は怪物たちとの格闘シーンですが、私は素直に面白かったです。まぁ目新しさはなかったですがね。ちょっと「サラマンダー」を思い出しました。その他宴のシーンが多いのですが、この辺も違和感なく上手く描けていました。

しかしグレンデルと闘うシーンで、意味なくベオウルフがスッポンポンになるのにはびっくり。でも実写ならあわやトンデモか!なんですが、その辺CGならではのマイルドさで、乗り切りました(本当か?)でも上手く隠してたなぁー。

ストーリーの芯はズバリ、「英雄色を好むと、その後はどうなる?」です。魔物でなくても性悪女にひっかかった日にゃ、あぁくわばらくわばら・・・、と感じた殿方も多かったのではないでしょうか?

最初のフロースガールとグレンデルの対面シーンで、二人の間の秘密はだいたいわかるのですが、その秘密は、二重にも三重にもフロースガールを苦しめます。どうしても自分の手ではグレンデルを殺せなかった彼が、グレンデルの死後取った行動は、物哀しさが漂います。しかしそれは人との心としてとても理解出来るので、余韻を残すものです。それはベオウルフにも受け継がれ、まさに歴史は繰り返すを地で行くストーリーですが、CGでもあんなにセクシーなアンジーですもの、誘惑されたら一回くらい食っちゃうわね。いや正しくは食われたのか・・・。この辺のご立派な男性二人の憂鬱には、とても同情出来る描き方でした。

しかしストーリーはその方面だけ強調してしまって、王妃(ロビン・ライト・ペン)の扱いも、イマイチ添え物的になってしまったし、臣下アンファース(ジョン・マルコビッチ)の扱いも、もっとミステリアスだったり曲者だったり出来たはずですが、これも中途半端。その辺の工夫があれば、やや平板なストーリーに奥行きが出たと思います。

この王妃さま可哀想なんですよ。前夫も現夫も、両方アンジーの幻からずっと逃れられなくて。女性として敗北感がいっぱいだったでしょうね。でも潔癖が過ぎるし知性が勝る感じだったので、旦那様方も心が安らがなかったかな?

この方式で作ると、亡くなった往年のスターたちも出演出来そうですが、私は王妃役のペンが最初全然誰だかわかりませんでした。ラスト5分前にや〜と、「あっ!ロビン・ライト・ペン!」とわかったしだい。出演はアンジーだけしか知らなかったのですが、ホプキンスやマルコビッチなど、特徴を描きやすい人はとっても上手く描けていましたが、ペンの他にもアリソン・ローマンなど最後までわかりませんでした。似顔絵と同じで、デフォルメしやすい顔立ちの人だとCGでも上手く描けますが、ノーブルな整った顔立ちは難しいみたい。同じ世紀の美女でも、リズは大丈夫でグレース・ケリーは微妙という感じかな?

亡くなった俳優の出演は、遺族の了解など色々クリアしなければいけないこともあるでしょうが、現役時代では実現出来なかったようなオールスターキャストの作品を、是非観てみたいです。


2007年12月14日(金) 「モーテル」




怖かった!面白かった!終映近くの13日に観てきました。この手のホラーは好きなのですが、電車に乗って出かける劇場でしか上映せず忘れていたら、いつもお世話になっているFさんから、協力プッシュが。それではと「椿三十郎」から変更しました。仲たがいした夫婦の再生ものとしても秀逸で、90分足らずをきちんと作り込んだ秀作でした。

離婚寸前のデビット(ルーク・ウィルソン)とエイミ(ケイト・ベッキンセイル)ー夫婦は、エイミーの両親の結婚記念日の祝いからの帰途、夜半に道に迷い、あげく車はエンコ。仕方なく一軒のモーテルで一泊するはめになります。薄汚い部屋に閉口した二人は、気晴らしにビデオでも観ることにしますが、そのビデオは、彼らが泊まった一室で起こった殺人ビデオでした。

