ケイケイの映画日記
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2006年05月30日(火) |
「嫌われ松子の一生」 |
月曜日観て来ました。最初予告編を観たとき、あの「下妻物語」の中島哲也監督と聞き、またまた痛快な作品が観られるのだと、期待満々だった私。それが年若いお友達とお話している時、「私『松子』の原作を読んで、すごく落ち込んだんですよ・・・」と聞いて、へっ???。あの予告編からは想像出来ないじゃございませんか。一体どんな話なのかと、頭は妄想だらけ。かなり厳しい内容だとは検討がつきましたが、これほど痛々しく哀しいお話だとは・・・そこには孔雀が羽を広げたような彩で描かれた、澤地久江が好んで書くような「昭和史の女・川尻松子」がいました。またまた目が痛いほど泣きまくり。大をつけても良い傑作だと思います。
平成13年、東京のとある川原で、53歳の川尻松子(中谷美紀)の殺傷体が発見されます。彼女とは生前面識のなかった甥の笙(瑛太)は、松子の弟の父(香川照之)の頼みで松子の部屋を掃除するはめに。しかしそれが図らずも松子の哀しい人生を振り返ることになるのです。昭和22年福岡の平凡な家庭に生まれた松子は、中学の教師をしていましたが、ある事件をきっかけに辞職することに。家を出た彼女は、作家崩れと同棲したり、妻子ある男の愛人になったり、あげくトルコ嬢に。しかしそののちヒモを痴話げんかの果て殺してしまい、刑務所に行くことに。以降まだまだ松子の悲惨な人生は続いていくのです・・・。
多分私の想像なのですが、原作は想像を絶する痛々しさで包まれているのではないでしょうか?それを中島監督は、「下妻」式のカラフルな色彩、ポップな技法を用いて、所々ミュージカル仕立てで演出しています(本当に予告編通り)。あぁそれなのに、軽〜く観たり笑ってしまう場面が随所にあるのに、痛ましく哀しすぎる松子の人生が、ズシンズシンと胸に響きまくりです。
そもそも教師を辞めた理由だって、ちょっと頭がまわりゃあ、あんなことはしないだろうと思うような、刹那的な行動なのです。それ以降の行動も突拍子もなかったり浅はかだったり、男を観る目が丸でなかったり、この不幸のつるべ打ちは観ていて予測通りなのです。しかしこれが他人事には全然思えず、哀しい女とは感じても、絶対バカな女とは思わないのです。ただちょっとづつ、ボタンを掛け違えただけなんだもん。私は松子だったかも知れない。それくらい松子が理解出来るのです。
松子のムショ仲間だっためぐみ(黒沢あすか!好演!はすっぱ!セクシー!)が言う「女はみんな、シンデレラか白雪姫を夢見るもんさ」。うんうん私だってそうだったよ。王子様が私を幸せにしてくれると思ってた。「殴られたって一人でいるよりまし」(by松子)というのは、私は本当の孤独を知らないから思ったことがないのでしょう。松子を観ていると、ひしひし孤独というものが、いかに辛いかが見えてくるのです。殴り殴られて依存仕合い、体売って金持って来いという男を、松子が一番愛したのを見て、もしかしたらDVの根源的な部分は、松子の心情にあるのかもとまで思ってしまいます。
めぐみは心底松子を心配し、彼女を救おうとしますが、「地獄にいっしょに落ちてもいい男」と巡りあった松子は、めぐみの気持ちを拒否します。それは笙のいう事が当たっているのです。AV製作であろうが自分が出演しようが、めぐみには前科モノの彼女を丸ごと引き受けてくれて、いっしょに夢を見る夫がいて、松子にはそれがない。人生を共に出来るのなら、それが夢の見られない相手なら、地獄に落ちたい。これは私も同じタイプなんです。
以前兄嫁(9歳上)と話している時、「大昔やねんけど、親友が本当に辛い境遇に陥ってね。その時私が男なら、この子のこと幸せに出来るのにって、悔しかったの」という言葉に、もの凄く納得した私。断っときますが、兄嫁はもちろんストレート。それくらい昭和の女の平凡な幸せには、自分を守ってくれる男性というものが不可欠だったんです(もちろん例外もあり)。
笙の彼女(柴崎コウ)が語る「人生の値打ちって、相手に何をしてもらったかではなく、どれだけの人に何をしたかってことだよね。」との、お若いのにわかっていらっしゃる言葉に、尽くしても尽くしても、どんどん泥沼に落ちる松子を重ねて、涙涙の私。柴崎嬢はこの言葉を残し海外青年協力隊へ。平成の若い女性だなぁと、感慨深い私。
この作品は注意深く観ていると、「裏昭和史」みたいなのも見えます。作家崩れとの同棲は、薄汚い四畳半で「同棲時代」や「神田川」の世界だし、愛人となるや、そこは花柄の壁紙、カラーテレビや電子レンジなど、ある程度行き渡った「憧れのアメリカ」です。玄人トルコ嬢として活躍していて松子を蹴落としたのは、素人が売りの若い子。この頃は空前の女子大生ブームで、「夕暮れ族」だったっけ、女子大生が愛人契約するのしないのが話題だったような。こんなの視点を変えれば、体売ってまで向学心があるのなら天晴れですが、女子大生が先か娼婦が先かって問題ですが。この頃から段々世の男は頼りなくなってきて、「私を守ってくれる王子様」は、そんじょそこらにはいなくなってきます。そして今や女子大生どころか、女子中学生が持てはやされる幼稚な時代です。
そうやって自分の夢見ていたことが幻だと認識した松子は、あの無気力な生活に突入。あれは引きこもりを描いていたのか?アイドルにだけ熱を上げる様子も、上手く機能していました。汚い部屋は汚ギャルの走りというより、ゴミ屋敷の住人にも、その人なりの哀しい人生が隠されているのかと思いました。そして松子が殺された理由。松子が殺人を犯した如何にもな昭和の転落した女を象徴した理由だったのに対し、こちらはあまりに殺伐とした、平成の理由です。
松子に愛情薄く見えた寡黙な父親(柄本明)の、生前の日記にしたためた松子に対しての記入に、私は堪らず号泣。病弱な妹(市川日実子)は、自分が病弱なため何も出来なかった分、松子は妹の夢だったのです。誰も妹の心がわからなかった。哀しい。冷たく見えた弟ですが、「家」を守るのに精一杯だった彼を、誰も責められません。それに弟がいたから、初めて松子を理解してくれる血の繋がった笙が生まれたのですから、やはり縁は切っても、血は切れないものです。
悲惨な話に華やかなミュージカル場面の挿入は、ちょっと「ダンサー・イン・ザ・ダーク」を思わせますが、「ダンサー〜」より作品を引き締め、 きちんと見せ場にもなっており、楽しい出来です。賛否はあるかもしれませんが、この試みは成功だったと思います。元々私は中谷美紀が大好きなのですが、よくここまでやったなと思うほど、いつもの彼女をかなぐり捨てての大熱演。年末の賞レースが楽しみです。他にもドンピシャの配役の、超豪華キャストが奏でるこの大傑作、どうぞご賞味あれ。ご鑑賞の節はハンカチを忘れずに。
木曜日にテアトル梅田で観て来ました。先に上映の地元横浜や東京での大評判に、期待ワクワクで鑑賞。特異な風貌で、娼婦として生き続けた老女メリーさんの、切なく哀しい物語なのかと思いきや、とめどもなく流れる私の涙は、胸いっぱいに広がった暖かさがもたらした涙でした。このドキュメントは、メリーさんという一人の女性を通じて描く、横浜の日本の戦後、そして昭和です。
横浜の人々の間で知らない人はいない娼婦メリーさん。年齢も本名も誰も知らず、住所も不定。「ハマのメリー」さんの名前で知られています。その風貌は独特で、白塗りの歌舞伎役者のような素顔のわからないメイク、薄汚れたレースいっぱいの衣装を身にまとい、大きな荷物を常に持ち歩く彼女は、老境に差し掛かっても現役の娼婦なのです。そんな都市伝説のヒロインのような彼女が、1995年、ヨコハマから姿を消します。
メリーさんを知る多くの人が、どういう女性だったか、スクリーンで語ってくれます。かつて同じように街娼として働いていた人、メリーさんが通っていた美容院の先生やクリーニング店の店主夫妻、メリーさんを被写体に選んだ写真家、「あたしメリーとケンカしたのよ」という、気風の良さそうな元お座敷芸者、当時の風俗ライター、無宿者のメリーさんに居場所を提供した宝石店主など、近しく又は遠巻きに語る内容で、メリーさんの過去が浮かび上がります。