と、とってもシンプルな題材です。オープングから派手さはないですが、タイトなサスペンス調全開で、なるほどこれは面白いかも?と期待いっぱいに。

道中の夫婦の不穏な会話と、エイミーの終始不機嫌な様子から、かなり険悪なのがわかります。大げんかするわけではありませんが、お互いのうんざりする様子が手に取るように伝わり、会話の描写が上手です。パラっと一枚、夫婦と坊やが写った写真が落ちてきて、涙するエイミー。子供が亡くなっているのですね。ほんの数十秒の描写が、この夫婦の険悪さの原因を雄弁に語り、秀逸な描写です。そして子どもが亡くなったという事実が、この作品にとても深みを与えるのです。

さぁこのモーテルから夫婦は脱出出来るか?というお決まりの展開ですが、それがとってもスピーディでドキドキさせ、見応えがあります。犯人は小見出に二人を怖がらせ精神的にいたぶりますが、それはその様子をビデオテープに撮るためなのです。その小見出に、何度背筋が冷っとなったことか。決して大げさな恐怖ではなく、怖っ!がいっぱいあるのです。猟奇的な場面は、画面からは小さく見えるビデオテープの中に収めているだけです。実際の二人に体験させるのは、ねずみやごきぶり、真っ茶色の水道水など、生理的な不潔感を煽りますが、流血は最後の最後までありません。モーテルの支配人の、胡散臭く生理的にいや〜な人を感じさせるところも良かったです。下手に血を大量投下すると、凡百のスプラッタムービーとなるところを、救っています。

でも一番怖いのは殺人の動機です。「13日の金曜日」のような都市伝説的なものでもなく、「悪魔のいけにえ」のような精神異常者でもありません。ある出来事から何故犯人が殺人を犯すのかがわかりますが、それこそ世界各国、ひなびた町に泊まった日にゃ、どこでも起こり得る理由なのです。不条理なホラーを絵空事と思って楽しむのと違い、病んだ刺激を求め続ける、決して画面には出てこない人の心は、本当に恐ろしい。

後は離婚届けに判を押すだけだったはずの二人ですが、ずっと仏頂面であったエイミーは一心に夫にすがり、妻にうんざりしていたデビッドは懸命に妻を守ろうとします。隙を見て助けを呼ぼうとしてデビットですが、末遂に終わり命からがら、部屋に戻ります。その時泣きながら夫の無事を確かめ抱きつきキスするエイミー。このシーンで思わずホロっと涙が出ました。

私は車のシーンで、夜を徹して運転する夫を気遣い、「運転を代わるわ」と何度も言うエイミーを観て、本心はまだ夫に未練があるのだと感じました。ただの社交辞令など言っても意味がないほどの溝が、二人にはあったはずです。それなのに夫の体調を気遣うのは、彼女の本心なのです。デビッドにも欝病の妻を気遣う言葉が数々ありました。微妙な空気から、私はずっと修復可能な夫婦だと思っていました。

「僕は息子のことを忘れたくない。もっと話がしたいんだ」というデビッド。母親のエイミーはまだまだそんな境地にはなれなかったでしょう。名前を聞く度顔が浮かぶ度、涙が出るのは当たり前です。そんな自分の心もわからない夫に、いやけが差すのはよくわかります。誠実で温厚だと思っていた夫は、鈍感で頼りない人に妻には変化したのでしょう。

しかしデビッドとて悲しみの表現が違うだけで、父親として充分に悲しんでいるはず。デビッドの表現は、言わば親兄弟が亡くなったときの哀悼の情と同じ質なのでしょう。それが母親である妻には、納得できるはずがありません。お互い「何故わからない?」の気持ちの擦れ違いが積み重なったのは、容易に想像出来ます。

しかし土壇場の窮地で、息子が亡くなってから、きっと「死にたい」と思い続け抗鬱剤や安定剤を飲み続けていたエイミーは、初めて「生きたい」と思ったのではないでしょうか?それが彼女の心の奥底の、夫を求める本心を露にしたのだと思いました。だって子供を失った悲しみの半分を背負ってくれるのは、父親しかいないのですから。

デビッドもそうでしょう。自分の手に負えなくなった妻を、本当は立ち直らせたいと思いつつ、面倒臭くなって状況に流されていたのでしょう。男の人って、そういうとこあるよねぇ。生きるか死ぬかの瀬戸際で、彼の本当の心も奮い立ったと思います。

ラストの展開は、「戻ったらやり直そう。愛しているよ」というデビッドの言葉が、エイミーを勇気づけたのだと思います。このお話の始末の付け方は、如何にも今日的ですが、果敢に妻を守ろうとしたデビッドの姿は、私には好感度大でした。やっぱり夫には守ってもらいたいですから。

ウィルソンの平凡な容姿は、デビッドの造形に打ってつけだったし、ベッキンセイルは、こんなに細やかに複雑な妻の心を表わす演技ができるたのかとびっくり。二人とも泥まみれ汗まみれになっての大健闘でした。


最後にネタバレ


















このモーテルに二人を呼び寄せたのは、亡くなった坊やかもしれないなぁと思いました。ここで仲直りしなかったら、自分といっしょにあの世に連れて行きたいと思ったのかもですね。自分の心に素直になってくれたから、力を与えたのかも。亡くなろうとも「子はかすがい」かもですねぇ。


2007年12月11日(火) 「ナンバー23」

えーと、11月30日に観ています。何故こんなに感想が遅れたかというと、十数年ぶりに、映画館で寝てしまったのです。映画館で寝たのは、昨日が22歳の誕生日の次男にせがまれて、息子が小学生の時「爆走兄弟レッツ&ゴー!」というミニ四駆アニメを観て以来。あの時もよく寝ましたが、今回も約90分ちょいの作品で、30分ほど寝てしまいました。あぁ気持ち良かった、って、あかんやろ!

実はその日限りのラインシネマのチケットを、だいぶ前にオークションで落札していたのですね。本当は「てれすこ」を観ようと取って置いたのですが、映画が不発につき上映時間が変更になり、朝と夜しかなくなりました。現在うちの末っ子は中三で、クラブも引退となり、小学生のお子達並に早く帰宅するのですね。受験生の母たるもの、息子にだけ勉強せい!とは言ってはいかんのですよ。母も大好きな映画を我慢しなくちゃ。だから息子が学校へ行っている間に観るのです(結局観るんかい)。先月は実力テストに進路相談、期末テストと、時間のやりくりが非常に厳しく(もちろん私の)、チケットもこうして残ってしまったわけだよ。

その日は仕事が長引き、第一候補の「クローズ」が間に合わずパス。それでラインシネマのカウンター前で最後まで悩み、一番観たくなかったこの作品をチョイス。いやその日ね、息子が塾の日でね、6時には晩ご飯を食べさせなくてはいけないので、「ミッドナイト・イーグル」にすると、終わるのが4時半でね、それからスーパー行ってご飯作ってって、時間が押せ押せでしんどいでしょう?なので家に早く帰りたいという理由で1時10分からのこの作品にしました。それなら観んかったらええがな、という声がしそうですが、そこが哀しい映画好きの性。チケットをどぶに捨てるような真似、残った白ご飯を、ゴミ箱に捨てるようなもんじゃございませんか?、私には出来ません。バチが当たるというもんです。

という感じで、思いっきり消化試合のような気分での鑑賞でした。しかし何で観たくない映画観るかなぁ。自分でもわかりません。

動物管理局に勤めるウォルター(ジム・キャリー)。美しい妻のアガサ(バージニア・マドセン)と一人息子に恵まれ、平穏な日々を送っています。ある日ウォルターの誕生日に見つけた一冊の小説の内容が、あまりに自分の生活と酷似していることに疑念を抱きます。その小説は「ナンバー23」というタイトルで、ウォルターの生活も「23」という数字が充満しているのを発見します。以来ウォルターは、誰かに監視されているという感覚を抱きます。