中でも観客が皆一番心魅かれるのは、ゲイのシャンソン歌手・永登元次郎さんでしょう。歌手になり自分のお店を持つまでに、田舎から出てきて長い苦節があったのでしょう、彼は女装して男娼をしていたことがあります。メリーさんとは彼のコンサートにメリーさんが来てくれたことが縁で、長く交流を重ね、金銭的援助もしていました。今元次郎さんはガンに侵され、もう一度メリーさんと会いたいと願っています。
横須賀にいる時は将校しか相手にしなかった高級娼婦、気位が高く皇后陛下と呼ばれていた、40歳になり横須賀のどぶいた通りから横浜の黄金町に移った、人からほどこしを受けるのが大嫌いだった、他の店は店前に座ることも許さないのに、一軒だけ彼女を追い払わない店には、長く盆暮れには届け物をしていた、など。元次郎さんにチケットをプレゼントされた彼女は、きちんと舞台にプレゼントを届けます。
一見して老狂女のように見える彼女からは、孤独や哀しさではなく、孤高とも言える強さと気高さが感じられます。私はびっくりしました。どんなに伝説の人となろうとメリーさんは娼婦なのです。こんな女性だとは思いもしなかったからです。女性が春をひさぐことには哀しみや痛みが伴うもの、という先入観は、見事に吹っ飛びます。
戦後すぐの横浜の様子を語る様々なすねに傷を持つ老紳士たちは、戦争に負けてへこむ頼りない男達を尻目に、パンパンと呼ばれながら、アメリカの男達からたくましく金を吸いとる彼女達を、蔑みません。しかし本当に生活のため体を売ることを、彼女たちは平気だったのでしょうか?「白塗りになることは、メリーさんがメリーさんに成りきるためのもの」という、作家の山崎洋子の言葉は、華やかで毒々しい服やメークをまとう、メリーさん以外の多くの娼婦たちにも共通した痛みではなかったでしょうか?
元次郎さんは早く父に死に別れ、水商売をしていた母の手一つで育てられました。その母に恋人が出来た時、彼は寂しさのあまり母を「パンパン」と罵ります。今の自分なら、決して言わないという彼。亡くなった母をメリーさんに重ね、彼にとってメリーさんは特別の存在になります。そして美容師、化粧品店主、クリーニング店主夫妻など、心から彼女を受け入れてくれた人にさえ、一線を引いた付き合いをしたメリーさんが、元次郎さんにだけは孤高の衣を脱ぎ捨て、安息を求め寂しさ感じる自分の姿をさらけ出します。元次郎さん以外は堅気の人です。同じ異形の人として人の世を生きる元次郎さんには、メリーさんもまた、肉親に近い情を感じたのではないかと思います。
ガンの進行が進むメリーさんは、故郷の老人ホームに住むメリーさんを探し当て、慰問の訪れます。元次郎さんの歌う姿に、心が震えるほど聞き入る私の目に飛び込んだのは、白塗りを止めたメリーさんの姿でした。穏やか微笑を浮かべる美しい老婦人は、確かに公家のような涼しげな顔立ちで、とてもとても長年娼婦をしていた人には見えません。汚れのない魂の美しささえ感じさせます。白塗りの影に隠された、この気高さや純粋さを、彼女を愛した横浜の人々は、見抜いていたのですね。メリーさんの素顔を見た途端、登場したお年寄りたちの語る戦後の横浜の様子も、一層の真実味を帯び、輝きが増すように感じられました。
昨今の昭和ブームを見るに付け、その真ん中の36年生まれの私は尊い時代に生まれ多感な頃を過ごしたことに、感謝したい気持ちになります。昭和のような、人として誠を生きる時代はもう来ないのか?と思いきや、この作品の監督の中村高寛はまだ30歳。メリーさんを初め、この作品の老いた語り部たちに対し敬いの気持ちと労いの眼差しが感じられます。山崎洋子は自著の中で、無縁墓地の捨てられたハーフの子達を、「メリーさんの子供達」と呼んでいます。その子たちが子供なら、中村監督はメリーさんの孫。歯を食いしばり、風雪に耐えて日本を復興させた、生き残ったメリーさんの子供たちが育てた、大事な孫です。監督の異形の人を見つめる目の温かさに、昭和の誠実さを感じた私でした。中村監督には、是非「淀川長治物語」を撮って欲しいなと思います。
2006年05月25日(木) |
「ダ・ヴィンチ・コード」 |
昨日のレディースデーで観て来ました。多分大ヒット中だと思ったので、前日ラインシネマで座席を予約。上映開始10分前に着くと、普段の日曜日以上の自転車の山とチケット売り場の長蛇の列にびっくり。来る人来る人、みんなこの作品目当て。私は原作も読んだことだし、交通費のかからないラインシネマで観られるし、と期待はなしで観ましたが、それでもなぁ・・・。オフ会の時大倉さんに止められたけど、これなら「海猿」にしときゃ良かったかも。
ルーブル美術館館長ジャック・ソニエールがルーブル内で殺されます。遺体の側のダイイング・メッセージとも思える奇妙な暗号と共に名前があったことで、容疑者としてフランス司法警察警部のファーシュ(ジャン・レノ)から容疑者として目をつけられえたフランス滞在中のハーバード大学教授のラングドン(トム・ハンクス)ですが、寸でのところで暗号解読官のソフィー・ヌヴー(オドレイ・トトゥ)に助けられます。彼女はソニエールの孫で、祖父のメッセージからラングドンの無実を確信しており、暗号解読にはラングドンの協力が必要だというのです。かくしてパリを舞台の二人の暗号解読の冒険が始まります。
私は原作を読んでいるので、字幕版を選びました。読んでいたので、あのシーンこのシーン、あぁこれだとピンと来ましたが、それなりに丁寧に原作に忠実に描いてはいるものの、なんせ原作は全三巻の超大作。猛烈なスピードで描くので、読んでいない人はこれでわかるんでしょうか?
恥ずかしながら原作を読んでいる時、暗号解読なんぞさっぱりの私は、行ったり来たり何度したことか。謎解きならコナン君、金田一耕介及びその孫、時々山村美佐&西村京太郎と言う方は(私のこと)、この描き方ではさっぱりわからないと思います。なので、あの謎解きが解明した後のあぁスッキリした!という感じに著しく欠けます。
原作の方では長尺なので、全ての登場人物の掘り下げも充分で、長いからこそ段々登場人物に心を寄せて行けるのですが、これも猛スピードor拙い脚色(のちほどネタバレで)なので、悪玉はだたの悪玉、善玉は普通の人にしか見えず、両方それぞれに抱える痛みや苦しさに感情移入出来ません。
オフで大倉さんも、「ルーブルの美術品が目当てだけに観に行く」と仰っていましたが、普段の日のチケット代では、金返せ!になるかも。原作で丹念にルーブルの中や絵画の講釈がありましたが、それも大幅にカットされています。原作者は美術と宗教をからませた、現代の「インディ・ジョーンズ」にしたかった模様ですが、この活劇部分が如何せん小粒も小粒。原作を読んだのを差っ引いても、盛り上がりに欠けます。同じフリーメイスンやテンプル騎士団が出てくるなら(宗教はないけど)、これなら「ナショナル・トレジャー」の方が、まだ私は面白かったです(暴言だろうか?)。
ヘアスタイルのため懸念だったハンクスですが、演技自体は彼の力量で知性的にも見えましたが、やっぱりあの頭は変。気持ちがそがれます。オドレイもソフィーが原作で30過ぎ(32だったかな?)ということで、実年齢(27)より大人っぽさを出したかったのでしょうか、メイクが古臭いのです。あんな青いシャドー、目の上いっぱいに塗るのを久々に見ました。ヘアスタイルも鬱陶しいです。髪を切るのがNGなら、アップにしても良かったかも。ファッションも暗号解読官ということで、地味でやぼったくてもいいのですが、普通はこういう時パンツスタイルではないでしょうか?あちこち逃げ回って膝をすりむいたり、スカート姿がなんかとっても間抜け。彼女はこの作品の鍵を握る人物で、秘密がわかった後、観客が納得出来るスケールの大きさを感じさせねばならないのに、この演出では、知性にも勇気にも欠け、その辺の可愛い子でしかありません。彼女の個性が生きるのは、この手の娯楽大作ではなく、小品っぽい佳作ではないでしょうか?
解読に協力するリー・テービングを演じるイアン・マッケラン、オプス・ディの信徒シラスのポール・ベタニーは光っていました。でも彼等も描き方に不満があります。(これも後で)。よく原作物は、わからなければ原作を読めと言われる方がいますが、原作と映画は別物。読むとどうしても比較してしまいますが、原則は映画は映画で理解出来るように作られて、しかるべきだと思います。原作を読まないとわからないなんて、それは反則です。もっと大胆に削って、これは外せないと思った箇所を掘り下げたら良かったと感じました。この作品は日頃映画館に縁のない方も取り込むような、メジャー系拡大公開の娯楽大作のはずですが、キリスト教にも暗号解読などにも知識の乏しいだろう一般の日本の方には、あまり面白い作品ではないと感じました。
では付録のネタバレ 原作との比較**********
シラスの所属するキリスト教集団オプス・デイは本当に存在します。原作では同じキリスト教を信仰するのに、異端視され迫害される様子が描かれ、撮った行動は良くないものの、同情心も湧きます。映画で描かれたように、肉体にキリストと同じような痛みを感じて修行するようです。シラスは色素欠乏症で、そのため父親から疎まれ家庭の愛を知らず非行にも走ったのですが、巡りあった同集団のアリンガローサ司教(アルフレッド・モリナ)から手厚い愛情を注がれ、彼の元修行に励むようになります。この師弟の結びつきの暖かさと絆は、私は原作で一番好きでした。彼等の過ちに対して同情も湧きました。映画の演出でわかるかな?あれではシラスはただの変質者、オプス・デイもただのカルト集団です。
リーも人生の全てを注いだといっても過言でないほど、聖杯探しに情熱を注いでいました。彼の行動もまた×ですが、その狂信的な姿には少し哀れさも感じます。映画ではただの悪党ですよね。
ファーシュ警部も原作ではオプス・ディの信徒ではありません。あんな密告一つで犯人を決め付けるなんて、宗教って怖いなぁとの思いだけが残りますし、フランスの警察にも失礼ですよね。原作のファーシュは狡猾でちょっといやらしい人ですが、愛嬌も感じられる面白い人です。
原作では、ソニエールとソフィーは実の祖父と孫です。ソニエールが総長を務めたシオン修道会で執り行われた儀式は、「アイズ・ワイド・シャット」で描かれた、乱交もどきのものです。私は「アイズ〜」を観た時、もったいぶった乱交パーティだと思っていましたが、この原作の描写を読んだ時、真っ先に浮かびました。ソニエールとソフィーが仲違いした原因は、祖父に連絡せずに留学先から自宅に戻ったソフィーが、この儀式を見たためです。彼女が昔の祖父を懐かしみ慕う心と、嫌悪感が交錯し葛藤する様子は、血の繋がりの本質を描いていて、心に残るものでした。
そしてソフィーが目にした祖父の相手というのが、実は祖母である祖父の妻。原作では祖父がソフィーを、祖母が弟を引き取り、キリストの血を守るため、仲睦まじかった夫婦が別れ別れに暮らすのです。だから乱交パーティだと思っていたものは、実はとても愛のこもった行為であったわけ。映画だけの方には、あの描写でも不満はなかったかもです。でも私は原作では、これだけのモノを犠牲にしても、孫を守りたかったソニエール夫妻の愛に打たれ、そのために多くの犠牲者が出ていることに目が向きませんでしたが、映画の方では、そんなに大事に守らなくちゃいけないことなのか?と疑問に思いました。それに直系って、普通は男子ですよね?マグダラのマリアの生んだ子は女子で、その解釈もおかしい気が。原作も女子だったかしら?失念しました、すみません。
2006年05月23日(火) |
大阪市内及び東大阪市の劇場会員案内 |
以前お友達のトッパさんが、ブログに書かれていたのを読んで、一度やってみたく思っていました。本当は大阪全部書ければいいのですが膨大なので、一度でも足を運んだ劇場のみ書きたいと思います。
布施ラインシネマ
言わずと知れた私のホームグラウンド。東大阪唯一のシネコンで10スクリーンあります。メジャー配給作品は、ほとんどここで観ています。最近テアトル系も時々上映。以前は東劇、昭栄座、リオン座の三館の劇場だったのを、数年前リニューアル。一番敷地の大きかったリオン座跡に7スクリーン、昭栄座跡に3スクリーンです。大手企業の劇場ではなく、岡島チェーンという独立興業系の会社が運営しています。ちなみに私が生まれて初めて入った映画館もここ。
【会員情報】 管理人会員劇場。申し込み随時。年会費1500円で全作品1300円で観られる。常時〜3作品、会員は1000円で観られる指定作品あり。スタンプは6個貯まるごとに1本無料鑑賞。但し本人以外は使えない。発行直後から使用可能。二年目の更新からは、1年間1500円と、2年2000円の二つ選べる。会報は毎月。
【追記】 2006年7月より、会員は金曜日全作品1000円で観られるようになりました。これに伴い、指定作品1000円鑑賞はなくなりました。
テアトル梅田
梅田ロフトの地下にある、大阪のミニシアターの老舗。ミニシアターでは一番好きな劇場です。スクリーンは二つ。
【会員情報】 管理人会員劇場。申し込み随時。年会費3000円で全作品1000円で鑑賞。但しカードにJCBがつくので、その場では発行してもらえない。1作品1ポイントで10ポイント貯まると1本無料。火曜日はポイント倍押し。キャンペーン期間中に入ると、映画のチケットなどがもらえる。(私は無料鑑賞券2枚もらった)。会報は年4回。
梅田ガーデンシネマ
大阪名所のひとつ、新梅田シティの中にある、やはりミニシアターの老舗で2スクリーン。映画好きには納得・満足のラインナップが並んでいます。
【会員情報】 申し込み随時。年会費2000円で全作品前売り料金より100円引き。その他常時1000円の指定作品あり。水曜日の全回(男性も)と日曜日の最終回は1000円。1作品で1ポイントで10ポイント貯まると、2枚招待券がもらえる。その他更新時にも2枚招待券あり。会報奇数月。
【追記】
2006年6月末で、定員数に達したので、一旦会員募集は中止。新たな募集の際は、HPでお知らせします。現在会員の方の更新は引き続き続行です。
シネ・リーブル梅田
こちらも新梅田シティ内にあるミニシアター。全国のリーブル系劇場の一つで、2スクリーン
【会員情報】 管理人会員劇場。申し込みは平成18年4月22日から平成19年4月の21日まで。年会費1000円で、1000ポイントもらえ、次の日より無料鑑賞可能。以降1作品の鑑賞料金に対して1割のポイントがつき、1000ポイント貯まれば、1本無料鑑賞。ポイントに応じてコーヒーやポップコーンのサービスあり。金曜日は会員1000円。その他の日は会員は1500円。11日、22日はポイント倍押し。会報不定期。
九条シネ・ヌーヴォ