と、疑念を抱く様子までは観ておったのですね。コメディではない作品のジム・キャリーは、いつもなかなか繊細な感受性を漂わすハンサムで、私は気に入っています。が、この作品ではお友達の一人もいないと妻に言われ、しかし大人しい風でもない、ただのネクラと言う感じで、非常につまらん男にしか観えませんでした。主役に魅力がないので、消化試合でまず先制点を取られた気分に。

それから肝心の「23」にまつわる数々のことなんですが、これがこじつけ以外のなんでもなくて、発見の度に「おぉ!なんてこったい!」と言う感じで、キャリーは大層なリアクションなんですが、観ているこっちは「それが何か?」という気分に。この辺からつまらん、つまらんつまらん、つまらんつまらん、と、不満が充満する中、気を失ってしまいました。

再び目覚めた時は、キャリーは墓場でした。そこからの展開は何があったんや?くらいの気持ちにはさせました。しかし!「ナンバー23」の小説にまつわるオチが、あまりにもすごい。こういうこんな無茶なことしといて、オチはどーする?系の作品は、数年前ではデ・パルマ節炸裂の「ファム・ファタール」の夢オチ、二年くらい前では、ひたすらジョニデ様のカッコ良さを愛でられた「シークレット・ウィンド」の多重人格など多々ありますが、今回ハリウッドは新たな鉱脈を発見!てな訳はなく、思いきり脱力のオチでした。

「ファム・ファタール」なんてね、すごーく面白かったんですよ。サービス満点で。冒頭からあり得んビスチェの盗み方からして、わくわくしながら大爆笑出来る作品でした。当時まだ健在だった千日前スバル座で観たんですが、いっぱい空いてんのに、70前後と思しき男性が私の横に座るのね。それで不思議に思いつつ、まぁ何にもせんやろと思っていたら、おずおずと私の手を触るではありませんが。風体もごくごく普通のおじいちゃんでしたので怖くはなかったんですが、やはりあんまり気分はよろしくなく、思いっきり咳払いをすると、一目散に劇場外へ。アホアホバンちゃん(アントニオ・バンデラス)のフェロモン攻撃に酔い、レベッカ・ローミンのストリップなど、その後の展開もお楽しみ満載で、あのお爺ちゃんに、ちょっと悪い事したかなぁと思っていました。

しかしだね、じっくり考えてみると、きっとあの爺ちゃん、前の上映回の時にレベッカのヌード観て(限りなく全裸に近いセミ。この辺が絶妙だったなぁ)、回春しちゃったんじゃないでしょうか?当時は入れ替え制じゃなかったもん。それで若い娘だと気遅れするので、中年の私の手を出来心で触ってしまったんでしょうね。

この作品には、もちろんそんな付加価値はありませんでした。妻役のマドセンは、名にしおうバンプ女優でしたが、「サイドウェイ」の成功により、すっかりイメチェン。今じゃ清楚で夫を立てる素敵な奥さんが持ち役に。キャリーもつまらんし、事件の鍵を握る女の子も、どうってことなし。もう本当にいいとこなしです。

私は常々辻妻なんか合わなくってもいいと思ってんのね(本当だよ)。面白ければ、映画は大概許されるでしょう?辻妻が気になったり、リアリティがどうのこうのと感じさすというのは、結局は面白くないから、観客にそう考える隙を与えていると思うんです。違うかなぁ?