九条商店街から少し離れた場所にあるミニシアター。東京からの特集上映の流れを一手に引き受けている劇場で、ロビーの雰囲気も素敵。大阪では珍しいゲストを招いてのオールナイトもしばしばあり。
【会員情報】 申し込み随時。年会費3000円で全作品1000円(指定作品、オールナイトは除く)。招待券が1枚もらえる。1作品につき1ポイント、10ポイントで招待券がもらえる。火曜日は倍押し。月曜日はペア入場なら男女関係なく格1000円。その他劇場内で販売している書物、DVD、CDなどが割引。同伴者1名のみ1000円。会報は隔月。
十三第七藝術
向いに優良風俗店案内所があったり、ポン引きの兄ちゃんが昼間から闊歩する商店街の中にある超マニアックな劇場。もう慣れましたが、最初劇場に着くまで怖かったです。そういえば近所にストリップ小屋もあったような・・・。上映作は良心的で上質だが採算の取れそうにない作品ばっかりかかり、何度も経営難に陥っていますが、しぶとく頑張ってます。劇場内は、ちょっとヌーヴォに似ています。
【会員情報】 申し込み随時。年会費3000円で全作品1000円(特別興業を除く)。申し込み時に招待券1枚贈呈。スタンプ7個で招待状1枚。同伴者1名のみ1000円。会報は隔週月。
動物園前シネフェスタ
廃墟と化した第3セクターの失敗作、フェスティバルゲートの最上階に鎮座まします劇場。マニアな良質の作品の上映が多かったのですが、最近ちと上映作に魅力が薄くなってきました。4スクリーンのミニシネコン風で、メジャー系からミニシアター系まで網羅しています。独立興業系5社で出資して運営しています。
【会員情報】 管理人会員。6/1より新規募集休止(心配やな)。年会費1000円だったのが、これからは半年500円で(やっぱ心配)、現会員だけ更新。全作品1000円で鑑賞。ポイント5個で1枚、10個で2枚の無料鑑賞券あり。会報は毎月。
【追記】 ★2007年3月31日をもち閉館。
ナビオTOHOプレックス、三番街シネマ、敷島シネッポプ、
大阪の東宝系劇場。みんな元大阪の老舗映画館だったのを、大規模orプチリニューアルしました。ナビオのみ大型シネコン。三番街シネマと敷島シネポップは3スクリーン。
【会員情報】 管理人会員。「映画の花道」というサイトから、無料で会員登録出来る。入会時にポイント300贈呈。特典はインターネットより座席予約が出来、その時ポイントが100もらえる。ポイントを使い300円割引のチケットを出したり、試写会に応募できる。ポイント1000で、1本無料鑑賞。
【追記】 ★2007年6月30日をもち、サービス終了予定。
OS劇場、OS名画座、千日前スバル座
よく行くのは名画座。大阪は名画座は壊滅状態ですが、モーニング前売り800円で旧作を上映中。ラインナップも上質です。午後からはミニシアター系の作品になります。OSとスバル座はほとんど行きません。
【会員情報】 管理人会員。申し込みは随時。無料でオンライン登録で300円割引チケットが入手できる。ポイントに応じて、ポップコーンのサービスや7本で招待券1枚、12本で2枚もらえる。会報はなしで、毎週メルマガが届く。
【追記】 スバル座は2006年秋に閉館。OS劇場・OS名画座もJCBカードと提携の会員制度の変更。
その他千日前セントラルも会員があったと思いますが、HPもないし、詳細がわかりません。多分年会費2〜3000円程度で、常時前売り料金だった思います。
【追記】 千日前セントラルは、2006年に閉館。
よく行く劇場なら、ほとんど年会費はちゃらになるかと思います。女性は毎週レディースデーがあるので、あまり足が向かない映画館では、元が取れないこともあるので、会員になるのはちょっと考えてからの方が得策かも。家から一番近い映画館は、比較的よく通うはずですので、まだどこの劇場も入っていない方は、それを基準に試されても良いかも知れません。地方によってお得感って違うのかな?
本年度アカデミー助演女優賞(レイチェル・ワイズ)受賞作。その他脚色賞にもノミネートされた作品です。が、私が随分前から注目していたのは、監督があの「シティ・オブ・ゴッド」のフェルナンド・メイレレスだったこと。コンスタントに劇場通いを再開したここ4年くらいで、私が一番強烈に印象に残った作品がこれです。ブラジルのスラムの実話を元に、普通に描くと暗くてやりきれなくなるお話を、ラテンのパワー全開に描いて、とてつもなく面白い社会派娯楽作でした。なので今回期待大でしたが、全然雰囲気は違いますが、また社会派の秀作を見せてもらいました。
アフリカはケニアのナイロビ。英国外務官一等書記のジャスティン(レイフ・ファインズ)は、ガーデニングが趣味の温厚な人物です。妻のテッサ(レイチェル・ワイズ)は、情熱的は革命思想の持ち主で、ナイロビのスラムに出入りしては、彼等の救援活動に熱心でした。ある日友人の医師ブルームと活動中のテッサが殺害されます。ブルームとの痴情のもつれと見られる中、不信なものを感じるジャスティンは、妻が製薬会社の不正の事実を掴んでいたことを知り、彼女の意思をつごうとします。
二人の出会いのシーンで、場所柄をわきまえず猛然と演説をぶつテッサにちょっと引き、外交官の夫の立場も省みず、現地で猪突猛進で救援活動をする姿に閉口してしまい、これは私には苦手なヒロインかもなぁと、ちょっと心配に。何も夫の幸せが自分の幸せの内助の功が絶対良いとは言いませんが、夫婦と名がつく限りは、やっぱ連れ合いの立場も考えにゃ。この人は結婚してはいけなかった人ではないか、と思って見ていました。
しかし後から考えると、出合いのシーンにも鍵はあったのです。テッサの無礼を優しく受け止めるジャスティンは、温厚で静かな人ですが、彼の人間としての度量の大きさを表現し、テッサの情熱的だが素直な人柄は、演説した後すぐにジャスティンに無礼を詫び、意気投合した後の素早い肌の交わりに現れていました。この時のテッサの「あなたは私を守ってくれた」と「あなたといると安心するの」の言葉と感情は、死ぬまで彼女の支えだったことが、のちわかります。
妻の道程を追うジャスティンは、そこでいかに彼女が信念を持って、活動に心血を注いでいたか、知ることになります。その最もな事柄が、生前テッサがスラムの子を車に乗せてと願うと、ジャスティンは彼等だけ乗せても事態は変わらないと認めません。今出来ることからするだけなのに、と哀しげだったテッサ。しかしジャスティンが同じような、それももっと逼迫する状況に出くわすと、今度は賄賂を使ってでも、黒人の子供を飛行機に乗せようとするのです。貧困の人々と同じ場所で過ごし、同じ視線で見つめた時、ジャスティンはテッサと同じことをしました。この時、初めて本当に、ジャスティンは妻のしてきたことの意義を理解したのではないでしょうか?