ラストだけは、清々しくて良かったです。きっと監督のジョエル・シューマカーはいい人だと思います。この人の作品は結構な数を観ていますが、きっとそうです。でも素顔は悪党でもいいから、面白い作品作って下さい、お願いしますよ。


2007年12月08日(土) 「僕のピアノコンチェルト」




終了間際の水曜日に観てきました。全然予定外だったんですが、「4分間のピアニスト」とこちらと両方予告編を観て、ピンと来るものがあったこちらをチョイス。特異な性質を持った子供の孤独と周囲を描くという点で、私の大好きな「ボクのバラ色の人生」と似たテイストを持った作品で、こちらも秀作でした。日本では公開が珍しいスイスの作品で、監督は「山の焚火」や「最後通告」など、スイスの巨匠と呼ばれるフレディ・M・ミューラーです。

測定不能な高度のIQを持つ12歳のヴィトス(テオ・ゲオルギュー)。ヴィトスはまた、ピアノの才能も天才的でした。天才児である一人息子を育てるのに肩に力の入った、過剰な期待を抱く父レオと母ヘレン。そんな両親を次第に疎ましく思うヴィトスにとって、唯一の心の拠り所は、自分を普通の孫として愛してくれる、父方の祖父(ブルーノ・ガンツ)だけでした。ある日ヴィトスは、彼にとっての鬱陶しい日々に別れを告げる行動を起こします。

天才として生まれた少年の孤独と悲喜こもごもを、上質のユーモアを織り交ぜて描いています。ヴィトスは幼稚園児の頃から天才児ぶりを発揮。大人顔負けにシューマンの曲を弾いて来客をびっくりさせたり、難しい辞典を読み耽り、果ては同級の園児たちに「地球温暖化で、そのうち地球上の人はみんな死ぬ」と言って怖がらせて泣かせたり(←笑いました)。

発明家のレオと普通のOLのヘレンは、どこにでもいる平凡な共稼ぎ夫婦です。それがトンビが鷹を生んだようなヴィトスが生まれ、、その嬉しさと戸惑いと気負いが入り混じって育てている様子が、手に取るようにわかるよう演出されていて、共感を呼びます。

とりわけ少しは客観的に観ている父親のレオに比べ、母親のヘレンはヴィトスの才能をどのように開花させるか、それだけに執着して、次第に息子の心を観ようとしなくなります。それが段々ヒートアップして、自分の人生の命題になり生きがいになってしまうのですね。うんうん、わかるなぁ。私だってヴィトスみたいな子が出来たら舞い上がってしまい、困惑しながら一心不乱に子育てだけに埋没してしまうでしょう。あぁ並の息子ばかりで良かったよ。そう思わすところに、特別な才能を持つ子どもとその親の、難しさや悩みが浮かび上がります。

同じ母親の立場からみれば、ヘレンの取った行動は何も間違いはなかったと思います。ただひとつ間違っていたのは、ヴィトスに相談しなかったことです。全て母親の一存でした。本人は納得していないのだから、反抗するのは当たり前ですよね。それがヴィトスを思う気持ちであるのは痛いほどわかりますが、ヴィトスの人生はヴィトスのもののはず。

子どもの人生は自分の人生とばかり、運命共同体になってしまうのは、母親にはありがちなことです。ヘレンはたった一度この作品の中で涙を流しますが、落胆と悔恨の入り混じったその姿は、ヘレンを責めることなく優しくいさめていたように感じ、私は監督の優しさを感じました。

少し物足らなかったのは、この夫婦がヴィトスの教育方針で、言い合ったりケンカする場面がなかったことです。普通は諍いが起こっても良さそうなもんですが、夫婦仲に心配がないからこそ、ヴィトスも安心して反抗出来たのかもしれません。子供とは親が思っている以上に、気を使って暮らしているものですから。

ヴィトスは頭が良い子にありがちな、可愛げのない生意気な子です。要するに「子供らしくない」子です。しかし完璧なまでに大人や教師や飛び級した年上の生徒たちを凹ます姿は、普通でない才能を持った者の哀しさが浮かぶのです。そんなヴィトスですが祖父やベビーシッターのイザベルの前で、本当に素直です。それは祖父にとってはただただ可愛い孫、イザベルにとっては、年下の可愛い弟のような存在なのです。この二人はヴィトスが天才児であるとかないとか、そんな事を抜きにして、あるがままの彼を受け入れ愛しているからです。レオもヘレンも本当はそうであるはずが、ヴィトスの現象に惑わされて、結局は息子を見失いかけたのでしょう。