製薬会社と国ぐるみの新薬開発に対する癒着、その利権に群がる他国の人間。貧困と病に苦しむアフリカの人々の命が軽いという現実に、私たちは何も出来ないのでしょうか?テッサを通じて、おとなしいジャスティンの変貌ぶりは、まずは貧困の人々と同じ場所に立つことで見えること、出来ることがわかるのではないか?と、観客に問うているように感じました。
テッサは自分が握った癒着の秘密を、一切夫に相談しませんでした。それは「あなたといると安心する」夫を、巻き込みたくなかったから。猛女に見えたテッサですが、命がけで自分の信念を貫く彼女が、自分に立ちはだかる権力に怯えもしたはずです。その怯えよりもっと、彼女の夫を守りたい気持ちが強かったのです。長い道程のあと、ジャスティンが独白する「見つけたよ、君の秘密」とは、妻の愛ではなかったかと思います。妻の心を掴みあぐねていたジャスティンには、何よりの天国からの妻の贈り物だったと思います。
オスカー受賞のワイズは、ケンブリッジ卒のインテリ女優として知られ、社会的意義がある作品での受賞は、彼女にとっても喜ばしいことでしょう。前半の意志が強く頑固さだけが目立つ頃と、フラッシュバックされたジャスティンの妻としての柔らかい姿の対比が、真実のテッサの姿を浮き彫りにしていて、受賞も納得の好演でした。レイフ・ファインズも温厚誠実が取り得の前半と、自分の安定した生活を台無しにしても、妻の気持ちに報いたい、夫の純情とでも呼びたい姿を、とても自然に力強く演じていて、かなーり高得点。どうして何も賞を取れなかったのかなぁ。
メイレレスは「シティ・オブ・ゴッド」でも、スラムに生きる人の貧困を、エネルギーいっぱいに描くことで、悲惨さを浮き彫りにしていましたが、今回も褐色の肌を極彩色の衣装に身を包むアフリカの人を、生命力溢れるたくましい人達にみせていました。あらゆる国から金のなる木のように扱われるアフリカ諸国ですが、そんな先進国を蹴散らす強さが感じられて、これは監督の願いが込められているかと思います。
母の日の日曜日、次男からのプレゼントで上映2日目に観て来ました。家事を済ませて夕食の買出しもOKの3時50分からの鑑賞でしたが、開始直前にラインシネマに着くと超満員で、久々に最前列で鑑賞。いやもう、泣きまくりました。号泣です。結婚24年目、夫52歳私44歳には身近過ぎて、ちょっと冷静ではいられませんでした。少し気は早いですが、これからいくら完成度が高い素晴らしい作品が出てきても、今年の私のNO.1は、この作品のような気がします。今回ネタバレですが、読んでからご覧になっても大丈夫な作品だと思います。是非読んで!!!
大手広告代理店で部長職につく佐伯(渡辺謙)は、結婚して25年のもうすぐ50歳。働き盛りのサラリーマンで、妻枝実子(樋口加南子)と、もうすぐ嫁ぐ一人娘梨恵(吹石一恵)のいる家庭も円満で、何不自由ない暮らしを送っていました。そんな佐伯に、若年性アルツハイマーが襲います。
最初営業マンとしての佐伯の辣腕ぶりと人好きのする人柄を描きますが、そこに挿入される何気ない自覚のないままのアルツハイマーの症状は、渡辺謙がアルツハイマーを患う作品とわかっているので、ちょっとしたホラーもんです。人の名前が出てこない、鍵を忘れる、高速を運転していて降り口を間違った、家にあるのに同じ物を買ってしまう、そして時々襲う頭痛。40過ぎた人のほどんどは、このどれか当てはまるものがあるはずです。私など医師(及川光博)が佐伯に対して施す簡単なテストを、思わずいっしょにやってしまいました。
アルツハイマーには若年性もあるとは知っているものの、まさか自分がというのは、誰でもそうです。自分がアルツハイマーだと診断された佐伯の激しいショックや嘆きが手にとるようにわかります。「俺が俺でなくなっても、お前は平気か?」と泣きながら妻に問う夫に、「私だってショックだよ。でも私がそばにいるから。」と答える妻。お互いが自分の手で相手の涙を拭うのです。この演出は素晴らしい。言葉はそれだけなのですが、一瞬で親にも兄弟にも子供にも恋人にも親友にもなる、夫婦の機微が感じられました。一発目の号泣です。
大きなプロジェクトを前にして、病を隠して仕事をする佐伯の、どんどん悪化していく病状は、通い慣れた路で迷子になり、いつも接する人の顔がわからなくなるなど、同じアルツハイマーを描いた「きみに読む物語」や「わたしの頭の中の消しゴム」では描かれなかったリアリティです。この辺の丁寧な描写で、佐伯の追い詰められ、張り裂けそうになる心や神経が、手に取るように理解出来ます。こんな形で仕事を追われる佐伯の無念さで、会社の冷たさも描きますが、同期らしき上役(遠藤憲一)の冷静な判断と心からの労い、部下達の佐伯への感謝の言葉の数々が、会社人間であった佐伯を静かに肯定していて、熟年世代の男性への思いやりのある演出に、心が打たれます。
対する妻は、これからの生活のため、独身の親友(渡辺えり子)に仕事を世話してもらいます。主婦として良妻賢母であったろう家庭しか知らない女性が、40代後半で一家を支えなければならないのは、正直とても怖いものです。私も短大卒業後就職せずにすぐに結婚、夫のリストラのため36の時フルタイムでパートに出た時、ものすごく怖かった。しかし毅然とした枝実子からは、必死さは感じられても、心細さは感じさせません。妻と言うものの芯の強さを見せてくれますが、その胸の内を推し量れる私は、ここでも泣きます。彼女が娘を嫁がせ子育ての大任を終え、これからの人生をどれだけ楽しみにしていたかもわかる私は、それも涙に拍車がかかりました。
娘が結婚式を挙げ、名実共に夫婦だけになった家庭は、「熱帯魚の餌は一度だけ」とか「散歩からは10時に帰る」など、至るところに大きくメモが張られています。一人留守番をさせる夫への、枝実子の心のこもったメモは、もはや佐伯は夫ではなく、彼女の帰りをひたすら待つ子供であると感じさせます。
二人で食事をしていると、突然佐伯が「こんな情けない男でごめんなぁ」と泣きじゃくります。泣きながら慰める妻が、一人庭に出てひとしきり泣いた後、「泣かない泣かない」と健気に涙を拭う場面以下、これから私はずーと泣くハメに。鼻もすするわ嗚咽も出るわ、もう大変なことに。
佐伯は会社人間で、娘が非行に走った時も、入試に落ちたときも家庭にはおらず、妻は一人で家庭を守り、実際病んだ夫に昔のことを食ってかかる場面もあります。女と言うのは、夫がすでに忘却の彼方のあんなことこんなことも、全て覚えていて、結婚して何十年経っても昔のことを持ち出すものなのです(もちろん私もそうだ)。気丈で優しい妻も、やはり妻は妻。ストレスが溜まれば、一瞬夫が元気だった頃に戻ってしまうのです。この辺の夫婦のリアリズムに、ほとほと感心してしまいました。
結婚生活が長くなると、一度や二度離婚しようと考えなかった人はいません。私も世界中で夫が一番憎かった時があります。枝実子だとて同じ気持ちを抱いていたはずです。しかしその気持ちを乗り越えたのは、あきらめたのでもなく、生活のためでもなく、もちろん子供がいたからでもありません。これが私の夫なのだと、いつしか受け入れるようになったからです。そういう気持ちになると、相手が同じ事をしても、今までわからなかった自分への詫びや感謝が見えてくるのです。世界一憎かった辛さに比べれば、病んだ自分だけが頼りの夫を支えることは、むしろ妻の生きがいにもなるのです。これは枝実子や私だけはなく、多くの古女房が抱く感情だと思います。自分を思いやる親友が差し出す施設の案内を拒否する妻の、独身の親友への、一見無神経な「あなたにはわからない」の言葉は、これだけの意味が詰まっています。
家に引きこもってからの佐伯を演じる渡辺謙は、まだ実年齢は46〜7歳のはずなのですが、一気に老け込んで見え、見事な患者ぶりで感嘆します。それ以外の演技も素晴らしく、プロデューサーとして惚れこんだ作品と言うだけのことはあり、今年の日本映画の主演男優賞は決まった感まであります。樋口加南子もただ強さと哀しさを漂わす母的演技ではなく、妻としての夫への細やかな感情を浮き彫りにして、大変好演でした。その他ミッチーや遠藤憲一、寓話的に登場する大滝秀治などの演技派のお芝居も忘れ難く、作品を暗さ一辺倒から救っていたと思います。
しかし暗さを救った一番の勝因は、孫の誕生でしょう。ミッチー先生の語る「人は必ず老いていく」との感慨深い言葉と折り合いをつけて行かねばならない身には、新たな自分と血の通う生命の誕生ほど、救われるものはありません。でも娘梨恵とて、子育てでままならぬ身を、実家で安らぐことは叶わないはず。そういう寂しさや、父と母を通して、新婚夫婦には感じるところがあるはずなのに、その辺の描写はありませんでした。あれば完璧だと思いますが、まっいいっかー。
ラストどこへ出かけたかわらない夫を、妻が探し当てますが、これは映画的偶然ではないと思います。私も夫がああなったら、探し当てる自信があります。ああいいシーンだと思ったら、夫は妻がわからなくなっているという残酷さ。しかし初めて妻を見るような夫は、妻に好意をあらわします。「エターナル・サンシャイン」でも描かれたように、人は記憶を失っても、愛する人は忘れないのです。
とてもリアリティに溢れていいますが、希望の持てる映画的フィクションも加えているのはわかります。リアリティ一辺倒で心が痛みで張り裂ける作品ではなく、「明日の記憶」は、それが観客に愛される、共感を呼ぶ作品です。この作品を観たご主人様方の一番の感想は、妻に会いたくなった、だそうです。私も早く帰って夫の顔が観たくなりました。育ててもらった親より愛して結婚し、やがて子供が生まれその子たちが誰より大切になり、そして巣立った後、世界中で一番欠けがえのない存在になる夫婦。そんな夫婦の不思議と絆が、愛情を込めて誠実に描かれていました。結婚20年以上経ったご夫婦には必見の作品かと思います。その他の方々も、どうぞご覧になって下さい。
2006年05月09日(火) |
「プロデューサーズ」 |
GW最後の日に友人と観ました。実はこの日は、神奈川に住む義妹の子が結婚式でした。私も行きたかったのですが、術後日が浅いので、横浜まで日帰りは向こうも気を使うだろうと、涙を呑んで夫だけに行ってもらいました。花嫁さん見たかったなー。この作品は4/8から公開だったので、観るのは諦めていましたが、ヒットしたみたいですね。この日も2回上映に変更でしたが、お客さんの入りはまだ上々でした。
1959年のアメリカはニューヨーク。かつては隆盛を極めたミュージカル・プロデューサーのマックス(ネイサン・レイン)は、今やすっかり落ち目に。資金繰りに四苦八苦している彼の元へ、会計士のレオ(マシュー・ブロデリックがやってきて、話のついでにミュージカルが大コケすると、大儲けが出来る仕組みをふと漏らします。しかしそれを実現しようとしたマックスは、レオを相棒に、史上最低の脚本、史上最低の演出家によるミュージカルの実現に奔走するのですが・・・。
面白かったです。いっぱい笑いました。とにかくウォー!というくらいセットも衣装も仕掛けもゴージャス。ネイサン&マシューのコンビは、ブロードウェイキャストだそうで、息の合ったツッコミ&ボケを面白おかしく見せて、楽しませてくれます。この二人以外の全てのキャストも、コテコテハイテンションの演技がず〜〜〜〜〜〜〜〜っと(はぁはぁ)続くのですが、関西風味に鍛えられている私の目には、ぎりぎりゲップは出ません。キャストもハイテンション持続型の人ばっかりだったのが、功を奏したかも。でも観ていてちょっと疲れる人もいるでしょうね。
ゲイ、熟年女性の性、ヒットラー、サラリーマンの悲哀など、結構盛り込んでいるのに、風刺は軽めの印象で、あんまり毒は感じられませんでした。なんちゅうか、完成度の高い、いっぱいお金がかかった吉本新喜劇というか(怒られるかな?)。衣装やダンスに往年のハリウッド・ミュージカルを彷彿させるモノがあり、楽しかったです。でも楽曲の方は、観た後リフレインする曲がなく、その辺は「シカゴ」や「オペラ座の怪人」に比べて、物足りませんでした。
キャストはみんな良かったです。特に私が注目したのが、ゲイの演出家ロジャーの恋人カルメン。はいはい、ステップフォード・ワイフでも、ゲイの演技が大変面白く気に入った、ロジャー・バートじゃ、あ〜りませんか!舞台ではマシューが降板した後のレオ役をやっているそうで、芸(ゲイ)達者なんですね。またまたお気に入りに。
でもでも私がイチバ〜〜〜〜ン!印象に残ったのは、イーサン・ホークとユマ・サーマンの離婚の理由を垣間見た気がしたこと。これですがな、これ!全編完璧なゴージャさと美とプロポーション(おまけにブロンドだい!)を誇るユマを見て、これは夫としてしんどかったやろうなぁと。最初イーサンの浮気を聞いた時は、あんな綺麗なヨメがいながら、ほんま男っちゅうもんは!と思っていましたが、毎日お値段の張るフランス料理フルコースだと、中性脂肪もコレステロールも上がり、もしかした若年性糖尿病や高血圧も引き起こすかも?そらお茶漬けや精進料理も食べたいわなぁと、長〜〜いユマのあんよを見ながら、初めてイーサンに同情しました。
この作品では可愛さ満開のユマですが、そこはほれ、「キル・ビル」のブライドの気の強さが、シャープな美貌に見え隠れしております。鋭角的なんですね、彼女。マリリン・モンローが時代を経てなお愛されるのは、彼女の肢体のせいではなく、あの愛嬌のある可愛い顔だとか。パーツが全て丸く、これは赤ちゃんもそうで、人を和ませたり愛をかけようとする気にさせるものがあるのだとか。確かにユマは、和み系ではないですね。嫁をめとらば分相応ってか?