特に祖父のヴィトスへの接し方はこよなく自然で素晴らしく、孫であり最大の友でもあります。祖父として教えるべきことは教え、約束は大人と同じように守るなど、ヴィトスの人格を尊重する姿が、とても勉強になりました。

持ち前の頭脳で父の境地を救うヴィトスですが、この方法にはちと鼻持ちならない気分になります。しかしイザベルに対しての滑稽な告白の内容やこの方法こそが、ヴィトスの哀しみの根源なのでしょう。愛情の出し方がわからず、心で感じる前に頭が先に働いてしまうのですね。余裕尺々に見えて、本当はチリチリする自分の心が、本人もわからないのでしょうね。こういう天才児らしい演出で、親への愛を表現させるところなど、監督のヴィトスへの愛の深さも感じられます。

ラストのヴィトスの姿は、逃げても逃げても追いかけてくる彼の宿命を感じます。宿命というと因果なものに聞こえるので、人生の宿題かな?その才能が自分のため、世の中のためになることならば、必ずそのことを背負って人生を生きて行かねばならないと、私は思っています。そんな考えを後押ししてくれるラストでした。

ヴィトスを演じるテオ・ゲオルギューは、本当の神童ピアニストなんだとか。ともすれば小憎らしさが先に立つヴィトスの様子を、幼少期を演じたファブリツィオ・ボルサニの愛らしさとともに、理解と共感を呼ぶ素直な演技が、とても良かったです。また映画にも出て欲しいな。


2007年12月03日(月) 「エクスクロス 魔境伝説」

面白かった!1日の映画の日に観てきました。この日は鑑賞予定はなかったんですが、急に夕方私一人になったので、映画館へGO。ほんとね、一人にしてくれたら、幾らでも時間潰せんのよ、映画好きは。二作続けて自主上映だったので、思いきり脳みそ空っぽで楽しめるのがいいなぁ〜と、この作品をチョイス。これが大正解で、チープながらパンチの利いたB級おバカホラーで、90分ノンストップで楽しみました。監督は深作健太。良いという話は耳にしたことがなかったけど、なかなかいいじゃん。

恋人圭一(池内博之)に浮気された女子大生しより(松下奈緒)は、親友の愛子(鈴木亜美)に気晴らしにと誘われ、阿鹿里村にやってきました。しかし阿鹿里村はかなり不気味な変わった雰囲気の村で、村民も皆薄気味悪く、二人は不安にかられます。温泉で愛子と口ゲンカしたしよりは、先に部屋に戻りますが、その時忘れ物の携帯が鳴り、物部昭(声・小山力也)と名乗る男性が、すぐそこから逃げろと叫びます。その時愛子は、レイカ(小沢真珠)という女性から、追いかけられていました。

三章に分かれて、しよりパート・愛子パート・二人のパートとなっています。時空が行ったり来たりしますが、先に見せたシーンを再度映す手法なのでわかり易いです。二人は対照的で清純なお嬢様のしより、キュートだけど尻軽の愛子とキャラが立っているのがいいです。衣装も各々それ風だし、この作品で小道具として大活躍する携帯も、真っ赤でデコラティブな愛子のもの、ホワイトで普通の感じのしよりのものと、二人の性格付けにあったものだったし、携帯を持った時のネイルの形状などでも区分けして、この辺主役二人の描き分けにはとても気を配っていました。ワタクシも元女の子なのでね、この辺の繊細さには好感が持てます。