しかし同じくドラマで大ブレイクし、一躍ファッションリーダー&セレブとなったサラ・ジェシカ・パーカーを妻に持つマシュー・ブロデリックの方は、妻の尻に敷かれてる風は歴然ですが、とっちゃん坊やの風貌と同じく、飄々と自分の立場を受け止め、でもしっかりこの作品のように、お仕事でも存在感を示しています。そうよね、イーサンの前じゃ、ゲップやおならをしたら、眉間にしわ寄せて疎んじられそうですが、マシューなら「そうさ、ここはおうちなんだよ、ハニー。さぁくつろいで。」とか言いそうですよね。常に完璧でゴージャスに振舞うのもしんどいですから、「まぁ〜〜やっぱり私のダーリンね!愛してるわ!」となりそう(?)。ゴージャス妻には癒し系和み系の、とっちゃん坊や夫がよろしいようで。
というように、私には映画+αで、とても楽しめた作品でした。
2006年05月07日(日) |
術後一ヶ月経ちました |
いままでの経過はこちら
5/3で術後一ヶ月経ちました。退院以降の体調の様子です。
術後8日〜2週間
家事はお弁当・夕食を作る、洗濯をして干す(取り込むのは手伝ってもらう)。食後の洗い物は、私と息子達と半々。掃除は家族任せなので、当然家はとっちらかっている。食事の買出しは、家族の誰かに付き添ってもらい、重たい物は持たないようにした。スーパーで少し歩くと、すぐふらふら。週末は外食にする。まだ自転車と入浴はしていない。
この間は寝たり起きたりしていましたが、体力の低下を実感。何もしなかった入院中より、はるかにしんどく、食事作りをするのは早まったかと、ちょっと後悔。しかし男どもの喜ぶ顔を見ると、それも言い出せず。高齢でうちに来れない姑に、元気になった顔を見せに行きましたが、2時間居ただけなのに、激疲れ。後一週間で仕事に復帰で大丈夫だろうかと、ちょっと不安になりました。
術後2〜3週間
ゴミ出し以外の家事は、全てやることに決める。時々昼寝。一人でスーパーにも行く。自転車も恐る恐る乗り始める。この頃から湯船にも入る。22日は少し前倒しで術後2週間検診に行く。問題なし。傷口も綺麗だとのこと。体内の糸はまだ完全に溶けていないので、時々出血めいた物があるが、気にしなくて良いとのこと。但し生理のような出血があれば、すぐ来院すること。セックスは一ヶ月経ってから。次の検診は6ヵ月後。などの注意以外は、全て日常に戻って良いとのこと。体調は家事を増やしてからの方が良好。というか、ひにち薬で体調が戻ってきているようだ。日曜日に鶴見緑地へ夫と散歩に行く。2時間弱ゆっくり歩いても大丈夫。
この週は友人から大丈夫ならお茶しないか?と誘われ、近所なので出かけました。自転車の話になり、「段差でサドルからお尻浮かすとか〜」などなど、普通モードの他愛ない話に気持ちが和み、手術が過去の物になるつつあるのを実感し、誘ってくれたことに感謝しました。これが呼び水となり、この週は三本映画も観ました。とっても観たかった「ヒストリー・オブ・バイオレンス」を最初に梅田まで観に行く暴挙に出てしまい、帰りはフラフラになりましたが、作品が気に入ったこともあり、気分は快調。体調は精神的なものも左右されるようです。
私は早く映画館に復帰したかったので、術後は家族の前ではしんどいふりをする、という誓いはあえなく玉砕でした。でも取り立てて急ぐ用事のない方は、お芝居するのは良いかも。主婦がしんどくても動いてしまうと、悪気はなくとも家族は元気になったと錯覚しますので。この頃調子が出だして、ガミガミ末っ子を怒鳴る私を見て長男が、「お母さん、元に戻ったなぁ。俺嬉しいわ・・・」としみじみ言ったので、術前はさすがの私も暗かったんでしょうね。
術後3週間〜4週間
仕事復帰。家事もする。完全に術前モード
仕事は午前中だけ病院の受付なので、少し早めの復帰でした。初日はなんと患者さんが3人だけと、まるで私を気遣ったくれたかのようで、正直ありがたかったです。それなのに家に帰ってから2時間爆睡しました。以降は通常通りの患者さんの数でしたが、体力的には問題ありませんでした。フルタイムで平日ずっと仕事の方は、もう少し様子を見てからの方が良いかとか思います。
この頃左の乳房が張り、鈍痛がします。筋腫持ちには乳腺症の人も多く、それが頭を過ぎりましたが、ちょうどその頃は子宮があれば生理前。以前とは違う乳房の張りですが、排卵の関係かもと思い直し、様子をみることに。2日くらいで治まったので、ビンゴみたいです。ですが一度マンモグラフィをしなければとは思っています。
セックス
以前と同じ。問題なし。
セックスについては書くのも恥ずかしいし、どうしようかと迷いましたが、術前大変不安で、恥ずかしながら私も体験談を探しましたので、参考になればと書いておきます。一般的に女性に子宮がなくなると、セックスがいやになる、行為の時痛いなどで夫婦生活が送れなくなると、聞いた方も多いかと思います。うちは夫が8歳上で、私が閉経の頃は夫も60になるので、自然とそんなこともなくなるのだと思っていたのですが、セックスレスでもない我が家で今そんな事態になると、やはり夫婦としての今後に水を差しはしないかと心配でした。
私が診察してもらった男性医師は全て、こちらから聞かずとも、子宮摘出後もセックスは可能と教えて下さいました。術前の夫婦で聞いた説明では、「卵巣も残りますし、以前の奥さんのままです。」と主人にも強調して下さいました。立会い出産で妻のことを女性として見られなくなった夫が、セックス出来なくなるケースは多いそうですが、それと同じで、子宮の無くなった妻に女性を感じない男性もいるのだと思います。うちの夫は素直というか単純なので、先生の丁寧な説明(図も使う)で、二方不安が取れたのも事実です。
私は幸いにして卵巣は残りましたが、子宮ガンなどで卵巣も無くなれば、女性ではないのでしょうか?それは違うと思います。手術前に東野圭吾の「レイクサイド」を読んでいると、子宮ガン手術後体調を崩した女性が、あたかもセックス出来なくなったような描写があり、私は憤慨したものです。そういった記述が、誤った認識を深めてくのだと思います。一概には言えませんが、術後のセックスが可能かどうかは、精神的なものにも左右されるのではないでしょうか?私の経験が今悩んでいる方にの参考になれば、幸いです。40代の思わぬ妊娠は中絶が多いと聞きます。その心配がなくなった今、一つ卒業くらいの気持ちですかね。
現在の体調
ほとんど術前に戻る。時々お腹がチクチクしたりするが、筋腫が急に大きくなって以降より、はるかに楽。
体重の方は、せっかく入院中に痩せたのに、あっと言う間に戻ってしまい、夫からはもう一度入院しろと怒られています。思うに入院中は間食もせず、6時以降は何も食べずで規則正しかったからですねぇ。夕食は夫を待つので8時半以降の時が多く、今日一日どう過ごしたか、お互い話す時間に充てているのですが、涙を呑んでこれを辞めようかと思案中です。
まだ少し疲れやすいですが、大事な臓器がなくなったんですから、それくらい当たり前だと、良い意味で開き直りも大切かと思います。しかし何でもかんでも手術と結びつけると、気持ちが段々後ろ向きになります。たとえば白髪が増えたとか、シミが気になるとか。もしかしたら関係あるかもしれませんが、単なる加齢と思って、せっせと肌のお手入れやカラーリングに力を入れた方が、気持ちが明るくなるでしょう?
懸念していた喪失感はありません。俗に言われるイライラや鬱な感情も当然ありません。私の復帰を喜んで下さる患者さんも、あまりに以前と同じなので、「あんた、子宮は残せたんやな。良かったなぁ〜」と言って下さいますが、「違う違う、子宮無くなりましたよー。」と笑って答えています。微力ながら子宮が無くなった女性のへの偏見に、対抗していきたいと思っています(大げさな)。家族が労ってくれなくなったので、時々しんどいフリもしようかなぁ。
手術をして良かったと思っています。
2006年05月04日(木) |
「メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬」 |
名優トミー・リージョーンズの初監督作品。昨年のカンヌ映画祭で主演男優(トミー・リー・ジョーンズ)と脚本賞(ギジェルモ・アリアガ)を取った作品。全然予定になかったのですが、予告編を観てピンと来るものがあり、その後大阪の映画友達の間では、局地的大評判に。しかし公開後たった二週間でレイトに変更になると知り、今年のGWの夫婦のデートムービーとして、これを観ようと企んだワタクシ。トミー・リー主演監督と夫に伝えると、二つ返事で了承してくれました。彼は男性には抜群の高評価俳優なんですねぇ。噂にたがわぬ素晴らしい作品で、単なる男同志の友情だけではなく、人の心に澱のように沈む孤独を、厳しく、しかし遠くからしっかり見守るような、父性的な香りのする作品です。