村人に訳も分からず追いかけられて、物部もイマイチ信じられず、愛子も挙動不審。誰が味方が敵がわからずカオス状態のしより。スピード感がとってもあるので、全然怖くはないんですが、必死で逃げる彼女の心臓が止まりそうな心境は充分感じられるので、すごく楽しめます。演じる松下奈緒は、綺麗だけど顔のパーツが大きいので、絶叫顔がなかなか映えます。なんでこんな作品に売り出し中のこの子が?と思っていましたが、なるほど、絶叫クィーンには向いているタイプです。

二章目の愛子パートから、かなりおバカ度が加速します。そして愛子の鈴木亜美なんですが、元トップアイドルの名をかなぐり捨てての大熱演です。ビッチな尻軽なんて役でも十分イメチェンなんですが、彼女の逃亡のキーワードは何と「トイレ」。トイレの床に這いつくばって逃げる鈴木亜美を、アイドル時代に誰が想像したろうか?そして○○○まみれになったりすんのよ!入浴シーンや短パンにブーツで回し蹴りも見せ、下手くそな歌手時代しか知らない私は、かなり彼女を見直しました。

そして美貌なのに変な役や意地悪な役の多い小沢真珠は、ついに今回イカレタ役です。ゴスロリの衣装に眼帯、赤頭巾ちゃんのようなマント姿(黒だけど)の彼女が、どすどす愛子を探す姿は、ちょっと「悪魔のいけにえ」のレザーフェイスが、「ワーーー!」と吠えながら獲物を狙う姿を彷彿させます。レイカVS愛子の対決シーンは、この作品の一番のおバカ場面で、片や全長1メートル以上あろうかというハサミ、片や何故かそこにあったチェーンソーが武器というあり得無さで、すんごい笑えます。でもやってる二人は真剣なのよね。別嬪さん二人が、こんなアホな場面を一生懸命やっているなんて、それだけで感動を呼ぶというものです。

小沢真珠なんてさ、あーた、ターミネーターかゾンビみたいなんですよ。一体この子の所属事務所は何を考えているんでしょうか?(楽しいけど)。これからきっと女優の前に「怪」がつくよなぁ。でも多分この作品で、私も含めてファンは10倍くらい増えたはずなので(当社推定)、事務所の思惑は当たったのかのぉ?あんなに美人に生れて美貌に頼らない生き方をする真珠ちゃんを、これから私は応援するのだ!(ほーら、思惑通り)。

クライマックスの場面は、いくらでもおどろおどろしい土俗的なムードに作り込めるはずなのに、確信犯的にチープでギャグっぽく作っているので、あれごときで逆襲出来るのは、物すごく納得。だってあの村民の様子じゃ、かなりIQ低そうに見えるもん。この辺計算して演出しているなら、監督やるねぇ。携帯・パソコンなど、イマドキの小物も上手く使っていました。

他にしょこタン(中川翔子)も二人の友人役で出演です。私はしょこタンのことが好きで、いつもとってもかわゆすなぁ〜と思っていますが、これはバラエティではなく映画なので、女優さんたちと並ぶと、ちょっとビジュアル面で見劣りします。それを感じさせないよう、彼女だけ足が骨折している設定で、遠隔地からご出演です。パソコンを使うメガネっ子役とは、オタ女の彼女の面目躍如というところでしょうか?曲者・池内博之も、こんな役で終わるはずがないと思っていたら、やっぱり終わらず、私的には満足でした。

ところで今眼帯やギブスフェチの子がたくさんいるんだってさ。この作品でもゴスロリと共に小道具として用いているし、この辺は監督の若さが生かされているんでしょうね。よくよく考えるとツッコミ満載なんですが、(足を引きずっている人間が、走る自動車に何故追いつける?とか、だいたいあんな薄気味悪い村、さっさと帰らんか!とか)、とにかくテンポがいいので、そういう隙を与えません。ツッコム代わりに笑わせてくれます。コレ狙って撮ったなら、頭いいわ監督。取りあえず次の作品も観たいと思います。


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