メキシコと国境が近いテキサスの田舎町。不法滞在者のカウボーイ、メルキアデス(フリオ・セサール・セディージョ)は、ふとした誤解から国境警備隊員のマイク(バリー・ペッパー)に射殺されてしまいます。メルキアデスと親しくしていた初老のカウボーイのピート(トミー・リー・ジョーンズ)は、犯人がマイクだと突き止めるや彼を拉致して、生前「俺が死んだら、故郷のヒメネスに埋めてくれ」とのメルキアデスの願いを聞き入れ、遺体を連れて帰ることにします。
脚本のアリアガはメキシコ人で、「アモーレス・ペロス」や「21グラム」など、イニャリトゥ作品でも担当しています。この作品も前作品群同様、前半時空をいじっており、正直またかよと、ちょっとうんざりする気持ちになったのですが、今回はピートとメルキアデスが友情を育む様子、マイクの粗暴さや妻ルー・アン(ジャニュアリー・ジョーンズ)の田舎町で一人夫を待つだけの寂しさや空虚さ、老いた夫を持ちながら浮気を繰り返す人妻レイチェル(メリッサ・レオ)や小心者の警官のベルモント(ドワイト・ヨーカム)など、登場人物の心模様をより深く、人間臭く掘り下げるのに成功しており、演出のスパイスとして効果的でした。
ピートは家族はいるのか?妻は?ずっとカウボーイをしていたのか?など、一切の説明はありません。しかし彼のメルキアデスとの約束を果たそうとする姿に、観る者に彼はどんな男なのかがわかります。私が感じたのは、一口に言ったら「男力」のある人だということ。人種に関係なく人柄で相手を見る、約束を守る、髭に白い物が混じる年齢なのに、セックスを楽しみ憎からず思う女がいる、などなど。息子のような若さのマイクを拉致する時もまるで危なげが無く、男としての格の違いを見せ付けます。演じるのがトミー・リーなので、一層ピートの男力を底上げします。
ピートだけではなく、マイクの不法入国者に対する必要以上の暴力や、妻に対しての自分勝手なセックスの様子などで、マイクの粗暴さを描きますが、誤ってメルキアデスを射殺してしまった時の狼狽の様子や以降の怯えたような姿に、粗暴な彼は本来の彼ではないとも感じさせます。妻のルー・アンも、今まで生きてきた華やかな世界と全くかけ離れたこのど田舎で、夫を大切にしたい気持ちと、寂しさと憂鬱とに折り合いを付けられない姿を、ダイナーで人前でけだるく煙草を吸う様子、美しく若い彼女が肌を極端に露出する服を着ても、誰も誘おうともしない姿に、その心の動きが思い測れます。
ここからネタバレ**********
死体のメルキアデスを道連れにするピートを、マイクは狂人扱いします。しかし観客はそう思ったでしょうか?ブーツも履かせず、メルキアデスの服をマイクに着せ、馬で国境を越えさせるマイク。マイクが蔑んだメキシコ人たちのアメリカへの道程の逆を行くことで、それが如何に過酷なものであるか、体験させたかったのではないでしょうか?それがメルキアデスへの、何よりの償いになると思ったのでしょう。
隙を見て逃げ出すマイクをいつでも掴まえらるのに、寄り添うように監視するピート。必死で逃げ回るマイクを映す自然の風景は、マイクの心とは裏腹、彼を厳しくも優しく包んでいるような美しさです。これはマイクに何かを伝えたいピートの心なのかと感じました。道中で出会う様々な出来事に、いつしか心が洗われていくマイク。ピートに横柄な口を利いていたマイクが、段々ピートに口答えしなくなり、最後には「yes,sir」と敬語まで使います。その過程も心の移り変わりも、とても説得力がありました。
メルキアデスの故郷ヒメネスは存在せず、写真で見せられた妻子も、彼の本当の妻子ではありませんでした。騙されたんだというマイクですが、私もピート同様、そうは思いません。故郷からも遠く離れ、誰一人知らないアメリカで暮らすメルキアデスには、自分を見失わないために心の拠り所が必要だったのです。アメリカに住む彼には、たとえ写真のだけでも真実の心の故郷、心の妻子だったのではないでしょうか?人種のるつぼと言われるアメリカですが、マイノリティがアメリカで生活することの辛さ侘しさが伺われます。
もう一人印象的だったのがダイナーの主人ボブの妻レイチェル。結婚して12年とは、夫婦の年齢からして浅いように思いますし、夫と年齢差もあるようでした。何か訳ありでこの田舎にたどり着いたのでしょうか?浮気を繰り返しながら、ボブを愛している、ボブは特別との言葉は、私には自分を真っ当な生活に引き上げてくれた恩人、と聞こえました。かつてはルー・アンと同じ悩みを抱えた彼女は、夫以外との男のセックスで女であることを確認し、心の均衡を保っていたのでしょうか。あばずれながら、ピートのプロポーズを断り涙する姿に、女としての慎みは持ち合わせている人だと、じーんときました。
ピートとマイクの道行きで出会う盲目の老人も、人生の無常感を表していて、挿入するお話として効果的でした。埃まみれでの道中、ハエや蟻のたかる死体の描写など不潔な場面も多いのに、心の気高さ、男として生きるのに必要な力、誇りなどを強く感じ、私が好きなペキンパー作品に通じるものがありました。ペキンパーを観ると、やっぱり生まれるなら男だよと、いつも強く感じる私ですが、この作品でも同じことを感じました。男の人は立てて、ピートのような男力を発揮してもらいましょう。
2006年05月03日(水) |
「Vフォー・ヴェンデッタ」 |
ナタリー・ポートマンが坊主頭になったと、だいぶ前から話題の作品。私の最年長の映画友達に、76歳の患者さんがいらっしゃるのですが、「孫といっしょに試写会行ってきてん。よう(よく)わからんかったけど、面白かったよ。」とのこと。なるほどコミックが元なため、お話は荒唐無稽気味(脚本はあのウォシャオスキー兄弟)。それに反比例するような教養深さが必要な一面もあり。でも私もようわからんけど、面白かったです。
近未来のイギリスが舞台。指導者サトラー議長(ジョン・ハート)の元、独裁国家として世界中を牛耳っていました。若い女性イヴィー(ナタリー・ポートマン)は、夜間の外出禁止令を破ったところ、自警団に捕まります。その時仮面の男V(ヒューゴ・ウィーヴィング)が表れ、彼女を助けます。Vは国家転覆を狙うテロリストでした。自分の意思とは関係なしに、イヴィーはVと行動を共にする羽目になってしまいます。
Vの元となっているのは1605年、イギリスの国会議事堂爆破を狙い、翌年の11月5日に処刑されたガイ・フォークスがモデルになっており、冒頭説明があります。イギリスでは有名なお話なんでしょうね。Vを演じるのは「マトリックス」シリーズで有名なウィーヴィングが、素顔を最後まで隠して演じていますが、これがカッコいい!剣さばきや立ち回り、クールで教養溢れた様子など、これは結構萌える人も出てくるじゃないでしょうか?素顔なしでは役者としておいしくないですよね?それを引き受けるなんて男気あるなぁ、ということで素顔をチラッとご紹介。
左がご存知エージェント・スミス仕様ですが、最近の髭のある方が300倍くらい素敵ですよね?ね?(個人的男の趣味)。
Vがどんな人か大まかな経緯しかわからず、あんなに大掛かりな仕掛けをするのは、さぞお金が必要だと思うのですが、どんな風に生きてきたかその辺は全然説明なし。超人的な身体能力に関しても、ある事件がきっかけとはわかりますが、この辺も説明なし。しかし独裁政権をナチスになぞらえて描いているので、受動的に心がすぐ反応してしまい、大量の殺戮を繰り返すテロリストにもかかわらず、Vには同情心が素直に湧いてきます。
ある秘密を抱えてひっそり生きてきたイヴィーが、Vと行動を共にするようになり彼に影響されて、やがて意気地なしの自分を自覚。次第に心が研ぎ澄まされ、凛々しくも清々しく成長する過程も、無理なく描いています。これはナタリーの演技はもちろん、彼女の整っている容姿も貢献しています。スキンヘッドの形の良い頭、痩せて次第に鋭角的になっていく顔の輪郭、射るような眼差しなど、次第に凄みのある知的な風貌に変わっていくのが印象的でした。
Vの屋敷の豪華な美術品、多用されるシェークスピアのセリフなど(ここはのちにウルウルくる仕掛けあり)、私は残念ながら教養薄く、「そーなんですか」と目や耳に流れてしまいましたが、その辺に詳しい方が観れば、この辺も興味深いかと思います。
華々しくも切ないラストへ向かう過程は、見応え且つカタルシスがあり、えっ?おかしいやんのあんなとこ、こんなとこの数々も、水に流していいと思わすものがありました。テーマ的には目新しいものではありませんが、世界を見渡せば、まだまだ人民が解放されていない国々があり、ちょろっとそういうことにも、想いを馳せます。元のコミックも読みたくなりました。
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